光が絶えず踊っているようだった。
寒空の下、首を竦めて歩く人々の息は白い。それを様々な色に照らしながら、街の彩りは忙しなくその姿を変える。道には音楽が溢れ、ほんの数歩の距離で歌も曲も次々にきり変わっていく。
そんな賑やかな街を歩いていたリョウ(
ja0563)は、進む先に見えた銀髪に一瞬目を瞠った。
かつて感じた冷厳たる気配こそ無いものの、忘れようもない相手──
「……貴方は」
その光景と出会う数分前。
(あの話が真実だとすれば……)
賑やかな街を歩みながら戸次隆道(
ja0550)は心の中で独り言ちていた。
(助けられる手段はあるということです)
大切なのは救える命を救うこと。
(正義でも悪でも…そのために私は撃退士という守護者の道を選んだんですから )
そうして歩みを続ける足が、ふと見かけた光景に止まる。
(あれは……)
街の一角でバイトに勤しむ羽空ユウ(
jb0015)は手札を繰りながら思考を続けていた。
かつて必死に救った幼い子供。その子供を助けた天使。
(……異種を認める理性と知性)
それはまだ獲得していない。故に、天使と悪魔の干渉は否定的。
(でも、否定的だからと逃げ回る、のは、現実逃避)
道は前を見据えているかぎり何処かにはある。
(常に前を── ?)
客を見送り、顔を上げ──ユウは軽く目を瞠った。
使徒レヴィが其処に居た。
●
声かけを迷う必要は無かった。
傍目にも分かるほど茫然としていた使徒は、むしろ声をかけずにはいられない何かがあった。未だに物珍しげに周囲を見やるレヴィに、リョウと隆道が苦笑しながら説明する。
「立ち話もなんですし喫茶店でもご一緒に、と言いたいところですが……混み合ってますね」
その言葉に、近くで占いをしていたユウも頷いた。
「人出、切れない」
「『祭り』だからな。あぁ、これを」
苦笑を深めつつ露店で買い求めた品を渡すと、レヴィが掌の上のそれをじーっと見つめた。
「以前命を見逃してくれた礼だ。貰ってくれ。良ければ貴方の主にも」
主は女性であるという。ならば、と選んだのはイヤリング。そしてレヴィには腕輪だ。
使徒がじーっと品を見つめている。
「こういうのは珍しいのか?」
「あまり……馴染みが……ありませんね」
まだじーっと見ているのにリョウと隆道は苦笑する。
「さっきから祭りの雰囲気に呑まれている感じでしたね」
「迷子の、よう、だった」
ユウの一言にレヴィは戸惑い顔を俯かせる。その使徒に、リョウは表情を改めて声をかけた。
「……だが、こうして世間は楽しみで満ちていても、それに混ざる事の出来ない人がいる。人としての営みが原因ではなく、外からの侵略者によってな」
知り合いの知り合いの話だ、と告げるリョウに、レヴィは視線を彼へと向けた。
「以前も言ったが、俺はそれを食い止めたい。……人の意識を取り戻させれるかもしれない鈴というのを……あんたは、知っているか?」
「……『鈴』と申されましたが、それほど人の口にのぼっている事柄なのですか?」
ひやりとするものを感じた。リョウは落ち着いて首を横に振る。
「単にそれを知る状況にあっただけだ。誰もが知っていることじゃない」
「そうですか」
視線を転じる使徒に、隆道とユウも頷きを返す。自分達も、知りうる立場の者だった、と。
「広めるつもりはない。ただ、もしその鈴が存在するのなら……救いたい人間がいるんだ」
「それが人の犠牲の上に作られた物でも、ですか?」
するりと問われた言葉に、リョウは半瞬のみ口を噤む。
「それを俺に言ってどうする。許しや断罪が欲しいのならば甘えるなとしか言えんな。俺は被害者ではないし、今まで天使やその眷属を殺して来た俺に断罪の権利も無い」
「……」
「単にどう思うかと聞いているのなら、そうだな……被害者から復讐の依頼があれば俺は全力で貴方達を殺しにかかる。が、それを何もせずに受け入れるというのならばそれは絶対に許さない」
「何故です?」
「貴方達が犯した罪を許すつもりは無いが、救った命すらも過ちであったとする事はその命に対しての侮辱だ」
例えば、意識を取り戻し妻と寄り添った青年。
例えば、その命を護られた幼子。
「命は等価ではない。比べられないという意味でな。故に救った命がある、その一事をもってそれ以外の命の重さにも耐えなければなら無い。命を救った、それ自体は決して間違いではないのだと」
「複雑ですね」
「全くだ」
嘆息をつくリョウにレヴィは僅かに苦笑めいたものを浮かべた。
「『力』と『戦車』は異なる。力は作物を実らす雨、戦車は薙ぎ払う暴風」
二人の会話を待って、ユウがそっと声を忍ばせた。
「意図が異なるだけで、両者とも力と言う影響」
なるほど、とレヴィは口元に微笑を浮かべる。
「……無礼を、承知で、聞く。魂、とは何? 呼び戻せる、もの?」
自分が認識できない部分でも、探究を続けなければ前には進めない。鈴に拘る必要は本来無いのだ。ただ確実性を考えた時に、その存在に縋ってしまうだけで。
(何か、方法がない、かな?)
じっと見上げる視線に、レヴィは困ったように首を傾げた。
「私自身は、直に魂に関与する力を有しておりませんので」
「魂が何か、認識出来ていない……だから、天使か悪魔、に聞くのが、良いと思った」
「……本来、それは人の目には見えにくいものですから」
「そう……」
一度嘆息をつき、ユウはそっと言葉を紡いだ。
「犠牲……実存は本質に先立つ。本質である、鈴の力を使わねば、それはただの鈴。これが、客観的思考。――倫理や道徳が混じる。犠牲が哀しみなら、このケースの犠牲も、哀しみ」
「……」
「鈴と、少年の本質は酷似している……この説、は、おかしい、かな?」
「犠牲を犠牲で贖われる、と?」
「それが、私の弱さ。鈴と言う異質、より、少年と言う近い者に、同調した」
レヴィの瞳がふと深い色を帯びる。その悲しみに、ユウは声をかけた。
「失ったものは、戻らない、だから覚える。――刻み寄りそえば、孤独でないと、信じて」
その言葉に、隆道も頷いた。
「救えなかった犠牲がある。その上に出来た鈴がある。でもそれで救える命がある。……それならば私はその命を救いたいと思います。出てしまった犠牲は覆せない……でもまだ生きている人は救えるのですから」
「……」
「偽善で独善で正義でないかもしれません……でも私は救いたい。それが私の道なので」
「道、ですか」
隆道は頷いた。
「私が戦う理由は人を救い、守るためですから。そのために人にどのように思われようと、私は迷わず救う道を選びます」
レヴィは何も言わない。ただ眼差しだけが隆道を促す。
「私はそれを貫きたい」
そこにある、決意と覚悟を認めて。
●
賑わう街の中、宇田川千鶴(
ja1613)はフレイヤ(
ja0715)、アデル・リーヴィス(
jb2538)と共に華やかな雰囲気を楽しんでいた。学園に来たばかりのアデルにとっては、『ヒーロー』が好んだ人界を知るよい機会でもある。
「助けてあげたいね……」
アデルの声に、二人は顔を見合わせる。
「……うん」
フレイヤは小さく俯く。
(皆を助ける事が出来ないなんて分かってはいたけれど……それでもやっぱり、犠牲になった子がいるって聞くと……きっついなぁ)
その傍らで、千鶴は僅かに目を伏せた。
(奇跡的に意識を取り戻した長門さん……)
夜の森で見た幻想的な光景。
(──あの金の羽根、光の花園)
まだ確証の取れていない出来事達。けれどそこにあった一つの関連性。未だ見たことのない天使の気配と、その意を受けて動く使徒。
(会えたなら、鈴を……)
そして、もし全てが関連しているのなら、
(……私は聞かなあかん事が)
あの時口に出来なかった事を。──今度こそ。
そんな二人の様子にアデルも吐息を零す。
(『あの子』がここに居たなら、きっと、必死に少年の命を救うだろう)
その為に尽力したに違いない。そんなあの子の代わりとして、
(ううん随分劣った代替品として──)
私にも、
(……出来る事があるでしょう?)
記憶の中の相手は決して答えてはくれない。けれどその面影に問うとき、その心は常に自分の中に息づいている。
三者三様の思いを胸に街を歩む。そんな中、千鶴が「ぁ」と思わず声をあげた。
その瞳に見知った姿を映して。
●
「レヴィさん……?」
周囲を憚るように声をかけられたのはその時だった。視線を向けると、三人の少女がそれぞれの表情で立っている。
「……こんな所で何してんの?」
やや呆れた顔で見る千鶴の隣で、フレイヤがふるふる震えている。
(ちょ、をっ、い、イケメン……ッ! これもう千載一遇の大チャンスだわ! 今年のクリスマスを乗り切るために! レヴィさんを彼氏にするっきゃねぇ!)
ふんぬー、と鼻息を吐くフレイヤに、その隣にいたアデルが小首を傾げる。そうして、千鶴と同じ疑問を持ちつつ件の使徒を観察した。
(……何だか可愛い子だね)
「くりすます、というのを学びまして」
クリスマスとは学ぶものであったようだ。
「様々な行事があるのですね」
「まぁ、プレゼントの交換とか……主って人にあげるんなら探す? って、何かすでに持っとるな」
「頂き物です」
レヴィの声にリョウが軽く手を挙げる。
「『あの時の』?」
「そういうことだ」
同じ依頼を共有した二人は苦笑を零す。千鶴はその笑みを消し、頭一つ分背が高い相手を見上げた。
「先に言うておくな。帰ったら、主って人に伝えて欲しいことがあるんや」
「主様に?」
「……色々、な」
長門さんの命が助かったから救われた人がいて
みゆちゃんが無事で心から安心して
そんな風に一つの命がただ助かるという事だけではなく
「おおきに……と伝えて欲しいんよ」
レヴィは口を噤む。その瞳が少しだけ和らいでいた。どこか嬉しそうな喜色は、やはり主が一番大切だという使徒であるからだろうか。
「そういや言うてなかったな。宇田川千鶴や」
「あっ! フレイヤ! フレイヤっていいますよろしく!」
「アデル・リーヴィスよ」
「羽空、ユウ」
「リョウだ」
「戸次隆道です」
ふとレヴィが不思議な表情をした。とても一言では表せれない表情を。
「ぃよっし。私から真っ赤なマフラーをあげる!」
ふわっとフレイヤから首にかけられたマフラーに、レヴィが目を丸くする。
「サンタさん代りに魔女の私からクリスマスプレゼント!」
「プレ……?」
「暖かいでしょ?」
その笑顔につられるようにレヴィが僅かに笑った。それを見てフレイヤも笑みを深める。
(本当はね、私はこのひとの笑顔が見たいの。……何だか、寂しそうなんだもの)
密かに首を傾げるフレイヤを微笑んで見てから、アデルは使徒へと言葉をかける。
「使徒くん。眠ったままの子供の話、もう聞いたかな?」
「えぇ。それを起こせれる品があるとして、それが人間の犠牲の上に作られたものである話もさせて頂きました」
「……うん。犠牲の上で成り立つ幸福は案外世界中に溢れてる。寧ろ幸福の裏に犠牲が在ると云って差し支えない。払ってしまった犠牲が二度と戻らないのなら、せめて活かすべきじゃないかな」
「……」
「犠牲者の本意なんて分からない」
ヒーローはいつだって目前の命を見捨てない。
……少年の命が潰えていく光景を黙って見過ごすなんて、ヒーロー失格だから。
「都合が良いと笑いなよ。……都合の良いハッピーエンドの何が悪いの?」
アデルの声に、千鶴も頷く。
「それが本当に助けになるのなら……必要やと私も思う」
どんな真実があっても。
「それがエゴで我侭な願いでも、もう元に戻せない力なら……。何時だって、せめて自分の手の届く存在だけでも助けたいだけなんやけどな」
「……それが、人であるあなた方の希望、ということですね」
頷き、フレイヤがそっと手を伸ばす。頬に触れた手にレヴィが目を瞠った。
「あと、ちょっと笑ってくれたら、嬉しいかな?」
そんな少し悲しそうな笑顔でなくて、暖かいもので満ちたものを。
出来れば、いつか。
●
明確な返答を避け、その場を離れたレヴィは眼差しを伏せる。
「本人に鈴の真実は伝えられないけれど」
約束をするように、千鶴がそっと言葉を零したのが印象的だった。
「私が、死ぬまで覚えとるから」
きっと、今までのことも、ずっと。
「ところで、殺さなくてもいいのかな?」
大切に思い出すレヴィに、堕天したアデルが声をかける。レヴィは淡く笑った。
「私達は『会っていない』のです」
「……」
「ここで見聞きしたように思うことは全て、夢のようなものでしょう」
「君は」
「……良い夢を見たのです」
人であった頃には見ることもできなかったものを。
この世界に来て。この世界に関わって。
魅せてもらったのだ。
「夢の続きは私では答えかねますが……主もまた夢の話を楽しまれることでしょう」
「……そっか」
微かに微笑み、アデルは使徒の返答に懐から手鏡を取り出す。
「きみへのクリスマスプレゼント。メリークリスマス、……持ち合わせがコレしかなくて、御免ね」
レヴィは微笑んで一礼する。
その瞳に優しい温もりと、わずかな寂しさを湛えて。
「いつかまた、お会いしましょう。その時もまた、夢が続いてくれていることを……願います」
○
話を聞き終えて、ルスは無言のまま己の使徒を見た。
おまえはどうしたい?
「彼等の意見はもっともだろうと……そう」
けれど、悲しいのだな……?
ルスの声にレヴィは沈黙する。心の奥深くにある哀愁をけれど主は過たず感じ取ってしまう。
そう、
(人の子の言葉はある意味『正しい』)
けれど、
(同じ人の子に、そう判じられてしまったら……)
……奪われた者の悲哀は何処へ行けばよいのだろうか?
分かっている。彼等がその犠牲を顧みないわけではないことも。それでもただ寂しい。それが身勝手な思いだと分かっていても。
鈴はおまえの好きなようにするがよい。
「主様……」
他の誰でもない、おまえがそれを望むのなら。
ルスは唯一つ残った鈴を使徒へと差し出す。遙かな昔、この使徒の故郷に降り立った時に作り出した最後の鈴を。
……時に、レヴィ。その手の中の物は?
「撃退士達から頂きまして」
ほぅ
ルスは口元を綻ばせる。
……良かったな
慈愛に満ちたその言葉にレヴィは一瞬言葉をつまらせた。
かつての世界では人として人に接してもらったことなどなかった。人をやめた今もそれは変わらない。
けれどここにある品。その心。
嬉しいと思う。その暖かさが。
「……はい」
戸惑い、俯き、溢れた気持ちが顔に浮かぶ。
わずかに零れた、どこか子供のような純粋な笑顔に、
ルスは一瞬、惚けた。
●
後日、病院から一報が届く。
子供の意識が回復したと伝えるメールは即座に六人の撃退士の元に転送された。
鈴の音を聞いたという噂もあるが、確とそれを証言できる者は無く。
ただ聖夜の奇跡として人の口に伝わるのみだった。