生まれた理由が己のもので無くとも
『今』を生まれ生きるならば――
●
「後の世に我等は何と呼ばれるのであろうな。勇者か自殺者か、はたまた記録にすら残らぬか」
乾いた風に雪風時雨(
jb1445)の声が攫われる。
荒涼とした街を駆ける人影は六つ。強大な敵に立ち向かうにはあまりにも少ない手勢。されど逃げる者は一人もおらず。過酷な依頼に尻込みする者も皆無。
ただ眼前にその敵を見据える。
即ち、ユグドラ。
「ユグドラ……か。会うのは三度目だな」
すでに二度拳を交えたことのある神凪宗(
ja0435)が武器を具現させながら呟いた。
瓦礫の山に立ち、爛々とした目でこちらを見下ろす敵の顔には獰猛な笑み。
「来たか、と問うか。なら応えよう…ああ、来たとも!」
「待ってたぜェ…!」
時雨の応えと同時、男の長躯が揺らいだ。獲物を見つけた猟犬の如き勢いで時雨へと迫る!
「あらァ…ガッつくのはいけないわァ…♪」
瞬時、体を割り込ませた黒百合(
ja0422)の長大な大鎌が閃いた。刃と爪が衝突する。空間が軋むような音たて、二人は睨みあった。
「ハッハァ! てめェか! クロユリ!」
「さァ、戦ってあげるわァ…挑んでおいでェ」
「おおよ!」
柄の部分を打ち払い、ユグドラの左手が黒百合に迫った。僅かに身を退くことで避けた黒百合の武器が古びた刀に変じる。
「あれだけ血に塗れ、暴虐を尽くして尚、渇きを訴える餓狼のようですね…」
朱に染まった獣のような姿に、ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)はその印象を呟いた。その目がチラッと横に流れる。頷き、桜木真里(
ja5827)が宗と共にユグドラの側面へと走る。ファティナは仁科皓一郎(
ja8777)と共に二人とは逆側へ。黒百合と頂点として三角を描くように。
(四国にもあいつはいた…なら、何かしらの恩賞を得ている可能性は高い)
一挙一動を見逃さぬよう目を凝らし、真里は術を編み始める。
(…随分と、愉しそうだねェ?)
その反対側、攻撃の警戒にあたる皓一郎はユグドラの様子に片眉を上げた。戦いなど面倒くさいものの最たるモノ。なのになぜ…
(理解しがたい感覚だ…が)
破壊の爪が黒百合の居た空間を薙ぐ。大地に刻まれる爪痕は風圧か。
「時間稼ぎなど緩い対応を許してくれる相手でも状況でもないか。なら皆、覚悟は…ははは、聞くまでも無いな!」
時雨の顔に笑みが刻まれる。視線を交わせば意思は読み取れる。編まれる魔法。溜められた力。ユグドラの攻撃に合わせて黒百合がわずかに後退する。
解き放つ時は、今!
「「いきます!」」
声と同時、真里とファティナの魔法が発動した。激しい風の渦がユグドラの体を巻き込み、無数の腕がその体を繋ぎとめようと手を伸ばす!
「しゃらくせェ!」
ユグドラが腕を振り上げる!
そこへ宗が走り込んだ!
「かつての借り、返すぞ!」
「てめェ!」
血飛沫が飛んだ。宗の一撃がユグドラの胸板を掠る。同時に宗の頬が裂ける。だが浅い!
「入った!」
真里とファティナの魔法と宗の捕縛の術。一つ二つは避けれても全てを避けきるのは不可能だった。同時、全員の手から投じられた発煙手榴弾がユグドラの周囲を煙で包み込む。
「集中させるぞ!」
時雨の背後から蒼銀の竜が出現する。
「2発だ、2発は耐えるぞ、ティアマト! 弾を撃ちつくす前に倒れるなど恥!」
天の力がその身を包み込む。
同時、ファティナは素早く別の魔法を編む。
「救出に従事する方達、そして亡くなった方達の為にも…!」
対面に立つ真里の手に紅蓮の炎が生み出される。
(求めているのが激しい戦いなら、足止めの為の保守的な戦い方なんて望んでないよね)
声に、拳に、その瞳に、激しい飢えを宿す業魔。まるで戦うために生まれてきたかのような。
(俺達も消耗して恐らく耐えられない)
ならば選ぶのは短期決戦。全ての力を一極に集めて。
「希望通り全力で行かせてもらうよ!」
もうもうたる煙。けれど包まれたユグドラの姿が全く見えないわけではなく。
(所詮、その程度の性能…か)
皓一郎は警戒の色を濃くする。
人として最も優れた視力と同等を有する撃退士の目を持ってすれば、視界をやや阻む程度にしかならない。ならばユグドラにとっても…
(上手く、決まればイイがよ)
同じ危惧を抱きつつ、けれど宗の瞳に迷いは無い。
(二度、戦いには敗れた)
傷は深く、されど心に負った苦しみはそれに増して激しく。
(同じままで在ると思うな!)
わずか一秒たりとも視線を外さず、三方向から同時に攻撃が放たれる。
大気を揺るがす轟音が戦場に響いた。
●
「…クッ」
身を焼く炎を纏い、僅かに俯いたユグドラの口から声が漏れた。それは苦悶の声ではなく。
「ククッ…カカッ!」
「ッ!」
刹那、黒百合が駆けた。三爪の大鎌を手に恐ろしい勢いで走る。同時、ユグドラが駆けた。影縛が解かれている!
「イイぜ! てめェら!」
唸りを上げて空を薙いだ鎌を避け、ユグドラは牙を見せて笑う。交錯する破壊の爪が黒百合の空蝉を引き裂き、ファティナの放ったマジックスクリューが寸前までユグドラのいた空間で炸裂する。
「目隠しってェのはこうやるモンだろ!」
轟音と同時、大量の土煙が視界を埋め尽くした。技や魔法の類では無い。かつての戦いでも報告された、強靭な脚力による移動の産物。
(こいつ、は…!)
危機を察し皓一郎は飛び出し、身構えた。
「おらァッ!」
「…ッ!」
「仁科さん!」
庇われたファティナが悲鳴をあげる。
(ガチで受けたくは、なかったが…な)
暴虐な鞭のような蹴撃。技によりカオスレート差を一時的に無くして受けたことが功を奏した。だが少なくとも衝撃で腕と肋骨の骨は折れただろう。
「受けきるかよ」
「美女は、守るもン、だろ…?」
ユグドラの浮かべる獰猛な笑みの意味は何だろうか。攻撃を受けても自らの攻撃を防がれても、その顔の笑みが消えない。瞳の奥に余りにも深い飢餓を宿して。
「戦うことは楽しい、か?」
「楽しいねェ」
「俺はめんどくせェわ」
ファティナと真里が魔法を放つ。勢いよく襲い掛かる炎と風の乱舞を飛び退ることで避け、ユグドラは皮肉げに笑んだ。
「そいつァ、つまんねェこったなァ」
「そうでもねェ。だが…足りねェ、てのはわかる」
黒百合と宗の放つ斬撃を潜り抜け、ユグドラの拳が皓一郎に迫る。皓一郎はその一撃と激痛に耐えた。食いしばった口の端から血が零れる。肉体活性化すら追いつかない。
「足りねェよ、生きるンに、退屈で堪ンねェ…だから教えてくンねェか、お前さんの愉しさ、つうヤツをよ。ンな表情して、全身全霊で、追い求めるモンなんだろ…?」
「アァ」
ユグドラは笑う。獲物を前に牙を見せ笑む獣のように。
「人間。てめェの生きる理由は何だ?」
力在る声で。
「『生きてる』てェ実感はどこからくる?」
力在る瞳で。
「ぐちゃぐちゃした細けェこたァどうでもいい」
親である悪魔。作られた理由。そんなものも最早どうでもよく。富。名声。力。階級。欲望に忠実な冥魔達の生きる理由とすら異なっても――
ユグドラの足が大地を蹴る。追撃を阻む撃退士達の連携。背後から迫った宗の一撃を腕で受け止め、体を反転させて爪を薙いだ。
「俺にとっては戦いそのものが――!」
血が飛んだ。ユグドラと宗、それぞれの腕に傷が刻まれる。
「っ…ッ」
走った熱と激痛に宗は顔を顰めた。傷は骨にまで達している。だが追撃は無数の手によって阻まれた。
「俺ともお相手願うよ」
睨み据える真里の左耳で十字架が小さな光を放つ。
(多分、一度でも攻撃を受ければ俺は倒れる…)
巨大な力を持つヴァニタスであれば、多少の防御など焼け石に水。
(力の差は理解してるつもりだよ)
だからこそ仲間と共にさを縮める為の作戦を携えて来た。例え何があろうとも、同じ地で救援を続ける人々を護るために。
黒百合と時雨、二人の攻撃から身を躱したユグドラが無数の手の束縛を引き千切る。爛々と光る目が見据えるのは真里。
「俺から離れて!」
癒えぬ傷を抱えて庇いに入ろうとする皓一郎を真里の声が制した。もう目と鼻の先。回避も防御も不可能。けれど――
「タダでやられてはあげないよ」
爪がその体を切り裂く前、巨大な力が至近距離で弾けた。
●
「自爆技か…イイ根性してんじゃねェか」
赤に染まった左手を振り、ユグドラが口元を歪める。
「あの攻撃ですら致命傷にならん、か」
「ですが、蓄積されてます」
時雨の声にファティナが告げる。血に染まったユグドラの左手。先までと違うのは、どこかだらりと下げられているところか。
「こちらも強くはなってますが、敵もさらに強くなっている…それでも、無敵ではありません」
その声に時雨は腹に力を込めて告げる。
「…ならば続くのみ」
ティアマトが走った。
「次はてめェか!」
「相手させてもらおう!」
受け止め、放たれた蹴撃をマスターガードで威力を減じさせる。だが全てのダメージを消せるわけもなく。
「ぐ…ぅッ」
そのまま主へと還る衝撃に時雨は耐える。
(ここは退かぬ)
刃が、魔法が、ユグドラのもとへと迫る。受け止め、薙ぎ払い、追撃に入ろうとするその体の後ろでプラズマに似た光が弾けた。
(我等が塵となろうとそれで誰かを助けられたのなら)
弾かれたようにユグドラが振り返る。
召喚獣の力とアウルの力が融合する。あたかも雷のような。
(それが我等の生きた証となる)
雷鳴無き雷光と同時、血色の爪が閃いた。ガードすら引き裂く一撃に時雨が倒れる。だがそれすらも次への布石。
「ッハ! 同じ場所狙うか!」
「それが戦の常でしょう?」
光が収まると同時、ユグドラの背後からファティナが風のように忍び寄った。
(生きる覚悟あれど死ぬ覚悟は無いです)
きっと、怒る方はいらっしゃるでしょうけれど。
(ですが、このまま終わる訳にはいきませんから)
この強大な力に立ち向かう術を持たない人々を護るために。
「てめェが――」
「今です!」
「!?」
ファティナの放った声にユグドラは思わず己の背後を振り返ってしまった。フェイクか。そう思わされたのだ。
「受け止めて下さる?」
悪戯な笑みを宿した柔らかな声。息を飲む暇も無く。
二度目の爆音が戦場に響き渡った。
「カ…ッは!」
吹き飛ばされ、ユグドラは大地で一回転して跳ね起きた。
血に染まった大地には少女の姿。腹部を裂いた傷は即座に繰り出した蹴りによるもの。
「ク…投げて来やがるか、全力で!」
その強き意思を――全霊で以て。
「望み通り、でしょォ…?」
鮮血が散った。負傷したユグドラの左手に裂創が走る。
「ァア、アア! だが、もっとだ!」
黒百合と連携して宗が走る。勢いよく振り返るユグドラ。目が合う。
「来い!」
「言われずとも!」
黒炎のような光を纏う刃がユグドラに迫る。受けるのは頑強な爪をもつ右手。
「顔を覚えていられる程頭が良くないのは、前回の戦闘でわかっている」
互いの息遣いすら感じられる至近距離。間近に見るユグドラはまさに餓えた狼に似て。
「あの時とは違う。例え、更に力を増しているとしても、楽に倒せると思うな!」
「ハッ!」
哂い、ユグドラは身を屈める。気づき、宗は横へ大きく跳躍した。一瞬前まで居た空間を烈風が裂く。
「ならてめェは、俺に膝をつかせてみせるんだな!」
「くっ!」
一瞬で距離を詰めて追撃に来る凶爪に宗は全身に力を溜めた。空蝉を。だが、相手のこの攻撃は――
(避けられん!)
瞬時に刃を構えた。闇を纏った連撃が放たれる!
「が…ッ!」
相手への直撃を知覚すると同時に衝撃がきた。血飛沫とともに吹き飛ばされた体が宙を舞う。
「チィッ!」
ユグドラが顔を顰める。一撃一撃は致命傷で無くとも、彼等撃退士は連撃でこの身を穿ってくる。その蓄積された傷は見過ごすことのできない。
そして、
「これ以上は、させないわァ…」
黒百合が舞った。
一撃ごとに大地が抉れ、互いの髪が虚空に散った。仲間達の与えたダメージは確実にユグドラの体に響いている。
「存分に遊んであげるわァ、怖けず挑んで来なさいィ…♪」
その挑発にユグドラは乗った。乗らないわけが無かった。
どれほどの恩賞をチラつかされてもここまで心躍ることは無いだろう。
もはや撃退士はただの糧でも食糧でも無い。心躍る獲物であり、そして
「てめェ等が」
――この飢えを癒す、待ち望む存在と成り得るかもしれないもの。
「ここまでやるとはな!」
倒れた仲間達の為、時間を稼ぎ黒百合は笑う。
「この刃は避けられないわよォ…♪」
大振りな攻撃。今までよりも更なる至近距離。
「!?」
肌が触れた。脈動を感じた。かろうじて喉元を回避したのは本能の成せる技か。
「キスして上げるわァ…その身体で存分に堪能なさいィ…♪」
首筋に熱が触れたと同時、猛姫の毒牙が穿たれた。
「――!」
灼熱の痛みは毒。
何を思うまでもなかった。黒百合が離れる間も無い。甘美なる獲物は自らの首元に。
その白い首に――
ユグドラが咬みついた。
「ギャ…ッ…ガ…」
血が迸った。餓狼の牙が首に深々と食い込む。下手に動けば骨とともに気道も噛み砕くだろう。すでに動脈は裂け、夥しい血が黒百合の服を赤に染めあげた。死の手前。この牙に少し力を乗せれば終わる。
皓一郎の一撃が割り込まなければ。
「ぐァ!」
無防備な腹を裂いた一撃に、ユグドラは口を離し飛び退る。相手の腹を蹴りつけて。
ごぽり、と皓一郎の口から血が零れた。崩れ落ちる二人を眼下にユグドラは立つ。かろうじて意識を取り戻した宗が激痛を堪え対峙する。
それを見て、
「二割、だ」
ユグドラは呟いた。
「てめェ等と対峙した時に、二割力を封じて戦った」
「ッ」
怒りが一瞬痛みをかき消した。だがその目が相手の傷を見て大きく見開かれる。
(癒えていく…だと!?)
まさか四国の戦いの後に得た力は――!
「そのうえで、二割だ」
薄れゆく傷を見ながらユグドラは獰猛な笑み。
「てめェ等が負わせた傷だ。傷跡は消さねェ」
覚えておくというのか。人の顔も覚えない男が。
「…その、力は」
「長くてめェ等と楽しむのに、何が必要か考えた」
大暴れしたいだけなら他で事足りる。彼等に臨んだのはそんなものでは無かった。彼等なら、この身の奥底から訴える飢えを満たせるのではないか。
そう思ったからこそ――
「『長く』戦えることを望んだ。こいつが、その答えだ!」
まるで恋い焦がれるように、ひたすらに闘い合えることを望んだ。もっと、もっと。底なしの飢えを抱えて。
――期待しているから。
血だまりに沈む人々を顎でしゃくるように示して、
「連れて帰れ」
「まだ、勝負、が」
「イイ女共だ。ここで死なすにゃァ惜しい」
首に残った傷痕すら愛おしげに。
「てめェ等の期待したのは正しかった。…動かずにいてやる。次に会う時は全力だ」
風に声が流れる。
「強く、なったじゃねェか」
それは紛れも無く、餓狼の賛辞だった。