「おなか……すいたなあ」
子供の一人が呟いた。
森で二人の子供が迷子になって既に数刻。子供達はいつ帰れるかわからない恐怖と空腹に必死で耐えていた。
「――あっ、私クッキー持ってますよっ! よかったらどうぞ」
二人の迷子を発見しながら自身も迷子になってしまったアキラが、鞄から取り出したお菓子を二人に見せる。男の子はそれを受け取りながらも、じとっとした目をアキラに向けた。
「ん、どうしたんですか?」
「お姉ちゃん、地図はなくしたのにお菓子はなくさなかったんだね」
「うっ……!」
子供の純粋な皮肉が、アキラの胸にぐさっと突き刺さる。だけど落ち込んでいる場合じゃない。自分がしっかりしなくてはいけない。
「だ、大丈夫です! 心配なんかしなくても撃退士の人達がすぐに助けてくれますよ!」
空元気で子供達を無理やりにでも励ました――その時。仄かに灯りが見えた。亡霊のような、緑色の灯りが。
「――っ。立ってください。逃げましょうっ」
それは明らかにヒトではない挙動をしていた。幸い、まだこちらに気付いている様子はない。アキラは子供達を立たせると、森の奥へと移動を始めた。
●二班 南側
音もなくクリオネ達は森を浮遊する。一塊になって木々の間を漂う彼らの数は二十を超えている。
半透明の身体を持つクリオネ達の動きは、なるほど妖精と呼ぶに相応しい愛くるしさと神秘に満ちている。ただし、ひとたび獲物を見つければ彼らはその邪悪な本性を露わにする。
――そして今、集団の戦闘を漂うクリオネが近くにいる獲物の存在に気付き、頭部からその触手を草間に伸ばした。
瞬間。
彼らの浮遊する大地に魔法陣が描かれた。
爆発。聴覚を狂わすほどの音がクリオネ達を吹き飛ばし、続いて彗星のような光が頭上から降り注ぎ、多くのサーバントをまとめて滅ぼしていく。
「今で御座る、主様!」
「……二人とも、無理はしないでですの」
草むらから飛び出したのはエルリック・リバーフィルド(
ja0112)とアトリアーナ(
ja1403)。従者と主の二人組は連続攻撃によって空いた敵集団の間を駆け抜ける。
当然サーバントも接近してくる獲物を見逃すはずもなく、鞭のようにしなる触手を二人に浴びせかける――と、その触手の先が二本、同時に吹き飛んだ。
「こちらは気にしないでいい。時間を稼いでおこう」
「大丈夫です、そちらは早く子供達を見つけて安心させてあげてください」
攻撃したのはアイリス・レイバルド(
jb1510)と天宮 佳槻(
jb1989)。初撃のクリオネ達を吹き飛ばしたコメットと炸裂陣を繰り出したのも二人だった。
南側から森へと入った二班は早速サーバント達と接敵し、かねてからの予定通りであった囮役と捜索役に分かれ、行動を開始したのだった。
佳槻とアイリスの援護を受けながらエルリックとアトリアーナは敵の密集地帯を抜け、森の奥へと急ぐ。
「……駄目ですの。連絡が通じないですの」
移動をしながら、アトリアーナは耳に当てていた携帯電話をしまう。彼女は志賀内アキラに連絡を取ろうとしたが、通話することが出来なかったらしい。電波が悪かったのか、もしくは電話を取れないような事態が発生しているのか……。
「――主様。止まるで御座る」
その時、エルリックがアトリアーナを静止させる。ただならぬ気配を感じてアトリアーナは口を噤み、周囲に気を張る。
エルリックの暗視ゴーグルは新たな敵影を捉えていた。その数は先ほどと同じ、二十匹ほど。
それらは二人には木陰で気付かず、頭から触手を生やしながら通り過ぎていく。……二人が元来た方向へと。
「あの方向……もしや――」
エルリックが呟く。どうやらサーバント達が向かっているのは大きな音のする方角――すなわち、佳槻とアイリスの戦う場所である。
「いくらあの二人でも、あの数はまずいかもしれないですの……!」
加勢に入ろうとアトリアーナは立ち上がり――エルリックが、袖を掴んだ。
「――主様、今は救助が最優先で御座る」
「エリー……。うん、わかったですの」
言うが早いがくるりと方向を変えると、アトリアーナは足にアウルを集中させ、爆発させる。縮地――アウルの力を借りて速力を高める技である。アトリアーナは後ろに土煙を排しながら森を爆走する。
付き従うように僅か後方をエルリックが走り、銀と金の主従は森の最奥へと突き進む……。
範囲攻撃で散らした敵を佳槻とアイリスは遠距離攻撃でしらみつぶしに仕留める。新たな敵の集団が姿を現したのは、そんな時だった。
「これは少し……きついかもしれませんね」
佳槻がアイリスを見やる。隣のアイリスは無表情で何を考えているのか汲み取ることは難しい。
「なに、私達が囮になっている間、向こうが動きやすくなっていると考えればいいだろう」
事も無げにアイリスは言う。
彼女達は敵の殲滅は考えておらず、そのため後退しながら近付いてきた敵を遠距離攻撃で撃ち落とすという戦法を取っていた。
敵は確かに弱く、一体一体は脆弱だった。しかし、その力量差を覆すほどの『数』が敵にはいた。撃ち漏らしたクリオネの触手は二人の体力を削り、追いつめていく。
背を大木に預けて呼吸を整えながらふと佳槻は違和感に気付く。自分よりもアイリスの方に敵の攻撃が集中しているような……。そしてそれはアイリスも感じていたらしい。
「私の方を獲物だと認識しているのか? 面白い」
面白いと言いながらもその顔は相変わらずの無表情。接近を許した敵を機械剣で斬り落としながらアイリスは思う。
依頼書にはこのサーバントは『子供を優先的に狙う』と書いていた。佳槻も身長の低いアイリスを敵は『子供』だと認識しているのかもしれない。
三匹のクリオネ達がアイリスを狙い、獰猛な触手を伸ばす。横に並んだ三匹のサーバントを、側面から放った佳槻の火球が焼き払う。近くに救助者がいないことは確認済み。この近くにいるのは敵と自分達だけ。であれば――何の憂いもなく二人は範囲攻撃を使用できる。
再び、敵の密集地帯にコメットと炸裂陣が襲いかかる。
少し開けた森の中、残った敵が再び集まる僅かな時間、二人は乱れた息を整える。
救助の信号は、いまだ上がらない。
●一班 北側
陽は牛歩の歩みで、しかし着実に傾いていく。一班はここまでサーバントと遭遇することなく歩みを進めていた。
「聞こえたら返事をしてほしいの、です……!」
華桜りりか(
jb6883)が小さな声を、それでも大きく張り上げる。しかし返事はない。彼女の声はまるで、木々達が意地悪をしているかのように森の中に響かない。森は、全くの無音だった。
「……妙です」
生命探知を行っていた唯月 錫子(
jb6338)が呟く。その声に、皆の足が止まる。錫子は彼らに生命探知の結果を伝えた。
「ここら一帯なのですが、生命の反応が一切ないんです。……まるでここだけ、ごっそり大きなスプーンで抉り取られたみたいに」
「……つ、つまり、ここにいた生き物は皆サーバントに食べられちゃった……ってこと?」
水無月 ヒロ(
jb5185)が言った。
そのサーバントは生き物を捕食するという情報もあった。……そしてそれは、サーバントがすぐ前までいたことを示している。
「……おい、これを見ろ」
牙撃鉄鳴(
jb5667)が何かを発見したようだった。そこには幹に傷のついた大木があった。自然にできるような傷ではない。人の手によって出来た傷のようだった。
「……移動する時は目印を残しておくように、と指示している。この傷はその目印だろう」
とはいえ、鉄鳴は以前の依頼でアキラの人物像を知っていた。指示を守れるかは半々だったが……何とか従ってくれたようだ。
――だが、その事実は一同に最悪の事態を連想させた。
「早く、助けるの……!」
りりかが叫び、撃退士達が一斉に駆け出す。木々には傷痕が点々と付けられており、それを道標に彼らは森を駆け抜けていく……。
●緑の追跡者
「――ハァ……! ハァ……!」
――追われている。
アキラは両手に子供達と手を繋ぎながら、森の中を闇雲に走る。
気配など感じないし、迫ってくる敵の音もしない。けれど、足を止めた瞬間に自分達はサーバントに喰われているというイメージだけは脳裏に思い浮かんだ。
だから、時折休憩がてらに鉄鳴に言われた通り、木に痕跡を残すだけでほとんど立ち止まることはなかった。
「……あっ!」
その時、アキラが木の枝を踏み、思いっきり転んだ。こんな緊急事態にまで自分はドジをするのかと自分で自分が情けなくなる。転んだ際に足を捻ったらしく、もう走れそうになかった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「……ええ、大丈夫ですよ。でもちょっと疲れてしまいましたので、先に逃げていてもらえます? 私は後から行きますので」
「でも……」
「大丈夫です」
納得できない子供達を無理やり走らせ、アキラは一人地面に座りこむ。
――何かが近づいてくる音がする。
おそらくサーバントだろう。せめて少しでも子供達を逃がす時間をつくろうと、アキラは自分がコケた原因の木の枝を握る。
がさがさ、という音がますます大きくなり、近づいてくる。アキラはその音に向かって木の枝を――投げた。
「やあああぁ!」
――手ごたえはあった。その枝は確かに何かに当たったはずだ。……当たった? サーバントならば透過するはずなのに。
「またあんたか……頼むからやる気に見合うだけの能力を身につけてくれ。もしくはそのやる気をこの森に置いていってくれ……」
「あ……」
茂みから出てきたのは、鉄鳴だった。掌で受けとめた木の枝を投げ捨て、その後ろから続々と一班の撃退士がやってくる。
「こ、腰が抜けました……」
「大丈夫でしたか?」
座り込んでいるアキラに、錫子が屈んでヒールをかける。足の怪我が治っていくのを、アキラは感じた。
「志賀内さん、一人で先走るなんて無茶、もうやめてくださいね?」
「はい……すみません……」
しゅん、と項垂れるアキラに、錫子は手を差し延ばす。
「――でも、子供達を守ったのは凄いことだと思いますよ……あら、子供達は?」
「あ、私が足を捻っちゃいましたので、奥に逃がしました」
それを聞き、ふぅ、と鉄鳴は疲れたような溜息をついて額に手を置いた。
「また間の悪い……どの方向だ?」
アキラがその方向を指し示し、撃退士達がそちらを見やる。
「それじゃ……二手に別れて行くか。……っと、そこまで上手くはいかねえか」
索敵により視野の広くなった鉄鳴が最初に異変に気付く。――彼らは、サーバント達が囲まれていた。
「ここは引き受けるの……早く見つけて下さい、です」
「華桜さんはボクが守るから、二人は隙をみて離脱して」
りりかの炸裂陣とヒロの封砲が敵の包囲に穴を開け、その隙にアキラを引き連れた鉄鳴と錫子が離脱する。
クリオネ達はこのメンバーの中でより身長の低いりりかとヒロを獲物だと認識しているようで、離脱していく三人には目もくれず、二人に攻撃を集中させていく。
「ボクが相手になるよっ。華桜さんには手出しさせないからっ」
ヒロが『挑発』し敵を自分に引き付け、隙を見てりりかが炸裂陣でクリオネ達を一掃していく。後先を考えない全力での掃討だった。
しかし怖れを知るだけの知能すら持たないサーバント達は、先頭を陣に押し込むように前進し、着実に二人の体力を削っていく……。
●不運
それは、ただの不運だった。
志賀内アキラが、自分が動けなくなったため子供達だけを逃がしたこと判断は間違っていない。……だが、敵より先に救助が来たことについては不運だったとしか言うことができないだろう。
そして、不運はもう一つあった。子供達が逃げた先に、群れからはぐれたサーバントが一匹いたことである。
「い、嫌だ……っ! 嫌だぁ!」
触手に四肢を絡め取られた男児が、唯一動かせる首をぶんぶんと振り、泣き叫んでいる。その隣では、恐怖で身動きの取れない女児が青褪め、ぶるぶると震えている。
――それは、ただの不運。あるいは、子供達を逃がしたアキラの星の巡り合わせが招いた最大級のドジなのかもしれない。
今、クリオネは己に与えられた食欲という唯一の欲求に従って子供を丸呑みにしようと――。
「させませんですの!」
――アトリアーナの発勁が、子供を縛っていた触手を切り裂いた。
「うわわ……!」
宙に浮いていた子供は触手を切られたことで地面に急降下し、滑り込んだエルリックが子供を抱きとめる。
「大丈夫で御座るかな?」
「え……あ、うん。ありがとう」
「エリー、長居は無用ですの。早く連絡を」
はぐれたサーバントにとどめをさしながら、アトリアーナは指示を出す。
「了解で御座る」
エルリックは手早く発煙筒と携帯で仲間達に『子供達を救助した』という連絡を回し、二人は子供達を連れてその場を後にする。
その連絡を受け取った他の撃退士達――交戦中だったアイリス&佳槻、ヒロ&りりか、アキラを連れた鉄鳴&錫子も、森から離脱する。
森を出た後はサーバントが追ってくるようなこともなく、こうして子供達(とアキラ)は無事に救助された。
●後日談
救助に成功した皆さんは、駅で新幹線の発車を待っておりました。これから全員で久遠々原学園まで帰るのです。その中にはもちろんアキラの姿もありました。
「はぁ……」
当然、アキラは落ち込んでおります。そんなアキラに、アトリアーナが声をかけました。
「あ、どうしました、アトリアーナさん?」
「あの、今回迷子になったのと、先走ったことは残念ですが……その、助けようとする気持ちが大事だと、ボクは思うのですの」
「うむ。私もそう思うぞ。まぁ、最後だけは締まらなかったようだが」
アトリアーナの言葉にアイリスが同意を示し、二人の言葉にアキラは励まされました。
「お二人とも……! ありがとうございます! ……そう言っていただけると、とても嬉しいです」
「……俺はもう勘弁してほしいがな」
「僕もです。というか、何だかいろいろとドジっ娘では済まない方向に行きつつある気が……」
ぼそりと、鉄鳴と佳槻が疲れた様子で呟きます。その声は彼女には届かなかったようで、アキラは元気いっぱいになって、ホームにやってきた新幹線に飛び乗ります。
「皆さーん! それじゃあ学園に帰りますよー!」
「志賀内さん! その新幹線逆方向です!」
「へっ?」
錫子の叫びも虚しく、ドアは無情にも閉まります。撃退士達を置いて、学園とは正反対の方向にアキラを乗せた新幹線は走ってゆきます。
それを見送る撃退士達の目は、哀愁漂っておりました。まるで出荷される家畜を見ているような目です。
アキラが学園に帰ってきたのは、皆さんよりずっと後のことでしたとさ。