(悲劇が悲劇を生む……か)
転移門への道を歩みながら、天風静流(
ja0373)は物憂げに睫を伏せた。
天魔によって家族や故郷を奪われた被害者達。その集められた場所で起こっている今回の事件。
(人の性とはいえ、あまり気分の良い物ではないな)
「人の心は強くも脆い…、といった所でしょうか…」
石田神楽(
ja4485)が苦笑して小さく呟くのを横を歩く新田原護(
ja0410)は聞いていた。
時にその強さに目を瞠ることもあるけれど、その強さの裏側に、こんな儚い脆さをも併せ持っている。
それが人という性。
(…嫌な世の中になったものね。天魔の被害がこんな形で表れるだなんて)
金糸を紡いだような髪を後ろへと払って、フレイヤ(
ja0715)は切ないため息をついた。
(悲しいことは沢山あるけど)
それを踏まえてなお、優しい心もあるのだと、そう思っているからこそ若杉英斗(
ja4230)の歩みは力強い。
(みゆちゃんが毎日笑顔で暮らせるようにしてあげたい)
されど、今という時に在る悲しみは残酷な現実として彼等の前に立ちはだかっているから。
(……私は)
羽空ユウ(
jb0015)は小さな握り拳を胸に抱く。
かつて仲間と共に救った幼い命。その幼子が虐められていると聞いた時、思わず走って来ていた。
(私が出来ることは……)
──その哀しみに寄り添うために。
●
時に事態は人の想定を超える。
例えば。
向かった先の施設が、ディアボロにより半壊している今のように。
「冗談じゃないぞ。いじめ対策のはずが、いきなり激戦区かよ!」
護は駆けながら叫んだ。前方では派手な破壊音が響いている。
「状況によっちゃ戦場で皆ばらけちゃうねー。連絡取り合えるように、ちゃちゃっと交換しよ」
スマートフォンをハンズフリー状態にし、手早く口頭で連絡先を教えあったフレイヤの頭にピコンッとマメデンキューが点灯した。
(…連絡先増えるとか私リア充じゃね?)
「陣営はどっちだ? 天使か、冥魔か」
その横をいつの間にか光纏を済ませていた静流が駆ける。黒光を纏った神楽は冷静に呟いた。
「どうやら、冥魔のようですね」
彼の視線の先を追って英斗は大きく目を瞠る。
「虫型!」
近づく避難所は廃校を再利用したもの。その校舎に半身を溶け込ますようにして動く黒い虫の後ろ姿。
「まさか虫籠の男が絡んでいるのか…」
「一般人の、保護を」
巻物を取り出しながらユウが呟き、顔を引き締め直したフレイヤが頷く。
「みゆちゃんもいるからね。私も保護に回るー」
「なら、俺達は敵を惹き付ける」
「任せたー!」
託すフレイヤに頷いて、英斗はその場へと一番手に乗り込み、
「これ以上……好きにさせるか!」
初撃を放った。
だがそれは虫の硬い装甲に弾かれる。
「防御が硬い……!」
虫の姿は嫌に見覚えがある。頭部には一対の触覚。胸部には七対の歩脚。背部は丸く盛り上がり、六節からなる腹部は平ら。
団子虫だ。
「柔らかい所を探すべき、ですね」
神楽は関節部を狙いながら低く呟く。その隣で護は折りたたみ式フォアストックを銃身下部に装備し、ウッドストックを追加した自身の愛銃を構える。
「P37カービンカスタムモデル、こいつなら装甲が厚くても効くだろう」
効いてくれることを祈りながら。
「誰かいないのー!?」
旧校舎から運動場側へ。懸命に走りながら捜索班であるフレイヤがよく通る声で呼びかけた。阻霊符が発動する前、校舎内を蹂躙していた虫。……嫌な予感しかしない。
「誰か……!」
祈りを込めて叫び、校庭に出たフレイヤは絶句した。わずかに遅れて走り込んできたユウも息を呑む。
鼻を麻痺させるほどの血臭がした。
夥しい血が流れたのだろう。大地は血の色に染められている。異様に目につくのは、巨大な何かに踏み潰されたようなぺしゃんこの人体だろうか。
今まで繰り返し眼前に突きつけられてきた惨状がまた、目の前に広がっている。
(怯ま、ない!)
一瞬震えた唇をきつく噛み、フレイヤは憤然と校庭へ踏み出す。同じくわずか一瞬で息を整えたユウがその後へと続いた。
「私達は撃退士です! 助けに来ました! 誰か──」
「……ぁ」
わずかに聞こえた声にそちらを見た。校庭と校舎の間に植わった木がガサリと大きく揺れる。
(いた!)
フレイヤは瞳を輝かせ、ユウは密かに息を吐き、二人でそちらへと駆け寄った。
その直後、校舎の向こうで轟音が響いた。
●
「生存者、五名か」
ユウからの報告を受け、静流は大きく息を吐いた。
その身を包むのは蒼白の光。直前に解き放った技は、神速なる一撃の下、衝撃を内部に伝播させ内外から敵を破壊せしめる技。
─弐式「黄泉風」─
生あるものを黄泉国へと誘う風の如き一撃。その威力により大きく虫を吹き飛ばすことに成功し、丁度会話のタイミングを掴んだ所だった。
「あちら側は生存者を確保した。今、確認に入っている。あいつの様子はどうだ? 少しは装甲に罅が入ったか?」
「どうやら、相当硬いようです。とはいえ、さすがにへこんでいるようですね」
狙い澄まし、遠く離れた敵を見つめる神楽の瞳が赤光を帯びた。発動されし技は自身の痛みを引き替えに甚大な力を呼び出すもの。
─黒刻─
一気に両眼、脳、四肢に満ちるアウル。爆発的な力が過度の負荷を身体に強要する。
無理矢理引き出される力に激しい痛みが走っても尚、その口元に刻まれたままの笑み。高められ体を浸すアウルが、自身を精度の増した一体の武器へと変える。敵を穿つための魔弾の射手として。
その銃口が狙うのは、刃のついた拳を振るう英斗の向こう。
自分達が走ってきた側──即ち、無人が確認されている場所で蠢く巨大な虫。
ドンッ!
凄まじい音が関節部で炸裂した。
「実戦で使うのははじめてだけど…いくぜ、ディバインナイトモード起動!」
声と同時、英斗の全身が燃え上がるように輝く白銀のオーラに包まれた。
─神騎士─
思考から雑念が吹き飛び、気合いと根性が一気に増幅される。
(自分はただ、いま目の前にあるモノを守りたいだけ)
度重なる攻撃を喰らいながらもなお揺るがない敵に向かい、
「そのために全力を尽くすだけだ!」
抉るようにして放った。全力を乗せた一撃を。
だが──
「装甲厚すぎる!」
追撃をかけた護が、依然として主だった損傷のない敵に思わず呻いた。
厳密に言えば傷がないわけではない。静流の放った一撃は分厚い鉄板のような装甲を一部へこませているし、神楽や護、英斗が集中して攻撃を叩き込んだ部分にもそれなりの跡がついている。
だが、その装甲を破るには至らない。
(…何故ここに現れた?)
敵をひたすら観察し、神楽は思考する。
黒色に変じ巨大化した虫。その特徴は虫籠の男の使役虫の特徴と合致している。今までの虫は存在に意味があった。実際にその現場に居合わせた友人もそう言っていた。ならば、今回は──何がある?
鋭敏聴覚を使用するも、今はずっと不気味な風の音にも似た呻き声しか聞こえてこない。内側に魂があるのならば、可能ならその叫びを止めたい。だが、これは。今回のこの敵は──
「!」
その時、嫌な予感を覚え英斗が一瞬でその場を飛び退いた。駆けつけた静流もまた全身に走った得体の知れない予感に身構える。
ォァ ァアアアアア
ビリ、と空気が震えた。それが音なのか、声なのか、分からないままに。
<ァアアアアアアアアッ!>
<虫>の慟哭が大気を叩いた。
●
それが始まる少し前。
「はーい。全員こっちねー」
「戦場離脱、する。……五名、だけ?」
人々を保護し、フレイヤとユウは声を上げた。
「デカ虫と逆方向に行かないと、なんだけどー」
「ん。でも……」
ユウとフレイヤはそこで押し黙る。
いないのだ。幼い子供が。大人ばかりで。
「ここに、小さい女の子、いなかった……? 夕…」
「ぁ」
ユウの声に一人の女性が硬直した。炊事でもしていたのか、エプロンを身につけた女性だ。その顔が瞬く間に恐慌に染まる。
「あ……ぁああああッ」
「ちょ……待っ!」
突然あがった悲鳴と同時、女性が駆けだした。あわててフレイヤがその体で抱き留める。それすらも押しのけるような力の強さに少女は愕然とした。
「落ち着いて! 守るから!」
「あの子が!」
その悲鳴に全員が女性を見た。
「あの子が林に……! あっちに行ったのよ! 行かせて!」
ユウとフレイヤが顔を見合わせる。間髪入れず、ユウが駆けた。
「こちらで保護するから大……うぉぅ!?」
押しのけられかけ、慌ててフレイヤは足に力を入れて女性の体を捕獲した。
「私達が守るわ。ちゃんと助けに行く。だから落ち着いて」
そして気づいた。
無理矢理瞳をあわせた相手の女性が、こちらを見ると同時に、何か別のものを見ていることに。
「貴方……」
「あんな子供のことなんざ捨てときゃええやろ!」
二人の向こう側、歯の根も合わないほど震えている男性が、その時、声を放った。
「天使が助けてくれるんやったら、とっくにあいつぁ助かっとるやろ!」
「ちょ……」
「いやよ!」
さすがに聞き捨てならず声を上げたフレイヤだったが、女性が叫びに口と閉ざす。
「もういやよ! 四つだったのよ! あの子と同じなのよ! あんな風に殺されるのはもういやなのよ!!」
再度力の増した相手に、フレイヤは目を瞠る。普通の女性の力ではない。火事場のくそ力、というやつだろう。
ならば──
(……つまり)
この場所にいる以上、依頼にあったようにこの五人も夕凪みゆの虐めに関わっていただろう。けれどこの様子を察するにその背景は微妙に違う。例えば、今腕に抱えたこの女性のように。
(『重ねて』見てたの?)
喪った自分の愛する幼い娘と。
仇と同じ天使に助けられた他人の幼い娘を。
(そ、っか)
フレイヤは一瞬、顔を哀しみに歪める。
「ぁああ……ああああッ」
この子は助かったのに何故自分の娘は殺されたのか。
それが、彼女が幼子に辛くあたった理由だったのだろう。
まだ四つ。可愛い盛り。それを奪われて、なのに他人の子は奪った天使に救われてここに居る。
……幼い姿を見る度に、無惨に殺された自分の子を思い出さずにはいられなかったのだ。
だから苦しかった。だから悲しかった。辛くて辛くてたまらなかった。
全霊で拒否しなければ狂いそうなほどに。
──けれど、
「……何かに八つ当たりするのは簡単よ」
泣き叫び、必死に林へに向かおうとする女性を抱き留めたまま、フレイヤはここに居る全員に告げる。
「でもそれは逃げでしかないの」
人の心はあまりにも弱い。
……けれどその弱さに逃げてはいけない。
「逃げずに立ち向かって。貴方が今立ち向かうべきは、貴方自身の心よ」
例えそこに、どれほどの痛みがあろうとも。
道は全て、その痛みを乗り越えた先に続いているのだから。
「……ね?」
染みいるようなフレイヤの声に、四人が気まずげに視線を落とす。腕の中の女性の背をぽんぽんと叩いて、フレイヤは言葉を重ねた。
「あの子は私の仲間がちゃんと保護する。あなた達は私達が守る。だから……信じて」
女性がしゃくりながら、くしゃくしゃになった顔を上げる。ようやく、体から力が抜けた。
ひどい嗚咽の向こう側で、小さく、フレイヤだけに聞こえる答えが返る。
フレイヤはほんの少しだけホッとした顔で息をついた。
●
その頃、ユウは必死の捜索活動を続けていた。
(……干渉されない、場所)
子供が逃げ込むような。そんな場所。林の中、もし自分だったなら……そんなことも考えながら歩き、
「……ぁ」
見つけた。木の根本でしゃくりあげている幼子を。
「夕凪さん」
みゆはユウの声にビクッと体を震わせた。恐る恐るこちらを振り返った目にはハッキリと怯えがある。
ユウの顔を彼女は知らない。……だが、ユウはみゆの顔を知っていた。
「……夕凪さん。あなたは天使の羽根、握ってた――私は、ユウ。あの時の、撃退士」
みゆの目が大きく見開かれる。
「ぉ、ね……ちゃ、が?」
「そう」
頷き、そっと近づくと、近くに潰れた牛乳パックが見えた。転んだ拍子に潰してしまったのだろう。
「お腹、空いてる……?」
サンドイッチを差し出すと、みゆはぱっと手に取り、次に怯えるように身を縮まらせた。
「食べて、いい。あなたの、もの」
その言葉にみゆの目からまた涙が零れた。震える手で包みを開けて、貪るように必死に食べ始める。
飢えていたのだ。ずっと。ずっと。
「辛くない世界は、あげれないけど、不思議は一緒に考える」
一生懸命に食べるみゆの手が止まった。涙をこぼしながら、みゆは小さく声を零す。
「……みんな、てんし、きらい、なの」
「……うん」
「てんし、きらいだから、みゆも、きらいなの」
みゆの目にまた新たな涙が溜まる。
「でも、みゆ、てんし、すきなの」
覚えている。頭を撫でてくれた手の優しさを。その温かさを。
「やさし、かった、の」
理由なんて知らない。そんなものは分からない。
ただ知っているのは、その温もり。触れて感じた優しさ。
愛情という名の確かな熱(おもい)。
「それ、も、い、いけない、こと、なの?」
ユウは小さく呼吸を整えた。
目に見えるもの肌に触れるもの確かにそこにあるものをそのまま受け入れる幼く豊かな感性の前に、入り組んだ『事情』は理解されない。
「ありがとうを思っていい。ただ『特別』は、怖がられる。だから、内緒。夕凪さんは、特別をされた、から」
伝えなければならない。
他ならぬ彼女のために。
どうすればいいのか、わからないけれど。
「悪魔に命を助けられた人がいれば、どうして悪魔は、自分の家族を助けてくれなかったのって。多分、皆はそれと同じ」
例えば、自分が天使に助けられて、それを皆が責めたように。
「泣いてもいい……私は、聞くしかできない」
世界にはあまりにも哀しみが蔓延している。その全てを拭うことは出来ないかもしれないけれど。
(だから私は、生きる事を諦めきれない)
誰かを責めても解決しない。だから、彼女は大人達の言葉も、みゆの言葉も聞きたいと願っていた。
その悲しみに寄りそうために。
「……行こう」
伸ばされた手に、みゆは唇をきゅっと引き結ぶ。
そうして、小さな手でその手を握った。
●
<ドウシテ>
と其れは叫んだ。
<ドウシテ私バカリ!>
故郷に帰ったら村が半壊していた。実家に駆け戻ったら家中血まみれだった。また同じ敵が来るかも知れないと言われて皆で逃げて、逃げて、逃げて来たのに。どうして。ドウシテ。
<ドウシテ私バカリガ!>
慟哭と同時、突撃が来た。
「!?」
その尋常ではない速度と移動力に神楽と護が吹き飛ばされる。
「か……はっ」
地表に叩きつけられ、神楽は呼気を吐いた。その向こうで、虫がぐるりと丸まった。
(あそこを……狙えば)
硬い装甲と違い、その隙間なら──
だが、起きあがり、体勢を整えるよりも相手の動きの方が早い!
(来る)
同じく懸命に起きあがり、迎撃に銃を構えた護がわずかの差でアウルを込めた弾丸を放つ。だが、相手はゴロリと転がることでそれを回避した。
<アアアアア>
恨みを込めたような叫びをあげ、虫が回転する。そこへ先に体勢を整えていた英斗と静流が走り込んだ。
「やらせん!」
静流の声と同時、二人の痛恨の一撃がその体に叩き込まれた。丸まった側面のうち、一部装甲がへこんだために空隙が大きくなっている部分を狙ったのだ。
(通った!)
その刃が僅かながら外皮の中に食い込んでいた。やはり、側面や腹部のほうが装甲は弱い!
「よし。ここを重点的に…… ぐァッ!?」
英斗の言葉は途中で途切れた。その場で円を描くように回転した虫に弾き飛ばされたのだ。だが、むしろ弾き飛ばされた方は幸運だった。
「〜〜〜ッ」
静流はその激痛に歯を食いしばって耐える。衝撃をくらい転倒したところを巨大な重鉄球のような相手に片腕を潰されたのだ。
「いかん!」
再度追撃をかけようとする相手に護と神楽が銃撃を浴びせる。
その前に虫が動いた。
「!? 違う! 駄目だ……あっちは……!」
護が叫ぶ。
球体と化した虫が校舎へと突っ込んだ。
●
轟音とともに視界の端に現れたその巨体に、フレイヤは素早く身構えた。
「やーなタイミング!」
みゆの安全も確認し、迎えがてら林へ移動している最中にあんなのがくるとは。
「林の中に走って。振り向いちゃ駄目よ」
「あなた、は」
「守るって、言った。この黄昏の魔女様を信じなさい!」
フェアリーテイルを具現化させ、フレイヤは言い放つ。
泣きそうな顔をした女性が必死の思いを込めてお辞儀し、駆け去っていく。その後ろ姿を背に、フレイヤは向かってくる敵へと対峙した。
「どこまでやれるか……じゃなく、やってやろうじゃないの!」
生み出される羽根持つ光の玉。瞬時に敵へと向かったそれが側面側で炸裂した。
「って、うわ硬!?」
「剣も、ほとんど効かない、みたい」
背後から走ってきたユウが、隣に立って魔法を放つ。
「どこの装甲車かって感じよねー」
校舎の向こうから駆けてくる面々。けれど間に合うはずもない。
「……みゆちゃんは?」
「さっき、女の人が、泣きながら抱きしめてた。たぶん、もう大丈夫」
「……そっか」
だからこそ安心してユウもこちらに走って来たのだ。彼女等が逃げる時間を稼ぐために。
フレイヤは通信機に向かって言う。
「はい。れんらーく。みゆちゃん達は林の中よ。万が一の時は保護お願いねー」
次いでハンディカムの向こうから聞こえてきた必死の声に淡く笑った。分かってる。彼等が必死になってくれているのは。痛いほどに。
一回直撃するだけで下手をすれば戦闘不能だろう。だが、だからといって逃げられるわけがない。
「さー足止め、頑張りましょー」
「うん」
二人は同時に構え、それぞれの魔法を解き放った。
ユウの放った水泡にも似たアウルが虫の表面で弾け、ほぼ同時にフレイヤが光玉に電撃を纏わせてる。
─スタンエッジ─
時にその身を縛る一撃だ。
「止まれ……!」
フレイヤは祈る。だが、止まらない!
「──ッ」
悲鳴とともに骨が砕け、肉が潰される音が響いた。それも一人分ではない。
「ぁ……かっ……は」
呼吸に血が混じるのを感じだ。衝撃で内蔵を、轢かれることで足を潰されたフレイヤが必死に声を抑える。逃げている人々がいるのだ。彼女達の足を止めさせる声は、もう、あげられない!
「ぅ……っ」
こちらも内蔵と腕をやられたユウが、それでも必死に体を起こそうともがく。
潰された腕や足が、まがりなきにも原型を止めているのは彼女が撃退士だからだろう。一般人であったなら、運動場にあった遺体のように、完全にぺちゃんこになっていたに違いない。
「ま……だ」
向こうから仲間達の声が聞こえる。だけど遠い。なら、立ちはだかるのは、自分達の役目。
「追わ、せ……ない」
すでに生命の危機。それでもなお、二人して上肢を起こす。
「行かせ、ないって、言って、る、のよ!」
フレイヤの放った一撃が回転する虫の側面を叩いた。わずかに軌道が逸れる。
「これ、以上、悲しいこと、増やさせ、ない」
続いてユウが水疱を放つ。逸れた軌道で真正面になった虫側面に直撃する。
欠片が零れた。
僅かな、けれど、確かな欠片が。幾度も同じ箇所を攻撃にさらされた結果として。
けれどその代償は高かった。
血肉を砕く音が周囲に響いた。
●
「くそっ!」
「二人から離す! 援護を!」
「了解!」
血の海に沈んだ二人の少女に、間に合わなかった面々の瞳に怒りが宿った。仲間を無惨な姿にされて、怒らないわけがない。
「虫の側面に傷が見えます」
怒りすら笑みに溶かし、神楽が告げる。
円を描くように回転する虫だが、動きが緩い時なら内容は見える。偶然か、必然か、こちら側の面々が必死に穿っていた一カ所に、亀裂と欠けが見えた。
「二人が」
必死に開いたのだ。勝つための道を。助けるための道を。
「……なら、応える」
自身も重傷を負った身で静流が駆けた。その身の光纏が体の中に吸い込まれる様に消えていく。
─外式「黄泉」─
必殺の意の具現とも言える自身の技を練り上げる。放たれた攻撃とともに一瞬その体から光りが爆発的に噴き出した!
「! 通った!」
追撃して魔弾を打ち込んだ護が喝采をあげる。青褪めた様な色に変化する光を纏い、静流もその成果を見る。
亀裂と欠けを広げたその傷跡を。
<ァ嗚呼アアッ>
虫が叫ぶ。言葉ではない怨嗟を。
英斗が倒れている二人から虫をさらに離すために追撃をかける。じりじりと戦場を移動させつつ撃破を。そして仲間と一般人の救済を。
そう思った瞬間、その声が降ってきた。
「ぉー。同じ人間でもこっちは綺麗に形残るんだなァおい」
神楽は弾かれたようにそちらを見つめ、赤い瞳を細める。
薄笑いを浮かべた男が其処に居た。
●
「各員!各個に戦闘!とにかく民間人への被害を阻止して逃がす!戦えるものは撃ちまくりつつ、後退!時間を稼ぐ!」
護が声を上げた。
防御特化型ディアボロは健在。そこへさらにヴァニタス参戦。まだ近くを逃げているだろう一般人を第一に考えるのならば、ここは退かざるを得ない。
「ぉお? いきなりかよ。遊んでいけよ」
その手に巨大な釘にも似た武器を呼び出した男の前に、英斗が立ちふさがる。
「虫籠の男か。俺は若杉。お前の名前は?」
「なんか前もあったな……こういうの。無ェよ名前なんざ」
男は呆れ顔でぼやく。あの時は何故かそのことに驚いたのだが、今は何故そんなことで驚いたのかよく分からない。
名前があろうが無かろうが、そんなことはどうでもいいはずなのに、と。
英斗が足止めをしている間に、静流は攻撃体勢に入った虫へと走り、護は倒れ伏した二人の下へと走った。
「少し痛むだろうが、今──」
声をかけた瞬間、二人の口がかすかに動いた。
護は目を見開く。
アノコ
タチヲ
オネガイ
すでに声帯も機能していない。命だって危ない。それでも願うのは、自分ではなく護るべき者の命。
「……ッ」
自分も同じ立場なら願うだろう。託すだろう。だから、その願いを受けざるを得ない。
「お前の事は以前から気に喰わなかったんだ」
「へェ? だったらどうするよ」
挑発し、自分へと意識を向かせて英斗は油断無く構える。男が薄ら笑いを浮かべて黒針を英斗へ向け──
ギンッ!
突然の痺れに目を瞠った。次の瞬間、英斗が一瞬で男との間合いを詰める!
「ぅお?」
「くらえッ!」
光の力を帯びた強烈な一撃が男に迫った。
「っつぁー危ねェ!」
ギリギリのところで回避し、男が英斗から距離をとる。その目がいつの間にか移動し、回避射撃を行った神楽と、目の前にいる英斗の両方を油断無く見つめた。
「おっかねェなオイ」
もし神楽の攻撃が無ければ、先に英斗の胴を針で串刺しに出来ていたことだろう。だが、そうはならなかった。
「てめェら二人が俺の相手ってぇことか?」
「二人じゃない」
声と同時、斬撃が来た。圧倒的な力を宿した静流の必殺の一撃を男は避ける。
「っと、こっちもか。当たったら痛そうじゃねェか、よ!」
そうして黒針を繰り出した。そこへ再度神楽が回避射撃を行う!
「ちィ! うざってェな!」
それそのものを回避し、振るった。
「天風さん!」
少女の胴を串刺した巨大な黒針に、英斗が声を上げる。内蔵を傷つけたのだろう、血を吐きつつ静流が足をふらつかせた。
「ぉー? オディアーレ、倒したのか」
(オディアーレ)
神楽が目を細める。
それは「憎む」ということ。
(だから……あのディアボロは)
へらへらと笑った男の姿が次の瞬間かき消える。
「アレ、五十匹分の虫喰ったヤツだったんだが」
「な!?」
「けど俺はそいつよりは強ェんだぜ」
突然目の前に現れた男に護が照準を合わせ直そうとした。だが男の攻撃の方が早い!
「おらよっ!」
圧倒的な強さなどまるで感じさせ無いのに、玩具で遊ぶ子供のように無造作に軽々と仲間を串刺しにする。
「なァ人間ピン留めにしたらどれだけ生きるか知ってるか? 虫より早くくたばるんだぜ、じたばたもがいてなァ。弱ェっつーの」
その言葉に神楽が息を呑んだ。
「……試したのですか」
「赤ん坊が一番くたばんの早かったねェ」
「貴様!」
激昂した英斗がスネークバイドを閃かせた。哄笑を響かせて男が嘲笑う。
「てめェらだってやってんだろが! 綺麗な蝶やら甲虫やらつかまえて針刺して! 何が違うよ? えぇ? それもおまえらの遊びだろーが?」
「うるさい!」
子供の昆虫採集。
無邪気で残酷で、なのに誰も酷いとは言わない死の標本。
振るわれる刃と銃弾を避け、男は嘲笑った。
「撃退士ならどれだけ持つ!? そっちの女ァいつくたばる!? 逃げた連中全員串刺しにしてもう一回時間測るのもいいなァ」
「やらせるか!」
「熱く、なる、な」
手甲についた刃を振るおうとする英斗に、血を吐きながら静流が言った。
「……の、目的、は、何だ」
「ぁ?」
男が眉を顰める。だが神楽達には分かった。
自分達の目的は、ヴァニタスと戦うことではない。
「撤退を!」
深手を負いつつも、護がハッキリとそれを告げた。
「だーから俺が」
「おまえの相手は、俺だ!」
「うぉっと」
新しい黒針を具現させた男に英斗が攻撃を仕掛ける。
「若杉さん!」
「皆を頼みます!」
神楽の声に、英斗は叫んだ。自分の体で、皆の盾となるために。
「護らなくてはいけないのは、あの子達ですから」
○
優しい匂いがした。柔らかいものに抱きかかえられている。
薄目を開けると、見たこともない美しい女性がすぐ間近で自分を見下ろしていた。
天使だ。
ユウには分かった。この相手が、みゆの言っていた天使だと。あの時見た、幻想的な光の花にも関与しているだろう相手なのだと。
(天使……)
会えたなら、伝えたい言葉があった。
(幸せなまま、終わらせられないのなら、歪めないで)
声が出たかどうか分からない。口が動いたかどうかも。
それでも天使は微笑った。どこか寂しげな瞳で、悲しげに。
分かっているよ、と。
○
ゆらゆらと体が揺れるのを感じた。
(あ。お姫様抱っこだわ)
じゃあ夢か。柔らかいし、布団の中だろう。思ったら何故か至近距離に天使の顔があった。
(おー)
夢か。幻か。分からないが、会えたら言おうと思ったことがあったのだ。
(人間は弱い生き物だから時に過ちを犯す事もある。でも弱いからこそ、協力しあい他人に優しくする事も出来るの。どうか覚えておいて)
伝わっただろうか。声が出た気がしないけど。
もどかしくて口を動かそうとすると、額に柔らかいものが触れた。
母親が幼子を寝かしつけるキスのような、何か。
聞こえておるよ
そう声が聞こえた。じゃあいいかと思った。
苦しかったはずなのに、今は苦しくない。
みゆちゃん、助かったかな……
その思いを最後に、少女の意識は途絶えた。
●
「しぶといなァ……オイ」
男が面倒そうな声で言った。その前で、血まみれの若者が血の塊を吐き出した。
「性分、なんで、ね」
仲間を護るために。そのためだけに、ただ立ち続ける。誰かに褒められるためではなく、ただ自分がそう在りたいと思うからこそ。
「皆の、所には、行かせ、ない」
「つーか、普通になんで立ってんだレベルなんだが」
男が疲れた声を上げた。正直、疲れてもいた。本当にしぶとかったのだ。
「まぁいいや。こいつで最後──」
面倒そうに止めを刺そうとした瞬間、鋭い銃撃に針が飛ばされた。
「! てめぇ!」
神楽だ。撤退したはずなのに、何故!
「皆の無事は確認しました。……置いていけるはずが、ないでしょう」
仲間を。
「だったらてめぇもくたばれよ!」
男が意識を神楽に集中させる。生み出され、投擲される必殺の黒針。遠近両用攻撃。だが、その隙こそ神楽が狙ったもの──!
「くらえぇえええッ!」
光を帯びた英斗の一撃が無防備な背面に迫った。
「!」
気づき回避するよりも早くそれは確かに男の腕を引き裂いた。
●
一夜が明けた。
「はっきり言えば天使も悪魔も上位種は感情や理性を持つ。ゆえに気まぐれや利害での行動もある。この子を確保した状況は天使の気まぐれだ。無理に納得しろとは言わない。ただ、この子も戦場の被害者だということだ」
後日、病室に訪れた六人のうち、五人の大人がしゅんと項垂れる。フレイヤに心の闇を取り払ってもらった今、護の語る事実は堪えたのだろう。
「おねーちゃんたちは……?」
女性の膝に抱かれたみゆが不安げに周囲を見渡す。周り全部が怖いものに思えたあの時、助けてくれた少女の姿は、ここにはない。
「……別の所で休んでいるんですよ」
その心情を慮って神楽がそっと声をかけた。かつて恋人が救い、つい先だっては自分達も助けることが出来た少女に。
「それと……あの日言い忘れてたんですが」
探すように周囲を見る少女に神楽は告げる。暖かい笑みと共に。
「お誕生日、おめでとうございます」
あの日贈れなかったその言葉を。
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その病室から離れた静かな一角で、静流は部屋を護るかのように立っていた。
部屋の中にはベットが三つ。
特に昏睡が深い二人の少女は、出血多量で非常に危険な状態になっていた。意識を失い、仮死に近いほどに深い眠りに入っていたことが結果として生存に繋がったのだろうと医師は言う。
戦場で倒れた二人が、離れた安全地である林の外に横たわっていた謎は今も解明されていない。
(強さ、か)
力の強さ。心の強さ。思いの強さ。生命力の強さ。様々ある強さの中、今回、皆を生存せしめた強さは何だろうか。
静流は視線を別所へと移す。わずかに見える遠くの病室では、あの日助けた六人が笑い合っている。
人の心の闇は深い。けれどそれに囚われ続けることはない。
手を差し伸べ導こうとする者がいる限り。