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転移先は選べない。
だがこの時、図らずも彼等は最良の位置で村に降り立った。村のど真ん中。それは取りも直さず五十を超える敵の真っ只中でもある。
「うわ……」
目の前に広がる光景に思わず月詠 神削(
ja5265)は声を零した。金鞍 馬頭鬼(
ja2735)もまた厳しく周囲を見据える。彼の隣で櫟 諏訪(
ja1215)も気を引き締めた。
「敵の数は多いですが、がんばらないとですねー……!」
彼等の行動にこの地に居る全ての人々の命がかかっている。絶望的な状況。それを打破すべく彼等は集ったのだ。
強い意志を込めて頷く仲間達の傍ら、天風 静流(
ja0373)は冷静に状況を把握していた。
影の位置から方角は分かる。村の地形は山間だからだろうか西から東へと下がる緩やかな斜面。建物同士の間は広く田畑で開けた土地も多い。ぽつぽつと建つ家屋で随所で視界は塞がれるものの、中程に立った彼等は村の異様な光景を一望にできた。故に見つけた。
「あれ!」
東側、他に比べて甲虫が集まっている一角を。
「行くぜ!」
鋭い呼気と同時、鐘田将太郎(
ja0114)が飛び出した。即座に静流もそれに続く。皆で決めた役割、行方の分からない人々の捜索こそ彼等の役目。
「私達も行きまショウ!」
金色の髪をなびかせ、フィーネ・ヤフコ・シュペーナー(
ja7905)が反対側──連絡のあった、村人のほとんどが逃げ込んでいるという西端の家を目指して駆け出す。それに続くのは神削、諏訪、馬頭鬼、ソフィア 白百合(
ja0379)、神城 朔耶(
ja5843)の面々。
こちらの存在に気づいたのだろう、耳障りな羽音を立てて虚空に舞い上がる数多の甲虫の姿に、けれど恐れず彼らは地を蹴り己の武器を具現させた。
込められるのは強き意志と力。現れしは消して揺るがぬ魂の形。
蹂躙されし村に、今、撃退士達の反撃の音が鳴り響いた。
●
乱れ飛ぶ甲虫。響く羽音。的確に敵を射抜く矢と弾、打ち出される刃や魔法の響き。
乱戦と呼ぶに相応しい戦場の中で、けれど彼らは確実に歩みを進めた。無論、その代償に数多の傷がその身に刻まれる。目指す西端の家。そしてその前で一人戦う人物。
「来てくれたか……!」
彼は即座にこちらに気づき万感の思いで叫んだ。
一同は目を瞠る。おおよそではあるが村の状況は聞いていた。だが彼の姿、その紋付き袴。破られてはいるもののそれと分かる紅白の幕。つまり、この村は、彼等は、今日……!
「なんて……コト……」
ざわりとフィーネの髪が揺れた。怒りがその白い美貌に恐ろしいほどの青筋を走らせる。
(女性が一生で最も美しく輝く日に……何をしてくれてるのですかネこの虫共ハ……!)
結婚式に対する女性の思いは深い。だがそれを壊すことの結果を虫達が知ろうはずもない。
どうなるか。
──こうなる。
「人の結婚式に無粋なマネする汚物は消毒ダー!」
怒りの業火が火炎放射器から放たれた。恐怖でも感じたのかやや離れた場所にいた虫すら思わず余所へ飛んだ。直撃を食らった虫は見事に炭になる。
「……すいまセン、何か電波みたいなものを受信しましタ」
一瞬ブルッた面々はただ無言でコクリ。結婚式は邪魔してはイケナイ。万国共通の真理だ。
「れ、連絡が取れないという方の居そうな場所は、分かりませんか?」
内心の動揺を押し殺し、馬頭鬼は長門へと声を放った。乱戦の中、互いに戦闘しながらではあったが、早めに情報を交換しておかなければならない。
「由美の──南北的には中央、その中で一番東端の家付近だと思う。せめて皆家に居てくれればいいが……!」
一同は嫌な予感を覚えた。降り立った場所から見た東。他よりも敵が集まっていた場所。そこには家があった。家のせいでその向こう側は見えなかったが。
その時、朔耶の携帯が鳴った。
素早く電話口に出た彼女の耳に、急ぎすぎたのだろう、音量無視の声が響いた。
『こちら捜索班! 花嫁姿の少女を発見!』
「ッ…… 少女を発見したそうです! 花嫁姿の!」
一瞬痛そうな顔をしながら、朔耶は受けた報告を繰り返した。戦場にわずかな喜色が溢れる。だが、
「少女は……錯乱、状態……!? 血まみれ、ですって!?」
続けて響いた報告の声に皆が顔色を変えた。
「行ってください! ここは任されました!」
「神城さん! 彼等の補助を!」
諏訪の声に長門は一瞬痛みを堪える顔になり──即座に駆けだした。皆を頼む、と。その瞳に必死の思いをのせて。
同時に馬頭鬼が『縮地』を朔耶に使用した。己の技を鍛え抜いた彼の『縮地』は、絶大な移動力を少女に与える。
「行きます!」
「頼む!」
文字通りの全力移動で走る長門の後を朔耶後は追う。
「裁きの雷よ……」
その背をさらに追おうとする敵へ、ソフィアはアウルを練り上げた。
(これから幸せの門出を祝うはずの二人が……)
彼女の怒りもまたフィーナに負けず劣らず激しい。
(喜びに包まれるはずだった村が……!)
許せない。その暴挙。踏みにじられた数多の思いと命。
(許せない……!)
呼び出される青とも紫ともつかぬ鮮やかな光──
「我に仇なす敵を討て!」
●
時は少し遡る。
捜索班として東へ向かった二名は西側の一行よりも厳しい状況にたたされていた。少しずつだが村の入り口から敵が増え続けているのだ。
「一体一体は弱くても……邪魔だ!」
虫達のせいで最短の道は完全に進路を塞がれてしまった。二人は目配せしあい、虫の密集が比較的薄い場所に身を躍らせる。
「行け!」
「応!」
鋭い静流の声に促され、将太郎が霧散した敵の向こうへと走り出す。
(孤立は避けたいところだがな……!)
発動する技──外式『鬼心』
濃密な殺気を纏った彼女の体から禍々しいほどの力が溢れる。
「遅い」
凄まじい瞬発力を得た彼女は四方から繰り出された攻撃を避け、ただ一撃のみで敵を葬った。
将太郎が家屋の向こう側にたどり着いたのは、ちょうど静流がもう一匹をパルチザンで貫いた時だ。
「な……ッ」
その光景に彼は絶句した。付近の地表を埋める甲虫の群れ。その中を、一人の少女が泳ぐようにして動いていた。いや、むしろそれは──
「よせ……もうよせ!」
濁流に溺れているようだと思った。その姿を観察するゆとりなど無い。蠢く甲虫達の中で剣を振るう少女は赤。元は白かっただろう服の大半を己の血で染め上げ、狂ったように虫の海の中をただ進み剣を振るう。
「おい!」
尋常ではない様子に将太郎は少女の腕をとった。危険はあった。だが躊躇している場合ではない。
「落ち着け! あんたがこんなとこで死んじまったら、旦那になる人が泣くことになるんだぜ?」
彼女の纏う衣装から当たりをつけ呼びかける。と、少女がこちらを見た。
「ッ!」
まるで眼窩に深い闇を流し込んだかのような目だった。
「……ッ。村人助けるのは俺らも手伝う! ……だから落ち着け!」
叫びは、けれど届かない。
ただ少女は本能で敵の攻撃を避け、避けれなかった力に傷つきながらそれを痛く思う気持ちすらも失い、ひたすら攻撃するのだ。己の敵を。憎しみを恨みを絶望を慟哭を──命を削りながら。
将太郎は即座に携帯を取り出した。
幸運だったのは少女が大人しくなったことだろう。その異様さから敵と間違われて攻撃される可能性も考慮していたが、守るため引き寄せた少女は喪心したかのように動かなくなった。
(暴れられるよりは、マシか)
とはいえとても楽観できる状況ではない。
朔耶に状況を告げながら、少女を保護できる場所を探す。だがそんな場所があろうはずもない。
「生存者か!」
静流が声で察し補助すべく走り込んできた。今しも攻撃を仕掛けようとしていた敵を横合いから葬り、すれ違いざまにチラと見た少女の姿に眉をひそめる。
同じ撃退士だった。光纏や武器からも分かる。だが、この状態はどうしたことだろう。戦場を知らぬ幼子でもあるまいに、何故……
「正気を失ってる。皆には連絡を入れた。向こうで花婿らしい人と合流したらしい。婿さんと今こっちに向かっている」
花婿。なるほど、なら少女の衣装は白無垢か。理解し、ふと静流は疑問に思った。白無垢姿の花嫁が一人でいるはずがない。身内が近くにいるはずだ。近くに。
ミシリと音がした。虫が密集する道を西側から隠してしまっているすぐ近くの家。それが倒壊しようとしている。
「……他の生存者は」
「……ぱっと見、見あたらなかったな」
彼女が何を見、何を体験したのか。本人でない彼等は実際の所知りようがない。だが分かった。
人が何かを深く愛し大切に思い──それを無惨にも奪われ打ち砕かれた時、どうなるのか。
これが、その答えだ。
●
「由美!」
声と同時に青年が走り込んで来たのは、人一人を腕に守って戦う難しさを将太郎達が痛みとともに思い知った後だった。
「! 花婿さんか!」
自身の全ての行動を犠牲にした全力疾走で駆けつけてきた男に、将太郎は素早く少女の身柄を預ける。
「押しとどめる! あんたは嫁さんを!」
「恩に着る……!」
長門は由美をひしと抱きしめた。身軽になった将太郎と、静流が盾となるべく位置をとる。そして、
「遅くなりました!」
長門に遅れること暫し、朔耶が到着した。朔耶は素早く由美と周囲の状況を見て取る。由美の怪我は確かに深い。だがまだ余力がある。むしろ問題はこの膨大な数の敵!
「弓以外の武器は初めてですが……」
扱うは烈風の忍術書。その書の力を借りて少女は具現させる。多数の敵を殲滅するために生み出される破壊の綺羅星を!
「!」
凄まじい轟音が天地を揺るがした。声すら消し飛ぶ魔法に押しつぶされ、密集していた敵がごっそりと消滅した。そこに二人が容赦なく攻撃を仕掛ける。由美を治癒して後、朔耶はさらにコメットを放った。虫と彼らとの間に大きな空白が再度出来る。
「戦線を東へ押し上げますよー!」
そこへ西側を制圧した面々が駆けつけた。
「纏めていかせてもらう!」
先行していた者達の反対側に走った神削の前には、コメットから逃れた敵が一列になっていた。繰り出されるのは渾身の一撃──軍勢すらも破るかの如き力、弐式《烈波・破軍》
ブン、と八体もの敵を纏めて薙ぎ払った神削の耳に不吉な羽音が響いた。
「ハッ!」
だがその瞬間、ソフィアの炸裂掌が件の敵と纏めて二体を撃破した。
「これが……怒りの一撃なのです!」
圧倒的な数の差さえ無くしてしまえばこちらのものだ。後は一気に戦況を巻き返せる。だが、
「!?」
諏訪が弾かれたように顔を上げた。アホ毛がピンと東を向いている。他の面々も視線を追い、息を呑んだ。
東端に男が居た。軽薄そうな薄ら笑いを浮かべ、手にもった小さな虫籠をぷらぷらと揺らしている。
「ヴァニタス……!」
ざわりと揺れた不穏な空気を押しとどめるように、諏訪は一度息を吸った。
甲虫が動く。だがそれは攻撃のためではなく帰路のためだ。
「ッ!」
全員がそれを察し男を睨みつけた。だが誰も動かない。
分かっているのだ。ヴァニタスという存在がどういうものなのか。そして今、こちらは多数の敵との戦いに疲弊し、更に傷つき心を喪った少女を抱えている。戦った末の結果など見えている。だがこのまま見送れるはずもない。
「わざわざこの村を襲った理由は何ですかー?」
諏訪の声は押さえ込んだ怒りに震えていた。
男は薄ら笑いのまま首を傾げる。そうして言った。うすっぺらい声で。
「なぁんもねぇよ?」
愕然とした。
「何もなくて……この村を?」
命を。思いを。踏みにじり貪ったのか。喜びと祝福すらも血と泥で汚して。
「強いて言ゃあ、たまたま目についたからかぁ? 誰でもよかったしどこでもよかったんだよ。そんなもんだろぉ?」
薄い笑み。薄い意志。ただそこにある純粋なおぞましさ。その男の存在を評するのなら一言で足りる。
ただ、悪だ。
「まぁ面白いモンも見たし、面倒になってきたからそろそろサヨナラだなぁ。見物だったぜぇ? そこの嬢ちゃん。母親? の頭ふっ飛ばされた瞬間の顔とかなァ!」
下卑た笑いにフィーネはとっさに攻撃を繰り出しかけた。戦ってはいけないことは分かっている。でも……!
「!」
だがその手は近くに居た長門の手に阻まれた。その力にフィーネは愕然と振り返る。
何故、と。問う声はしかし失われた。誰よりも激しい殺意をもって長門は相手をにらみ据えていた。必死に激情を押し殺そうとするあまり噛みしめた唇から血を流しながら。その腕に守るべきものを抱えて。
「つーまんねぇなー最後はよぉ」
虫籠を撫でて、ヴァニタスは肩をすくめた。甲虫の姿は無い。彼という存在に注目している間に何処かへと消えていた。
「じゃァな」
嘲笑いながらヴァニタスが手を挙げる。
「追うな!」
思わず飛び出し駆けた面々に馬頭鬼が咄嗟に声を上げた。分かってる。誰もが悔しげに視線を足下に落とした。
朔耶がやるせない息を吐き、せめてと生存者を捜すべく感覚を広げる。
「……え?」
その瞳が大きく見開かれた。
●
「由美……!」
叩き土間に座り込んでいた二人のうち、初老の女性が長門の腕の中にいる由美に悲鳴をあげた。
「怪我は治してもらってます」
その声に、女性は顔をくしゃくしゃにして泣き出す。
「あちらの女性が由美の祖母君。祖母君よりも年長の女性が曾祖母君だ」
ヴァニタス撤収直後に現れた少女は撃退士達にそう告げた。
花嫁の家から花婿の家に血に連なる女性総出で動く村の昔ながらの風習。だが長門家に行くには坂をずっと上らないといけない。足腰の弱った二人の足では難しく、途中の家から合流することになっていたのだという。
「由美……由美……」
茫洋とした表情のまま虚空を見つめる由美を祖母が泣きながら抱きしめる。その時、ふいに由美の表情が動いた。
「……ぁ」
唇が動く。その由美の頭を曾祖母の小さな手が撫でた。
例えば、『未来』を歩むのには花婿の存在が不可欠だったろう。彼亡くして彼女は未来へ歩めない。
けれど『今』彼女が心を取り戻すに必要なのは残念ながら愛する男性ではなかった。それは彼女が目の前で失ったもの。
母という名の性。
「ぉ、かぁ、さ、ん」
瞳が揺れた。涙が零れた。その目に人の姿が映った。脳裏に次々に浮かぶ光景は、容赦なく彼女に喪ったものをつきつけてくる。けれど泣くことが出来たのなら歩んでいける。涙は海と同じ。浄化作用があるのだから。
子供のように泣き出した由美の姿に撃退士達はほっと安堵の表情を浮かべた。
思えば虫達は血の臭いや強い意志、または感情の在る場所に向かっていた。二人がいた建物もずいぶんと囓られていたが、虫が囓り破るよりも村に撃退士が到着する方が早かったのだ。そして、村を駆ける撃退士達の強い意志に引き寄せられた。
だからこそ彼女たちは助かった。
八人は、正しく、最後の絶望を打ち破ったのだ。