「彼は安定の『何をしているのか』…」
一報を受け取り、宇田川 千鶴(
ja1613)は思わず顔を覆ってしまった。
(遊園地満喫しに…違うか、ぐったりしてるし)
「直接会うのはこれが初めてだが…迷子の…王子様か?」
明らかに浮いてるお化け屋敷前の『存在』に、強羅 龍仁(
ja8161)も真顔で首を傾げた。
噂で聞くばかりであったが、成程、確かに特筆に値する容貌だ。場違いさの際立ち具合も凄まじいが。
「おっとろしい天魔が遊園地に現れたって聞いたからどんな奴かと思たぁが、おころ、ものごっつうイゲメンでねっか」
は〜、と若い外見に似合わぬ口調で背伸びするのは御供 瞳(
jb6018)。地元四国において山神の花嫁となるべく育てられた過去を持つ彼女は、即座に「ま、旦那様にはまげるがなー」と呟くほどに旦那愛。いつか迎えに来てくれると信じ、今日も花嫁修業に余念がない。
(立派なおがださなんべ!)
その後ろではフレイヤ(
ja0715)が両手握り拳でふるふる震えていた。
(遊園地で皆とキャッキャウフフ…だと…ついに私もリア充の仲間入りをしたのだわイヤッフー!)
喜びオーラが全身からぷゎゎゎー! 一般女子大生風コーデで気合も十分! たぶん今日のメンバーの中で一番気合入ってる。
その隣、十八 九十七(
ja4233)は逆に気もそぞろ。
(いえね、学園にも天魔なんぞゴロゴロ転がってます故、今更この手のをどうこうしようって腹は無いんですが…こう、意味があるのか無いのかは存じませんが、不用意に平和な非戦闘地域をバルカン半島にするのはご容赦をば…と…)
その耳が幽霊屋敷からの悲鳴を聞きつけてあからさまにピクッとなった。
(で、しかも、よりによって、何でまたこんな遊園地なんぞに居るんですかねぃ…ジェットコースターだの何だの、超物騒なモンがゴロゴロしてるじゃないですか…嗚呼、なんかげんなりしてきましたですの…)
じつは九十七、この手のアトラクションは大の苦手である。
興味本位で来てみたものの、恐ろしい(九十七視点)拷問具(訂正線)遊具の数々にすでに顔色が相当悪い。
「ん。あそこにいる、レヴィって使徒と遊べばいいの?」
そんな九十七の後ろ、ひょこひょこと後ろから顔を覗かせたのはフェイリュア(
jb6126)。初めて訪れる遊園地に大きな目を瞬かせ、遠くのレヴィを見た。
「レヴィ、不安な顔、してる」
「疲れておいでですね」
使徒と知己である千鶴とフレイヤから話を聞いていた御堂・玲獅(
ja0388)は、フェイリュアの声に思案深げに眉を寄せた。
「ま、とりあえず話しかけないと」
「せやね。気付かれてる様やし」
ふんす、と気合を入れたフレイヤに、千鶴も遠くに見える相手の様子に頷く。
どこか別方向に視線を馳せていたレヴィが、ふとこちらを顧みるのが見えた。
仮面のような無表情だった。
●
目があった瞬間に、相手の仮面が消えるのを感じた。
「お久しぶり? レヴィさん」
「貴方は…」
僅かに目を瞠り、ややあって微苦笑を浮かべる相手に千鶴も微笑う。
「またおかしな所で会うな」
「ええ。…その節はお世話になりました」
「いや、こっちこそ…ほんまに助かりました」
律儀にお辞儀する相手に、千鶴も心からの感謝を込めて頭を下げる。
助けられた命があった。それはきっと、彼に言ってもはぐらかされてしまうことだろうけれど。
「また学びに来たん? クリスマスみたく」
「いえ、今は…。そちらは?」
明言を避けたレヴィに、僅かに距離を感じた。無理もない。こちらは撃退士であるうえ、彼にとっては見知らぬ者の方が多いのだ。
「皆、同じ久遠ヶ原の学生なんよ」
全員を軽く紹介した千鶴の視線を受け、龍仁は目線が同じ相手に太い笑みを浮かべてみせる。
「今、紹介にあずかった強羅だ。宜しくだ。…ん? 俺の顔に何かついてるか?」
「いえ…」
ふとレヴィの眼差しが和らいだのは、その瞳の色のせいだろう。こちらの世界では紅瞳銀髪はそう珍しく無い。それでも、同色を見れば懐かしさを感じてしまう。
求められ無意識に握手をしたが、互いの手はかなり硬かった。戦いを知る者の手だ。
「御堂玲獅と申します。よろしくお願いします」
その傍ら、玲獅の柔らかな微笑みに、レヴィも微笑みを返す。玲獅の雰囲気がどこか母性を感じさせるからだろう。子猫の母となって久しい玲獅には、幻想めいた美貌とは裏腹に母の貫禄がある。
次に視線が動き、龍仁の後ろ、半ば隠れるような立ち位置で様子を伺っていた九十七を捉えた。お互い無言である。
面識が無いのもさることながら、九十七には敵対天魔を滅ぼすべしという信念がある。無論、むやみに闘いを仕掛ける気は無いし、現在も戦闘の意思はない。本当に無い。無いったら無い。
だが知らない天魔を即座に信頼して、というのも土台無理な話だ。そういう意味において、彼女の信念はこの場の誰よりもレヴィに近い。
よって自己紹介は互いに目視による認識確認になる。何故かレヴィの眼差しが、幼い弟、もとい妹を見るような懐かしさを帯びたのだが理由は不明だ。
「おらぁ御供瞳だっちゃ。よろしくだべさ」
全く物怖じせず自己紹介をしたのは瞳だ。あっけらかんとした様にレヴィが大きく瞬きをする。
「撃退士ってもんはー、一種のホストだっちゃよ。天魔がー、戦闘を求めるんなら―戦って〜、戦闘以外のもんさ興味あるんなら〜、なんか他のもんを提供するっちゃ」
「天魔と戦うだけでは無い、と」
「ゲストさーに関係なく戦闘でしかおもてなし出来ないのは〜、ホストとして二流だっちゃ」
大きく頷く瞳に、レヴィも成程と思った。
相手に合わせた柔軟な思考と対応能力――
(今まで出会った方々も、確かに一流と評するに値する方々でしたね)
そして柔軟性と言う点では誰よりも飛びぬけている女性が一人。
「いえーい!」
べちーん!
ものすごい音がしてレヴィがつんのめりかけた。フレイヤである。
「一緒にあーそびーましょーっ」
「え?」
流石に目を丸くしたレヴィに、フレイヤは笑う。
「せっかくの遊園地だもの。楽しまなきゃ勿体ないわよ」
「ゆうえんち?」
「そう! ひとりカラオケひとり映画館ひとりファミレスひとり焼肉えとせとら! ぼっちを極めた私にも行けない場所がある…それは此処、遊園地!」
熱意に押され、レヴィがこくり。
「皆で楽しむ為の場所だもの。今日だけは使徒とか撃退士とか関係なく楽しみましょ?」
「楽しむ為の場所、ですか」
「もしかして、知らないで、来た?」
幼子のようにじっと様子を見つめていたフェイリュアが声をかける。
「レヴィ、フェイが迷子になってしまったときのように、とっても不安な顔をしてた」
言われ、レヴィはつるりと自分の顔を撫でる。自分では分からない。
「何か、不安?」
「不安というのではないのですが……」
僅かに口を濁し、しかし全員の視線にややあってレヴィは白状した。
「ひとを待っているところです」
「何時間ぐらい待ってるんですかねぃ」
「五日ほどです」
なんて?
「時間にしてだいたい百三十二時間二十八分四十二秒です」
「ながっ」
「細かッ」
「いや時間単位に変換しなくても…というか、それは明らかに忘れられてないか?」
唖然とした一同にレヴィは遠い眼差しになる。
「何か気になることがあると、意識を奪われがちな方ですから……」
「え。主様、ってひと、とか?」
千鶴の声に、レヴィは苦笑した。
「いえ。主様はこういったことで『迎えに行く』ということはされませんので」
主様は放任主義だった。
「ずっとここで突っ立ってた、ってことは無いですよねぃ…目立ちすぎます故」
「ええ。ああいう表示の場所の中に隠れてました」
→STAFF ONLY
「…何かのイベント要員だと思われたんだろうな」
「思いっきり不法侵入ですの」
龍仁が遠い眼差しでぼやき、九十七が軽く肩を竦めてからふと離れた。近づこうとしていた女性集団に向け、圧倒的威圧感を伴った眼差しを向ける。蜘蛛の子を散らすようにして退散するのに、僅かに鼻で嘆息した。
「移動を推奨しますの」
撃退士一同は頷いた。
「隠れてた、ってことは動いても大丈夫なわけだな?」
「ええ。あの方が近くにおいでになれば分かりますから」
「それならここで立ち止まるより少しは移動した方がいいだろう。ここでは人目に付きすぎる。後、迎えが来るまでの間、少し皆と一緒に楽しまないか? 」
「ですが…」
龍仁の声に逡巡を示すレヴィに、フェイリュアが服を裾を軽く握って首を傾げた。
「心配しなくても、大丈夫だよ? ここにいる皆は、レヴィの探している人もきっと見つけてくれる。それに、ねぇ、見て、空があんなに青くて綺麗。レヴィ、知らない人が側に来てびっくりしてしまったかもしれないけど、乗り物に乗っている人はみんなすごく楽しそうでしょ?」
指し示す先、遠くに見えるウォータースライダーからは歓声が聞こえる。距離的に豆粒の様に見える人々の中、デカイ黒猫と白猫とパンダがいたような気がするが気のせいだろう。
「よろしければその方がお見えになりましたら、レヴィさんにお伝えできる様にしましょうか?」
やんわりと申し出る玲獅の隣で、瞳も声を重ねる。
「んだ。あんたの望みはわからんけんど、おらだづが力になってもよかべか?」
な? と問われ、レヴィはわずか数秒、迷うように沈黙した。待ち人の来訪以外にも気がかりなことがもう一つあるのだが、何も言わない彼等にそれを告げるのは憚られる。
「ここで待っていれば、迎えに来てくれる。ここは楽しい思い出を作るとこなんだって。だからそれまでフェイと遊んでいようよ?」
無邪気さの中に親身な優しさを含ませた声に、レヴィは懸念を脇へと寄せることにした。ここで立ち止まっていても意味は無い。
「入ってみん?」
おりしも千鶴が背後の建物を指さしたところ。
「一人やから余計目立つねん。時間あるなら一緒に遊ぼや、私等と一緒なら人避けにもなるで?」
ナンパ防止にもな、と言われてレヴィは苦笑した。フレイヤに背を押され、護衛のように周囲を撃退士に固められたまま建物の中へと進む。連絡役を買って出てくれた玲獅が微笑んで見送るのにお辞儀して、ふと思い出したように問うた。
「なんぱ、とは何ですか?」
●
「ええ、不足の事態に対応するために見張りは多いほうがと思いますの。これは戦略的撤退であります故、ええ、はい」
中の列に並ぶ前、速やかに退避しよう背を向けた九十七だったが回避忍軍の前にあっては難しく。
「折角や、楽しまんと損やで」
笑顔で背中を押され、引きつった顔のまま最後の関門をくぐった。嗚呼、その瞳に宿る確かな哀愁と悲壮さよ。現世に別れを告げるが如しの眼差しだったが、生憎周囲が暗すぎて誰にも気づかれない。南無。
「ここは任意の仮装した者が出てくるが危害は加えないから攻撃しては駄目だぞ」
一方の龍仁。こちらは遊園地初体験のレヴィに『幽霊屋敷とは何たるか』を教えるお母さんもといお父さん。神妙な顔は暗がりのせいで見えないが真摯な声はよく通る。
「あと、「こわーい」とか言って怖がると良いらしいぞ」
龍仁、まがお。
「こわーい、ですか」
レヴィ、まがお。
これを男二人が生真面目な声で遣り取りしているものだから漏れ聞いたらしいそこここで空気が振動していた。
「これは、怖い? 楽しい?」
「せって、まら並んだばっかでねか」
フェイリュアと瞳がほのぼのとした会話をしている傍ら、フレイヤは背の高いレヴィと龍仁の後ろにそっと隠れた。いやだってお化けとか超怖いですしおすし。
「あ、順番来たな」
係員が誘導を始めた。一歩踏み出せば、そこは妙に広い暗闇の道。
「普段悪魔ェをブチ■してんですからねぃ、この程度のふふふふ後ろから足音とかベタすぎて次の番の人とかほらちょっままっまっ前行かせていただいてももも」
「大丈夫ですか?」
明らかに大丈夫じゃなさそうな九十七にレヴィは神妙な顔。九十七の常ならば鋭い光を讃える瞳は虚ろに曇り、不敵な笑みを刻む口元は先程から僅かに震えている。
「なんでしたら止まって少し休憩でも」
「こんな所で止まれとか鬼ですの!?」
「あちらに小屋もありますし」
あちら、と指され、九十七は思わず前方を見た。
その瞬間
ダランッと腐乱死体(人形)が進行方向にぶら下がった。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ「すごい声量ですね」ああああああ言いたいことはそれだけか―――――――ッ!!」
凄まじい悲鳴に他一同も驚きを通り越して唖然呆然。突然の腐乱死体(人形)に驚くどころじゃない。
胸ぐら捕まれた状態のまま相手を抱き留めつつ、レヴィはふと気づいて龍仁に問うた。
「こわーい、と言うんでしたか?」
「このタイミングで言うのは問題だな」
「や。まさか、ここまでアカンかったとは…」
千鶴も驚きの結果に愕然としている。その傍ら、幽霊屋敷を楽しんでいる少女が二人。
「あそこ、死体、いっぱい?」
「らんばさね。下からいっぺではる」
無邪気な二人が見やるのは墓場。なるほど、確かに地面から手がぼこぼこと。
ぼこぼこと?
「こっち、来る?」
「出口さ向こうでねが。行がんばね」
ところでお気づきだろうか。現在、悲鳴をあげて怖がっているのは九十七氏一人である。
フレイヤも密かに怖がっているのだが誰か一人が怖がると逆に落ち着くのが人の心理。レヴィの服を握ったままわりと普通に歩けていたのだが亡者の群れにはさすがに顔がひきつった。
「あそこ通るとか!?」
「敵ですか?」
「いや敵はおらんから!」
やばい。むしろ撃退士側の反応が引き金になりかねない。
ゾンビ映画のように近づく死人()に、九十七を抱えたレヴィがフレイヤを背に守って対峙。想定外の危機に千鶴と龍仁が二人でずっと私と俺のターン。
「あれだぞ、あいつらが来たら「こわーい」というチャンスなんだ」
「せや、脅かし役の人等の為にも頑張って怖がらなあかんからな」
「十八達の見事な怖がり方を真似て頑張るんだぞ!」
※ツクナちゃんは真面目に怖がってます。
「さぁ来た、成果()を見せる時だ!」
龍仁の号令の元、死人軍団と撃退士+使徒軍団が正面からぶつかった!(イメージ)
「ぁ゛〜」「おうおう、ばか細け出来さね。蛆までおるでねか」「を゛〜〜」「これ、腸? はみ出てる? 肌の色、濡れた新聞? みたいな?」「う゛〜〜」「見ない見ない聞こえない聞こえない」「こわーい」「あ、そこちょっと退いてもろてええやろか、通れんし」「う゛」「はぐれないようにしろよ。手繋いでおくといいぞ」「ま゛〜」「ッッしゃァアアアアいい度胸だこの■レ■■ッ! こっちにばかり来にゃいゃああああああああああああああああああああああ!」「「「「「を゛〜〜〜」」」」」
なんということでしょう。リアクションの素敵な九十七、死者に超絶大人気。
なにしろ怖がってくれる人も少なくなった昨今、彼女の熱い叫びには係員一同心からの愛を感じる程。飴玉に群がる蟻の如く大変な大喜びで群がった。
「あかん、連れ出して!」
むしろ何の嫌がらせかと思える熱烈さに千鶴が退避宣言。慌ててフレイヤを背負い、九十七を姫抱きにしたレヴィを中心に大急ぎで出口へとひた走った。
出口に公開用写真撮影が待ち構えていたのを彼等が知るのは、後々の事である。
●
一方その頃、屋敷出口へ移動した玲獅は同地区にいる別班に連絡していた。
「はい。移動の準備をお願いします。…ええ。距離的にジェットコースターに行く可能性が高いです」
電話の向こうの声に耳を澄ませ、口元に淡い笑みを浮かべる。
「ええ。楽しんでいただけるといいですね」
暖かな笑みだった。
●
「天魔ェより酷いですの…」
ベンチに長々と伸びた人影一つ。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫に見えるんですかねぃ…」
「いえ、全く見えませんが」
ぐったりとしているのは無論、九十七。メリーゴーランドを間に挟んだとはいえ、ジェットコースターから始まる鬼のような行軍に乙女の心臓が耐えかねたのだ。
ぴと、と頬にあたる冷たさに目をあげれば、瞳から受け取ったジュースを差し出すレヴィの姿。
「次は其処のこーひーかっぷ、というのに乗るそうですが」
「嗚呼…ここで留守番しております故、楽しんでくるといいですの」
ぱたぱたと軽く手を振るのに、レヴィが困ったように苦笑する。仰向けに転がった九十七が眩しく無いよう、日影を作るためにやや屈んでいるせいで周囲の女性客が物凄い勢いでシャッターを切っていた。
※ツクナちゃんは大変コワモテイケメンなレディである。
「私がついとるさかい、強羅さん等と行ってき。せっかくやから御堂さんも」
「え? いえ、私は」
ふと何処かを見やる風なレヴィの斜め後ろ、フレイヤ達の様子を微笑んで眺めていた玲獅に、千鶴はチラと携帯を見せる。気づき、頷いて玲獅は小声で告げた。
「(先程から四人組と三人組がついてきてます)」
「(ん。おおきにね)」
頷く千鶴に九十七を託し、一行はカップコースターへ。
それを見送って後、九十七は体を起こした。
「冥魔ェ共も大人しくしてるみたいですねぃ」
「今の所は、やね。さて。向こうに連絡して次の段取りや」
「遠足の引率みたいな感じですの」
「まぁ、楽しそうならええんやないかな」
携帯を弄り、追ってきていると思しき集団へと向かいながら千鶴は微笑む。立ち上がり、ジュースをぷらぷらさせた九十七がふとぼやくようにして呟いた。歴戦の自分が、至近距離を難なく許してしまったことに唇を噛んで。
「…明らかに、使徒ェの力ではありませんですねぃ」
●
「コーヒーカップ!」
ばばーん! と大きなカップに皆で乗り込み、フェイリュアは中央のハンドルを掴む。
「これ、回す、書いてた」
「沢山回しましょうね」
「一人では乗れない乗り物!」
「おんもしぇ、おらだづが中身だっちゃ」
玲獅の声に、フレイヤと瞳がガシィッ! とハンドルを握りしめる。
「……。回すのですか」
違う場所に馳せていた視線を戻し、真面目にハンドルを握るレヴィに、龍仁がまたもや大変な真顔。
「如何に早く回せるかがポイントだ。これを早く回せば回せるだけ大人の階段を昇る。らしいぞ」
「大人の階段、ですか」
「そういえばいくつなんだ?」
「? 私ですか。人だった頃も合わせれば、今年の十二月に八百八十八です」
なんて?
思わず見やった全員の中、玲獅がハッと立ち上がってそのままカップを降りる。
「あ……」
「はちはちはち!? 末広がりすぎだわ!」
「おめ、いっぺ生きてんでねぇ」
フレイヤと瞳の声の向こう、降りた玲獅はこちらのカップに割り込もうと狙ってきた女性二人に笑顔で告げた。
「あの方に御用がございましたら私が代わりに承ります」
直後の遊園地側のアナウンスに、女性二人は渋々玲獅と共に別のカップに乗り込む。だが後に彼女達は玲獅に心からの感謝を捧げることになった。
「大人の階段は、これ以上必要なさそうだな」
「いんや、いるっちゃ」
「大人の、階段!」
龍仁の前、先の言葉を素直に信じた瞳とフェイリュア、目を輝かせてハンドルを掴んでいる。
「いっちばん早く回してあげる!」
よっしゃ! と腕まくりするフレイヤに、龍仁もそれならばと筋骨隆々とした腕でガシッと掴む。
「よし。全力だ」
さてここで思い出していただきたい。
ここに座りたるは最低でもオリンピック選手並みの力を有する「撃退士」五名+α。その全力が加わったコーヒーカップがいかなる運命を辿るか。
とりあえずこうなる。
ちゃん♪ちゃっちゃ…
ぎょるぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ
開始二秒で高速回転。
台座から外れてスライディングステージ。
神の采配の如き絶妙さで吹っ飛び柵を飛び越えOn the Earth。
なおもしばらく大地の上で回転するカップの下、あがった土煙は遠く園外からも見えたという。
「……乗らなくて正解でしたの」
ほのぼのとした乗り物が一転恐怖のアトラクションと化した光景に、九十七が魂の抜けた声で呟いた。
●
「大丈夫ですか?」
何度目だろうこの台詞。告げれらた龍仁は回る視界にふらつきながら片手を挙げた。
「ああ、大丈夫だ。しばらくすれば落ち着くだろう」
確かに声はしっかりしている。
「では、こちらで休んでいてください」
レヴィにお姫様抱っこで運ばれている最中だが。
「流石に、あれは、きっついわ……」
「凄く目立ってしまいましたね」
フレイヤを介抱して玲獅は困ったように微笑む。係員に謝って即離脱した一同だ。ようやく落ち着いたこともあって、ふと顔を見合わせ噴き出した。
「すごい、回った。遊園地、すごい」
「なかなか無い光景やったな」
「あ」
その時、フレイヤが気づいて声をあげた。
「なんだべまず?」
「なんでもないなんでもない」
皆に見られ慌てて首を振るフレイヤの横、今度は千鶴が携帯を見てギョッとなる。
「どうかしましたか?」
「いや、携帯の充電し忘れてて(やばい。鉢合わせる)」
玲獅の声に笑って答えつつ、千鶴は口の動きだけで危険を告げた。玲獅は素早く周囲を見る。
「目立ちすぎたからな。ちょっと施設に入ってのんびりするか」
気づき、龍仁がそれとなく話題を振った。近くにあるのは巨大なミラーハウス、もしくは列が出来ている観覧車だ。
「(列は拙いな)」
「(ミラーハウスかな。外で見張っておく)」
「(頼む)」
素早く合図しあう向こうでは、レヴィの手を引き、早くもミラーハウスに向かうフェイリュアと瞳の姿。
「玲獅さんも楽しんで来てな」
「まだ休養が必要ですの」
送り出す千鶴と嘯く九十七に背を押される形で、玲獅もミラーハウスへと向かう。
(中で誘いをかける方がいらっしゃらないとは限りませんし)
先に中に入ったレヴィ達を追いかける玲獅の耳が、その時、放送を耳にした。
『……茨城県からお越しのクラウンくん、レックスくんがウォータースライダー前で待ってます……』
「冥魔ェはついに迷子放送ですの」
胡乱げな目になった九十七はもちろん、建物の中、幾つもの大鏡に囲まれ、様々な角度に自分を映して楽しんでいる人々も知らなかった。どこかへと視線を馳せていたレヴィが、ふいに口元に淡い笑みを刻んだのを。
(ああ……あの方達でしたか)
●
「ここさ、出口までほっつぎあるぐで」
瞳に説明され、全面鏡張りの光景に、レヴィが興味深そうに周囲を見渡す。
「くるくる、回ったら、皆回る」
フェイリュアが楽しげに笑っている。その様子を眺めてから、レヴィはすぐ近くにいたフレイヤに声をかけた。
「先程は、どうかされたのですか?」
「ん? うーん」
改めて問われるのに、フレイヤはちょっとだけ微笑った。
「さっき、笑ってたでしょ? それで」
「?」
「舞踏会の時も言ったけど、魔女は見知らぬ誰かを笑顔にする生き物なの」
自身の胸に手をあて、フレイヤは柔らかく微笑む。
「だから、たくさん笑って欲しいの。貴方の笑顔を見ると、私も嬉しくなるのよ」
その気持ちを何と呼ぶのかはよく分からない。恋とはまた違う気がする。
たぶん、あえて言葉を当てはめるとすれば、母親の気分、というのに似ているかもしれない。
その行く末を見守りたいような、何かあれば手を差し伸べたくなるような。
「ありがとうございます」
「ん? 今の笑いはちょっと違うわね?」
「少し……主様を思い出しまして」
ふと微笑んだレヴィの答えに、フレイヤは軽く目を瞠る。
「主様?」
「ええ……以前も思ったのですが、少し、似ておられます」
例えば、眼差しや、そこにある温もりが。
(てことは、主様は『お母様』……?)
なんとなくあたりをつけたフレイヤの背に、瞳とフェイリュアがぶつかる。
「はぐれないように手ぇ繋ごっか!」
鏡の迷路に迷いそうな二人に、フレイヤは笑って手を差し伸べた。
「申し訳ございませんが」
別の道から鉢合わせかけ、近寄ろうとしていた人々に玲獅が頭を下げる。わりとすんなり諦める人々にほっとして踵を返し、すぐ近くにいたレヴィに玲獅は驚いて立ち止まった。
「いつからおいでに?」
「先程です」
はんなりと微笑んだ玲獅に、レヴィも淡く微笑む。
「ずっと、応対をしておられましたね。……理由を伺っても、かまいませんでしょうか?」
玲獅はその問いに微笑む。
「ここは楽しむ為の場所です。ですから貴方にも、振り返って楽しいと思える思い出をここで作ってほしいと思ったからです」
「思い出、ですか」
「勿論もめ事から貴方とこの場所を守りたい気持ちもございます」
柔らかでありながら芯の通った声と佇まいに、レヴィは何かを懐かしむような目になった。
「……エッカルト様も」
「え?」
「今のあなたと同じように……してくださっていました」
エッカルト、と玲獅は口の中で呟く。それはレヴィが待っている天使の名前だ。十四〜五歳ほどの外見をした金髪の天使。人に対してはあまり親しみをもたない天使と聞いている。なのに、
「……守ってくださっていたのですね。貴方を」
見知らぬ天使にふと親近感を覚えるのは何故だろう。もしかすると、目の前の使徒があまりにも穏やかな目をしていたからかもしれない。
玲獅の声に、レヴィも頷いた。
「遥か昔から……私にとって、心休まる土地などありませんでした。天界に連なる私が、今もこの世界にとっては『敵』であるのと同様に」
楽しいと、思う気持ちに嘘は無い。
そう思わせてくれた人々への感謝も。親しみもこの胸にある。
だが、忘れてはならないことがあるのだ。
自分はあくまでも『使徒』だということ。
ここはこの地に生きる人々の土地であり、自分が侵略者の側に在していること。
そして、使徒である以上、果たさなくてはならない職務を負っていること。
例えどのような心情があろうと、自分は決して彼等の『味方』にはなれないのだ。この地が、自分にとって安らげる土地では無いように。
――それでも。
「それでも……手を尽くしてくださる方が、いつも、安らぎをくださいました。息をつけるように、と」
決して心休まる地ではない場所で、けれど少しでも安らげるようにと。
彼女のように。
天界にあって、ルスや――影に回りながら守ってくれたエッカルトのように。
「ありがとうございました」
心からの感謝を込め、レヴィは頭を下げる。
ほんの僅か、謝罪をも込めて。
●
「えっ!?」
周囲を警戒していた九十七は、千鶴の声に眼差しをあげた。
「何事ですの?」
「道化師班からや。目標を見失ったって」
「……猫ェは?」
「そっちからの連絡はまだ……いや、来たな。異変無しらしい」
「ちィっと拙い感じですの。道化師が猫に会いに行った、のならいいんですがねぃ」
「道化師班はこの建物の裏手を通過するはずやったんやけど……」
鉢合わせる可能性が高かった為、レヴィを建物内に送り込んだのだ。向こうからわざと入らない限り鉢合わせることは無い。
「このミラーハウス、裏からも入れる仕様になってますねぃ」
「う」
(まさか、わざわざ会いに行ったりは……)
千鶴は呻く。
彼女達の動きに表立ったミスはほぼ無かった。他班とも連携が取られていた。
ただ彼女達は失念していた。
相手が、人間とは別の思惑や義務をもって動いている生き物だということを。
○
(彼等は知っていたのでしょうね)
この四国でかつて見かけた悪魔。
それは使徒である以上、決して無視することは出来ないもの。
レヴィは歩く。
遠くで自分を呼ぶ声が聞こえた。
立ち止まり、レヴィは鏡へと視線を向ける。
音は無い。
けれど居ると分かった。
鏡の中の自分と目があう。
その向こう側から、どこか興味深げな、愉しげな声が聞こえた。
「……おや、貴方でしたか」
鏡の中の自分が微笑う。どこか苦笑めいたような、薄い笑みで。
「直接お会いするのは初めてですね……狂奏の道化師殿」
今、心穏やかなのは、きっと撃退士達のおかげだろうと思いながら。
●
「いたな」
姿を見失っていたのは僅かな間だった。鏡の向こうから出てきたレヴィに、龍仁はほっとする。
「はぐれるとは思わなかったぞ」
「申し訳ありません」
「いや、責めているわけじゃないんだ。まぁ、迷路だしな」
龍仁の声に、レヴィも淡く微笑む。
「ええ……迷うもの、ですね」
「?」
どこか哀愁をともなった声に龍仁は首を傾げる。そのレヴィの手をフェイリュアがとった。
「あのね、フェイも迷子になって久遠ヶ原に来たんだよ。すごくすごく寂しかった、不安だった。だけどね、ここにいる皆が優しく迎えてくれたんだ。大丈夫だよって。…今は、レヴィが迷子みたいな顔してる。だけど何も怖がることはないよ。皆優しくしてくれる」
勇気づけるような声に、レヴィは微笑んだ。
「…そうですね」
「ねぇ、レヴィ、外に出たら、観覧車に乗らない? 天辺まで昇ると、空がとても近いよ。白い雲に、今にも手が届きそう。何でもできるって、思ってしまう」
「雲に、手が」
その空高くに。
「レヴィとフェイ、立場が逆で、堕天使と使徒、もう道は交わらないかもしれない……でも、今日は隣同士でいれるんだよ。それって、すごいって思わない?」
戦わない、という選択。
共にある、という選択。
一つ違えば、全く違う未来が来るこの世界の中で。
「ふたりはきっと求めるものが違う、そう感じるけれど、今は、また迷子にならないように、手を繋ごう?」
別れなければいけない、そのときまで。
レヴィは僅かに目を伏せ、口元を綻ばせた。
いつか別れは来ると分かっていても。それでも――
「……ええ」
今は、手を。
未来は未だ、定まってはいないのだから。