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「ふんふふーん♪ 試食会に呼ばれちゃいましたー」
志賀内アキラ(jz0231)が鼻歌を歌いながら食堂にやってきた。美味い物が食べられると聞いてご機嫌だった。
「でも、本当に良いんですかね? 不味子さんが食べる前に私なんかが頂いちゃって」
……彼女はまだ、この食事会の真意を知らない。
食堂にはまだ誰もいなかった。調理の真っ最中なのだろう、調理室からは慌ただしく声が聞こえる。
「お肉って、炭酸使うと柔らかくなるらしいね! コーラ使っていいかな!」
「こ……これは、重体じゃなくても食ったら死にそうだ……」
「電子ジャーが爆発した!?」
……色々とおかしい台詞が聞こえた気がする。
アキラが若干不安になっていると、サラ・U(
jb4507)が珈琲を持ってやってきた。
「ようこそなんだよ! できあがるまで、のんびり待っててほしいんだよ?」
恐る恐るその珈琲に口を付けると……意外に美味かった。
「あ、美味しい」
そう言うと、サラはにこりと笑った。笑顔にほだされ、安心感を覚えるアキラ。サラは再び厨房の奥へと戻っていった。
香ばしい珈琲の匂いに、いつの間にか不安感は消し飛んだ。
楽しみだな――とアキラは呟く。
――アキラの顔が曇るまでの、数分前の出来事である。
「あわわわ……」
並べられていく料理に戦慄するアキラ。
全ての盛りつけが終了し、食堂のテーブルには、よく分からない黒い物ものと、よく分からないドロドロした物と、よく分からない臭い物が並んでいた。
言葉はなかった。
とてつもない臭気と負のオーラを目の前の食事から感じる。
そんな彼女に、ミハイル・エッカート(
jb0544)が肩をポン、と叩き、一言。
「生きろ」
死刑宣告だった。
「こ、こここれ、本当に食べれるんですか!?」
「……え、本当に食えるのか、ですって? やだなあ、見たらわかるじゃないですか」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が渇いた笑い声を上げた。笑い声は食堂に残響し、空々しく聞こえた。
「医者の僕から言わせてもらうならば『ただちに健康に影響が出る事はない』と言ったところだね」
帯刀 弦(
ja6271)はにやにやと笑みを浮かべる。しかし彼は医者は医者でも解剖医である。
――ともあれ、そんなこんなで試食会は開始された。
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「……これはまだ見た目は良い方よね」
イリス・リヴィエール(
jb8857)が指したのは、カラフルな色のついた炊き込みご飯である。
五目飯のような茶色、薄い小麦色、ドライカレーを薄くしたようなオレンジ色の三種類がある。控え目に言ってゲテモノぞろいの品の中では、比較的綺麗な見た目をしていた。
「ああ、それは僕のつくったものですね」
挙手をしたのはエイルズだった。
「ふむ、それでは食べてみる、か」
「ああ、それじゃあ俺も――」
僅(
jb8838)とミハイルがスプーンを手にし、エイルズの料理を口に運んだ。
「――ちなみに、僅さんの食べているのは水の代わりにコーラで炊いたご飯。エッカートさんのはジンジャーエールの炊き込みご飯です」
――ぶっ、とミハイルが米を噴いた。
「なんて物をつくってやがる!」
「ジンジャーエールって生麦ですし、和風っぽいですよね? おかずにイカの塩辛いります?」
「いや、もういい……」
ちなみに冒頭で電子ジャーを爆発させていたのは彼である。そんな二人を意にも介さず、僅は無表情でコーラ炊き込みご飯を黙々と口に運んでいる。実はこの炊き込みご飯……美味いのだろうか?
「………………不味い、な」
やっぱり駄目だった。
「ふむ、私のつくったモノとは雲泥の差、だ。やはり神の導き、か」
「ほう、それではあなたの料理を見せていただきましょうか」
僅の呟きにエイルズは興味ありげに言う。
「私の料理の腕前は普通だ、な。私の腕前は普通、だ。まあ、料理などした事はないが」
「ないんですか」
「料理はこれだ、な。ポタージュスープ、だ」
それは、スライム色をしたドロドロの何かだった。刻みきれていない野菜のような固形物がスープ表面に浮かび、添えられたパプリカだけがこのドロドロの中で唯一正体のわかる食品だった。
「人参、ピーマン、牛蒡、カリフラワー、その他……。全て、ミキサーで、刻んだ。栄養面も考えて有、る。正に私の閃きと、神の導き、だ。食べて良い、ぞ」
ほとんど青汁である。
「せっかくですが、僕は遠慮しておきます……」
「じゃああたしが食べるんだよ!」
エイルズが辞退すると、サラがぴょんと手を上げた。スプーンでドロドロの固形物をすくい、口に入れて、元気いっぱいに一言。
「うん、まずいんだよ!」
でしょうね。
「これは誰がつくったんですか?」
「ああ、これは……って、いねえな。どこ行った?」
その料理は(多分)ハヤシライスだった。
緑色をした米の上に、通常よりもヌルヌルとしたルーがかかっている。そしてその上には謎の白い粉が降りかかっていた。
「危険な薬品、という訳ではなさそうだね」
弦が粉を指で摘み、成分を確かめている。だが、それが何なのかまではわからないようだ。
「それはお菓子ですよぅ」
と、外から声が聞こえた。
窓の縁からひょっこり顔だけ出したのはパルプンティ(
jb2761)。このハヤシライスの調理者だ。
試食会に参加したくない彼女は、試食会からこっそり逃げ出していたのだ。
「お、お菓子ですか?」
「そうですよー」
彼女はミント味のタブレット菓子の名称を口にした。……ほら、眠気覚ましとかで食べたりするあのお菓子です。
「ルーには梅干しとラッパのマークの胃腸薬と珈琲を入れてあります。胃の調子も整えられて後味すっきりですよー」
胃腸薬は単品で飲みたかったな、と誰かが呟いた。
胃腸薬は服用するもので、料理に投入するべきものじゃないのだ。
「ふ、ふふ、うん、美味しい、美味しいよ、涙が出てきそうなくらいだ」
なんと、ハヤシライスを食した弦が、美味い美味いと呟いている。
「本当? それじゃあ私も頂くね」
驚いたイリスがそのハヤシライスを口へ運ぶ。
途端に涼しげなイリスの顔色がさっと青くなった。
「美味しくない……」
米は青汁のように苦く、ルーにも胃腸薬と珈琲の苦味が濃縮されている。なのにタブレット菓子のおかげで口の中がスース―し、苦味と爽やかさという奇妙な共存が口内で発生している。
端的に言って、不味い。
「美味しいとは、味覚がうま味を感じることだ。うま味を感じるのは味覚に刺激があるという事だ。美味しいとは、つまり、そう……刺激だよ。実に刺激的な料理だったよ」
……弦の様子がおかしい。ぶつぶつと、呟くように早口でまくしたてている――苦すぎるハヤシライスを食べて、おかしくなってしまったのだろうか。
「大丈夫ですかぁ? 救急車呼びますー?」
こっそり窓の外から覗くパルプンティが声をかけた。
「――不要さ。何故なら僕こそが医者なのだからね」
弦はそれを断り、自分の出した料理を指し示した。
「僕の作った料理について少し話すことにしよう。品目はサラダだ」
「サラダ、ですか」
アキラはほっとした。どんなに料理が下手でも、サラダが不味くなるような事にはならないだろう。
見た目もまともだ。色取り取りに盛りつけられた野菜の上に、粉チーズのような粉が振り掛けられている。
「ちょっとお洒落な感じですね」
フォークでレタスを刺し、粉チーズをまぶして口の中に入れてみるアキラ。――途端、舌先に妙な痺れを感じた。
「使用している食材はレタス、トマト、胡瓜、その他薬物各種だ」
「!?」
白い粉は、粉チーズなどではなく弦の薬品だったのだ!
慌てて吐き出そうとするが遅かった。指先にまで痺れが走り、くらくらと力が抜けた。
「倒れた、な」
「もしもしー119ですか? 意識不明の患者一名ですー」
「大丈夫さ、人体に無害な薬物だからね。すぐに回復するさ」
アキラが意識を無くしていたのは、ほんの数十秒だったという……。
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「ひどい目に合いました……」
「次は私の番よね」
イリスの作ったもの――それは、グラタンだった。
「見た目は普通、ですね……」
恐る恐るエイルズが鼻を近づける。――臭いは、しない。しかし今までのパターンから言ってこれが美味しい物である訳がない。エイルズはそっと離れた。
「私が、行こう」
「僕もだ。なかなか知的好奇心がくすぐられそうな食事だね」
「あたしも食べるんだよ!」
僅、サラ、弦の三名が名乗りを上げ、イリスの作った料理を囲んだ。
グラタンのホワイトソースにスプーンを差し入れる。
ぷっ、とソースが割れ、中身が露出した。
「これは、凄いな……」
中は、謎のどす黒い紫色に支配されていた。
臭いは――やはり無い。むしろ無いのが不気味である。
「あたし、見たんだよ! イリス、塩と砂糖入れ間違えてた!」
「それだけじゃそんな色は出ないでしょうねー」
外から様子を見ていたパルプンティが、いよいよと感じたのか中へ声をかける。
「救急車、もう外に待機させてありますんでー」
「たっぷりと呪いをかけたから。きっと、凄い事になってると思うよ」
ちなみに『呪い』と書いて『まじない』と読む。『のろい』ではない……と思いたい。
三人は顔を見合わせ、頷き合うと一斉にグラタンを口にした。その反応は……。
「……甘い。砂糖菓子をそのまま齧ったように、甘い」
「とっても苦いんだよ! でも何故か後から酸味が効いて、その後にまた苦味が口の中に広がっていくよ!」
「僕はこれを辛いと感じたね。やはり興味深い、人によって違う味を感じるとなると、個々人の体質に作用しているのかそれとも……」
正体不明の料理に、撃退士達は首を傾げる事しか出来なかった。
「よし、次は俺の番だな!」
ミハイルが立ち上がる。彼は何故か防護マスクを被っていた。
「俺の作った料理は、これだ」
彼が掲げたもの――それは蓋付きのどんぶりだった。
まるで開けてはいけないパンドラの箱のように厳重に封印されている。……開ける前から嫌な予感しかしない。
「開けるぞ」
ミハイルが蓋を開けた瞬間――腐った卵の臭いと腐った牛乳の臭いと腐った肉の臭いが混ざった強烈な刺激が食堂にいる全員を襲った。
「――マスクの上からでもやべえぜ」
料理はピーマンの魚詰め。ニシンを詰めたピーマンの上にハバネロ、青汁、エピキュアーチーズを混ぜたピーマンソースをかけたものだ。
その臭いの正体は、ピーマンに詰められた魚――シュールストレミングである。
――シュールストレミング。
簡単に説明すれば、発酵したニシンの缶詰である。
発酵過程で生物が腐敗する際に出す成分――硫化水素、酪酸、酢酸が缶の中で発生しする。その臭い、くさやの六倍。
「アキラ、食べろ」
「こんなの無理ですよ!? 自分で食べてくださいっ!」
目から涙を滲ませたアキラが大声を上げる。恐ろしい刺激臭が目にも染みる。
「俺はピーマンが嫌いだ。だってまずいじゃないか! だからお前が食うんだ」
「うう……」
仕方なく箸をピーマンへと伸ばすアキラ。箸先がぶるぶると震え、恐る恐る口元へ――。
「きゃっ!」
と、ここでアキラが椅子に躓いた!
言い忘れていたが、アキラはドジっ娘なのだ!
空中に放り出されるシュールストレミング入りピーマン。躓いた勢いで手の甲でミハイルの顎を打ってしまい、ガスマスクが外れて上を向いたミハイルの口の中へ、ピーマンが――。
「ぎゃああ!?」
「エッカートさんが倒れました!」
「任せておきたまえ。僕が責任を持ってかいぼ――いや、治療をしておこう」
――合唱。
「あたしの料理はシゲキテキだって、お母さん笑いながらよく言ってたの! 今日も腕にヨリをかけて作ったんだよ!」
そう言うサラの手にあるのは、黒煙を上げるなにか直視できそうもない物体だった。塩鱈の頭がパンにサンドされ、哀愁ある瞳をこちらへ向けている。パンは丸焦げで真っ黒。その上には糸を引いた納豆がトッピングされ、さっきも見かけた緑色のピーマンソースがかかっていた。
「な、なんですか、それ……?」
「ブラジル風ベーグルサンド! ブラジル料理食べたことないかもだから、ぜひ味わってほしいんだよ!」
「ブラジルにはこんな料理があるのですか……?」
ありません。
ちなみに調理過程はこうだ。
牛肉、豆、ココナッツ、タラを一斉に鍋へ→エイルズが何故か加熱していたコーラを鍋へ→煮詰めること二十分。鍋のものを全てベーグルに挟み、ミハイルのつくったピーマンソースとベーグルの上に納豆をトッピング。オーブンへ→爆発。
完成。
「全部食べてほしいんだよ……?」
「う……」
キラキラとした純粋な上目使いに、思わずアキラは後ずさる。
悪意はない。
悪意はないのだ。
けど、この世でもっとも怖いのは悪意のない純粋さなのだと、この時アキラは悟った。
(ああ、お父さん、お母さん。先立つ不孝をお許しください……)
「……いただきます」
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「――仕上げだ。全部混ぜるぞ」
いつの間にか復活していたミハイルが、そんな事を言い出した。え? アキラがどうなったのかって?
……今頃救急車の中とかでしょうか。
「いいですよ、僕は賛成です」
「私も。どのようなものになるのかとても楽しみです」
それに何人かが同意し、『それ』は完成してしまった。
そこには名状しがたき神話生物ですら正気度が消失しそうな、どこか美しさすら感じさせてしまうほどに洗練された、よくわからないドロドロした物でありグチャグチャした物でありとても臭い物が、あった。
「やばいな。天魔ですら寄せ付けないような香りと存在感を醸し出しているぜ」
「この料理を作れば……あるいは天魔も倒せるでしょうか」
何故かイリスはその料理の調合方法をメモに取っている。一体何に使う気なのだろうか……。
「これを食べてみたい奴はいるか?」
ミハイルが聞くと、会場中が静まり返った。
誰もが悟っていた。
これは別格だ。
仮にも撃退士。普通の人間よりも頑丈だ。だが、これは死ぬ。
食べるくらいなら犬の排泄物でも食べた方がまだマシ。生贄(アキラ)すら退場してしまったこの会場で、口を付ける者は誰もいなかった。
「早く着きすぎちゃったかなっ。美味そうな発酵食品の匂いに誘われてきちゃったっ」
と、ここで現れたのは今回の主賓、飯野不味子だった。
彼女は、誰もが半径三メートル内に近寄ろうとしない殺人料理に、喜々として駆け寄っていく。
「わあ、こんな豪華な料理、見た事ないっ。皆が作ったの?」
周囲が茫然とする中で、不味子は実に美味しげに料理を平らげていく。
「ご馳走様っ。とても美味しかったよっ!」
そして数十分後、全ての皿を空にした不味子の姿が、そこにはあった。
「真に興味深いのは彼女の胃袋なのかもしれないね。ああ、解剖して胃を直接見て見たい……」
物騒な事を弦は呟いていた。
何はともあれ、不味子は料理に満足したようだった……。