前髪をそよがせる風に、暮居 凪(
ja0503)は目を細めた。
(……テーマパーク。娯楽の場。サーカス――道化――猫)
ふと浮かぶいつかの悪魔達。
「いえ、今は目の前に集中しないとね」
呼び集められたのはとある天使の監視。エル・デュ・クラージュ――かつて四国を騒がせた騎士の従士。
「変装を相手がしているのなら、多少は服に気を使うべきね」
そんな凪が選んだのは、黒スラックスとドレスシャツ。一般人として一般に交わる時のチョイスだ。
「女性はそういう着替えが多彩だな」
その様に戸蔵 悠市(
jb5251)は感心した。
「あら。なら、選んであげてもいいわよ? この時期でなければゴシックも考えるところだけれど――そうね」
感心するんじゃなかった。
「ゴシックは勘弁してく…」
「まず、コレね」
どびらぁっ、と高襟・肩肘諸々がフリル満載なドレスに、悠市は思わず顔をひきつらせた。
「いや、このフリルの量ではあまり変わらないな!?」
「後は化粧よ。濃い化粧も問題だけれど、多少は乗せておかないとね」
「け、化粧もしなければいけないのか!?」
「肌もきれいな方だから、整える程度ね。よし、大丈夫――可愛いわよ」
髪まで編み込みアレンジされて、凪の力作が完成した。
「…おじさんが若い女性をじろじろ見ていると思われるよりはまだ、マシだ…」
がっくりと項垂れる悠市に、そよ風が笑うようにしてスカートの裾ピラリ。
「じゃあ、行きましょうか」
晴れやかに笑って凪が言う。
男、悠市。アラタナルセカイへの第一歩だった。
●
パーク。その一角。
「ああ、あの威勢のいい従士か。特徴を全く消さぬ変装というのもあるのだな」
くつくつと愉悦交じりの笑みを浮かべ、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は遠目に見える相手を観察する。最大の特徴を消していないのは致命的だ。
別地点から同じ相手を観察する霧島イザヤ(
jb5262)は、その特徴に思いを馳せた。
(カミツレの花飾りでバレるあたり、ツメ甘いっつーか…よっぽど大事なモンなんだろうな)
敵ではあるが、他人の大事な物は大切にしなければならない。
(…でも俺口悪ぃからな…喧嘩売らねェよーにしねーと他の連中に顔向けできねぇや)
「上手くやれるといいな…」
「まったくだ…」
同じく相手を観察していた久遠 仁刀(
ja2464)もまた、痛む胃を服の上からそっと押さえる。
(色んな意味で嫌な予感はするが、騒ぎが起こらないよう立ち回ろう)
何しろここには他にも従士が居る。連動すればどれ程の騒ぎになるか。
「困難を乗り切るならば、やはりコレだな」
うんうんと頷き、大炊御門 菫(
ja0436)はそんな男二人にプロテイン飲料を渡した。
『……』
「気分転換も必要だ。さぁ、行くとするか」
『あ、ハイ』
黍団子ならぬプロテインで二人がお供に。菫に続いて歩きつつ、ちぅー、とドリンクを飲む二人がエルの方を見て吹き出しかけた。
「そこな従士よ。久しいな。元気そうで何よりだ」
フィオナである。
「貴様の監視という依頼を受けてな。暴れる気が無いのなら付き合え。武力行使以外の目的があるなら最大限考慮もしよう」
(過去の報告書ーッ!)
仁刀が思わず咳き込みながら顔を覆った。
かつてエルにとって最愛ともいえる少年を拉致しようとした一件――それを知る者は多い。まさか堂々と真正面から声掛けに行くとは――いや、わりと予想してた。
(下手に攻撃的な言葉はかけないと思うが…!)
フィオナも一団体を率いる者、平時と戦時の切り替え等には信をおいても大丈夫だろう。心配されるのはエルの堪忍袋だ。
場に合い、拍子抜けさせられる切り出し方。そう、思わずガクッとくるような――
(…ナンパか、初挑戦だな)
仁刀、只今テンパってます。
ザワッと一瞬溢れた殺気のまま、エルは無言で冷ややかな目を向け――
「そこの女子! よければ一緒に何か――」
「プロテイン」
「そうプロテインでも飲まないか!?」
菫の洗脳(訂正)教育を受けて走りこんだ仁刀に思わず瞬きした。
「いや、ともかくこういう場所で一人の客は珍しい。悪目立ちはしたくないんじゃないか? そちらの容姿なら本当にナンパもされかねんし」
「一人で尾行してるから目立っちまうんだろーし、皆で動かねぇか? 」
仁刀をフォローする為にイザヤもまた声を重ねる。
「別にあんたの邪魔はしねぇよ。向こうの連中と一緒に、兄貴見張ろうぜ。心配なんだろ?」
向こうの、と言われてエルは気づいた。――シスの所にも撃退士。
一瞬、エルの口元に薄い笑みが浮かぶが、一瞬すぎて遠くから監視している凪達にすら気づかれなかった。
この通り非武装だ、と言われ、エルは目を細める。
「で? 何。あんた達につきあう義理はあたしには無いわよ」
殺気を消したエルに、菫は無言で握った拳を差し出す。広げたそこにあるのは、魔具のヒヒイロカネだ。
「私には、コレしか出来ないんだが…すまない」
今度こそエルは盛大にため息を落とした。菫の手を相手側へと掌で押す。
「魂を預けようって武人に、信を返せないようなら騎士に連なる者の恥だわ。時と場合によるけどね」
(嗚呼)
その言葉に菫は目を眇めた。
(まさしく…彼の従士)
覚えている。手に入れたこちらの魂を同じようにして返してくれた漢を。
だからこそ胸に走る痛みを堪えた。エルの顔色にある翳りが何であるか分かるから。
(鏡、だな)
それはこちらの全てを写すものだ。どうしようもないほどに。
菫は軽く頭を振ると、スッと自身の分でもあったドリンクを差し出した。
「何コレ」
「プロテインだ。飲むといい。疲労回復、高血圧症、動脈硬化症、切り傷、火傷等等…飲んで良し、塗ってよしの『ばんのうふんまつ』だ」
「敵地で敵から施されるものに…」
言いかけ、エルは一瞬押し黙った。ふて腐れたように息を吐く。
「…あんたらって何でそう食べ物とか渡しにくるんだか… わ、悪くないじゃない?」
「気に入ったなら発送しよう。連絡先とかは…無いんだろうか? なんだったら彼等にも飲ませるといい、きっと男前になるぞ」
その遣り取りにフィオナは面白そうに片眉を上げる。
「まぁ、いいわ。ここで何かやったらソールの馬鹿に嫌味言われるし。あんた達の『依頼』とやらに、付き合ってあげる」
言葉は高飛車だが、ドリンクをちぅちぅ飲む姿は小動物のソレだ。
「そうか」
「ならば、後は簡単だ」
フィオナと菫の声に、エルは不可解げに眉根を寄せる。イザヤが携帯を駆使し、パンフを持つ仁刀と共にデータをはじき出して菫に渡した。
「スカイでチケット。コースターで待機がベストだ」
「よし。行くぞ!」
「は!?」
わしっと手を掴まれたエルが目を剥く。
「分からないのか…?!ここは戦場だぞ!」
全力移動にエルが思わず声をあげた。
「ちょ!?ちゃんとエスコートしなかったら、承知しないんだからーッ!」
●
一方その頃、遊び倒している五人をそっと伺う怪しい影がいた。
「カミツレの花…花言葉は「逆境に耐える」だったか。まあ、天界に花言葉が浸透しているとも思えん。誰かからの贈り物と考えるのが自然だろうな …くっ、この格好では何を言っても締まらん…!」
悠市、もとい大型ロリータファッションドレスの悠子である。
「頑張りなさい」
そんな悠市に凪が慈悲深い微笑みでグッドラック。あっお姉様待って!置いてかないで!
あっさり別地からの監視に戻った相手に悠子ひとりホロリ。いいの悠子強い子頑張る子。女装のせいでペルソナ生み出されそうな勢いだ。
気を取り直し、彼女達に目を向けた所で眉が寄る。
幽霊屋敷を遠目に、大モメにモメている五人がそこにいた。
「建物の中に入ったら監視できないじゃない!」
「悪い…流石に想定外だ」
どうやら屋敷内に入ったシスを追い、幽霊屋敷に突撃しようというらしい。ソール側からも「私が行く」との連絡が入る始末。
「ソールは絶対入っちゃ駄目!」
何故かエルが阻止。代わりにキッと眦を釣り上げた。
「そこの元魔法少女と男子! 外頼むわ」
「なんで知ってるんだよ!?」
「大規模戦闘時のアレのせいじゃないか?」
顔を覆うイザヤの肩を仁刀がポン。
「あと、そこの金ピカ!」
「ほう。誰のことかな」
「あんた以外にいないでしょ!? それとプロテイン!」
「?」
ニヤと笑うフィオナの横で周囲を見渡す菫に「あんたでしょ!?」とエルが地団駄。
「行くわよ!」
女だけで突撃する三人を見送って残った二人は顔を見合わせる。
「外、見張っておきますか…ん?」
「頼まれたのはいい傾向、か…ん?」
フォローに動く二人の目が、その時、慌てて走り寄って来ていた悠子に向けられる。
三人の世界が一瞬、神様が通るレベルで止まったのはここだけの話である。
●
シス班を見張ることしばし。エルはふて腐れた声で言った。
「言っとくけど、あの件を流すわけじゃないからね」
「我は貴様の感情を否定はせぬ。だが…幾万の民が貴様等に対して同じ感情を抱いていることは心に刻め」
「当たり前でしょ」
「その上で尚、我が許せぬというならいつでも来い。相手をしてやる。…ただし、今日は無しだ」
フィオナは静かな口調で告げた。
「ゴライアス、バルシーク、エクセリオ…彼らの死は戦場の倣いだ。武を交える以上、起こりえぬ結末ではなかったのだからな」
エルは鼻を鳴らした。
「馬鹿にされたものね。戦時と平時をない交ぜにするとでも? しかもなんで団長をそこに入れないのよ」
薄い微苦笑を浮かべて、フィオナは肩をすくめる。
「ああ、そうだな。学園が殺した。我もな、手繰れる糸が切れたのだ。我の目論見、絵図面の変更を強いられることとなった。…少なくとも、四国において共存を図るという試みがな」
声にエルは深い嘆息を落とす。
「もしあんたが敵をも味方に引き込むほどの力を得たいなら、さっき自分が言った言葉を熟考することね。怒りや憎しみは戦いの原点の一つ。戦場の理を超えるもの。『戦場だから』が通じない世界だわ。ソレを忘れた行いの先にあるのは、泥沼の戦いでしかない。結局、最後の最後に存在を動かすのは己の心なんだから」
トンとフィオナの心臓の上に指を突きつけ、エルは薄く笑む。
「忘れない事ね。……でも、真正直なとこ、嫌いじゃないわ」
(大きな流れを変えない限り――私に似た誰かが、彼女と同じ天魔を殺す)
フィオナとの会話を聞きながら、菫は目を細めた。
変え損なった。
あの日、あの時に。望んだ未来を掴もうとしながら、空をきった手に残されたのが今という現実。
(私は彼女ではない。彼女が負った痛みも嘆息も総て彼女の物だ)
義父を失ったことも。何もかも。
話せば分かる、など傲慢だ。言えば壊れる事もある。同時に、言って伝わらない事も。
――なら何が出来る?
今、上辺だけ取り繕おうと…当たり障りのない何かを考えようとしているのは、正しい事だろうか?
(違う。これでは、駄目だ)
だが、分からない。誰かに接する時の――こういう時の、正解は、何だ。
押し黙り進む菫は気付かない。一瞬エルが振り返り、少しだけ気遣わしげな顔をしたことに。
短い嘆息を零す菫を戸口に留まった鳥が見ていた。
●
屋敷を出てすぐ、目に入った悠市にエルは遠い目になった。隣のフィオナは常の表情のままでいるが、心の中では大爆笑である。
「せめてツッコミをくれ…!」
女性陣に静かに見つめられた悠市が顔を覆ってしまったのは仕方のないことだろう。
「金ピカの趣味?」
「いや?」
渾身の努力で爆笑を堪えているフィオナの声がややビブラート。
「…これには深い事情がある…あまり触れないでくれると有難い」
「はぁ」
悠市の沈んだ声に呆れ声を返し、エルは嘆息をつく。
「まぁ、いいわ。プロテイン、あれ、どうやって買うの?」
あれ、って指さされたのは移動型の屋台だ。
「手伝おう。ところで、プロテインは私の名前じゃないが」
「じゃあ、プロテイン☆プロテイン。…この値段って高いのか安いのか謎ね」
「待て。盛大にカロリー消費したのならプロテインだろう」
嗚呼、プロテイン☆プロテイン。
キリッとした顔の菫に、エルはハイとヤキソバを渡す。次いで仁刀達にも。
「人間ってお腹すいたら元気なくなって、ご飯食べたら元気になるんでしょ? あげるわ。ナンパもされちゃったしね」
言われてやや狼狽える仁刀にニヤッと。
悠市はしばし手の中のそれを眺め、口を開いた。
「かつて私はゴライアス氏に 言われたことがある」
我等『先陣を切る者』は、己が姿で背に負う子等にそれを示すが、それは『先人』の役目故の事
「エル。貴方は彼の背に何を読み取った?」
「全て」
エルの答えは揺るぎない。
「いつだってそう。親ってそういうものでしょ」
「…そうか」
悠市は目を伏せる。
覚えている。頭に載せられた大きな手の感触を。この年になって頭を撫でられた戸惑いも。
大きな男だった。敵ながら尊敬に値するとさえ思う程に。
もし彼が後を託した者が『迷子』なら、彼の見ていたものの大きさを思い出させてやりたいと思ったのだ。あの手のぬくもりへの返礼として。
だが、
(継いでいるのか)
悠市は淡く笑む。
彼の娘は、真実、娘なのだ。
●
土産物屋を冷かしている仁刀達を見ながらイザヤはエルに声をかけた。
「いい兄貴だよな。仲間思いで。あれで男気もありそうだしな」
「あ、当ったり前でしょ」
「なぁあんた、今度は兄貴抜きで来ないか? あんたとあんたの親父さんに縁のある人に会って欲しいんだ。従士じゃなくあんた個人…娘の一人として」
エルの目が大きく見開かれた。
思い返せば、イザヤの行動は一貫していた。どれだけ手助けされていたことだろう。ならば、その行動に対して応えなければ嘘だ。
「考えておくわ」
小さなメモを手に。開き、イザヤはニッと笑んだ。
「『了解』」
「――ちょっといいかしら? 連れが来れなくなってしまって。一人で乗るのも寂しいから付き合ってほしいのだけれど」
チケットを片手にそう凪が声をかけたのは、皆と分かれたエルが一人になった時だった。
エルは「やっと出てきたわね」と嘆息をつく。視線をずっと感じていたのだ。ソールには及ばないが、エルの索敵範囲も広い。
あんたの分よ、と渡されたヤキソバに、凪は一瞬目を丸くした。次いでくすりと笑う。一個ずっと持ってると思ったが、自分の分だったとは。
遊具にひとしきり乗り、下りた所で大きく伸びをする。
「立場も、思いも。忘れられるのは一時だけね。でもそれが大事なのでしょう」
自分を忘れられる時と場所は少ない。戦いに身を置く者であれば、尚更に。
「――次はどこであえるかしら」
戦場か、否か。
いずれ時が連れてくる未来に思いを馳せ、凪は笑う。
今日と言う日の結果、思いもよらぬ未来が引き寄せられようとしていることを、この時の彼女達はまだ知らない。
空を往く鳥がただ地上の全てを見ていた。