「美味しいものが食べたいぞー!」
大きく両手を広げ、二階堂かざね(
ja0536)が広い空へと声を放つ。
「久しぶり、だ。来たぜ。どんどん、賑やかになってく、ねェ?…見てて面白ェわ」
笑って片手を挙げた仁科皓一郎(
ja8777)に、招待主である地主はくしゃりと破顔した。
青年の向こう側では、バスの中で振る舞われたビールを片手に雀原麦子(
ja1553)が「雅ちゃんはお誘いありがと♪」と鎹雅(jz0140)に抱きついている。
「おぅ。盛大て遊んでいきや。しかし、そっちの兄さんもデカイなぁ」
地主が見上げる先で、その男は微笑んだ。
「招いてくれて、感謝だ。お邪魔させてもらう。……ところで、俺は『兄さん』と呼ばれる年齢では無いと思うが」
強羅龍仁(
ja8161)は軽く頬を掻きつつ苦笑。
「儂から見りゃあ男は皆『兄さん』で女の子は皆『姉ちゃん』やな。どっちにしろ、ほれ、あそこの外見年齢詐欺教師とたいして変わらん年やろ」
「なんか言ったか!?」
「なんもないわー」
世話役二人の中間点で、平山尚幸(
ja8488)と綿貫由太郎(
ja3564)はバス中に配布された地図を片手に思案していた。
(いい天気だ。この陽気、この日差し……釣りをしながら昼寝するのも、いいな)
(さーておっさんは……釣りでもすっか)
せっかくの休暇。のんびりと命の洗濯をするのも良いだろう。そう考え、足を向けたタイミングが同じだった。
「「……行きますか」」
旅は道連れ、である。
「へえ……建物も綺麗だし、周り静かだな。まあ、山の中のせいもあるか」
そんな二人とすれ違う形で、一足先にペンションを見物してきた神楽坂紫苑(
ja0526)が呟く。周囲を見渡しながら歩く彼のすぐ後ろには、同じくペンションに所用のあった鴉乃宮歌音(
ja0427)の姿があった。
(さて。管理人には知らせておいたが……不埒者は今回、出るだろうか)
ちなみにペンションへの所用とは、万が一の痴漢対策である。
「っと。すまない」
考え事をしながら歩いていたのが悪かったのか、前を歩く紫苑にぶつかりかけ、歌音は声をあげた。
「いや、こちらこそ」
紫苑も挨拶し、ふとそれぞれの手にもった地図を見る。
「そっちも茸狩り、か?」
「まぁ、色々と」
その色々が実にイロイロだったりするのだが、それは後のお楽しみである。
(進級試験、神器、奪都……学生としても撃退士としても忙しい事が続きますものね)
柔らかな空気を胸一杯吸い込み、神月熾弦(
ja0358)はほんのりと顔を綻ばせる。
(……そう。少しぐらいの息抜きは構わないと思いましょう)
今だけは。今ぐらいは。
さらりと銀髪を靡かせ、籠を片手に果樹園を向かう熾弦の斜め後方、丁寧に荷物を抱えた雪成藤花(
ja0292)が、ほぅ、とため息をつきながら声を零した。
「秋の高原……。星空が綺麗でしょうね」
「うん。雲も無いし、空気も澄んでる。……きっと綺麗だろうね」
その荷物をごく自然にそっと預かりながら、星杜焔(
ja5378)が受けて答える。はにかんで微笑む藤花に微笑み返して、まずは荷物を置こうと二人してペンションへ向かっていった。
「綺麗な景色に美味しいご飯、露天風呂……か」
釣竿を持った御影蓮也(
ja0709)が、ほんのわずか口元に笑みをはく。
「さて、どれだけ釣れるか、楽しみだな」
「うむ。山もいい。果樹園もいい。温泉に浸かるのも良いだろう」
突然背後から聞こえた声に振り向き、振り仰ぎ、蓮也は目を見開いた。
熊がいた!
否、パンダが居た!
しかし驚きは長続きしない。むしろ即座に「ああ」と声をあげた。
「笹緒か。……(別の意味の)自然に(別の意味で)溶け込んでいるな」
艶やかな毛皮()は白地に黒。立派な巨体につぶらな瞳。老若男女問わず魅了する、その姿の名はジャイアントパンダ。しかしてその実体は、第一回ミスター久遠ヶ原こと中の人『下妻笹緒(
ja0544)』である。
「ふむ。川かね?」
「ああ。そっちもか?」
「おそらく目的は違うだろうが、そうなる」
パンダ、器用にウィンク。それに笑って、蓮也は言った。
「じゃあ、一緒に行くか」
●
「ん〜」
なだらかな遊歩道を歩き、西山へと入った市来緋毬(
ja0164)は大きく息を吸い込んだ。
「自然いっぱい空気も美味しいです♪」
「ああ。……大自然ってのもいいもんだな」
木漏れ日を見上げ、癸乃紫翠(
ja3832)は眼差しを細める。
就職で家を出てから約十年。こうして姉の忘れ形見と一緒に過ごすのは久しぶりだ。
(仕事してる頃は、こんなのんびりした時間は無かったしな……)
忙しくしている方が気楽だった一面もある。だが、学園に来た限りは、自分の能力や過去の事もしっかり受け止めるべきだろう。
自分も。──緋毬も。
「あ、見てください、兎さんです。かわいいです」
「話には聞いてたが、野兎が見れるとはな。運がいい」
淡く笑った紫翠に、緋毬は少しだけ微笑む。
(こうしていると、手を引かれて遊園地などに遊びに行った頃を思い出します)
それはもう何年も昔の話。けれど見上げる叔父の姿はあの頃とほとんど変わっていないよう。もっとも、当時は呼び方も違っていたのだけれど。
「一人で学園、心配でしたけれど……」
「ん?」
少しだけ足を速め、叔父の数歩先へと歩いた緋毬はくるりと振り返る。
「今はとても安心出来ます。ありがとう、お兄ちゃん」
お兄ちゃん、と久しぶりに呼ばれるのは少しくすぐったい。紫翠は軽く頬かき、そんな叔父に微笑んで、緋毬はくりっとした瞳を輝かせた。
そんな微笑ましい二人のやや後方、
「見て見て兎!」
ひょっこり顔をのぞかせた兎に、犬乃さんぽ(
ja1272)が目を輝かせた。ピッとこちらに耳を向けたままの兎に、君田夢野(
ja0561)が解説する。
「警戒してるね。こっちに耳が向いてる」
「可愛い! さ、触れないかなっ」
同じく顔を輝かせた三善千種(
jb0872)の声に、夢野は柔らかく笑った。
「野生の兎だから難しいかな。人間の匂いがつくのも良くないかもしれないし」
「うん! 自然のものは、自然のままだからいいんだよね!」
「そっかー……うん。そうだよねっ」
少年と少女は二人で大きく頷き合う。それを見守って、夢野はキノコ狩り用に手袋を丁寧に嵌め直した。
「これだけ自然が濃いと、茸も色んな種類がありそうだな」
「父様の国は四季があって素晴らしいって聞いたよ。今は収穫の季節なんだよね♪」
「紅葉まではあとちょっと、って感じだもんね。あっ! あそこ、すっごいおっきい茸がある!」
同じく手袋を装着した千種が、早速発見した茸を指さして叫んだ。
「わぁ……キノコって、こんな綺麗なんだ!」
さんぽが目をキラキラさせながら間近に覗き込む。ムキタケ。透明感のある黄白色の茸だ。
「お店で並んでる茸とずいぶん違うね」
「うん。すごくおっきい! ね、これってナイフで切り取るんだよね?」
「手だとかえって汚れがいっぱいつくって言ってたね。あ、でも、ナイフ気を付けて!」
「ありがと! ……ん?」
さんぽに笑顔でサムズアップして、千種はふと耳に拾った旋律に視線を向けた。
恐らく無意識なのだろう。丁寧に収穫しながら、夢野が歌を口ずさんでいる。
「わぁ! それ、なんて歌!?」
「……っと」
目指せアイドルッ!な千種は顔を輝かせて夢野に問う。さんぽも目を輝かせている。
「あぁ、旭川復興でのコンサートに歌った曲さ。俺にとって思い入れが深くてね……」
そこで千種の眼差しに気づいた。目がキラキラと輝いている。
「……一緒に歌う?」
「モチロンッ!」
「ボクも歌うよ!」
歌を教えあいながらさらに奥へと分け入る三人。その過ぎ去った後の道を龍仁と皓一郎がゆっくりと歩いていく。
「イイ肉、あるみてェだしよ、キノコなんかの山菜中心でいくか」
「毒のあるやつは図鑑で調べながら見分けるしかないな……。ん?」
図鑑を片手に道から山へと踏み入ると、ふと見られているような感覚がした。
「さァて。小天使の翼で、高ェ場所の、狙ってくか……。どうした?」
「いや……ああ」
感じ取った気配に生命探知を使い、相手を特定した龍仁は苦笑した。
「野兎だな。…流石に捌く訳にはいかんよな…」
「ふ……いや、酷いと思う者も、いるかもだからな」
「だな」
くりくりとした黒い瞳で見つめてくる相手に、さしもの二人も苦笑して取り出しかけた武器を仕舞った。九死に一生を得た兎は、黒いつぶらな瞳で二人を見送る。
「松茸でも見つかればいいが……」
地主には先程めぼしい収穫物とだいたいのポイントを教わっている。松茸も生えているところには生えているらしい。
「お、向こうに、何かあるな」
「あれは……コウタケ…アカジコウ…うむ、この辺のは食べられそうだぞ」
「流石、だねェ……私有地だから、か? 収穫したら、すごそうだ」
「何十キロ、という単位だろうな」
言って、二人して目に付いたとある茸に注目した。
図鑑を見る。
茸を見る。
図鑑を見る。
「……そういえば、撃退士は毒に掛からないって聞いたが…どうなんだろうか…」
龍仁の呟きに、皓一郎は笑う。
「……それは、要検証、だな?」
悪戯が滲む二人の遙か西、沢近くの傾斜にも二つの人影があった。
「きのこ発見。なめこかな……」
散策中、茸に導かれるようにしてここまで来てしまった紫苑は、ナイフで丁寧に採りながら口元に笑みをはく。
「ん〜杉が有れば、スギきのこ有りそうだが、採るのは、楽しいかもな」
スギキノコとは、スギヒラタケ。杉や松の倒木等に群生する白色の茸である。
北方の山狩りでは人気の一品だったのだが、近年、とある疾患を発症するケースが報告されたため、警戒された茸でもあった。淡く癖のない味はご年配の方々には特に好まれていた品のため、今もこの茸を求める声は高い。ちなみにスギカノカという別名もある。
「……採りすぎには、注意だな」
茸を発見した時、群生しているからと全ての茸を採ってしまえば、同じ場所に次に生えるのは何年もの年数が必要となる。山の幸は本来「採る」ものではなく「山から恵んで貰う」もの。その気持ちがあればこそ、次の代のための苗を残しておくのだ。
「……あっちも、ずいぶん色々、採……いや、獲ったみたいだな」
視線を川近くへと向ければ、小柄な少年がせっせと動いているのが見える。
歌音だ。
今はなぜか土に向かって手を合わせている。
「命の糧に感謝」
実はこの時、その土の中にはとある生き物の死骸が埋められていた。
素早く仕留め、鮮やかに解体し、埋葬した手腕が恐ろしいほどに見事である。……『何』であるかは『お察しください』。
尚、解体され、クーラーボックスに封入された肉はバーベキューでお披露目することとなる。
「さて、あとは茸だが……うん。これは、場を盛り上げる為にも、必要かな」
彼の見つめる先には、とある二人組が見つけたのと同じ茸がる。
「肉と混じらないように入れないと……おや?」
荷物を降ろし、丁寧に採ろうとした所で顔を上げた。
耳に拾ったそれにふと口元を笑ませる。
「……歌、か」
●
「アイヌが釣り出来なくてどうするにゃー」
川面に声が響く。
しかし、その姿は見えない。
無音歩行と遁甲の術で足音も気配も消えた朱鞠内ホリプパ(
ja6000)である。完璧に断たれた気配は存在そのものも視覚から消してしまう。人の気配に敏感な生き物であっても、本気を出した鬼道忍軍の前には、是、この通り。
「ふっ」
ピッとタイミングよく針をひっかけられ、つり上げられた鮎が腹を陽光に煌めかせる。
「お。大きいのが釣れたわね」
川辺でビールを冷やしつつ、のんびりと釣りを楽しんでいた麦子が笑って声をかけた。
今の時期、川にいるのは戻り鮎。その腹にはたっぷりの卵を抱えている。
「にゃはっ。いい子だにゃー!」
ぴちぴちと体を跳ねさせる鮎に笑って、ホリプパは次の獲物に取りかかった。
鮎釣りは友釣りが多いが、水量が増している現在のような場合、毛針釣りでも釣ることが可能となる。
「釣れなくなったら、ゆっくりポイントを変えていくにゃ」
「それがいいわよねー。焦ったって楽しくないし」
「うにゅ。釣りは根気が重要にゃーよー」
ねー、と小声で笑い合う女性二人の上手では、まさにまったりのんびりの釣りを満喫している人が一人。
「鮎ってえと友釣り一択だな、囮が元気なうちに次を釣れるかがカギだな」
教本片手にマニュアル釣りを楽しむ由太郎は、ポイントに囮を差し向けつつ、そよそよと吹く風に気持ちよさそうな顔をする。
(クーラーボックス一杯に釣れると良いなあ、食糧確保的に考えて)
けれど焦る気持ちは無い。
せっかくのバカンス。日々の疲れを癒す意味でも、のんびりと楽しむ心意気だった。
「くーいい天気だ、眠くなってきた」
少し離れた大岩の上では、煙草を吸いながらまったりと釣りをしていた尚幸が、くぁぁ、と欠伸を一つ。川風の涼しさと陽光の温もりで、いい感じに眠気がやって来たらしく、目をしょぼしょぼとさせている。
「うーん、本格的に眠たくなってきたなー」
学園の日々とは違う、ぽっかりとした休日。
何かに追われることもなく、何かを負うこともない穏やかな日常の風景に、細めた目がそのまますっと落ちてしまう。
からん、という音をたてて釣り竿が上手い具合に岩の亀裂にはまる。すやすやと眠りに誘われた尚幸に、気づいた由太郎が苦笑しつつ大きな欠伸を零した。
眠気は伝播するのである。
「……さて、と。下拵えはこんなものか」
彼等の下流で、釣った鮎をその場で捌く人影有り。
今も綺麗に腸を出して洗い、下拵えをした蓮也は、用意していた串を取り出し川を注意深く観察した。
そうして、串を投擲する。
放物線を描いて水中に没した串をテグスでたぐり寄せると、見事に腹を刺された鮎の姿が。
(皆で食べる分ぐらい獲れるといいんだが)
そうして視線を転じ、見つけた相手の姿に目を丸くした。
(……何をしてるんだ……?)
視線の先にいるのは笹緒である。
(うむ。川面に生える舟。実に優雅だ)
その笹緒はといえば、目の前を過ぎゆく勇壮な舟に満足そうな顔をしている。着ぐるみだが。
山、果樹園、温泉の魅力を認めつつ、彼がこの秋に楽しみたいアクティビティとして選んだのは、葉っぱで船作り。
ご覧下さい。
雄大な川面を滑る大小の葉舟の数々を。
大きな葉、小さな葉、変わった葉、時には二枚以上の葉っぱを組み合わせたり。時に大きな葉舟にはどんぐりの乗組員の姿があり、勇猛果敢にチャラ瀬の大冒険へと乗り出している。おっと転覆! いや、持ち直して下流へと進んだ!
無論、同じ場所から流すのではつまらない。
流す場所と材料、それぞれを変えてみることで、どの葉舟が一番速く流れるかをチェックするという拘りよう。
しかし、ううむううむと唸りながらも、もふもふお手々で沢山葉舟を作り川へと放つその姿。
萌える。
紅葉の頃に色とりどりの舟を作るのもいいが、爽やかなグリーンの舟がきらきら光る水上を走る様は別格(笹緒視点)。それを見送るパンダの姿を見るのもまた、格別だ(第三者視点)。
(あの舟は大海原へとたどり着くだろうか)
難関を乗り越え、遠く下流へ、視界の外へとフィールドアウトしていった舟を見送りながら、笹緒は満足げに息を吐く。
その顔がふと山へと向いた。
「……ふむ。歌か」
●
緑の葉の合間から木漏れ日がきらきらと降り注ぐ。
「紅葉の時期に来たかったねぇ」
緑のカーテンを見上げつつ、宇田川千鶴(
ja1613)がふわりと声を零す。
のんびりと歩むのは東の山。未だ緑の濃い楓達を見上げて、石田神楽(
ja4485)も常より穏やかな笑顔で頷いた。
「ふむ、確かに。いつかまた、来たいものですね」
山が色づき始めるまで、あと少し。気温が急激に下がったならば、この山はほぼ一夜にしてその装いを変えるだろう。
「長門さん達も、こんな風に、穏やかな日を送ってくれるといいのですが」
「……ほんまやね」
二人が脳裏に思い描いたのは、依頼で知り合うことになった一組の夫婦だった。
「博さんも目覚めたと聞きます。後は彼女たち次第でしょうね」
「うん、大丈夫。きっと上手くいくわ」
心を傷において、最大の癒し手となるのは──『時間』
深い喪失は決して消えることは無いけれど、
焦らなくていい。無理をする必要もない。
愛し愛される相手もまた、傍にいてくれるのだから。
淡く微笑んだ千鶴に微笑みかえして、神楽は遊歩道の先を見る。丸太で作ったと思しき椅子を発見して苦笑した。
「休憩所も作ってあるんですね」
「まぁ、普通の人らやったら、時々は休みたいやろしね……って座るんかい」
「のんびりいきましょう」
にこにこ微笑みながら座り、ポケットから本を取り出す神楽に、千鶴は苦笑した。
「ほんまマイペースやなぁ」
見れば取り出した本はレシピ本だ。この男はどんな料理を作るのだろうかと、隣に座りつつ軽く覗き見る。
「景色見ないんです?」
「見る。というか、どんな料理作るんやろ思て」
簡単なものならわりと作りますよ、と笑う相手に笑い返して、千鶴は空を見上げた。
その顔がふと何かを探すように揺れる。
「……おや」
「ん。聞こえた?」
「ええ」
頷き、神楽も顔を上げ、ふと笑んだ。
「歌、ですね」
●
(うーん……)
高原の下一帯に広がる果樹園で、熾弦は軽く小首を傾げるようにして思案する。
(やはり気になるのは林檎でしょうか)
ニス等が塗っていない生のままの林檎には照りが無い。かわりに顔を少し近づけるだけで芳醇とした匂いがした。
「んー。こっちの青林檎すっごく爽やか! むむっこっちの赤いのはちょっとすっぱい!?」
「酸味があるのですか……?」
かざねの声に、熾弦はおっとりと瞬きした。手に持った林檎を丁寧に拭き、小さく囓る。
「……ん。この酸味だったらパウンドケーキみたいな焼き菓子にあいそうですね」
「ね。フルーツケーキとか、ジャムとかにしたいねー。持って帰れないかな?」
もちろん今もたっぷり食べるけど! と目を煌めかせて言うかざねに、熾弦は穏やかに微笑みながら頷く。
「旅行に来られなかった皆様に、お土産を用意できればいいのですけれど……」
或いは土産話をする時に出すお菓子を考える時の参考になるかもしれない。
そう思いを馳せていると、同じ林檎の木から赤い実を頂戴したソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が「そういえば」と声をあげた。
「さっき、地主さんが好きなだけ持って行っていいって言ってたかな。食べ頃のやつ選んでくれって」
「本当!?」
パッと顔を輝かせた二人に、ソフィアは笑う。
「夕食もあるから、持ち帰ってデザートにするのもいいかも」
「その案、素敵です。バーベキューの時のお口直しの分も用意しましょう」
「うん。美味しそうに実ってるから、ついつい食べ過ぎないように注意しないとね」
くすくす笑う三人娘の向こう側、梨園ではクインV・リヒテンシュタイン(
ja8087)が稚い童の如き純粋な笑みを浮かべてはしゃいでいた。
「ふはははっ、僕に狩れない梨などないのだよっ。ほらまた大きいのを手に入れたっ」
しゃきーん! と掲げた両手の間には丸々とした梨。
顔を近づけなくても漂う甘い香りは熟れに熟れた完熟超えの証。俗に腐れ熟れとも呼ばれる超完熟である。恐ろしいほどの甘味を誇るこの熟れ具合は現地でなければ味わえない特級品。まさにキング・オブ・ペア。
ただし消費期限、半日である。
「ふふふふふふほらここにも素敵な梨が! あっこんなところにもっ!」
大小様々ある梨の中、ご当地限定梨ばかり見事にゲットしていく。
そんなクインの横を通り過ぎ、数分歩けば葡萄畑へとたどり着く。棚状に広がる枝の下、思い詰めた顔で握り拳の少女が一人。
(これぞ、千載一遇のチャンス…!)
牧野穂鳥(
ja2029)である。
数日前から楽しみにしすぎて目の下に大きな隈が出来てしまっているが、気分が高揚している現在体調はむしろ絶好調。今なら空も飛べそうだ。
(……ホトリからすごい気迫を感じる…? そんなに楽しみだったのかな)
そんな穂鳥に首を傾げつつ、ユウ(
ja0591)は手に取った巨峰の皮を丁寧に剥いていた。巨峰を沢山採って食べるのも楽しみにしていたが、うずうずしていたのはそれだけではない。
(……うん。ホトリ、生き生きしてる)
頬を染め一生懸命巨峰を選んでいる後輩はとても可愛らしい。
「先輩は、果物がお好きなんですか?」
バスから降りるや否や葡萄畑に向かったことを言っているのだろう。頷いて、ユウは剥いたばかりの実を口に含んだ。やはり、とれたては美味しい。
「……ん。果実はけっこう、好き。バナナオレの次の次くらいに」
言って次の実を採ろうとし、指についた果汁をぺろりと嘗めた。
「あっ。先輩、よろしければこちらをどうぞ」
汁で手がべとべとになっているユウに穂鳥は濡れティッシュを差し出す。受け取ってユウは瞳の色を少しだけ暖めた。
「……ありがとう」
「どどどういたしましてっ。……ぁ」
内心ガッツポーズをとりつつ笑顔で返答した穂鳥が顔を上げた。
「これ……」
「……ん。歌、だね」
●
歌い手は知らない。その歌声がどこまで響いているのか。
──この久しく遠い 険しい道に満ちる
例えば、茸を採っていた歌音達が手を止めて耳を澄ませていたり、
──尽きる事の無き光が導く
風に乗って、川で釣りを楽しんでいる由太郎達の元に届いていたり、
──その先の末にある
山腹で休憩しながら、千鶴達が聞き入っていたり、
──美しく輝く夢を
五右衛門風呂を満喫している少女が、嬉しそうに頬を緩めて聞いていることを。
──いつの日か見てみたい
「ふふっ。ここでターンッ……きゃっ」
「大丈夫?」
夢野の歌に合わせて踊っていた千種がバランスを崩し、さんぽがにこっと笑いながら支える。照れを滲ませつつ、千種は笑った。
「てへっ、ありがとっ」
●
夜。幾つもの松明がキャンプファイアーの代わりを成す広場は熱気に包まれていた。
「お疲れー」
乾杯は大人の醍醐味。歌音の声に、麦子、皓一郎ともにビールをかちあわせた。
「唐揚げがあるー」
「これ、何の肉だ?」
酒肴に摘んでいる二人に、歌音はシニカルな笑みを浮かべるばかり。
「茸のバター焼き美味しー!」
「鮎の塩焼き、卵がすごいですね」
「こっち、焼けたぞ。火、気を付けて、な」
かざねと熾弦が収穫物に舌鼓を打ち、給仕役をかって出た紫苑が夢中になって食べる面々に声をかける。
「その場で取ったものを調理する。キャンプとかの醍醐味だよな」
「うむ。山の幸、川の幸、堪能だな」
「……着ぐるみ、脱がないのか?」
蓮也の声に笹緒が深々と頷き、果てしない疑問を抱えた由太郎が不思議そうに首を傾げる。
「梨だって焼けば旨いさっ」
「あっ。焼きすぎると焦げて……ああ」
しょんぼり項垂れたクインに、熾弦が代わりの梨と鮎を差し出す。
「お肉が凄く柔らかい、です」
「ん。確かに、いい肉だな」
緋毬と紫翠が霜降り肉を堪能している横で、龍仁が苦笑しつつ声をかける。
「肉ばかりじゃなくて野菜も食えよ」
網焼きで焼かれる肉があれば、焚き火で焼かれる魚もある。
「鮎がすごくいい香りしてるね」
焔と藤花が嬉しそうに頬張る横、焼きたてを求めてきた尚幸に蓮也が渡しながら言う。
「ホイル焼きもいいけど、やっぱり直火で焼かないと。熱いから気を付けて食べろよ」
すでに何人かは満腹になって温泉に向かっていたが、食べ盛りの面々の胃袋にはまだ余裕があるらしい。
と、
茸を堪能していた一角で笑い声があがった。
「あはっ、あははは!」
「ふ、ふふふふっ」
とある男性陣一同、互いをちらっちらっしてニヤリ。
「だれ笑い茸入れたのっあはは! そーいや雅ちゃん何処いったー!?」
「お風呂行ったぞー」
突撃してくるー、と笑いながら言い残し、ちょうど満腹になっていたらしい麦子が走る。愉快な笑い声も混じる会場に、焔が苦笑を零した。
「……うん。誰かやると思ってた」
藤花がくすくすと隣で微笑っていた。
●
「ほんま若く見えますねぇ」
至福の表情で温泉に半ば沈んでいる雅に、湯に浸かった千鶴が笑いながら言う。ふふり、と雅は笑った。
「もういっそ、あと三十年はキープしてみせるさ」
「何か、キミは他人の気がしないにゃー……」
自身も年齢迷子系。ホリプパの声に、雅もカッと目を見開いた。
汝もか。汝もか。思わず二人して固い握手を交わし合う。
「開放的な気分でゆったりできるのって良いよね〜」
雅同様、まったりと温泉に浸かっていたソフィアの声に、せやねぇ、と千鶴が頷く。
「五右衛門風呂も面白そうだったんだけどね」
「後で入るにゃー」
そこへ笑い茸の毒素を吹っ飛ばした麦子がやって来た。
「にゃはははは〜」
吹っ飛ばしてなかった。
「あらら。雀原さん、大丈夫?」
「そういえば、怪しい茸、あったにゃー」
千鶴とホリプパの声に麦子はぱたぱたと手を振る。
「へいき。ん〜。絶景かな、絶景かな〜ってね♪」
「ふふ。気分が悪くなったら、いつでも言うんだよ」
楽しげな麦子の様子に、雅も微笑んだ。
その少し離れた場所にある男湯では、命の洗濯をする一同の姿があった。
「いい湯です……」
いつも笑んでる目をさらに笑ませて、神楽がのんびりと声をあげる。
五右衛門風呂も満喫したが、露天風呂にもやって来た。そんなさんぽは嬉しげに歌を歌う。
「♪ヘイヘイホー」
「って、さんぽさん!?こっち男ゆ……えっ、男子?」
夢野。驚きの事実を本日初習得。
「? どうしてみんなボク見ると、一瞬吃驚するんだろう?」
「何故だろうな」
かくりと首を傾げるさんぽに、こっそり食事を切り上げてきた歌音がしたり顔で嘯く。
「しかし、綺麗な星だな……こりゃ酒がすすむなー」
手桶の中におちょこと徳利。くぃっとあけて尚幸は相好を崩した。その後方で焔はぼんやり空を見上げる。
(こんな空はあの娘と見たいな…)
思い出すのは、夏のお祭りで共に星を眺めた夜のこと。
あの夜に聞いた星の話が、自分にとってどれほど救いだったか。
(後で、一緒に星を見に行きたいな……)
そっと脳裏に優しい少女の面影を描いた。
「お。揃ってるな。……ゆっくり露天風呂に使って疲れを取って、次に備えるか」
蓮也が食事を切り上げて温泉に入って来る。そろそろお開きの時間なのだろう。
騒動が起きたのは、その時だった。
「ななななんだ、どどどうなってるんだーーー!」
すごい焦った大音声が聞こえてきた。クインVの声だ。
思わず神楽とちょうど湯船に浸かったばかりの由太郎が顔を見合わせる。
「今の女湯の方から聞こえなかったか?」
茹だった夢野を湯船に沈まないよう支えていた尚幸が唖然と呟き、後かたづけを終えてやって来た紫苑が大体を察して呟いた。
「……間違えて入ったな」
●
「湯冷めしないよう気をつけてね」
「はい」
湯上がり後、星見用のステージに向かって焔と藤花は歩いた。
雲一つない空は黒というよりも深い藍。その中で、宝石のような輝きが絶えず瞬いている。
まるで何かの信号のように。
「そういえば夏にも星を見ましたね」
空を見上げながら、藤花がそう口にする。ふいに走った動悸を隠して、焔は「うん」と頷いた。
「あの時はまだ先輩は今より寂しそうだった。今は…わたしが傍にいますから、ずっと」
柔らかい声がそっと自分を包み込んでくれるのを焔は感じた。
「だから、大丈夫です」
なぜこんなにも、その微笑みが眩しく思えるのだろう。
「実家の方もとても星が綺麗なんです」
声もなく魅入っている焔に、傍にいられるこの幸せを思いつつ、藤花は微笑みをたたえて静かに告げる。
「いつか先輩にも見せたいな」
言葉も表情も、思いが込められているからこそのもの。
どうかこれからも、ずっと寄り添うように在りたいと願う、その気持ちこそが、彼の胸を強く打つのだ。
「俺の実家の料亭は…「心宿」って名前だったんだ」
しばしの沈黙を挟んで、焔はそう呟いた。
「もう存在しないけれど…夏の夜空から名前を貰ったんだって」
藤花は寄り添うようにして静かにそれを聞く。
全てを受け止めるように。
「藤花ちゃんの実家…行ってみたいな」
夜風に冷えないよう、上着をかけ……焔はそっと、少女の華奢な体を抱き寄せた。
「俺の事…許して貰えるのかな」
星だけが、それを見ていた。
●
就寝時間ともなると、流石の学生達も一部を除き、静かになる。
「……ふふり。抱きまくらー」
闇の中に響くユウの声。唐突に抱き枕にされた穂鳥はというと、
(せせせ先輩いや嫌だなんてことはあるはずもなくありがたき幸せでありましてっ)
降ってわいた幸運に動悸息切れ目眩で頭の中がぐるんぐるんしている有様。眠気なんて宇宙の彼方に吹っ飛んでいる。
「……ふふり」
ちょうど良い感じにフィットしたのか、ユウはとやけに気持ちよさそうにうとうとしている。
「せせせ先輩」
一年経ってようやくこの旅行で。決意してきた一言が穂鳥の喉の奥で今か今かと出撃を待っている。心境はとある有名寺から飛び降りる感じ。
「で、できればそのユウと呼び捨てでお呼びしてもよろしいでしょうか」
「……ん、いーよー」
超あっさりと返ってきた答えに穂鳥は硬直。喜びを噛みしめている間に、ユウは夢の中へと旅立っていた。
けれど楽しい時間が勿体なく、遅くまで起きてしまう面々もいるわけで。
「ほら、もう遅いんやし」
「だって、楽しいんだもんっ!」
「わかるけど、アイドル目指すのなら早めに寝よな?」
無意識に歌って踊っていた千種を千鶴がそっと窘める。はぁい、と慌てて布団に入りつつ、
「でもあとちょっと! お話、駄目?」
その様に、しょうがないなぁ、と千鶴は微笑んだ。
夜は更ける。
そっと星見に抜け出す者や、ひっそりと一人酒をする者、
優しい思いを胸にした者をもその腕に抱いて。
彩りの秋は、もうすぐ