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海岸沿いに人は誰もいない。海から流れてくる風は冷たく、撃退士達の身も心も震わせるようだった。
人の代わりにいるのは犬だった。ただの犬ではない。それらは腐っていた。世の理から反した生物――ディアボロである。
その数、四体。腹からは骨のようなものが見え、どろどろとした液体を垂れ流している。そして、各犬の背にはライフルを背負っていた。
「――天界も冥界も趣味な人多いの。この姿、有名な戦車で冒険するゲームの相棒か、恐竜とか動物をモチーフにしたアニメのオマージュっぽいの」
小松 菜花(
jb0728)が呟く。しかし何故小学生がそんな知識を知っているのだろうか……。
「なるほど! しばりぷれい! なにを縛るかはわからんで御座るがしばりぷれいなので御座るね!」
静馬 源一(
jb2368)はしばりぷれいしばりぷれいと連呼しているが、どういうものなのかわかっていない様子。きっと教室での縛堂の説明を聞き流していたのだろう。
今回の戦いの特殊ルール――『遠距離攻撃禁止』。あまり経験したことのない縛りに撃退士達は困惑するものの、このB班に選ばれた彼らは概ね肯定的にこの授業を捉えていた。
「遠距離禁止なぁ……はー、ダアトには厳しい条件やでこりゃ」
遠距離魔法を得意とする亀山 淳紅(
ja2261)にはこの条件は厳しいものとなるだろう。だが、彼は好戦的に笑みを見せ、武器を構えた。
「うっし! せっかくの機会や。自分でもできる接近戦、見つけたるでー!」
「縛りプレイってメンドクサ……まーでも、そうせざると行けない状況があるかも知んないしっ! 一流の撃退士になるためって事で頑張んなきゃねっ♪」
稲葉 奈津(
jb5860)もこの縛りプレイにやる気を見せている。全ては強くなるため……憧れの撃退士に近づくためだった。
「遠距離攻撃禁止、か。その程度のハンデくらいは、与えてやらなければ、敵も可哀想なのは確かだ」
不敵に笑うのは神凪 宗(
ja0435)。全長百センチほどの刀、雪村を構え、敵を睨む。
「無理に攻め上がって、敵を逃がしては何もなりませんからね、慎重に確実に行きましょう」
仲間達に確認するように黒井 明斗(
jb0525)が言い、眼鏡を掛け直す。
「演習とは言え、実戦、完勝と行きたいですね」
今回の戦いは遠距離攻撃禁止という縛りだが、当然のように敵はそんなルールにおかまいなしに攻撃を仕掛けてくる。今回の『ライフルドッグ』は見るからに遠距離型の敵だった。
そのため、彼らは一計を案じた。それがこの、特殊な布陣だった。
海から垂直に、横一列に撃退士は並んでいる。右側の素早い撃退士が敵を追い立て、相手を海側の袋小路へと包囲しようという作戦である。
「学園に来る前はよく山で猟犬を追いかけてましたけど、ライフルの生えた犬を追うのはさすがに初めてですね……さっさと囲んで凹ってしまいましょうか」
追い立て役の礎 定俊(
ja1684)が言った。
彼の手には油を染み込ませた布が握られている。敵のディアボロは炎が苦手だという情報がある。この習性を利用して、彼らを追い込もうという作戦だ。
「…………」
一人、ヴォルガ(
jb3968)は沈黙している。
元々寡黙な彼だが、今日はいつにも増して沈黙を貫いている。心中、彼はどのようなことを考えているのだろうか――。
撃退士達は布陣を崩さないまま、敵のテリトリーへと足を踏み入れた。
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――敵がこちらに気付いた。
底なしのように虚ろな銃口がこちらに向き、撃退士を狙う。ライフルの銃弾が、奈津へと放たれた。
「っとと。危ないなっ、もうっ」
敵の攻撃を回避し、奈津は自身にケイオスドレストをかける。
その銃音が開戦の合図だったかのように、撃退士とディアボロの戦いの火蓋は落とされた。
隊列の右側にいた宗が一つの風となり、敵へと肉薄する。初期位置から敵との間にあった距離は十メートル以上。その距離を宗は一息で縮め、敵へと斬りかかった。
しかし、敵もさる者。犬特有の俊敏さで宗の斬撃を後方へ逃れて回避し、威嚇射撃のつもりか一発ライフルを放つ。
その攻撃動作を先の奈津への射撃から見極めていた宗は、攻撃を左側へステップして回避。着地と同時、砂を蹴ってライフルドッグを追い立てる。
「――距離を開けられる前に接近すれば、何の問題もない」
宗の刀が敵を捉えた。背中を斬られたライフルドッグはさらにバックステップで宗から距離を開けようとする。近くに寄られると逃げるというのが彼らの習性だった。
距離を開けられては縮め、縮められては開ける――一人と一匹のいたちごっこはどちらかの体力が尽きるまで続けられる――。
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敵が狙いを付けていた淳紅の姿が、突如消えた。
慌てるライフルドッグだったが、すぐ後ろの気配に気付いて咄嗟に前転しながら砂浜を転がろうとした――しかし、それよりも早く近距離からの淳紅の魔法が炸裂し、ディアボロは吹き飛ばされる。
淳紅は新しく覚えたスキル、瞬間移動を使用して一瞬にして移動したのだ。
「よしっ成功! 次や!」
淳紅は続けて瞬間移動を試みる。今度は敵の背に瞬間移動し、そのまま近距離から攻撃を仕掛けようという作戦だった。
突然背に現れた淳紅に、ディアボロはギャンギャンと鳴きながら淳紅を振り落とそうと暴れ回る。
――結果的に、淳紅のこの作戦は失敗だった。
瞬間移動した直後は攻撃を加える事が出来ない。その隙に別の敵がライフルドッグの背に乗っている淳紅に、ライフルの銃口を向けた。
狙撃され、振り落とされる淳紅。しかし地を転がりながらも体勢を立て直し、再び立ち上がる。
「……だったら――これでどうや!」
そう言って淳紅が懐から取り出したのは、虫よけスプレーとライターだった。スプレーの先にライターの火を当て、簡易的な火炎放射器にする。
炎に怯えるディアボロは遠くで巻き起こる炎に後ろ足をじり、と提げるが――瞬間、目の前に炎が噴きあがりパニックに陥った。
言うまでもなく、淳紅の瞬間移動である。ライフルドッグの目の前に、火を起こした状態で瞬間移動したのだ。
その場から逃げ出すライフルドッグは、彼らの作戦通り左側の袋小路へと追いつめられていく。淳紅は額に浮いた汗を拭った。
「ふぅ……よし。次やな」
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撃退士の包囲網は徐々に狭まりつつある。
定俊と明斗がフィールドに炎をばら撒きながら、敵の行動範囲を狭めているのだ。
「大丈夫ですか、礎さん」
明斗が隣り合った定俊にライトヒールをかける。遠距離禁止は通常スキルも含まれている。味方への回復も近くからでなければ行えなかった。
「ありがとうございます……しかし、遠距離が封じられるだけでもなかなか厄介なもんですね。私ももっと精進しないと」
定俊が礼を言いながらそうぼやく。常よりも戦い辛い戦闘に、少しばかり手を焼いていた。
――と、二人の間を疾風のような速さで駆け抜けようとする影があった。
ディアボロだ。炎の包囲網を突破しようと果敢な一匹が駆け抜けようとする。
「おっとこっちは通行止めですよ、と」
「そうそう簡単に抜かせませんよ」
定俊の聖火と明斗の審判の鎖が同時にディアボロへと襲いかかる。咄嗟にそのディアボロは空中で反転し二人の攻撃を避けた。が、結局包囲網を突破する事は叶わなかった。
哀れなこのディアボロが炎の包囲から抜け出すには、目の前にそびえる二人の壁を乗り越えなくてはならない――そしてそれは、至難の技だった。
撃退士達の包囲は順調に進んでいく。しかし、一匹だけその包囲から逃れる敵がいた。
その一匹はまだ包囲の隙がある右側へと逃れ、撃退士達の陣が完成するのを阻害していた。
「自分に任せるで御座る! 自分回避能力だけは人一倍あるで御座るからね! あの敵を引き付けるで御座る!」
そう言って包囲から逃れる一匹を追う源一。ニンジャヒーローを己にかけ、敵の注目を一身に浴びる。
逃げ回っていたライフルドッグが立ち止まり、銃口を源一へと定めた。――と同時に、包囲されている残り三匹のライフルドッグもまた遠距離から源一を敵と認識した。四匹からの一斉射撃が源一を襲う。
「おおおぉ!? 当たらなければどうということはないので御座る! というわけは当たったら一撃必殺(される)で御座る! めっちゃ怖いで御座るー!?」
右へ左へ上へ下へ――源一はライフル銃の射撃をその場で避け続ける。言うだけあってかなりの回避能力だった。
……が、しかし一発の銃弾が運悪く源一に命中してしまった。
「うわー!? ……で、でもまだ倒れないで御座るよ!」
気合で気絶を乗り越え、源一はさらに敵を引き付け続けた。
「――近接戦で素早く逃げる相手。それに対して近接戦で打ち勝つには速さで勝てばいいの」
召喚獣、スレイプニルの背に乗った菜花が、源一のニンジャヒーローに気を取られているライフルドッグへ突進攻撃を仕掛ける。
自分に近付いてくる召喚獣に気付いたライフルドッグは右へステップし、攻撃を躱そうとする。
勢い余った召喚獣はそのまま直進するかと思われた――が、スレイプニルは急激に軌道を変更。慣性から外れた動きでさらに敵を追い立てる。
「無駄なの。こちらは二倍動ける。そのライフルで広範囲攻撃用の榴弾砲撃てない限り負けないの」
『ギャンギャン!?』
菜花とストレイシオンの猛突に弾かれたディアボロは、それでも空中で体勢を立て直し、砂浜に四足で着地しながらライフルを構える。
――その背に、影がかかった。
「…………」
ヴォルガだった。寡黙な死神はヴォルガの存在に気付いていないディアボロの、無防備な頭に無慈悲な剣を振り落とした。
首が飛ぶ。ぱさりと軽い音を立てて、ディアボロの首は砂の上へ落ちた。役目は終えたとばかりにヴォルガはその場を離れ、包囲されている三匹へと意識を向ける。
――残った敵は、三匹。
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「今ね……それっ!」
敵が三匹になったと判断した途端、奈津は一気に砂浜を駆け回る。彼女の走る円形の軌跡には油が巻かれ、右端まで到達したところで奈津は足を止めた。
奈津の手に持ったライターに、火が付けられる。
「自分を磨くためなら……何だってやってみせるわよ!」
奈津の手からライターが離れ、地面におとされる。瞬間、炎の蛇が砂浜に出現した。
油で燃え上がる炎の壁はライフルドッグの逃げ場を失わせ、包囲網を完成させる。海岸の片隅で燃え上がる火炎に怯える三匹は、もはや袋の鼠だった。
残りの三匹を一掃してしまおうと、撃退士達は包囲を狭める。それでもライフルドッグ達は最後まで立ち向かおうと三方向へと銃口を向けるが、ここまで来てしまえばもう、彼ら自慢の機動力は意味をなさないだろう。
「ワンちゃんは好きなんだけどね……ごめんねっ!!」
奈津が一匹に向けて神速の斬撃を放つ。先ほどまで器用に避けていたのが嘘のように、ライフルドッグはその一撃をまともに受ける。避ける場所がないのだ。
奈津の一撃にその敵はもんどりうって倒れ、動かなくなる。残りの二匹が双方向から、仲間の仇とばかりに銃口を向けた。――そこへ、二人の鬼道忍軍が駆けつけた。
「もうそれは撃たせねえよ」
「受けるで御座るよ! にんぽー飯綱落とし、なので御座る!」
宗が側面から肉迫しライフルドッグの腹を二連撃して叩き伏せ、源一はライフルドッグの頭を抱えて頭上高く飛び上がり、ライフルドッグの頭を砂浜に埋め込んだ。
それは一瞬の早業だった。気が付けば、一匹は倒れて動かなくなりになり、もう一匹はすぐには動けない状態となっていた。
「あの機動力はさすがとしか言いようがないですね……」
定俊が忍軍の速度に感嘆の息をもらす。が、すぐに気を引き締めた。まだ一匹、動けないとはいえ残っている敵がいる。自分は自分の役割に徹しようと定俊が心掛ける。
「皆さん、体力は大丈夫ですか?」
明斗が体力を消耗していた全員にライトヒールをかけていく。全員、万全の状態で最後の一匹の退治に臨んだ。
動けない敵と八人の撃退士――その戦いの結果は、語るまでもないだろう――。
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戦いを終えて撃退士がまずやらなくてはならなかったのは、消火活動だった。なにしろそこら中燃えている。
とはいえ、消火は順調に進んだ。場所が砂浜だったことと、淳紅が消火器を用意していたことが要因だった。
手際よく消火活動を終えた撃退士達の目の前に、縛堂が現れる。
彼女は遠くで殲滅班と共に待機し、撃退士の活躍を見ていた。
「おめでとう、君達の依頼は成功だ。撃退士は優秀だな、遠距離攻撃禁止という状態からよくあれだけ動ける」
話しかける縛堂へ、源一が驚きの声を上げた。
「な、なんと!?今回は遠距離攻撃禁止で御座ったの!?」
じとりとした視線が、一斉に源一に向けられた。
「いやいや、も、もちろん自分は最初から知っていたで御座るよ!」
……取り繕うようにそう言ったが、周囲の源一への疑いは晴れなかった。
そんな中、菜花が呟くように言った。
「……先生も趣味人なの。近接戦闘のみ、ゲームでは普通上級者がする行為である縛りプレイ。だから牽制でも遠距離からスキルとか使ってはダメ。次回は遠距離のみという縛りだったり……?」
あまり表情を表に出さない菜花だが、どうやら縛堂の授業を評価しているらしい。縛堂はふん、と若干笑みをつくり、身を翻した。
「諸君は疲れているだろうから、ゆっくり学園に帰るといい。私は次の授業があるので先に行く」
そう言って、縛堂は立ち去っていった。
縛堂はゆっくりと、などと言っていたが、そうも言っていられなかった。なにしろ海に近いこの場所はとても寒く、先ほどまで火で気温が上がっていた分余計に温度差で潮風が冷たく感じる。
撃退士達は早々にそこから立ち去る事になった。
戦闘で火照った体に冷たい風が染み渡る。今はそれが心地よく感じるが、その内普通に寒いと思うようになるだろう。
砂浜に足跡を着けながら帰る中、奈津は空を仰いだ。
「早く力をつけて立派な撃退士に……あの人みたいに……なるんだ……」
天気は快晴。風は冷たいが、太陽だけは暖かく、戦いを終えた撃退士を祝福していた。