手の中の温もりは乏しく
血を失った肌は白く
呼吸はあまりにもか細かった。
白い死がゆるゆると這い寄るのを女はただ憂いを帯びた瞳で見守る。
手段は有り──
そして、時間は余り無い。
無言で俯いた女の腕の中、小さな命が音の無い声で言葉を紡いだ。
誰にも聞こえない声で、一言。
ママ
──と。
●
「面と向かって図解するべき事は、もうないです?」
破壊され尽くした村の外、山際にあたる一角で、地図を手にしたRehni Nam(
ja5283)はそう確認した。
対応する先発の撃退士は疲労の濃い顔で頷く。不眠不休の結果、頬はこけ目の下に黒い隈が出来ていたが、その瞳には未だ衰えぬ強い意志の力が宿っていた。
「本当なら、我々が行かなければならないのですが……」
「あなたは、村に、残って」
苦渋に満ちたその声に、羽空ユウ(
jb0015)はふるりと首を横に振る。
「村が、襲われない、保障、はない」
拭えぬ血。死臭の濃い村。未埋葬の遺体。疲労の溜まった撃退士。悪魔の手下がここに寄らないと誰が断言できるだろうか。
けれど留まることは出来ない。何故か山の奥を目指していたというディアボロ。もし、彼等が目指す先に生き残りがいたら……そう思うと留まることは出来ないのだ。
いや、そればかりではない。
(恐ろしいのは『力』ではなく、人の恐怖――)
恐れ、とも、畏れ、とも、虞れ、ともなる、心の震え。
山に何かがある筈……そう直感が告げるからこそ彼等を伴うことは出来ない。
「チコたちが、いっぱい、がんばるの!」
悔恨と祈願を瞳に浮かべた撃退士に、ユウの隣にいた水尾チコリ(
ja0627)が力強く請け負った。頼む、と心を絞り出すように告げる彼等の声はあまりにも重い。
それもそうだろう。村に到着した時から言葉少なくなった強羅龍仁(
ja8161)は無言で顎を引く。
暴虐の限りを尽くした村の地面は、赤い色に染まっている。それが何カ所も、否、何十カ所も点在しているのだ。
その所々に、集めきらぬかつて人であった血肉の一部を転がしたままで。
「……」
百という命が奪われた場所というのは、そういう場所だ。人の感情も思考も奪い去ってしまうほどの、圧倒的な視覚情報。潰れ、爛れ、穿たれ、抉り取られ、引き裂かれ、引きちぎられた人々の体。撒かれた血肉と臓腑が無造作に転がり、潰れた眼球が地面にはりついているその光景。血臭は濃く、その死はあまりにも陰惨に、訪れる者の意識を奪っていた。
最初の光景はどれほどの凄惨さだっただろうか。必死の埋葬作業が行われた今ですら、これほどの光景であるというのならば。
「ふにゅ、ええと……」
急いで山へ向かうため、最低限の情報を図で確認するRehniからして、その顔色はひどく青ざめている。村に到着した直後、全員が言葉を失いしばし呼吸もままならなかったのを龍仁は覚えていた。
(……これが、連中の所行)
現場の撃退士と携帯の番号を交換して後、血で染まった村をもう一度見やって、ジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)は目を細めた。その瞳の奥に燠火のような怒りが揺れている。
自分達が戦うべき相手──奪い搾取する者達。
「ディアボロが向かってるのは、山の奥、なんだよねぇ」
「やまおく、なにがあるんだろー? おいしいごはんでもあるのかな?」
チコリが首を傾げ、すぐに思い至ったことに慌ててふるふると首を振った。
「にんげんだったらごはんじゃないから、たすけなくっちゃ!」
「……うん」
静かに頷き、宇田川千鶴(
ja1613)は眼差しを山へと向ける。
「生き残り…おるのなら助けたらんとね…」
生い茂る緑の奥。
ディアボロが進んでいった先。
そこに何があるのかは、今の六人には分からない。それでも──
「それでは、ディアボロ捜索、開始なのです!」
気合いを入れ直すように声をあげるRehniに続いて駆け出しながら、誰もがその思いを胸の中で紡ぐ。
それでも、希望は捨てたくないのだと。
●
「けものみちなのー」
山に人が分け入れば、そこには自ずと道が出来る。整地された道と違い、たんに草が生えていないだけの道だったが、それでもそこは確かに道であった。
「このルートなのですね? ……です。木に傷跡もあるのですよ」
携帯を通じて村の撃退士から情報を絶えず聞きながら、Rehniが近くの木を見て言う。
集まりつつあるディアボロを発見した撃退士達が、かつて踏み入れた場所。それがこの獣道が伸びる付近だった。山の麓から続くその道は、おそらく山菜採りなどで村人が利用していた場所なのだろう。何度も通っている道らしく、そこだけ硬い地面になっていた。
「……あしあとは、ないの……」
「つきにくそうだもんねぇ……私等の足跡もわからない状態だよ」
せめて柔らかい地面であったなら、何らかの痕跡があったかもしれないのに。そう思いながら呟くチコリとジーナに、阻霊符を展開させている千鶴が遠くを見て眼差しを細める。
「戦闘の痕跡やったら、あそこにあるんやけどね」
五人も同じ方向へと視線を投じた。全員が見つめる先には、力ずくで折ったとおぼしき木がある。熊が全力で殴りでもしない限りああはならないだろうという折れ方であり、木の大きさだった。
「あそこで戦いになった、か……?」
龍仁が思案しながら呟く。
戦闘痕がある場所は比較的村に近い。だが、そのさらに遠くへと視線を馳せれば、十数メートル離れた場所にも同じような痕跡があった。
「いや、向こうの方で始まって、撤退時にあそこにも痕跡が残った、とも考えられるな」
山の奥に向かおうと動き、交戦して撤退した先任の撃退士達。彼等が無事に撤退できたのはある種奇跡だろう。傷ついた獲物を何故追い詰めなかったのか、それは誰にも分からない。撃退士である彼等の抵抗に、自分達が傷つくことを厭ったのか、それとも、彼等に構うのをやめるぐらい、ディアボロの目指す先にある『何か』は彼等にとって馨しいものなのか……
「……どちらに、しても、敵の、行動範囲内に、入ったことは、確か、なの……」
幾つもの疑問点に思い悩みつつ、ユウの声に全員が頷いた。
敵との戦闘があった場所ということは、これより以降にはかつて敵が出たということだ。
そしてその戦闘痕も、やや歪な線を描きながら、ほぼ真っ直ぐに山奥へと続いている。
(……生き残りがいてくれるのなら……なんとしても助けたいわぁ…… )
慎重に、けれど出来る限り最速で足を進めながら、ジーナは自身の感覚を研ぎ澄ませた。彼女だけではない。感知能力に長けた者はより一層の警戒をもって周囲に意識を凝らし、わずかな音、かすかな気配、草の揺れ一つ見逃さない覚悟で警戒にあたっている。
しかして、その効果はあった。
「ッ」
千鶴とチコリが鋭く顔を上げ、Rehniが戦いのためのアウルを編み、ジーナがユウの傍らに身を寄せた。
四人の反応に龍仁とユウもまた密かにアウルによる奇跡を展開させはじめる。
ハッハッ ハッハッ
息づかいが聞こえる。
他に音は無い。
鳥の声も、虫の声も、山から絶えていることに彼等は気づいていた。
ハッハッ ハッハッ
意識を澄ませる。静かに、深く、深く、わずかな差も聞き逃さないように、鋭く、そして広く。
息。押し殺した気配。視線。喉の奥から顎を伝いしたたりおちる唾液の音。
(捕捉した!)
「後方! 三匹!」
ジーナの鋭い声が飛んだ。すかさずRehniと龍仁が振り返り、練り上げたアウルを具現化させる!
「ギャゥンッ!」
即座に虚空から墜ちた無数の彗星に、ユウに狙いをつけていた魔犬三匹がまともに打ち据えられた。ただでさえ広範囲に展開する魔法。それが二重に合わさった時、その威力と敵の捕捉は言語に絶する。
たまらず崩れた三匹に、しかし六人は一切気を抜かなかった。
「ひだりなの!」
チコリの警告と同時、ユウの左側から魔犬が飛び出してくる。防御力の最も低い少女を狙っているのだ。三匹が魔法に打ち据えられている中に移動してきた魔犬は、そのままであれば少女の細い喉元に牙を突き立てていたことだろう。だが、これは彼女達にとっては想定内だった。
「うちの子に手出ししてんじゃあないよ!」
反対側にいたジーナが円を描くように体を回転させ、その体を敵とユウの間に滑り込ませた。盾と篭手、腕鎧が一つとなった攻防一体型の円形盾──ランタンシールドがその攻撃を真正面から受け止める!
「ッ」
無論、庇いに入るということは、受けるべきダメージを肩代わりすることでもある。だが防御力に秀でる者とそうでない者とでは、受ける傷には圧倒的な差が出る。
そして、
「以降の、連携は、させない、の」
ユウの呼び出した無数の腕が、弾かれ、飛び退った魔犬の体をしっかりと絡め取った。
(連携する為には、数が必要。一点を狙い、戦略に穴を開ける……)
同時に千鶴とチコリも動いている。
「私に当てれるもんなら当ててみろや!」
声と同時、黒白のオーラが千鶴の体を中心に発現した。
──春嵐/風大──
名の通り嵐にも似た強風と轟音に、ユウに狙いをつけ飛びかかろうとしていた魔犬が標的を千鶴へと変える。鋭い一撃をかわしたところで、風を切って襲いかかったチコリのシルバーレガースが魔犬の胴を凪いだ。
次の瞬間、
ォオオオオオオオンッ
後方から響いた音の波が、身構えていたユウとジーナ、その後方にいたRehniを襲った。
「きゃあ!」
なんらかの呪いを帯びた音だったのだろう、表皮が一瞬で赤く染まり、全身に嫌な痺れが走る!
「こん……なのっ!」
痺れを打ち払い、身構え直したRehniにコメットで前足を失った魔犬が飛びかかった。
「レフニーさん!」
「平気、なのです!」
残った前足で繰り出された引っ掻きにRehniの腕が裂ける。
「村の人達は、こんな痛みじゃなかったのですよ……!」
あまりにも無惨な光景。
それがすでに終わってしまった後のものだったとしても、どうしようもないものだと切り捨てることは難しい。目の前の敵は彼らの仇ではない。けれど、この相手もまた、人々をあの光景の元に叩き落とす敵なのだ。
万が一、生き延びている人を追っているのならば──尚更に。
別の一匹がユウとの壁になっているジーナに襲いかかる。鋭い牙に腕を噛まれながら、ジーナも声一つ漏らさなかった。
ただ無造作に、噛みつかれた腕を掲げ、具現させたアサルトライフルの銃口を相手の喉元近くに突きつけ、引き金を引く。
どす黒い血が弾け、ジーナの白い顔を汚した。
「…………」
絶命して離れた牙を振り払うように、ゾッとするような冷ややかな目でジーナは腕を払った。おそらく傷は骨にまで達しているだろう。熱を帯び感覚を失った創傷部に、ジーナは薄く笑った。
「……確かに、こんなもんじゃあ、ないわねぇ」
右腕一本あれば、いくらでも戦える。だが村人達は戦う術すらなく命を奪われたのだ。
「……全部で……ごひき、だったの」
「他にはおらん……みたいやね」
腰を低く落とし、いつでも対応できるように身構えながらチコリと千鶴が呟く。
体の大部分を失った後方三匹のうち、一匹は先ほど倒された。左側一匹は束縛され、前方の一匹も深手を負っている。
グループは五匹。残りは四匹。
驚異となる能力は、麻痺の咆吼と、噛みつきか。
「……気をつけろ。手負いは手強いぞ」
「目ぇ血走らせてるもんねぇ……」
「けど、連携は阻害できた感じなのです」
「……ん。あとは、一匹ずつ、確実に」
それぞれが対応すべき相手を油断無く睨み据えながら、攻撃のタイミングを計りつつ体に力を溜めはじめた。
連携をとって襲ってくる。そう警告されていた敵は、告げられた特徴通りに集団を利用してこちら側の柔らかい部分をつこうとしてきていた。一体に狙いをつけ確実に仕留めようとするやり方は、なるほど、確かに野生動物のそれに酷似している。もしそれを見越して動こうとしていなければ、深手を負っていたのはこちら側であったかもしれない。
「……傷、は」
「軽いもんだよ」
自分のかわりに負い、壁となっているジーナにユウがそっと声をかける。かえってくる声は強く、暖かかった。
互いに隙をうかがっている間に、ジーナは自身の傷を癒す。さすがに左腕は深くて全部は癒せれなかったが、感覚は戻ってきた。
「報告に出てたのは十匹前後……だったわねぇ。うち、ここに五匹。さぁて、わんころ達、全体でいったい何匹いるんだい……?」
「少なくとも、ここに居ないのが四〜五匹、ってとこか」
「そんなとこよねぇ」
ジーナと龍仁の声に、Rehniも頷く。
「一段落ついたら、生命探知で探ってみるです」
「他の動物もどこか行ってそうやしね」
「ねんのために、ほうこうもして、おっぱらっておくの!」
「声で、敵が、集まったり、しないで、しょうか?」
「その時は、向かい撃てばいいだけよぅ」
千鶴が、チコリが、ユウが、ジーナが、それぞれの武器に力を込める。
頭部の半分と後ろ足の一部を失っている魔犬が身を屈めた。
──来る。
「では──この犬達を突き崩すのです!」
相手が飛びかかろうとする寸前、Rehniが駆けた。
タイミングを崩された魔犬の頭蓋を風の刃が切り裂く。黒い血を吹き上げて絶命した魔犬の隣から、右前足と左腰の半分を失っている別の魔犬が飛び出した!
「二度は無いよ!」
眼前に迫る牙をかわし、ジーナがアサルトライフルで横腹を打ち抜く。悲鳴を上げて倒れた相手にユウの放った雪玉がまともに決まった。
「残り二匹!」
「まとめていくのっ!」
油断無く千鶴を狙っている魔犬にチコリが走った。異界の呼び手により捕縛されている犬と前後に重なった瞬間を狙ったのだ。繰り出される鋭い一撃。二匹へと発勁の衝撃が突き抜ける!
悲鳴すら半ば吹き飛び、一体が頭部を爆ぜさせた。束縛を破った犬が千鶴へと走る!
「当たらんわ!」
舞うように避け、すれ違いざまに迅雷の力を乗せた忍刀を叩きつけた。黒い血飛沫を飛び退ることで避け、地面を蹴って再度向かう。
「逝きな!」
「ッ!」
同時に龍仁が大剣を振るった。首と胴、それぞれを切り裂かれた魔犬が自身の血だまりへと落ちる。
は、と短い呼気を吐いて全員が周囲を伺った。
辺りはシンと静まりかえっている。
「これだけか?」
「……この場では、他に出てきそうな感じじゃあないねぇ……」
龍仁の声にジーナが答えた。
もし十匹前後という報告の通りなら、残り五匹程度がいるはずだ。別れての挟み撃ちも一瞬警戒したのだが、どうやら今すぐに襲いかかってくるような状態では無いらしい。
そっと肩の力を抜くと、ジーナは周囲を見渡し、少し離れた木へと歩み寄って「ぷしーっ」と香水を吹き付けた。
「……なんだ?」
「まぁ、マーキングみたいな感じかしら」
言って方角を確認するのを見るに、どうやら村から一直線の場所に匂いで印をつけているらしい。戦っているうちに道から外れたことに気づいて、Rehniが自身のもつ治癒術を活性化させながらジーナへと駆け寄った。
「それよりも、回復なのですよ」
「あっ。と、ありがとねぇ」
ヒールにより一気に軽減した左腕の痛みに、ジーナは笑顔で礼を言った。
「女の人なのですから、傷には気をつけないといけないのです。破傷風になるかもしれないのですよ?」
「傭兵やってた頃は、この程度日常茶飯事だったからねぇ……。ん。肝に銘じておくよ」
皮膚の様子や具合を確かめて、二人でくすくす笑い合った。
「それじゃあ、ほうこうしてみるね!」
「よろしくお願いします、なのですよ」
全員が陣形を整えたところでチコリが大きく息を吸い込み、その小柄な体から出たとは思えない恐ろしい咆吼を迸らせた。
「……この辺りにはいないな」
生命探知で周辺を探した龍仁の声に、千鶴が頷く。
「なら、先に進もか。もっと奥におるんかもしれんし」
「異論、ない」
頷き、ユウがちょこんとジーナの隣に立つ。一緒に歩き出す二人に、背後を守るように龍仁が続き、機動力のある千鶴が前に走り、Rehniとチコリがジーナとは逆側についた。
魔犬の第一の狙いは、防御力の低い者。なら、次も狙ってくる可能性はある。
一行は警戒しながら先を進み、範囲外にさしかかるごとに生命探知で周辺を探った。
「さすがにここまで来ると道もあって無いようなものだわねぇ」
奥に分け入ることしばし、今まで曲がり無きにも続いていた獣道が、遂に無くなってしまった。木が生い茂ってるせいで草の丈こそさほどでもないが、それでも足下は草で覆われてしまっている。
──と、
「……ち?」
地面を見ていたチコリがぽつりと呟いた。
慌ててそちらに視線を向ける。座り込んだチコリがそれを見えやすいように示した。
草についた、赤茶けた雫──血痕だ。
「この先に居るのか……!」
「さいごのほうこう、いくの!」
周囲を圧し咆吼の余韻が消えるより早く、Rehniが生命探知を開始する。
叫んだ。
「右から!」
声と同時に藪を突き破る音が響いた。距離はまだある。咆吼で引き寄せられたのか、向かってきているのは──一匹!
「! 囮なのです!? 左後方に新手、四匹!」
龍仁、そして千鶴が四匹の方へ向く。
「こっちはひきうけるの!」
「任せる!」
一匹の方にチコリが走り、ユウが束縛の手を呼び出す。
同時に龍仁が四匹へとコメットを解き放った。
ユウの束縛が魔犬の足を捉える。踏み込むチコリ。銀の軌跡を描く蹴撃が真犬の顔面をとらえた。
「ギャウ!」
「一気に攻める! 援護を頼む!」
「了解!」
天から降り注ぐ無数の彗星に穿たれ、三匹が突撃の勢いを殺された。だが一匹、上手くかわわした魔犬が隙を狙うようにしてユウに迫る!
「やらせると思っとるん?」
刹那、敵愾心を一気に煽る技で魔犬の軌道が強制的に変えられた。血走った目で突撃してくる魔犬を冷ややかに見つめて千鶴は笑う。
「当てれるものならやってみ!」
鋭い爪が空を掻いた。半円を描くようにして体を入れ替えた千鶴の手に忍刀が光る!
「左ががら空きや!」
切り裂き、もう一度立ち位置を入れ替えた。
かわりに立つのは──龍仁!
振り下ろす刃に星の輝きが宿った。光の恩寵を集めた刃は冥魔にとって劇薬にも等しい。
一刀に切り伏せられた魔犬が地に倒れた。形勢を立て直した三匹がそれぞれの牙を剥き、鋭い爪を振るう。攻撃を受けたことで標的を変えたのか、三匹ともが龍仁を狙った。
「強羅さん!」
「ぐぉっ!?」
「そこまでなのです!」
攻撃し、一旦距離をとった魔犬にRehniが指をさし示す。
「墜ちなさい!」
号令と同時、上空に展開していた彗星が一気に降り注いだ。時間差攻撃を食らったようなものだ。そこへ範囲攻撃に切り替えた千鶴が追撃をかける!
「遠慮はいらん。喰らっとき!」
アウルで呼び出された土が体の大部分を失った魔犬にトドメをさした。
その右側でも決着がつきつつあった。
束縛を打ち破って突進する牙をジーナの盾が防ぐ。力を溜めたチコリが体を滑り込ませた。
「やぁああッ!」
──発勁──
アウルを一点集中することで衝撃を貫通させる技。直線において背後の敵にも衝撃を通す技が魔犬の胴を吹き飛ばした。
そこへ六花護符を構えたユウが最後のトドメをさす。
「終わり、なの」
雪の如き白光が、魔犬の体に直撃した。
●
「報告の通りなら、敵はこれで終了、やね」
返り血を拭い、千鶴が静かに呟く。
「ちょっとくらくなってきたの」
「あ、ナイトビジョンありますよ。借りるです?」
「ありがとー! かりるのですー!」
チコリがRehniに借りている間に、他の面々もそれぞれの装備や麓で借り受けたヘッドライトを取り出した。
「生き残りがいるかもしれないし。……奥、行ってもいいかい?」
「当然!」
依頼としては完了している。だが、そもそも六人が集まったのはただ敵を倒すという目的のためではない。
誰かがいるかもしれない。
助けられるかもしれない。
その思いを抱えて集まったのだ。否などあろうはずがなかった。
「奥に向かってた、というのも、生き残りを探してのことだった、という可能性が高まったしな」
ナイトビジョンを装備して龍仁が力強く頷く。
「これだけ鬱蒼としてると、光も入りにくくなるねぇ」
歩き出しながら、同じくナイトビジョンを装備したジーナがぼやいた。
「とりあえず、生命探知を使いながら行くか……っと、残りあるか?」
「私はあと一回だわねぇ」
「私は、さっきので使い切ってしまったですよ……」
「む。俺も使い切ってるな……。ということは、ジーナの一回でラストか」
三人は顔を見合わせると、奥へと視線を馳せ、ざかざかと大股で歩きはじめた。無駄打ちはしていなかったのだが、やはり範囲が広大すぎたのだ。
「せめてこれでひっかかってくれれば……!」
戦闘地から離れ、ジーナは意識の網を広げる。遠くへ。遠くへ。
(もっと……!)
術射を中心にして歪な円を描くかのような形で広がる巨大な意識網。全長五センチ以上であればどんな生命をも網羅する網を限界まで広げ──
(……え?)
ジーナは恐ろしい勢いでそちらを振り仰ぐ。
「!? いたのか!?」
ナイトビジョンがなければ、彼女が大きく目を瞠っていたことがわかっただろう。だが、わからずとも異変は察せられた。同じ方向を見た面々は思わず目を瞠る。
「……ひかり?」
「肉眼でも、見える」
「なにか……が、いたわ」
「生き残りか!」
頷き、走り出しながら龍仁は眉をひそめた。ただ生命反応を察知しただけというには、先程のジーナの反応が不思議だったのだ。
そして、その方向に見えるもの──
(なんやろ……あの光)
走りながら千鶴は首を傾げる。
未だ沈みきらぬ日が光を投げる木々の下、ほんの僅か、下から木漏れ日が逆に溢れているかのような輝きが見えるのだ。決して強い光ではない。むしろ、幻のように淡い光。
──普段であれば、見過ごしてしまいそうなほどの。
「……なんだか、ほわほわしたひかりなの」
走りながらチコリが小さく呟いた。
ほどなくして六人は其処へと到着する。
──光の花咲く箱庭に。
●
最初に見えたのは家族の顔だった。
(え……)
淡い光の中に在る懐かしい記憶。一般人の頃の暖かな──家族の姿。
「子供……!?」
龍仁の叫びに千鶴はハッとなって息を止めた。
(なんや……今の)
ほんの半瞬にも満たない時間、確かに何かが自分の目の前に広がっていた。それは決して不快なものではなく、むしろ切ないぐらいに優しいものではあったけれど。
「怪我……」
「!」
ユウの呟きに、三人が走った。
淡く光る花園へと躊躇一つ無く走り込む。
「絶対に、死なせないぞ……!」
「助けてみせる……!」
うずくまるようにして眠る幼子に癒しの力を送り込む。外傷が塞がっていくのを見て、チコリが息を吐いた。いつの間にか握り拳を胸の前でつくっていた。
「宇田川さん!」
傷の塞がった幼子を抱き上げ、ジーナが千鶴を呼ぶ。このメンバーの中で最速を誇るのは千鶴だ。
「任せ!」
「お願い!」
手渡された小さな体は、恐ろしいほどに軽かった。
(出血が……)
多すぎるのだ。
一刻を争う容態に、千鶴は子供をしっかりと抱きしめ──
「……ぁ」
皆が気づいた。
その幼子が胸に抱くものに。
淡く輝く金色の羽毛だった。
●
千鶴と万が一の護衛を兼ねたジーナが全力疾走で駆け去った場所で、四人は立ちつくしていた。
「……あの、羽根」
ぽつりとRehniが呟く。
「てんし……?」
チコリが受け継いで囁く。
鳥の羽根にしてはあまりにも大きく、まして光を纏うもの。
話には聞く。学園に寄せられる依頼の中でも、時折、そういったものが確認されたことはあるのだ。
──天使の羽根。
それが、何故、あの子供の手に握られていたのだろうか。こんな山の中で、あんな傷を負って、あれほど近くにディアボロが群れていたというのに──こんな花の中で。
「魔は、奥へ向かっていた」
きっと、それはあの幼い子供を狙ってのこと。
「でも、辿りつけない……理由、は……」
ユウの呟きは途中で虚空に溶けた。
花が揺れる。
光の花。まるで守るように幼い少女を中心に咲き乱れていたそれが、ゆらりゆらりと揺れながら外側の分からゆっくりと姿を消し始める。
「……あ」
レフニーは膝をつき、その花に手を伸ばした。
けれど触れられない。
そこにあるのに。ここにあるのに。
決して触れることのない淡い優しい輝き。
「……天使が、いたのです……?」
こんな風に、幻のように儚く、けれどそっと子供を守ってくれるような天使が。
「……会いたかったのですよ……」
「この、時々視界をかすめるようなのは……幻覚? 何かの力か?」
龍仁が軽く頭を振って花から目を逸らす。
徐々に端から消えていく花を見つけていると、ふいに何かとても大切な、優しくて暖かいものが目の前を過ぎるのだ。
「……きれーなの」
ゆっくりと消えていく花の上にしゃがんで、チコリはそっとその花弁を撫でた。……実際には手には何の感触もないけれど。
「……ありがとうなの」
光が消えていく。
そこにあったことそのものが幻のように。
「……です」
小さく頷いて、Rehniも花にそっと言葉を添えた。
「……子供を護ってくれていたのですね。ありがとうございましたよ」
夕闇に沈もうとする木々が勢いよく後ろへと流れる。
(どういうことや?)
千鶴は走っていた。その足は通常の全力疾走では説明がつかないほどに速い。
──速疾鬼/羅刹──
その韋駄天の如き俊足。それを加えられたからこその神速。
(この金の羽毛……以前見たのと同じや)
その時、千鶴はその羽根を手にした少女と話をしたことがある。
使徒に誘われた少女だった。
誘った使徒の名はレヴィ。
つい先だって直接相まみえ、その力の一端を味わった相手──
(なんでここで、あの羽根が出てくるん……?)
ここに居たのだろうか。だがそれは──『どちら』が?
千鶴は眼差しをわずかに伏せる。
思い出す。刃を交えた時に聞こえた声を。
一つは低い男の声。
もう一つは、例えようもなく美しい女の声。
(……私は)
もし会っていたのなら、自分はどうしただろうか。
「……」
腕の中の幼女が何かを呟く。あまりにも小さすぎて声は聞こえなかったけれど、それは母を呼ぶ声だったように思えた。
(生き残り……)
千鶴は唇を引き結ぶ。
村は壊滅していた。生き残りの話は他に聞かなかった。人として人の世に留まるには辛い現実が待っているかもしれない。
けれど─
(親が生きても生きてなくても……)
例え、辛い現実があっても、
(人として生きる権利を捨てさせる訳にはいかんよね……)
ふと光る花を見た時に脳裏を過ぎった光景を思い出した。とても大切な記憶。
(……それだけは……いかんよね……?)
千鶴はひたすら暗青色に落ちた世界を駆ける。
その足を導くように、足元さえ分からない薄闇の中、ジーナのつけていた香水の香りが真っ直ぐに村へと誘っていた。
(あれは……何だったのかしら……)
駆ける千鶴の後を追いながら、ジーナは言う暇の無かった言葉を頭の中で反芻していた。
生命探知で捕捉した時、二人分の命をあそこで感じた気がしたのだ。
それはわずか一瞬のことだったけれど。
(……二人、いたのなら……)
なら、なぜそのうちの一人は即座に消えてしまったのだろうか。まるで範囲外にするりと逃げるようにいなくなってしまったのだろうか。そして振り仰いだときに一瞬見えた光景。
淡く光る柱のような軌跡。
(光る花……)
それは他の仲間が抱いたのと同じ疑問。
(誰かいた……?)
それは仲間達が抱いたのと同じ確信。
(守っててくれたのかい……?)
だが、それに答えられる者はいない。
○
太陽が西の山間に消えるのを女は木の上から眺めていた。
月すらも霞み、太陽すらも光を恥じるほどの美しい女だった。
その背には淡く輝く優雅な翼が生えている。
──撃退士、か……
ほんのつい先程まで自分が居た場所に、四人の人間がいた。徐々に力を失い消滅していく幻灯花をまるで大切な宝物のように見つめ、礼を述べるのを聞いた。
自分に届くなどと、知りうるはずもないのに。
大天使ルスはその眼差しを遠くへと馳せる。山を凄まじい勢いで駆け下りていく二つの命。その腕に抱かれた、幼い人の子。
……間に合うであろうよ。
懸命に駆ける二人の娘に、静かにそう語りかける。瞳の憂愁はそのままに、その唇には淡い微笑が浮かんでいた。
人の手に稚い娘は帰った。人の世に帰ったのだ。
──人で在れるうちは、人で在れ……か
そうして視線を地表へと向ける。
何時の間にそこに現れていたのか。自分の使徒が恭しくこちらに一礼していた。
ルスは眼差しを細める。
そう、人で在れるのなら、人のままで在ればいいのだ。
……人で在ることすら、許されなかったものもいるのだから。せめて。
……いきなさい
人として。
人の世界で。
●
「子供は無事、か」
病院からの結果を受け、対応にあたった生徒達への報告書を纏めながら少女はほっと息を吐いた。
悲惨な事件の中で、唯一生き残った少女。これからの生活を思えば決して諸手を挙げて喜ぶことなどできないだろうが。それでも──
「……生きていれば、きっと……」
きっと、幸せになれる時だってくるだろう。
人として、人であるからこそ、人であるがために得られる喜びもまた、世界には多くあるのだから。
少女は事件のファイルに数枚の写真とレポートを入れながら席を立つ。
開けっ放しのファイルの中、二つの文字が赤いラインで引かれていた。
天使の羽根。
そして、
虫籠のヴァニタスが襲撃せし村。
──と。