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マスター:九九人
シナリオ形態:ショート
難易度:普通
参加人数:8人
サポート:2人
リプレイ完成日時:2013/08/03


みんなの思い出



オープニング

 ぎらぎらとした太陽の熱気が、閉じた窓から部屋の中に侵入してくる。虫が入ってくるので窓は開けない、というのがルームメイトと取り決めた約束だ。
 ぶおーーという扇風機の音が、周戸潤にはまるで間の抜けた生物の鳴き声に聞こえる。
 ならば、思わず扇風機の前に立って「あ〜〜〜〜」と声を出してしまう自分はもっと間の抜けた生物なんだろうな、と思う。
 世間は、圧倒的に夏だった。

 ふと潤は、ルームメイトの松原真樹の様子を見た。真樹は潤に背を向け、ちゃぶ台に乗ったノートパソコンの画面を食い入るように見つめている。
「……まっつん、何やってんの?」
 問いかけたが返事はない。彼はイヤホンをしていた。潤の声が聞こえていないようだった。
 潤が松原の背中越しに画面を覗き込むと、萌え萌えした二次元の女の子達が動いているのが見えた。耳を澄ませば、女の子のきゃいきゃいとした声がイヤホンから漏れ出ている。
(アニメかよ……)
 潤にオタク的な知識はなかった。ごろんと寝転がり、ふぁあと欠伸を一つ。こんな暑い日は部屋でごろごろしているに限る。
 下手にエネルギーを使わず、冷たいアイスでも食って、扇風機の前で「あ〜〜〜〜」とやっているのが一番だ。
 パソコンの排熱音と扇風機の音だけが、蒸し風呂のような室内を満たしていた。暑いには暑いが、日向ぼっこのような感覚でなんだか眠くなってきた。
 扇風機の前で寝転びながら、潤はこっくりこっくりと船を漕ぎ始める。やはり休日はこんな風に過ごすに限る。
 ……そのかすかに居心地の良い昼下がりは、ルームメイト真樹の叫び声によって破られた。

「メガネ成分がたりっっっなーーーーい!!」

「うおっ、何だ何だ!?」
 うとうとしかけていた潤が突然の大声に跳ね起きた。見ると、先ほどまで大人しくゲームをしていた真樹が立ち上がり、憤りをぶつけるように地団駄を踏み鳴らしている。
「どうなってるんだよ、このアニメ! くそだ。前情報に騙された!」
「……どうした、まっつん。落ち着け、ど、どうどう……」
 暴れる真樹をどうにかなだめようと、潤が肩に手をかける。こんな狭い部屋で暴れられると暑苦しくて敵わない。
「どうしたもこうしたもないよ、じゅんじゅん! これを見てくれよ!」
 真樹がびしっと指差すのは真樹のパソコン。どれどれ、と潤が覗いてみると、主人公らしき男の子と、ヒロインらしき赤髪の女の子が今正にキスをしようとしているところだった。
「……お、おう。それで?」
「それで? じゃないんだよ! このキャラ、本当はメガネっ娘だったんだよ!」
 真樹がパソコンをかちゃかちゃと操作してアニメの公式ホームページへと画面を写す。そのページには赤髪のヒロインがメタルフレームのメガネをかけて画面のこちら側に微笑みかけていた。
「メガネっ娘がヒロインだったから俺はこのアニメを見始めたんだよ! それなのにこのクソな主人公は『お前はメガネがないほうが似合うな』なんてヒロインに言い始めて、この女もそんな言葉に乗って顔赤らめてるし……なんだこのメガネっ娘不遇時代は!?
 アニメのヒロインなんて一作品五人も六人もいるくせに、メガネっ娘なんて一人いればいい方、そしてだいたいメインヒロインの引き立て役! こんな時代は間違ってる!
 メガネ外したら美人だとかそんな設定はいらないんだよっ。純粋にメガネで可愛い女の子を俺は愛でたいんだよ!!」
 長台詞を一気に吐いた後、真樹はハアハアと肩で息をする。潤は、うわあ……と真樹の情熱的な演説に引いていた。

 というか、どうでもいい。

「メガネと聞いてとんできたわ!」
 バンッと扉を開けて入ってきたのは和装の部屋に似つかわしくない、西洋風の煌びやかなドレスを着た女性――愛染みゆんだった。
「うわっなんでお前がここに!? ここ男子寮だぞ?」
 突然すぎるみゆんの登場に潤は飛び退く。みゆんと彼らには浅からぬ因縁があった。

 それというのも――愛染みゆん。
 彼女は腐女子なのである。
 男性が二人組で歩いているとハアハアし、戦闘で汗にまみれた男達を見ると興奮する。
 そんな彼女が男二人で生活している真樹と潤に目を付けないわけがなく、度々二人の前に現れては攻防(?)を繰り広げていた。

「わたくしも思うのです。世間はメガネを軽視しすぎていると。真樹さんのその想い、わたくしもよくわかります!」
「でも女性向け二次って結構メガネ人気じゃん。あのメガネで鬼畜なゲームとか」
 真樹が口を尖らせて言う。
「んーそれでもわたくしにとっては絶対数が足りませんわ。書き分けの問題もあるかもしれませんけど、メガネ×メガネはなかなか見ないですし」
 心底どうでもいい。
 潤はそう思っていた。
 というか会話が濃すぎてまったくついていけない。ついていきたくもない。今晩の食事はどうしようかなー麺類かなー、と現実逃避気味にそんなことを考えていた。
「真樹さん、ここはわたくしと協力しませんこと? 学園生の皆さんにメガネをかけさせたいとは思いません?」
「メガネ! どういうことだ愛染?」
「こういうことです。……ごにょごにょごにょ」
 みゆんの言葉を聞いている真樹の瞳がどんどんと輝き始めて、キラキラとした光を発している。あ、これやばい空気だな、と潤は思った。
「愛染さすがだぜぇ! 天才! 俺、超協力するよ!」
「ほほほ、淑女の嗜みですことよ」
 二人はすっかり意気投合して、潤にはよくわからない奇声を上げて手を組み合わせている。もう勝手にしてほしい。
「そうと決まったら善は急げ。久遠々原の生徒全員にメガネをかけさせるぞー!」
「そうね! 行きましょう真樹さん。それに潤さんも」
「ええっ!? なんで俺もっ?」
「いいからいいから。付き合ってくれよじゅんじゅん。お前にもメガネの良さを教えてやろう!」
 真樹の「付き合ってくれよ」発言にみゆんの腐センサーが反応し、顔を赤らめて興奮している。なんかもうこの時点で残念な予感しかしない。
 服の裾を掴まれて斡旋所までの道を引きずられながら、潤はため息をついた。



 そうして後日、斡旋所に『メガネ喫茶、店員大募集! 普段コンタクトのあなたもメガネをかけてみませんか』という依頼が出された。


リプレイ本文

●準備中
 撃退士達の開店準備はつつがなく進行していた。しかし、ここである問題が発生する。

 男女比、歪じゃね?

 確かに、店員の男女比は6:2で圧倒的に男が多い。しかも女性の一人は厨房へ回ってしまう。皆は頭をひねって考えた。そして、ほぼ全員が一斉に名案を思い付いた。

 そうだ、女装だ。

 全員の視線がエレムルス・ステノフィルス(jb5292)に集まった。
「って、ちょっと待って……は、恥ずかしいですよ!」
 押し付けられたメイド服を抱え、赤面して慌てる彼の肩にぽん、と手が置かれた。
「……すまない、プライドをちょっとしまっておいてくれ」
 そう言い放ったのは凪澤 小紅(ja0266)。理知的な瞳にかけられた薄型フレームの眼鏡は彼女のクールさを十二分に引き出している。メイド服の可愛らしさは眼鏡のクールさとはアンバランスだが、それが逆に不思議な魅力を醸し出していた。
「……わかり、ました。着替えてきます」
 控室に向かうエレムルスの背中は、諦観に満ちていた。

「なあ、どの眼鏡がいいと思う?」
 千 稀世(jb6381)は机に並べた眼鏡を、鏡の前でためつすがめつしていた。
「おっこれなんかいいんじゃないか」
 横で見ていたアルフォンゾ・リヴェルティ(jb3650)が手に取ったのはレンズに黒色の入ったサングラスに近いタイプの眼鏡。
 彼はテンプルを広げて稀世の顔に近づけ、稀世は少し頭を低めてその眼鏡をかける。
「どうだ?」
「んー、却下。料理つくるのに色つきは邪魔だ」
 稀世の眼鏡選びはもう少しかかりそうだった。

「エレムさん、カワイイっ!」
 わあっと歓声の声を上げたのはヒスイ(jb6437)だった。
 控室から現れたのはメイド服に着替えたエレムルス。濃紺のワンピースに白のエプロンドレスが映え、緑色の眼を彩る黒縁眼鏡は瞳を大きく見せている。どこから見ても完璧なメイドさんがそこにはいた(※だが男だ)。
「って、嬉しくないよね。……僕はどう?」
 燕尾服を着たヒスイはその場で一回転してみせる。燕の尾状に伸びた裾と一本結した翡翠色の髪がひらひらと宙を舞う。その拍子にオッドアイの両目にかかる銀縁眼鏡がずれ、ヒスイはそれをくいっと持ち上げる。
「あ、うん……ヒスイ君は、似合ってると思うな」
 にこりと微笑む金髪眼鏡のメイドさん(※だが男だ)だった。
「そろそろ開店だ」
 小紅が号令をかけると一同は店内で整列した。チッチと時計が進み、開店時間が迫る。
 そして……。

 カラン、と鈴が鳴り一組目の来客がやってきた。

「ようこそ、レンズ越しの世界へ」
 一同の挨拶が綺麗に揃った。

●OPEN!
「すげー! 一日眼鏡DAYって書いてる!」
「今日は素晴らしい日になりそうですわ」
 依頼者、真樹とみゆんが歓声を上げる。入店前から鼻息を荒げる二人を前に、潤は溜息をついた。
(何で俺ついてきてるんだろう……)
 元気のない一人と超元気な二人は連れ立って入店する。

「ようこそ、レンズ越しの世界へ」

 三人を向かえたのはスーツ姿の桜木 真里(ja5827)。白金の髪にシルバーフレームが溶け合うように調和し、輝く笑顔を三人に向けている。カウンターには数種類の眼鏡があり、真里はそちらを指し示した。
「お客様にはこちらの眼鏡の貸し出しを行っております」
「なるほど、私達も眼鏡をかけるのですね!」
 みゆんが率先して眼鏡に手を伸ばす。
「あちらとこちらの眼鏡、どちらがよろしいでしょう?」
「そうですね……こちらなどはどうでしょう?」
 真里はみゆんの眼鏡をそっと外し、黄色のフルリム眼鏡をかけさせる。
「えっ……ふぁっ」
 みゆんのレンズにかかったほつれ毛を指先で払い、真里は微笑を浮かべる。
「よくお似合いですよ」
 真里の顔をまともに見れず、みゆんは俯く。
「わ、私はいいですから男性陣の眼鏡を見てくださいましっ」
「はぁ……」
 背中を押され、困惑しながら二人の眼鏡選びを手伝う真里。
 男三人の絡みを眺める彼女は、自分の時よりも蕩けるような表情をしていたとか。

 案内された席につくと赤フレームの眼鏡をかけた女医――ロジー・ビィ(jb6232)がやってきた。
 こういった店に慣れていない潤は、喫茶店に場違いな女医の姿にギョッとしたが真樹などは「眼鏡の女医さん! 本格的!」と両手を叩いて喜んでいた。
「少々はしゃぎすぎですお客様。他の方のご迷惑になりますので自重なさい」
 眼鏡をくいっと持ち上げ注意するロジ―。レンズが反射して表情が見えないのが迫力満点だった。
「はい、すいませんでした!」
「よろしい、こちらがおしぼりとメニューになります。ごゆるりと」
 ロジ―は颯爽と立ち去った。潤がメニューを広げて中身を見る。
「ほう、セットメニューが三つあるのか。結構本格的だな。スクエアセット、ウェリトンセット、サングラスセット……何というか」
 本当に眼鏡尽くしだな……と潤は思った。

「ところで、あの人も店員なのか?」
 潤が声を潜め、ある人物を横目に見る。
 魅力的な眼鏡男子眼鏡女子の多い店内で、潤が指す『その人物』は異彩を放っていた。

 その人物は、ゴスロリ服を着ていた。
 その人物は、黒縁眼鏡をかけていた。
 その人物は……見るからに男だった。
 そして何故か、眼鏡を全身に縫い付けていた。

「ふっふっふ、ドレスは着たし眼鏡はいつもの様に素晴らしい! さあ、眼鏡について語ろうじゃないか!」
 がばっと両手を広げる変態眼鏡……もといクインV・リヒテンシュタイン(ja8087)だった。彼の恰好は溢れんばかりの眼鏡愛と狂気に満ちている。

「すげえな、あいつ……。眼鏡に命かけてやがる……」
 クインのその姿に、同じ眼鏡変態の真樹も動揺していた。彼とはいずれ雌雄を決さなければならない時がくるかもしれない……。真樹はごくりと生唾を呑んだ。何の雌雄だ。

「ふう、結構美味かったな。あれ、お前らデザート食わないの?」
 食事を平らげた潤は、二人の様子がおかしいことに気付く。
「わかっていますわね、真樹さん」
「ああ。こんな機会滅多にない。ふっふっふ……」
 顔を突き合わせて不気味に笑う二人。嫌な予感がした。
「失礼します、眼鏡をお拭きしましょうか?」
 三人のテーブルにロジ―がやってきた。先ほどの女医服から着替えたのか、丸眼鏡にメイド服といういでたちだ。
 彼女が、最初の犠牲者だった。

「あー、てがすべったー」
 テーブルに片肘を付いて座っていた真樹が、突然(不自然に)バランスを崩した!
 手に持っていたパフェが宙を舞い、ロジ―の白銀のような髪に濃厚で乳白色をした液体(※生クリームです)が付着する。
「きゃっ」
 ロジ―はぺたんと床に尻餅を付いた。
「……どうしましょう。あの、ご主人様……」
 白いべたべたしたもの(※生クリーム)を髪から垂らすロジ―の姿に、潤は思わず赤面する。
 何を想像したかって? エリュシオンは全年齢対象なのでそういう描写は出来ません!
「やったぜ相棒。作戦通りだ!」
「ええ、やはり眼鏡には白濁色が似合いますわ!」
 昼間から最低な会話で盛り上がる二人。完全に暴走状態である。
「では、健闘を祈る」
「ミッションスタート、ですわ!」
 びしっと敬礼をしあい、二人は席を立った。
「あ、おい。お前ら何しようとしてんだよっ」
 潤の言葉を無視し、二人はどこかへと行ってしまう。さっそく嫌な予感があたったようだ。

●暴走白濁祭り!
「注文は以上でいいか? ……ああわかった。持ってくるからそこで待ってな」
 アンダーリムの眼鏡に藤色のベストを着たアルフォンゾは、尊大な態度のまま接客をしている。
 一般の店ならクビになるような態度だが、この店ならむしろそれがウケるらしい。多くの女性客が彼を狙って注文をしていた。
 そんなアルフォンゾの背後にゆらぁり、と立つ影が一つ。
「あしがもつれてころんじゃいましたわー」
 影――みゆんは、その気の抜けた演技とは真逆な力強い動作でクリームたっぷりのパフェを投擲した。
「む!」
 白い塊にアルフォンゾは反応するも、あえて彼は避けない。パフェは彼の方へ飛んでいき――。

 べちゃっ!

 アルフォンゾの左頬を汚した白濁の汁(※クリームです)はとろぉりと頬を伝い落ちた。みゆんは小さくガッツポーズする。
 彼は無言のまま親指で眼鏡をぬぐい、真っ赤な舌を伸ばして親指のクリームを舐め掬う。
「お仕置きが必要かい、お嬢さん」
 ――はぅっという恍惚とした溜息が女性客の間から漏れ聞こえた。
「……おほほ、また次の機会にですわー!」
 だっと逃げ出すみゆん。彼女が次に狙うのは、入口で接客中の真里だった。
「ちぇすとー!」
 もはや隠す気のないかけ声とともにコーンポタージュをぶちまけるみゆん(ちゃんと冷ましてあります)。しかし真里の後ろには他の客が!
「っ!」
 客をトレイで庇いつつ、真里はもろに黄濁した汁を浴びる(※コンポタ)。

 あっ、飛び散ったコンポタが全身眼鏡のクインの下にまで!
 その時、カッとクインの眼鏡が輝いた!
 輝きは瞬く間にコンポタの飛沫を巻き込み、跡形もなく消し去った。眼鏡光線という、クインのスキルである。
「ふふふ、どうだい眼鏡は便利だろう?」
 くいっと眼鏡の位置を直して哄笑を上げるクイン。その眼鏡はスキルを使い終わってもなお輝いていた。

 コンポタの汁を浴びた真里は、ふぅと溜息をしつつ、眼鏡をゆっくりとした動作で外す。
「大丈夫ですか?」
 にこりと微笑し、客にかかっていないかを確認する。眼鏡にかかったコンポタをハンカチで拭い、俯いて眼鏡を再度着用。みゆんの方へと向き直る。
「他の方にもかかってしまう可能性もありますので、どうぞ気をつけてください」
 そう言って、みゆんの指先についたコンポタを手拭いで拭いてやる真里。
「うっ優しさが良心に痛みますわ……。でも! 私はやらねばならないのですの、失礼!」
 脱兎のごとく去るみゆん。彼女の暴走はまだまだ続く。

 ――一方、フロアで騒ぎが起こっているなど知る由もない厨房。
「これ、二番にお願いしまーす……と、フロアが忙しそうだし、ボクが行こうかな」
 エレムルスは淹れた紅茶を運ぼうとしていた。その横からひょっこりとヒスイが出てくる。
「それどこの? 僕が運ぶよ。エレムさんの珈琲飲みたいなぁ……なんて、今は仕事中だもんね」
「うん、それじゃお願いね。閉店したら皆でお疲れ様会でもやろうか」
「わあ楽しみっ! それじゃあ行ってきまーす」
 ――そんな二人を、厨房の影から真樹が覗いていた。彼はくっくっと笑い、チャンスが来るのを見計らっていた。
「ただいま〜エレムさん、他に仕事はある?」
「ありがとう。これ、お願い」
 二人が会話に気を取られている隙を見て、真樹が動いた。
「二人まとめてそぉい!」
「え、何? ひゃあっ」
「うわっ」

 バシャーンッ!

 クリームたっぷりのケーキを浴びて、二人は同時に尻餅を付いた。
 エレムルスは内股でぺたんと仰向け。スカートが捲れ上がり、その内側がみえ……みえ……ない。残念!(※だがry)
「ふわっ!? ……あぁもぅ、べとべとだよ、眼鏡まで……」
 ヒスイは猫のようにごしごしと顔のクリームを掬い、舌で舐め取る。
「美味しいけどベタベタ……むぅ目にも入った」
 よっしゃー、と叫びつつ真樹は獲物を求めて奥へと向かう。

「向こうが何だか騒がしいな……」
「こっちだって忙しいんだ。俺らが構っている暇なんてないだろう」
 小紅と稀世は、二人だけで厨房を回していた。かなり忙しそうである。そんな二人を妨害しようと考える迷惑男、真樹。
 真樹は小紅の背中にそっと忍び寄り、冷蔵庫からくすねたクリームのチューブを掲げた。
「そぉい!」

 ぶちゅぶちゅッ!

 小紅は一瞬で全身を生クリームまみれにされてしまう。
「? 何をしてるんだ、ここは厨房だぞ」
 何をされたのか分かっていない小紅は首を傾げる。しかし、ばんざーい、と喜ぶ真樹を怪訝に思い、姿見で自分の姿を確認した。
「――ッ!?」
 途端、顔を真っ赤にして更衣室へ駈け出す小紅。
 彼女が何を想像したのかって? エリュシオンは全年齢ry。

「これで白いものをかけられてないのはあなただけだ、千さん!」
 びしっと指差す真樹をシカトし、稀世は眼鏡を取って額の汗を拭いながら調理を続ける。
「汗拭くのにいちいち外さないといけないとか非効率だ……」
「お前に恨みはないが、白濁にまみれてもらう!」
 チューブを片手に駆けだす真樹。――その時、稀世の姿が消えた。
「なっ!?」
「……イタズラなら向こうでやってくれ」
 稀世は真樹の後ろに回っていた。ナイトウォーカーの速さにインフィルの真樹が敵うはずなく、首を掴まれた猫のようにぽいっと投げ捨てられた。
「あ痛て、最後の最後でやられた……はっ!?」
 フロアにあぐらをかいて座る真樹だったが、いつの間にか囲まれていることに彼は気付いた。
「アナタ……何をしたか、分かってらっしゃって?」
「眼鏡、没収しますね」
「せっかくの料理を粗末にする悪い子は誰っ?」
 白濁まみれになった撃退士達だった。
「ひゃっ!? えっと、あの」
 傍らにはきゅうっと伸びたみゆんの姿が。彼女は先に『オシオキ』されてしまったらしい。
「す、すいませんでしたー! ってアーッ!」
 店内に誰かの慟哭が響いたという……。

●夕暮れ時に
「いやー楽しかった。ありがとうな、俺たちの悪ふざけに付き合ってもらって」
 閉店ぎりぎりの時間、店には三人以外の客はいなかった。一日眼鏡喫茶の店員を務めた撃退士達も、各自激務を終えた満足そうな表情を浮かべている。
「あー、ちょい。ちょっとこっちに来てくれ」
「ん、なんですの?」
 アルフォンゾに呼ばれ、みゆんは首を傾げる」
「俺の相方からあんたにプレゼントだそうだ」
「こ、これは!?」
 それは18歳未満禁制の、男性同士の愛を描いた本だった。
「ほう……これは、大変興味深いですわ……あなたの相方様は素晴らしい趣味をお持ちなのね!」
 血走った目で頁をぱらぱらとめくるみゆん。その本の一頁に、一枚の付箋が貼られてあった。
『この本を上納するので、アルフネタの本をぜひぜひ下賜くださいませ』
「わかりましたわ作者様! 私、描いてみせますとも。そう……眼鏡×眼鏡の薄い本を、ですわ!」
 眼鏡姿の撃退士達に熱い視線を送りながら宣言するみゆん。苦笑いする者もいれば何のことだかわからないと首を傾げる者もいた。

 三人が去った後、彼らの間でようやく安堵の吐息が零れた。
「思ったより大変な仕事だったねぇ……主に依頼人が」
「ヒスイ君、お疲れ様だよ。でも、大変だったけど、楽しかったね♪」
 ヒスイとエレムルスが笑い合う。
 彼らの眼鏡には夕焼け色が反射し、オレンジ色に染まっていた。
「せっかくだ。余り物でお疲れ様会でもやるか」
「ああ、いいな。それ」

 撃退士八人は夕日をバックに店の中へと帰っていく。
 彼らの眼鏡道は、まだ始まったばかりだった(続かない)。


依頼結果