●入口側
入口側から『ミラー・ワールド』に入った四人を最初に出迎えたのは、目を丸くする自分達の姿だった。
「……これがミラーハウスですか。確かにこれは迷いそうですね。……仕事ではなく遊びに来ただけだったら、頭をぶつけそうです」
きょろきょろと鏡を眺めながら鳳月 威織(
ja0339)は呟く。
「生命反応は……この鏡を挟んで向かい側に四つ。これは出口班の皆さんですね。それから。私達以外には……一つ、二つありますね。一つは天魔でしょうが、もう一つは……要救護者の方でしょうか?」
生命探知を駆使しながら、御堂・玲獅(
ja0388)は悩ましげに眉を寄せる。
情報では現れた天魔は一体…そのまま考えればもう一方の生命は人間なのだろうが、どうも腑に落ちない。ひとまず位置情報だけでも共有しようと、携帯電話で結果を出口班にも伝える。
「あっ、この鏡、マジックミラーだ! 出口の皆がいるよ!」
アルクス(
jb5121)が指差した鏡には出口側から入場した撃退士達が見える。アルクスはそちらに向かって手を振るが、向こう側からはこちらが見えていないのだろう、何の反応も返してこなかった。
「見てください! あれ!」
ユウ(
jb5639)が突然叫び声を上げた。彼女が目線の先には斜めに立て掛けられた鏡――そして、そこには不気味に笑うピエロの姿が映っていた。
ピエロはこちらに気が付くと、不気味な笑顔を翻して通路の奥へと消えた。まるで迷宮の奥へと誘っているかのような、そんな印象の笑みだった。
「……ピエロは本来他者を楽しませる存在。その姿を模し、人々の命を奪い恐怖を広げるなんて赦せません」
ユウの目に怒りの炎が灯る。
「……先に進みましょう、皆さん」
玲獅が言って、鏡に布を貼りつけていく。他の三人も同様に鏡を大きな紙や布、ポスターなどで隠していく。事前に用意した物と従業員に頼んだ物が混ざっていた。
「鏡があると迷うし、これやってれば道標にもなるしね」
一行は鏡をペタペタと覆いながら、一つ目の角を曲がる。
――その瞬間、玲獅が叫び声を上げた。
「そこ! そこに天魔が潜んでいますっ!」
声と同時、鏡の中に透過で潜んでいたピエロが躍り出て、禍々しい鎌を振るう。
「わかりました!」
その声に反応したのは威織。いち早く前方に出てケイオスドレストを展開。両腕で全身をガードする。
「――くっ」
鎌は威織の腕を切り裂き、ピエロはまた鏡の中へと潜っていった。
「――うわっととっ。びっくりしたーっ」
潜ったとほぼ同時、アルクスの真横の鏡から鎌が出現、アルクスを裂こうとする。それをアルクスは咄嗟の反射で避けた。
「気を付けてください、皆さんっ! とんでもない速度です!」
ユウが翼を展開し前衛へ向かおうとするが、狭い通路では本来の動きを発揮できない。しかし狭い空間であろうともピエロは四方八方の壁から透過し、鎌の一撃を放ってきた。
「皆さん! 作戦通り広場まで向かいましょう!」
玲獅のヒールで回復した威織がトマホークでピエロを牽制し、その隙に撃退士達は通路の奥へと駆け抜ける。目的地は広場だ。
彼らの作戦は鏡を封じながら広場まで移動することだったが、それは叶わなかった。いつどこからピエロの奇襲が来るかわからない鏡に、悠長に布を貼りつけていくことは出来ない。
彼らの道行く鏡には一斉にピエロの姿が映る。
所詮虚像に過ぎないが、たった数人でピエロの群れの只中へと走っていく彼らの姿は、火中に喜び勇んで飛び込んでいく虫を連想させた。
●出口側
「……向こうで、たたかいが始まったみたいなの」
携帯電話をハンズフリーで使えるようにしていたエルレーン・バルハザード(
ja0889)がぽつりと言った。向こうからの通話が途切れたために彼女はそれを察したらしい。
その発言に、鏡に布を張っていた撃退士達は作業を一時中断する。
「緊急事態……だろうか?」
アセリア・L・グレーデン(
jb2659)がパイルバンカーを構える。彼女は非常時には壁を撃ち抜いて道をつくりだす心積りであった。
「うーん……どうでしょう。まだ中に逃げ遅れた人が居るかもしれませんし、あちらの方々を信じて、僕らはこのまま進みませんか?」
そう言う楊 礼信(
jb3855)だったが、片腕にシールドを身構えている。敵からの奇襲に備えているようだった。
「そうだね! 行こう、礼信君!」
八角 日和(
ja4931)が鏡に張りつけた布にマジックペンで何やら書き込みながら振り向いた。アセリアがちらっと見ると、『こっち↓行き止まり!』という子供らしい文字にちょっとしたイヌのイラストを添えて書き込みがされてあった。
「ヒヨリ。これは、なんだ?」
「……えっ? あ! あうう……。えとえと! こ、これは、私、見取り図とか地図とか苦手で、こんな風に書いておけばわかりやすいかなって……」
日和が慌てて手をバタバタとやり、顔を真っ赤にする。
「そうか。上手なものだな」
アセリアは呟くように言うものの、その目は妹を見る姉のような目だった。褒められてさらに恥ずかしくなったのか、日和は両手で顔を覆いトマトのように赤い顔を隠している。
一方、エルレーンも日和のイラストに芸術欲(腐欲?)を刺激されたのか、目の前の白い布をキャンバスに見立てて┌(┌ ^o^)┐な絵を描き始める。そのキャラの一人が出口班唯一の男性、礼信に似ているのは気のせいだと思いたい。
「もうっ! 皆さん、先に進みましょうよっ!」
礼信が顔を真っ赤にして全員に呼びかける。
出口班の一行はそうやって和やかな空気のまま、しかしどこか緊張感をはらませながら迷宮の先へと進んでいった。
「……おい、皆。見ろ、あの鏡」
先頭を歩いていたアセリアが一枚の鏡に顎をしゃくる。その鏡には血飛沫が張り付いている。そしてその鏡に映るのは……倒れた人影だった。
一行がそれに駆け寄る。鏡の対面にその人影は倒れていた。片足が無く、血塗れの形相で仰向けになっている。
ライトヒールをかけようと礼信が手をかざすが、やがて静かに首を振った。
「……手遅れです。きっと、僕らがテーマパークに到着した時にはもう……」
「……人をころすような天魔なんて、私がころしてやるッ!」
エネルギーブレードの柄をぎゅっと握りしめ、エルレーンが吐き出すように言う。
そんな中、アセリアは激情に流されず、冷静に状況を分析していた。
(……入口班のレイシの連絡では、私達以外の生命は二つ。だが、ここに犠牲者が既にいる。そして……鏡の張り巡らされたこの環境……)
「グレーデンさん、何か言いました?」
傍らにいた日和がアセリアの呟きに小首を傾げる。
「いや……とにかく広場に先回りして待ち伏せよう」
一行は犠牲者の冥福を祈りつつ、先へと進んだ。
●広場での死闘
角を曲がると、とたんに場が開けた。ステンドグラスの天井からは淡い太陽光が差し込み、その光を広場にかかる鏡が四方八方に乱反射している。光で出来た幾何学模様が床に描かれ、計算され尽くした工学図形が一行の眼前に広がっていた。
先に到着した出口班の四人は分担して鏡を封じ、既にピエロと攻防を繰り広げているであろう入口班の到着を待った。
遠くで大勢が床をかける音と、武器と武器とが衝突する金属音が鳴っている。
その音は次第に大きくなり、そして……。
ガィンッという音と共に一枚の鏡が崩壊し、床を転がりながら威織が広場に現れる。
「……ふー。これは後で平謝りですね。命には換えられないという事でご容赦を」
威織の手にはパイルバンカー。彼は鏡を突き破ってショートカットをしたのだ。
威織の開けた壁から続々とアルクス、ユウ、玲獅が広場に駆け込んでくる。
最後に壁を透過してやってきたのは天魔――鎌を手に持つピエロだった。
「よおしっ反撃開始だねっ」
アルクスが体を反転。ピエロと同じような大鎌を手に持ち、ピエロへと振り下ろす。
鎌と鎌が交差し、力が拮抗する。
――瞬間、ピエロは鎌を地面に付き鎌を軸に円状に回転、宙へと飛び上がった。
「やあッ!」
ピエロが空中へ躍り出た時を狙い、闇の翼を展開したユウが円錐型の槍でピエロを一閃、薙ぎ払う。
ピエロはその一閃を鎌で受けとめ、その衝撃でさらに上空へと吹き飛ぶ。
空中で体を反転させながらピエロは天井のステンドグラスに足を着く。
ピエロはステンドグラスを足場とし、上空から垂直に地上へ突進。撃退士達に襲いかかる。
「ここでなら、思いっきり戦えるね……!」
日和がサーバルクロウを上へ向け、高速の横薙ぎを放つ。
雷速で放たれた一撃は衝撃波となり、ピエロに直撃。ピエロの顔面に横一線の消えないメイクを刻み付けた。
――しかし、日和は背後に新たなピエロが立っていることに気付いていない。
ピエロは彼女の首を断たんと鎌を振りかぶり――。
「こういう環境でほぼ同一の個体、複数で数を少なく見せる手は効果が大きい。……駒にしては知恵が回る」
そのピエロの真横から、氷のような声が聞こえる。
その声に身を翻して飛び退き、ピエロが元いた空間にパイルバンカーの一撃が叩き込まれる。
「……外したか」
声の主――アセリアは、道化らしい無駄に陽気な動作で後退するピエロを憎々しげに睨み、次の相手の動向を探る。
――一方、空中で顔を斬られたピエロはそれでも勢いを殺さずまっすぐ地上へ突進、真下にいた日和に直撃する。
「きゃあっ!」
後ろに吹き飛ばされる日和を礼信の小さな身体が受けとめる。
「――あ、ありがとう、礼信君」
「いえ、どういたしまして」
礼信はライトヒールを施し、日和の傷を癒す。
ピエロが急降下した床は抉れ、土埃が濛々と立ち込める。煙が晴れた時、そこに立っているピエロは二体だった。
「……あれ? どっちも動いてる? 鏡に映っているんじゃないの?」
アルクスの言った通り、二体のピエロは瓜二つ。鏡で左右反転したようにメイクが反転し、鎌を持つ利き手も異なっていた。しかし、片方のピエロの顔にはくっきりと傷が残っている。
――ピエロが二体同時に首を曲げ、四つの瞳が撃退士を見据える。それを受けて撃退士達も、再び武器を構えた。
仕切り直した戦闘が、再び始まる。
ピエロ達は示し合わせたかのように二手に分かれ、左右から挟み込むように挟撃を仕掛ける。そのピエロの前に飛び出したのはエルレーンだった。
「このぷりてぃーかわいいえるれーんちゃんがあいてなのッ!」
急に飛びだしてきたエルレーンに二体のピエロは急停止。対象をエルレーンへ変更して鎌を振るう。
接触する寸前、エルレーンは空蝉を発動した。ピエロ達の鎌が切り裂いたのは、残されたスクールジャケットだけだった。
鎌が交差し、ピエロ達の動きが一瞬硬直。その隙を狙い玲獅、礼信が左右へ飛び出し、審判の鎖を放つ。
傷なしのピエロはそれに気付き、味方の肩に乗り空中で反転。軽やかな身のこなしでそれを躱すが、足蹴にされたピエロは鎖を回避できない。
聖なる鎖がディアボロであるピエロの胴を縛り上げ、動きが止まる。
そこへ上体を低くして走る威織が肉迫し、ヒヒイロカネからトマホークを生成。
「はぁッ!」
最後の一歩を速度を落とさないまま床を踏み、勢いをそのままにピエロに強烈な一撃を叩きつけた。
『*%※!?』
ピエロは断末魔と共に吹き飛び、一枚の鏡に激突。割れた鏡を突き抜け通路を転がり、そのまま動かなくなった。
「……ふぅ。二枚も鏡を壊してしまいました。赦してくれますかね?」
敵を倒したばかりの威織は高揚もなく、普段の調子でそう呟いた。
――トンボを切りながら後退していく傷なしのピエロを、ユウのワイヤーが追撃する。
その攻撃をピエロは全て回避するが、ピエロは自分がいつの間にか広場の中央に誘導されているのを悟っていない。
「見事に誘われたな」
「道化は人を笑わせるのが仕事でしょ! 悪い道化には、罰をお届け!」
中央にはアセリアとアルクスが待ち構えていた。
二人のナイトウォーカーは同時に氷の夜想曲を使用。敵の動きを封じ込めにかかる。
辛くも寸前で気付いたピエロは片手を地に付き、無茶な体勢で空中へと逃れ、直撃を避けた。――そこをすかさず、エルレーンが追撃にかかる。
「くらえ、いちのたち!」
ピエロの頭部側面へ向けて剣が振るわれ、ピエロはその太刀を鎌で受けとめた。
ピエロの口が三日月形に裂け、笑いの表情を形づくる。ピエロは鎌を軸に空中で体勢を立て直す――立て直そうとしていた。
「┌(┌ ^o^)┐のたち!」
メイクの下でピエロが驚愕の表情に歪む。突如としてエルレーンの背後に┌(┌ ^o^)┐の残像が揺らめき立っていた。
┌(┌ ^o^)┐の猛進はピエロの腹に直撃し、胴を貫いた。それきり、ピエロは糸の切れた絡繰り人形のごとく、動かなくなった。
●エピローグ
「私達にもお片付けを手伝わせてください!」
日和の申し出により、撃退士達も急遽、壊れた『ミラー・ワールド』の修復作業を手伝うことになった。特に張り切っていたのは鏡を壊した威織で、彼は「気にしなくてもいいのに」と言うスタッフの言葉を振り切っていそいそと鏡の破片を片付けていった。
もっとも、彼の視線はそこら中を彷徨い、面白そうな仕掛けを見かけるとたたっと走り寄ってじっくりと観察している。手伝いをしながらも、人生初めてのミラーハウスを満喫しているようだった。
「あれぇ? ここどこでしょう?」
鏡に張った布を回収していた日和が情けない声を上げた。
方向音痴な彼女は自分で描いた布の目印と一緒に布を剥がしている内、本来の目的から明後日の方向へ辿り付いていた。
「あはは、僕たち迷っちゃったみたいだねえ」
隣にいたアルクスが笑う。迷子だいうのに彼の声に悲壮感はなく、むしろ迷子になったことに楽しさを感じているようだった。
「あっ、こんなところにいたんですか? アルクスさん、日和さん」
ぷかぷかと翼で飛んでいたユウが、行き止まりで立ち往生していた二人に声をかける。
「ユウさん! うわぁん、助かりましたー!」
ちょっと本気で涙目になりかけていた日和がユウに駆け寄り、スキップでもしそうなほどに楽しそうなアルクスが続く。
「せっかくテーマパークにいるんだから、皆さんで記念撮影しようってことになったんです。もう全員外に揃ってますよ!」
「わわっ本当ですか、すいません今すぐ行きます」
「わーい、記念撮影! ○ッキーはいるのかな? ○ッキーと写真撮りたい!」
「……そ、そのキャラクターはいないと思いますが、このテーマパークのオリジナルキャラクターはいますよ。さ、行きましょう」
二人はユウに連れられて、『ミラー・ワールド』を後にする。
その背後にある鏡には、楽しげに談笑する三人の姿がはっきりと映っていた。