――祈りを抱いて手を伸ばした。
失えぬ願いが胸にあるから。
●
『只今久遠ヶ原学園の救助部隊が進撃中、救援連絡は…』
隔離された戦場に告知放送が響き渡った。先行し、戦場を駆ける影は二十三。すでに抜き放った武器を手に全力移動で担当地区へとひた走る。
「あたた…怪我してなければあたいも前に出れるのに!」
重く感じる足を引き摺るようにして雪室 チルル(
ja0220)は道を進んだ。目指すは地図にある中央部十字路。同じ道を行く神凪 宗(
ja0435)もまた、痛む体をおして足を進めた。ひっきりなしに鳴るコールで仲間達への連絡すら難しい。
「すぐに現場に向かう。必ず助ける」
パニックを起こしている人々の言葉は断片的で的を射ない。それでも地図に細かいチェックを入れ、宗とチルルは次々に敵と救助者がいるだろう位置を仲間に連絡していく。
「西Bエリア二百メートル進行。生命反応あり。向かいます!」
鈴代 征治(
ja1305)の声が一度入る。転移位置が街の南東だったのはある意味幸運だった。
(このままいけば、安全圏確保になる…か)
危険が少ないエリアだからこそ、重体の二人もまた遅れながらも中心部に向かい動いている。その耳に西に走った龍崎海(
ja0565)から報告が入った。
「ディアボロ発見! 掃討に入る!」
戦いが始まった。
●西B区
「落ち着いて行動を。大丈夫です。必ず守ります」
隠れていた建物から転び出る少女を抱き留め、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)は即座にチルルに連絡を回す。
「こちら西救助班、要救助者2名保護しました」
『了解!南でも三名保護したって連絡あったわ!』
「残り十五名ですね」
カーディスの声に、征治も顔を引き締めて頷く。現地での行方不明者は二十名。どこに何人いるのかはおおまかな情報でしか分からないが、どうやら南と東に多いらしい。
「大丈夫。お母さんも助けますから」
小学生ぐらいの少女が御堂・玲獅(
ja0388)の腕の中で泣いている。どうやら母とはぐれたらしい。慰めつつ、玲獅は僅かに焦燥を抱いた。生命探知では、この付近に他に反応は無いのだ。
「この子達が最初にいたのは……あちらか」
周囲の警戒をしつつ天風 静流(
ja0373)は少女が逃げてきた方向を見つめる。遠く聞こえてくるのは獣の咆哮。おそらく、殲滅班が向かった場所だ。
「この子達を運んだら、直ぐに」
「ああ」
征治の声に静流は頷く。
「闘争の坩堝……か、だからといって退く訳にもいくまいよ」
●東C区
「天魔の衝突…何でこんな事態になっとんのやら」
目の前の光景に宇田川 千鶴(
ja1613)は思わずぼやいていた。
ォオーオオーッ
周囲に咆哮が響き渡る。巨大な狼を前に斧を振り上げたサウラーがそれで足を止めさせられた。周囲にいた別の白蜥蜴と二回り大きい黒蜥蜴も同様に麻痺している。
「あの狼……かなり強いよ」
戦況を冷静に分析し、桐原 雅(
ja1822)は小さく呟く。すでに付近の要救助者は保護した。一旦連絡班に彼等を託そうとしたところでこの戦場に出くわしたのだ。
「……恐らく逃げた人達を捕獲しに来たディアボロをあの狼が止めているんだろう」
擦り傷を治した子供を抱え、強羅 龍仁(
ja8161)が状況を淡々と口にする。
奇妙な戦況だった。まるでサーバントが人を助けているかのようだ。何故かは分からない。だが、あの狼が人間の味方という証拠は何も無かった。
(サーバントもディアボロも関係ない…今はただ助けを求める声に全力で応えるだけだ)
すでに生命探知で付近にこれ以上の人員がいないことを確認している。殲滅班との連絡もついた以上、すぐに別の箇所に動くべきだろう。
「他地区では随分と乱戦になっている様子…状況確認は常に行い、迅速に行動しましょう」
石田 神楽(
ja4485)の声に一同は頷く。その服の裾を保護された幼子がしっかと握っていた。その様子に僅かに口元を綻ばせ、千鶴は向かうべき方角へと走る。人々を確実に安全な場所へ。それは全員の願い。
(この意図がなんやろうと変わらん。手の届く人達を最大限助ける為、走るだけ)
●南B区
「この子で最後のようです」
震えながらしがみついていた子供を地面に降ろし、東城 夜刀彦(
ja6047)は下妻笹緒(
ja0544)の方へとその身を手渡す。
「もう大丈夫だ。よく頑張ったな」
満面のパンダスマイルに、子供の顔の強張りが僅かに緩んだ。
「さぁ、水を飲んで。ゆっくりな」
相当な混乱にあっただろう子供を落ち着かせながら、笹緒は夜刀彦に視線を送る。夜刀彦は頷いた。
「木の上にいました。咄嗟に登ってしまったのでしょう」
「……やはり、懸念通りか」
「はい」
天魔の襲来は突然の災害のようなものだ。突如として目の前に現れたそれを前に、誰しもが理知的に動けるとは限らない。笹緒の懸念を受け、偵察の夜刀彦が行ったのは想定に囚われない探索だった。結果、道中では無く奥まった家の木の上で子供を見つけた次第だ。
「もう大丈夫ですよ。安全な場所まで護衛します」
足を挫いてしまった女性に若杉 英斗(
ja4230)が背を貸す。救急箱を使い簡単な処置はしたが歩けそうに無いのだ。
先に見つけた三名とあわせ、これで保護した人数は五名。いまだ敵と遭遇していないとはいえ、一度安全地に彼等を護送するべきだろう。
「何故に天魔同士がこの地で争っているのかは分からんが……」
人々を抱え仲間が走るのを確認し、最後尾で万が一の壁となりながらインレ(
jb3056)は心の中で呟く。
(争い合うのは構わない。……だが、それに周囲を巻き込むのは止めて欲しい所だな)
●北A区
駆けつけた現場の状況に雫(
ja1894)は荒い息の下で呟く。
「三つ巴の争いと言った所でしょうね」
報告を受けて知ってはいたが、目にするとある種異様な光景だった。直接的なぶつかり合いを避ける傾向にある天魔が、敵意も露わに死闘を繰り広げている。そこに加わるのが、人界の自分達。
(これも高松ゲートの結果…というところでしょうか)
思案と同時、半ば本能のように雫は身を翻した。唸りをあげて襲い掛かる斧を弧を描くようにして避け、鉄塊のような巨剣を振るう。
「グァッ」
弾き飛ばすような一撃に、サウラーが悲鳴をあげた。腕を大きく裂かれたサウラーに向かって、荻乃 杏(
ja8936)が畳み掛けるように大鎌を振るう。
「やっ!」
確かな手応えが手に伝わった。武器を持ちなおすサウラーは、しかし反撃に出ることは出来なかった。
「ま〜た、デカいのがぞろぞろと…ま、倒し甲斐はあるけど♪」
鮮やかに足元に走り込んだ雀原 麦子(
ja1553)が碧々と輝く刀身でその腕を切り裂く。雄叫びとも悲鳴ともつかない声をあげたサウラーの胴を真正面から雫の剣が両断した。
「それなりに硬い、ですね」
幾度となく傷を負わせて後の討伐に、雫は剣を振るって血糊を飛ばしながら言った。杏が顎を引くようにして頷き、武器を持ちなおす。
「けど、全部倒すわ」
天使と冥魔。両陣営がゲートを開いた四国。おそらくこの状況は、まだ始まりですら無い小競り合いなのだろうけれど。
(天冥どっちも好き勝手やってくれてるけど、こっからは私たちの番)
ギリ、と武器を握る手が軋む。
(渡さないし、殺らせない)
感情も、魂も、それを宿す命ある体も。その全てが大切なものなのだから。
(全員倒して全部倒して、きっちり終わらせてやるんだからっ)
三人がディアボロ達と対峙する傍ら、一般人を保護する神月 熾弦(
ja0358)は戦場から距離をとりつつ崩れたにしては不自然な道の片隅へと声をかける。
「助けにきました。どなたかいらっしゃいませんか?」
ガタリ、と壊れた木塀が動いた。物陰から怯えた瞳がこちらを捉える。
「もう大丈夫ですよ」
差し伸べられた手に、中学生ぐらいだろう少女が震える手を差し出した。余程怖かったのだろう。振れた手はひどく震えていた。
(この方で、三人……)
連絡班に報告しながら、熾弦は未だ見つかっていない人々を思う。
(既に事態発生から時間がたっている以上、急がなくては…)
逃げる為に移動している可能性と隠れている可能性の両方を考え、連絡を受けた範囲でずっと探索を続けていた。だが……
「敵の敵は味方…って感じでもないし。漁夫の利を待てるほど悠長に静観もできなさそうね」
麦子の声が耳に届く。
そう。相手が争っているからと、その結果を待つことなど出来ない。
もうこれ以上、悲しい人を増やさないためにも。
●西C区
「現在十二名救助完了とのことです!」
届いた経過連絡に鑑夜 翠月(
jb0681)が声を上げる。同時に繰り出すのはパンデモニウムから呼び出せし禍々しい刃。肉を抉り取ろうと飛来する刃を防ぎ、サウラーが突撃しながら大きく口を開いた。
「ッ!」
襲い掛かる紅蓮の炎に海が歯を食いしばる。そのまま炎を突っ切り、槍を振るった。
「グァウ!」
悲鳴を上げ斧を持ちなおすサウラーの足がもつれた。否。アサルトライフルで狙い撃たれたのだ。
『市街地のど真ん中で、潰し合いか。巻き添えがなけりゃ歓迎なんだけどな』
そう嘯きながら、カイン 大澤(
ja8514)は次のアウルを銃に込める。彼等の見つめる先には四体の天魔がいた。サウラーが二体、タッツェルヴルムが一体、ベートが一体だ。
『多対一で、渡り合うのか』
唯一サーバントであるベートは、サウラーより二回り大きいタッツェルヴルムよりもさらに大きい。巨体イコール強さではないが、動きから察するに明らかにディアボロ二種よりも上級だ。
そのベートといえば、咆哮を放つ以外はこれといった技を使う様子が無かった。時折ディアボロ達の行く手を遮り、前足で牽制のような攻撃をする程度だ。
(倒す気が……無い?)
彼等にとって『新手』であるこちらを容易ならざる敵と認識したのか、サウラーが両方ともこちらへと向かってくる。だがその体が一瞬で色とりどりの炎に包まれた。翠月のファイアワークスだ。
「先程連絡がありましたが、西で保護した子の母親が、こちらにいる可能性が高いみたいです」
炎が収まるより早く、翠月はそう告げる。油断なく敵を見据える瞳が、一瞬だけベートと相対していタッツェルヴルムに向けられた。
(まさかとは……思いますが)
確証は無い。だが、蜥蜴が背負う籠が彼は気がかりだった。
「なら、早いところ倒して探さなくてはいけませんね」
声に海が応え、槍を構える。翠月は頷いた。
「まだ大勢の方が逃げ遅れているみたいです。……無事に皆さんを救出させるためにも、脅威となるディアボロやサーバントは早めに倒さなくては」
その後方、援護の為に銃を構えながらカインは小さく呟いた。
『この戦場は、何か、オカシイ』
「え……?」
新たに魔法を編んでいた翠月が声に視線を向ける。敵を見据えたまま、カインは疑念を口にした。
『この状況誰か見てるのかな?』
●北B地区
振り下ろされた斧をシールドで受け、アデル・シルフィード(
jb1802)は具現化させた直刀を振るった。サウラーの見た目は物理の高そうな印象だが、魔法攻撃の方に耐性がある。両方を試し、アデルは軽く鼻を鳴らした。
(天魔の小競り合いかね……人命救助は趣味では無いが折角だ、デモンストレーションといこうではないか)
その目の前を赤き雷光が駆け抜けた。片腕を吹き飛ばした魔法はファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)によるもの。怒りの咆哮をあげるサウラーを見据えて後、ファティナは一瞬だけベートの姿を確認した。
(寡兵にも関わらず、冥魔の動きを阻止した様な動き)
巨狼は今もタッツェルヴルムを相手に牽制している。
(こちらの到着を待った足止めの様にも見えますが…意図が読めませんね)
何かを待っているとして、こちらの行動をか。それとも別の何かをか。
「……どこの戦場も似た状況のようですね」
通信で情報を確認していた機嶋 結(
ja0725)が静かに呟いた。無造作に生み出した無数の金炎の矢がサウラーの体を穿つ。
「あの狼、今の所こちらに牙を剥いていないようです。主に黒蜥蜴を相手にしている、と」
「……タッツェルヴルムを」
ファティナの声に結は微かに頷く。二人の目が一瞬、黒蜥蜴の背に追われた籠を捉えた。
「籠、要注意です」
「ですね。……それと、今はともあれ、サーバントが私達の味方であるかどうかは疑問です」
「同感です」
頷きと同時、結は駆けた。こちらに向かって疾駆するサウラーを見据え、その手に大剣を具現させる。
その傍らを通り過ぎる影があった。
「あはァ、天使も悪魔も関係無いわァ…敵なら叩き潰さないと駄目よねェ…♪」
ゾブンッ、と鈍い音をたててサウラーが両断された。先に攻撃を受け続けていたことや、背後にまわりこんでの一撃だったことを踏まえても尚、恐るべき力だ。
「さァ次はだれかしらァ…♪」
凶悪な三枚刃の大鎌を手に黒百合(
ja0422)は嗤った。幼く見える外見に反し、その笑みはいやに婀娜っぽい。
「黒百合さん。あの籠、注意してください」
そのまま次の獲物に向かいかけた黒百合に、結が静かに声をかける。視線だけで問う相手に、戦場に来てからずっと気になっていたことを口にした。
「……あの籠の中、人が入っている可能性があります」
その可能性は通信を通して全員へと伝えられた。だが結果的に言えば、この忠告は少しだけ遅かった。
彼女達だけではない。其れは幾人もが気にかけつつ、全体の意思として作戦に反映されていなかった部分であり、幾人かが見過ごしてしまっていた部分。むしろ彼女達が示唆しなければ、さらなる悲劇を引き起こしていただろうもの。
――人を攫う冥魔達の持つ入れ物。
悲劇は、すでに始まっていた。
○
伸ばした手の先に何を願っていたのだろうか。
か細い蜘蛛の糸を掴み空へ登ろうとするかのように、
それは余りにも儚いものだというのに、
それでも――
●
其れが起こる数分前。
「頼むわね♪」
「はい。お気をつけて」
麦子達を見送って、夜刀彦は笹緒と共に一般人を含む連絡班の護衛についていた。すでに笹緒は子供たちに全力でたかられている。
「十六人……か」
「あと四人だね」
中央部に辿り着いたこともあり、連絡班の元には着々と助け出された人々が集められている。ここに置いておくわけにもいかず、丁度合流した龍仁達との話し合いの後、現在の救助者は外部に連れて行くことになった。
「南の方は全員みたいだね」
提供された情報をチェックしながらチルルが言う。
提供された資料にはGPSも含まれている。それらは全て探索に活かされポイントを割り出すための情報となっていた。最初に子供が多く救出されたのはそういった理由もあった。
「南では今の所、敵に会いませんでしたね」
「こっちは戦ってる現場見つけたんやけど、連絡だけ入れて先に救助優先したんよ」
「生命探知にも人らしき反応はひっかからなかったからな」
「いや、そのほうがいい。下手に戦場に近づいて保護した人達が巻き込まれては事だ」
「おそらくまだ南にまでは到達していないのでしょうね。もしくは……」
「たまたま会わなかっただけかもしれません。油断は禁物です」
夜刀彦と千鶴の報告に、子供をあちこちにぶらさげた龍仁と笹緒が加わり、神楽と英斗が予測を口にする。
それらに頷いて、宗は声を潜めて告げた。
「(あとの四人……現在戦闘中のエリアにいる可能性が高い)」
周囲の救助者を慮り、一同はただ無言で頷いた。
だからこそ、一旦戻った救助班の面々も他エリアへと赴いたのだ。探索の終わった南班のうち、インレは北に同行し戦場に向かっている。
「急ごう。彼等を安全地に護衛しないと」
雅の声に東班三人と南班の三人は頷いた。千鶴と夜刀彦が万が一用の偵察に向かい、龍仁、雅、神楽、笹緒、英斗が一般人の周囲を固めつつ移動する。
走りながら、英斗は【竜牙】の握り具合を確認した。いつ何があっても、即座に対応できるように。
(市民に被害は出させない)
全ての力を敵を屠るための力に変えて。
(絶対にここから助け出す!)
それらの様子に、周囲を警戒しながら雅は心の中で独り言ちた。
(混沌とした状況の中、傍にいるのが見知った人なのは本当に心強いよ)
その瞳に強い意志を閃かせる。
(これ以上……この世界で好き勝手はさせない)
「そっか。南は敵いなかったんだ」
麦子の声に応えながら、インレはゆるく首を横に振る。
「西側区域近くまでは確認したが、行き違いになった可能性も否めんからな」
その言葉に全員が頷いた。
なにせ広い戦場だ。おまけに南班には生命探知を使える者はいなかった。注意深く探って全員を見つけられた理由の一つには、敵に行動を塞がれなかったことがある。逆に言えば、互いに素通りしてしまた可能性も高い。
「こちらはディアボロを掃討したのですが……」
「あの狼、こっちが黒蜥蜴やっつけたらさっさとどこか行っちゃったのよね」
熾弦の声に杏が言葉を添える。どこか憤慨した声なのは、人に徒成す天魔を駆逐したかったからかもしれない。
雫がふと考え深げな顔で呟いた。
「あそこにいる狼も、黒蜥蜴を撃破すれば退却するのでしょうか」
全員が向かう先は東。東まわりで北にむかうことで、東班が見つけていたディアボロ達を駆逐しておこうという戦法だ。
「退けばよし。退かねば、その時はその時」
何の気負いも無く呟き、インレは身の内に力を溜め込む。
「全力で倒すまでだ」
「なんか気になること?」
「いえ、ディアボロは北の高松からが有力として、サーバントは西……ミカエルとウリエルのツインゲートからかな、って」
偵察の傍ら、思案気な夜刀彦に、千鶴は「なるほどな」と頷く。
「今考えることでも無い言えばそうなんですが」
軽く頬を掻きながら少年は走る。
今だけではなく、次のことも見据えて。
「四国には冥魔と天使両方のゲートが出来たんやもんね……」
「はい。それにあの巨狼型のサーバントの主…以前出た灰狼と同じ主かな、と思って」
「おったな。そういえば」
「あれも、確か四国で…」
その足が止まった。
思わず二人は目を瞠る。
今は距離のある遥か南、自分達がいままさに行こうとしていた道の向こうに――
救助中には出会わなかったディアボロ達の姿が在った。
「ゆくぞ!」
斧を振り上げ襲いくる相手に静流が走った。
青白い光が一瞬烈風の如く空間を裂く。吹き飛ばされたサウラーの体に大きな穴が空いた。
「残るはあのデカブツと狼さんですか」
具現させていた大剣を銃へと持ち替え、カーディスは油断なく相手を見据えた。
すでに救助者は連絡班に託してある。再度西へと赴いた一行は、そこで殲滅班が相手取る敵とは別の敵グループを発見したのだ。
「不可解な点はありますが、出来ればこのまま先にディアボロを殲滅したところですが……」
「そう上手くいけばいいが……な」
「ええ」
軽く汗を拭い、征治も思案深げに頷く。その時、玲獅が息を呑んだ。
「あの籠、中に生命反応があります!」
「!?」
全員が息を呑んだ。
籠の中。
では、あれは――
「至急、他の班にも連絡を――!」
「籠に向かいます。確かめないと……!」
二体目のサウラーが撃破されると同時、翠月は駆けた。海が援護の為に走る。
『!』
その時、戦場を見据えていたカインは気づいた。異変とも呼べないそれに。
「あぶ、な、い!」
タッツェルヴルムの巨体がさらに大きくなった気がした。振り上げられた腕が、足が、恐ろしい勢いで周囲を薙ぎ倒す。
悲鳴があがった。
撃退士達の声では無い。
人の声。
タッツェルヴルムの方からだ。
(籠)
翠月は駆けた。心臓が凍った気がした。手を伸ばす。大暴れする黒蜥蜴の、その攻撃にすら耐えて、手を――
大暴れの衝撃に耐えられず半ば破損した籠に――
そこから伸びた、細い手に――
「たす、け」
「ッ!?」
あと少しで手が届く、そう思った瞬間に意識が刈り取られた。
同時に海もまたスタンにより昏倒する。
カインは走った。籠から落ちた女性が地面に転がる。
振り下ろされる斧が、回り込み円を描くようにして振るわれた一撃に弾かれる。
けれど、
「ぁ」
動けない体で翠月は必死に手を伸ばした。
タッツェルヴルムが斧を持たない手を伸ばす。捕獲のためだったのか、それとも最初からそのつもりだったのか、それは今となっては分からない。
黒蜥蜴の手が女性の頭を掴む。
熟れた果実を砕く音がした。
○
それでも――
そこに、希望を抱いていたから。
●
「なに!?」
突如全域で獣の咆哮があがった。それは翠月の慟哭とほぼ同時。
「これは……一体」
玲獅の機転でタッツェルヴルムを撃破し、無事に籠を解体した西一同は顔を見合わせた。こちらが黒蜥蜴を斃すや否や狼は姿をくらませている。
「! 西で……!」
犠牲者が、という言葉はかろうじて呑み込んだ。カーディスの声と表情に事態を察し、全員が表情を引き締める。
「先に安全圏に移動しましょう。空気が変わりました」
征治の声に静流も頷く。
「私が背負いましょう」
助けた老婦人を機動力の高いカーディスが背負う。
「少しだけ我慢してくださいね」
「殿は私が」
「頼む。私が先行する。なるべく敵との遭遇を避けるが、万が一の時は先に走れ!」
背後を玲獅に託し、静流は駆けた。通信を通し、一瞬、情報が錯綜するのを感じた。だがそれもすぐに収束する。
『サーバントが牙を剥いてきた! 南に抜けろ。誘導する。なんとしても無事に辿り着いてくれ』
(辿り着かせてみせるとも)
宗の声に唇を引き結び、静流は漆黒の柄を握りしめる。
(これ以上は、誰も失わせん!)
全員の中央、老婦人を背にカーディスはふと南を見た。おそらく今、戦場から撤退しようとしているだろう人々。自分達が最初に助けた少女。
(あの子のお母さん、無事だといいのですが……)
視界が真っ赤に染まったのを感じた。
「ぁ…ぁあ」
刈り取られた意識が復活すると同時、体が動いたのは頭で考えてのことでは無かった。
翠月の足が地を蹴った。身に纏うのは冥府の風。深淵より出る力が全身に行き渡る。
「ぁあああああああッ!」
迸った声が怒りなのか悲しみなのか本人にも分からなかった。声をあげたのも無意識だ。
突如として咆哮を放った狼の声すら圧して、全霊を込めた魔法がタッツェルヴルムの体に降り注ぐ!
「よくも……!」
悲鳴は、続く槍の一撃に半ば刈り取られた。大きく均衡を崩したその体にカインが照準を合わす。
『終われ。■■■■』
最大級の嫌悪をもって。放たれた殺意とアウルの弾丸が黒蜥蜴の右眼窩から後ろに抜ける。後ろに倒れたその体になおも魔法を叩き込もうとする翠月の体を海が掻っ攫うように抱え、走った。
「はや、く!」
先導するようにカインも駆け出し、そして見た。長い長い咆哮を放っていた狼がゆっくりと首をこちらに向けるのを。
その場に満ちた、確かな敵意を。
(鍵は、一般人か……!)
「こいつ、突然……ッ!」
今までの無関心さが嘘のように襲ってきた狼に、杏は歯を食いしばった。咄嗟に急所は回避できたものの、傷は深く、直前までいた場所は大きく抉り取られている。
「まるで……被害が出たのを、怒っているような」
あまりのタイミングに雫が呟く。
「どっちにしろ、ようやく敵意露わにしたってところね」
すでに他のディアボロは沈めている。あとはただ、この狼を撃破するのみ。
「来るぞ!」
インレの警告と同時、狼の巨体が恐ろしい勢いで迫った。吹き飛ばされ、麦子の体が外壁に叩きつけられる。
「か……ッは」
一瞬息が詰まった。力なく地面に落下した麦子を庇い、雫が剣を振るう。
「雀原先輩、しっかり!」
杏を治癒した熾弦が、再度癒しの風で麦子の傷を癒す。その傍らを駆けぬける赤と黒。
――研鑽により培われしは人の業――
愛し失った人間の世界の中で、身に着けたその御業。
勁は螺旋をもって錬と成し
体は気をもって鋼と成す
禍つ天を絶つ刃の一撃――絶招・禍断――
真っ向から叩き切り、インレは炯々と光る狼の瞳に向かって告げた。
「狼や蜥蜴が兎に勝てると思うなよ?」
「あはァ♪ やる気になったのはいいけれどォ、邪魔はさせないわァ…♪」
咆哮と共に襲い掛かる狼を黒百合の鎌が迎撃する。その背に今も戦いを続ける仲間を庇って。
「滅べ。欠片一つ残さず」
感情の欠如した冷ややかな声と同時、黒蜥蜴の足が大きく抉れた。瞬時に駆けた光は結の神輝掌。鮮やかに舞うように放たれたそれが、黒蜥蜴の機動力を大きく削ぎ落とす。
「もうしばらく、大人しくしていてほしかったところですが……!」
一秒として間を置かず、ファティナの編み上げた魔法が展開した。凄まじい命中をもって黒蜥蜴の頭部を穿った雷光に、白蜥蜴に向かったアデルの横顔が赤く照らされる。
「有用な戦力のみならず救護対象を死なせるのは、流石に勘弁願おうか」
その白い鎌がサウラーの足を切り裂く。
一見して快進撃のようにも見える。だがすでに撃退士達の多くが重傷を負っていた。
(残された者達は生き延びる為の戦いをするがいい)
戦況が変わったことを誰もが知覚していた。
サーバントとディアボロ。両方同時に相手取るのはあまりにも不利。
それでも抗うのは、まだ成せることが此処にあるから。
(誰もが己の命を己で守らねばならぬのだから)
全員の通信機に報告が入る。
『総員、撤退を! 要保護者十九名の保護を確認! 護ってる人は合流を!』
チルルの声に宗が言葉を重ねた。
『人手がいる部隊は連絡してくれ。護衛以外の者で救援に赴く』
その言葉の後ろで聞こえる剣戟の音を全員が知覚していた。
「この……待ち伏せやあるまいに……ッ!」
「よりにもよって……!」
千鶴と夜刀彦、忍軍二人が同時に雷遁を放った。一瞬で駆け抜けた音無き雷に貫かれたサウラーとベートが体を強張らせる。すぐに身を震わせ復活したベートと違い、サウラーは明らかに麻痺していた。
「通らせてもらうよ」
黒い風が舞った。艶やかな黒髪が薙ぎ払いの動作にあわせて宙を舞う。吹き飛ばされたその体に笹緒の放った魔法が突き刺さった。
「! 危ない!」
最後の力を振り絞ったサウラーが走る。その様に、傷をおして英斗が駆けた。目指す先は避難中の人々――!
「おまえ達に、誰も、渡さない……!」
サウラーの攻撃は、けれど人々に届くことは無かった。英斗の庇護の翼が人々の身を守りきる。
「これ以上は、無いと思え!」
さすがに膝をついた英斗の傍ら、龍仁の放った一撃がサウラーの命の灯を打ち消した。
「今のうちに、早く抜けて!」
追いついたチルルの声に、人々が南へと走る。自身で転んだ怪我以外、一般の人々に怪我は無い。
だが、時に身を挺して彼等を守った撃退士側は凄惨な有様だった。道中で深手を負い、地面に倒れ伏している者もいる。
「残り、は!?」
「殲滅A! 大丈、夫…そこまで、来てる!」
集まった撃退士達が傷口が開くのを厭わず逃げる人々を背に身構える。しかも、この場に合流したのは何も撃退士達だけではない。
「近づけ、させません、よ」
身を屈め、突撃しようとしたベートに向け神楽が黒業を放った。傷だらけの身で、なお圧倒的な力で放たれた黒の弾丸が狼の前足を穿つ。
「向かってきたのなら、遠慮はいらん、ということだな」
静流の薙ぎ払いが距離をつめようとした狼を払った。カーディスの影縛の術がベートの体を一瞬拘束する。
「来た!」
最後の防衛線を築く中、杏が荒い息の下で声をあげた。
「勢ぞろい、ねェ…」
追いすがるベートの前足を切り裂き、黒百合は敵と味方の距離を測る。どちらの動きが早いか。仲間は背に一般人たちを庇わなくてはならない。
なら、無茶をするのは、自分達の方。
「突き抜け、ます。はぐれない様に」
「牽制します!」
合流を防ごうとするかのように動き出したベートに、ファティナが風の渦を生み出した。同時に翠月がファイアワークスを放つ。風が荒れ、鮮やかな炎が空間を爆破する。
「……フッ」
鋭い呼気と同時、赤に染まった結が走り込んだ。細い体が中を舞う。隙をついて動いたベートの肩が裂かれ、鮮血が迸った。
合流を助ける為、一斉に攻撃の手が放たれる。さしものベートも悲鳴を上げた。全ての力を賭しての一撃が次々に身を抉る。
その時、一頭が走った。
間隙を縫い、向かう先は一般の人々の背――
「させません……!」
声があがった。ファティナが、翠月が、夜刀彦が、その体に刃をたて、身を挺してでも止めに入る。
(もう、誰も喪わせない……!)
その脳裏に描くのは誰の姿か。
(もう誰も殺させない……!)
その胸に抱くのは何の慟哭か。
狂おしいばかりの思いは、その身に刻まれた記憶と願いによるものか。
「あんた達に、渡すものなんて、何もないんだ!」
杏がか細い体で立ち塞がった。英斗が足止めに走り、麦子の『餓突』がベートの巨体を吹き飛ばす。
地面に叩きつけられて尚足止めに動く。守るべき者を守る為に。
――全員が。
その動きを前に、
狼が退いた。
「……ぇ」
呟きが誰のものだったのか、誰にもわからなかった。ほぼ全員が満身創痍な撃退士達の眼前で、同じく傷だらけの狼達が一斉に身を翻す。
「何故」
茫然と征治が呟いた。
互いに重症。続ければ、下手をすれば重体以上もあり得る戦場で。
(先に退いた、か)
血に染まった腕を垂れさせたまま、静流は唇を噛んだ。
犠牲を見越しての撤退か。それとも別の理由からか。
そこは誰にも分からない。ただ、人々を守りきって尚、しこりの様に彼等の胸の中に蟠るものがあった。
一という、数と共に。
○
その地で天使はただ立っていた。
「……退かないのか」
小さな声が風に流れる。
「おまえ達も……退かないのか」
呟きの後にしばし、押し黙って。
「おまえ達は……諦めないのか」
その様はどこか黙祷しているようにも見えた。