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夜の匂いのする町から少し離れた公園……ここに、撃退士達が待機していた。
大きな樹を背にし、敵が来るのを待ち構えているのは二人。周 愛奈(
ja9363)と何 静花(
jb4794)である。
「……愛ちゃんにはよく分からないけど、なんか怖そうな攻撃をしてくる、と聞いたの。そんなに痛いのかなあ?」
小首を傾げ、愛奈は静花を見上げて問い掛ける。静花は小柄な方だが愛奈はもっと小さい。幼い彼女には天魔の攻撃がどういうものなのか、まだよくわかっていないのだ。
「知らない。私にはついてないからな。お前はわかるか? そんなに効くのか?」
問い掛けられた言葉は愛奈ではなく、二人の傍にある木の上だ。突然すぎる問いに木ががさ、と揺れた。
「ぼ、僕に聞きますか……」
当然、木が喋っている訳ではない。木の葉と夜闇に紛れて姿形は見えないが、水城 要(
ja0355)が敵に備えて木の上に隠れているのだ。
「お前しかわかるのがいないからな。女みたいな顔だが男だし」
その言葉に、要は少し傷ついた。女性に間違われやすい容姿は彼の恥なのだ。
無論、静花も彼を傷つけようとして言っているのではない。彼女はたんに、日本語に慣れておらず言い回しが率直なだけなのだ。
「えっと……そうですね――男性にとっては大変危険な相手だとは思います」
「ん。そうか」
聞いた静花はそれきり何事かを考え始め、話を切る。彼女は武に生きる者だ。急所狙いは武道ではよくある事だが、当然自分がその痛みを経験したことはない。
それほど有効ならば今後試してみる価値はあるかもしれない、と静花は虚空の相手に向かってイメージトレーニングを始めた。
「わかったなの。そんな危険な天魔なら早く退治しておくべきだと思うの。だから愛ちゃんも頑張るの!」
愛奈は握りこぶしを両手につくり、意気込みを新たにした。
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夜の町は華やかで、まるでここだけバブルの時期から時が止まっているかのように絢爛としていた。
天魔事件の最中だというにも関わらず、人の多さは変わらない。高橋 野々鳥(
jb5742)はその往来の激しい路地で、件のカマキリ女を見かけなかったか、という聞き込みをしていた。
その中で、「先ほど怪しげな女を見かけた」という証言に早速出くわしたのは運が良かったのだろう。
「あー……それで、おにーさん? いや、おねーさん。もう一度聞きますが、その怪しげな女っていうのはどこで見かけたんですか」
「そうねえどこだったかしら。もしお兄さんがアタシの店に寄って行ってくれるなら思い出すかもしれないわん」
……しかし、野々鳥は早くも、聞く人物を間違えたと思った。
彼の目の前にいるのは、背の開いたドレスを着込み、厚ぼったい唇に赤いルージュを塗った……男である。
どう見ても女には見えない。大柄で、ごつごつしていて、口元にはうっすらと青髭を生やしている。店というのもきっと怪しげな店だろう。着いていったら色々と危ない目に合う気がする。
「お兄さんイイ男だし、店に来たらサービスしちゃうわよん。色々と」
野々鳥は彼女……もとい、彼からの聞き込みを断念し、女の情報を求めて町をうろついた。
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(狙うは男ばかり、方法は決まって金的か……男性陣が萎縮していなければ良いが)
天風 静流(
ja0373)もまた女を捜索している。目立つ姿だからすぐさま見つかるだろうと考えていたが、例の天魔はなかなか見つからない。
繁華街の人間はすれ違うだけの他者に興味がないのだろう、殺人が起きたばかりというのに呑気なものである。一般人は巻き込みたくないが、人通りがなければその女は現れないというから町を封鎖する訳にはいかない。
(いざとなれば、私自身が囮になろう。その天魔が外見でしか性別を判断できないなら私でも勘違いする可能性はあるだろう)
そう静流は考えているが、さすがにそれは無理だろう。誰がどう見ても静流は見目麗しい女性である。静流の自己評価はあまり客観的ではなかった。
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冷たい風を切り、白銀の長髪が上空にたなびいている。
水無月 望(
jb7766)は上空から町を探索している。空中から見下ろす人の動きは無秩序の様でいて、まるで働き蟻の行軍の様に法則性がある。
はぐれ悪魔である望はその様子を眺めながら翼で空を飛んでいた。
と、気配を感じて空中で静止する。
前方から影が見えたのだ。彼と同じく翼を生やしたルルディ(
jb4008)である。
「あ、水無月さん。どう? 何か見つけた?」
「……いや、何も」
赤を基調としたゴシックロリータファッションに身を包むルルディだが、れっきとした男性である。
しかも今回の作戦のためではなく普段着がこの服だというから徹底している。
「あ、ちょっと待って。フィロが何か見つけたみたい」
フィロとはルルディの召喚獣の名前だ。ルルディは召喚したヒリュウと視覚共有している。ヒリュウの方が何かを見つけたのだろう。
「……ッ! ちょっとまずいよ! 天魔が暴れてるみたい!」
「――近くにいる奴に連絡しよう。俺達も急ぐぞ」
二人はヒリュウの視界を頼みに空を駆け、そちらへ向かった。
●???
時を遡る事、少し前。
『彼女』はふらふらと道を歩いていた。
『オトコ……コロス……』
呟く言葉は憎悪に塗れている。……否、彼女に感情はない。彼女の言葉がいかに人語に聞こえようとも畜生の鳴く声と変わらず、そこに意味はない。
胡乱な歩き方はまるで薬物中毒者だが、それよりもなお混沌とした思考が彼女の頭の中に渦巻いている。……その肩が、誰かに当たった。
それは、先ほど野々鳥が聞き込みをしていたオネエだった。
「あらん、ごめんなさいねえ。……あら、アナタ、もしかして――」
女は迷った。この目の前にいる人間はオトコなのか否なのか。服装は女だが見た目は完全に男だ。迷った末、女はとりあえず殺す事にした。
『オトコ……コロス……』
女の袖口から突然鎌が伸び、彼女――いや彼の両肩を斬り付ける。「ぎゃあああッ!」と野太い悲鳴が上がり、周囲の人間がようやく異変に気付く。
滴る鮮血と恐怖。彼は腰を抜かし、陸に上がった魚のように口をぱくぱくとさせている。
『オトコ……コロス……』
「い、いやーッ! やめてソコはまだ改造前なのッ! 潰されたらアタシ死んじゃうっ!」
女は鋭く尖ったピンヒールの先を、彼の股間へと向ける――その時だった。
「ねー君♪ 今暇?ちょっとそこの公園近くの喫茶店で!」
能天気そうな、場違いな声が女の耳に届いた。
声を上げた人物は今にもヒールを振り下ろそうとしている女に近寄っていく。
ピンクゼブラのパーカーに顔を隠す程の大きさのピンク色のサングラス。歩く度にジャラジャラと派手な音を立てるシルバーアクセサリーは、思い出せるはずもない生前のトラウマが刺激されるようで、女の耳には不愉快に聞こえる。
一言で言えばチャラい。
それは、変装した紫園路 一輝(
ja3602)だった。空中捜索組からの連絡を受け、近くにいた彼が駆けつけたのだ。
それともう一人――同じく近くにいた野々鳥が怪我人を助け起こし、女を煽る。
「――へいへいお嬢さん。ずいぶんイカしたヘアスタイルしてるじゃん! そのキレイな顔も見せてくれないかな?」
「……あらん、さっきのイイ男じゃない」
突然現れた二人の男に、女は対象を変更する。男か女かわからないような生物よりも、目の前にいる男っぽい二人の方がわかりやすい。
近づいてくる二人の男の、股の間に鎮座するブツにヒールの矛先を変え、女は飛びかかった――。
「スキル発動! 俺の股間にナイトミスト!」
なんと野々鳥、ナイトミストを股間周りに纏わせて女の金的攻撃を回避!
女の蹴りは目測を誤り、野々鳥の内腿の間を、皮一枚ですり抜けた。
「ひーーー……あっぶねーえげつねー……」
おののくように、傍らにいた一輝が悲鳴のような呟きをする。あの攻撃をまともに受けていたらと思うと……色々と縮み上がるような気分だ。
野々鳥がバックステップで女から距離を取り、離れる。
「よし、逃げるぞ紫園路くん! 安心しろ!君の股間は俺が守るから俺の股間は君が守ってください!」
台無しな台詞を吐きながら野々鳥と一輝は一目散に逃げ、女はそれを追いかける。
命がけの鬼ごっこが始まった。
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二人の走る道は人の気配がない。誘い込む道にはあらかじめ人払いをしていた。
女はそうとも知らず、公園へ誘い込まれている。
彼女は後ろから別の撃退士が追ってきているのにも察していたが、そちらは女二人と男が一人だ(実際にはルルディが混じっているが、彼は女性に見える)。男二人組の方が優先度が高い。
そして女がある街路樹にさしかかったところで――奇襲が女を襲った。要の攻撃である。
木の上にいた要の存在に気付けず、奇襲は完全に成功した。女は背に魔力の矢を受けるが――浅い。
女がそちらを鬼の形相で木の上を見上げるが、そこにいるのは和装に身を包んだ麗人である。
女の攻撃対象は変わらず、前方の男性二人だった。待機していた愛奈と静花も姿を現しカマキリ女を取り囲んでいるが、やはり女は一直線に男性陣へと飛びかかる。
「うおっ、やっぱ俺かよっ!」
攻撃対象は一輝。
鋭い女の蹴り上げを一輝は腕でガードし、お返しとばかりに女を蹴り返す。
「男の仇――とらせて、頂きます!」
跳ね上がる女。だが大して効いている様子はない。地面に着地すると同時に、また恐ろしい攻撃がその足から繰り出される事だろう。
だが、その前に――。
「――追いついた。何がそこまで駆り立てるのかは知らんが、もう終わりにしよう」
後ろから追ってきていた静流が着地点に待ち構えていた。
空中で身動きのできない女の足を狙い、静流はグリースを振るう。
鞭のように金属の糸がしなり、半月状に女の足を薙いだ。
『グ……ギ……ッ』
苦悶の声を上げながらも、女は空中で身を捻って足への直撃を避け、着地と同時、静流へ両手の鎌を両袈裟に振るう。
腕を犠牲にして静流は鎌の一撃をガードする。
「……やるな。だが」
静流の怜悧な瞳が、戦場を冷静に見据えている。
足への攻撃はカマキリ女にとって、かなり痛手だっただろう。先ほどまでのような動作の機敏さは感じられない。そしてカマキリ女は、背後から攻撃しようとしている撃退士に気付いていなかった。
「危険な攻撃はさせないの! 愛ちゃんの攻撃でおとなしくさせるの!」
無防備な背中を曝すカマキリ女へ、愛奈の杖が向けられる。
迸るは雷光。闇夜を切り裂く閃光が夜を真横に両断し、女へ雷撃の一撃を喰らわせる。
――女の動きが、止まった。
「……ふッ!」
体から余分な力を抜くような呼吸と共に静花が接近。鍛え抜かれた腕が、女の鳩尾を撃ち抜く。
吹き飛び、木に叩き付けられたところへ望と野々鳥の追撃が入る。斬撃と魔撃。堪らず、女はとうとう地に膝を付けた。
『……オ、オトコ……コロス……ミナゴロシ――』
それでも、女はうわ言のようにその言葉を呟いていた。その言葉に、反応する者がいた。
「男を皆殺し……? それって、ボクの弟も含まれるってことだよね……?」
ルルディである。その言葉が彼の逆鱗に触れるものだったのか、突如ルルディは激昂し、怒りを露わにする。
「……キミがなんなのかは構わない、だが……ぱっと見で判断するのはいただけないんだよ。それに男がすべて滅んだらボクの可愛い可愛い弟までいなくなるだろうがぁああああ!」
ルルディの周囲を蝶が乱舞し、女に襲いかかる。召喚獣ではなくアウルで形成された蝶である。
蝶の小金色に輝く鱗粉が女を蝕み、ヒリュウのハイブレスが蝶と共に女の身を焼き尽くす。女はそこで、ぐったりと動かなくなった。
「……ふう。ようやく倒れたか。怖い敵だったよ、全く」
「――いや、まだですっ!」
木を背にしてうなだれるカマキリ女の目に、怪しげな光がまだ宿っているのに要が気付く。
同時、女が幹を蹴り、長い髪をふりみだしロケットの如く突進する。
飛び出した女を要が弓で撃ち落とそうとするが……間に合わない。窮鼠猫を噛む。生前の憎しみを全てぶつけるかの如く、最後の一撃に全てを込めた。……一輝の股間に向けて。
「おぉう!?」
……もんどりうって地面を転がる一輝。めちゃくちゃ痛そうである。
恐らく、狙われた理由はこの中で彼が一番カマキリ女の大敵のような恰好をしていたからだろう。一輝は女の金的攻撃対策に変装スキルを用意してはいたのだが、女をこの公園に誘い込む際に解けてしまっていた。
カマキリ女はそれで正真正銘最後の力だったのか、糸が切れたようにぱたりと倒れ、そのまま動かなくなった。
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「……おい、大丈夫か?」
いまだ悶えている一輝に、静花が屈んで話しかけた。
「〜〜〜〜ッ。も、もう少し休憩させて……」
「ん。わかった」
重傷と呼ぶほどに大きなダメージは負っていないようだ。全員がカマキリ女の足に攻撃を集中させていたのが功を奏したらしい。
「……やっぱりあの天魔は危険だったの。早く倒せてよかったなの」
愛奈が痛がる一輝の様子を見ながら、恐ろしげに語る。彼の様子から愛奈はあの天魔の攻撃がどれだけの威力を持っていたか理解したらしい。少しだけ大人になったようだ。
望は動かなくなったカマキリ女の亡骸を見下ろしながら、独り言のように呟く。
「哀れだと同情すべきだろうが……まぁなんだ。昔のお前がどうだったかは知らんが、今のお前じゃ誰も相手にしないと思うぜ」
ここで終わらせるのが彼女の為。
まだ息のある女の首を、すとん、と花を摘むように望の剣が刈り取った。
夜の繁華街を騒がせたこの天魔事件は、犠牲者を出してしまったものの、元凶を撃退する事には成功した。
カマキリ女の被害にあった男性はその後入院したようだが、命に別状はないようだ。
……なお、蹴り上げられた一輝のモノは無事に治ったようなので悪しからず。