風に血の匂いが混じっていた。
「ちくしょう…早く助けねぇと…!」
川崎 クリス(
ja8055)は魔法書を握りしめた。胸を焼くのは激しい焦燥。事が起こってからしか赴けない悔しさ。
先頭を駆けるのは陽動を引き受ける部隊11名だった。後の救出班の為、光を纏ってひた走る。
滾る怒りを抑え、春名 璃世(
ja8279)は大剣を具現化させた。幻のように舞う羽毛は光纏によるもの。平時は純白のそれが、押し殺した怒りに金色の輝きを宿す。
「天魔に家族を…未来を奪われる人をこれ以上増やさない為に、私は戦う…!」
その前を赤い髪が流れた。
「ふざけた真似をしやがりやがって」
アカーシャ・ネメセイア(
jb6043)の押し殺した声に久原 梓(
jb6465)は頷く。
「小さい子供を狙うだなんて許せないわねっ」
久原の怒りはアカーシャに負けず劣らず激しい。どれほどの命がすでに奪われたのだろうか。それを思うと怒りと悔しさで心が千々に乱れる。
「こういう事を起こす輩が大嫌いでね」
黒鉄の大剣を持つ手に力を込め、アカーシャは怒りと共に低く独り言つ。
「…ぶっ潰してやる」
「ダイナ!」
L・B(
jb3821)の呼び声に応え、蒼き竜が顕現した。
「きつい現場だが、頼んだよ」
その僅か後ろ、胸に蟠る熱い憤りを堪え、コンチェ(
ja9628)は剣を持つ手に力を込めた。
「御遊戯の発表会だったというのにこのようなことに…」
楽しみにしていた子供達も多かったろう。なのに、それを嘲笑うかのように、この惨劇。
(虫籠のヴァニタス…子供達に恐怖を植え込んだことは許さん!)
怒りを胸に走る人々の隣、明らかに目立つ影一つ。
「幼稚園なのでフリフリエプロンつけて参上!」
ZUBAAAAN!
正直いきなりテーマ変わったんじゃないかと思ったがそんなことは無かった。Marked One(
jb2910)、幼稚園だからと保父さん的衣装を目指してくれていたようだが全身タイツと覆面でおまわりさんこっちです。
「私がマスクとったら子供全員ショック死してマサカの大失敗確実だから陽動行きマショ」
キラーン☆と無駄に全身タイツを輝かせたMarked、地味に自覚はあったもよう。悲惨な現場だからと敢えて笑顔を与えに来…てるんだよね?
「救出を素早くするにも、どれだけ敵を引き付けられるか、ね」
百夜(
jb5409)はすでに見え始めている甲虫の巨体に目を眇める。
「んー、そこそこ巨体みたいだし大きな部屋に多くいそう?」
「発表会があった、って言ってたよね」
L・Bが呟く。百夜は頷いた。
「あと、昼寝部屋みたいなところとか」
護符を手に千菊 絢子(
jb1123)がL・Bの傍らを駆けた。
「一人でも多く生還させますの!」
周囲に舞う色とりどりの蝶に似た光は光纏。その様は儚く舞う花弁にも似ている。
(戦闘は怖いですけれど…対抗手段を持たない方々、ましてや幼い子はもっと怖い筈ですわ)
「まずは遊戯室を!」
すでに建物外の敵がこちらを認め振り返りはじめている。その中へむしろ飛び込み、コンチェは剣を振るう。
「陽動というよりは囮だな。如何に長く引き付けるかが肝心だ。飛ばしすぎて息切れしないよう気をつけろ」
「了解」
神前 梓(
jb6024)の声にクリスが力強く応える。
周囲を見渡し、神前は冷ややかに告げた。
「覚悟するといい…惨劇の代償は己の命だということを」
●
(世界よ、教えて。命が何処にあるのかを)
炎武 瑠美(
jb4684)は世界へと意識を解き放った。広大な意識圏で数多の反応が返る。
「建物内右手前方生命反応三! 前方に八! 左手前方に三!」
声に頷き、救出班が屋内へと突入する。それを見ながら瑠美は僅かに唇を噛んだ。
(範囲が…足りません)
技としてはかなりの広範囲を網羅する生命探知だが、建物全域を一人でカバーするのは難しい。
(ああ…また一つ、夢が遠ざかる)
どこか微睡んだままのような瞳をふいに細め、不破 怠惰(
jb2507)は護符を手に具現させた。その隣を駆けながら、恒河沙 那由汰(
jb6459)は死んだ魚のような目で現場を見据える。
脳裏に蘇るのは大切だった少女の姿。この手から離れ、失ってしまった命。
(俺に…)
ともすれば暗くなる視界を押し上げ、那由汰は屋内へと飛び込む。
(俺に誰かを助ける資格があるのか…)
その胸に癒えぬ傷を抱えて。
(中々状況は厄介な様で…)
屋内は赤に染まっていた。安瀬地 治翠(
jb5992)は痛ましげに眉をひそめる。
思い出す。――痛みを背負う小さな背中を。護ると誓った当主の姿を。
(そう、護らねば……)
誰を。
誰かを。
(その為に撃退士になったのだから)
そんな治翠の傍ら、当主である時入 雪人(
jb5998)は駆け抜ける。
(俺は全能じゃないから全てを救う、なんて言わない)
怜悧な瞳に宿るのは憂愁と静かな怒り。
(でも、やるべきことは、分かってる)
子供の頃に発現した力。それは迫害を呼び自身を傷つけるものとなったけれど。
この力は――誰かを助ける為のもの。
呼び出されるは【ティマイオス】。その頂に魔力刃を閃かせて。
(時入家当主、時入雪人――参ります)
資料を読み込んだ時、現場の悲惨さは想像できた。草刈 奏多(
jb5435)は静かに心の中で呟く。
(自分は、自分の…仕事をする…)
感情で動きを阻害させない為に。
(幼きを殺戮する事に何の楽しみがあるのでござろう?)
未来を奪われた無惨な遺体に、エイネ アクライア(
jb6014)は僅か一瞬、目を伏せた。
(このような愚行……拙者は好かぬ)
事切れて尚、見開かれた瞳に惨劇を映す幼子の前に屈み、その瞳と閉ざさせる。
その後ろを狙い、一匹の甲虫が歩を進める。だが――
「遅れを取ると思うたか?」
回避し、エイネの雷閃が相手の体を裂いた。その真横で、白閃が煌めく。
「隙を突いたつもりかしら。……甘いわね」
白輝を宿す槍で、ユズリハ・C・ライプニッツ(
jb5068)は勢いのまま深く深く相手を貫いた。
「……この惨劇の代償、払ってもらうわ」
●
「随分ひでえことしやがるな…くそ、怒んのも悔しがるのも、まずは生存者を助け出してからだ!」
身の内で荒れ狂う憤りを押さえつけ、ロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)は焔の如き剣を抜き放つ。怒りを宿す瞳が青々と輝いた。
「くっくっくっ‥‥手を尽くすかね」
僅かに肩を竦め、錦織・長郎(
jb6057)の手に銃が具現化される。声とは裏腹に、銃を呼び出して後の瞳には鋭利な気配が漂う。
大きいとは決して言えない幼稚園の中、蠢く甲虫の姿に鈴森 なずな(
ja0367)は口元を僅かにひきつらせた。
「虫はあんまり好きじゃないんだけどなあ」
けれどその瞳は虫から逸らされることはない。
遊戯室に至る道すがら、現れた甲虫にアウルの弾丸を放って永宮 雅人(
jb4291)は顔を顰めた。
「……醜悪だな」
零れた声は自覚よりも遥かに低い。
「こ……のぉ〜っ!」
探索の邪魔をするように現れた虫に、深森 木葉(
jb1711)は強力な風刃を放った。
「先に行って〜!」
留まり、足止めを買って出た少女に雅人は頷いた。
木葉は黒白の魔法書を構え、立つ。
(同じ痛みを持った子供を増やさないためにも…)
「ここは絶対、通さない!」
「そこが遊戯室です!」
「これ……は」
遊戯室に乗り込んだ全員が一瞬、息を呑んだ。
麻痺した鼻に刺激を感じる程、濃密な血の匂い。
遺体が見えた。
血の海だった。
最早生きている者などいないのではないかと思うほどに、ばらばらに食いちぎられた屍が床に散らかり、壁を赤に染め上げていた。
「ッ……!」
想像を絶する悲惨な光景にロドルフォは呻く。咄嗟に血塗れたカーテンを引き剥がし、無惨な遺体を隠した。
(これを見せては駄目だ!)
幼い心にどれほどの苦痛だろう。大人ですら心を病みかねないというのに。
「殲滅を!」
「てめェの相手は俺だ」
一斉に動き出した虫の一匹が吹き飛んだ。光の波を放ち、マクシミオ・アレクサンダー(
ja2145)は大きく開かれた入口の一つに立ち塞がる。後続の虫とぶつかり態勢を崩した虫に雅人が刃を振るった。
(鼓動する命は助けんだよ)
澄み切った水面の如き刀身を閃かせ、雅人に向かいかけた虫を相賀翡翠(
jb5879)は切り裂く。
(仲間も全員だ)
命とは尊いもの。
そしてそれを護る為、誰かがその命を犠牲にしてもならない。
(俺の刃は、その為のものだからな)
B班が遊戯室に突入した報告を受け、A班は東側へと足を進めた。
「あちらのようだな」
眠たげな眼差しの奥に理知の光を秘め、怠惰は躊躇なく部屋に飛び込む。中の虫が一斉に振り返えるのに、不敵な笑みを浮かべた。
「……ほぅ」
「内部三匹の虫を確認!」
目を細めた怠惰の横に治翠が着地する。二人、同時に魔具で攻撃した。
「ふむ。一撃では倒れんか」
「ですが、さほど強度はありませんね」
傷つき、明らかに二人をターゲットに定める二匹。そこへ、無言のまま振るわれた那由汰の鞭が空気を裂いて襲い掛かった。大きく攻殻を罅割れさせた虫を雪人が魔刃で切り裂き、仕留める。
その雪人に向かい、もう一匹が飛びかかるような態勢をとった!
「雪人さん!」
治翠がハッとなって声をあげる。
瞬間、紫電の刃が眼前を駆け抜けた。
「拙者の目が赤いうちは不意打ちなどさせぬでござる!」
エイネの声と同時、甲虫の前足がぼたりと落ちた。駆けより、菱盾で止めをさした治翠が雪人の傍らに立つ。
「……無茶はしないでください」
雪人はチラとだけ治翠を見る。新たな敵へと向き合い、小さな声で呟いた。
「……わかってる」
「虫野郎、覚悟しやがれ!」
煌めく氷の錐が放たれた。蠢く虫がクリスへと標的を変更する。だが最大射程のクリスまでには距離があった。
「派手に行く! 巻き込まれないでくれよ!」
L・Bの警告に合わせ、ダイナの姿が一瞬ブレるように広い範囲に残像を放った。爆発的な力による広範囲攻撃だ。
「敵意が来たね……!」
攻撃されたことに怒りを覚えたのか、所々体を欠けさせた虫がL・Bを向く。身構えるL・Bの横に璃世が走った。
「屋内からも来ます!」
仲間の苦痛を感じ取ったのか、それとも敵愾心が近場で連動しているのか、めきめきと壁を壊しながら甲虫が家屋から出てきた。
それを確認し、璃世はタウントで自らを囮にする。
「さあ、おいで。今度はお前達が狩られる番だよ!」
クリスが補助の為に密かに魔法書を構える中、璃世は声を張り上げた。
「北へ!」
救助班と一般人達を護る為、陽動班は戦場を北へと押し上げるべく動く。釣られるようにして動く甲虫を睨み据え、神前は低く呟いた。
「四体……か」
鋭い呼気と共に振るわれた刃が甲虫の胴を切り裂いた。吹き出す体液を避ける動作に合わせ、神前の闇色の髪が虚空に流れる。
「殻は硬い……が、隙間をつけば脆いものよ」
冷ややかに見据えるその姿は凛として美しい。抜き身の刀を見るような、不思議な気配だ。
「後ろからもう一匹来てるみたいだね」
攻撃の合間、状況を他班に連絡した百夜が告げた。璃世が強い眼差しで頷く。
「重畳です。救助がやりやすくなります」
「ふふ。では、気張ろうかね」
「はいっ」
艶やかに微笑む百夜に背を押されるように、標的となった璃世が大剣を振るう。追撃するのはクリスの魔法書。畳み掛け、その数を減らしていく。
「西から新手!」
「おびき寄せられて来たねぇ!」
コンチェの声にMarkedは身を躍らせる。
「Let'party time BABABABA BANG!」
Markedのクロスファイアがアウルの弾丸を放った。踊るように位置を変え乱射するMarkedに甲虫の一匹が向き直る。そこへ久原が突っ込んだ!
「消えなさいよっ」
怒りのままに刀を振るい、戦場を駆ける。
「お嬢ちゃん、突っ込み過ぎだ!」
その首根っこをアカーシャが掴み、問答無用で引き寄せた。
「陽動でしょ!? これ位やらないでどうするのよ!」
「無謀と勇猛は違うだろ! 全員助ける為にも、自身の身もきちんと守ってくれ」
強く言われ、久原はぐっと詰まった。一瞬口をもごつかせ、顔を赤くしてそっぽを向く。
「分かったわよ、ふんっ」
密かに心配して見守るが、どうやら遠隔攻撃での支援中心に切り替えたもよう。アカーシャは胸をなで下ろした。
(やれやれ……頼むから、怪我なんかするんじゃねぇぞ)
「これで、こちらは五体撃破ですわ」
やや乱れた呼吸を軽く落ち着かせ、絢子は符を構えて周囲を警戒する。
すでに屋外に出ている虫は駆逐したとみていいだろう。あとは屋内。そして、居る危険のある変異種。クリスは通信を入れた。
「救護班、状況そちらの状況は?」
●
「もう大丈夫……よく、耐えたわね」
震えながらも必死にこちらを見返してきた幼子に、目線の高さを同じにしながらユズリハは声をかけた。歯を食いしばっていた子供の瞳から大粒の涙が零れる。
どれだけ怖かったことだろうか。地獄のような光景の中に取り残されて。
不器用な手つきで撫で、ユズリハはその小さな体を抱き上げた。
「強い子……さぁ、皆の所に帰ろう」
ぎこちなくも暖かな仕草に、子供の体からようやく強張りが溶けた。
「もう大丈夫だよ〜。つよ〜いお兄ちゃんたちが来てくれたからね〜」
母親と思しき女性の腕にすがりつき、硬直した様に小さくなっているもう一人の子供に、木葉は優しく声をかけた。その傍ら、震え、まともに立てない女性になずなは手を差し伸べる。
「親は子供を守るものだろう? しっかり気張ってね、ママさん」
子供、の一言に女性は青ざめた顔のまま頷く。腕に縋りつく子をしっかりと抱きしめ、懸命に足に力を入れた。
それらの様子を確認してから、索敵をしつつ翡翠はクリスへと報告する。
「こちらB班。虫四体を撃破。救助者は三名だ」
『こちらのと合わせて虫は九体撃破ですね。A班の状況が分かり次第また連絡します』
「おう」
警護にあたりつつ、試してくれないかと言われ意思疎通を発動させようとした長郎は頭を掻いた。
「ピントの合わないチューナーには送信出来ない、ってところかね」
相手をきちんと認識できない状態では意志疎通も効果を発揮しない。見知らぬ姿の見えない第三者には適用できないのだ。
「意志疎通、駄目でしたか〜」
「無差別なものではないしね。もう少し位置が特定できれば可能だろうけど」
木葉の声に肩を竦め、長郎は銃を手に人々を安全地に移動させるべく歩き出す。
その向かい側、探索の合間に惨い遺体をカーテン等で覆っていた雅人は、冷静にその数を数えていた。
(……十二体目、か)
全体把握の為、A班と情報共有に通信をと思ったところでそれに気づいた。
「声」
「え?」
「泣き声が聞こえる。奥だ」
飛び出した雅人になずなが続いた。周辺警護の為に未確認地を探っていたマクシミオもそれに気づく。
「中か!」
遊戯室の奥、きちんと閉まったドアを開け放ち、三人は同時に動いた。
「この……!」
声よりも早く、なずなの苦無がロッカーの戸口に覆いかぶさる虫の背を襲う。同じ位置を雅人の放った弾丸が貫いた。
「あァ、めんどくせえ…消えろ」
こちらへと振り向く虫に、マクシミオは横合いから無造作に光の波を放った。弾き飛ばされ、絶命した虫に鼻を鳴らす。
そうしてロッカーを見た。
否。
ロッカーの前に在る――
遺体を。
「こい…つァ…」
凄惨たる光景に、マクシミオは息を呑んだ。同じくその光景を見た二人も声を失う。
命尽きる寸前まで、いや、尽きて尚背後のロッカーを庇おうとしたのだろうか。無惨に食い散らされた女性と思しき遺体だった。
はっきりと確定が出来ないのは、頭部と脊椎しか残っていないためだ。その頭部も、半ば以上皮を剥がれ肉を食い荒らされている。
「後ろの…ロッカー」
なずなが呻くように呟いた。すすり泣く声が聞こえるそれに、雅人は頷く。
マクシミオは息苦しさを感じた。理由は分からない。
(庇った…のか…)
命を挺して。生きながら喰われる、地獄のような苦痛と恐怖と、絶望にすら耐えて。背後の我が子を。
その時、戦闘音を聞きつけ駆けつけた翡翠が部屋に飛び込んできた。
「虫か!?」
「倒した。この中に、生存者がいる」
「わか…」
声が途切れたのは、やはりその遺体を見た為だろう。一瞬息を詰まらせ、翡翠は近くの窓からカーテンを引き剥がす。受け取った雅人が遺体を包み横たわらせる傍ら、あちこちが歪んだロッカーを一息に開けた。
「やぁああッ!」
悲鳴が上がった。錯乱し、泣き叫ぶ子供の体を翡翠はその体で抱き留める。
「落ち着け! 助けにきたんだ!」
「や――ッ! わぁあーッ!!」
こちらが撃退士だということも理解出来ていないのだろう。必死に逃げようとする幼子の体が、その時、ビクッと震えた。
『落ち着け。助けに来たんだ。家に帰りたいだろ?』
硬直した幼子に、再度、耳では無く直接脳裏に声が響く。
幼子は弾かれたように顔を上げた。大きな瞳で見上げてくる子供に長郎は微苦笑を浮かべる。
『家に、帰るぞ』
その言葉は確かに、二重の意味で子供の心に届いた。
動きを止めた幼子を駆けつけたロドルフォが受け取る
「もう大丈夫。大丈夫だ。…お母さんの為にも、ここから出よう」
無惨な遺体は決して見せないよう、その身にしっかりと抱きしめて。
「もう…大丈夫だからな」
子供は何も言わない。ただ、すすり泣く声だけが胸に響いた。
その警備につきながら、マクシミオはほんの僅か、黙祷するように目を伏せる。
そうして、決然と踵を返した。
●
『こちらで見つけたご遺体の数は十三人なの〜、救助は四人。そっちの状況教えて〜?』
入って来たB班からの報告に、奏多は告げる。
「今…保護場所、に…敵」
通信の向こうで木葉が息を呑むのが聞こえた。奏多は確かな声で告げる。
「迎撃…する」
『がんばって…!』
頷き、奏多は斧を構えた。
「…邪魔は…させない」
奏多はその身をもって立ち塞がる。黒斧の一撃を放ち、背後の人々に静かな声で告げた。
「安心して…皆さんには…指一本触れさせない…」
身を寄せ合い震える三人の中、恐怖に声をひきつらせるようにして子供二人が泣き始める。
「子供を…」
ぎしり、と治翠の拳が軋んだ。忍びより、飛びかかろうとする甲虫へ向かい、怒りを込めて盾をたたきつける。
「…泣かせるな!」
円を描くように体を回し、雪人の機械杖が甲虫の側部を穿った。崩れ落ちる甲虫に、奏多が視線を移送員に向ける。
「移動…させよう。B班の報告…合わせると、もう他に…要救助者は…」
その言葉を聞き、ユズリハの顔に一瞬表情が零れかけた。だがすぐにいつもの表情がそれを隠す。
「参りましょう。皆様を安全な所にお送りします」
差し出されたユズリハの手に母親がつかまる。雪人がハッとなって顔を上げた。
「……来る」
轟音と共に黒いものが視界を掠める。那由汰が目を瞠る。
「変異種!」
子供達の悲鳴が木霊した。
●
その僅か一分程前。
「いたぞ……! 変異種だ!」
陽動班一行はついにその巨体を目に捉えた。黒々とした攻殻は黒鋼の鎧の如く、六足の足はいずれも人間の太腿より太い。
「大きい……!」
L・Bが呻いた。小型トラックに迫る巨躯だ。
突然、その変異種の側面を炎の色が染めた。舞い上がった炎に絢子は目を瞠る。
「てめぇが中ボスってところか?」
火のついたたばこを片手に、アカーシャは悠然と変異種を見下ろした。
「たいして傷んでねぇな……魔法耐性あり、てとこか」
アカーシャの声に絢子はウィングクロスボウを構える。
「なら、物理で攻めるのみですわ!」
全員が武器を構え、包囲しようとしたところで変異種の巨体が浮き上がった。
「ぶちかましがくるぞ!」
体を浮かせた甲虫にクリスが警告を発する。一斉に動いた一同の中を虫の羽音が響いた。凄まじい風圧に髪が嬲られる。
「! いけない!」
全員の無事を確認して、瑠美は気づいた。自分達を蹴散らすかのように技を解き放った変異種の向かう先、その頭部が向く方向。
「あちらには救助班が!」
「変異種がA班の所に!」
木葉の切羽詰った声に、南に走っていたB班に緊張が走った。
「行って!」
僅かな逡巡も挟まず、ロドルフォは戦闘を担う人々に叫んだ。
「こちらはもう目と鼻の先だ! あちらを頼む!」
一秒も無駄にせず、翡翠が走る。雅人が続き、なずなが振り返り叫んだ。
「そっちも最後まで気を抜かないで!」
「そっちこそ気を付けろ」
「後で合流する!」
長郎とマクシミオがその背を横目に駆ける。転じる彼等の視線の先、到着を待つ救急隊の姿が見えた。
「負傷者は!?」
「避けきった! 大事無い!」
治翠の声にユズリハが応える。
「移送員と護衛は離脱を!」
治翠の声に重なるように不吉な羽音が響く。
「このタイミングで!」
飛び込んできた通常の甲虫に、防壁陣を纏いユズリハは自ら盾となった。衝撃が全身を軋ませる。
(願うは、誰一人失うことなく、護り通す事!)
だから渡さない。唯の一人も。
「これ以上は…許さない!」
「ユズリハさん!」
「後ろの子を、早く!」
変異種がそのユズリハと背後の幼子に向く。
「させぬ…!」
怠惰の姿が掻き消えた。否、あまりの速さに目が追いきれなかったのだ。
(世のあらゆることはどうでもいい)
遥か先のように感じた敵の姿は目前に。
(私の願いは人の子の奪還のみ)
呼び覚まされしは漆黒の杭。両足に宿るは呪言。変異種を穿った杭を蹴りつけ、怠惰は幼子を抱えてその場を離脱する。
「それは尊きものだ。君の触れて良いものではない」
そして駆けた。その傍らを奏多が護る。
「お二人は拙者に任せるでござる!」
ふんぬ! とばかりに両腕にそれぞれ母親と子供を抱え、エイネは全力で駆けだした。
より早く。
より深く。
高じる思いと修練が生み出した―歩法:磁滑―。その機動力を以てエイネはユズリハと共に走る。
「今だけは拙者の方を見ているでござるよ! そうすれば怖い場所からはあっという間でござる!」
道中の凄惨な光景を見せぬ為、エイネは心を込めて告げる。もう大丈夫だから。悪い夢は覚めるから。
「もう決して、貴公等を傷つけさせぬでござる……!」
一般人を抱え離脱する人々を背に、残った三人は変異種と通常種の前に立ち塞がった。
「不利…かな」
「いえ。大丈夫です」
雪人の声に治翠は首を横に振る。何故なら――
「これ以上ヤらせる訳にはいかねぇんだよっ!!」
信頼に足る仲間が駆けつけてくれているのだから。
●
クリスの声と同時に放たれた異界の呼び手が変異種の体を束縛した。
「やぁっ!」
璃世の大剣が変異種の足を狙う。
(機動力を…削げれば…!)
「一般の人達は?」
「先に離脱させた!」
「了解――なら、最早遠慮は無用だ」
神前は静かにそう告げた。
「! 新手が追ってる!」
子供達の悲鳴に久原は咄嗟に護符を放ちながら叫んだ。
「こちらで惹きつける!」
その前に飛び出し、コンチェは剣を振るう。
(どれだけいようと、一体残らず撃破する!)
例えどれほど傷を負おうとも、圧倒的な力を見せつけられても尚、
(救出班の邪魔はさせん!)
思いは一つ。
(必ず生存者を救出してみせる!)
それらの戦闘を見据えるように、変異種がふいに上体を上げた。
好機か。表に反して柔らかい腹部を狙い刃を構えた一同にクリスが叫んだ。
「超音波だ! 離れて!」
大気が軋んだ。
「きゃあ!」
音だけではない力を伴った力の波が広範囲の人々を捉える。
「く…くらくら、します!」
絢子は回避すらままならなくなりそうな感覚に頭を強く振る。衣服から出ている部分が発赤しているのに目を瞠った。超音波によるものだ。
一方、先に戦場を離脱したA班はB班と合流していた。しつこく追おうとしていた通常種になずなが刃を振るう。
「この子達に、これ以上、怪我なんかさせない!」
「さぁ、君の相手は私よ」
追いついた百夜が朱の刃を振るった。凄まじい衝撃に虫の体が仰向けにひっくり返り、そのままピクリとも動かなくなる。
「今の内に急いで。変異種が…」
言いかけ、百夜は目を見開いた。
「こいつ…向こうを狙ってる!?」
同じ頃、その巨体の近くで大剣を振るっていたアカーシャは一向に自分達に注意を向けない変異種に焦りを抱いていた。ひやりとした一同の前、またもや浮き上がろうとするように変異種が羽根を広げる。
「させる、か!」
L・Bの意思に応え、ダイナがサンダーボルトを放った。雷撃に打たれた変異種が身を震わせる。だが、止まらない!
「逃げて!」
声が悲鳴に近い色を帯びた。逃げる人々の距離はまだ安全圏に足りない。
「させない!」
木葉がその小柄な体を投げ出す。
なずなが躊躇なく自身の身を盾にする。
咄嗟に絢子の体が動く。
それぞれの場所で、それぞれの信念の元、三人が同時に走った。
甲虫の羽音が周囲を圧する。
悲鳴は血の色をしていた。
●
「癒します! 虫を離して!」
危険水準にまで達する仲間に瑠美はヒールを放つ。大盾を構え変異種の前に立ち塞がった。
(誰も、欠けさせない!)
度重なる攻撃に攻殻を欠けさせながら、変異種が前足を振り上げる。だがそれよりも早く璃世がその身を滑り込ませた。
「く……ぅ!」
咄嗟に防護陣ダメージを軽減させながら、人々を庇い璃世は唇を噛む。
(なん…て……力!)
「部位を集中させろ!」
その欠けた攻殻の隙間に神前は大剣を突き入れる。
「!」
突然変異種が巨大な体を反転させた。一切こちらに興味を払わなかった敵が、痛みにこちらを認識したかのように。
「さあこっちだ!」
その標的となったことを察し、神前は離脱する面々とは逆の方へと向かう。その刃をもって人々を護りきるために。
「損傷個所に集中を!」
「畳み掛けるぞ!」
瑠美と翡翠の声に全員がその部位へ向かって魔具を向ける。穿たれ、切り裂かれ、貫かれる痛みに抗うよう変異種が巨大な前足を振るった。
「くぅ…!」
肉を抉られ激痛に神前は耐える。人々は耐えたのだ。この痛みと恐怖に。
「硬いうえに体力が… っ!?」
剣を手に一度離れたコンチェはハッとなった。その体を超音波が襲う。
「こい…つ!」
まるで最大射程を選ぶかのような動きに、L・Bはヒーリングブレスを放たせる。だが次はもう使えない。
(こちらの攻撃も、響いてる筈だ)
なのに終わりが見えない気がするのは何故だろう。
(挫けたりは…しない!)
その耳に威勢のいい声が聞こえた。
「ふ。この瞬間を待っていた!」
見ればMarkedが華麗なバク宙。尻に仕込んだ護符を素早く放つ!
「ニンポー!【尻魔旋】」
ぱぁんっ!
なんか実まで出ましたか的な音と共に風の刃が変異種に襲い掛かった!
変異種、怒ったのかものすごい勢いでMarkedを振り返り、前足を振るう!
\アッー!/
じゅうたいにならなかったのがふしぎである。
「も…もうっ」
何故か笑いがこみ上げてきた。必死なのに。相手も必死だから。ああ、分かっている。巨大な敵に挑む時の不安が皆同じだということも。疲労も、痛みも――この胸の願いも。
「負けは、しない…!」
L・Bの声と共にダイナが最後のサンダーボルトを放った。
「麻痺が入った!」
「行けぇえええッ!」
怠惰が、ユズリハが、奏多が、治翠が、雪人が、エイネが、那由汰が、マクシミオが、雅人が、ロドルフォが、翡翠が、長郎が、クリスが、璃世が、Markedが、百夜が、神前が、アカーシャが、久原が、その力の全てを以て一斉に攻撃する。
重体者を懸命に癒し護る瑠美は、変異種の姿が大きく欠け体液が飛び散るのを見た。
だが――
「まだ動くの……!?」
羽根をもがれ足を裂かれ、地に伏して尚蠢く虫に久原が声をあげた。けれど相手の命が尽きかけであることは明らかだ。
「止め、いるか?」
「いや…」
アカーシャの声に、那由汰は首を横に振る。そうして、変異種の潰れた頭に手を添えた。
――必要無いのだ。
もう、終焉は来たのだから。
『…おめぇの親からの言葉だ』
意思疎通を経て言葉が変異種に染みこむ。きっと、生身の声はもう届かないだろうけれど。
『「今もお前を愛してる。」だとよ、さぁもう寝ろ。悪い夢はここで終わりだ』
蠢きが止まった。
掌に残った僅かな振動を握りしめるようにして、那由汰は離れる。
音をたて崩れる巨体にはもう何の意志も無い。
――囚われの魂は、最後に救われたのだ。
●
「何がしたいんだ……」
空虚な風が吹き抜ける中、怠惰は声を震わせた。
「君のような者が居るからッ! 人と天魔の距離が離れるんだ!」
見上げる先に一人の男。薄い嘲笑を浮かべて。
「だったら、てめェの力でなんとかしてみたらどーだ、ァア?」
「言われずとも!」
怒りを宿す声に男はただ嗤う。
「無駄無駄無駄ァ! 同じ種族の連中でさえあのザマじゃねェか……っとォ」
何かを言いかけ、男は口を噤む。ややあって薄っぺらい笑みを浮かべた。
「いいこと教えといてやる。四国の天界連中を見張ってるこったな。異種で信頼が築けるか否かの前に、ナカヨクなんてのが幻だってのが分かるぜェ」
「どういうことだ!?」
「てめェ等で確かめなァ」
軽薄な嘲笑だけ響かせ、男がその姿をくらませる。一瞬追いかけかけ、コンチェは拳を握りしめた。
「あいつは…いつか、必ず…!」
憤りの声が血に染まる大地に響いた。
●
後日、一枚の報告書が関係者に手渡された。
要救助者三十六名中、生存者七名の保護。
園内に居た十九匹と変異種一匹を駆逐。
その報告書を読み上げて後、木葉は苦しい表情で黙祷する。
重体者達の見舞いに付き添いながら、マクシミオは遠くを眺めた。
形容のし難い感情がふと湧き上がったが、理由は分からない。ただ一度だけ、四国のある方角を見た。
(…母親…か)
夏の風が渡る。
膿んだような空気すら吹き飛ばして。
明けない夜は無く、訪れぬ明日などあろうはずもなく。太陽は常に昇り、新しい明日を連れてくる。
その先に、未だ見ぬ未来を携えて。