何処かで誰かが笑う。
全ての計画を成し終えた悪魔の眼下で、双頭の竜が鎌首をもたげる。
森羅に罪深き竜は吼え、人の子は来りて剣を掲げ、以て最後の舞台の幕が上がる。
其れは始まりの終わり。
そして、やがて至る終焉へ序章。
薄い笑みと共に道化は囁いた。
──さぁ、始まりますよ
●ハジマリのオワリへ
轟音が空を叩いた。阻霊符によって透過を妨げられ、竜の足が木々を薙ぎ倒す。
「まるで怪獣映画ですね……」
巻き上がる粉塵に鳥海月花(
ja1538)は静かな表情で呟く。木々の合間から見える竜の巨体。ましてそれが双頭であれば尚のこと。
「左班、敵南方にて出撃。現在集結中。敵との距離およそ五百Mです」
素早く連絡員に回された月花の言葉に、如月優(
ja7990)は呟く。
「同じタイミングで、着けば、いい」
「おそらく、同時程度かと」
「ならば、重畳」
左班と情報を交わす月花の声に優は瞳に決意の色を閃かせる。その手に具現化するのは『神の救い』を意味する断罪の巨大戦斧。
竜への距離、残り四百M。
「竜、のぅ」
かつては幻想でしかなかったはずの異形の姿に、白蛇(
jb0889)は目を細めて独り言つ。
(在りし日を思い出す敵じゃなぁ)
「巨大であるということはそれだけで素晴らしいものだ」
敵の姿を遠く臨み、下妻笹緒(
ja0544)は満足げに讃える。
木々の高さを超え、地上を睥睨する双頭の竜。その威容は他を圧し、同時に強く惹きつける。ある種の男の浪漫だ。
(これを作った悪魔は中々分かっている)
しかし男の浪漫もレディの感銘を受けるには至らない。
(でかけりゃいいってもんじゃないだろJK…)
フレイヤ(
ja0715)は敵の巨躯に何とも言えない嘆息。その隣を駆ける久瀬悠人(
jb0684)も苦笑いを零す。
(…でかい。でもやるっきゃないわけで)
助けなくてはいけない人が其処に居る限り、退くなんて出来るわけも無く。決意と共に片刃の大剣【罪の十字架】を具現する。
竜への距離、残り三百M。
「随分と大きな的ですね」
聳えるが如くの敵に向かい、石田神楽(
ja4485)は薄く笑む。
「……では、狙い撃ちましょうか」
倒壊する木々。踏み拉かれる樹木の悲鳴。地響きと共に足に伝わる強振動。
まだ距離があるというのに感じる、この恐ろしいばかりの威圧感。
「開戦早々デカブツを投入か……つくづく研究や理論構築のネタに困らないわね」
邪魔な低木を飛び越え、ナタリア・シルフィード(
ja8997)は静かに瞳を細める。
「あれが双頭竜か…」
「色々と厄介な敵だね……犠牲者が出ないよう注意して戦わないと」
影野恭弥(
ja0018)の低い呟きに、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が頷き、呟きを返す。一条常盤(
ja8160)が言葉を紡いだ。
「心無き者に屈するほど、人は弱者ではありません」
──たとえどれほど巨大な敵であろうとも。
竜への距離、残り二百M。
「あの中に沢山の人が……」
神月熾弦(
ja0358)は竜を見上げ、最も気がかりな点を口にした。その背をファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)がそっと叩く。
「必ず救い出しましょう」
義姉でもあるファティナの声に、傍にいた少女達が一斉に頷く。
(…無辜の人々をあんな風に扱うなんて、許せない)
銀の髪を靡かせ、橋場アトリアーナ(
ja1403)は──
──あ。
(ご、ゴグマゴクも、カイトスも、あるの……!)
やや顔を赤らめて走るアトリアーナに、すでに戦闘モードに入っているアイリス・L・橋場(
ja1078)が少しだけ首を傾げる。
「どうか…した…?」
「な、なんでも……っ」
アトリアーナの頬がさらに赤らんだ。事情は分からないものの、その愛らしさに周囲に漂っていた張りつめた空気が少しだけ和らぐ。
二人のやり取りに首を傾げていたイシュタル(
jb2619)も口元を一時微笑ませ、すぐに表情を引き締めて『神の美』の名を冠する双剣を具現化させた。
「……あの悪魔に借りを返そうと思ったのだけど……それどころではなさそうね」
四国にて騒動を巻き起こす悪魔の片割れと、彼女は直に相対していた。強靭な尻尾での一撃は今も記憶に新しい。
(……また、どこかで見てるのかしら)
徐々にその動きが活性化しつつある四国。報告される多数の冥魔勢。
おそらくその始まりを担うのは、件の悪魔と共にある道化師。
(次に会うことがあれば、その時は借りを返すわ)
されど、今この地に在って第一に思うのは、ただ目の前の命を救うこと。
(思い通りにさせてやらない……!)
竜への距離、残り百M。
「たくさんの人の命が懸かってるんだ。絶対助けてみせるよ…」
光の翼を具現化させ、空へと飛びたつイシュタルの下方──竜を睨み据えて桜木真里(
ja5827)は決意を口にした。
すでに飲み込まれ、目の前で移送されている竜の中の人々。
そして、自分達の遥か後方、竜の進行方向に在る街の人々。
その全てが自分達の動きにかかっている。
それはある種恐ろしい重圧だろう。一つ間違えばどんな大参事を引き起こすかわからないのだから。
けれど真里の傍らを駆ける月詠神削(
ja5265)は、その重圧を吹き飛ばすように軽く鼻を鳴らした。
「厄介な化物出しやがって……」
重さに潰されることはない。そんなものを感じている暇もない。
成すべきことを成す為に、自分達はここに在るのだから。
(……ただ攻撃して倒せばいい、ってだけじゃないのが、一番厄介か……)
双頭竜の最も厄介なところは、左と右、二つの首を同時に撃破しなければならないことにある。
わずかでも手元が狂い、片方が残ってしまった場合、この竜は身の内に取り込んだ人間を消化して首を再生する性質を持つ。
犠牲となる数は、およそ取り込まれた人間のうち──半数強。
「胸糞悪い敵だな…」
「えさ兼人質なわけですか? 卑しい天魔らしいやり方ですね」
桝本侑吾(
ja8758)が吐き捨て、クロエ・キャラハン(
jb1839)が低く呟く。その瞳に暗い影がさすのはどうしようもないことだろう。竜に捕えられた人々の姿が、結界に捕らわれたであろう両親と重なるのだから。
助けたい。
何としてでも。
彼の地に在りし父母への思いにかけても!
竜への距離、残り五十M。
(……今、俺にやれることを)
決意を新たにするクロエの前を駆ける浪風悠人(
ja3452)は、呼気を整え決意を瞳に宿らせた。その手でぽんと隣を駆ける弟分の肩を叩く。
「無茶はするな」
「はい」
戦場に着くやいなや、表情が消えた東城夜刀彦(
ja6047)が小さく頷いた。ほんの一瞬だけ、それとわかる穏やかなものが口元に浮かんだが、それもわずか一瞬。
(なんとしてでも、救出を……)
竜に関する資料を誰よりも熟読した。その胸に抱くのは優美な大太刀【蛍】。解き放たれた刀身が銘の通り仄かな燐光を宿す。
(もう、誰も死なせない……!)
その思いは、決して一人だけでは無く。
(必ず助け出す……)
二人にわずか遅れて走る強羅龍仁(
ja8161)の胸にも、炎の如き意思がある。
祈りが、願いが、思いが、決意が、熱をもって戦場を満たしてゆく。
その熱を感じながら、羽空ユウ(
jb0015)は静かな眼差しを竜へと向けた。
(……彼等は、ただ在るだけ。でも、私達にとって不利益だから、戦う)
共存できる存在であったら共存を選べた。
全ては、在るだけなのだろう――
だが、彼等はその在り方そのものでこちらを害する。ならば選択は一つ。
(呑まれた人々救うがため)
姫宮うらら(
ja4932)は駆ける。その最速の足で。
(皆と力・想い一つにし)
解かれた父の形見のリボン。靡く白銀の髪は、さながら獅子の鬣か。
(悪食の竜──必ずや撃破を)
放たれた大罪の竜。ならば迎え撃つは撃退士達の意思と矜持。
誰かを救わんとする不滅の決意。
「左班、戦場到達。南方にて展開。交戦に入ります!」
月花の通信が瞬く間に優、熾弦、ファティナ、龍仁によって携帯使用者全員に通達される。
一瞬で具現化され、木漏れ日に光る意思ある刃。
先陣を切るうららの指に白銀の煌めきが宿った。それは目に見えぬほどの純白糸。
「姫宮うらら、獅子となりて参ります……!」
竜への距離、残り零M。
西方、右班総勢二十五名。
南方、左班総勢二十五名。
今、人智を尽くした戦闘が始まった。
●祈り抱きし滅魔の戦人
「硬い!」
初撃の手応えに、うららは舌打ちをした。装甲のような鱗の上を純白糸が滑る。僅かに傷はつくものの微々たるものだ。
「流石は竜、といったところかな」
厄介な爪を狙った浪風もまた低く呟く。攻撃を回避された侑吾が武器を持ち直した。
「デカい図体のわりによく避けるしな……」
決して当たらないというわけではない。だが、わずかの差で避けらえることも多い。
そして何より、鉄壁と言っても過言ではない図抜けた防御力。
「これで体力と攻撃力が高かったら、下手するとジリ貧か」
「いざとなれば庇う」
「防御と回復は、こちらで、受け持つ」
龍仁と優の声に、久瀬と白蛇が召喚した青竜を暗に指し示した。
「……冥魔相手にアストラルヴァンガードだけだと厳しいだろ? こっちも補助に入る」
「皆で帰らねば意味が無いのじゃ。我の司も守らせよう」
それは集まった右班が最初から掲げていた目標。
誰も明言してはいないのに、知らず合わさった紛う方なき総意。
竜に取り込まれた人も、
この地に集まった仲間も、
唯の一人も欠けることなく、
互いに庇いあい、守り抜き、
敵を討つ──その意思。
「相手の守りが硬いのなら、どこまで耐えられるか……勝負といきましょうか」
「こっからは狙撃屋の仕事だ…」
神楽の武器が黒色化し、触れている手の部位と同化する。同時、恭弥の左目から炎のような金色のオーラが溢れた。
「「射抜く」」
二つの弾丸がゼロコンマのブレ無く竜の牙を穿った。あがる咆哮は苦痛か、怒りか。赤光を帯びた竜の瞳が地上を睨み据える。
「我が…手に…滅殺の…力を…」
アイリスの顔上部を血のような紋様の浮いた黒いバイザーが覆った。
Alternativa Luna―オルタナティブ・ルーナ―
その、感情を排し敵を悉く殺し尽くす強い自己暗示。一瞬にして跳ね上がった凶暴なる意思が、自身の力を飛躍的に高める。
さしむける銃口は、黒と銀。その銃弾は眼球からは僅かに逸れたものの、目元付近を確かに抉った。
「さて……注意しながら削っていこうか」
ソフィアは小さく唇を舐める。
技を出し惜しみする気は無い。これだけ高防御な敵なら尚更のこと──
「舞え!」
声と同時、花びらが激風の渦の如き激しさで竜の首を襲った。着弾し、霧散する花びらがいっそ幻想的なまでに美しい。
「火砲を使う、ということは、水系に弱いのかな……」
真里の魔法書がアウルに呼応して淡く輝く。技によって具現化した氷の錐が竜の首を抉った。
「魔法防御も高いか……!」
「基本、物理より高い感じね。でも、クリスタルダストは威力あったわ」
より敵に近い前衛位置で睨み据えていた神削が呻き、ソフィアがダメージ差について口にする。
魔法陣営が素早く目配せしあい、頷いた。
その上空で光の翼が音もなく羽ばたく。蒼みを帯びた四枚の翼──イシュタルだ。
「……頭上からの攻撃はないと思っていたのなら大間違いよ?」
今や人界の戦いは、人間対天魔だけではない。己の属する場所を変えても守るべきものを守らんと馳せ参じた天使・冥魔は多いのだ。
「貴方の敵は人間だけではないのだから!」
斬撃に竜が首をもたげる。中空に在るイシュタルは怯まず睨み据える。じわりと竜の口腔に赤い光が灯る。
「右頭、口腔部に赤光! 火砲の可能性あり!」
状態を見てファティナが警告を発した。その竜へと横合いから走りこんだ夜刀彦が技を解き放つ!
一直線に駆け抜けた雷の如き一撃が、竜の右頭を打ち据え──
見えざる茨に絡められるが如く、竜の動きが鈍った。
「右頭、麻痺入りました。好機です!」
月花の声にフレイヤは高めた魔力を解き放つ。青薔薇の花弁にも似たオーラが高まった魔力と共に鮮やかに舞い上がった。
「デカい的ってのは当てやすいのよおっけー?」
「わりと回避力あるみたいなのよ」
「魔法は急に止まれないのだわ!」
「それもそうね!」
受け答え、フレイヤの魔法にあわせてナタリアがライトニングを放った。高い命中力を誇る雷撃が羽根もつ光球と合わさり金色の妖精に似た姿を模す。
「いっけーっ!」
麻痺により動きの鈍った竜の首を雷精が襲う。衝撃に大きく身を震わせた竜の牙へと向け、クロエが長大な銃身から痛烈な一撃を放った。それは先に神楽と恭弥が穿った箇所を見事に射抜く!
「傷が入ったようだな…」
「その牙、取らせていただきましょう」
素早く射撃手二人が追撃を構える。
神楽が己が身に付与していた力の名は黒宿―シンジツ―
与えられし属性は天。冥魔を穿つ漆黒の弾丸。
恭弥が己が身に付与していた力の名は煌焔眼―コウエンガン―
両目に集中されたアウルにより研ぎ澄まされた攻撃精度。左目に宿る金色の炎は意思の力か、発現せし魔眼の鬼火か。
放たれた二つの弾丸が合わさった。黒光が金色を纏いて傷の入った牙を打ち抜く!
大きく欠けた牙に竜が怒りの咆哮をあげた。だがその体は麻痺により移動できない。
「敵ターゲット、後衛の可能性が大だ! 後衛陣、距離の確保を!」
「同じ位置に居続けるのは、むしろ悪手ですしね」
「前衛、戦線確保に入る!」
浪風の警告に一射ごとに移動していたクロエが近くに居たユウと共に動き、神削が絢爛な両刃の剣を振るう。
「エルダー、皆を……!」
「皆に加護の衣を」
「我が堅鱗壁よ、成れ」
同時、久瀬に呼び出されたストレイシオンのエルダーが前衛陣に淡い燐光を与え、優のアウルの衣が広範囲の仲間達を透明なヴェールで覆い、そこに白蛇の権能:堅鱗壁がさらなる防御を与えた。
「敵さん、まだまだ余裕っぽいな……!」
「ですが、蓄積されれば必ず倒せます……!」
「諦めない限り、必ず」
侑吾の一撃と同時、ファティナとユウの魔法が竜の首を穿つ。
そこへアトリアーナが走りこんだ。ともに攻撃を解き放つのは笹緒。穿たれ、切り裂かれた竜が咆哮と共に灼熱の熱波を放った!
「くぅッ……!」
「きゃ…!」
麻痺で移動力を失っていたためか、その一撃は後衛までは届かない。だが範囲内にいた前衛にその忌まわしい力が猛威を振るった。
「回復を……!」
即座に龍仁と熾弦、優が特に傷の深い神削とアイリスを癒す。
「これだけの加護をもらっていて、コレか……!」
クリアランスで温度障害を取り除いてもらい、神削が呻いた。
もし優のアウルの衣と、久瀬と白蛇が召喚獣に命じて与えた防御効果が無ければ、どれほどの被害になっていただろうか。
「高防御、高火力。けれど、動きは鈍い……!」
まして麻痺が入っている今。攻撃の手を緩めることはできない!
神速の刃を閃かせた常盤にうららが続く。
「左頭の損傷具合は!?」
熾弦の声に左班との交信を一手に引き受ける月花が答える。
「右より早いです!」
「押して行くよ!」
ソフィアが声と同時に魔法を解き放つ。
惜しみなく放たれし技の名はSpirale di Petali―スピラーレ・ディ・ペータリ―
その螺旋軌道を描く花弁が霧散するより早くアトリアーナが駆け、その攻撃にあわせてアイリスが銃を構える。
(…タイミングを合わせて、全力で叩き込む)
(…一撃…に…全て…を)
姉妹の思いが一瞬合わさる。全く同時の攻撃が首へと叩き込まれた。
「! 気をつけて! 麻痺がとける……!」
竜の咆哮が上がった。巨大な頭部が一瞬で地上を襲う。
「侑吾!」
「夜刀彦……!」
龍仁と、浪風、優が声をあげる。
竜が向かう先にいたのは侑吾。だがそこに割って入ったのが夜刀彦だ。
一瞬で切り裂かれた空間に、ジャケットの破片が舞う。
「ッ! ……」
駆け寄りかけた浪風はすぐにホッと息をついた。持ち上げられて首が去った後、砂塵の向こう側に見える二人の姿。
「空蝉です」
傷一つない夜刀彦が静かな表情で告げる。ならば切り裂かれたジャケットが、その代償たる身代わりか。
「危ね……悪いな」
「いえ」
侑吾の声に夜刀彦は目元を僅かに和らげる。
攻撃をいなされた竜の咆哮が大気を叩いた。同時に南方で轟音。
「!?」
「今の、音、は……」
次の攻撃準備に入っていた常盤とユウが弾かれたように顔を上げた。
月花の報告が戦場に響く!
「左班、負傷者多数!」
「な……!?」
にわかに周囲が騒然となる。同時撃破しなくてはならない敵を前に、片方を担う相手の損傷は見捨ててはおけない。
「回復陣は!?」
真理の声に月花は即座に情報を回す。
「なんとか……ですが、その分攻撃の手が不足する形のようです」
「こちらからの援護はどうじゃ?」
「それは……いえ、向こうで補うと。必ず立ち直ってみせる、と」
声に、笹緒は深く頷いた。
「……ならば、我らの成すことは、一つ」
互いに無事を祈った。
成功を願った。
例え同じ部隊にいずとも、彼らは自分達の仲間。
同じ場所に同じ願いをもって在る確かな同朋。
その仲間が必ず立ち直ると言う。成すべきことを理解したうえで、この戦場を支えるために。比翼の片側とも言える友軍がその矜持をもって。
ならば、信じ応えるのが─ 朋。
「攻撃の遅れ、取り戻す!」
常盤の声を背に白蛇は回復手たる三人を見る。
「星の護り手(アスヴァン)は回復を優先して欲しい。……万が一の場合は、いつでも助けとなれるように、じゃな」
「了解しました」
頷き、熾弦は注意深く竜の様子を伺う。未だ傷の深い神削を癒しながら、左と右、その竜の頭を視野に収めて。
(殺戮も、侵略行為も、もとから好きになれないのよ)
イシュタルは双剣を構え、竜を見据えて独り言つ。
争い事はあまり好きでは無かった。それがなぜこうして刃を持って戦場に立つことになったのか。
其処に、自身が守りたい者がいるからだ。
(友を守る。……彼女達が守ろうとしているものも)
空を行く刃があれば、地を走る刃がある。
(忘れたことなんてない)
突如襲った日常の崩壊。それまでのクロエの全てを破壊した悪夢。
(あの日の結界は、今もあの地に在る)
危ういところを撃退士に助けられ、国内に身寄りが無いことで学園へと来た。その学園にも天魔の姿。人間に組する彼等彼女等とは強調できる。だが、身の内に隔意があることも自覚している。拭えないのだ。あの日の光景と思いが。
だから。
(せめて)
今、助けられる人は、すべて。
(解き放つ……!)
自分のように心が縛られてしまわないように。
同じ悲しみと苦しみを味あわせないために!
その忌まわしい禍つ檻から──!
竜を切り裂く一撃を見守りながら、優は斧を握る手に力を込めていた。回復を優先する今、自身は戦いに出ることは出来ない。だが思いは彼らと同じだ。
一刻も早く滅殺を。
一秒でも早く解放を。
(……お爺様)
覚えている。魔女の祭りで、友とともに自分の命を救ってくれた人のことを。
自分達を守るために天魔の犠牲になった親友の祖父。目の前で無残に散った命。
(私に、力を)
あの時守ってもらった自分が、今は皆を守れるように。
「一斉攻撃はクリスタルダストで、だったね」
「効果のほどは、先ほど試していたようだが。なかなかのものだ」
「うん。……回数、残しておかないとね」
真里の声に笹緒が答え、その言葉に真里は笑む。
(もう失いたくないんだ)
かつての依頼で散らしてしまった命。なぜ救えなかったのかと、どれほど悩み苦しんだことだろうか。
(助けきってみせる……!)
罪の意識は時に人を強く縛る。それが取り返しのつかないものであれば尚のこと。
敵の罠にはまり奪ってしまった命を神削は決して忘れない。
どれだけの命を助けようとも、その日の罪と慟哭が消えることはない。けれどだからこそ、見過ごせないことがある。
(取り戻す……)
竜の内側に閉じ込められた人々を。救えなかった命への無限の贖罪を込めて。
(このディアボロも、誰かの大切な人だったのかもしれない)
うららの髪が風に靡く。
かつてこの手で討ったディアボロと化した父。天涯孤独となった全ての元凶こそ悪魔。
故に許せない。人を弄ぶ者が。人に害なす者が。
(決して救えない。なら、ここで眠らせる!)
「ここは牙をまず潰しましょうか」
魔法攻撃も脅威。けれど、下手をすれば必殺の一撃となりかねない牙の脅威も捨て置けない。
呼気を整え、ファティナは身の内に力を蓄える。
すでに大きく削れているところを見ると、牙の撃破まで、あと一押し……!
「着弾数、三十八……傷の具合から、頭部の損傷度、中度を超したと、みる」
その魔法へとあわせてユウが魔力を練り上げ、カウントしていた着弾数を周囲に伝達する。
例えどれほどの防御を持っていようとも、意思ある刃が届くとき、そこには確かに傷が刻まれる。たとえ微々たるものであろうとも、そうして積み重なった時に、人は強大な敵をも打ち破るのだ。
「頭部への痛みを最も嫌い、胴体は攻撃ほぼ無効ゆえに無視、足への注意は微細。最優先は自身を強く傷つけし者。されど攻撃が届かぬ時は近くの者……狙いは、回避しがたい者、か。ディアボロにしては中々知恵がある」
笹緒は口元に笑みを湛える。
多対一の戦闘で必要になってくるのは、相手の攻撃パターンを読み、味方が十全な連携を決めることに他ならない。
「だが……悲しいかな、首が左右で連携できないのは、大きな欠点だ」
もしこの敵の二つの首を同時に相手取っていたなら、今のような状況にはならないだろう。
二つの首がそれぞれ攻撃するということは、同時に二体の敵を相手どることを意味する。
そして伝え聞く広範囲魔法。くらった左班の損傷を思うに、それがもし同戦場で双頭の連続攻撃となったなら──重症を飛び越え重体となる者が多数出た可能性とてある。
「ならば、この戦、我々の作戦勝ちだ……!」
ダアト三人の生み出した魔法が一直線に牙へと向かう。収束し、爆発した衝撃に竜の頭が一瞬大きく後方へと弾かれた!
「牙、撃破しました!」
「歯抜けの老人のようだな。入れ歯でも作った方がいいんじゃないか?」
牙を失った右頭の姿に恭弥が薄く笑う。
「牙が消えた、ということは、残る物理攻撃は爪だけか」
爪への痛恨の一撃を叩き込んだ浪風が、傍らに戻って来た夜刀彦に苦笑した。
「無茶するな、と言っても……きかないな?」
「兄さんこそ」
竜を油断なく見据えたまま、こつんと互いに拳をあてる。
無理はしない。けれど無茶はせざるを得ない。
守りたいものを守ろうとする時、どうしても自分の身が後回しになってしまう。それはきっと撃退士の性なのだろう。誰かを心配することは誰もが同じで、きっとそこに差は無く、互いが互いの立場に立てば同じことをしてしまうけれど、そこでやはり相手を思って心配してしまうこともまた、誰もが同じ。
大切だということ。
守りたいということ。
人として、
否、
命ある者として、その命と魂の尊さを言祝ぐ時、そこに在るのは純粋な祈願。
無事であってくれるように。
それは兄弟・姉妹とも言うべき友であっても、見ず知らずの人であっても、同様に。
(……先生)
手に持つ【蛍】が明滅する。まるで何かの鼓動のように。
胸の奥深くに在るありし日の背中。
変われぬ己に苦しみを抱いて尚、決然と立とうとしていた人。
彼が守ってくれた命の一つだから、その人に恥じぬ行いをもって応えなければならない。……自身の犯した決して消えぬ罪と共に。
──魂を賭けて。
(誰かを守る力を)
稲妻にも似た衝撃が咆哮を上げる竜頭目掛け、地上から一直線に駆け抜けた。自身を縛めんとする力に竜が抗い咆哮を放つ。
(正義を…語る…つもりは…無い)
抗う竜の首へ向かい、アイリスは銃を構える。
人に対し信心を抱くことは難しい。
瞳と髪の色を恐れられ、生まれた直後に捨てた生みの家族。育ての養父亡き後、大切な義妹を殺した人間の暴漢。
正義の味方になる夢など、その時に捨てた。
人に対し、思うのは希望と絶望。救済と殺害。相反する二つのそれが背中合わせのように常に身の内に在る。
秘めた狂気はやがて身の内を焼くのではないかと思われたほど。
正義を語り、己を正義だと盲信する人間を嫌悪し、
されど歪んだ正義を背負って行こうと願い、友を救う代わりに失った教師の願いを胸に刻み、
友たる悪魔の喪失により感情の一部が動かなくなってしまって尚、生き、足掻き、動き、進み続けて今に至る。誰よりも何よりも大切な人と共に──
「……今、助ける」
アイリスの攻撃に合わせるようにしてアトリアーナが駆ける。
最初は別段目的たる目的無く学園に入学した。だが、様々な依頼を経て身の刻まれた数多の経験が今の自分を形作っている。
助けたい人を助けられるように。
忘れがたい、この手で奪わざるをえなかった少女の面影と共に。
血は繋がらずとも魂で繋がる姉妹の弾丸と刃が、再度竜の首に激しく叩きつけられる。仲間達からの幾度もの攻撃を受け、脆くなった箇所に確と食い込んだ。
「首、損傷、大」
「次が、一斉攻撃か」
「左班に連絡します」
「タイミング合わせる、足止めと回避行動を!」
「ダアト諸君! 我々の魔法を解き放つ時が来た!」
ユウの声に同じ読みの名を持つ優が答え、月花が左班との連携を行い、神削が前衛陣と共に力を溜めながら次の竜の攻撃に備え、笹緒が音頭をとってダアトの仲間と共に魔力を高める。
機会は一度。
わずかな失敗も許されない、たった一回きりのチャンス。
攻撃は前衛と後衛の二段構え。
それがもつ危険性に気づく者は少なく、けれど共に成さんとする気概と込められし力で万難を排さんとする。
「左班も連携に入ります! カウントスタート!」
戦場に高らかに最初の笛が鳴る。
ブレの無い笛の音は、西と南に分かれているとは思えないほどの同一音。
三。
最初の一撃を担う前衛が己のすべてをかけて技を編み始める。
二。
次の一撃を担う後衛が自らの力を解き放つ。編まれる氷結の魔法。黒に染まる射撃手の技。作成される邪悪を滅する白銀の弾丸。各種魔具より出る神秘の力。
一。
竜が危機を察したようにそれぞれの頭部を互いの敵へと向ける。
だが、もう遅い──
響く攻撃合図と共に、祈りを込めた必殺の一撃が天地を震撼させた。
●1/1000000000000000000
蒼穹を叩く轟音は撃退士達の力か、双頭竜の断末魔か。
天の唸りが消えて尚、竜はその地に立ったまま。
永遠にも等しい一瞬。おそらく左班も同様だろう。
誰もが息をつめてその様を見守る。
「どうなった……?」
封砲の放ち手である常盤が呟く。
「……分から、ない」
次の魔法を解き放つ準備に入っているユウが、我知らず額に浮かんでいる汗に気づかずに応える。
失敗か。
成功か。
竜の姿では判別できない。大きく穿たれ、引き裂かれ、無残な様を晒す首ならば、成功を思いそうになる。
だが、駄目なのだ。
ほんのわずかな生命力で残っていれば、それはすなわち失敗を意味する。せめて、失敗であるのなら──それが左右両方であれば──次の一撃で決められる。
(どっち……?)
月花は迷う。
次の一撃を今、放って、それでもし出現する胃袋に着弾すればどうなるか。
事故殺を防ぐために前後で攻撃を分けたのに、それでは元も子もない。
分けてしまったことが一撃に込められる力の量を分散させた。胴体の強固な防御が確立されている時に、全員で一撃を叩き込むべきだったのか。それは今となっては分からない。
左班からの連絡も無い。連絡のしようが無いのだ。二つの首は、ボロボロになりつつも未だそこにあるのだから。
その時、
左の首が、
──落ちた。
「──ッ!」
右班の全員が蒼白となった。失敗か。喪ったのか。助けると誓った沢山の命を!
音の無い悲鳴が喉の奥からこみあげる。絶望が希望を打ち砕く。
その瞬間。
──右の首が落ちた。
●赤き地より出る者
爆発した歓声は右のものか、左のものか。もはや声が声としての枠を超え音の波となって蒼穹を叩く。
(……やった……!)
優はこみあげた涙を抑えられず、次の攻撃に備えていた影の書を強く握りしめる。震えが止まらず、喉の奥が熱いもので蓋をされる。
だが、これで終わりでは、無い!
「来るぞ…」
「諸君、第二撃目、構え!」
恭弥の静かな声と、笹緒の激が感情に流されそうな戦場を一瞬で引き締める。
…ずじゅり
得体の知れない音が竜の体から発せられた。まるで液体と柔らかな物質を混ぜたかのような音。
そう……例えば、肉を割って何かが出てくるかのような。
「第二形態……か」
浪風の声と共に、ソレが抉れるようにして落ちた竜の首の付け根あたりから現れる。
黒色に似た血を纏う赤光の球形魔法生命体。
核(コア)が戦場に出現した。
●大罪破りし焔の竜滅士
「! 障壁らしきもの消滅! 胃袋も出ました……!」
「うわ……グロい……」
ナタリアの声に久瀬が呻く。
核が出現すると同時、弛緩するかのようにずるりと鱗ごと皮が剥ける。同時に何か生臭く暖かい臭気が漂ってきた。
もしかすると結界めいたものが今まで張られていたのかもしれない。ならば、それが胴体を守っているとされていた【障壁】だろう。
剥けた皮の向こう、血肉らしきものの合間から見えるのは鳴動する巨大な胃袋。胴体のほとんどがその胃袋で占められているのか。鱗と皮がめくれた部分には、他に肉と思しき組織は無い。なるほど、ディアボロとは、確かに実在の生物とは異なる構造にある異種物であるらしい。
そして──
「……これは確かに、わずかでも掠れば危険ですね……」
視界に収めた胃袋の様子に神楽が声を落とす。
胃袋は、薄い膜のようなものだった。ぴっちりと張り付くそれのおかげで、内側に閉じ込められている人間の姿が浮き彫りになっている。
その、あまりにもぴったりと張り付いた膜。
「カッターナイフで切るとかも、無理そうですね……」
ぎりぎりまで魔法を高めながら熾弦も呟く。
前情報としてもらい、厳重に注意されていた内容から察するに、あの胃袋を魔具で直接破るのはおそろしく難しいのだろう。そこに人命がかかっている以上、試すわけにもいかない。
そして、ならばこそ、これからの攻撃はより一層の注意が必要となる。
「角度に気を付けて! 胃袋には絶対にあてないように!」
「行くぞ!」
ソフィアの声と笹緒の声が戦場に響く。
大気を小さく震わせながら核がゆるゆると浮上する。
その最大高度、およそ四メートル。
「今!」
一瞬現れた屏風の幻想を取り込み、凍てつく巨大な銛と化したそれが同時発射された三つの闇丸、一つの銀弾、赤光を纏う雷、影の槍をも飲み込んであたかも明滅する雷槍となって核に襲い掛かる!
「着弾確認。左班も後衛一斉攻撃着弾とのことです」
大気を砕く音とともに赤光を纏う球核に大きな罅が入る。次の瞬間、常盤が警告を発した。
「敵攻撃、来ます!」
赤核が一気に動いた。
「避けて!」
狙いを察した熾弦の警告と同時、凄まじい音波が後衛を襲う。
「きゃ……!」
離れた者すら耳をつんざく音に顔をしかめた。直撃を受けた後衛陣に龍仁と熾弦が走る!
「被害は!?」
「避けきったわ!」
「いけます……!」
なんと後衛陣、そのほとんどが避けきった。
危険だったユウは夜刀彦の空蝉が、白蛇は間に入った優が庇いきる。
「…ありがとう」
「無事で何より」
「む。すまんの」
「大丈夫。すぐ、癒える」
常にスキルで全員の魔法防御を上げていたのが功を奏し、優の傷は持ち前の防御力と相まってかすり傷に近い。
「! 核が胃袋のもとへ戻ります……!」
「このまま引き離す!」
ナタリアの警告に浪風と常盤が走る。
交わされる視線は一瞬。回り込み、同時に左右から鋭い一撃を叩き込んだ!
「戦線を外側へ!」
一斉攻撃に向け、胃袋から距離をとらせるべく前衛が動く。
(獅子が誇り)
うららが駆ける。その傍らを駆けるのは神削。
(滾る想い)
「食らい尽くせぬとしれ!」
殺撃の糸が赤核にからみついて引き、後方にまわりこんだ神削が先の二人のように胃袋から核を離すべく宝剣を叩きつける!
「……胃袋、呼吸、できるようには、思えない……中の人、仮死状態……?」
「睡眠状態と伝え聞きますが、そんな感じかもしれないですね」
じりじりと離される核に魔法を解き放ってユウと熾弦が声を零す。
「左班、青核損傷度中位突破です」
「こっちの罅割れも相当なものになったのだわ」
月花の報告に、フレイヤのコンセントレートが赤核を鋭く穿つ。
「…あと少し、か」
恭弥と神楽の弾丸が罅を広げるべくその中核を打ち据えた。
ピシリ、と欠ける音が聞こえる。
「控えよ! オーバーするぞ!」
「赤核、損傷度、大」
即座に白蛇とユウが告げる。
「連携するなら今だね。一気に決めさせてもらうよ! 左班の状況は!?」
今一度魔法を合わせるべくクリスタルダストの術式を編み上げたソフィアが叫ぶ。月花が答えた。
「青核損傷度高。連携……ッ」
「しぶとい……!」
損傷ゆえか高度を下げた赤核が再度音波を放つ。
連携を遂行させるべく、龍仁、浪風、優が、アイリス、アトリアーナ、常盤を庇い、熾弦が即座に癒しの術を解き放つ。
「カウントタイミングは……!?」
「大丈夫です。いきます!」
ピーッ!
笛の音が響いた。あの時と同じように。
常盤が力の全てをそのしなやかな大剣へと込め、
浪風が核のみを敵と認識して封砲の力を武器に溜め、
侑吾がスマッシュを撃ち放つべくアウルをその身に満たし、
アイリスのRegina a moartea―レギィナ・ァ・マーティア―が赤き大剣を覆い黒き刃を生み出し、
アトリアーナが戦槌に闘気を込める。
その身がためし力は乾坤一擲。すべての力を凝縮した必殺の力。
ピッ
身を穿つ激痛すらその笑みに隠し、神楽が黒業―トガビト―を再度纏い、
ファティナと真里が雷光が瞬かせ、
うららが核にのみ狙いを定めて薙ぎ払いの力を溜め、
神削がその剣に全力を込める。
アウルによりの白銀の退魔弾を装填した恭弥が薄く笑った。
「俺に狙われたら最後、逃げる術はないよ…」
ピッ
龍仁が核を睨み据えて星の輝きを武器に込め、
夜刀彦、優、イシュタルが己の武器に祈りを宿し、
久瀬、白蛇が呼び出したる青竜に雷鳴のエネルギー砲の準備を命じ、
笹緒、フレイヤ、ソフィア、ナタリア、ユウがクリスタルダストの術式を構築する。
「――強者、が、生き残る。誰も、悪くない」
ピッ
熾弦の戦乙女の槍がアウルにより具現化し、
狙い討つクロエの銃口が赤核を捉えた。
月花が最後の号令のために息を吸い込む。
今此処に、全ての力が集結する。
先の一斉攻撃すらも越えて──
ピーッ
ホイッスルの音の直後、二条の閃光が地上から斜めに中空を切り裂いた。
○奏者は終幕と開幕を告げる
「お見事です」
幼い道化の姿をした悪魔マッド・ザ・クラウン(jz0145)は満足そうに呟いた。
その小柄な体が跨る巨大な友は、ぺちょんと地面に沈んでいる。
「目標は達しましたよ、レックス。……泣かなくてもいいでしょう?」
「……我輩、いろいろと全滅である」
巨大化した子猫にしか見えない悪魔フェーレース・レックス(jz0146)は、大粒の涙をこぼしながら鼻をすんすん鳴らした。
「結局一度も勝てなかったであるぞ……」
「ふふふ。一度ぐらい撃退士に賭けてみるべきでしたね」
こりこりと頭を掻いてやりながら、クラウンは微笑む。レックスはすんと鼻を鳴らした。
「よいのである。なんとなくこうなるとは思っていたである。思っていたのであるぞ!」
「そうですか」
「それに、人の子の弱さは真に人の子の力では克服できぬようである。打ち破りたるはいつも撃退士である」
「撃退士も人の子ではあるのですが。……いえ、今は天使や我々の同属もいますが」
「……むー……。したが、撃退士なる者が滅ぼさねば、あの竜、食糧の飲み込みすぎで胃袋が破裂しそうだったのである」
その場合、破裂した胃袋の中の人間は衝撃に耐えきれず死滅する。
「貴方の見つけてきた人間のせいでしょうか。確かに暴食の名の通りの人間でしたね」
「限度を知らぬであるからな。我輩、何故暴食が罪と言われるか、なんとなく分かったような気がするである」
「おや、分かったのですか」
「うむ」
レックス、大きな頭をコックリ。
「したが、すぐに消化してしまえば無限に食べれるであるぞ。限度ある者が限度をまきまえぬのが悪いという罪である!」
……何か違う。
そう思ったが、クラウンは嬉しげに髭をピーンとそよがせているレックスに苦笑して頭を撫でてやるにとどめた。
「ところでクラウン。計画のハジマリは、成ったであるな?」
深い色を宿して仰向いたレックスに、クラウンはふいに襲ってきた疲労を殺して笑む。
「ええ。私たちが担った役目は完了しました。撃退士達も、天界も、そろそろ感づいていることでしょう」
始まりは何だっただろうか。
地上に降り立ち、友と戯れる最中に持ち込まれた計画。むしろ自分達の特徴こそうってつけであるかのようなそれに、加担しようと思ったのはそれが楽しそうだったから。
「プリンセスも次の段階用に行ってしまったのである。我輩、もっと遊びたかったであるー」
「すぐに会えますよ。……覚えていますか、レックス。かつて私が言った言葉を」
「? 我輩、クラウンの言葉は全て覚えているであるぞ?」
「そうですね。貴方はいつもそうでしたね」
長い年月を共に過ごしてきた友。
今ではもう共に在らなかった日々のほうが思い出せないほど。互いを縛る気はまるでなく、わりと好き勝手やっている方だというのに、気が付くと一緒にいる相手。
だから、この始まりの終わりの舞台もまた、ふたりで作り、見届けたのだ。
「「やがて来る時」」
かつて告げたその言葉。
「「来たる場所で」」
この後に生み出される全ての光景を予知して。
「「私達は最高の舞台を見るのです」」
その時は、もう、すぐそこに。
「さぁ、参りましょう。これより始まる、終焉の幕開けを眺めに」
巨大な猫は小さな道化師を乗せて駆ける。その背後に喜劇の終幕を残して。
●
教室は歓声に包まれていた。
いざという時には動けるよう動員されていた教師陣、動向を危惧して顔出ししていた太珀(jz0028)の顔にも笑みがある。
生徒からの報告を受けた西橋旅人(jz0129)が視線を向ける先では、現場の生徒と話し中の鎹雅 (jz0140)の姿があった。
「……そうか。見事だ。よくやってくれた。……皆、無事なのだな。生徒も……うん」
落ち着いた声はいつもより深い色を帯びている。俯き加減なその表情は見えない。
「すぐに救助隊を派遣する。お疲れ様だ。……本当に、よくやってくれた。ありがとう」
深い深い思いを込めているのであろう声。
通信を切ったのを見て、自身の涙を拭って旅人は雅に声をかけようとし、一瞬手を止めた。
雅は動かない。通信を切った時の態勢のまま、俯き、携帯を握りしめて、
声を殺して咽び泣いていた。
旅人はその肩にそっと手を添える。
雅が顔を上げる。
互いにくしゃくしゃ顔を見合わせ、涙を流したまま、
二人、全開の笑顔で肩を叩きあった。
●
時は少し遡る。
それは道化と猫の知らない物語。
閃光と轟音が静まって後、二十五人はそこに光を失い、ぼろぼろと欠片を零すかつて球体であったものの姿を見た。
バキンっ、と一際大きな音をたてて核が斜めに罅割れ、地に落ちる。
(……やったのですか)
常盤は知らず震える体を抱きしめる。
(やったのか)
龍仁が強張る手を魔具から離す。
声が出ない。喉の奥が熱い。
南も沈黙を保ったまま。
ただ熱だけが、その静寂を満たしていく。
月花が呟いた。それは南を、否、戦場の片側を担った同志と同じタイミングで。
「赤核消滅」
同時に、
「青核も消滅、です」
声を合図にしたかのように竜の胃袋が自ら張りを失って崩壊した。透明な水に似た液とともに沢山の人々が排出される。
足が動いた。
手が差し伸べられた。
声が溢れた。
思いがこぼれた。
誰が最初だったのかなど誰も分からず、きっと声を発したのは同時だったろうほどに。
「やった……やったぁあああッ!!」
気づけばすぐそばに、きっと意識すれば知覚できただろう近くに、共に戦った左班の人々がいる。
あまりにも戦いに集中しすぎて、まるで切り取られた別世界で戦っていたかに思えたけれど、実際は距離にしてたかだか数十メートル程度だったのだ。
「あはは……、よかった。よかったぁっ……」
胃袋の膜を広げ、そこから人々を救出しながらクロエがぼろぼろと涙を零す。誰もがその巨大な胃袋に群がり、中で眠る人々を次々と助け出す。
「底の人間が下敷きにならぬよう、急いで運ぶのじゃ!」
「……というか、どれだけ飲み込んでたんだよこの竜……ふざけやがって」
白蛇の声に神削が呆れたようにとぼやき、久瀬が召喚獣に手伝わせながら首を傾げる。
「なんだっけ、七つの大罪……暴食?」
「まさに大罪だな……特に今回は」
浪風が幼子を抱えて運びながら忌々しげに呟く。
右班、左班、あわせて五十人総出の作業で助け出された人々は、のべ二百人にも上ったという。
「呼吸、正常。脈拍、異常無し」
「本当に眠っているだけのようですね……」
「ホッとしました……」
人々の脈をとり異常がないかを確認するユウの傍ら、負傷者の傷を癒し終わった熾弦がファティナとともに安堵の息をつく。
「あとは皆を家に帰してあげるだけなの」
救い出した幼子を近くに捕えられていた女性の傍らに寝かせてアトリアーナが微笑む。バイザーの解けたアイリスがその肩にこつんと額を預けた。
「少し……疲れ、なのです」
「ん」
そんな二人の向こうでは大役を果たしきった月花が左班の選任者と会話を交わし、学園へと救援要請をしている。
小柄な少女を運び終えたフレイヤがぷるぷるする声を零していた。
「な、なにかあったらどうしようだなんて、ち、ちっとも考えなかったのだわ」
今頃になって震えがくるとかナイナイ。これってばいまだに武者震いですしおすし!
「ハンカチ、使う?」
涙跡も新しいフレイヤに、同じく涙の跡の残る優がハンカチを差し出す。フレイヤは真っ赤になって受け取った。
「あ、ありがとう……」
うららが髪をリボンで結び直し、真里がナタリアと互いに健闘を讃えあう。
「あの核や胃袋の組織、研究に持って帰れないでしょうか……」
「学園が回収すると思うけどね」
ナタリアの目がちょっと真剣だった。その後ろで、両脇に抱えて運んだ成人男性を横たわらせて、龍仁がぽつりと呟く。
「……ビールが飲みたいな……」
隣に最後の一人である女性を横たわらせた夜刀彦が、その様に淡く苦笑した。すでに仮面のような無表情は消えている。
「美味しい物作らせてもらいますよ。左班の人達も呼んで祝賀会というのもいいかもしれません」
「祝賀会ですか。いいですね」
常盤が顔を輝かせてとことこ歩いてくる。食べ物の気配につられるようにうららが目を輝かせて走ってきた。
「お肉は!?」
「人間ってこういう時、そういうの好きよね」
「同じ釜の飯を食う、っていうのも、いいんじゃねぇかな?」
イシュタルの言葉に侑吾が笑い、ソフィアが満面の笑みを浮かべる。
「帰ったら祝賀会だよね!」
その様子に互いの考えを話しながら思案していた神楽と恭弥、笹緒の三人が苦笑した。
「いいですね。少しのんびりしたいところです」
「…のんびりさせてくれるかどうか、分からないけどな」
「なんにしろ、人々は全員救出し、冥魔勢の資源確保も妨げた。こと今回に関しては、大団円というところだろう」
微笑みの奥で夜刀彦は心の中で独り言つ。
(……本当に、資源確保、だけだったのかな……)
笹緒の言う通りこれ以上ないほどに上手くいったはずなのに、胸中を過るこの不安は何だろう。
(むしろ……目に見えるもの、全てが陽動のように見える……)
数か月にわたり、四国を騒がしている悪魔勢。
見えない場所で、彼らは何を思い何を考え何を成そうとしているのか。
その答えが出るのは、この日より後のこと。
○かくて物語は始まりたる
罪深き竜は森羅に沈み、
天に人の歓声は響き、
悪魔は笑みぐみて彼方に去る。
冥魔が描きし計画の、その真実の全貌を人々が知る時は未だ至らず。
その全ては、わずか先の未来へと持ち越された。
されど彼ら冥魔も知覚している。
すでにこの時、彼らの未来を脅かす存在として、
人の子等が己の力を示したことを。