ウォータースライダー前をデカイ黒猫がとぼとぼと歩いていた。
「くらうんー…何処であるかー」
その耳はぺたりと伏せられ、緑の瞳には大粒の涙が浮かんでいる。デカイ図体を心持ち丸め、長いしっぽを抱えていじっている姿はどう見てもいじけているようにしか見えない。
「くらうんー……」
悪魔フェーレース・レックス(jz0146)は、只今絶賛迷子中だった。
(もふる……こいつ絶対もふってやる)
そんなレックスをゴミ箱の裏から熱く見つめる少女が一人。
艶やかな黒髪、愛らしい瞳。外見だけならそこらのアイドルが束でかかってきても吹き飛ばせる美少女・藤咲千尋(
ja8564)の瞳は熱い情熱にギランギランと輝いている。なんということだろうか。じょしこーせーを覗き見るオッサンみたいな有様だ。
「早く保護しないと駄目だよね!!」
ハァハァ。
滾る欲望を胸に秘め(希望)、生唾をごっくんしながら(現実)千尋は手をわきわきと動かす。正直誰か止める人はいないのかと思うレベルだったがすまん誰も止めそうな人が居なかった。
「ええこれは任務です。あのもふもふの塊と経費で遊ぶという任務です」
身も蓋もなくぶっちゃけたのは千尋の隣でレックスを見つめる蔵里 真由(
jb1965)。物陰からレックスを覗く彼女の視線も千尋に負けず劣らずタイヘンなモノ。いつもはキリリとしている瞳はめろんめろんに溶け、千尋と一緒に両手をわきわきさせていた。いつものクールは何処へ行った。
※真由のくーるは入口のコインロッカーで留守番中である。
「まずもふるよね!!」
「まずもふもふですよね」
おお、目の前にある黒い生贄もとい猫毛玉よ。ふわふわの頬毛。つやつやの背中。思いきり体が沈みそうなふわっふわの腹毛。どこに突撃しても堪能できそうだ。「れーっくすちゅあ〜んっ」とル●ンダイブする日も近いだろう。おまわりさん、彼女等です。
必死に暴走モードの自分と戦っているようでそうでもない二人の後方、森田良助(
ja9460)は怪しいゴミ箱から距離をとってレックスを見つめていた。別に彼女達の発するオーラが怖かったわけではない。
(そういえば僕、仲間のガイオーンを神器で塩にしたんだっけ。怨まれてたらどうしよう……)
何を隠そう、かつての大規模戦闘においてレックスの仲魔ガイオーンを塩に変えたのは彼なのである。同じ四国冥魔たるレックスと対峙するのは、正直断頭台の前に立つような心地である。ちょっと体が震えているのも故無きことではない。
「むふー…ゆーえんちで迷子とは…これは探し人(悪魔?)も心配しておろうて」
不安を抱える良助の横、デンと腕組みしているのはラカン・シュトラウス(
jb2603)。デカイ体を精巧な白猫着ぐるみに封入してるせいで正直色違いのレックスが立っているかのよう。
「うむ。遊園地である以上、どこかのアトラクションにいる可能性が高いであるな! こんなこともあろうかと! 園のアトラクションマップももらっているである!」
ババン! とカラフルなマップを取り出し、ラカンは目を輝かせてアトラクションを調べる。
(「・ω・`)<……ドレドレどの乗り物が良いであろうか?
この猫(の中のひと)満喫する気満々である。
そんな白猫の横、白黒もふもふがもう一体。
「遊園地とは即ち人間の叡智。飽くなき娯楽への探求こそが、この夢の空間を創り上げたのだ」
ばばーん、と仁王立ちするのはパンダこと下妻笹緒(
ja0544)。炎天下の中、むしろ厳かに遊園地を語る。
「恋人たちが小指と小指をつないできゃっきゃうふふと駆け回る、それこそがここでの正しい姿。たかが悪魔一体楽しませることができなければ、人類の沽券に関わるというものだ」
みーんみんみんみん
「猫はどうやら道化師を捜している模様。頭の中は道化師のことで一杯であろう。なれば、それすら上回る程の思い出を与えてこその勝利だ」
みんみんみん じー……
一つだけ聞かせて欲しい。君ら、暑く無いのかその格好。
そんな久遠ヶ原もふもふ組とレックスを見つめるのは神嶺ルカ(
jb2086)だ。
(これが噂のもふランド? っていうぐらいモフモフ揃いやな…)
たぶん今回唯一のクール枠。婉然と微笑んで周囲を見渡す。
(白猫さんにパンダさん、揃って目指すは黒猫さん、と。ま、ラダ君が一番可愛いけど♪)
クール違うかった。
(一般客に危害を加えられるような事がないように、っていうのが最優先だよね。それからラダ君で遊ぶ←【最重要】)
もしかすると一番危険かもしれない。お一人様限定で。
「ラダ君とデート出来るなんて思わなかったな」
「なんでそうなるっ!?」
その相手、異母兄の神嶺ラダ(
jb6382)がギョッと目を剥いた。
ラダ大学三年生(兄)。
ルカ大学一年生(妹)。
身長差はルカ>ラダで十四センチである。
正直ひっつかれると頭半分ぐらいの差がよく分かる。
「依頼だろ!? 任務だろ!? てゆかなんで腕をとる!?」
「何を言ってるんだい。ほら、警戒させないように、何気ないふりをしよう」
「なんで恋人繋ぎだよ!?」
なんという怒濤の猛攻だろうか。ちょっとのデレも逃さず攻込む構えだが、デレてなくても攻め込んでいる。
「おいルカ離せ暑い」
しかしデレなんて幻想だった系のラダは容赦なくルカの尻に蹴りを入れての離脱。女子の尻に蹴りとか酷いと思うなかれ、彼的視線ではルカは妹では無くオトウトだ。
「ちょっとラダ君、外で過激なのはやめてよ」
内ならばいいらしい。しかしなんということだろう。相変らずの弟扱い。もう脱ぐしかないのか。ルカの目がキラリと光る。
「お前いい加減どっか行けよ」
そんなルカにラダはツンツンハリネズミ。わりと大まじめにルカから距離を置こうとするのだが相手が悪かった。
「嫌だね、きみがツンツンする限り僕はデレる」
やばい。逃げろ。相手強すぎだ。
思わず本能的に逃げ場を探したラダ、視線の先に居た物体に目を輝かせた。
「おいルカ! あんな所に猫が居るぜ!」
無論、相手はレックスだ。
「二足足歩行する猫か! 珍しいよな!」
気をつけろ。隣に白いのがいるぞ。あと、パンダ。
「皆で協力して黒猫殿を救うのである!」
「うぉ!? 猫もう一匹いた!」
張り切る白猫ことラカンを見上げ、気を取り直してラダは頷く。
「いいねぇ! 遊ぼうぜ!」
「うむ! レックス殿を探すのである!」
※探す相手はクラウンです。
「っしゃ、行くぜ! おーい! 猫ー! 遊ぼうぜー!」
ラダ、何の躊躇も無くレックスに向かって走った。
悶々していた女子二人が慌てて飛び出す。
「ふぁああたしもーっ!!」
「ま、待ってくださいもふもふ……!」
君ら欲望がダダ漏れてすぎるな!?
「お久しぶりって言っても覚えてないかな!! 改めて自己紹介するね、藤咲千尋だよ!!ちゃんと覚えてね!!」
もふー。
「こんにちは、お困りみたいですね」
もふー。
「な、なんであるかーっ!?」
なんという計画的犯行。女子二名、挨拶よりも先に毛玉に向かって飛びついていた。
脳みそが全部「くらうん」で埋まっていたレックス、突然の出来事に尻尾がボンボンに膨れている。
「やあ紳士、お一人ですか?」
「ひとりではないであるっ! あっ撃退士であるな! くらうんはどこである!? なんでこんなところにいるのであるか! クラウンに何かあったら怒るであるぞ!」
「そのクラウンは何処にいるのです?」
「……わからぬであるー……」
レックス、しょんぼりと。
「我輩の鼻が効かぬである。仕方がないので歩いているである……さっきから同じ景色ばっかりである」
レックス。まさかの方向音痴疑惑。
(要するに迷子かい紳士)
レックスの様子にあたりをつけ、ルカは困ったように首をかしげた。
(でも迷子なんて言うと紳士傷付くかもしれないな)
「へー、成程、迷子か!」
(あ、言っちゃうんだラダ君…)
「違うであるぞ! クラウンが迷子なのであるぞ! 我輩はクラウンを探しているのである!」
「よし解った、その、えーと何だっけ…クラウン?を一緒に探してやるよ!」
ラダの声にラカンが言葉を重ねた。
「我らが一緒に探すのである。まかせるが良いのである!!」
「本当であるか!? いや、おぬしらは撃退士である! 我輩、騙されぬであるぞ!」
「お連れ様が迷子になっちゃったんですよね? 心配じゃありませんか?」
「……心配であるー……」
「なら、簡単です♪ お手伝いいたしますよ」
「うむー……」
クラウン>>>>>>>>>>>>>>>>>>>超えられない壁>ご飯>他、なレックス。ラダ、ラカン、真由の説得にココロがぐらんぐらん揺れている。その間に千尋はレックスの頬毛を堪能し、良助はこっっそり他班にメールで連絡を回した。
『ウォータースライダー前。レックス誘惑中なぅ』
即座に返る連絡。クラウンは未だベンチ。レヴィも幽霊屋敷前らしい。
(そろそろどちらも移動が始まる頃だね)
良助としてもそろそろ移動を始めたい。しかし、レックスは今まさに悩み中だ。
揺れに揺れるレックスの前に、その時、一台のアニマルカーが止まった。
パンダ(笹緒)である。
パンダ・オン・ザ・パンダカーである。
おわかりだろうか。四つんばいになったデカイアニマル型の乗り物に百円放り込んだらうぃんうぃんどこかに動いていくあのパンダカーにまたがったパンダである。しかもその手には風船が。
「「…………」」
目と目で通じ合う猫とパンダ。
そっと差し出される風船。
いえろー(クラウンっぽい)。
「……クラウンに会いたいであるー……」
レックスは陥落した。
●
「つまり、クラウンも遊んでいる、というのであるか?」
うぃんうぃん。
「人の子の遊びを堪能する為に来たのであれば一理あると思われるが、いかがかな?」
うぃんうぃん。
「うむー」
園内をパンダカーが歩く。パンダと黒猫の二体を乗せて。
「なんにせよ、この遊園地で探す場所と言えばアトラクションであろう。ついでにその面白さ、十二分に理解してこそ来た甲斐もあるというものだ」
「それである。アトラクションに乗って見つけるのである!」
笹緒とラカンの声に、レックスは「うむー」と頷いた。ラカンの目がキラリと光る。
(むふー! 人間界は愉快なのである! この面白さを知れば人間の印象が良くなるのである!)
「なれば早速、レックス殿の特徴を教えてもらうである! そしたら皆で探せるである!」
※探す相手はクラウンです。
「我輩であるか!? 悪魔である!」
「悪魔であるのは分かっているであるぞ? 姿形である!」
「うむ! おぬしらの世界の猫に似ていると言われるであるぞ! 長い尻尾と胸のハートマークが自慢である!」
「ふむふむ……同じ姿、と……」
※彼らの会話は食い違ってます。
「むふー! これで我らも探せるである! 黒猫殿、案じられるよいぞ!」
「かたじけないである!」
「まずはこのうぉーたーすらいだーとやらでレックス殿を探そうではないかなのである!」
「我輩は目の前にいるであるぞ!?」
しっぽをピンと立てアトラクションに突撃する猫二体。その背をパンダ(笹緒)がグッドラックと言わんばかりのサムズアップで見送る。
「あ! わたし絶叫マシンは苦手だからそのアトラクション乗らずに待ってるよ!!」
「ぬ!? おぬしは乗らぬであるか!?」
入口で離れた千尋にレックスは目を丸くした。千尋は大きく頷く。
「お外ですれ違ったりしないかどうか確認してるね!!」
「わかったである! 頼んだであるぞ!」
もはや頭の中がクラウンしか無い(もしかしなくても:いつも)レックス、敵味方区別何処行った状態で後を千尋に後を託し、鼻をフンフンさせながらアトラクションへと走った。
「くらうん何処であるかー!?」
それを追いながら良助は千尋に軽く頷いてみせる。頷き返し、全員がアトラクションに入ったのを確認してから千尋はメールを操作した。
『レックス、ウォータースライダーなぅ!!』
その頂上、落下前に見た広い遊園地の中、幽霊屋敷前に異様な人集りを見たような気がするが多分きっと気のせいだろう。
●
「うっはー……濡れたー!」
「すごく濡れたね。下着までぐっしょりだよ。ほら、ラダ君、透けてるんだよ」
「見せるなよ!? ……なんだタンクトップかよ……」
おっとラブコメっぽい遣り取りだがそんなことは欠片も無いぞ! KENZENな二人は無論、レックスやラカンも見事にびしょ濡れ。かろうじて濡れ部分が少ないのは、レックスの巨体が盾になっていた良助と真由だ。
「わぁあすっごく濡れたねー!!」
「僕はまだ濡れてない方だね! レックスのおかげだよ!」
「夏でよかったですね。冬だと風邪をひくところです」
雨具等用意していなかった面々、ぐっしょりと濡れた服に笑っていられるのは、むしろ気温が高すぎてその暑さにまいってしまいそうだったからだろう。着ぐるみのラカンと生毛皮のレックスを見て、千尋は手を伸ばした。
「うわー!! 毛皮に水滴が浮いてるー!!」
ぷるるるるッ
「きゃー!!」
「わー!」
その瞬間、レックスとラカンが思いっきり体を震わせた。弾き飛ばされた水滴が千尋と良助にふりかかり、あっという間に右半分だけずぶ濡れに。
「やっと水がとれたであるー」
「ひどいレックスひどいーっ!!」
「髭が濡れるのは嫌であるー」
ぽかぽか抗議するフリで毛皮に埋もれた千尋に、レックスは顔を洗いながら背中をぽんぽん。千尋、もふもふもふもふくんかくんかすぅーはーすぅーはー!
「くすぐったいであるー!」
その様子を心から羨ましそうに見つめつつ、真由はマップを開いた。
「次はどこに行きましょうか。個人的にはフリーフォールがお勧めですね。自由落下の加速は中々クる物がありますよ?」
「落下するであるか? 人間は飛べぬのに落ちるのが好きであるな?」
「そういうスリルを楽しむ遊戯なんです。勿論、途中でふわっと止まりますから、危険はありませんし。一旦とても高い位置まで昇りますから、クラウンさんを探すのにもいいと思いますよ?」
「ぬ!? それは良いであるな! 是非行くである! あ、でも我輩、かんらんしゃ、なるものに乗ったことがあるであるぞ? あちらも高かったである!」
レックスの声に真由は相手の鼻をつんと突いた。
「観覧車はですね、一番最後に行くものですよ?」
「なんと!?」
「その日巡ったものを相手と一緒に見て思い返したりするものなんです。狭さは距離を縮めてパーソナルスペースまで入る為の設計ですね。そも、特別な相手と乗るものですからね? 」
「む!? 時間を失敗したであるな!? であるが、我輩、クラウンと乗ったから条件は満たしているである!」
むふー! と得意満面なレックスに、良助がしみじみと呟く。
「ほんっとーにクラウンが好きなんだなー……」
「当然であるぞ!」
パッと輝く瞳を向けられ、良助はギクッとなった。
「我輩、クラウンは初めて会った時から好きであるぞ!」
「そ、そうなんだ? いつ会ったのかな?」
「子供の頃である! ひとりで森を移動中に会ったである!」
良助達は脳裏に子供の頃のふたりとやらを思い描こうとした。普段見てる姿(子供&デカ子猫)しか思い浮かばなかった。
「好きになったきっかけはー!?」
腹毛にうずもれている千尋の声に、レックスはピンと髭を張る。
「目があった時には好きだったであるぞ?」
パ ツ イ チ か よ!!
全員、心の中で突っ込んだ。
「分かるよ、紳士。そういうものだよね」
「分かるであるか!? そういうものであるな!」
何かが通じ合った。ルカとレックスはがしっと握手を交わしあう。
「そのクラウンを早く見つけなきゃな! よし、フリーフォール行こうぜ!」
「うむ! 行くである!」
ラダの声をきっかけに駆けだす一同に続きながら、千尋は素早く携帯を開く。連絡するのは別班にいる恋人と友人。
(このまますんなりいくといいな!)
千尋の願いに応えるかのように、返って来るメールはどちらも順調な経過を告げていた。
●
「まだ見つからぬである……もういっぱい乗ったであるー」
レックスが不満げな声を漏らしたのは、実に六つ以上のアトラクションを乗り終わった後だった。
無論、クラウンが移動した後を追うようにして動いている彼等がクラウンと鉢合わせるはずもない。
「すれ違ってるだけかもしれないよ! あ、ほら、見て! 輪投げコーナーがある!」
「輪投げであるか?」
「やってみよう! 景品がもらえるよ!」
そろそろ禁断症状が出始めているレックスに、良助は意識を逸らすべく果敢にアタックする。見てて! と投げた輪は見事に狙い通りの場所に入った。
「やった! 僕は射的の天才だね!」
景品はピエロの形をしたぬいぐるみだ!
「はい、あげる!」
「くれるであるか?」
受け取り、レックスはそれをバクっと食べた!
「食べるの!?」
「もさもさしてるであるー」
「中身綿だもの! ペッしなさい! ペッ!」
「しょくもつせんいというやつであるな?」
「多分油とかだと思いますよ!? 原材料って」
真由がひっそりと脇の毛をもふりながら告げる。
もしかしてこの猫、食べ物にしか興味無いんじゃ……
気づき、良助は対応を変えた。
「そうだ、レックス、これ食べたことある!? 美味しいよ!」
「食べ物であるか?」
「人間界の食べ物は美味いよ!」
ご飯に釣られたレックスに良助は畳み掛ける。さあキミもはぐれ悪魔になるといい。
「黒猫殿、こっちのポップコーンも美味しいであるぞ!」
うまい具合に意識が逸れたレックスにラカンも購入したポップコーンを薦めた。
「白くてもすもすしているであるぞ?」
「これはうまいのである! 食べるのである!」
「むむむ〜!」
レックス、餌に釣られまくりだ。
が、
「悪くないであるが、量が足りないであるー」
あっさり一瞬でペロリと平らげる相手に、流石の撃退士も対応しきれない(財布的な意味で)。次々に売店の食べ物を差し出すが、一秒以上現物が残っている食糧は皆無だった。
「玉葱も食べれるのか……猫なのに」
「我輩は猫では無いである! 悪魔であるぞ!」
「あれ? じゃあマタタビとかも効かない?」
「だから我輩は悪魔なのであって猫では無いである!」
ラダとルカの素朴な疑問に、レックスは前足で地面をてしてし叩いた。外見がいかに猫に似ていようとも悪魔は悪魔。無論、船酔いや酒酔いなども無い。
そんな遣り取りを横目に良助は素早く千尋に問うた。
「(これ以上は引き延ばせないね! 次に向かうのは何処がいい?)」
「(幽霊屋敷かな!! 今はどっちも近くにいないから!!)」
千尋はメールをチェックしつつ応える。常に他班の状況を確認しながら動くため、どうしてもメールチェックが多くなってしまうのが悩みどころだった。無論、その動きに気づかないレックスでも無い。
「先程から何をしているであるか?」
「大好きな彼氏さんからメールがきたんだよー!! 内容? 見せないよ、恥ずかしいもん!!」
「ふむー」
嘘ではない照れ笑いをしつつ千尋は携帯を隠す。事実、彼女がメールしているのは同遊園地内にいるクラウン対応班の恋人なのだから嘘は無い。鼻をひくひく動かして、レックスはその匂いを確かめ、頷いた。
「嘘の匂いはしないである……したが、我輩、そろそろクラウンに会いたいであるー」
「会えないのって辛いよね。分かるよ、紳士」
「分かってくれるであるか……我輩、心臓がどっかに落っこちた気分である!」
「……それはだいぶ重症だね……」
真顔のレックスにルカも真顔。自分も相手をラダと考えたら想像余裕すぎた。
「幽霊屋敷にでも入ろうか? 建物の中に入ってて見つけられないのかもしれないよ?」
良助の誘導にレックスは近くの建物を見る。逆方向から動いている為、目の前にあるのは幽霊屋敷の出口だ。
「むぅ? 何やらどこかで嗅いだことがあるような匂いがするである……四国で嗅いだ匂いである……」
「「え!?」」
真由と良助がギクッとした。幽霊屋敷を訪れた相手と言えば、現在、接触を避けている使徒だ。
その時、良助の目がとんでもないものを見つけた。異様に人が集まっている出口付近の記念写真販売店。どうやらゴールした人達を自動的に写真に収めて出口で販売するシステムだったようだが、そこに明らかに映っちゃいけないひとが写っていた。
「あそこの賑わいは何である?」
「あー! アレはなんだー!?」
レックスがそちらへと意識を向けるのに、良助はわざとらしい程大きな声を上げ、全く違う方向を指さした。
つられたレックスがそちらを見る。
パンダ(笹緒)がパンダパレードをしていた。
「パンダちゃん……!」
千尋が握り拳になる。よくやったパンダ! パンダグッジョブ!
遠くで激しく踊っているパンダに思わずレックスも目が釘付け。その背をラカンと真由が押して移動する。
「一緒に踊りに行くである!」
「きっと目立ってクラウンからも見つけてもらえるようになりますよ! ふふふ、背中ももふもふですね〜」
その間にラダとルカが写真売店に走り、千尋がメールをチェックしてからかねての打ち合わせ通りに迷子放送を提案する。
「パレードしてる間に迷子放送してくるね!! クラウンからも見つけてくれるように!!」
すでに十分な時間は稼いでいる。まだ思うことや気になることはあるが、レックスの様子からもあまり長く伸ばしすぎるのは難しいだろう。
コワモテイケメンを姫抱きする使徒の写真を横目に、千尋は一路迷子センターへと走ったのだった。
●
『……茨城県からお越しのクラウンくん、レックスくんがウォータースライダー前で待ってます……』
迷子放送が鳴り終わる頃、パンダパレードを終えた一向は広場の芝生に転がっていた。踊りつかれたのでは無い。クラウンに逢えないレックスが不貞腐れたのだ。
「もう動くのは嫌である。クラウンが居ないであるー」
なんというお子様だろうか。腹ばいでぺしょんと伸びているレックスに、真由の衝動が最後の理性を打ち砕いた。
「あ〜、もう我慢できません! 可愛い〜」
モフモフモフ
誘導中、必死に衝動と闘い懸命に任務をこなしていたのだ。もうこれは仕方がないだろう。ご褒美タイムがあってもいいはずだ!
「ふかもふですね、ホントに。あ、お腹とか耳とか触っていいです?」
「腹は駄目であるぞ! 耳は良いであるー!」
「触るとぴるぴる動くんですね」
耳の付け根や裏側のふかふかを堪能するのに合わせて、デカイ耳がぴっぴこ動く。しかも現在腹ばい状態。これは夢にまで見た腹枕フラグ!?
「ふふふ、猫さんモフモフ〜」
無論、反対側では真由と同じモフモフモフリャーな千尋とラダがもふもふの毛を堪能している。君らわりとやりたい放題だな!?
「携帯で写真撮っても良いです? 捨てアドでいいのでメアド教えてもらえれば後で送りますよ?」
「しゃしん? であるか? 構わぬであるぞー」
不思議そうに首を傾げ、めあどとはなんぞ? と目をぱちくりさせる。猫、食べ物とクラウン以外には興味無さ過ぎた。
そんなレックスに、ラダはルカを見本にレクチャーする。
「良いかレックス、二度と迷子にならない様に、こうして手を繋いでおくんだぞ! そうすれば、一緒に来た奴とはぐれないからな!」
「そうだよ。こうやって繋いでおくんだよ」
「おい待て! だからなんで恋人繋ぎだよ!?」
指と指をからめる恋人繋ぎに、レックス、成程と頷いた。
「わかったである! 我輩覚えたであるぞ!」
レックスは こいびとつなぎ を覚えた!
「レックスふわふわー!! 学園に来たら、これを堪能できるんだよね……!!」
あまりのふわふわさに千尋が思わず心を零す。それは別の地で恋人が紡いだ言葉と同じ。
(彼らがこれまでしてきたことは許せなくても……これから共に生きることは不可能じゃないと思いたい)
ずっと憎しみあって、戦いあって、ずっとそれを繰り返すのなんて、きっと不毛で現実的な話では無いのだ。
過去は戻らない。してしまった事は決して無かったことには出来ない。
けれど共存を望むことは罪だろうか?
どちらかが終わるまで戦い続けることが正しいのだろうか?
冥魔や天使達が数多く学園に帰属しはじめた今、その思いはどんどん強くなる。
(久遠ヶ原に来ればいいのにな……)
それは決して、口に出すことは出来ないけれど。
「変えられぬものは、あるのであるぞ」
腹枕に転がった人々に、レックスは語るでもなく小さく呟く。
「分かりあうことが出来る部分もあるであろう。決して分かりあえぬ部分もあるであろう。それらはすべからくどちらも大切なのである。それらがあるが故に、個は個として皆それぞれ別の存在たりえるのであるから」
幼子のような言動が多くとも、レックスは未知の智を求める者。顔を上げた千尋の頭をレックスの尻尾が軽く撫でた。
「分かりあえぬ部分があるがゆえに、他者とは面白いのであるから」
例えそれで、道が違えてしまおうとも。
「この広場にはクラウンの匂いがするである。するのに姿が無いであるー」
「姿が無いといえば、森田君の姿も見えないが、これ如何に」
のっそりと立ち上がった笹緒の言葉に、そういえば、とラカンも首を傾げる。
「先程までいたであるが、不思議であるな?」
「はぐれたであるか? しょうがないのであるー」
レックスが「むふー!」と言った瞬間、千尋がバッと体を起こした。
「どうした?」
「(クラウンが姿消したって!!)」
笹緒の声に、千尋は口の動きだけで伝える。思わず全員で周囲を見渡すがクラウンの姿は見えない。
(クラウンは何処に!?)
こちらには現れていない。使徒班に連絡するも、クラウンの姿を見た者は居なかった。かわりに一時、レヴィともはぐれてしまっていたようだが。
(でも、騒ぎは起こってない……よね?)
視線で問い合うが誰も答えを返せない。遊園地は先と変わらず穏やかな賑わいのまま。戦闘の兆しはまるで無い。
と、その時、レックスがいきなり立ち上がった。
「クラウン! クラウンである!」
「え!?」
「クラウンーッ!!」
レックスが走った。
魔法が解けた。
じぇんとるにゃんからデカイ子猫に変わった体が四足で駆ける。最速の全力移動。その先に居るのは幼い道化師では無くすらりとした青年。
デカイ黒猫を認め、僅かに目を細めた。レックスは跳躍した!
「クラウ……」
クラウン、避けた。
「ン――――!」
すべしゃーッ! と地面をスライディングしたレックスの後方、風圧で乱れた髪を軽く抑え、クラウンである青年は微笑んだ。
「元気ですね、レックス」
「……避けたな、今……」
笹緒が静かに状況を語った。レックスのしっぽがぺたんと地面になついている。
「ひどいである……ひどいであるー……」
地面にぺしゃったままメソるレックスの前に歩いていくと、わしっと両前足がすらりとした両足を抱え込んだ。
「うー…クラウンー…う〜〜っ」
大粒の涙を零して頭をすりつけてくるデカイ子猫に、クラウンは僅かに目元を和ませる。頭を撫でてやるとパッと目が開いた。
「クラウン! 今、笑ったであるな!? 元気出たであるか?」
「ええ。なかなか有意義な時間でしたよ」
レックスの髭と尻尾がピンっと伸びる。
「なら、それでよいであるー!」
クラウンはその様にほんの少しだけ口元を綻ばせる。ぽんと小さな道化師の姿になって、その頭に乗った。
「さて、どうやら長居してしまったようですね」
その言葉は集まった撃退士達に。
「よかったねー!!」
「おー、良かったなレックス! そいつが相棒かー。また遊びに来いよ!」
千尋とラダの声に、レックスは「うむー」と頷きかけ、ハッとなって前足でてしてしと地面を叩いた。
「おぬしらの言葉通り動いたらクラウンとなかなか会えなかったであるぞ! 撃退士はうそつきである! 我輩、もう信じないであるッ」
「おや」
レックスと撃退士達の顔で大体のところを把握したのだろう。クラウンはわずかに笑む。
パチリ、という音の後に、笹緒がそんなふたりへと近づいた。
「楽しいという感情を知るたびに世界は広がる」
差し出されるのはふたりが写った写真データ。
「すべての悪魔が、すべての天使が、この人の世を愉快と感じるようになれば。何が変わるか。それとも変わらないか」
受け取り、クラウンが口の端を笑ませた。
「実に、興味深い。そう思わんかね?」
「ふふ。先の長そうな話ですね」
クラウンが首の後ろにすとんと降りたのを感じ、レックスは身を起こした。長いしっぽがくるんと体に添う。
「帰るであるぞ!」
「ええ、帰りましょうか」
「レックスまたねー!!」
「ああ……もふもふが……」
「もうはぐれないようにね」
「迷子になるんじゃねーぞ!」
見送る撃退士から声があがる。
気づけば別方向からも別の撃退士達の姿。合流するのだろう。彼等は、最初から三班に分かれて自分達に対応していたのだから。
「では、またお会いしましょう。今でない時、此処では無い場所で」
「次は戦場かもしれん。それもまた、人の世の巡り合わせ」
笹緒の言葉を背にレックスがその姿を消す。
わずかに残るのは、愉しげな笑みの気配。
「それでは、その時まで」
別班が駆けつけた時には、すでにふたりの姿は無く。いつもと変わらぬ賑わいの園は、そこに在った脅威にすら気づくことなく日を終える。
茜色の空に、夕立を予感させるような黒い雲がほんの僅か、西の方角にかかっていた。
●
ところでお忘れだろうか。一人足りないという事実を。
「みんなーどこにいるのー……?」
とぼとぼと歩く良助に、気づいた銀髪の青年が近づく。
妙にぶちゃいくな縫いぐるみを抱えた青年に連れられて彼が仲間の元に辿り着くのは、それから十分後のことだった。