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穏やかな湖畔が眼前に広がっている。この空間を切り取るだけで一つの芸術作品ができそうなほど、その風景は完成しつくされている。
大自然という名の画家が描いたそんな穏やかな風景画の中にはしかし――今は異物が紛れ込んでいた。
竜巻。
物静かな湖畔とは対照的に、穏やかならざる風が渦巻いている。……もしもあの竜巻の内部を確認したいのであれば、相応の覚悟と手傷が必要となるであろう。
「んー。やっぱり、外からじゃ中の様子は窺えないね。突入するべきだと僕は思います」
永連 璃遠(
ja2142)が、手をかざして竜巻の外観を眺めながら言った。
空まで届かんばかりに伸びる竜巻は、内部にあるものを守ろうとしているかのごとくその姿を砂煙に覆い隠している。情報では、あの中にサーバントが潜んでいるらしい。
撃退士達も、人間の脅威となるものがあそこにあることを気配で感じ取っていた。
(……恋か。俺には経験がないが。危険があるとわかっていても会わずにはいられないものなのかな。難しい話だ)
グリムロック・ハーヴェイ(
jb5532)は依頼人の友人である男の話を思い出し、考える。
天魔に恋をしたというその男が生きているのか、そうでないのか、そもそもあの竜巻の中にいるのかすら、この場所からでは視認できない。
――考え事をしていると甘い物が食べたくなる。
ポケットに入れたキャラメルは、依頼が終わった後に食べようと思っている。願わくは、そのキャラメルの味を喜びとともに噛み締められるように。
「――ともかく、恋路の行方、見届けに行くとしよう」
「……美しい妖異に、魅入られてしまう話は昔よりある事。そして、魂を奪われてしまったという結末も……」
織宮 歌乃(
jb5789)がぽつりと言う。ぞわりと背筋の凍るような美しい赤い髪は、静かな湖畔によく映えて見える。
彼女の言葉に何か思うことがあるのか、月詠 神削(
ja5265)が顎に手を当て、考える。
「何か……やり切れないことになる予感がするな……」
女性と見紛うようなかんばせが曇る。彼らの想定する最悪のケース――依頼人の友人が、もうすでに天魔の牙にかかっている可能性。
「……そうでない事を祈りましょう。命を失わせぬと誓った、この緋願の想いにて」
歌乃の瞳が燃え上がる。
「よぉ、相棒。今回もしっかり頼むぜぇ」
庵治 秀影(
jb7559)の背後が青く光り、何もない場所から青に満ちた竜が出現する。
――召喚獣ストレイシオン。魔力を行使することに長けた竜が咆哮を上げる。
ストレイシオンの魔力が皆を包み、見えない皮膜のように撃退士達の肉体を守る。
準備は整った。撃退士達は荒れ狂う竜巻を見据え、果敢に飛び込んでいく。そこにある結末が不幸なものでないことを祈りながら――。
「ねぇキイくん。私達もあの中に入った方がいいのかしらぁ?」
私、耐久が低いから竜巻に突っ込むのは遠慮したいなぁと思うErie Schwagerin(
ja9642)である。キイ・ローランド(
jb5908)は、うーん、と少し悩んで、
「いや、僕達は皆とは違う事をしよう。……敵に刃を突き立てるだけが戦いじゃないんだよ」
と言った。例えば竜巻を斬撃で斬れるのかとかね、と付け足してキイは竜巻に近づく。
凶刃舞う竜巻の内部へと向かって、キイは叫んだ。
「君が守ってるモノ、奪わせてもらう!」
キイは自身にタウントをかけ、その効果でキイは敵に『注目』される。竜巻の中の主は、果たして――。
砂埃舞う竜巻の中で、猛禽類のようなぎらついた目が光った気がした。
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計五人の撃退士が身を引き裂くような竜巻の強風を堪えながら前進する。
「……風刃の障壁。ですが、痛み程度で止まる訳には参りません」
「くっ、風に押し返されて……」
歌乃、璃遠が風に押し戻されながらも大地を踏み締めて進んでいく。その二人の前に、グリムロックが立つ。
「皆さん! 大丈夫ですか!」
グリムロックはこの依頼の中で自分が皆より力が劣っていることを自覚している。だからこそ、戦闘以外のことで貢献しようとしていた。
グリムロックの防壁陣が竜巻の風刃の流れを変え、歌乃、璃遠、グリムロックの受けるダメージを最小限に抑える。鼻の先すら見えぬ猛風の中を三人は進んでいく。
神削と秀影は竜巻の上から内部への侵入を試みる。秀影は翼を広げて飛行し、神削は全力跳躍によって空を跳ぶ。竜巻は地面よりも上部の方が勢いが弱く、抵抗も少ない。二人は地上から歩いて突入する者達よりもたやすく、竜巻の上空を駆け抜ける。
眼前に嵐の終わりが見えてくる。璃遠はその終わりへと向けて、縮地で一気に距離を縮めた。最初に竜巻を突破した璃遠は、そこに広がる風景を見た。
それは、特大の巣だった。
通常の鳥の巣とは小枝や草葉を編んで作られるのが主だが、そこにある巣は木を丸々一本使用してつくったのではないかというような規模の大きさだった。璃遠はまるで自分が小人になってしまったかのような錯覚を覚える。
そして、その特大サイズの巣の上には、それに見合う巨大な妖鳥がいた。
その鳥はとても美しかった。
竜巻の外にいるキイへと攻撃をしかけているのか、虹色の羽根を羽ばたかせ、魔力の風を外の敵に向けて放っている。
鳥の頭部は鳥の頭がない代わり、天使像のような女が生えている。彼女の形相は子を守る母のように決意と覚悟に満ちていた。
璃遠は『彼女』の戦う姿に見惚れていた。後ろから続々とやってくる仲間達の姿にも、気付いていないほどに――。
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「まったく、秋田がきな臭くて敵わんな……」
撃退士達がハーピーと交戦している中、ライアー・ハングマン(
jb2704)は単独行動をとっていた。歪な翼を広げて一人、湖畔の上を飛行している。
ライアーの耳が、何かを察知する。この広大な空のどこからか、自分を見つめている気配がする。
「へへっ。今回も、落とせるか試してやろう」
ライアーの手にはペンキ缶が握られていた。彼はその取っ手を握り、不敵に笑った。
以前の依頼で何度か、ライアーはその『敵』と戦っている。秋田に出現する不可視の鴉――ヤタガラス。視えないその敵との戦い方を、彼は知っている。
自身に向けられた殺気に気付いたのか、不可視の鴉が羽音を羽ばたかせる。逃げようとしているようだ。
「逃がすかよおおぉ!」
ライアーは気配のある方向へ向けてペンキ缶を投げつけ、さらにSurrender of Wrathを発動、空にペンキをぶちまける。
青く着色された雨が辺り一帯に降り注いだ。これまでヤタガラスと戦ってきた経験から、この方法がもっとも効率的なヤタガラスの攻略法とライアーは考えている。果たして――鴉は姿を現さなかった。
「どこだ――?」
ライアーは聴覚と視力をフルに活用して鴉の所在を探る。しかし、羽音どころか、地面に出来るはずの影さえどこにも見当たらなかった。ここまで気配を隠せるものなのか――? 否。ライアーは舌打ちをした。
「……逃げられたか」
逃げた獲物をいつまでも引きずっていても仕方がない。ライアーは空中で旋回し、竜巻の立ち込める戦場へと向かった。
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璃遠が目を覚ましたのはそれからすぐのことだった。……どうやら自分は敵の魅了にかかりかけていたらしい。それが覚めたのは、巨大ハーピーの巣の中に人の腕が見えたからだ。
その腕はぶらんと力なく垂れ下がっており、土気色に冷めた色をしている。……あれが生きた人間の腕でないのは、誰の目から見ても明らかだった。
「……誰を好きになるかなんて十人十色…否定はしない。本人がそう望んだのなら。でも、そうなる運命だったとはおもいたくない、ね」
悲しげに璃遠は呟く。ともあれ、撃退士達の方針はこれで「救助」から「退治」に変わった。胸に宿るやるせなさを押し隠し、彼らは闘志を燃やす。
「はッ!」
初手で動いたのは神削。三節棍を棒状のまま使用し、神速の一撃で巨大鳥の羽根を打った。
「――?」
神削はその手ごたえに、若干の違和感を覚えた。手ごたえがないのではない、それどころか、ありすぎたのだ。
まるで、最初からハーピーは最初から回避するのを放棄しているような――この巣から離れたくないような理由があるように感じた。
「さがってくれ、月詠!」
グリムロックの呼びかけに反応して神削がその場を離脱する。その直後、ハーピーが羽根を羽ばたかせて魔力の風を飛ばした。
縦に空間を切り刻んでいく魔力風は、目の前の敵を排除するためでなく、外で盾を構えて攻撃を一身に受けているキイへ向けられたものらしい。
しかし、その魔力風は容赦なく狭い空間にいる彼らも襲う。とくに、神削に声かけをして反応が遅れたグリムロックはまともに風に切り刻まれた。
「くっ――」
「隙だらけです」
いつの間にか、明鏡止水で気配を断っていた歌乃が、巣の上に昇りハーピーの背面に立っていた。
「緋色の葬花刃の元、赤片の雫を散らしなさい」
緋獅子・吸魂牙――緋色の獅子がハーピーの背面に喰らい付き、生命力を奪い取る。奪った生命力分だけ歌乃の傷が癒えるが――、ここでハーピーは今までにない行動に出た。
ハーピーの人間部分――天使の姿をした彼女が怒りの形相を歌乃に向け、鋼鉄の鎧で覆われた拳を振るった。
歌乃はその攻撃を巣から飛び降りることで回避する。それでも天使の顔は嫉妬する女のように歌乃を睨みつけている。やはり、ハーピーはこの巣に触れられたくないらしい。撃退士達はそう思った――。
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「う〜ん、やっぱりこの竜巻は壊せないのかしらぁ〜?」
先ほどから、外にいるErieは竜巻に穴を開けられないか試していた。
魔力をぶつけてみたり、連続で攻撃し続けてみたりと色々試しているがなかなか思ったようには上手くいかない。
「かもしれないね。えりーちゃん、無理はしないで」
一方のキイは先ほどから盾を正面に構え、竜巻の中から繰り出される、ハーピーの攻撃を受け続けている。
が、手傷を負っている様子はない。ダメージ量よりもリジェネによる回復量の方が上回っているのである。
「ま、無理そうなら大人しく外から撃ち込むだけなのだけど……あらぁ?」
Erieの見ている前で、今まで傍若無人に荒れ狂っていた竜巻が、僅かに揺らいだ。竜巻の中にいる人間が竜巻の主に深手を負わせているかららしい。
「少しはましに通りそうねえ――それじゃあ遠慮なくっ」
Erieの放つ特大の火球が、竜巻を撃ち貫いた。
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『――――ッッッ!!』
竜巻の外から飛来した火球がハーピーに直撃する。竜巻に阻まれて炎の塊は半分の大きさに縮んでいたが、それでもなお有り余るほどの炎が、ハーピーを焼き焦がしていた。
しかし、その身をアウルの炎で焼き尽くされながら、まだ彼女は怒りの炎を消さない。否、さらに強く強くその瞳に侵入者への怒りを燃え上がらせ、巨大な翼を威嚇するかのように広げた。――その瞬間、その羽根を上空から射出されたアウルの矢が撃ち抜いた。秀影の上空からの攻撃だ。
「飛べるのはあんたの専売特許じゃねぇぜ……よぉし相棒、もう一仕事だ。頼んだぜぇ」
さらにストレイシオンが地上からハーピーを追いつめる。地上と空中の波状攻撃に、敵はその場に釘づけになる。
そこへ、撃退士達は総攻撃をかける。
璃遠の抜刀が、神削の三節棍が、グリムロックの曲剣が、歌乃の緋獅子が、そして外からErieの火球がハーピーへと集中する。
ハーピーは羽根を大きく広げ、巣を守るように立ちはだかり――そして。
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――ライアーが竜巻を目印にしてそちらへ向かっていると、その竜巻がふっと消失した。
距離は近かったのでその場所はわかった。そこには他の撃退士達が、鎮痛な面持ちで立っている。
「俺の出番はなかったか……」
ライアーが地上に降りたつ。そして気付いた。
巣の上にハーピーの死骸が倒れている。その腕に抱かれるように、男の死体があった。ほぼ間違いなく、その男は依頼人の友人だろう。その死に顔は……穏やかだった。
笑みを浮かべているようでさえあるその顔を見ていると、この巨大な巣さえ彼のために造られたのかもしれないという気持ちになる。
死者を悼む優しい揺り籠。愛で出来た棺。そこで眠る男と妖鳥は、まるで添い遂げた恋人同士にすら見えた。
「ふむ、最後まで添い遂げたと考えりゃ、こいつも一つの幸せってぇ奴じゃねぇかねぇ」
顎髭を撫でながら、秀影が呟くように言う。ハーピーはやはり、この巣を守っていたのだ。この巣と、そこに眠る男を。
そこにあるのは、人の考えるようなものではなかったのかもしれない。ただ単にハーピーは男のことを食糧と見ていて、食糧を取られることに怒りを示していただけなのかもしれない。というよりも、普通に考えればそれが正しい見解なのであろう。
けれどやはり、そこには愛があったのかもしれない――そう考える撃退士達だった。
「あの世というのがあるのかは分かりませんが、次の恋は叶うものである事を願って……」
グリムロックが一人と一匹に向けて、黙祷を捧げる。
「はっ。こりゃ、嫉妬しちまうな……」
ライアーが見ていられなくて、空を仰ぎ見る。竜巻の晴れた空は雲一つなく、どこまでいっても蒼かった。蒼を反射する湖が、きらきらと輝いていた。