転移装置へと人々は走る。唯一人も欠けることなく。
「ったく、面倒なヤツが来たもんだ!」
一報に駆けつけた君田 夢野(
ja0561)の腕にはBSBの腕章。その声に頷き、宗方 露姫(
jb3641)は怒りの声をあげた。
「畜生、ヤル気ねぇ癖にえげつねぇ真似しやがる! これ以上やらせてたまるかよ!!」
なんだこの暑さにダレた犬みてぇな顔は! と睨む先は発見写真として添付されたユグドラの写真。豆粒みたいな画像でも漂うダレ具合だ。
「やる気が無いのなら好都合だよ。妨害される可能性は低くなる」
ルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)は淡々と呟いた。整った鼻梁は女性と見紛う程に美しい。
「あんなのに張り切られると鬱陶し……いえ、面倒ですからねー」
「まったくだわ!」
ふわっとした笑顔でエリーゼ・エインフェリア(
jb3364)が言い、頷いた天道 花梨(
ja4264)がキッと眦を釣り上げた。その様は怒った子虎のようだ。その傍らを黒い風が駆け抜ける。
「さて。全てはこちらにかかってると思えば、何程の事も無い」
薄い笑みを浮かべる鷺谷 明(
ja0776)の瞳にあるのは冷徹な気配と享楽の色。その口元の笑みはどのような状況下でも揺らぐことは無く。
「苦難・困難、全て乗り越えれば良いだけのこと」
「まずは一般人の避難じゃ」
厳しい面持ちで白蛇(
jb0889)が告げる。現地では今も三十を超える人々が逃げ惑っているという。わずかな遅れが人々の安否に関わる状況。転移装置への道すら全力移動となっている。
「……状況は一刻を争うか」
その速度故に長い黒髪を虚空に靡かせ、天風 静流(
ja0373)は静かに独り言ちた。手には対応の仲間達と買い求めた小型のペンキ缶。僅かに蓋を開けてあるのは、投擲後の衝撃で敵にペンキを被せるためだ。
「海水浴を楽しむ所でこんな暴挙…許せません!」
同じく小型のペンキ缶を手に、重体の身をおして久遠寺 渚(
jb0685)は走る。体に走る痛みすらその足を止める理由にはならない。抵抗する術を持たぬ人々を思えば、立ち止まることなど出来なかった。
(今出来ることを…!)
決意を胸に走る渚の横、久遠 冴弥(
jb0754)は自身の内に眠る力をゆるゆると呼び起こす。
(布都御魂…そこに居ますね)
人々の助け手となる<力>を喚起する能力。異界の門から此処では無い場所の力を呼び寄せる異能。転移後即座に行えるよう、体の隅々にまで力を行き渡らせて。
「位置の確認と敵の視認警告を致します。スライムといえど、個体差もあるでしょうから」
同じく力を体へと行き渡らせ、番場論子(
jb2861)は幼い外見に似合わぬ冷静さで告げる。広域戦場。全てをひとりで見渡するのは難しくとも、僅かなりとも人々を救う力を増せるのならば。
「どれ。向かいがてらでも、連中の位置を特定させれれば重畳というものであろう」
小型ペンキ缶を手にインレ(
jb3056)は笑む。
「波際の砂地にペンキでラインを引くように垂らしておこう。何かの役にたつやもしれん」
「境界線、ですね」
六道 鈴音(
ja4192)の声にインレは頷く。
「越えぬことを祈るばかりよ」
思慮深いその声を聴きながら、天羽 伊都(
jb2199)は「ん〜」と声をあげた。
「海のバカンスすらのんびりさせてくれませんか…」
「あらァ、違うバカンスを楽しめばいいだけよォ…?」
嫣然とした笑みを含む声は傍らから。艶やかな黒髪を靡かせ、黒百合(
ja0422)はチシャ猫のように笑む。
「救出が終わるまで、相手しなきゃだからァ♪」
「さて。彼は接近を許してくれるでしょうか」
軽く肩を竦めて呟き、伊都は口元に笑みを刻む。
「…まぁ、無理やりにでも近づいてみせますが」
強敵に向かうのであっても気負いは無く。ごく自然に自らの力を呼び覚ます。黒獅子の如く変じる少年に黒百合は笑った。
「よろしくねェ♪」
その僅か後方、恒河沙 那由汰(
jb6459の脳裏に浮かぶのは、血濡れた惨劇と虚無を纏う過去の光景。
(また俺はあの光景を見るのか…)
依頼を受け現地に赴くということは、凄惨な現場に立ち会うことに他ならない。そして、魂の核に刻まれた傷は今も癒えてはいない。
共に逃れれたと思った人が其処に居ないという空白の虚無。全てを悟った時の恐怖。襲いくる狂おしいほどの絶望。癒えぬ傷を抱えて駆ける先に、何があるのかは分からない。
それでも動くのは何故だろう。
なんとしても人々を避難させないといけない――そう思う気持ちは何処から生まれるのだろうか。
僅かに顎を引き、那由汰は駆ける。明確な理由を言葉で表せなくても体は動く。
その先にある、数多の可能性を目指して。
●
(…スライムに襲われるとかそれなんてエロgいや何でもないのだわ!)
\妄想は爆発だ/
スライムの名称に釣られクマーしたフレイヤ(
ja0715)、転移と共に颯爽と駆け、現実のスライムのバディにどよんちょな眼差しになった。
\騙された!/
「く…エロがない…だと!?」
「無ぇよ!?」
那由汰、思わず渾身のツッコミ。しかしおかげで肩の力は抜けた!
「三体視認! 点在してる!」
論子の声に程よく力みの抜けた那由汰が走る。
「東一番奥に行く!」
その足にかかる技は磁場形成。摩擦抵抗の消失とともに全力で駆ける。
「大きいものから狙って。大きいもの程、飲み込んでると思うから。一匹たりとも海に帰しちゃだめ」
「ああ!」
ソーニャ(
jb2649)に頷き、スライム対応メンバーが一斉に走る。
「海岸線に近い個体を叩く!」
擬態する敵に海に逃げられると厄介だ。夢野は足元と背に音を揚力が発生させ、砂上を滑空するかのようにひた走る。その手に煌めくは蒼紅の双剣。
「さぁ、人々を導きますわよ!」
太陽に銀の髪を宝冠のように輝かせ、シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)は声をあげた。フレイヤが手に拡声器を構える。
「黄昏の魔女兼撃退士のフレイヤ様の参上よ!残ってる方は速やかに退避しなさーい!」
「西に避難を!」
フレイヤの声にあわせ、布都御魂に騎乗した冴弥が声を重ねた。報告にあったヴァニタスが居たのは東。万が一にも東に人々が行かないよう、全員が声をあげ、指で西を指し示し、逃げる人々の誘導に入る。目に見える敵への攻撃を同時に行いながら。
その時、油断無く東を見ていた白蛇が息を呑んだ。
「…あれは報告書で読んだヴァニタスか?! 」
白蛇の声に撃退し達はハッとなって顔を上げる。
西。崖上。
報告にあった場所付近でこちらを見る獣耳の影。
笑みが見えた気がした。これほど遠くにいながらも。
「来るぞ!」
「迎え撃つ!」
不動神 武尊(
jb2605)の警告が響く。
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)の影が舞った。
遠く東の地に轟音が響く。
来る。
あの強靱な脚力を使っての移動で。戦いに飢えた狼が。
「――久しいですね、ユグドラ」
マキナの口元にひやりとする笑みが浮かんだ。
●
「はっはァ! てめェらが来たか!」
邪魔をされてこれほど嬉しい顔をするヴァニタスが他にいるだろうか。ごく一部の例外以外には共感されない歓喜にユグドラは獰猛に笑む。
嬉しかった。ただひたすらに嬉しかった。功績よりも恩賞よりも、求めているのはただこの瞬間の邂逅。血と汗と肉の饗宴。
「――相変わらず、戦うことしか考えないのですね」
「てめェの信念だけは譲れねェ。――違うか?」
【偽神の腕(アガートラーム)】と強靱な爪が交じわる。求めるものに対し不変なる信念。誰に何を言われようと決して変わらぬもの。
互いの獣瞳に見るのは理解か、それとも拒否か。刻む笑みが深まる瞬間、ユグドラの体が大きく飛び退いた。一瞬前までいた空間を銃弾と矢が貫く。武尊とアステリア・ヴェルトール(
jb3216)だ。
「決闘であれば手控えるものですが…そういうわけにも参りませんので」
黒焔によって形成される偽翼を広げ、アステリアは黒蛇の化身の如き弓を構える。遙かな上空。いかなユグドラとてそこに至るのは難しいだろう。
「この暑い中人間狩りだなんてご苦労な事ね」
全域の仲間に情報を回して後、シルファヴィーネ(
jb3747)は淡々と呟く。灼熱の太陽の下、その金髪が輝く。
「俺等に暑さなんざ関係ねェ。退屈な作業にゃうんざりしたがな」
だがその退屈もここまでだ。彼等が来たのだから。
向かい来る人々。それと同時、背に感じる灼熱の殺気。まるで鬼気を放つが如きその気配。
「――滅べ」
声はただ、短く、苛烈。
機嶋 結(
ja0725)の放った光の波がユグドラの体を捕らえた。
●
「でぇえええい!」
海側に位置取り、露姫がファイアワークスを放つ。スライムだけを識別した炎が華のように咲き乱れ、スライムの体だけを吹き飛ばした。
「っしゃあ!」
「いける!」
ごぽり、とゲル状の体を揺らすスライム。その駈けた部分から覗くのは人の腕だ。
「返してもらいますわよ!」
シェリアがスタンエッジを放ち、動きを止めたそのゲル状の体に向かって突撃する。伸ばした手が掴むのはむき出しになっている人の腕。
「このっ!」
「誰か、スライムのそこ、切り裂いて」
シェリアの傍らからソーニャが腕を伸ばす。人々への避難を呼びかけながら渚が慎重に切れ目を入れる。引っ張り、ごぼり、と出てきたのは意識を失った女性だ。
「西へ!」
戦場から離脱させるため女性を抱え、渚は走った。その西側でもスライムが一般人に向かいゲル状の手を伸ばしている!
「させないのよ!」
花梨の大鎌がスライムの体に迫った。わずか髪の毛一本の差でスライムが攻撃を避ける。
「向こうへ行かせてはならぬ!」
ぬらりと避け、一般人へとその体の一部を伸ばすスライムに白蛇が声を上げた。広範囲な戦場。西側に人を逃がすことで退路とスライムの動線を絞ってもまだ足りない手。
(あとで取り返すしか無いのか!?)
―この凍吹(イブキ)は迅風(ハヤカゼ)の如く―
その瞬間、瞬時に駆け抜けた螺旋の風がスライムの体を捉えた。白蛇はホッとしたように肩の強ばりをとく。
水枷ユウ(
ja0591)の凍吹迅風(イブクハヤカゼ)に捕えられ、ゲル状の体が揺れた。朦朧としているのだ。
その様を見届けて後、銀の髪を風に靡かせ、ユウは視線を砂浜へと向けた。
「‥‥次に行く。あと、お願い」
「ああ」
薄い笑みでそれに答え、後ろから現れた静流は断罪の鎌を構えた。濡れた烏のような艶のある黒髪と相まって、その姿は夜の化身のように美しい。
「さて。返してもらおうか。貴様等が不当に奪おうとした、人々をな」
陽光に刃が煌めいた。
「砂地に居るのが三体だけ、というわけでは、無いですよね」
光の翼で上空から魔法を放ち、論子は眼差しを細めた。目に見えるのは三体だけだが、敵は擬態能力を持つのだ。
「あぶり出す必要があるねえ」
「ちょっと荒っぽくなりますが、試してみましょう」
明の声に鈴音はアウルを練り上げる。
(海中移送をするってことは、スライムは人間を飲み込んだ後は、必ず海に向かってくるってことね)
全ての最終防衛ラインは海際。その為にインレはペンキにてラインを引き、白蛇は放置された監視台をその間際に倒し早期発見に努めようとしている。
(なら、海側から砂浜に向かって敵を攻撃する感じに動けば……)
編まれる力は、無数の渦の刃―六道家に伝わる風の魔術。
―六道天啼撃(リクドウテンテイゲキ)―
(敵がいれば、砂ごと!)
敵を視認無きまま打つことを盲撃と称する。それらの一撃は恐ろしく敵への命中率に欠ける一撃となるが、何事にも例外というものは発生する。今回がまさにその事例だ。
スライムの回避力は率いるヴァニタスに比べ低かった。そのうえ、そもそもが高い命中力を誇る術者の、さらに命中度を引き上げる技である。
「出た! 海岸沿い、二体!」
吹き飛ばされ、砂地の上に姿を現した二体に論子が声をあげた。気づき、擬態し直す敵へと静流がペンキ缶を投げる。
「隠れさせん!」
小さく開けていたペンキは衝撃にあっさりと中身をぶちまけた。一体のスライムがそれを被る。
だがもう一体にはかかっていない!
ゆらりと明が手を挙げる。黒に変じた目の中、赤の瞳が妖しく光った。
「古来よりスライムへの対処法は燃やすか凍らすかと決まっていてねえ」
ひやりと、冷気を感じたような気がした。絶対零度を体現する霜の巨人を模した氷人。その顕現のように見える技―紅蓮(フリームスルス)―
「現すがいい、その姿を」
すでに目星はつけられている。スライムに限定した力は消えた場所へ向かい放たれた。広範囲を巻き込む力にスライムが思わずその擬態をとく。
「隠れさせないのですよっ!」
そこへ渚がペンキ缶を投げつけた。
擬態し直すよりも早く、そのペンキはスライムの表面を彩った。
●
確かな手応えがあった。
硬い。結は炎の如き杖が嫌な軋み音をたてたのを聞いた。
吹き飛ばされたはずの目の前のヴァニタスが嗤う。反吐が出そうだ。
渾身の力をわざと防御で受けられたのだと気づいたのは放った直後だ。気づき、されど今更変えることもならず、マキナは焔鎖の技を放った。命中すれば黒焔の鎖が対象を拘束する技―封神縛鎖(グレイプニル)―
「避けた、だと!?」
属性攻撃を乗せた矢を番え、狙い定めていた武尊はその動きに目を瞠った。マキナは冷静に事実を受け止める。
(動きを読んでくるか)
眼差しが険しくなったのは紙一重で技を回避されたから。隙は無く、動きは最小限に。豪快な動きをしていた今までとは何かが違う。
(洗練…? 違う――練度だ)
知能ある敵の面倒さはここにある。こちらが相手への対応を検討し作戦を練るように、相手もまたこちらの動きを予測し反応してくる。ましてこと戦いに関し飽く無き餓えを抱えるヴァニタスであれば――
ヴァニタスの目が何かを一瞬だけ捉える。視線は横斜め。
そこへ横合いから少年二人が走り込んだ。
否。伊都と伊都に変じた黒百合だ。ユグドラの元へと駆ける伊都は光纏により黒獅子の姿。同じ魔装・光纏では無い伊都(黒百合)は少年の常の姿。
伊都(黒百合)はユグドラの側面に立つと同時、口を開いた。高密度に圧縮されたアウルの輝きが見えた。近距離に効果を発揮する軍の威すら破る力
―破軍の咆哮(ハグンノホウコウ)―
「えれェの口から出すようになったじゃねーか」
放つ直前、ユグドラが嗤う声が聞こえた。
●
「西の駐車場に向かってくださーい」
砂に足をとられながら懸命に走る人々。エリーゼは拡声器を通し行先に迷わぬよう明確に指示しながら、注意深く砂地を見ていた。擬態するスライムの動きを僅かなりとも感知できれば……
(私が攻撃に回らないのは珍しいですねー)
ふと思うのはそんな感想。けれど人々の避難が最優先。戦いはいつでもできるのだ。全ての避難が完了してからでもそれは遅くない。それに――
悲鳴が聞こえた。砂に足をとられた若者が恐怖に顔をひきつられている。砂に埋もれた足。違う。砂に似た何かに足を掴まれた――
グバァッと空間が盛り上がった。地面はおろか空間そのものと同化していたスライムが表面の一部を口として若者の飲み込むべく開く。そこにエリーゼは飛び込んだ。
「あ・げ・ま・せーん」
ふわっとした笑みと同時、衝撃を緩和させるシールドが展開した。だがそれは何かの行動を阻害するものではなく。
「んっ?」
若者の身代わりとなって、エリーゼの体はスライムの内部に取り込まれた。
「おらよ…っ」
人一人とりこみ、蠢くスライムの体に那由汰は雷の剣を振るった。剣状の雷は重い泥を吹き飛ばすような奇妙な感触と共にその体を切り裂く。
スライムの体が大きく揺れた。
「…でけぇ図体しやがって…」
最も距離が離れていたスライムは、彼が辿り着く前に逃げ延びれなかった人間をその身に取り込んだ。必死に手を伸ばしていた少女の表情が脳裏にちらつく。
届かなかった。
だが、まだ敵はそこにいる。
助けるチャンスはある。
那由汰は新たな雷を呼び出し構える。死んだ魚の様な目に僅かに宿る光を――彼はまだ知らない。
「助けてやるさ…この身に変えても…。……ちっ、柄じゃねーな 」
「さぁって! いくわよっ!」
鮮やかな金色が風に舞った。人々に指示を出しながら砂利地で人々を襲う敵が現れないか警戒していたフレイヤは、仲間達の攻撃を受けつつも未だに蠢くスライムを睨み据える。
「魔女の魔法から逃れられるかしら?」
投げキスするような優雅な動きで指し示す先、三分の一を削り取られたスライムを激しい風の渦が襲う。
「わりと体力あるわね」
吹き飛ばされたスライムの中から人の姿がチラと見えた。ぐもぐもと動いてそれを再度内側に仕舞おうとする。
「させません」
光の弾丸が蠢く先端を吹き飛ばした。ソーニャは内と外の境界線の無い敵を注意深く見つめる。
「報告にあった光る球……見えない」
「奥に隠してる感じかも? よっぽど大事な場所ってことでしょ」
フレイヤは次の魔法を編みながら応える。やはりその視線は敵の内部に。
「マーキングは済ませてる……例え隠れても、位置は知らせれます」
「おっけ。頼りにしてる」
いつ潜行効果のある擬態は地味に厄介だ。敵の位置が把握できるのは在り難い。
(とはいえ、これ以上、隠れてるのがいたらちょっとヤバめ?)
隠れていた敵とあわせて、西側には現在三匹のスライムが確認されていた。より切羽詰った状況である海側に二体。そちらへ手勢を割かれる以上、西側の担当はおのずと少なくなってしまう。
けれど人々が逃げる先は西。
いわばここは彼等の為の防衛線。
ぐじゅぐじゅと不気味な音をたてて蠢くスライムを見据え、フレイヤは髪を後ろ手に払う。
「生憎、ゲル状生物だろうと嫌悪で震えるか弱い女の子をしたりしないの。なぜなら、私は、黄昏の魔女だから!」
敵の前に立ち、人々が安心して逃げられるよう声を上げる彼女の肌は、なんの作用か大変テカテカと輝いていた。
●
鮮血が散った。ユグドラが嗤う。
【破軍の咆哮】は明らかにユグドラの想定を越えていた。どれほど構えても、防御を無視するダメージはどうしようもない。受け止めた手の肉は爆ぜ、むき出しの骨とちぎれた血管から血が噴出している。
なのに何故、嗤えるのか。
「――」
黒百合は素早く行動に移る。放たれるのは最速の攻撃―隼突き。一瞬すらも遅く感じる速度で空間を突き刺した一撃は、けれど空を切った。
「ッ」
飛び退り、黒百合は伊都の背後へと走り込む。変化はすでに解いていた。ユグドラは言ったのだ。「えれェの口から出すようになったじゃねーか」と。
「一般人みたいには騙せないわねェ……おまけに避けるとかァ」
「濃密な戦いっつーのは刹那の争いだ。油断する瞬間がどこにある?」
「けれど、効いたでしょォ…?」
艶やかに口元を笑ませながら、黒百合は背筋に流れる汗を感じた。先の【破軍の咆哮】、その追加攻撃はまともに入った。
なのに、このプレッシャーは何。
「アア、最高だ。ますますえげつねェぐれー強くなってきてやがる」
嬉しげに。心から嬉しげに。ユグドラはただその事実を認め笑う。獰猛な獣の笑みで。
「だが言ったよなァ…? ――次からは本気だと」
凄まじい黒爆の炎が咲き乱れた。
ユグドラ一人を標的に定め、放たれたのはアステリアの技。指定空間座標を中心としてすべてを飲み込み焼き払う黒き爆焔―魔焔創造『火神の焔』(コードキャスト・ローゲ)―
「っあ!?」
伊都の声があがった。それより早く響いていたのはガンッという重い音。だが黒焔で見えない。飲み込まれたのは一瞬。瞬き一回分。目を開けた時にユグドラの姿は無い。
「!?」
武尊は目を剥いた。空中だった。ユグドラが居た。精神では無く物理的な衝撃が走った。足蹴にされたのだと分かった。だが攻撃では無い。ユグドラの攻撃対象は彼でも地上に居る誰でもなく――
「なっ!?」
攻撃後遥か上空へ向かい退避していたアステリアは目を瞠った。在り得ないことではない。だが、まさか。敵を足場にして上空を駆けあがってくるなどと誰が想像しただろうか。
「上でちょろちょろされンのは嫌ェでなァ!」
放たれた大振りの一撃。
高圧縮された風刃にも似た力が、アステリアの体をそこに至るまでの空間ごと切り裂いた。
●
「た……助け……!」
足を鈍らせる砂が容赦なく人々の動きを妨げる。熱い熱砂に足裏を焼かれながら必死に走る男の手から少女の手が滑り落ちた。足を止めれば天魔に襲われるかもしれない。恋人が襲われている間に逃げれば助かるかもしれない。それでも足を止め、引き返して――
「こんな時でなければ天誅ー!」
空間が揺らぐより早く、なにか大変遺憾な表情をした花梨がものすごい速度で駆け抜けた。
ちっこい体にオリンピックレベル馬力。右腕で女性の腰を抱え、左腕で男の胴体にラリアットかーらーの拉致を決行して彼等の足を引き摺りながら爆走する。
「いっ…早ッ痛ぇえええッ」
あ。悲鳴は受け付けません。リア充殲滅組なので!
引き摺られた男の悲鳴を残し、現れたスライム前からトンズラった三人の代わりにユウが立つ。
「‥‥ん。隠れられると、面倒」
スライムを見据え、ユウは無造作に一歩を踏み出した。
動きとしてはただそれだけ。その瞬間、天から雷光の槍が地上を貫いた。不吉な囀りにも似た音を響かせながら藍光と共に弾け飛ぶ槍。その技名を―雷縫鳥(カミノヌエドリ)―
意識を刈り取られたスライムがその場で積みあがった泥のようにくたりと垂れる。
「‥‥今、出てるのは、七体?」
周囲を見渡し、ユウは人々の避難状況を確認する。近隣に人はいない。むしろ人手がいるのは海側だろう。今止めたスライムより倍近く大きい。
(‥‥まだ、人に未練ありそうだから‥‥後)
中央やや東にはユグドラ。
スライムやスライムと戦う撃退士達には全く興味なさそうなぐらいイキイキと戦っている。惹きつけという意味において、対応の人々は最善の結果を導いているといっていいだろう。
ならば、後は人を全員救い出すのみ。
(‥‥これ以上、追加で増えそうな気配も無いし)
くてっとしたスライムをそのままにユウは危険値の高い敵へと向かう。その白い手に力。
『彼方、伸ばす手は』
その瞳が見つめるのは二体のスライム。
海側で止められていたそのスライムのうちの一つが、その時、歌とともにはじけ飛んだ。
●
大量の血が舞った。先のユグドラの非では無い。
意識を失い砂の上に落下したアステリアの胴は大きく切り裂かれている。その向こう側に着地したユグドラはすぐさま体に力を溜めた。
「フッ」
その体が後ろへとズレる。呼気が口から洩れた。
駆け抜け、放たれたのはインレの一撃。気勢を殺がれユグドラは口の端を笑みの形に釣り上げる。
戦いは音楽だ。
そのリズムが狂わされれば最大の力は発揮されない。インレの一撃は躱されたが、そのタイミングがユグドラにとって面白かった。――悪くない。
「最初に見た写真とずいぶん表情が違うようだ」
倒れ伏すアステリアを背に立ち、インレは身構え声を放つ。
地上に長居するつもりは無かった。だが、傷ついた仲間を残して飛び立てはしない。
「退屈だったんでねェ」
「今は楽しいようだな」
「アア」
口が裂けるような笑みだった。人の顔をしていながら、その笑みは狼の笑みだ。口の両端が裂けて牙がむき出しになるような。
「たまらねェ。会う度にてめェらは面白くなっていく」
本心だと分かった。言葉を交わすのは、こちらを会話をかわすに足りると認めだしたが故だろうか。撃退士を睥睨していた日はどこか遠い。
「東からこちらに突進してくるとは、余程嬉しかったと見える」
戦端は東の端になるはずだった。
インレは東の端へとラインを引き、それ故に合流がやや遅れたのだ。こちらの到着を待ちきれず駆けつけたユグドラと入れ違う形となったのは本人にとって些か遺憾なことでもあった。
「場は整っちゃいねェが……さぁ、遊ぼうぜ、てめェら。イイ殺気撒き散らして、俺と遊ぶために来てくれたんだろうが、アア?」
風が舞った。
(滅ぼすとも)
風は共に銀の色。
(消し去ります)
左右を挟むマキナと結の攻撃は、まるで卓越した演舞を見るかのよう。隙無き刹那の閃光に、その中央、捕えられた男の姿が消えた。
「く……!」
両側から空間を裂く一撃を瞬時に身を沈めて避け、その体が後ろにずれる。鼻先をかすめるようにして空から地面を穿つのは武尊の矢とシルファヴィーネのアウルの弾丸。
「なにこいつ……」
シルファヴィーネは喉を鳴らした。強いとは聞いていた。自分がまともに真正面から戦いを挑んでも負けは見えていることも理解していた。だからこそ味方の隙を補うよう支援に徹していた。
だが、当たらないのだ。
黒百合の一撃は敵の手に壊滅的な被害をもたらしたものの、その傷もじわじわと癒え始めている。
「言ってたわねェ……次に会う時は、全力だ、ってねェ……」
黒百合は歌うように呟く。前回は二割減の力だった。そのうえでこちらが負わせた傷は相手の体力の二割り分。対する仲間は自分を含め全員が重体もしくは重症。そういう相手だ。
「でも、逆に言えばァ……それでも、通る、ってことよねェ…?」
敵の言葉に呑まれぬよう、黒百合は笑んで相手の手を指し示す。
ユグドラは笑った。獲物に食らいつく獣の笑みで。その傷をむしろ愛おしげに。
「だからこそ、てめェ等は楽しいんだよ……!」
ユグドラの走りと伊都が構えるのは同時だった。黒百合の前で庇いに立つ伊都の蒼銀の盾が凄まじい音をたてた。
「ぐ……ッ!!」
現時点で出せる最大防御。生半可な天魔であれば弾かれてしまいそうなその防御をもって伊都は痛みとともにその一撃を受け止める。
(これ、でも、通る、とか……!)
先の黒百合の言ではないが、この鉄壁の防御を通過できる攻撃があるのもある意味驚きだ。とはいえ、その大半は堅固な防御に防がれているのも確か。
「いい硬さだ小僧!」
「天羽伊都だ!」
「覚えてやらァ!」
あんまりにも嬉しげに言われるものだから、伊都は思わず唖然とした。彼は知らない。それほどに、賞賛に値する防御であったなどということは。
凌ぎきった伊都の前、長大な剣が円を描く。
(戦いを愉しむか……なら、その楽しみの中で朽ちればいい……!)
消せぬ怨嗟を抱え、結の放った一撃をユグドラは受ける。避けずに。剣を握る手に痺れるような衝撃。相手の爪。
闇が走った。
終焉の力を内包した力。渇望の発現、その転化。その技の名を―神天崩落・諧謔(ラグナレック・ミスティルテイン)―
ユグドラは笑う。力在る一撃を避けて。
抵抗する力の消失にたたらを踏みかけた少女の腹に向け、灼熱にも似た血色に染まる爪が繰り出された。
●
ユウがそれを見る十秒前。
「ちょっと、行かせませんわよ! 生憎わたくしはカナヅチで泳げませんの。砂の上で大人しく倒されなさいな!」
わりと本気で切羽詰った台詞を口にして、シェリアはスタンエッジを放つ。バチンッという音が聞こえそうなほどビクッとした動きの後停止したスライムに思わず額の汗を拭う。
「嫌な汗が出てしまいましたわ!」
その横顔を炎花が照らした。最後のファイアワークスを放って、露姫はスライムの体を睨み据える。
「球ァ出せ、よ……っと!」
核では無いかと疑われるその球。狙いたいところだが分厚い泥のような組織に妨げられてなかなか出てこない。だが度重なる攻撃はかなり堪えているようだ。
そのスライムの体が大きく抉れ飛んだ。
一瞬爆発的な光が周囲を照らし、次いで霧散する。何事も無かったかのように黒髪を靡かせ、静流は「ふ」と小さく息をついた。
「体力だけはあるようだな」
スライムだけに標的を合わせる彼女等は、明らかにスライムの天敵だった。大きく体組織を奪われたスライムの体からぽろぽろと人々の体が解放される。だがまだ半ば半身をとらえられている者も少なくない。
「とっとと中の人を吐き出せ、よッ!」
音が響き渡った。
輝く魔具が纏うのは白き音の刃。聖性を帯びた衝撃と音の刃はさながら大気の二重奏。そこに在ってそこに無い見えざる讃美歌に似た歌―アンセムノーツ―
ならばそれを奏でるのは闘焔の奏者か。
「よしっ!」
夢野は破顔した。まともに喰らったスライムがその大半を吹き飛ばされる。どろりとした体の中、光を失った丸い何かが沈むのが一瞬だけ見えた。
「お? 球潰したか」
「上手い具合に割ったみたいですわね。やはり狙って球を潰すのがいいのかもしれませんわ」
その会話に何故ともなく背筋が寒くなるような気分を味わいながら、夢野は二人と共に人々をスライムの残骸から引き抜いていく。
そこへ重症者を抱えた白蛇が【権能:千里翔翼】で呼び出した司に騎乗した姿で走り込んだ。
「すまぬ! 誰か治癒を出来る者はおらぬか!?」
インレに託され、彼女が運んできたのはアステリア。一目で致命傷と分かる怪我に夢野は息を呑んだ。
「誰か……治癒が出来る人は!」
「今、行きます!」
渚が治癒膏の技を自身に課しながら駆ける。癒えぬ傷に思うように動かないその体を布都御魂に乗った冴弥が抱えた。東にいた子供を西の駐車場に抱えて避難させて後、まだ避難のすんでない人を乗せるべく東に向かう途中だったのだ。
「ありがとうございます!」
「治癒を頼みます。皆さんは、スライムを」
「ああ!」
「お願いいたしますわ!」
「頼んだぜ!」
重症者を託し、三人はスライムへと向かう。
「おぬしは人々の避難を頼む。西にはわしが連れていこう」
「お願いします」
頷き、冴弥は再度東へと向かった。気になれど、今は天魔に対し何の防御も持たない人々を救うのが先決だ。
「酷い傷なのです……」
傷口の砂を海水で洗い、必死に治癒膏を重ねかける。
血の気を失っていたアストリアの瞼が、その時微かに震えた。
雷剣による麻痺はスライムの動きを妨げていた。
移動できないスライムを那由汰とルドルフは懸命に削っていく。
「火遁がきれたね。出来れば中にあるっていう球ををむき出しにしたかったんだけど」
ずぶずぶとゲル状の体を蠢かすスライムにルドルフは思案する顔になる。隣で那由汰も思案顔
「「俺が囮になるから」」
意図せず同時に言った言葉に二人で思わず顔を見合わせる。
考えていることは同じだ。
内部に核のある敵は、そこを壊せば脆い。もしあの球が核であるのなら、そこを崩せば一気に人々を助けられる。
スライムが人を飲み込む時にその核が見えたというのなら、一番早いのは囮になってそこを打ち砕くこと。
「どっちが当てても」
「ああ…こいつを倒せるなら、それで」
誰が、を競う気はない。
大切なのは、今何をしなければならないか。何をすればいいのか。何が自分に出来るのかということ。
それを見失わない限り、常に道は切り開かれる。時には運と、誰かの協力が不可欠になるけれども。
麻痺の解けたスライムが動く。
二人は動かない。
目の前に開かれる巨大な泥状の波。
その、奥の光。
まるで何かの目印のような。
「……は」
こぼれた笑いはどちらのものか。ルーンが輝き、星の光を宿すトンファーが閃く。
何かが砕ける音と同時、ばけつの水をひっくり返したような音をたててスライムが溶けた。
――例えば誰かを救わなければならない時、頭で物事を考えるだろうか。
鈴音は動く。
考えるよりも早く。
イメージは灼熱の炎。
邪悪なる大蛇を打ち滅ぼしたとされる六道家伝承の魔術。
うねり、重なり、広がり、圧され、それ自体が生き物のように動くのが炎というもの。すべてを焼きつくし、邪を滅するもの。
―六道呪炎煉獄(リクドウジュエンレンゴク)―
強い意志を宿す瞳の前、スライムの体を紅蓮の炎が包み込んだ。
その炎が収まった瞬間、雷球に似たアウルがスライムの体を弾く。セルフエンチャントで魔法攻撃力を上げた論子の一撃だ。
「東と海側で一体ずつスライムが撃破されました。最大確認数は七体です」
「七からそれ以上には『増えてない』?」
「ええ。逃げる人が途中で消えたという事例もありませんね」
「……じゃあ、あと五体で、ってことでいいですかねえ?」
小さな舌でぺろりと自分の唇を舐めて、鈴音はさらなる力を自らの内から引き出す。
「可能性は高いです」
同じく力をためながら論子は頷く。無論、隠れている個体がまだいる可能性はある。そのため警戒は解けないが……
「どこかに優先敵がいるかもしれない、なんて思いながら戦うのってしんどいよね。一気に片付けて、皆を助けてあげよ!」
力強く宣言する鈴音に論子も力強く頷いた。
「おっと。そちらには行かせられないねえ」
海岸沿いの一角。駆けつける静流達の気配を感じながら明は力を解き放った。口から。
「うお! 火、吐くのかよ!」
露姫が思わずそこに食いつく。龍の血筋に連なる露姫もまだ火は吐いてない。人間、わりとやるものである。
「モンスターと言ったら炎息(フレイムブレス)だろ」
明は飄々としたものだ。その目が一瞬だけ彼女等が来た方向を確認する。負傷者とその治癒する現場はそれほど離れていない。
弱った獲物を狙うのか、それとも単に海に逃げるための動きなのか、動くスライムの方向は彼女等の側。
「へぅ……治癒膏が切れてしまったのですよ……」
治しきる遥か手前できれた治癒膏に渚は唇を噛む。
その体が何かボールをぶつけられたように横に弾け、倒れた
「な?」
アステリアの体を抱き上げようとしていた白蛇が目を剥く。瞬時に全員の目が捕えたのはボールのついた触手のようなスライムの一部だ。今までもそれに似た形のものに近距離で殴られることはあったが、遠距離に放てるかどうかを試した者はいなかった。
「いかん……!」
白蛇は慌てる。ただでさえ重体だった渚には今の一撃すら致命的だった。どちらも急ぎ医者に診てもらわなければならない。
静流とシェリアが壁となるよう立、夢野が走った。
その目の前で黒焔が爆ぜた。
「!?」
息を呑む露姫の眼前でスライムの大部分が吹き飛ぶ。
「へえ……」
明が思わず感心した声をあげた。声の色は賞賛に近い。
「おぬし! 無理をするでない!」
気づいた白蛇が慌てて術者に言った。
無理に技を放った反動の痛みを堪え、アステリアは荒い呼吸の下で答える。
「戦場に……あっては……最後まで……全力を……。そう、でしょう…?」
――自分達は、撃退士なのだから。
●
「が……っつ」
悲鳴はあげない。苦痛すら意思でねじ伏せ、結は歯を食いしばった。銀の盾の守りをもってなお身を蝕む暴虐な力。
(せめて、真正面から……受けれれば)
大ダメージを狙い、側面、背面への攻撃を自分達が目指すのならば、無論、相手もそれを狙ってくる可能性は高い。『知能ある敵』とはそういうものだ。
「……いい反応速度だ」
むしろ楽しげにユグドラは呟いた。それが本気で嬉しそうで腹が立つ。
視界の端に黒百合の姿が一瞬見えた。同時にユグドラが離れる。
「はっはァ! 攻守コンビか」
「得手は生かしあうものよォ♪」
死の鎌の動きにあわせ、退路を塞ぐようにしてインレと武尊が攻撃を放つ。避ければその分黒百合の攻撃が当たるように。
ユグドラの手が閃く。
矢が手を傷つけるのを厭わず、最も恐るべき一撃を避け、拳の遠当てにちょっと面白そうな目を向けて避ける。
(面白がってる……嬲る? ……違うわね。遊び仲間を見つけたような……)
命を賭けた戦いを愉しむその気持ちはよくわかる。
嬲られるのは趣味ではない。だが、もし実力が伯仲していれば……?
心ゆくまで、戦い抜ける力がここにあれば……
(戦いを)
求める気持ちは、分かるのだ。分かるから、チリと胸がやける。あんなに楽しそうに動いたりするから。
(でも――)
太陽を背にゴーストバレットを放ちながら、シルファヴィーネは現状を冷静に整理した。
目に見える範囲で一般人の数は減っている。全員ではないが、砂地を駆ける人の数はごく少ない。その分膨張しているスライムもいたようだが、その半数以上がボロボロになっていた。ユグドラがそちらを気にするそぶりはまるでない。
(作戦は成功してるわ)
二つの戦場を混在させることなく、まるでそれぞれ別の場所で戦っているかのように分かって。
(人間を救出させて、こいつが帰れば任務は達成になる。スライムは七体いたわね。二体倒して、今四体。砂地の以外は、だいぶ削れて……)
そこまで思ってからシルファヴィーネは目を瞠った。
あと一体は、どこに……?
●
ユウの発動させた氷双刃(ヒソウジン)が一瞬見えた核を撃破した。それまでの攻撃でスライムの体のほとんどが吹き飛んでいたのが功を奏したともいえる。核を隠す組織がこれだけ少なければ見えやすくなるというものだった。
「‥‥暑いのキライ。早く帰って涼みたい」
ちるるー、とどこからともなく取り出したバナナオレを吸いながら、ユウはともすれば意識を奪いにくる暑さと戦っていた。むしろ敵はスライムではない。暑さだ。
(‥‥夏なんて、溶ければいい)
だが暑い日に飲むよく冷えたバナナオレは悪くない。
「これに乗せるのじゃ。わしの司が運ぶからの」
スライムの体から取り戻した人間を背負うのは限界がある。放られたままのゴムボートに人々を収容し、白蛇は司を走らせた。
「ふむ。こちらのほうが早いようじゃな」
その視線の先、西の砂利上にはスライムの姿。だがその体が突然ドバッと溶けるようにして流れた。
「う。現実のスライムは面白くないのだわ」
「大丈夫ですか。至近距離でしたから……」
「もーちょっと削ってからのほうがよかったっぽいかも? 中身多いとドバッてくる量も多いわコレ」
もう撃退士でもいいとでも思ったのか、取り込みにかかってきたスライムの攻撃を避けたり喰らったりしながら見えた核に一撃を叩き込んだのだ。最後まで二人で一匹を惹きつけつづけたのだから、スライムにとって魅力的な相手だったのだろう。
駐車場に集められた人々を駆けつけた救急隊員が避難誘導していく。重い傷を負った者達もすぐに搬送された。
「次に行きましょう」
まだ全員の確保には至っていない。
彼女等が救うべき命は、まだ沢山居るのだから。
駆け抜け、放った動きにあわせて黒髪が空に軌跡を描いた。
薙ぎ払われたスライムが静流の目の前で動きを止める。
「核ありました!」
吹き飛ばされた組織の中、わずかに見えた光に向かい論子は雷玉を放つ。硬いものが割れる音と同時、スライムが一気に液状化して溶けた。
「あとはあそこにいるスライムか」
汗で額に張り付く髪を払い、静流は呟いた。これしきの動きで汗をかくようなやわな鍛え方はしていないが、空と地上の砂から放たれる熱波でとにかく暑い。
「それが、もう一匹いるはずみたいです!」
言われ、静流は考える顔になった。
「……確か、砂地に二体いたはずだ。ペンキを被っていないのが」
「一体がアレとして、もう一体が潜伏してるわけですね。あと、エインフェリアさんの姿が見えません」
背筋がひやりとするものを感じた。取り込まれたのか。
「敵を指定して範囲攻撃できる者は集まってくれ! 残りの者はそこにいるスライムを頼む!」
静流の声にスキルの残っている者が集まり、一列になった。最大範囲を生かして並ぶ。
それを横目に、目に見えるスライムに向かって花梨は勇ましく駆けた。
「覚悟するのだわ!」
体格差で凄まじく大きく感じる大鎌を振り上げ、てってこ走る姿は妙に愛らしい。その背に続きながらシェリアは魔法を編む。イメージは氷の錐。描くのは氷結の輪舞曲。
―煌氷の輪舞曲(プリズムロンド)―
氷錐に穿たれた敵に向かい花梨が外側を削ぐようにして裂く。
「絶対に誰一人として死なせないのだわ!」
「さぁて、ここいらで新ヴァージョンの御披露目といくか!」
夢野の声と同時、音の刃が砂上を駆け抜けた。
かつてのものよりも速度の増した一撃の名を―ティロ・カンタビレ:改―
アウルの省力化とともに、衝撃波であったものが音の刃と化している。放たれた音刃は火焔を帯び、灼熱の地を一直線に薙ぎ払った。
それと同時に砂浜を色とりどりのアウルが薙ぎ払う。ある者は氷を、ある者は炎を。放たれた力の一つが何もないと思しき空間に潜む物体を吹き飛ばした。
「居たな」
声とともに静流は駆けた。組織を減じたスライムから二本の腕が見えた。あろうことかしっかと核を握りしめている。
誰の手なのか。考えるまでもなかった。
白い大鎌が鮮やかにそれを一閃する。動きはまるで舞人のよう。
音をたてて割れた核に、スライムが一気に溶ける。
「ぷぁっ」
たたらを踏むようにして現れたエリーゼは、咳き込みながら「うー」と唸った。
「いきなり食べるとか無いですよねー。服の中までべったりですよこれ」
「けしからん状態、というやつだな」
「それはともかく、救出を続けますよ!」
「とりあえず、その胸は隠して行くといい」
得体の知れない液で濡れそぼった豊満な胸など、むしろ別の意味で凶器だった。
「走れるー?」
スライムの中から人々を救出する傍ら、フレイヤは遠くからようよう駆けてきたらしい人々に声をかける。召喚獣を使っての離脱は、主に女子供や歩き難い動きをしている人達を重点的に行っていた。そのため、健康な若者は後回しになっている。
何度も転んだらしい若者がやっと近くまでたどり着いた安堵に泣きそうな顔をする。若者といっても少年の域だ。
「C’est vrai!(ビンゴ…!) 」
砂浜からシェリアの声が響く。最後の一匹を撃破したらしい。ほっと力を抜いた時、少年のすぐ近くに轟音と同時に砂の柱が立った。
夢野が瞬間的に走る。
弛緩しかけた戦場が一気に凍りついたのを感じた。精鋭により切り離されていたとはいえ、まだ残っていたのだ。
エリーゼは小さく呟く。
「……ユグドラ」
●
誰がその時どう動いたのか、全部を把握している者はおそらく居ないだろう。
――必死になった経験は少なかった。
教本を読むだけでおおよその基礎を身につけた武術。そつなくこなせてしまった数々の事柄。何かを突き詰める事は経験の乏しさから苦手で、必死になれと誰かに言われても、きっとどうしていいのか分からなくなってしまう。
だってそれは、誰かから示唆されてなるものではないから。
心が呼応して起こるものだから。
ユグドラが砂地に立つ。少年の姿はすぐ傍。
対応していた人達が駆けつけるのが見えた。誰一人として傷を負っていない者は居ない。右半肢を血に染めた結が駆け、足を引き摺るようにしてインレが技を放つべく力を溜める。けれどそれが放たれるのは数秒の後。間に合わない。
だから――
走ったのはただ、心がそれを望んだから。
召喚獣のもつ一度の召還でただ一度きりの技を解き放ったのは、そうするべきと頭の中の冷静な部分が囁いたから。けれど胸が、思いが、キリキリと痛むほどに高鳴り集中するのはきっと冷静では無い心の方で――
「……―ッ!」
「!?」
凄まじい勢いで飛んできた青竜とその背の少女にユグドラがギョッとなった。冴弥の体が宙を舞う。勢いのまま少年に接すれば衝撃は並大抵ではない。だから飛んだ。竜の背から。
「!」
砂塵が舞い上がった。砂の海をスライディングする冴弥の足元から逆流する瀑布の如き勢いで砂が吹き飛ばされる。
「ちィ……!」
最早豪快な目晦ましだ。自身も砂塗れになった冴弥は砂煙の中目的の場所へと手を伸ばす。掴んだ腕。引き寄せる。その体、抱きしめ、抱え、離脱後並走していた布都御魂に飛び乗る。
「てめ……!」
「あなたの相手はこっちィ♪」
憶測のまま攻撃を放とうとしたユグドラの耳元を巨大な鎌が勢いよく凪いだ。
「あっはァ♪ 惜しいわァ♪」
自然の風で流れる砂塵の向こう、笑む黒百合もまた砂を全身に塗している。その合間から見える体もまた、血に濡れていた。
ユグドラは鼻を鳴らす。
視線を投げれば冴弥はすでに離脱済み。追いつけなくはないが、彼女等はそれを許しはしないだろう。そして、すでに駆逐され姿を消したスライム達。
「刻限だな」
「逃げるのか」
言葉少なくマキナが告げた。ユグドラは口の端を引き上げるようにして笑む。
「十分楽しんだからな」
あっさりと言うのは、勝ち負けという結果に拘っていないから。
「てめェ等は会う度に強くなりやがる。――次に会う時が楽しみだ」
「次が最後になるかもしれませんよ」
言葉すら鋭い剣のように結は告げる。明確な殺意を乗せて。
真正面から受け、ユグドラは笑って言った。
「そいつァ、楽しみだ」
侮りでは無く、むしろ彼女等の成長を認めるが故の――それは心からの言葉だった。