「だれも死にそうになる心配もないし、飯も食えるし悪くない任務だな」
僅かに霧がかった山を見上げて真崎 宗吾(
ja2671)はそう独り言つ。怠そうな表情をしているが、その口元には不敵な笑みがあった。
その横に立った舞草 鉞子(
ja3804)は顔を引き締めて言う。
「我々の力が誰かの役に立てるなら、それは立派な仕事だと思います」
まして地主は学園に援助をしてくれている人。自然彼女の拳に力が入る。
「被害にあった山林の木は、大きくて立派だったんだろうな……」
山の木々に思いを馳せる木花 小鈴護(
ja7205)は、身長こそ仁科 皓一郎(
ja8777)に並ぶ長身だが小等部五年生。身近に似た背丈の人が少ないため、皓一郎の存在に密かに喜びを感じていた。
その皓一郎はといえば後々のお楽しみである「鍋で一杯」に心惹かれつつ、気怠そうな雰囲気とは裏腹に準備や段取りに余念がない。
「木々の伐採……実に興味深いでありますねっ! 」
「とにかく、木を切り倒して片付けりゃいいんだな?」
目を爛々と輝かせる綾川 沙都梨(
ja7877)とテト・シュタイナー(
ja9202)はすでに色んな意味でヤる気充分。今にも腕まくりしそうな勢いである。
「そんじゃ、テキパキとこなしていこうか!」
まず性別で班を分けた彼らは三人一組で作業に当たる作戦をたてた。肩には作業用のロープが巻かれ、動きやすい作業着に滑りにくい登山靴等、各自しっかりと山への対策をとっている。無論、軍手も完備だ。
そして夏山とくれば虫の楽園。その対策も抜かりない。
「虫除けスプレーふっとくぞ」
皓一郎の声に、それぞれが持ってきたスプレーを体に吹きかけていく。が、どうしてもかけられない場所というものは出てくるもので。
「ほら。背中かけとくぞ」
「ひゃあ!?」
突然背中に噴射をくらって小鈴護が思わずイイ反応。勢いよく振り返る相手に皓一郎は苦笑した。
「背中刺されたら嫌だろうぁああ!?」
ぶしーっ、とその背中に宗吾が噴射。
「背中刺されたら嫌なんだろ?」
イイ笑顔だ。
ある意味楽しげな男子班の横で女子班も互いにスプレーをかけあっている。
「玉の肌を刺されちゃ、堪らねーからな」
「後ろがお留守であります!」
「ありがとうございます。こちらも後ろ、失礼します」
あちこちで噴出される虫除け液。小鈴護にいたっては携帯防虫器を腰に下げる用意周到さだ。
「……さぁて、こっから作業だな」
地図には、鉞子が情報から割り出した効率の良いルートと作業ポイントが記されている。
「滑ったり、躓いたりして泥まみれにならないように気をつけろよ」
「了解でありますっ!」
宗吾の声に沙都梨はビシッと敬礼。
そうして作業が始まった。
●
ゴロン、と木場に重い音が響く。
倒木は順調に麓へと降ろされていた。普通なら十数人が数日にわたってする作業だが、彼らの力を持ってすればご覧の通りだ。
「漸くこんだけか。……やっぱしんどいな」
その倒木の小山を見上げて、テトは小さな嘆息をついた。
シャシャシャとクマゼミが近くの木で鳴いている。木陰にいるだろう虫をジト目で睨んで、少女は運んだ木が転がらないようストッパーをかませた。
「さすがに、繰り返すと堪えますね」
「ですが、あと一息というところであります!」
ただでさえ足場の危うい斜面。倒木が転がったままでは安全に動けまいと運搬作業から開始した一同のおかげで、すでに倒木のほとんどが降ろされている。今のところ女子班に負傷者はいない。しかし山の方から「あーっ!」という声が聞こえてくるのを察するに、もしや男子班、誰かヤッチャッタのだろうか?
「……あいつらが向かった先、斜面キツそうだったもんな」
「木々も鬱蒼としてましたしね……」
虫や蛇が多そうな箇所や斜面がきつい箇所を敢えて引き受けた紳士三人に、淑女三名は密かに合掌。
「早く行って手伝おうぜ」
「賛成です」
「了解でありますっ!」
脱水対策にしっかりと水分と塩分を補給して、三人は山へと駆け戻った。
「おっ? もう一息どころか、これで終わりじゃねぇか?」
駆け戻った女子班に、一際大きな倒木の付近で小休憩していた三人が頷いた。
「あぁ。こいつで終わりだ」
「最後だからって急いで失敗したらたまらねぇからな」
皓一郎と宗吾の声に、休憩がてら付近の植物を観察していた小鈴護も頷きで同意を示す。
「そういや、さっき滑った奴とかいたのか? なんか、声が聞こえたんだが」
男三人が無言でくるりと背を向けた。
「……豪快だな」
「……ふ。俺の台詞は、フラグだったわけだな」
見事に泥で汚れている背部に女子班三人は揃って同情顔だ。
「まぁ、負ったのは擦り傷程度だ。さすがに倒木と男二人分の重量を一人のスキルで支えるのは無理がある、ってぇことだな」
小天使の翼で滑り回避を試みたものの、防ぎきれはしなかったと言う皓一郎だったが、何もしなければ急斜面を倒木ごと全力で滑り落ちることになっていたのだから、使った意義は大いにあったと言えるだろう。
「そういや、木花が傷つけちまった木にライトヒール使ってな。植物にも効果あるんだな、あれ」
さすがに折れ飛んだり切り離されたりした部分は無理だが、傷程度であれば肉体と同様に効果があることを発見したのだ。とはいえ『あくまで傷の治癒』に限定された効果のようだが。
「切り倒す予定じゃない木に、傷をつけてしまったから……」
ぽそりと言葉を零す小鈴護の頭を、年長の男組がわしわしと撫でる。
「さて。休憩もとったし、行くか」
「手伝います」
「悪ぃな。助かるぜ」
軍手を身につけ、男女合わせて六人が一斉に木を持ち上げる。
「流石に六人いりゃあ、軽いな!」
笑い合う彼等の上で、アブラゼミが「ジー……」と鳴き声を響かせ始めていた。
●
倒木の撤去が一段落すると今度は傾いだ木の切り倒し作業が待っている。だが普通なら誰もが嫌がるこの危険な作業を面倒がる者はいなかった。
対象にロープをかけ、切り倒す方向、そこを基点とした危険範囲の割り出し、木そのものに切り倒し順をつけるなど、安全への考慮は徹底している。
「切り倒す役も回していくか。お前等もぶっ放したいだろ?」
「腕が鳴るでありますっ!」
爛々とした目の二人の横で、静かに鉞子もテンションを上げている。まずは初手、テト。
「距離良し、方向良しっと。そんじゃ、ぶっ放すぜ!」
目を輝かせ、自らのアウルを高めながら言い放つ。狙うは木の根元!
「よぉしっ!」
生み出された氷の錐に穿たれ、ただでさえ根本が半浮きになっていた木が完全に地面から離れた。勢いよく倒れるそれを左右のロープで沙都梨と鉞子が操作する!
見事、木は目標地点に倒れた。
「完了であります!」
「始めたようだな」
山に響いた轟音に、皓一郎はにやりと口元を笑ませた。
「こっちも準備完了だ」
「始めましょう」
頷き、促す二人に頷きを返して、 皓一郎は自らのアウルを高める。足元から立ち上るのは陽炎の如き揺らめき。不可視の炎にも似た光と共に具現化された大鎌に、『聖火』による銀色の焔が走る!
「派手にいかせてもらうぜ!」
高速で打ち出された一撃が木を一瞬で切り飛ばした。
「次は沙都梨だな!」
「存分にやらせていただくのでありますっ!」
一本目を運び終えた三人の前には、次の木が待ちかまえている。
すでに沙都梨の手には戦斧が具現化。ロープを張られた木に向かって鋭い眼差しを向ける。
軍隊さながらの指さし確認。
「周囲の確認良しっ……!」
漲るアウルが黒い炎のような気炎と化す。振り上げられる強大な力!
「いざ……、南無三っ!! 」
ドンッ! という重い音と衝撃、さらに食い込んだ斧に向かって繰り出される蹴撃!
轟音をたてて倒れる木の姿に、にはぁ……、と沙都梨の顔に笑みが広がった。
「さて。こいつを木に試すのは初めてだが……」
倒れかけの木の樹皮を撫で、宗吾はその身に青黒い水の如き光を纏う。弾け散る水滴にも似た光。
「新しい武器、試させてもらうぜ!」
繰り出されたスマッシュが、一撃で木の根元を吹き飛ばした。
「あの枝……やべぇな」
見上げるテトの視線の先には所謂枝がらみになっている枝があった。そのままで倒せば危険な状態だ。
「打ち落とします」
静かな宣言と同時、鉞子の手が動いた。風を切る音と同時にガンッという鈍い音が響く。切り飛ばされた枝を呆気にとられて見守る二人の傍ら、鉞子は戻ってきたトマホークを綺麗に受け止めた。
「では、参ります」
「お、おぅ!」
続いて具現化されたのはエネルギーブレード。無造作に、けれど的確に撃ち出される一撃。
木は一瞬で切り落とされた。
(今日まで、山を守ってくれてありがとう……)
切り倒される宿命にある木に、小鈴護はそっと手を当てた。
危険だからと切り倒すのは人間の都合だろう。けれどいずれ他を巻き込み、倒れ、朽ちる定めの木は、全体のことを考えればやはり切り倒さざるを得ないものだ。
(何十年、何百年と守られてきた木が倒れてしまうのは、残念で悲しい……。また新しい苗を植えて、山を育てていってほしいな)
祈るように願う小鈴護の耳に、準備完了を告げる仲間の声が届く。少年は武器を片手にアウルを高める。
放たれた一撃。衝撃の名を冠するスキル──インパクト。
(せめて、痛みは一瞬であればいいな)
見守る少年の目の前で、木はゆっくりと大地へと倒れていった。
●
「終わったーっ!」
空へと突き出された複数の拳。凱旋した六人の前に木が山と積まれている。
「さぁ! 自由時間だ!!」
輝く笑顔で走り出す少女、トレーニングをかねた山中の巡回へ向かう者。まずは一服と年少者達から離れて煙草をくわえる者など、思い思いの時間を満喫すべく歩き出す。
「カブトムシ……いるかな」
「いるだろうな、これだけの山なら」
小鈴護に答える宗吾の手には、虫取り網と虫籠という黄金の夏休みセットがしっかりと握られている。
「被害があそこだけとは限らないのであります」
沙都梨は他の危険地区も見回るべく山へと戻る。その背中を見送ってから、皓一郎はゆっくりと足を動かした。
(……ちょうどイイ、障害物がある中での「小天使の翼」の飛行練習でもすっかね)
たまには、山の中をぶらつくのもいいだろう。見回りがてら歩きだしながら、彼は携帯用の灰皿に煙草を押しつけた。
「焼けたぞー」
山の麓に声が響いた。
夏の日暮れ。響くのはどこかもの悲しいヒグラシの声。山に太陽を遮られた山間の影は深く、篝火のようなライトと肉を焼く炭火が周囲の薄闇を払っていた。
「いやー、肉体労働の後の飯ってのは、本当に美味いモンだなっ」
その小柄な体のどこにそれだけ入るのか。健啖ぶりを見せているのは炭火の前に陣取ったテトだ。網で焼かれているのは牛肉ではなく鹿肉である。
「こっちの猪肉も、柔らかくて美味しいでありますっ!」
長時間じっくり煮込まれた猪肉は、通常のすき焼き肉の数倍肉が厚い。それなのに口の中でとろけるような柔らかさがあり、一緒に煮込まれた大根もまた肉の旨みを吸って美味だった。
「肉は酒で煮込むからなぁ。酒気は熱で飛んどるだろうが、まぁ、運転は控えといたほうがええだろな」
日中、六人が作業している中、せめて美味いものをと準備していた地主の声には喜色が溢れている。難しい山の倒木撤去作業は完了。自由時間に見回りに出かけた皓一郎、沙都梨、鉞子の三名が、土砂崩れの跡等出来る限りの他地区のチェックも済ませてくれたのだ。これは非常に有り難かった。
その地主からビールを注がれながら、皓一郎は苦笑した。
「さすがに、今日は運転は無理だろうな」
「飲酒運転までは、学園も許容しないでしょう」
同じく酒を振るまわれた鉞子も頷く。
「そういや、クワガタはいっぱい見たけど、カブトムシはいなかったぜ?」
おむすびを頬張りながら、テトはそう声をあげた。地主は笑い、宗吾が自らの虫籠を掲げる。
「とってきたぜ」
「いたのか!?」
俄然皆の視線が集中し、宗吾は何かを成し遂げた男の貌で籠の中からカブトムシを……カブトムシを……
「……こいつ……ちっこい足で籠にかきついてやがる……っ」
「無理にひっぺがそうとすっと足もげるぞ、兄ちゃん」
地主の笑い声と周囲の眼差しに見守られて、宗吾は昆虫を無事五体満足で籠から取り出した。
「へー、これがカブトムシか。実物を見たのは初めてだぜ?」
わきわきと足を動かす昆虫を、テトは目を輝かせて観察する。いるか? との問いに、しかし少女は首を横に振った。
「人の獲物を奪うような奴ぁ女の風上にもおけねぇからな」
実に男前もとい女前である。
小鈴護も興味津々でカブトムシを見ていたが、観察だけで満足しているようだった。
「昔ぁもっとぎょうさんいたんだがな……」
環境の変化のもせいもあるんだろうがなぁ、と地主は悲しげに呟いた。
「……また、山に木を植えて、山を育ててくれますか?」
山間の川で獲ってきたという鮎を丁寧に食べていた小鈴護の声に、地主は皺の深い顔で笑って頷いた。
「木は山だけでなく川も守っとる。木が無くなりゃあ、川も干上がるか雨降り毎に洪水にならぁな。儂等は山に育てられた世代や。出来る限り、山を守っていきたいと思っとるよ」
お前さん等の働きには、木の神さンも喜んどるだろう。地主はそう言って笑った。
荒れた場所をそのままにすれば、やがてそこから周囲が病むこともある。自然のままなら何でもいいというわけではない。山を健やかにするために、周囲の木々を守るために、人が手を入れなければならない時もある。
その時に忘れてはならないのが、木々への感謝だ。
長く永く。全てを見下ろしそこに立つ彼らに、人々は神の姿を重ね見ることもあった。万物に神は宿ると信じるこの国ならではの感性かもしれない。
永き時を生きる木の神。その和名を『古多万(コダマ)』という。
「こいつらも、山に木がなきゃ困るだろうしな」
小さな足を動かして腕を這う昆虫に、宗吾も少しばかり口元をゆるめる。
さて、なにか楽器でもあれば弾こうか、と腰を浮かしかけた皓一郎の耳に、ブンッという音が響いた。見ると、何故か肩口にクワガタムシが。
「ヒメオオクワガタ、であります!」
「……木の匂いがしたのでしょうか?」
「惚れられたんじゃねぇ?」
「泥まみれになったから、そのせいかもな」
しかもよく見ると雄雌二匹がとまっている。
「……俺を木と間違えたんじゃないだろうな」
「背が高いですからね。仁科さん」
小鈴護に「お前さんがそれを言うか?」とぼやいてから、皓一郎は甲虫の頭をつんとつついた。鋏がツンとつつきかえしてくる。
「……育て方なんざ、知らねぇんだがな……」
皓一郎は笑った。
大も小もなくあらゆる命を内包する山。
それを守る木々。
小さな思い出を人々に与えて、今、ゆっくりと夜が更けていこうとしていた。