八月某日。
蝉の鳴き声を聞きながら、龍崎海(
ja0565)はふと思った。
「この夏は学園以外での海で泳いでないなぁ」
天魔の被害あれば年中無休。久遠ヶ原の学生にとって、本当の意味での夏休みは無いに等しい。
「夏最後の休暇かもしれない。折角だし参加しよう」
(冥魔による風評被害。それを聞いて何もせぬわけには参りません)
依頼書を手に姫宮 うらら(
ja4932)は風に向かって仁王立ちする。
(此の地へ住まう方・集う方がために、姫宮うらら、獅子となり全力を以って)
獅子の鬣のように髪がばっさばっさ。
(食の安全、己を賭して示さんと!)
ぐっと握り拳を握るうららのお腹が、賛同を示し「ぐー!」と雄叫びをあげていた。
(海ですか…たまには息抜きもいいですね)
もらってきた依頼書を手に白鷺 桜霞(
jb1518)は夏の海を頭に思い描く。たまにはいいかもしれない。
同時刻、教室前で依頼書を睨む少女がいた。
(海か! 今年はまだ泳いでないし行くしかないな!)
ざっくり計画をたて、布都天 樂(
jb6790)は斡旋所へと入っていく。
「魚とかいないもんかな!」
ただ泳ぐだけではつまらない。ジッとする釣りは苦手だという少女に斡旋所の少女は微笑んでパンフレットをつけてくれた。
夏特有の虫達の声を聞きながら、和泉早記(
ja8918)は参考書を閉じる。
(中等部最後の夏休み、しっかり遊ぼう)
子供の時間は、きっと自分たちが思うよりずっと短い。
(いつだって、『今日』という日は、後では決して取り戻すことの出来ない時間だから)
「今回はお店を手伝うのも良いわね」
募集要項を読みながらグレイシア・明守華=ピークス(
jb5092)は口元に笑みをはく。
「この時期の海の家は人手が欲しいだろうからな。少しでも助けになれればいいけど」
一緒に見ていた黄昏ひりょ(
jb3452)は、ふと先に行った人々の話を思い出した。
(今日も慌しくて皆頑張ってるんだろうな)
明日、彼等の痕跡を追うのも楽しいかもしれない。
休暇を楽しむ為、友達と遊ぶ為、恋人を誘う為。様々な理由で彼等は依頼書を片手に門戸を叩く。
久遠ヶ原学園生25名。
少し遅めの夏の休日が始まろうとしていた。
●
「海が…凄いな…」
早見 慎吾(
jb1186)は茫然と呟いていた。
海の中の砂も、岩も、魚も、かなりの距離を海岸から見渡せてしまう。誘っていた相手が来れず、しょんぼりしていた気持ちが海風に吹き飛ばされていくのが分かった。
「これは確かに一見の価値が…城!?」
その目がとんでもないものを見つけて思わず叫ぶ。
「城?」
バスから降りてきた海がその声に首を傾げた。
風評被害の返上。前日の人達は何かやったのだろうか? と思いながら同じ方向に視線を向け、海はその答えを知る。
「うわ」
気づいたグレイシアも思わず声をあげた。
砂浜に建てられた二階建ての砂城には、久遠ヶ原学園の校章と名前が刻まれている。今では立派な写真撮影会場だ。
尖塔の上にある棒を見て海は思案を巡らす。
(幟もあったほうがいいかな?)
その海の背後をざくざくと通り、うららは真っ直ぐに海の家へと向かう。
(まずは腹ごしらえもとい海の家で“安全”を確認すべくお食事です!)
黒潮踊る太平洋、思いっきりスルーである。
逆に感慨深げに砂浜を見やるのは久遠 冴弥(
jb0754)。
(前回、あの戦いをした場所に今回も来るというのは不思議な感じです、が…)
人々の笑い声の弾ける砂浜に、かつての名残を見ることは出来ない。あの戦いに巻き込まれた人々も、きっと今はいつもの日常に戻ってくれているだろう。祈り、冴弥は気分を休日のそれへと切り替える。
「素敵な所ですね」
「珊瑚礁もあるみたいですよ」
冴弥の隣に並び、観光パンフを手に微笑むのは神月 熾弦(
ja0358)とファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)だ。
「行ってみましょうか」
ファティナの声に、二人、微笑んで頷いた。
(独りで夏の海か…)
ザザーン、と潮騒の音を聞きながら、麻生 遊夜(
ja1838)は遠い眼差しで海の彼方を見つめている。
(仕方ない、次の機会を待つとしてデート資金でも貯めますかね…)
気を取り直し、海の家に向かいつつもやはり哀愁の色は濃い。
同じくショボーンと項垂れているのは御崎 緋音(
ja2643)。片思い中の先輩を誘い、アピールする予定で可愛らしいピンクのフリル付ビキニを着てきたのに、当日まさかのドタキャンだった。
(ぅぅ)
「緋音さん?」
涙目になる緋音に、気づいたファティナが声をかけた。パッと顔を上げた緋音の前、三人の美女が不思議そうに首を傾げている。
「どうしたんです…?」
あまりの悲嘆ぶりに事情を聞き、ファティナはほろりと同情の涙。
「では、一緒に遊びませんか。せっかくですし」
「はい。あ、あの」
涙目で頷き、ふと気づいて緋音は言葉を続ける。
「もしよかったら…海の、お料理を教えてもらえませんか」
「お料理ですか。私も習ってもいいですか?」
冴弥も仄かな期待を込めてファティナを見る。冴弥を「部活のお友達です」と緋音に紹介し、熾弦はすぐに検討を始めた。
「海の幸料理、焼くのは後にバーベキューもあるそうですし…生は流石に危険ですし、アラ汁とかだと料理っぽいでしょうか。海草なんかも使ってみてもいいかもしれませんね」
ファティナは緋音をじっと見つめ、そうして優しい笑みを浮かべる。
「海の幸を使うならパエリアが良さそうでしょうか…?」
気づいていた。彼女が誰の為に習いたいと思っているのか。恋する乙女の輝きがそこにあるから。
「手間は掛かりますがそれだけ美味しい料理です。頑張りましょうね♪」
「うーみー! うーみでーすよー!!」
海へと向かって叫び、Rehni Nam(
ja5283)は嬉しげに亀山 淳紅(
ja2261)を振り返った。
「いっぱい、楽しみましょうね!」
「勿論、やでー!」
二人、きゃっきゃと手を取り合い海の家へと歩いていく。
その二人の後ろから現れ、海を見つめるのはパンダ、もとい下妻笹緒(
ja0544)。もっふもふの体毛(パンダスーツの表面)を無駄に風に靡かせ、潮騒に立ち向かうかのように仁王立ち。
(海へ来てやることと言えば、答えはひとつ。その海のお塩をゲッツすること。これしかない)
見れば不純物等欠片も混じって無さそうな美しい海。これはもうやるしかないと、一人決意を固くした。
渡る風に宇田川 千鶴(
ja1613)は心地よさげに目を細める。今日はTシャツにハーフパンツというラフな格好。夏の景色のその姿は良く似合う。
「綺麗なとこやねぇ。ここがぽんぽこ海岸…ぽんぽこ」
その名称に隣の石田 神楽(
ja4485)を見た。じっと見る。
「海岸ですね〜暑いですね〜」
神楽は笑顔のままそっと目を逸らす。どういうわけか信楽焼の狸を腕に抱えていた。
海の家へと向かう二人の後、早記は大海原の前でやや戸惑う。
(とりあえず叫ぶのが様式美だったかな、ええと)
「ば…ばかや…ろー…」
言い慣れない言葉に段々小さくなる声で、海の様式美を飾った。
(それにしても、これはどういう様式美なのかな?)
ふと思うのはそんなこと。言われ無き悪態をも受け入れてくれる海の深さを知る為の儀式だろうか。遠い眼差しで見やる水平線は、変わることなく彼の眼差しを受け入れていた。
夏と言えば海!
(と言う訳でやって来ました海!)
鮮やかな夏の光景に、蓮城 真緋呂(
jb6120)は太陽にも負けない輝く笑顔。
(ラストのBBQに向かって、食堂のバイトに励むわね!)
何故食堂かってそれは当然つまみgおっとポロりかけたがセーフセーフ! 大丈夫! お客様のものには手を出さない! 調理中に味見はするけれど!
「楽しみー♪」
「行きますよー?」
「はーい♪」
海の家に向かうひりょに呼ばれ、真緋呂はスキップしそうな足取りで走って行った。
●
無駄なく引き締まった筋肉。鍛え抜かれた鋼の如き体。
そんな俊敏性を感じさせるバディはラグナ・グラウシード(
ja3538)。
身に纏うのは――えぇと(画像検索)――よしキタ! 褌ごっつぁんです!!
「ふふふ…私の鍛え上げられた肉体美に釘付けになるがいい」
ババーン、と惜しげもなく晒される全裸一歩手前(※褌)のKARADA。見よこの美しい上腕二頭筋と大腿部を!
黙って立っていれば普通に美男なラグナ、女性陣からチラチラと視線を向けられている。しかしここぞとばかりに見せつけるそのバディにちょうど海から上がってきたらしいナイスミドルが釘付けられた! ウホッいい男!
ラグナ。本能で大海原へとダッシュした(※彼にそのケは全然全くこれっぽっちもありません)。
ラグナがばっさばっさと海に消えてしばし――
桜霞は困っていた。
その前には三人の若者。声をかけられ、別地区からの観光客だろうかと会話をすることしばし、繋がらない話に「?」となったが何のことは無い、ナンパである。あと少し早ければ自動浜辺警備員が助けてくれたのだが運が悪かった。
(…お断りをするには、どうしたら)
「おいおい、何してるんだー」
桜霞が戸惑っていると、海側から声がかけられた。見れば、銛の先に活きのいい魚を串座した樂がざぶざぶと海から出てくるところ。
「困ってんじゃん。男なら潔く身ぃ引いたげな」
言われ、三人はそそくさと退散する。
「おお。引き際は潔いな」
感心しつつ、樂はほっと胸を撫で下ろしている桜霞にニカッと笑いかけた。
「一人だから声かけられんだろなー。一緒に遊ぶか! 一期なんとかとか言うしな」
「はい。何しましょう。ビーチボールでも借ります?」
パッと顔を輝かせ、桜霞は樂と連れ立って海へ。「取り合えずだ、泳ぐか!」との言葉にガンガン沖へと向かうのだが足がつかなくなる辺りで桜霞があっぷあっぷしはじめた。咄嗟に呼び出したヒリュウもきゅぅきゅぅ鳴いている。
「…疲れるの早、ってか溺れるなよ!?」
桜霞、深い所は苦手だった。
海の家の前、テンと置かれた信楽焼が不思議な愛嬌を振りまいていた。
「こういうアルバイトも久しぶりやなぁ」
借りたエプロンを身につけ、千鶴は給仕に回る。ふと思い出すのはアウル顕現前のこと。当時の記憶をなぞりながら、座席と注文リストをチェックして微笑む。
調理を担当する神楽が、ぱたん、と冷蔵庫を閉じながら言った。
「たまにはこうしてのんびりするのもいいですよね〜…海の家でケーキとか出したら面白いですかね?」
「いや、この暑さでケーキ出すのは…」
ええ、別に冷蔵庫の中の材料が賞味期限近かったとかではありません本当に。
「前日の人のメッセージがありますね」
エプロンをつけながら、ひりょは調理場の壁にびっしり貼り付けられたメモを見る。書かれている内容は様々だ。
「いいね、この時間短縮方法。分かりやすい」
要点を分かりやすく書いたメモにグレイシアは笑む。真紅を基調としたホルターネックのツーピースはトップが横縞、ボトムが水玉風。均整のとれた美しい体と相まって、エプロンで隠してしまうのが惜しい程。
「ずいぶん忙しかったみたいですね」
「よね」
「給仕役になったほうがいいですかね」
接客業がさほど得意では無いひりょの声に、グレイシアは不敵に笑って宣言した。
「調理場だって戦場になるわよ。任せなさい。これでも色々手馴れてるから。あたしに不可能は無いわよ」
頼もしい言葉にひりょが微笑み、そこへ真緋呂の声が響く。
「いらっしゃいませー♪」
サマーワンピにエプロン姿という、男性陣の心をトキメかせる姿で真緋呂は客の海をすいすい泳ぐ。
「このメニューもお勧めでーす」
笑顔の絶えない美少女のプッシュに、観光客が鼻の下を伸ばしながら次々注文を入れていた。
「忙しくなりそうですね。ん?」
腕まくりしたひりょは、そこで次々に料理を平らげる女性の姿を見つける。誰かと思えば、
「姫宮さん!?」
「もぐっ!?」
うらら、びっくりした後、輝く眼差しでひりょを見た。
「いただいてます」
キリッ
「見たらわかります」
「やはり、このような場で食べる食事はまた違った味わいが」
キリリッと言いきるうららの目の輝きが半端無い。ひりょは天を仰いだ。駄目だこれ胃袋が止まらない!
「あっ。うらやm…う、賄いご飯は大盛りでお願いします! 」
心の声をポロりしつつ、真緋呂も負けじと先に宣告。グレイシアが思わず噴き出した。
「うん。いいのが揃ってる」
海の家で竿をチェックし、黒井 明斗(
jb0525)はルアーフィッシングに向け釣りポイントを収集する。
(シーバス狙いだからルアーはこれで、ラインはこっちかな)
選んだものを手に取り、意気揚々とボート置き場へと向かった。
すでに地元放送局ではCMとして流れているプロモーションビデオを見ながら、六道 鈴音(
ja4192)はかき氷の甘い冷たさを味わう。
「私と同じ新入生の人達か。噂でよくきく人もチラホラみえるなぁ」
(私ももっと活躍したいものだわ…っとぅぉー)
思った途端に頭にキーンときた。
「これこれ…かき氷はやっぱコレよね」
独特の痛みに苦笑とも微笑ともつかない笑みを浮かべ、鈴音はお手紙BOXに入っていた手紙を開けた。文字を目で追い、思わず笑う。
「なんだ、学園に来てたんだ。もっと早く言ってくれたらいいのに」
同じく前日に来ていた友達から手紙をもらった慎吾も、書かれている内容にくすくす笑っていた。
「楽しそうだな」
書かれているのは近況報告と漁のポイント等。早速素潜り漁へと向かった慎吾は、ふとざばざばと海水をポリタンクに汲んでいる笹緒に気づいて首を傾げた。
「なにをされてるんです?」
「分からんかね?」
器用に表情を変えて見せたパンダがたっぷり海水の入ったポリタンクを叩いてみせる。素直に頷く慎吾に、笹緒はニヒルに笑った。
「ふ。答えだけを知ってしまうのはつまらないものだ。後で一つ、ご披露させていただこう」
その声に慎吾は微笑った。
「楽しみにしています」
漁に向かう相手を見送り、笹緒はタンクに入った海水を調理場へと持ち込む。片隅を借り、設置するのは巨大な大鍋だ。
\レッツぐつぐつタイム!/
(まずはごみを取り除かねば)
露紙がわりのコーヒーフィルターで濾過された海水を大鍋に入れ、煮詰めていく。時折杓文字で掻き混ぜる様は、さながら怪しげな魔法薬を作る魔女の如し。濾過等の工程を丁寧に進め、出来上がったのは白い結晶。
(ふむ。なかなか美しい)
出来上がった塩を小瓶に入れ、笹緒は場所代がてら海の家に一つ寄贈した。
●
浜辺。
水枷ユウ(
ja0591)はどよんと背中を丸めていた。
あつい。アツイ。暑い。熱い。
(‥‥太陽、夏だからってがんばりすぎだよね。バナナオレも温まっちゃったし、どうしてくれようか)
前を見てるようでその実目は何も捕らえていない。焦点の合わない目はグルグルだ。
ヤバイこれはヤバイ前兆だ間違いない!
「‥‥そうだ。ちょっと太陽倒してくる」
シャキーン!
おお太陽に煌めくOTAMA(海の家産)と浮き輪よ。目指すは海の上で燦々と煌めく夏の太陽。ちょっと今からヤキいれてやんよ!
DENSETUの装備を纏い、ユウは一直線に太陽へと向かう。焼ける砂浜を抜け、飛沫を上げて渚を駆け、そして顔面から海に倒れ込み1ラウンド開始15秒T・K・O!
ザザーンと砂浜にドザエったユウに気づいたソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が慌てて駆けつける。
「大丈夫!?」
腕の中、ユウは震える声でザ・遺言。
「‥‥惜しかった。あと4秒早くわたしのクールが第二宇宙速度をエンタングルしてれば、太陽は黒点からはんぺん型に崩壊を始めて焼きそばと一緒にかき氷のシロップに――がくり」
ゆうしゃ:ユウ。直射日光に倒れる。
涼しい場所に置いておけばそのうち復活するだろう。たぶん。
「かかりは悪くないですが…」
潮汐率が百を超えているせいだろうか、周囲を含め釣果はかなり良い。自身の釣り上げた魚を見つめ、けれど明斗はその魚をリリースした。
「狙いは七十センチオーバーです」
大物狙いのため、三十センチに満たない魚は全てリリースしている。とはいえ七十以上ともなるとそうそうかからない。
(一番近いので六十二)
だが目指すは七十以上。
(ポイントをもう一つの所に変え…っ!?)
思ったところで独特の感触がした。反射的に動きを竿に伝え、明斗は心臓が跳ね上がるのを感じた。重い。大きい。六十二センチを釣り上げた時と同じがそれ以上。
これぞという当たりに目は輝き、頬は気温以外の理由で上気した。ひたすら夢中になっている姿は年相応の子供らしい。
「……っ! よっし!」
陽光に鱸の鱗が光る。びちびちと跳ねる鱸は、明らかに七十センチを上回っていた。
自分達で獲って来た材料の他、調理場にある材料を借りて料理教室は始まった。
「ムール貝の足糸ってこれですか」
「あ、表面は金タワシで擦って汚れをとってくださいね」
「お米は洗わずにオリーブ油…小さじ?」
「小さじ1です」
調理場の傍ら、真剣な表情で調理する緋音と冴弥にファティナと熾弦が丁寧に教えながら下拵えを進めていく。冴弥はほんの少しわくわくしている自分に気づいた。習わずとも、料理に関しても人並み以上には出来る。それでも覚えたいと思った。
(……もっと、色々試したくなって)
そんな冴弥の隣で、緋音はやりいかのワタごと足を引き抜き、皮を剥く。作業を覚えながら、丁寧に、丁寧に。
(いつか……食べてもらえればいいな)
今日は一緒に来れなかったけれど。またいつか。
「さて、手羽元は両面を焼いて……と」
いい匂いが漂うのはこれから。
ファティナの額の汗をそっとハンカチで拭いて、熾弦はトマトの湯剥きに入る。
「美味しく作りましょうね」
「「はい!」」
緋音と冴弥の声に、二人で微笑みあった。
●
「いいポイントはどこかな?」
ボートの上、ソフィアは下の海をじっくりと眺める。底の砂の様子さえ見える海の中では、幾つもの魚影が踊るように泳いでいた。
(ん。もうちょっと右……ここね)
絶好のシュノーケリングポイントに微笑み、ソフィアは素早くシュノーケルを装着すると波を確認しながら海へと入った。
水面から差し込む光が淡いカーテンのように揺らめく。ふわふわと柔らかく揺れるソフトコーラルの赤と、青いソラスズメダイの群れ。微笑んでソフィアは一度海面に顔を出す。
「こういう光景はなかなか見られないから、じっくりしっかり見ておきたいね」
ポイントを探して移動中、イルカを姿を求めて桜木 真里(
ja5827)は周囲を見渡していた。
(流石に無理かな……)
しょんぼりしながら静かな海に潜れば、カラフルな魚が迎えてくれる。大岩の上にびっしりと生えた珊瑚の奥には、こちらをじっと見つめるウツボの姿。
(珊瑚も色んな種類があるね……確か刺されたりするんだよね)
触れないよう注意しつつ鮮やかな珊瑚礁やそこに住む魚達を見る。こちらを認め、ぴゃっと珊瑚の中に隠れる小魚達。
(可愛いな)
真里の眼差しが柔らかく和んだ。
最初は深いポイントを避け、早記は浜辺から海へと入る。
宇宙に行ける時代でもまだまだ謎の多い海、浮力があるとはいえ、深い場所は高層から足場のない地底を覗くのと同じだ。
(海って水中もきらきらしてるんだ)
足裏に砂を感じながら、早記は水中の様子を観察する。煌めく水面から差し込む光が水中に幾つもの光の帯を揺らめかせている。
(奇岩も不気味で面白いし魚の群には逆に飛び込みたくなるな。……いや、やらないけど)
様々な姿を見せる海の中をふわふわ移動し、目の前を横切る熱帯魚のカラフルさに(すごい、食べられなさそう)と率直な感想を抱く。
(綺麗だな)
海の中は様々な色で溢れている。装飾品に付いている珊瑚も確かに綺麗だが……
(俺は海の中で見る方が好き、だな)
その視線の先、赤いソフトコーラルが微笑うように揺らめいていた。
●
「チャーハンあがったぞ、持ってってくれ」
調理場に遊夜の声が響く。
前日の評判もあってか、海の家は昼を回ってもなお満席状態となっていた。
(料理の腕にゃそれなりに自信はあるが……材料は足りるのかね、これは)
目まぐるしい忙しさの中、注文を捌きつつ遊夜は「プレゼント(前日班)」と紙が貼ってある冷蔵庫を開く。中には魚類がびっしりと入っていた。
(いざとなったら、即席料理で凌ぐか)
定番料理には無いが、せっかくの海の家だ。海賊料理というのもいいだろう。
「オムそば完成だ、宜しく頼む」
キリッと調理場の片隅を借りたRehni に、淳紅はわくわくしながら席で待つ。彼女の料理が美味しいことなんてずーっと知ってるから今からわくわくが止まらない。
その間にと取り出すのはお手紙BOXに入っていた妹からの手紙だ。
(昨日やたら海いったこと内緒ー言うてたんは、このためかぁ)
そわそわしながら開き、
「ふはっ」
思わず笑みが零れて口を手で覆った。
可愛い可愛い末妹。
最近急に入学してきて
友達はできるのか
危ない目にあったりしないか
凄い心配なんやけど
(そか。友達もできたんやな)
じんわりと胸を温めるのは穏やかな安堵と、家族への愛情。
「自分も嬉しいで、な」
「? どうかしたですか?」
小さく零した淳紅の前に、コト、と料理が置かれる。魚のホイル焼きに、貝のバター焼き。ワインビネガーを効かせたカルパッチョの鮮やかな色彩は目に楽しく食欲をそそる。暑いときこそ暑いもの、漁師汁もまたなんとも香ばしい匂いだ。
(美味しいって言ってくれるかな)
ドキドキしながらそっと見つめる先、歓声をあげ、お礼とともに「いただきます!」した淳紅はすぐに頬が落ちそうな風情で叫んだ。
「美味しい!」
「ほ、ほんとですか!?」
パッとRehni の表情が輝く。心から頷き、淳紅は大切な彼女に声をかけた。
「せやレフニー 、料理もちょっとお土産にしてもええかな? 食べ終わったら一緒に砂浜を散歩しにいこーか」
「いいですけど。どうしたんです?」
不思議そうに首を傾げるRehni に、淳紅は微笑う。
「城のどっかにある、小さなお宝を探す小さな冒険や!」
手に持つ手紙が、宝を示す地図だった。
「‥‥バナナオレッ」
「気が付いたようだな」
バナナオレの入ったグラスを手に雅は苦笑した。どうやら復活の呪文BANANAOREが効いたらしい。ビニールプールの中、氷枕を頭に敷いて寝かされていたユウは、早速バナナオレを補充する。
「気分が良くなったなら何か食べるといい」
雅の声にユウはふと思う。バナナオレのシャーベットないしかき氷は無いものか、と。
「いろんな料理あるな……」
休憩がてら海の家を覗きに来た慎吾は、頼んだ料理が来るまでの間メニュー表を眺める。普通とは違う料理が多数作られているようだ。
果たして届けられた冷やしメカブうどんの味わいたるや料亭もかくやといったところ。
(本格的なんだが…どうしたこれ)
舌からくる幸せに、思わずおかわりを頼む有様だ。
「美味しそうだな」
雅達も思わず注文。幸せを噛みしめつつ甘味も欲しいな、と思ったところにコトリとクリームあんみつが差し出された。
「よかったらどうぞ」
「いいのかね?」
ぱっと表情を明るくした雅に千鶴は笑う。千鶴と調理場にいる神楽からのサービス品だ。
「ありがとう!」
全メニューを二巡したうららがそんな食事風景をカメラに収めていく。
(見ていると小腹が空きますが、ばーべきゅーではお肉も出るとのこと。ここは我慢し、後で残らず美味しく頂くと致しましょう)
彼女の胃袋も四次元空間に繋がっていそうだった。
●
パラソルの下、砂浜でお昼寝もとい自動浜辺監視員をしているのはラグナ。
本来リア充を見つけたらフルメタルインパクトな彼だったが今は忙しくてそれどころではない!
「…うふふ」
サングラス越しの眼差しが監視もとい鑑賞するのは水着姿のお姉ちゃん達。ええヨコシマナキモチナドアリマセン! これは不埒な輩が出ないかを見張る大事なオシゴトなのです!
そんなラグナの横を通り過ぎ、遊夜は釣り竿片手に海へと乗り出した。
「大物釣ってバーベキューに華を添えるとしよう」
他の釣り仲間の釣果は、と見渡せば、グレやアイゴ、鯖といった姿が見える。七十三センチのスズキを持った明斗が阿波座にカメラを向けられはにかんでいた。
素潜りしていた慎吾に至っては獲ったウニを餌にして石垣鯛も釣っている。その向こうでは大物をガブリと歯で咥えたうららの姿。その姿はまさに獲物を狩る獅子の如き。
遊夜は口元を笑ませた。
「これは楽しみだ」
砂浜ではビーチバレーが行われていた。
飛びすぎたボールを追ってひりょが走り、海と桜霞が楽しげに笑って声援を送る。
樂とグレイシアが一歩も譲らないアタックをやり合い、お姉ちゃん観sもとい砂浜警護のラグナも参戦、肉体美を見せつけつつキレのある動きで場を沸かせた。
それらを眺めながら、千鶴はかき氷を掬って微笑む。
「綺麗でえぇ所やね」
「ええ、綺麗です。いい天気ですしね」
神楽もかき氷を食べつつ空を見上げて微笑む。
その向こう、調理場の一角では真緋呂はメカブうどんを幸せそうに啜っていた。彼女の栄養がどこに向かっているのかは――お察しください。
「ぷはっ」
深い海底から体調を整えてゆっくりと浮上し、真里は仰向けの状態で波に揺られながら休憩する。
「気持ちいい」
見上げる空は鮮やかな夏の色。明日は日焼けで肌が痛くなるだろう。大変そうだな、と他人事のように苦笑して、ふと沖に視線を向けた。
大きな魚が跳ねるのが見えた。いや、魚ではなく
「!」
海上に見えるやや丸めの三角。独特のフォルムを持つ大きな姿。思わず魅入る真里に姿を見せつけるよう戯れ、さらなる沖へと帰っていく。
海原はどこまでも広く、幻のように緩やかな波を煌めかせる。
わずか数秒の光景は、海からの贈り物かもしれなかった。
●
「次ありますか?」
次々に消える料理に海はせっせと魚を捌き続ける。
「こうして盛りつけて…確かこれが、皿鉢料理でしたよね」
「ふふふ自棄食いなのぜ…!」
自らの釣果で悲しみを胃袋に詰め込む遊夜の前にも、つやつやと美しい魚の盛り合わせ。鮮度により歯に感じる弾力がたまらない。
その隣ではラグナが思う存分バーベキューを堪能していた。子供の拳ほどもあるデカ肉を男らしい勢いでガブムシャーッしている。
鈴音の目の前でジュージュー音をたてているのは蛤だ。
「海のバーベキューといえば、やっぱり蛤よね!」
網の上で焼かれ、ぱかっと開く貝。溢れる汁。零さないようそっと手に取りじゅるじゅるっと吸って具を噛めばじゅわっと口いっぱいに広がるたまらない旨味!
「うわっ!もうたまらないっ!鎹先生、はやくはやくっ!!」
雅と二人、争うようにはふはふ貝を頬張った。
それらを眺めながら、真里はふと口元を笑ませた。
(ここからなら星もよく見えそうだよね)
すでに藍に染まった空には輝きの欠片が煌めいている。
「お肉あたってない人いませんね?」
釣った魚の切り身を塩焼きにしつつ、明斗は皆に食べ物が行き渡るよう気を配っていた。
「お肉こっちくださーい!」
うららと真緋呂が目を煌めかせて手を振っている。待っている間に真緋呂が焼けたマガキをちゅるっと一口。
「新鮮で美味しい♪」
濃厚な海の幸に相好を崩した。
「こっちの肉なら焼けてるよ。あ、そっちひっくり返したばかり!」
慌ただしく無くなる肉に、手伝っているソフィアはふぅと額の汗を拭う。美味しそうに頬張っている桜霞と樂を見守り、自身の分を口にして、ソフィアはくすりと笑った。
焼けた肉に手作りの塩を振り、慎吾は感心した声をあげる。
「甘いですね」
「調味料一つ違うだけでこれほどに味が違う。料理とは奥深いものだ」
自身も自作の塩を振った肉に齧り付き、笹緒はその出来栄えに満足する。
「これは思わず踊ってしまうほどの味わいだな」
賑わい輪から少し離れ、楽しげな皆を見つつ千鶴はのんびり箸を進める。
「皆元気やなぁ」
「沢山遊んだりバイトしたりで、お腹空いたんでしょうね」
「なんや食べてない人もおるけどな?」
その一言は横に視線を向けて。
「こうして見ているだけでも楽しいものですよ」
「いや、神楽さんはもうちょい食い」
肉の乗った皿を押しつけられ、神楽は苦笑して受け取った。
「今度はサンゴ礁も見に行ってみたいですね」
「ええ。楽しいでしょうね」
麦茶で喉を潤すファティナの声に頷き、熾弦は緋音達の姿に眼差しを和らげる。
「緋音さん、喜んでましたね」
「ええ。お相手の方にはちょっと申したいこともありますけど…仕方ありません。恋はそういうものですから。素敵ですよね」
ふふ、と微笑うファティナに、熾弦はくすりと微笑み深めた。
「ファティナさんも素敵でしたよ」
言って、いい具合に焼けた肉を差し出す。
「あーん♪」
ファティナは驚いたように目を瞠る。ややあって、心から嬉しげに頂いた。
爆ぜる炭火に照らされながら、Rehni はそっと掌の貝殻を見つめる。
二人で探してね、と書かれた宝の地図。出てきたのは可愛い貝殻と綺麗な瑪瑙、そして「おにぃちゃんの彼女さんへ」と書かれたメッセージ。
「……」
そっと掌に包み込み、微笑んで空を見上げた。
日は暮れる。
潮騒は揺り籠のように優しく空間を癒し、揺らす。
人々は笑い、天と地の間に暖かいものが満たされる。
(これを、守れたんですね…)
そっと膝を抱え、冴弥は静かに微笑む。
辛い記憶や怖い記憶は、そうそう人々の心から消えはしないだろう。
撃退士は万能では無い。心の問題に接する時、出来るのはただ、祈ることだけ。
見上げた夜空は、深い色の絨毯に幾億の宝石をばら撒いたかのよう。
(どうか、あの時の人達にも)
強く瞬く星のように、彼等の心にも千の輝きを。
この世界はこんなにも、美しいもので満ちているのだから。