運命は時に「選択」を強いる。
人であれ天であれ魔であれ、何れの者にもその時は訪れる。
分かれ道に立った折り、右に行くか左に行くか。
または其処に無い道を選ぼうと足掻くか──
それはあまりにも何気なく。唐突に。此方の目の前に現れる。
選ぶ選ばないを決めるか否かもまた、一つの選択に他ならず、畢竟、生きるという事は即ち、あらゆる面で何かしらの選択を強いられることとも言える。
──己か己以外かの判断を問わずに。
そうして歩んできた道を振り返る時、人は己の足跡を其処に見る。
その足跡の名を──人生と言う。
●
人が退去した街は得体の知れない空気に包まれていた。
「旧市街地の中心部から天魔が進行中!?」
緊急避難が完了した新市街地を駆けながら真宮寺神楽(
ja0036)は叫ぶ。
「こんな迷路みたいな場所で……!」
旧市街地と新市街地。年代の違う二つの地区は、穴のないバームクーヘンのような形で一つの街を形作っていた。ややも近代的な新市街地の道は広く、比較的整理されていて動きやすいが、その内側にある旧市街地は小道の多い迷路のような街並みとなっている。
「此度の戦場は、なるほど、奇怪な迷路園のようだな」
その地形を素早くチェックし、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は遠目に見える旧市街地に眼差しを鋭くする。
「取り残された人達も多いみたいだし、見通しも悪いし迷いやすいわでこの状況、ちょっとヤバイわね。出来る限り急いで状況を把握し、皆を救助しなくちゃ!」
真宮寺の声に、「はい」と隣を駆けるシャルロッテ・W・リンハルト(
jb0683)が頷く。
「今私がやれることは一人でも多くの命に救いの手を……」
白銀の髪が光纏とともに黒へと変じる。桃色から赤に変わった瞳には、狂おしいほどの祈りが込められていた。
中心地から襲撃があった、ということは、最初の一報で知らされていた。その中央へ至るルートは、合計四本。それ以外は高い塀や家々の壁で塞がれているという。
その内、中央へのルートが最も短いのが彼女たちが向かう旧市街地東部。そこへ進攻するのは、総勢十四名の撃退士だ。
「虫ということはまた彼でしょうか。……相変わらずえぐいですね」
冷ややかに呟くイアン・J・アルビス(
ja0084)の声に、Rehni Nam(
ja5283)も思案顔で口元に手をあてる。
「……話に聞くあのヴァニタスでしょうか? ……いえ、今は虫を排除し人々を助ける事だけ考えましょう」
その言葉に、桐原雅(
ja1822)も頷いた。
(一刻も早くあいつの動きを抑えたい。でも今は救助を優先しないと……)
形容しがたい焦燥にかられる雅の傍らを駆ける久遠仁刀(
ja2464)は、そっと相手のか細い肩を叩いた。振り向いた雅に頷いてみせる。
「何かあれば守る。……信じて行け」
自身の力を。そして、俺を。
すでに視線は戦場へ。けれどその言葉の強さに、雅は僅かに頬を染め、頷いた。
「まずは一般人の安全確保を最優先に。完了したら友軍の加勢、といったところでしょうか」
只野黒子(
ja0049)の声に、神棟星嵐(
jb1397)は頷きながら短く息を吐いた。光纏と同時に青年の魔装が黒に染まり、その表情は不自然なほど平坦なものになる。──心すら窺えなくなる程に。
「自分は護衛を優先させていただきます」
「うん。まずは全員の救助を優先させよう」
今も取り残されているという人々を思いながら、久遠栄(
ja2400)は前を見据える。一刻も早く、と駆ける彼等の足は速い。
「必ず助けてみせる……」
彼等の傍らを共に駆け、強羅龍仁(
ja8161)は表情を引き締めた。視界が開けていない場所での護衛は、いざという時の反応速度に遅れを生じやすい。
(いざとなれば身を呈してでも護る……)
盾を握る手に熱が込められた。
(天魔……それに、撃退士)
同じように駆けながら、佐藤七佳(
ja0030)は迷うように眼差しを揺らせていた。
(助けを求める人を助けたい……それは絶対。ただ……)
胸の奥に痼りのように蟠るものがある。家畜の屠殺や犬猫の殺処分を普段何とも思わないのに、人が狩られる立場に立った瞬間に天魔を悪だ、大切な人を殺された復讐だと叫ぶ……その矛盾。
(天魔の行いも人が動物や命を食べる事と同じなのに、天魔を殺す事が何故、正義だと言えるのかな……?)
正義は何処にあるだろうか。何を以て正義と言えばいいのだろうか。天魔を殺せば正義だなどと、安直に思えはしないからこそ霧の中を歩むようにして探している。──撃退士として、天魔と戦う己の理由を。
逆に、そのやや後方を駆ける甲賀ロコン(
ja7930)の心情は僅かもブレない。
(誰が犠牲になろうが知った事ではないですが、頼まれた以上きっちり助ける。それだけです。表面上は心配しますがね)
任務の遂行こそ最優先。それが結果として最善に繋がることもままあるのが現実だ。
(この袋小路……せめて色分けして分かりやすくしますか)
渡された地図は、他の者が口にするように迷路のようになっていた。赤ラインで強調された中央までの最短距離ルートは短いが、そこから伸びる脇道は多く、距離は長い。
「前に立ち塞がる邪魔な奴は遠慮無くやっちゃうわよォ……♪」
一行の最先頭で、黒百合(
ja0422)は幼い外見に似合わぬ妖艶な色を瞳に浮かべていた。
身の丈を軽く超える武器を具現化させた少女は、どこか年若い死神のようにも見える。悪戯な色も併せ持つ瞳が、遠く、細道に変じる区域を見つけて細まった。
「さぁ……始めましょうかぁ……♪」
──その瞳の奥に明確な殺意を煌めかせて。
●
幾つもある小さな段差を飛ぶように駆ける影があった。
「逃げ遅れた人たちがいるなら、早く助けなきゃ!」
十二の人影の中程で紅葉虎葵(
ja0059)が声をあげる。その隣を走るフレイヤ(
ja0715)もまた、前を見据えて言った。
「1人でも多くの人を救ってみせるのだわ!」
虫がなんぼのもんじゃい! と意気をあげる少女の声に、おう! と周囲から応じる声があがる。
横にいた雨宮歩(
ja3810)は取得した情報を吟味しながら呟いた。
「虫かぁ……報告のあるタイプのなら分かりやすくていいんだけどなぁ」
「こういうのって、天然の迷路というのでしょうか?」
袋小路捜索のため地図と睨めっこしていた楠侑紗(
ja3231)は、やや困り顔で形の良い眉を顰める。
「それとも、人工の迷路というのでしょうか?」
同じく地図を睨んでいた神凪宗(
ja0435)も溜息をついた。
「開けた場所や直線ルートなら、範囲攻撃でなぎ払えるんだがな」
中央への距離は中程度。その西側ルートを目指す彼等に示された道の内容は、東側と違って全体的に曲がりくねっている。
「ぅー。ゲームならともかく、リアルで迷路攻略かぁ」
目深に被った帽子の奥で、小夜戸銀鼠(
jb0730)が嘆息混じりにぼやく。風に乗ってかすかに鼻腔を刺激する匂いに表情が翳った。
(ゲームはゲームだから、いい。目の前でリアルスプラッタとか、御免だから)
そのすぐ後方を走る谷屋逸治(
ja0330)は、瞳に強い意志を漲らせて呟く。
「きついが、やるしか無いな……」
死角の多い場所の危険性は理解している。だが、だからといって尻込みなど出来るはずもない。
その傍らの相羽守矢(
ja9372)は、どこか捕まえ所のない笑みを浮かべて小さな階段を飛び降りた。
「お仕事お仕事、っと!」
ひらりと軽く跳躍する少年の横、駆ける地領院恋(
ja8071)の表情はどこか憂鬱げだ。
(アタシの嫌いな虫が相手とはね……)
そのおぞましさは相当なもの。けれど助けを求める人がそこにいる以上、自身の苦手等頭の片隅どころか遠いどこかへと投げ捨てた。
「私達は最短ルートで」
進行中、手早く分担した役割を復唱するかのように短く口にして、鴉守凛(
ja5462)は同行者を見──目を丸くした。
「……関係者ァ?」
疑問に不審を足し込んだような声をあげる島津・陸刀(
ja0031)の横にいるのは泉源寺 雷(
ja7251)だ。共に同じ道を行く者達なのだが、何か彼等にしか分からない事情があるらしい。友好的なのか非友好的なのか判断のつかない奇妙な雰囲気を醸し出す二人の男に、凛はただ目を丸くした。そんな彼女に「何でもない」と手振りで伝えつつ、雷は陸刀を見て密かに心の中で独り言つ。
(この男が、お嬢の親しくしている男か……)
様々な人々の事情を内包しつつ、十二名の撃退士は新市街を一路旧市街地へと駆けた。
●
ルート上、最も中央への道が長い北側を駆ける十一名の表情は硬い。
「急いでいるのに、町並みが邪魔になるなんて」
静かな表情の中、雫(
ja1894)は声に僅かな焦燥を滲ませて呟いた。
「一番心配なのは逃げ遅れた人がパニックになることだね〜」
地図で道を確認しながら下妻ユーカリ(
ja0593)は「ぅーん」と唸る。落ち着けるために水をと用意したが、果たしてそれを与えられる余裕があるかどうかは彼女にも分からない。
「先行して道で敵を止めるわ」
月臣 朔羅(
ja0820)の声に、隣で走る白蛇(
jb0889)は鷹揚に頷いてみせた。
「なれば、我は後発にて救助を担おう」
(取り残されし人の子等よ)
向ける瞳の先、なだらかな道の向こう側に旧市街地がある。
(暫し耐えよ。今救い出す)
「早く、助けに行かないと……」
二人の後方で懸命に走りながら、そう呟く福島千紗(
ja4110)は今回の事件に激しい嫌悪を抱いていた。
(抵抗出来ない人を殺すなんて……!)
外道という言葉ですら生易しい。胸に渦巻く感情はまるで熱い泥のようで、なんとも言い難い吐き気を堪えなければならなかった。
「……大丈夫。必ず、助けよう」
そんな千紗の背を、そっと優しい手が叩く。ハッとなって見る千紗に、青柳翼(
ja4246)はしっかりと頷いてみせた。兄とも慕う恋人の姿に、千紗は少しだけ胸の痛みが和らぐのを感じた。
見え始めた旧市街地の建物を見据え、羽空ユウ(
jb0015)は深い瞳の奥に密やかな意志を宿す。
(虫籠の……あの時、の)
その手で壊された幸せがどれほどあるのか、事件の解決に関わったことのある彼女にしても把握しきれない。天魔の襲来は天災のようなものと言われる。だが、悪意に満ちたその災いを悲運と嘆き受け入れることなど誰が出来ようか。
「……宿命を、壊す」
運命も宿命も、ただ従うためにあるわけではない。
(──抗うのも、定め)
人智を尽くし天命すら覆すのが人の世の奇跡ならば、起こすべき時は『今』だ。
静かな面差しに人知れず決意を込めた少女の傍らでは、憂鬱そうな青年が走っていた。
(うわー虫は嫌いだなー)
関連の敵情報として報告があがっている虫達に、平山尚幸(
ja8488)は内心げっそりと溜息をついた。虫虫虫の情報には目眩すらしそうになる。
そんな尚幸のわずか前を駆ける若者は、緑玉の瞳に怒りを湛えていた。
「決して、あの男の思い通りにはさせません」
前方を決然と見据え、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)が呟く。情報共有の為にハンズフリーマイクを取り付け、常に更新されている情報に自身の知るそれを重ねた。
「前に連中が暴れた時は百体ぐらい……か。数がめんどくせぇな」
その情報を見て御暁零斗(
ja0548)は軽く頭を掻いた。
そんな二人から僅かばかり遅れる形で走りながら、リゼット・エトワール(
ja6638)は決意を込めて呟く。
「これ以上、多くの人の命を奪わせません。私達はその為にここへ来たのですから…!」
●
時は駆け足で進む。まるで人々を駆り立てるかのように。
市街地の南側を駆ける十二名はすでに全員完全武装になっていた。
(こんな事を何度も繰り返させる訳にはいきません!)
柔和な顔を引き締め、楯清十郎(
ja2990)は心の中で強く呟く。その傍らを駆ける男の光纏は、明るい清十郎の光纏とは逆に龍ともとれる墨焔だ。
「……下衆の腐った『匂い』がここまで届きそうだ」
そう低く呟く中津謳華(
ja4212)の声には、怒りを交えた覇気が滲んでいた。雰囲気や人の感情、状態、そういったものを『匂い』として呼び現す彼にとって、彼の者のそれは醜悪極まりないものだった。正に、腐ったと呼ぶに相応しいほどに。
そのわずか前方で黒髪を靡かせ、ザラーム・シャムス・カダル(
ja7518)は嘯くように言葉を紡ぐ。
「ヒトはわらわを引き立てる花に過ぎぬが、花は愛でるものである。散らす輩はちと躾けねばな」
婉然と微笑むその美貌の中、瞳だけが苛烈な色を宿していた。そのすぐ後ろを走りながら、亀山淳紅(
ja2261)は少しだけ悲しげに目を伏せる。
「……蟲を籠に入れてた人間が、籠に入れられ蟲に襲われるっちゅうんは随分皮肉やね」
無邪気に集め、籠に虫を閉じこめて遊んでいた人間達。人のほとんどはその行為に疑問を抱いてはいないだろう。だが今あるこの状況はどうだろうか。まるで虫の復讐のように、籠の如き一定区域の中で、虫達は自ら閉じこめられた人間を襲っているのだ。
「あの男……相変わらずの外道よな」
「ある意味ブレない男ですね。潰しがいがありますが」
低く、静かな怒りを込めて呟く宇田川千鶴(
ja1613)に、笑顔の奥に感情を隠した石田神楽(
ja4485)が嘯く。何度戦場であの男の悪虐を見てきただろうか。いっそ一気に潰せてしまえばどれだけ胸がすくだろう。
だが、今はそれも後回しだ。
「逃げ遅れた人を助けてから……」
紫ノ宮莉音(
ja6473)は優先順位を確認するように呟く。一斉に頷きが返った。
「あんな外道の好きなようにさせるのは業腹だからな」
これ以上の悲劇は決して許さない。莉音の隣を駆けながら、柊夜鈴(
ja1014)が静かにそう呟いた。
「おやおや……こんな古い街中で血肉の宴とは」
地図に描かれた妙に複雑な形の道を見つつ、アデル・シルフィード(
jb1802)は呟きと同時、心の中で独り言つ。
(残された者はせいぜい抗ってみせろ……生きる事とは戦いだ。それすら理解しない弱者は、滅びるが必定)
弱音は諦めを招き、諦めは死を招く。どのような場合どのような場所であっても、決して諦めず足掻いてこそ九死に一生を得ることが出来るのだ。それなくして、奇跡を得ることは出来ない。例えこちらがどれほど力を尽くそうと、現地にいる人々が抗わなければ間に合うものも間に合わないのが現実だった。
「……乱戦、でしょうね」
おおよその状況を予想して、月丘結希(
jb1914)は小さく呟く。自分の武器を一度強く握り、敢えて声をあげてみせた。
「今回、フォローに回らせてもらうわ。……あんた達とは場数が違うのよ、癪だけど後ろから手伝わせてもらうわ」
自身に出来る最善を選ぶ時、自分の弱さも認めなければならない。そんな結希の肩をぽんと仲間が叩いた。ぽん。ぽん。ぽんぽんぽんぽんぽんぽん。
「な、慰めなんていらないのよ!? 自分の仕事やるって言ってるんだからっ」
ややも顔を赤らめて言う結希に、十一人の仲間が微笑った。
先へ。先へ。急ぐ足は一度として鈍ることはない。
「相手に気づかれない内に、どれだけの人を救出出来るか……ですね」
淡い笑みを消して、地図を片手に樋渡・沙耶(
ja0770)はそう呟く。
「ええ。一人でも多くの人を助けなくちゃ……」
頷き、アイリ・エルヴァスティ(
ja8206)は唇を噛みしめた。
悲劇が起こってからでしか行動を起こせない。常に後手に回らざるを得ない自分達が悲しいと同時に、これ以上は許すものかという気持ちがわき上がる。
許さない。許せない。
もうこれ以上は、絶対に。
明らかに年代の違う家々の屋根が近づく。境界線と思しき色の違う塀。年代を経た古い街、古い道、今までの道とは違う細い路地。
「行くぞ!」
夜鈴の声と同時、十二名の撃退士が旧市街へ突撃した。
踏み込みはほぼ同時。
東、西、南、北。
全てのルートの撃退士達が武器を掲げてその戦場へと突入する。
太陽は中空。空には鈍い色の雲。
戦いの火蓋は、今、切られた。
○
ぽとり。
ぽとり。
伸ばした手の先、ぶら下がる二つの小さな虫籠から、その倍以上の大きさをもつ虫が落ちて動き出す。
数秒に一度、わずかその程度の間隔で生み出される虫は、主の意志に応じて次々に街へと動いていった。
籠を持つ男の姿など気にもとめずに。
「さァて……連中はあんたの言った通りに動くかねェ」
薄ら笑いを浮かべて、男は目を瞑ったままで呟く。
声ではない<声>が笑いながら返事を返すのを<聞き>ながら、嗤って男は空を見上げた。
「……どっちにしろ、あんたは楽しいってわけか」
男は乾いた唇を舌で舐めた。軽薄な笑みがそこに浮かんでいた。
「ぁー。その時が俺も楽しみだぜ」
●
「芋虫一体撃破!」
「……っと前方に敵影二だ」
「新手、来ます!」
「くそ……予想より早い!」
壁走りを利用し、建物上に上がった真宮寺が情報を回す。受けたRehni警告を発し、即座に身構えた仁刀が舌打ちした。
中央部から敵が来る。その情報を元にルートを塞ぐ形で進攻を止めようとしたが、虫の沸く速度は彼等の予想を上回った。
「硬いうえに体力があるのねぇ……」
圧倒的な一撃を叩き込みながら、黒百合は僅かに眉を顰める。
「芋虫と団子虫の混合部隊、という訳ですね」
致命傷を負っている団子虫にトドメを刺しながら雅は鋭い視線を前方へと向けた。
「……道の短さが、仇になりましたか」
中央への道が短いということは、即ち、中央からも敵が素早く来やすいということでもある。小道での救助を安全に進めるべく中程まで一気に進んで陣取るはずだった先陣部隊は、そこに至る前に敵と遭遇し、その進行を食い止めるのと同時に、虫に食い止められる形で戦っていた。
「仕方がありません。推し進める間に小道の探索を!」
「行きます!」
イアンの声にシャルロッテとフィオナは即座に脇道への捜索に乗り出した。手前から順に捜索に入る後陣救助隊は、今まさに袋小路の先で震えている幼い兄妹を見つけたところだ。
「もう大丈夫だ。よく頑張ったな」
龍仁に抱きかかえられ、泣きながらしがみつく子等の手足は擦り剥けている。手当してやりたいが、現場にはおそらくもっと酷い状況にある者達も多くいるだろう。時間は無く、手勢も技も限られている。
「すぐに護送を」
「おう」
もう一人を抱きかかえた七佳が走る。
「こっちの道にはいませんね。戻ってください」
「了解です」
途中まで走って来ていた黒子が、壁走りで道をショートカットしたロコンの報告に引き返す。小道の全て住民がいるというわけではなかった。
(新市街地に近い道にはまだ虫の姿は無い……ですか)
むしろここにまで敵が及んでいれば救助は絶望的だ。だが、人の姿は出来ればこちら側に在ってほしかった。敵が多いであろう中心地付近ではどんな惨劇となっているだろう。
「この子達をお願いします」
別道から合流した七佳と龍仁が抱えていた子供を栄と星嵐に託し、次の道へと飛び込む。同じく別の道に飛び込んだ黒子は、そこで携帯からの声を聞いた。
「芋虫二匹! 交戦に入る!」
フィオナの声だ!
一時停止させられた陣地のすぐ近くの小道にまで、すでに虫が来ていたのだ。それは中央道の半ば以上が虫に侵略されていることに他ならない。
「前のデータによれば、毒液と粘糸を吐く個体です!」
「我が行く手を阻むか……!」
フィオナのブラストクレイモアが突撃してくる芋虫の頭部を裂いた。同時に放たれた毒液がフィオナの体を蝕む。
「お下がりください!」
シャルロッテのトート・タロットが輝く。具現されたのは<戦車>。二頭の馬にひかれた戦車が疾走する幻影と同時、頭部を裂かれた芋虫の息の根を止めた。
「フィオナ様!」
「大事無い!」
蝕む毒をそのままに、フィオナは次の敵へと走った。敵がいる。ならば、この路地の向こうはどうなっているのだろうか。それを確認するまで、止まれようはずがない!
「愚か者共が……貴様等にくれてやる命など一つも無いと知れ!」
「東の救助3! 南3! 北1! すでに敵との戦闘に入っている!」
「こちらは2!」
恋の声に、捜索済の道へ続く壁にスプレーで×印を描きながら虎葵が告げる。新市街地との境目付近では戦闘はほぼ無い。かわりに恐怖にかられて逃げた人々が、震えながら壁をよじ登ろうと必死になっている姿を多く見た。道を引き返すのも怖くて出来なかった彼等の中には、無理矢理壁を登ろうとして傷を負った者も多い。
(恐怖と混乱が人を追い詰める)
まともな思考など、死の恐怖を前にすれば軽く吹き飛ぶものだ。
(それを分かっての行いか……!)
中央に至る道の中程で拳をふるいながら、陸刀は心中で吐き捨てた。人の命も心も尊厳も踏みにじる敵が、人心の動きを理解しているのがこのうえなく不愉快だ。
「激昂しすぎないことだ。……怒りは視野を狭める」
全身から迸る憤りの念に、その背後を守りながら雷はぶっきらぼうに告げた。タウントで敵を惹き付けた凛が薄い笑みを口元にはく。
「ふ……ふふ」
続々と集まる虫、繰り出される攻撃。どんどん激化する戦いに、知らず笑みが深まる。
「楽しむ場面ではないんですけどねえ……」
まるで無限に沸いてくるかのような敵達。それは身の危険すら感じずにはいられないもの。だがそれがかえって凛の精神を高ぶらせる。もっと。もっと。もっと。もっと! 生と死のギリギリの縁のような危険ですら、彼女の危機感を本当の意味で煽ることは出来ないだろう。むしろ、その危機感こそ昂揚を呼ぶのだから。
「前方、纏めるぞ」
ふいに上から聞こえた宗の声に、三人は振り仰いだ。左側上、近くの建物の上に立った宗が前方の集団へと影手裏剣・烈を解き放つ。降り注ぐ無数の棒手裏剣に貫かれたところへ、フレイヤが魔法を解き放った!
「あんまり一気にやるとバテるけどなっ!」
一気に炸裂した紅蓮の炎が集団を丸ごと薙ぎ払う。
「空いた分だけ前進ーっ」
戦線を中央側へ押し上げるべく四人は動く。その後方では今も懸命な救出作業が行われていた。
「うぇ……標本にするには多すぎるよなぁ、これは……」
探索を終えた測道から別の測道へと移動中、中央への道に再度群がりはじめた虫の群れを見て銀鼠はげんなりと呟いた。帽子を弄りながらげっそりと嘆息をつく。
「虫の集団に囲まれるとかゾッとしないな」
その傍らをひょいと通り抜け、守矢が答える。近くの道から出て来た侑紗に「こっちはいない」と告げた。
と、
「芋虫を発見」
別の通路に入った逸治から連絡が入った。一緒に向かっていたのは確か歩だ。
「状況は!?」
「虫、三匹。奥に、市民一人」
虫と、人。その言葉に全員の胃に重いものがのしかかった。携帯の向こうから激しい音と声が聞こえる。
『纏めて消し炭になってくれると嬉しいんだけどねぇ……さすがにそう上手くはいかないか』
どうやら歩が数匹を一度に攻撃する技を使ったらしい。次いで走り出した音が聞こえてきた。
『悪いがそっちに惹き付ける。準備頼めるか?』
「むしろこっちが向かうのが筋だろ」
歩の声に軽口で答え、守矢がそちらの道へ方向転換した。侑紗と銀鼠もまたその背を追う。
「追われる探偵っていうのも一興だけど、相手が芋虫なのはシュールだねぇ」
追いかけてくる三匹を軽く振り返って歩は苦笑した。
「ぃよっし、お疲れ!」
「ぅわ。三匹っ……」
守矢と銀鼠がそれぞれ言葉を口にし、侑紗が無言で魔法書から雷球を放つ。同じく守矢の放った雷球が芋虫の一体にトドメを刺し、銀鼠の紡いだ夜の霧の如き深い闇が歩を包み回避力を高めた。
「要救助者は?」
「奥」
侑紗の声に歩は短く告げる。即座に駆けた少女に敵が行かぬよう、三人はそれぞれの武器を手に二体になった芋虫へと対峙した。
侑紗がその相手と対面したのはわずか五秒後のことだ。負傷した女性を抱えた逸治の姿に小さく頷いてみせる。女性の足は大きく腫れ、とても自力で歩けそうになかった。
「かわります」
「……すまん」
素早く差し出された手に逸治は女性の体を預ける。その腕は毒に変色し、はっきりとわかる殴打の跡があった。助勢が芋虫に襲われているのを発見してすぐ、身を盾にして庇った結果だった。
(こんな所にまで来てるなんて……)
侑紗は内心の焦りを必死に押さえつける。聞けば、東側は自分達よりももっと手前で戦闘に入ったと聞く。
(考えたくないけれど……)
戦闘に入った以上、これからの救出はより時間がかかる。ならば、中央付近に取り残された人がいるとすれば……
侑紗と逸治、二人が向かう先で芋虫を撃破した守矢と銀鼠が手を挙げる。
戦いはまだ始まったばかり。だがこの時点で、すでに希望の半分が失われていることを彼等は感じ取っていた。
○
かたん、と音をたてて籠の一つの蓋が閉まる。男は薄く嗤った。
「ぁー……あんた楽しそうだよなァ……虫から見える景色は楽しいか?」
心から楽しげな主の<声>に、男はただ嗤う。
「いい面だよなァ連中。……あぁ、あんた、現場に来れないのがそんなに残念かよ。来りゃあいいじゃねェか。他の連中も、だいぶこっち来てるんだろうが。……ぁ? ……ちっ……面倒くさがりめ」
まるで独り言のような<会話>をしながら、男はゆらりと立ち上がった。
ぷらぷらと籠が揺れる。五秒に一度。その中の虫を放ちながら。
「あんたは連中に混じらねェで遊ぶのか」
亀裂のような笑みを浮かべて、男は言葉を零した。
「嗚呼。俺も、剣なんざ興味ねェからなァ」
●
その敵に遭遇したのは、北が最も早かった。
「こういうごちゃごちゃしたマップこそ忍軍の本領発揮ってね」
壁走りを使い高所に駆け上るユーカリは、幻の花弁を散らす黒百合の道を踏破して周囲を見渡しす。
(やっぱり高い所から見るのが早いねっ! ディアボロも数は多いけど、見た感じ飛行型も長距離射撃ができるタイプもいないみたいだし。おっ?)
見下ろした路地を行く小竜の姿に目を煌めかせた。白蛇が路地探索の一つを任せるために放ったのだろう。
(負けられ…… っ!?)
その時、ユーカリの全身を得体の知れない感覚が襲った。
(なに!?)
高所を生かし周囲を見やるが、異変らしい異変はない。だが、
(視線……敵がいる……何処!?)
油断無く周囲を見渡し、そして気付いた。
(しま……ッ)
足元!
「鼠!」
その警告に地上にいたユウが弾かれたように顔を上げた。屋根の上に立つ少女に狙いを定めている五匹の敵をその目に捉える。
「させ、ない……!」
放たれた魔法が一匹の背に弾けた。
「鼠!? 虫籠の男って使うのは虫だけじゃないのか!?」
「今までの報告には……上がってない」
翼の声に千紗も驚いたように声をあげた。銃と魔法が飛びかかろうとする鼠の背と尾を穿つ。翼は慌てて周囲に情報を回した。
「気を付けろ! 鼠が潜んでる!」
北ルートから連絡が入る直前、南でもその敵は気配を滲ませていた。
「敵が居る」
携帯からの連絡より僅かに早く、謳華が放った一言に四人は一瞬で陣形をとっていた。全員の顔が険しく引き締まっている。
せめて来襲が護送後ならここまで緊張はしなかっただろう。だが、保護した子供は今もアイリの腕に抱かれている。そのアイリを内側に、三名が外を固める形で立った。
「来る」
声に銃声が重なった。
塀から飛びだしてくるのと同時、石田に頭部を撃ち抜かれた鼠が出てきたばかりの塀向こうへと姿を消す。だが次の瞬間、四匹もの鼠が同じ場所から飛び出してきた!
「させない!」
一路、最も弱い個体である幼子に向かう鼠に莉音は火球を放つ。一瞬で火達磨になった鼠を迂回する形で三匹が迫った!
「破!」
短い裂帛の気合と共に一匹吹き飛んだ。謳華だ。だがあと二匹。手が足りない!
「アイリさん!」
莉音が叫んだ。アイリは武器の代わりに巨大な盾を具現化させ──
「……ッ!」
腕と背を抉る一撃に声を殺して耐えた。その腕の中に深く閉じこめた子供を自身の体と盾でしっかりと守り抜いて。
「……大丈夫。あなたは守るわ」
震える子供に、アイリはそっと声をかけた。
道中、効率よく戦闘を進めた一同は、距離に反して現在最も中央に近い位置にいる。そして、だからこそ彼女達は見ていた。路地の先にあった、幾つもの惨状を。
だから──
(もう、渡さない……!)
ただの一撃で命を失うかもしれない子供を身を挺して守るその体に、もう一度一撃を叩き込むために鼠が走る。そこに謳華と莉音が走った!
「貴様等にくれてやる命は無い」
謳華の一撃で鼠の体が吹っ飛んでいく。召炎霊符を構え、莉音は炎を呼び出すと同時に叫んだ。
「もう殺させない!」
「南でも鼠が出現! 塀を乗り越えて来たらしい」
「どうも道以外の場所から出てくる敵のようじゃな」
翼の報告に、白蛇は眉を顰めながら言った。もし、距離短縮のために家や壁を壊して進むことがあれば、その瞬間そこから鼠が走って来ていたかもしれない。道以外の場所に潜む敵というのは、なかなかに厄介だった。
「完全に姿が見えない相手は、索敵でも探せないからね」
尚幸は呟き、同時に遠くに居た芋虫に銃弾を叩き込んだ。
「鼠如きに怯えていては何もできないわ。……それに、どうやら道でも出現するみたい」
「なに……?」
遠く、朔羅の声を拾って白蛇は顔を上げた。先のユーカリ同様、高所移動を繰り返していた朔羅は告げる。
「路地にいた鼠をこっちに誘導して来たわ。数は五匹。どうやら群れで動くタイプのようね」
そういえば、先の鼠も五匹だった。
「次から次に、よく出てくるものです」
進行上の芋虫を斬り飛ばし、雫が呟く。
少しでも早く中央側へ。一歩でも先へ。その思いで歩を進める少女達の視界に、中央から走ってくる芋虫と、朔羅が言っていた鼠の姿が映った。
「おぅおぅ、敵がわんさかいるね……これはまた、めんどくせぇな」
チタンワイヤーを構え、零斗が嘯く。朔羅はむしろ迎え撃つ形で路地の中程に立った。
高所を行く彼女は見てきていた。あの鼠達がいた路地を。救出の是非を口にすることもできなかった現場の状況を。
「……正に外道の所業ね」
押し殺した怒りが技に宿る。一斉に向かってくる敵に向かって、少女は技を解き放った!
「塵芥残さず、潰してあげるわ」
稲妻にいた一撃が、一直線に五体の敵を消滅させた。
そんな先行班の後方、護送を終え戦場へと駆け戻っていた北ルートの護送員二名は道半ばで愕然と息を呑んだ。
「……なんと酷い……」
カーディスはただ茫然と声を落とす。
中央道からほんの少し入った程度の短い袋小路。そこは血に染まっていた。
「こんな……こと」
すでにそこに居たであろう虫は先行する仲間によって葬られている。だが、その惨劇の痕跡はあまりにも目に付きやすい場所にあり、二人の目を奪ってしまった。
「こんなこと……許されていいはず、ありません……ッ」
リゼットの目に涙が光った。
高い塀についた血色の手形。引っ掻いたかのような筋。咄嗟に入ってしまった袋小路に、どれだけ絶望したことだろう。爪の剥がれた指で必死に這い上がろうとしたのかもしれない。幾つもの血の筋が、失われた命の慟哭をまざまざと見せつけていた。
「……行きましょう」
喉が塞がれるような重い熱さを堪え、カーディスはリゼットを促した。彼等が護送しなければならない人はまだ他にもいる。
ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。
「北側は道路上でも鼠の群れと遭遇……鼠は五匹で一セットみたいやね」
北のメンバーから連絡を受け取った淳紅の声に、清十郎は銃で敵を狙い撃ちながら首を傾げる。
「他の人も言ってたみたいですけど、虫籠の男って、今まで虫しか手下にしてなかったんですよね?」
「報告では、そうだな」
鬼切を振るい、近づいて来た芋虫を両断しながら夜鈴が頷いた。
幾度となく報告のあった虫籠の男だが、今まで虫以外のディアボロと共に現れたことはなかった。今回が初めてだ。
「……あの鼠、何処から来たんだ?」
虫ならば、男が持っている虫籠からだろうと想像することが出来る。だが、鼠は?
「逆かもしれないわよ」
攻撃の手が薄くなった箇所に向かって、結希が青白の大鎌を振るう。弱っていた敵がそれで葬られるのを確認してから言い放った。
「どこから来た、っていうより、もともと鼠がいた場所に虫籠の男がやって来たのかもね。明らかに系統が違うもの。でもって、今の仕事はどっちも滅ぼすことでしょ」
「……そう。後ろに一般人が居る以上、ここから後ろには一歩も通す訳にはいかない……」
漆黒の大鎌を構え、沙耶が小さく頷く。
「月丘さんが言っている通りかもしれない。……虫だけが、ヴァニタスの使役下にあるなら、鼠は別の所から来たか、最初からこの街に狙いをつけて居たものか……。いずれにしろ、究明はこの戦場を制圧してから……」
薙ぎ払われた大鎌が団子虫の強固な装甲を深く切り裂く。静かな表情でそれを見据え、少女は小さく呟いた。
「虫は虫らしく、駆逐されていればいい……」
「さぁ、もう大丈夫よ」
新市街地まで走り込み、待っていた救急隊員に子供を託しつつ、アイリは震えたままの子供にそう声をかけた。必死に縋り付いていた子供は、毛布にくるまれて隊員に保護されて行く。
旧市街地との境目を過ぎてしばし、新市街地よりの場所には複数の救急車が詰めかけていた。警報が鳴ったおり、近くの屯所や本部から急行してきた救急車と、千鶴達が連絡して駆けつけて来た救急車だ。東西南北に散らざるを得なかった為、車は正直何台いても足りない状態となっている。
「どうか、頼みます」
撃退士では無い彼等はとてもじゃないが旧市街地に入ることが出来ない。どれだけ救いたいと思っていても、力を持たない彼等には境目付近までが限界なのだ。
アイリは頷き、視線を転じてこちら側に居る結城馨(
ja0037)の姿を目にとめてもう一度頷いた。隊員達に混じって動きながら、万が一の襲撃に備えていた馨も頷きを返す。
もともと、アイリは護送して後こちらで警護するつもりでいた。それを代わりに受け持ったのが馨だ。今は一人でも手数が必要となっている。そのため、アイリもまた馨に託して戦場に駆け戻っていた。
(あの鼠……虫籠の男とどう関係があるのかしら)
全力で駆け、合流を目指しながらアイリも他の仲間同様に首を傾げていた。今までの関連事件で一切報告の無かった哺乳類型ディアボロの存在が心の片隅に引っかかる。
疑問を抱えたまま皆が居る場所へと合流する。護送中のみ低速になっていた陣が、全員揃ったところで一気に動いた。
「次の群れが来る前に路地を確保しておかねばな」
ザラームが艶のある笑みを浮かべて言う。前方に集団が壁を形成する前に駆逐する。その陣の先頭、常に偵察として先行していた千鶴は、帰ってきた護送班の姿を視界の片隅にとめてほっと息をついた。
何があろうと、今は目の前の人を少しでも多く助ける為に戦う。そう決めていた。だが、護送中のメンバーが襲われたと聞けばひやりとするのも事実だ。
「他のルートでも陣形を乱す動きがあるようだな」
こちらの考えを読み取ったかのようにアデルが呟く。
「鼠か。……もしや、飼い主が違うのかもしれぬぞ?」
ザラームが声を放つ。言われてみれば、道理。だが、その場合鼠の飼い主は誰だ? ここに居るのか、それとも居ないのか……
「問いつめて答えるような相手でも無さそうやしな」
ヴァニタスに関する情報を思い浮かべながら、千鶴は硬い団子虫の装甲へ刃を振り下ろした。会話を交わす間も足を止めたりすることは無い。
例え、もう、入る小道で生きた人を見つけることがほとんど無い状態となっていても。
(……最後まで、希望は捨てん)
それが自分に出来る事と信じて。
○
男は待っていた。その時が来るのを。
もしかすると、主である悪魔が言っていた通りになるのを楽しみにしていたのかもしれない。
だから動かずに居た。
けれどまだその時は訪れない。
正直、我慢するのもそろそろ面倒くさくなっていた。
それでも待っていたのは、その方が楽しそうだったからだ。だが、どうやら彼等が待っていた時は訪れそうにない。
──嗚呼、連中は『しなかった』のか。
主の予想は外れたのだ。
男は口元に薄い笑みをはいた。
退屈はつまらなかったが、主の予想通りにならなかったのは面白かった。
「暴れ損なったなァ……」
笑みが深まる。残念だと思う気持ちと楽しむ気持ちが混ざって、奇妙な笑みになった。
「けどまァ……だいぶ、集まったよなぁ」
笑みはそのままに、男は嗤う。
主が作った虫が持つ特性故か、同じ虫の中に突然現れる個体がある。其れは必ず惨劇の中に生を受け、上手く育てば一匹で軽く十匹分以上の力を有するに至る。もっとも、そこにまで至るにはさらなる犠牲が必要となるのだが。
「……あぁ、始まるな」
男は手に持った籠を見つめたまま、うっそりと嗤った。
笑みが消えるよりも前に、轟音が響く。
変異種が、誕生した。
●
「変異種が出ました! 南側です!」
中央まであと少し。そこまで来て入ってきた連絡にイアンが声を上げた。
「変異種……って、アレかしらァ。やたら強いっていう」
黒百合の声に、Rehniは頷く。
「確か、そうです」
「こっちには出ないのねェ」
「出られたら困るのですよ。まだ救助しきれてないのです!」
慌てて声をあげるRehniに、黒百合は「まぁねぇ」と首をすくめた。
「……けど、いつ出たっておかしくない状況、ってのになったのかもしれないわよぉ」
「元凶を押さえて、出させなくするって手もあるけどな」
「でもそれは、救助が完了してからって話だろ」
「あぁ。救助が落ち着いてから、だ」
仁刀の声に真宮寺が口を挟み、青年は頷いた。
「変異種って……どの虫?」
「団子虫です!」
後方で騒ぎを聞きつけ、声を放った栄にイアンが答えた。
「あの防御高いやつか……!」
栄は愕然と呟く。すでに同じ変異種が報告されているのは、この場合幸運であっただろうか。未だに変異種が確認されていない芋虫と違い、団子虫の方はかつての戦いで撃破されている。だが正直、弱点という弱点は報告されていない敵でもあった。
「いっそ芋虫のほうが良かったのか……? だけど、特殊攻撃の多そうな芋虫の方がある意味やっかいそうだな……」
自身も別の変異種と戦ったことのある栄に、星嵐は首を傾げた。
「『変異種』って……元は同じ虫なんでしょう……? そんなに変わるものなんですか?」
遠くの敵へ的確に矢を射ながら問われて、栄はかすれた声で答えた。
「……段違いだ」
「南に変異種!」
「ついに出たか……!」
西側メンバーに連絡を回しつつ、恋は素早く地図を確認した。
「変異種が出たということは、南は一気に苦境に立たされる可能性がある。こちらを制圧して、助勢するべきだろう」
歩の声に、フレイヤは頷いた。
「あの団子虫には借りがあるのだわ。まっ、別の個体だけどなっ」
かつて同じ団子虫の変異種と戦った経験のあるフレイヤは、思い出しかけた痛みを頭から振り払う。そんなフレイヤに逸治は率直に尋ねた。
「……変異種とは、どんな感じなんだ?」
「黒くてデカくて硬い」
その答えに、銀鼠が視線を道の方へと向けたまま、じゃあ、と声をあげた。
「あの『やや黒』っぽいのは、変異種じゃないってことか?」
全員の視線がそちらを向く。
フレイヤは思わず叫んだ。
「ちょっ、おま……なんでこっちにも出とる!?」
「西側、変異種と交戦に入りました!」
「西!?」
翼の声に北の全員がギョッとなった。
「南じゃなかったの!?」
「西にも出たみたいです。芋虫型が!」
「芋虫型、は、初めてね」
ユウが気鬱げに呟く。データの無い敵の恐ろしさは誰もが知るところだった。
「……早く、完了させて、向かいましょう……!」
リゼットの声に雫も頷く。
「そのためにも、早急に撃破します」
「南と西、変異種により進行停止。北は速度を上げました」
「南が止まったということは、今、一番中央に近いのは俺達か」
イアンの報告に仁刀が僅かに思案する顔で呟く。中央部だろう場所がかろうじて目視できる場所まで彼等は迫っていた。
その道に、三体の団子虫と一体の芋虫。
「最後の一発なのですよ!」
Rehniが四匹が十字路にさしかかったと同時にコメットを放った。降り注ぐ無数の隕石に合わせるようにして放った星嵐の魔法が、花火の如き色とりどりの爆炎を周囲に撒く。
その炎を突っ切るようにして、丸まった団子虫が勢いよく転がってきた。進行方向にいるのは──真宮寺!
「蟲ごときが……図に乗るな!」
頑強な体を持つ団子虫に、走り込んできたフィオナがブラストクレイモアを叩きつけた。巌を打ち据えたような手応えと同時、手に痺れが走る。だがその刃は虫の側面を深く穿った。
「これでトドメよぉ♪」
動きの止まった虫に黒百合が婉然と笑いながら刃を振り下ろす。悪魔の名を冠する大鎌はやすやすとその胴体を二つに切り裂いた。
「あと一匹……?」
荒い呼吸を整えながら、ロコンが中央への道を確認して呟く。七佳が頷いた。
「今見える分では、あれがラスト、でしょうか……」
「……探るべき横道ももうありませんしね」
地図を確認して黒子が用心深く呟く。
「南と西は変異種を相手どっていて、ヴァニタスの余裕はありません」
「北はまだ距離がありますね」
手早く情報を再確認したイアンに、雅が言葉を重ねた。もう護送するべき人もいない。追加の敵が無い限り──恐らくだが──今ルート上にいる一匹を倒せば、東は制圧完了した形となるのではないか。
ならば──
(中央に)
行くか。
行かざるか。
議論はすでにすませていた。だが、意志は僅かずつ人によってズレていた。
その選択も。選択の条件も。
「あの虫を倒したら……男を押さえに出る」
大剣を手に仁刀が走る。雅が一瞬迷い、けれどすぐに後に続く。
他班と完全に同調して動くか、先に動くか。
各々の思考と判断に少しずつの違いはありこそすれ、ヴァニタスを止めるという目的そのものに違いは無い。
彼等は、行動を選んだ。
○
その時に至る前、男は薄く嗤っていた。
「なァ、先に遊びに行くのはやっぱ無しか?」
すぐに唇が歪む。
「ちッ……あぁ、分かってらァ。引きつけて騒ぐのがあんたの目的なんだろ」
歪んだ口が次に笑みをはく。
「……分かってるじゃねェか。連中が『来てから』時間内の間は好きにやらせてもらうぜ。前はあんたの趣向につきあって、わざわざ一対一にしてたんだからよ」
ぱたん、と籠の蓋が閉まる。
最後の虫が放たれる。
それを知って知らずか、人間達が飛び出してくる。
男の周囲には、すでに数十からなる黒針。
「さァ、遊ぼうぜ」
轟音が街に響き渡った。
●
「何じゃ、今の音は!?」
今までとは比べものにならない破壊音に白蛇は気色ばんだ。
「東の連中がヴァニタスと戦闘に入った!」
動いたのだ。ヴァニタスが。
「西と南が変異種。東がヴァニタスか」
「袋小路の確認、急ぎます」
「まずは、救える人を救ってから」
零斗がぼやき、尚幸が短く告げると同時に駆けだした。ユウも同意するように呟く。
中央まであと幾ばくか。道の向こうにそれらしい場所は見えている。
だが、最も優先すべきは救出すべき相手を救うことだ。例え、その確率が恐ろしく低いものだとしても。
「あと少し……」
朔羅が通路を一直線に駆ける炎を呼び出す。焦りはある。だが、果たすべきものを身失いはしない。
(皆が行くまで……どうか、無事で)
千紗が振り仰ぐ先、東の方角からは、不吉な土煙が上がっていた。
一方、西では一時的な勝ち鬨があがっていた。
「っしゃ! 見たか黄昏の魔女の実力を!」
形の良い胸を張ってフレイヤは血の着いた口元を拭った。毒をくらった面々を侑紗が癒す。
道に横たわる通常の倍はあるだろう薄黒い芋虫に、陸刀は肩で息をついてから言った。
「まだ柔らかいやつでよかった、ってとこか」
「毒が強烈だったがな」
解毒を施された雷が短く息を吐く。虎葵が武器を握り直した。
「残りのぶっ潰して、東の加勢、行くよね!?」
「当然!」
声をあげる守矢の横で、恋が受けた連絡を口に乗せた。
「南も変異種撃破! 合流急ぐぞ!」
慌ただしい足音が響き、険しい表情の男女が凄まじい勢いで道を踏破していく。
「あの虫、後ろばっかり狙ってきてたな……」
「進行上の問題かな」
頑強な団子虫を撃破し、一路中央へと走りながら淳紅と清十郎がぼやく。そもそもの道の残りが少ない南には、すでに敵の姿は無い。……救助者の姿も。
莉音は走りながらその事実を胸に刻む。全てが悲しかった。何人が犠牲になっただろう。
「血の宴の幕引きは、あいつ自身が相応しいだろう」
元凶たる者の命そのものが。
アデルの声に、莉音は唇を引き結び、頷く。
(……絶対に、許さない)
●
「……既視感、つーのかね、コレ」
血臭に満ちた一角で、男はそうぼやいた。
目の前には血に濡れた少年達が立っている。
「前にもあったんだよなァ……つーか、なんでおまえ等、そんなしぶといんだ?」
男と少年の周囲には、同じく血に濡れた撃退士達が武器を構えていた。そのうちの一人を見て男は眉を上げる。
「おいおい……なんで倒した奴が起きあがってきてんだよ」
意識すら落ちていたはずのRehniだ。その体の傷も、不思議なことにわずかながら回復してる。
「……そんなことも分からないか」
喉を塞ぐ血の塊を吐き捨てて、栄が和弓を構えた。
「何の為に立つか、何の為に立ち塞がるか。それすらもお前は分からないんだろうな」
栄の声に男は眉を顰める。記憶の中から何かを探すように。
「虫籠の男。名前も何も無い生も哀れだな」
男は訝しげに栄を見ていたが、口元を嘲笑の形に曲げて言った。
「楽しけりゃあいいんでね」
栄の放った矢が男の頬を掠める。同時に男の黒針が栄の体を貫通した。
「ぐ……ッ」
「てめェも続くわけか?」
「……今回は、少しだけお相手しに参りましたのでね」
出血による目眩を押し殺してイアンは告げた。男はフンと鼻を鳴らす。
男もまた無傷では無かった。特に黒百合に斬りつけられた腕はだらりと垂れたままになっている。それは、この男が決して手が届かない相手ではないことを意味していた。
だが──
「当たりゃあ痛いが、それだけだ、な!」
声と同時、背後から斬りつけた雅と真宮寺の一撃を避けて男が白い霧を放った。
「ぐッ……!」
かろうじて残っていた意識すら刈り取る白い闇にイアンは必死に耐える。だが、膝が崩れるのだけは止められなかった。
「ぁぐッ!」
「きゃ……!」
少女達の悲鳴が聞こえ、見れば壁にRehni、雅、真宮寺の体が黒針によって打ち付けられていた。かろうじて回避した仁刀がその様に激昂する。
「貴様……ッ」
「当たらねェな!」
怒りの斬撃を避け、放たれた巨大な黒針が仁刀を貫く。下手をすれば命すら奪われかねない一撃に、傷だらけの龍仁が駆けた!
「それ以上は、させん!」
「うぉっと」
龍仁の一撃にあわせてシャルロッテがトート・タロットから死神の幻影を呼び出す。だが男は薄ら笑いを浮かべてそれらを避けた。
(当たれば、攻撃は通るのに……!)
「貴様のような外道は存在すら許し難い……!」
深手を負った状態のままフィオナが畳み掛けるようにして剣を振るった。血がわずかに飛ぶ。だが、浅い!
「おらよ、ご褒美だぜ!」
「ッ!」
再度範囲攻撃が来るのを見て、黒子が最後の力で深紅の鋼糸を放った。カウンターのように糸が男の頬を裂く。だが、容赦なく放たれた黒針は少女達の体をやすやすと貫いた。
(全ての能力が高いわけじゃない)
イアンは重い体を懸命に立たせる。
(だから、黒百合さんは真っ先に狙われたんだ)
最初に集中攻撃を受けた少女は今も血の海に沈んでいる。まだ息はあるはずだ。男が、これ以上の力を行使しなければ。
イアンは立つ。生命のギリギリの場所で。自分が立つことで、少しでも時間を稼ぐために。
「イアン君!」
最初に走り込んだ莉音がその光景に声をあげた。
黒針に貫かれた少年が自身の血が作った溜まりの中に崩れ落ちる。
「後から後から沸いて来られると萎えるな……ヲイ」
うんざりとした顔で男は首を鳴らした。
「……なんて……こと」
千鶴が呻き、石田が無言で銃を構えた。
油断無く武器を構えながら、全員がその場に倒れる仲間達の気配を必死に探る。血の海に沈んだ相手からは、けれどかろうじて生きている気配が感じられる。今なら間に合う……!
その瞬間、ぼそり、と音がして虫籠が崩れた。
「ぁー……くそ、時間切れかよ」
ぼやくような声と同時、男が嘆息をついた。つまらなそうな顔になってぼやく。
「てめェ等がもっと早く来てりゃあ、大暴れできたんだがな。……はっ。ちまちま住民助けるの優先してりゃあ、来るのも遅くならァな」
「……貴様はッ」
あげられた声、男はただ嗤う。
「じゃァな」
「待て……!」
「よせ。今はあいつに構っている場合じゃない……!」
追おうとした仲間を宗が止める。アイリと莉音が重傷を負った仲間に駆け寄った。
「死なせない……絶対!」
足音が聞こえる。別ルートを踏破した仲間達の足音が。
その音をかろうじて耳に拾ったのを最後にイアンの意識は途絶えた。
○
「騒ぎってェのは、あれぐらいでよかったのかよ?」
暗闇に向かって男は声をかける。
深淵の闇は笑って肯定した。
「そう。あれぐらいでいい。おまえも楽しんだだろう?」
「ふん」
鼻で嗤って男は踵を返した。声が笑いながら告げる。
「傷は消さないのかね」
男は一度足を止め、けれど何も言わずにそのまま歩き出した。
声はその様子にただ笑う。
まるで消える記憶のかわりのように、消さずにいる傷の跡。
「嗚呼、これだから人間で遊ぶのはやめられない……」
男が去った後に呟かれたその声は、あまりにも穏やかで優しく、ゾッとするほどおぞましかった。
●
「……陽動の可能性、か」
慌ただしく情報が行き交う一角で、鎹は低い声を零した。向き合っていた職員は頷く。
「動きに対応した分、他への目が緩みました。その間にある場所にいた天魔が姿を消している、といった報告もあります。また、力を持つ天魔があちこちに移動した結果、下級ディアボロが放置されたりするケースも報告されています。おそらく、今回の鼠型ディアボロもその一つでしょう」
「…………」
「いずれにしろ、天魔が出た時点で我々は動かざるを得ません。敵殲滅速度、市民の救出。どちらにおいても生徒達は成果を挙げたのです。重体になった者もおりますが、この結果はあの地区においてよりあなた方の学園の評価を高めさせたことでしょう」
職員の言いように、鎹は唇を噛みしめた。拳が震える。
「私共も期待しております。あぁ、最近、天魔そのものも学園に入って来てるとかいう噂もありますが、生態の観察をするにはいいことだと思いますしね。これからも学園の活躍に期待しています。あなた方の学園は、『人類の』希望なのですから」
それでは、と立ち去る職員に、鎹はようやく俯かせていた顔を上げた。面と向かって顔を合わせていれば、職員はどう言葉を交わしただろうか。
命がけで人々を助け、守り、意志を貫いた子供達の全てを『評価』という言葉で表す。これが学園外で当たり前のように行われる会話だ。戦地を駆ける子供達に、どれほどの思いと覚悟があるかも知らずに。
(……私達は、正しい道を進んでいるのだろうか)
街を支配していた血濡れた籠は生徒達が壊した。
だがもしかすると、もっとずっと昔に、世界は血濡れた籠に閉じこめられてしまったのかもしれない。
自らが生き残る、ただそれだけのために──