夜も深まった頃、学園の一角に小さな灯りが灯った。
(……ん)
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)はふと頬を撫でた風に眉を顰める。
(嫌な風が出始めたね……)
雨の予報は無かったのに。空気は湿り気を帯び、どこか体にまとわりつくよう。
「はぅはぅ…ニンジャスキルを今こそゆうこうに使うときっ!」
ソフィアの傍らで、エルレーン・バルハザード(
ja0889)は密かにテンションを上げていた。全身黒装束なところからして意気込みは十分。うふふ、と笑みを浮かべて影に溶け込んでいく。
「ふふ…闇に紛れるのは得意、よ?」
マリア・フィオーレ(
jb0726)もまた、エルレーン同様に黒子希望だった。各種トラップを用意した彼女も、そっと闇に体を溶け込ませる。
「さて、わし等も行くか、の」
古風な口調で告げて、白蛇(
jb0889)も準備に入る。三人と共に怪談について話していた蒼井御子(
jb0655)も、それに合わせてそっと場を離れた。
(幽霊、か)
湿った風に髪を撫でられながら、大炊御門菫(
ja0436)は冷静に旧校舎を見上げる。
(そんなものを怖がっていては天魔となんて戦えないではないか。どうせ人が作ったんだろう? そんなもの怖くなんて無い)
凛と佇む菫の後ろでは、或瀬院由真(
ja1687)がやたらと存在感のある姿で仁王立ちしていた。
(幽霊。怪談。……ときたら、これですよね)
猫の着ぐるみである。
「ふっふっふ。見てください、このもふもふっぷり。これなら、何が来ようと怖くありませんっ」
彼女は気づいていなかった。周囲のモフラーがふるもっふするべく手をわきわきさせながら取り囲んでいることを。
(ふふ……私は黒子で参加しましょう)
ちょっとした悲鳴ともふもふ堪能組の歓声が上がる中、ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)は胸のときめきを押さえ、そっと影に身を隠した。見守りたい仲の二人がいるのだ。密かな悪戯心も潜ませて潜伏する。
(お化け屋敷ならぬお化け校舎、ですか。……皆の小細工から仕事に役立ちそうなアイディアが得られればいいのですが)
校舎を見上げ、時駆白兎(
jb0657)は心の中でシビアに独り言つ。
(まぁ幽霊などとは申しますが、それは天魔も似たようなもの。恐れる事などありません)
白兎の後方で旧校舎を眺めていた神棟星嵐(
jb1397)は、伝え聞く怪談を頭の中で繰り返しながら軽く首を傾げた。
(旧校舎の怪談については……ありそうでなさそうだ。作り物だと……思うけど)
そんな星嵐の斜め前方では、色んな意味で楽しむ気満々な少女の姿がある。
「ほう、お化けであるか。我に怖いものなどないのである」
キラリと目を輝かせ、アリシア・リースロット(
jb0878)は入口前で仁王立ちした。
「どれ、AKIYAをからかって遊んでやるのだよ」
「心の声が全部口から出てるよ」
キリッと全部ぶちまけました☆
アリシナのポロリにAKIYA(
jb0593)は嘆息をつく。
(――やっぱ旧校舎ってのは不気味なもんだな……まあコイツもいるし、しっかりしてくか)
可憐なゴシックドレスが似合っているがAKIYAは男の子。いざとなったら女性の盾になる男気は十分にある。
「夜の校舎は何とも言えない不気味さが……」
妙に重くまとわりつくような空気の中、雫(
ja1894)はそう呟いた。見上げていた校舎から視線を外し、代わりにいつの間にか減っている参加者にそっと笑む。
「脅かす人を脅かしてはいけないとは、説明にはありませんでしたよね」
意味深な笑みだった。
無論、同じ事を考えている者は他にもいる。
「得てして、こういうものは種も仕掛けもある、と。…面白そうですね」
薄く笑む夜来野遥久(
ja6843)は、ただ仕掛けを楽しむだけに留まらない。
「ところで、提案があるんだが」
順番待ちの最中、月居愁也(
ja6837)が遥久と共に仲間に声をかけた。
「あのですね……」
先に内容を聞いていた三善千種(
jb0872)がひそひそと説明する。
「参加者側なのに驚かすのか……」
企てを聞いて柊夜鈴(
ja1014)は呆れ顔になった。宇田川千鶴(
ja1613)も逡巡の色を示す。
「え、普通驚かされた方がえぇんじゃ……」
だがわくわくしている二人の顔を見るにつれ、楽しみが伝播するかのようにそわそわと視線を彷徨わせた。
「まぁ、たまには……楽しむのもいいだろうし、な」
先に陥落した夜鈴にも勧められ、千鶴も(ま、良いか)と思い直した。
そんなことは露知らず、楽しませるために脅かし役を買って出る者は多い。久遠栄(
ja2400)もそのうちの一人だ。
え? 何か磯の匂いがするって?
詳細は行動開始の後で!
「旧校舎には浪漫が。……なんだけど」
夜中とは。え。どういうことなの。
ちょっと怖いとか思ってないヨな嵯峨野楓(
ja8257)は桜木真里(
ja5827)の服の裾をこっそり摘んでいる。
ビビってるとかもしもの時の生贄とかナイヨー。
「流石に雰囲気あるね」
それに気づかないフリで、真里は何でもない風の声をあげた。重苦しい気配を纏った校舎は、昔の学舎というよりも得体の知れない異物のように見える。
(真夜中の学校ってだけでも、じゅーぶん恐怖なんスけど)
奇妙な威圧感にごくりと喉を鳴らし、天菱東希(
jb0863)は校舎の入口、二階、出口と順序を目で辿る。
(ちょっとでも度胸をつけたいと思って参加してみたッス……けど……)
窓の向こうから覗いてる人がいるような、いないような……
「はい、灯りですよ」
「は……ぃ。あ、灯りって蝋燭だけなんスか…!?」
東希の声に、灯りを渡した星嵐は肩を竦めた。
「そうらしいですね」
「何かの拍子に消えちゃったら、真っ暗になっちゃうじゃないスか〜〜」
「蝋燭型のライトだから多少は大丈夫だと思いますよ。落として割れたり接触が悪くならない限り消えませんし」
そんなやりとりの隣では、不気味な校舎に臆することなく声をあげる猛者もいる。
「ジャパニーズ肝試しを体験ですわ!」
揺れる魅惑のムチムチFカップ、クリスティーナ アップルトン(
ja9941)のワガママバディが闇夜に浮かび上がる。人の気配と明るさに満ちた今だからこそ、一人でお札取りにだって行けると確信、もとい錯覚した。
――この後に待ちかまえる怪奇を知らずに。
「よし。それじゃあ、順番に中に入って行ってくれ。出発は五分毎だ。皆、気を付けてな」
鎹の声に、返事とともに二十五本の蝋燭型ランプが掲げられる。それに笑って頷いて、(あれ?)と少女を首を傾げた。
何か違和感があった気がした。だがそれに気づく前に第一陣が出発する。
「行ってきまーす!」
何かの笑う声が聞こえた気がした。
●
(よく知らないが、こういうのはやはり手を握るものだろうか)
弱い光しか灯さない蝋燭型ランプを握って久遠仁刀(
ja2464)は桐原雅(
ja1822)にそっと手を差し出す。
仁刀と雅。知己の間ではそれとなく見守られている初々しい二人である。
(空振りならそれで構わな……ぅ?)
雅、手ではなく腕に抱きつくように腕組みした。予想外の反応に僅かに戸惑いながら、頬を染めとろけそうな笑顔を浮かべている少女を見て、仁刀はこれはこれで良いかと歩き出す。
(……まあ雅が嬉しそうだし)
ほんの僅か、その目元が淡く色づいている。
(ふふ)
そんな二人を見守る影一つ。輝く銀髪を隠したファティナは微笑ましそうに目元を和らげる。そっと異界の呼び手を発動させると、階段へと向かう二人の後を追い無数の腕を操って
仁刀の靴を掴んだ。
「!?」
自身でなく靴を捕まれたせいで反応し損なった仁刀がバランスを崩す。同時に別の腕に足を引っ張られた雅もバランスを崩し、二人して重なるように倒れかけた。
(あ……!)
あわや押し倒す、という所で仁刀が動いた!
「くっ……!」
「きゃっ!?」
女性を下敷きにしてなるものか! 気合いで体を入れ替えた仁刀の背が強かに廊下に打ち付けられた。抱きしめられる形で上に乗った雅が小さな声をあげる。
ファティナ、思わぬ事態に拳を握った。
「ぁ」
雅は自分の頬が一気に紅潮するのを感じた。至近距離に仁刀の顔がある。自分を庇うために抱きしめたのであろう腕は今も背中に。密着した胸が相手の胸板の意外なほどの厚さを感じ取っていた。
仁刀も間近にある雅の姿に息を止めた。柔らかな体が自分の上に乗っている。鼻腔をくすぐる優しい匂いと暖かな体温が胸に痛い。腕をどけなくては。思うのに硬直が解けない。
触れていいのか。痛む胸が激しく訴える。幸せに手を伸ばしてもいいのか。迷いが喉を締めあげる。大切だから。だからこそ。
時が止まったような気がした。その瞬間、
ねてるの?
「「!?」」
二人の間から聞こえた幼い声に飛び起きた。
「な……」
仁刀が鋭く周囲を見渡す。だが姿どころか気配もない。
(誰邪魔したのッ!?)
雅は内心怒りの涙を流しながら気配を探った。だが何も感知できない。それ以前に、
(さっきの声、『間』で聞こえた……な)
密着した二人の間に誰かが入り込めるはずがない。そこで思わず先の事を思い出し、仁刀は軽く深呼吸して意識を切り替える。
「……行くか」
「ぁ、はぃ」
差し出された手に、やはり腕に抱きついて雅は機嫌を直す。
からむ二人の腕が、先程よりも自然な形で密着していた。
(今の、何が起きたのかしら……?)
弾けるようにして立ち上がった二人の様子に、ファティナはしゃがみこんでいた物陰で首を傾げる。もしかして他の黒子の仕業か、と思ったところでふいに胸の辺りにひやりとした気配が漂った。
ぃ
た
ず
ら
す
る
の
「!?」
あまりにも至近距離で聞こえた声にファティナは立ち上がった。抱きしめるように腕を押し当てた胸が氷のように冷たくなっている。
(今、の、声)
幼い舌っ足らずな声は、自分の胸に重なるようにして聞こえた気がした。周囲を見渡しても誰もおらず、何の気配も無い。
(今の黒子……誰?)
恐ろしい手腕だと思った。思いながらわずかに体を震わせた。
黒子。手腕。
……本当に?
●
(さて。お手並み拝見といきましょうか)
トラップを暴くことを念頭においた白兎が出発する。
(お化け屋敷のアルバイトに活かせますかね……?)
大事なのは、ビジネスに役立つかどうか、ということだ。そのため、内容把握のために蝋燭型ライトとは別に自分でも懐中電灯を
持って来忘れた☆
(装備に……入れ忘れてましたね……)
残念ながら黒子衆以外は装備品以外持ち込めない状況である。
(まぁ、大丈夫でしょう。エルナにライト持たせて至近距離で観察するだけのことです)
そっと心の中で呟いて、少年は揺り籠からヒリュウを召還する。純白の毛並みも美しい小竜は、くりっとした目を好奇心に煌めかせながら白兎に身を寄せた。
(まぁエルナはちょっとした事ですぐ驚くので、その訓練も含めて、ですね)
「キィ?」
ご主人様のそんな考えなどつゆ知らず、エルナは首を傾げながらふよふよと浮遊する。共に移動し、階段に差し掛かった直後、
くすくす
聞こえた笑い声に足を止めた。頭上で走り去る音がする。
白兎は闇に覆われた二階を冷静に見つめ、
「エルナ」
「キィ」
「確認」
「キュィ」
蝋燭型ライトを受け取りエルナが飛び去る。共有した視界がぐんぐんと暗がりの中を進み、
「えっ? ヒリュウ?」
廊下の端まで駆けたらしい黒子の御子を認めた。その手に小型のプレイヤーが握られている。
「……人力、ですか」
スピーカーだけより音が生々しいのはいいかもしれない。
しばらくして、もういいの? と戻ってきたエルナからライトを受け取り、進む。さて次の仕掛けは、と探す瞳は地味に真剣だった。
「さてさて、どんな仕掛けがあるのかな、と」
蝋燭型ランプを掲げ、ソフィアは軽やかに旧校舎へと踏み入れる。
「曲がりなりにも、神職を目指す身の上。この程度で怖がってはいられませんっ」
ちょっとなで回されて毛並みがヨレてる猫の着ぐるみ姿で、由真もその後に続く。
「由真さんはこういうの平気?」
「はい。幽霊を怖がることは無いです」
「そっか。猫の着ぐるみ着てるから、どうしたのかな、って」
「その……幽霊はいいのですが、ちょっと……虫が」
実は由真、虫だけは全く駄目だったりする。着ぐるみで怖さを和らげたのも、闇の中で不意に虫に遭遇するのが苦手だった為だ。
その証拠に、先程からパシパシと奇妙な音が鳴っているのに二人とも全く反応していない。
「じゃあ、怪談の噂確認しながら、虫に気を付けてさくっと回ろっか」
「です!」
ソフィアはもふもふの着ぐるみ猫と連れだって歩いて行った。
「さて……おお〜、お化け怖い、怖いのだよ」
入口から入ってしばし後、パシパシと聞こえてきた音にアリシアはAKIYAのスカートを捲ると頭を突っ込んだ。
「……で。何やってんだ?っつーか男のスカート潜って何が楽しいんだよ」
「いや、こう見えてお化けが怖くて仕方ないのである。緊急避難なのだよ」
「スカートに潜っても避難にならないだろ」
「何を言う。AKIYAが自分は男であると言い張るからこそ、か弱い婦女子を護る栄誉をだな」
「はいはい、んじゃ行くぞ」
あっ。軽くスルーされたっ。
気にせずスタスタ歩くAKIYAだったが、数歩行ったところでズルッと足が滑った。
「パンチラぐらいしたまえよ」
「真剣にそんなの期待するな。なにか今、変なの踏んだぞ」
「ふむ。どうやらゲルなのである。足先にピンポイントで置かれたところを見ると、下手人は近くにいるようであるな」
「まぁいいけど……というか何でソレを持ってくる?」
アリシア、この上なく真剣な顔で廊下に落ちていたぴんくぃゲルをそっとAKIYAのドレスの胸に置いてみた。
「残念……服は溶けないようだ」
「……僕で試すな」
参加者はどんどん進んでいく。
仕掛けも怪奇談も恐怖の対象には成り得ない。そんな菫にとって唯一の誤算は、あり得るはずのない怪奇が実際に現れたことだ。
「はぐれた……か?」
階段を登り切るまでは確かに一緒にいた『同時刻出発組』の姿が無いことに気づき、菫は眉をひそめた。
いつはぐれたのか、足音がしなかったのは何故なのか、そういった疑問と同時、いやにシンとした周囲に意識を引き締める。警戒し、どんなことにでも対応できるよう油断無く周りを見渡したその瞳がソレを捉えた。
(う、うぁ……)
声を出さなかったのは、恐怖とそれを押さえ込もうとする鋼の意志の結果だろう。戦人たる者、『恐れ』如きに悲鳴をあげるなど以ての外。
だけどすでに顔色は青。そんな菫が見つめるのは、二階廊下の端にポゥと浮かび上がった──
イタチだった。
しかも動いた。
「ひっ、ああああああ〜!」
周囲が無人なこともあって、ついに菫は悲鳴を上げた。もし傍に誰か一人でも居たのなら、彼女は決して声を上げなかっただろう。だが今は無人。姿どころか気配すらない空間。
(×◇▽△■◎ーッ!)
結果、菫の理性が一瞬にして振り切れる。
かつて曾祖父から貰った大事なテディベアを無惨に引き裂いた悪魔が! あの無遠慮で暴虐な褐色の悪魔が目の前に!!
鮮やかな炎が舞い上がった。具現化したレーヴァテインが灼熱の炎を纏う!
「〜〜〜ッ!」
声ならざる悲鳴をあげ、今、菫が過去のトラウマへと向かって襲いかかった。
「あ、あれ、大炊御門さん、神棟さん、何処に行ったっスか……?」
やや震える声をあげ、東希は二階廊下にそっと顔を出した。階上を駆ける足音と笑い声に硬直している間に、いつの間にか二人の姿が見えなくなっていたのだ。
(さ、先に進んだ……スか?)
シンと静まりかえっている周囲を見回し、そろそろと廊下を進む。その視界の端をスーッと白い何かが動いた。
(ん……?)
東希は窓の方を見る。厳密に言えば窓の外を。
血塗れの白い少女が横切っていた。
窓の外を。
「◎△×□◆〜ッ!?」
東希の口から言語では無い声が迸った。思わずハイドアンドシークを発動させる。
そのままダッシュで走り出した東希は意識しないままにソフィアと由真を追い抜いた。
「えっ?」
「今、何か」
間を通っていった風に二人は一瞬ビクッとなる。
その直後、ぺたん、と由真の顔に何かが降ってきた。
かさこそ。
「きゃー!?」
次いでドバッと落ちてくる。
「あぅあ、うなーー!?」
文字通り目の前で蠢く玩具のゴキブリに、由真が奇声を上げるてびしばし叩く。ソフィアは思わず周囲を探した。その目が窓の向こうを過ぎ行く血塗れの少女の姿を捉える。
「怪談の子!?」
由真にとっての危険地帯(虫捲き廊下)から脱出すべく、ソフィアはもふもふの腕をとって走った。ガタガタいわせながら窓を開け放ち――
唖然とした。
「……いない?」
その頃、血塗れの少女は屋上へと待避していた。千里翔翼の背から降りて、幽霊に扮した白蛇はしばし休憩する。
「ふむ。なかなかの成果じゃな」
満足し、次の標的を求めて二階へと戻った。次は外からでなく中から脅かそうか、と歩き出した足が何かに引っかかる。
ぎぃぃ……
「ん?」
奇妙な音に振り返ると、黒い壁がこちらに倒れかかってきていた。
「な……!?」
思わず飛び退った足が別に何かに引っかかる。
がらんがらんがらんっ
「ひゃ!?」
突如響いた音に驚き、倒れかかってくる黒い影を思い出して頭を抱える。
一。
二。
三。
「……?」
それ以後何も無いのに気づいて、白蛇は顔を上げた。恐る恐る倒れてきていた物に近づくと途中で時が止まったかのように静止している。
「これは……ワイヤー……か?」
どうやら、誰かのトラップに引っかかったらしい。黒子の罠では無いから、参加者側の罠だろう。
(ふ……この挑戦、受けた!)
白蛇の蛇眼がメラメラと燃え上がった。
●
「夜の学校は、なんだか雰囲気ありますわね……」
入口に立った瞬間、クリスティーナは思わずそう零していた。
遠くからは悲鳴が聞こえてくる。一体どんな仕掛けがあったというのだろうか。
(そ、そうですわ。仕掛けがあるから、驚いてるだけのことですわ)
仕掛けが無かったら、なんて考えないようにして、歩く。歩く。歩く。
ぽとん。
頭の上に何か振ってきた。
「ィッ!?」
思わず叩き落としたそれが廊下でカサカサと音をたてる。手に持っているのが普通のライトならソレが何なのか確認できるのだが、残念、手持ちは蝋燭型(明度弱)だ。
(む、虫ですわねっ。ええ! 虫ですともっ)
むしろ気持ちを奮い立たせてクリスティーナは歩いた。中央階段へと半ば駆け足で歩く。
「ぜっ…ぜぜぜぜんぜん、なななんともありませんわ」
どもった。
「わ、私にかかればこの程度、ふふっ、軽いものですわ!」
足をかけた階段が、
ぎぃ…こ
嫌な音が出しやがる。
(ふ、古い建物はこれだから……!)
ぎぃ…こ ずる…
ぎぃ……こ ずる……
(……おと、が)
後ろから。
登る速度に合わせて、這いずってきている。
ずる…… ぴちゃん……
ずる…… ぴちゃん……
気づけばすぐ後ろの方で生臭い匂いがする。鼻をつく臭気は磯の香りだろうか。
旧校舎で、何故?
クリスティーナは息を整え、バッと振り返る!
「わぁぁぁかぁぁぁめぇぇぇ…・・・」
「きゃあああああッ!」
至近距離で目に入ったワカメを纏った水死体(クリスティーナにはそう見えた)に、たまらず叫び声をあげる。そのまま脇目もふらずに全速力で二階へと駆け上がった。
「ぉ、ぉお……すごいいいリアクションされた……」
残されたワカメ男。脅かし役冥利に尽きる反応に思わず感嘆の声を零す。
(待機してた甲斐あったな)
ワカメが乾かないようバケツまで用意して待っていた栄は、満足のあまり後ろから来る気配に気づかなかった。
ひたひたと、忍び寄る足音に。
「ん……な、なんだ……」
ひたひたひた……
脅かし役の栄に手持ちの明かりなどあろうはずがない。目を眇める彼の視界に、地面を這うように走り来る何かの姿が映った。
大群で。
(え゛)
映った時には飛びつかれた。
「うぎゃぁぁぁああああ!!!」
大量の野良猫にもみくちゃにされ、栄の悲鳴が木霊した。
「盛り上がってるなぁ」
順番通り校舎に踏み入れ、愁也は小さく独り言ちた。
ナイトビジョン&馬マスク&黒全身タイツ。街を歩けば逮捕されかねないアレな姿だがこれはツアー用の衣装。その背には千種が乗っている。
「……重ないか? 大丈夫?」
準備を整え終わった愁也の傍らで、千鶴は夜鈴の背に乗った状態で体の下に声をかける。黒装束に身を包んだその姿は闇に紛れてほぼ見えなかった。
「全然重くないぜ、大丈夫だ」
夜鈴はさらりと言い放つ。憧れの先輩を乗せている動揺は静かな表情の下に押さえ込まれていた。
「……さて、行きますか」
闇に紛れる装備を着用し、ナイトビジョンを装備した遥久が二組の反撃組に並び立つ。
愁也の縮地がかかるのを確認して、即、駆けた。
「続くぜ!」
「了解」
隠密を使用した愁也と夜鈴がそれに続く。遥久は素早く生命探知を発動させた。
「右に2、左に1。前方に複数展開です」
位置を捕捉された黒子がそうと知らずに動く。
くすくす
密かな笑い声に別の笑い声が混じる。
「くすくすくす……やっと回復や……回避……回避……」
遁甲と隠密の効果により千鶴の姿は見えない。吹き込んでない笑い声に黒子が「あれ?」と首を傾げる気配を感じながら前を疾走した。上から降ってきたおもちゃの虫が綺麗に避けられて夜鈴の体に落ちる。
(……しまった。叩き落とすべきやったか)
摘んでポイした。
そこへ高らかに歌声が響く。
爆走する馬の首(しか見えない)に、セイレーンの如き歌声と、笑い声。黒子達に動揺が走る。あれ? 脅かす側どっち?
しかし、
「ひゃんっ!?」
黒子も負けてはいない。いきなり首筋に落ちたにゅるっとした冷たい何かに千種は思わず悲鳴をあげた。
「! 大丈ぅぉぇぁ!?」
案じて声をかけかけた愁也、いきなり滑った足に慌てて踏ん張ったらそっちも滑った。
「トラップか!?」
ワカメです。
「足元注意だな」
階段間際なこともあり、注意深く廊下を見下ろした夜鈴が妙な光沢を放つ黒い物体に気づいた。
「なにかこの辺り、濡れてるな」
地味に散乱したワカメ、持ち主の意図しない形でトラップとなっている。
ちなみに本体は既に撤収済である。
「……ふ。それでもレディは落とさなかったぜ」
「そこは褒めてやろう。だが気を付けろ」
「……はい」
千種を危なげなくも守りきった愁也、ドヤッた直後に遥久のクールを喰らってしょんぼり。でもいい。褒めてもらったのは事実だ。
気を取り直して階段へと向かった。
「さて、階段か。気を付けていかないとな」
フラグですね分かります☆
言った直後、ピンポイントで置かれたゲルに綺麗に足をとられて顔面からコケた。
(黒子ェ……)
「ふふ…愉しい」
くすくすと笑みが闇に溶ける。
「マリアちゃん…俺。俺だよ」
「あら、愁也くんだったの…じゃあ追加サービスするわね」
べしょ、っと。
「マリアちゃん……」
大惨事を見下ろして、マリアは無邪気に微笑む。次に突き当たりに立つ人影に近づくと素早く退かれた。反射的に相手の頭にゲルを投擲する。
「……」
見事に側頭部をゲルに襲われた遥久は相手の正体に軽く苦笑した。
(確か愁也の友人フィオーレ嬢…黒子か)
女性は怒れない。
「仕方ないですね」
「愁也くんの保護者さん?じゃあ追加どうぞ」
追加まで!?
その頃、目的地、理科実験室奥・標本部屋にそっと東希が顔を覗かせていた。
「お、お邪魔します…」
そのすぐ後で星嵐が入ってくる。
「あ。居ましたね」
「神棟さん!」
「はぐれてしまったので、心配しました」
星嵐の声に、東希はうっすらと涙を浮かべた。
「あの、大炊御門さん見なかったっスか?」
「それが……誰とも会わなかったんです」
二人して首を傾げる。ルートは一本なのに。どうしてだろうか?
「わりとすんなり来てしまいましたね……」
ふと響いた声に振り返れば、小柄な少女が入って来ていた。雫だ。
「ここも順番ですか?」
「あ、いえ。ついさっき来たばかりです」
「丁度一緒になったっスね」
二人の声に、雫はなるほどと頷く。星嵐が問うた。
「そちら、何かありましたか?」
「足が滑った先にトリモチがありました。お返しにワイヤートラップ仕掛けさせてもらいましたが、姿の見えない子供の声がするのに驚きましたね」
ちなみに仕掛けは白蛇が綺麗に発動させていた。
「こちらは笑い声と足音ですね」
「俺は血塗れの女の子を窓の外に……」
「それは凄いですね」
なんとなく体験談を話している所にクリスティーナが怯えながら入ってくる。
「…さっきのは、きっと幻。夢だったのですわ…」
「あ」
「きゃ!?」
「えっ!?」
反射で驚く四人だったが、互いに持っている蝋燭ランプを見てホッと息をついた。
その中で星嵐と雫は首を傾げる。
(これほど近くに居たのに……)
(ここに来るまで誰の気配もしなかった……?)
「これが御札ですわね……。年代物なのかしら?」
思案する星嵐と雫、菫を気にする東希の前、クリスティーナは設置されている箱から御札を取った。
その瞬間、
「うふ、うふふふふふ…!」
「ひ!?」
突然聞こえた声と浮かび上がった自分の顔に心臓が口から飛び出しかけた。
「アップルトンさ……ぇええ!?」
異変に振り返り、のけぞり、東希は慌てて道を空けた。顔面蒼白になったクリスティーナが無言のままもの凄い勢いで走り去る。
「い、今、意識、失ってたような……?」
星嵐と雫も通り過ぎたクリスティーナの様子に頷く。
「うきゃははははは!見た?!見た?!おっもしろいねえ!」
思わずハイドアンドシークを発動した東希と星嵐は、どうやら待ち構えていたらしい黒子:エルレーンの声に、あ、と自分の口を押さえる。
エルレーンは、自身の隣を叩きながら笑っていた。その様子に少年達の顔は青くなる。
そんな中、雫は冷静に札を取ってそっと部屋を後にした。
「次、誰がくるかなあ! ね、誰だと思う!?」
エルレーンは笑顔で自分の横を見て、
「…ん?」
首を傾げた。
自分、誰としゃべっているんだろうか? と。
「え、…ま、まさか、」
灯り一つ無い部屋では相手の顔など見えるはずがない。
東希は札を掴んで――意識を失った。星嵐が自分の札を掴み、東希の腕をとって部屋の外に走る。
エルレーンは恐る恐る先ほど自分が叩いたはずの相手に手を伸ばした。
すかっ、と手が空振りした。
笑っている気配は相変わらずそこにあるのに。
「ぅ……きゃぁあああああ!?」
校舎にエルレーンの悲鳴が響き渡った。
●
悲鳴のBGMが止まらない。
「取敢えずルート通りに行くよ。人間は来いよ、返り討ちにしてやる!」
でも虫や幽霊はマジ勘弁。
そんな楓に淡く微笑して、真里は少女の上に降ってきた虫の玩具を払いながら進む。
「それにしても、これ、掃除が大変そうだね」
足元でぬめっているゲル達に真里は苦笑した。
「えーと理科室奥の標本部屋だったね」
楓はひたすら目的地を目指す。足音も笑い声も窓の向こうを通る白い人影も必死に頭の隅に追いやった。
「呪われてない?大丈夫…?」
「人間が置いたものだから大丈夫だよ」
眺めるだけの楓の前で、真里は普通にヒョイと取る。
(何か色んなところから視線を感じるな……)
周囲を見渡す真里。その服の裾を握って楓は頭の中をぐるぐるさせた。
標本から熱い視線を感じるけど桜木見るのに集中すればどうということは無い、筈。実験室から呻き声が聞こえるけどおおお!
「ね、ねぇ何か聞こえるとか無いよね?ないよね!?大丈夫だって怖くないよははは早く帰ってリア充爆発しようぜ!?」
怖いです泣いてません。私は何を言ってるんだろう…
「うん、何も聞こえないよ。でもそうだね、早くリア充爆発する為に走って帰ろうか?」
すでにイッパイイッパイな楓に、真里は微笑んで頭を撫でる。
支えるようにしてそっと部屋を後にしかけ、
くすくす
笑い声に足を止めかけた。
「ねぇ、今」
「気のせいだから」
楓の声に真里は声を笑ませて進む。先程より早足で。
ねぇ
声が追いかけてくる。二人は無言で足を進めた。早く。早く。
そんな二人の間、耳のすぐ横付近で声が笑った。
あ
そ
ぼ
次の瞬間、二人はダッシュで駆けだした。
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「なにかぐったりした者が多いな?」
大きな焚き火の周囲を見渡し、鎹は不思議そうに首を傾げた。その傍らではどうやら廊下の幻で敵と間違う一幕があったらしい愁也が遥久に正座させられている。
「それが……先生、子供の演技がけっこう凄かったらしいです」
「私も会いましたが、不気味でした」
「ええ。あの子供の声。どうやって出していたんです?」
「なんの話しだ?」
千鶴、雫、ファティナの声に、鎹は首を傾げた。
「参加者から黒子が出たから、他の黒子は開始前に撤収してるが」
「……え?」
鎹の声に三人は絶句する。そこへ、先生、と声がした。
「どうした? 蒼井君」
「黒子になったボク達、ランプ持たずに出たんですよね」
「あぁ。……ん?」
何かを思い出して鎹は首を傾げる。御子は恐る恐る告げた。
「なのに……なぜ二十五個ここに揃ってるんでしょう?」
鎹は思い出した。参加者を送り出す前、自分の声に答えたソレが二十五個あったことを。
「! 校舎!」
その時、夜鈴が声を上げた。
全員が一斉に校舎を振り仰ぐ。
闇の中に無数の鬼火を漂わせた校舎を。
「生命探知で確認に出る!」
「私も行きます!」
飛び出した鎹に過半数の生徒が共に走った。
鎹は鬼火の前で生命探知を解き放つ。
生徒以外の生命反応は、無かった。
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後に学園に一枚の報告書が提出される。
生徒との連名で書かれたそれには、ある夜の怪奇が詳細に綴られていたという。
怪異の正体が何であったのかは、今も尚、不明である。