●廃病院へ行く前に……
「全く、天魔が出るかもしれん心霊スポットにのこのこ出かけるとは安全管理がなっとらん!」
戸上良助が駆け込んだ交番の中……ここでかの少年は、美具 フランカー 29世(
jb3882)に説教されていた。戸上は床の上で正座し、反省の意を示している。
「うう……すいません」
見た目同い年の少女に正座させられ説教され、情けないやら恥ずかしいやらで戸上は顔を俯ける。
「……少々よいか?」
それを見かねたのか、雪風 時雨(
jb1445)が助け舟を出す。
「写真を撮ったと言うたな? 見せてもらってもよかろうか」
「は、はい」
戸上は自分のスマホを渡し、時雨は写真を見た。手ブレが酷いが、何とか顔のような物が写っているのがわかる。……その映像に映る顔は、ただの汚れにしては妙に生々しい気がした。
「他に鉄パイプの血も調査済みかな?」
これは警察に向けた言葉である。警官は「鑑識結果が出るまで最低でも半日はかかるでしょう」と答えた。
「そうか、至急頼む」
「――で、だ。良介殿」
美具が厳しい目で、戸上に真剣な表情を向ける。
「先の話を踏まえた上で聞くのじゃ。『来る』か? 『来ない』か?」
「……お、俺は」
戸上は言葉を詰まらせながら言う。
「もし天魔の仕業だったなら俺は何も出来ないです。邪魔になるだけなら……行きません」
戸上は再び床に座り、地に頭をつける。
「あいつらの事、頼みます!」
「――顔を上げて下さい」
鈴代 征治(
ja1305)が戸上に手を差し伸べた。
「相手が幽霊だけならまだしも、天魔だったらその場で危険なのでもう肝試しは止めて下さいね……約束してくれるなら、僕達も真相解明と、二人を助けると約束します」
「……美具も、約束しよう。全力で二人を助けるのじゃ」
美具は少しだけ戸上の事を見直していた。彼女は戸上のことを、もっと軽薄な若者だと考えていたのだ。
戸上は立ち上がり、もう一度撃退士達に向かって頭を下げた。
――準備を終えた撃退士達は廃病院に向かって出発した。
●廃病院 病室組
通路の暗闇を光が切り裂く。懐中電灯やLEDランタン、フラッシュライト等、各自の持ち寄った照明器具の光だ。
先頭を歩くのは鳳 静矢(
ja3856)。静矢は片手に大太刀、もう片手で懐中電灯を持ち、油断なく廊下を歩いていく。
静矢は前方を見据えながら、敵について思案する。
(のっぺらぼうは……人だろう。悪戯か、操られているか、どちらにせよ恐らく天魔は一体のみ)
――コツ、コツと足音が反射する。
会話をする者はいない。
静矢と並んで先頭を歩く征治は、時おり壁に照明を近づけ、怪しいものがないか調べている。二人は203号室を通り過ぎた。
その後ろを氷雨 玲亜(
ja7293)、アイリス・レイバルド(
jb1510)が並んで続く。
(幻覚系のスキルを使う敵がいるんじゃないかしら)
そう考える玲亜は、それに対抗できるよう準備を整えて廃病院に潜入していた。
一方アイリスはというと、無表情ながらも実はこの状況を楽しんでいる。後ろから周囲を警戒――という名の観察をしながら進んでいる。廊下の隅に転がる塵芥でさえも、じっくりと眺めてから足を進める。
そして――最後尾。皆から少し離れたところをユリア(
jb2624)が歩く。
ユリアもまた玲亜と同じく幻惑系の敵を想定していた。彼女は仲間が幻惑された時に備え、後方から警戒していた。
――それにしても、臭う。
一行が通路を進む度、酸っぱい臭いと生ものが腐ったような臭いが鼻をついた。強烈な刺激臭に征治は空いた手で鼻を覆う。
そして――問題の場所まで来た。
――壁は、なかった。
「何もないだと?」
静矢はライトを表札に向ける。そこは確かに207号室だった。
「……実は僕ら、もう幻覚にかかっていたりして」
ぼそりと征治が言い、周囲にぴり、と緊張が走る。
「それはないよ」
と、アイリス。彼女は独特な中性的口調で断言した。
「実は、君達にはさっき聖なる刻印をかけたんだ。私達が集団で幻覚にかかっていたとしても、君達には真実が見えているはずだよ」
「……アイリスさん、生命探知の結果ではどうなの?」
現状を分析しようと、玲亜がアイリスにそう聞いた。
アイリスは生命探知を試みて、あらかじめ記憶していた病院の案内図を頭の中で照らし合わせる。
「……215号室に、反応が三つあるようだよ」
「まずは何があるのかを調べないとだよね。あたしが様子を見てくるよ!」
そう言って暗闇を駆けていくユリア。彼女はハイドアンドシークで闇夜に紛れ、灯りもつけずに先行する。
「――皆、早く来て!」
と、すぐにユリアの叫び声が聞こえ、一同は廊下を走る。
――215号室の中には。
人と犬の、たくさんの亡骸があった。
「……あ、ああ……」
――否、亡骸の中から呻き声が聞こえた。どうやら生きている者もいるらしい。アイリスの生命探知に引っかかったのは彼らだった。
恐らくは、ここを住処にしていたという浮浪者と野犬だろう。臭いの原因も死体からだった。
「ねえ、何があったのっ?」
ユリアが、生きている一人を起こして問い質す。
「あ、あ……」
しかしまともな返事は返ってこない。かなり衰弱している。
「確か、雪風君が救急車を待機させていましたよね。天魔もこちら側にはいないようですし、この場は彼らに任せましょう」
玲亜が冷静にそう判断を下すと同時、征治の携帯が音を鳴らした。征治はそのメールを確認し、皆にその文面を見せた。
「その雪風さんからです。――向こうに、のっぺらぼうが現れた、と」
●廃病院 外
硝子の割れる音が夜の帳を切り裂く。割れた硝子の隙間から手が差し込まれ、錆びた鍵を開けた。
窓を開け、何者かが廃病院の中へと入っていく。――時雨だった。時雨が開けた窓から美具、そしてアサニエル(
jb5431)が続く。
三人が侵入した場所は、病院の案内図では手術室の真向いの所だった。
「――とりあえず、照明確保。これで怖くないだろう?」
アサニエルが星の輝きを使用する。彼女をライトアップするように光が院内に満ち、昼間のように明るくなる。
「えーと……こっちの方から反応があるね」
続いて探るように掌を虚空に向け、アサニエルはある一点を流し見る。生命探知を使ったのだ。
「……よし、倒れている人間がいないか探すのじゃ。警戒は怠るでないぞ」
美具がヒリュウを召喚し、召喚獣にそう命じる。ヒリュウはこくんと頷き、小さな翼を動かして飛んでいく。
一方、もう一人のバハムートテイマー、時雨は召喚したスレイプニル『雷』を窓の外に待機させていた。スレイプニルは室内では大きすぎるようだった。
光の照らす血の斑点が点々と続いている。三人と一匹はそれを目印に進んでいく。
「……何か、おかしいのである」
時雨が呟いた。
血が、途中で途切れているのである。
「確かにおかしいのじゃ」
呟きに美具が同意する。
彼女は病院の案内図を事前に見ていた。そして、彼女達が入ったのは手術室の目の前なのだ。しかし、手術室があるはずのそこには壁しかない。そして血の跡もそこで途切れている。
訝しんだアサニエルは手をかざし、先ほど反応があった場所を探知し始める。生物反応は――目の前にあった。
「皆、気をつけなッ。この壁――生きているよ!」
アサニエルが叫ぶと同時、壁から顔の形をした紋様が浮かび上がる。
それは明らかにシミュラクラ現象などではない。もはや立体的に顔を形作り、壁から顔を生やした。
『オオオオォ!』
壁から生えた顔が大口を開き、大音声を上げる。びりびりと空気が震えるほどの音に、三人は思わず手で耳を覆う。
「くっ――やるのじゃ!」
美具のヒリュウが壁に攻撃を仕掛け、壁の攻撃が一時中断する。その間に美具は体勢を整えようとした時――横から殺気を感じ、その場を飛び退く。
――発砲音。美具のいた場をアウルの弾丸が着弾する。
「誰じゃっ!? ――雪風殿?」
ゆらりと時雨が立ち上がり、ぎらりと美具とアサニエルを睨む。その手には自動式拳銃。どうやらそれで美具を狙ったらしい。その眼鏡の奥にある瞳は……どろりと濁っていた。
「現れよったなのっぺらぼうめ。どこに隠れておった?」
時雨が叫ぶ。
どうやら時雨にはアサニエルと美具がのっぺらぼうに見えているらしい。時雨は二人から距離を取りながら片手でスマホを操作し、別班と連絡を取っている。『のっぺらぼうが現れた』というような内容だろう。
そうしている間にも顔を生やした壁はさらに変化していく。指、掌、腕と順々に手を構成し、同様に胴体、両足が壁から生えていく。
最終的に、壁色の人のような物が壁から突き出てきた。
傍目から見たら、コンクリートの壁を背負った人間のような滑稽な姿にも見えるだろう。けれどその異形は間違いない、天魔である。
――やはり、天魔の仕業だったのだ。
「……応急処置みたいなもんだけど……やらないよりはマシさね」
アサニエルが壁の攻撃でダメージを負った美具にヒールをかける。淡い光が美具の身体を包み、失われた細胞を再生させる。
「美具は大丈夫じゃ、かすり傷のようなもんじゃ。それより――あれをみるのじゃ」
美具が視線を向ける場所は、天魔の奥だった。天魔が擬態を解いた向こう側には手術室の扉があり、足の隙間から人が二人血を流して倒れているのが見える。戸上の友人達に間違いない。
――顔は、ちゃんとある。
恐らく、天魔の叫びには幻惑効果がある。戸上はそれにかかってしまい、友人をのっぺらぼうと思ってしまったのだろう。
「幽霊の真似事とはわりとしょっぱい天魔じゃな」
美具は吐き出すようにそう毒づく。
「すぐにでも救助したいところだけど……あのでかいのが邪魔さね。それに……」
アサニエルはちらりと時雨を見る。彼はいまだ固く銃を握りしめていた。
と、ふらりと時雨がよろめいた。
「う、我はどうしたというのだ? ……のっぺらぼうは?」
どうやら正気に戻ったらしい。撃退士には一般人ほど長い時間、幻惑の効き目はないようだ。
「――三人とも大丈夫か」
その内、静矢を筆頭に病院探索組が次々と手術室前にやってくる。
彼らは倒れている時雨と、対峙している異形の姿を見てすぐに状況を察した。すぐさま戦闘態勢に移行し、アイリスが阻霊符を展開する。
「気をつけなッ。あいつの叫びには幻惑効果があるッ!」
アサニエルが叫び、銃を握るユリアが頷く。
「わかった! ……ここの怪談は、今日で終わりだよ」
●それぞれの戦い
「ハアッ!」
静矢が大太刀を刺突の形に構え、壁の顔に向けて強襲を仕掛ける。天魔は背を向けて壁の部分でその剣を受ける。
『――――ッ!?』
しかしその太刀は壁を貫き、天魔の体力を大きく消耗させる。異形の天魔はむちゃくちゃに暴れて突き刺さった剣を抜き、返す手で鋭く伸びた爪で静矢に攻撃を仕掛ける。背に壁を背負っている割には素早い動作である。
「させないですよッ」
静矢と天魔の間に征治が割って入り、防御する。征治のヘッジホッグブレイドが天魔の腕を上に弾き、天魔に大きな隙が生まれる。
「……今ね」
「行きますっ!」
この隙を見逃さず、後衛の玲亜とユリアが波状攻撃を仕掛ける。
玲亜の『フレイムシュート』がユリアの『Hidden Moon』を覆い隠し、太陽と月のように対照的な動と静の直線が天魔へと着弾する。
『――――ッ。オォォォ!?』
今までのどの攻撃よりも天魔はもだえ苦しんでいる。魔法攻撃が弱点らしい。
その時、壁が大きく息を吸い込み、口を広げた。
「幻惑が来るよ、気を付けるんだっ」
後衛から様子を窺っていたアイリスがその気配に気付き、皆に声をかけた。行動が出来る者は天魔の周囲から距離を離す。
『――グオオオォォ!!』
天魔の叫びが大気を振るわし、撃退士達を襲った。
「立てるかい」
「ああ……もう大丈夫である」
幻惑から解き放たれた時雨は、アサニエルに肩を貸されながら自分の力で立ち上がった。
「我のことはいい……あちらを見るのである」
時雨が指差す先は手術室。いつの間にか、壁の天魔は戦闘に夢中で手術室のところから離れていた。
「今なら天魔に邪魔されずに救助できるのである」
「そうじゃな……よし、行くのじゃ」
三人と一匹は倒れている二人に駆け寄り、一人を時雨が、もう一人を美具のヒリュウが背負い、窓のところまでおぶっていく。
おぶっている間、アサニエルが頭から血を流す一般人二人にヒールをかけた。
「傷はある程度塞がったよ。……じき意識は取り戻すだろうさね」
窓の外には時雨のストレイシオンが待機している。そこまで行って彼らを運搬するというのがこの場での三人の役目だった。
「ん……うう……」
その時、背に乗せていた二人が呻き声を上げる。意識を回復したらしい。
「ご友人ら、大丈夫じゃろうか?」
「――う、うわああああ!」
美具が覗き込むと同時、彼ら二人は突然暴れ始めた。
「離せっ、離せ化け物めっ」
彼らは化け物の傍で倒れていた――ということは、幻惑を受けていてもおかしくはない。
「――電!」
時雨が窓の外の召喚獣に命じると、彼のスレイプニル――電は口を開き、超音波を発した。
「うあああ!?」
撃退士には効かないその音波は、しかし一般人には絶大な効果を発揮する。暴れていた戸上の友人らは動けなくなり、時雨はその隙に二人をロープで縛り上げる。
「おぬしら、悪く思わんでくれ。――我らは離脱するのである。後はまかせたである」
時雨は後ろで戦闘中の撃退士達に言い残し、縛り上げた二人をスレイプニルにのせ、その場から離脱した。
「――遅いよッ」
天魔が迫ってきたところを、アイリスは杖ですくうように相手の足を打ち上げる。
壁を背負った巨体が宙を反転しながら回転し、地面に倒れる。
起き上がろうとするところへアイリスが杖で押さえつけ、その隙に各人が攻撃を打ち込んでいく。
『グオオォォォ!?』
それきり、天魔は動かなくなった。
病院内に朝日が差し込む。
陽の光の下で見る幽霊の正体は、滑稽な姿の天魔そのものだった。
終わってみれば何の変哲もない、ただの天魔事件だった。
撃退士達によって救出された三人の浮浪者と戸上良助の友人二人は病院に送られ、後遺症もなく無事に退院できたそうである。
なお、後日談。
「好奇心は猫を殺す……天魔も蔓延る時代だ、十分注意をな」
「鳳殿の言う通りじゃ、お主等には思慮深さというものが欠けておる……」
戸上良助と退院した友人二人は、美具と静矢によりたっぷりとお説教をくらったのだという。