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あれほど騒がしかった斡旋所は、今や静まり返っております。
少しは冷静になったアキラは、座椅子に腰かけて、ずーんと沈んでおりました。
自害用に用意したナイフは取り上げられてしまったので、今は代わりにカッターナイフを持ち、ちりちり、ちりちりと刃を出したり引っ込めたりしています。
――かなり、不気味です。
アルバイトさん達はまた何かアキラがしでかさないかとハラハラしながら見守っておりました。
アキラは錆の浮いた刃をじっと眼鏡に写し、溜息を一つ溢しました。
(この依頼が終わったら……どこか樹海にでも行っちゃいましょうか。ああっ撃退士さん達、ごめんなさいっ)
そんなアキラのカッターナイフを、誰かがもぎ取りました。
「それは責任を取ることにならないよ」
蒸姫 ギア(
jb4049)でした。何というか、とてもSFちっくな恰好をしたお方です。
アキラは奇妙な恰好をした男性の登場に、落ち込んでいたことも忘れ目をぱちくりさせました。
「戻ってきた2人にちゃんと謝るのが今出来る責任のとり方……心配しなくても、ギア達が絶対助け出してくるから……」
「あ……ありがとうございますっ。……心配、してくださってるんですね」
「……別に心配してるわけじゃないんだからなっ」
はい、テンプレツンデレ台詞いただきました。
「アキラさん……同じ名前なのも何かの縁! 私に任せておいて!」
神埼 晶(
ja8085)が自分の胸を叩き、そう言いました。
晶は木の棒を持ち、その先端にはタオルが巻きつけてあります。何に使うのでしょう、とアキラは思いました。
「ありがとうございます……晶さん。よろしくお願いします」
(全く……とんだ尻拭いだ……)
牙撃鉄鳴(
jb5667)は、わずかに眉をしかめます。彼は晶と同じく木の棒を肩に担いでいました。
「今後このような事が起きないよう、資料を見せながら説明しろ」
彼はぶっきらぼうにアキラに言いました。
「うぅ……はい。二度と撃退士さんを危険な目に合わせません……」
全くもって当然のことで、撃退士の仕事は命の危険を伴います。それをサポートする側のミスなどあってはならないことです。辞めろと言わないだけ温情がある言葉です。
(少々、彼らが不憫に過ぎてならないとは思うのですが)
織宮 歌乃(
jb5789)は思います。
(それ以上に、志賀内様が「自分のせいで酷い怪我をした」と自責の念に駆られて仕事を辞められぬように)
撃退士の救出は当然として、アキラの心も救いたいと。
そのためにするべきことは、彼らを無事に救出することだと真紅の少女は思うのでした。
全ての準備を終えた撃退士達は、戦場に行くため転移装置へと歩みを向けます。彼らの頼もしい背中に、アキラはそっと頭を下げるのでした。
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――遠吠えが聞こえる。
黄昏時。焔によく似たスカーレットの空の下に、その怪物達はいた。
獣達は二頭の頭から鬣のような炎をなびかせ、仕留めた獲物の周囲をうろうろしている。仕留めた獲物とは――無論、撃退士。彼らはぴくりとも動かず、力尽き地に伏せている。
「――しかし、態々見えている地雷を踏み抜き窮地に陥るとは……好き者な人達だ」
がさり、と土を踏む音。聴覚よりも嗅覚の優れた獣達は、新たな獲物の登場に音よりも先に気付いていた。
アイリス・レイバルド(
jb1510)。根っからの「観察狂い」である彼女は獣達の様子をあますところなく蒼色の瞳に焼き付けている。――その瞳が、ちろりと横に向いた。
「ところで藤堂さん、何をやっているんだ?」
バケツ一杯の水を頭から被り、足元の雑草へ雫を滴り落としている大男、藤堂 猛流(
jb7225)がそこにはいた。
「ん……ああ。敵さんの炎に対して効果があるかわからんが、一応な」
――変わった男だ、とアイリスは思う。最も変わっていない撃退士を探す方が、久遠々原では難しいが。
アイリスはその無感情な瞳に、周囲の様子を映し出す。
こちらの人数は六人。紅に染まる川を背に獣共と対峙している。
距離は10メートルほど。獣達は獲物を奪われることを警戒しているのか、唸り声を上げながら計六つの眼に撃退士達の動向を余すことなく捉えている。
――その六つの眼が、撃退士達のある一点に注がれた。
夕陽に向かって細々とした煙が昇っていく。その下、晶の持つ木の棒の先端は、ごう、と燃えていた。
「さて、うまく喰いついてくれるといいんだけど……」
続いて鉄鳴も手持ちの木の棒に火を付け、獣達に見えるよう高く掲げた。
斡旋所で用意していたものは、この松明だった。棒の先端についた布は灯油に浸され、よく燃える。二つの炎に、獣達はぴくりと鼻を動かす。
――やはり、炎に反応しているらしい。ゆらゆらと松明を動かすと釣られて獣も首を振る。
鉄鳴の額に汗が浮いた。
松明を持っているためでもあるが、確実に体感温度も上がっている。獣達が首の炎をより高く燃やしているのだ。――彼らの闘争本能が炎に呼応しているように。
心まで焦げ付くような熱気の中、撃退士達も光纏し、臨戦態勢に入った。
蒸気式の異装で身を包んだギアは周囲に『韋駄天』をかけ、アイリスは自身と猛流に『アウルの鎧』をかける。
光纏し、黒猫のように目が黄金に染まった沙 月子(
ja1773)はその捕食者のような瞳と
共に弦の無い和弓――雷上同を獣共に向ける。
「今日は狩人に徹しさせて頂きます。私の罠(スキル)を躱せますか?」
前衛に立つ猛流は腰を低くし、重心を下げた。
――いつもの試合と同じだ、命かけて潰してやる。
猛流にとっては今も昔も変わらぬ戦場。アメフトも天魔との戦いも、“戦場”ということに変わりない。
雷が落ちたかと見紛うほどの閃光が獣達の炎の鬣から発せられ、銃弾のような速度で松明の炎へと向かっていく。
「YAー! HAー!」
――その獣の一匹を、猛流は盾で受けとめた。
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――何もない空間で、ゆらりと何かが動いた。陽炎? ――否。それは確かに実体を持ち、倒れた撃退士達へ近寄った。
「大丈夫? ……駄目だね。気絶してるよ」
ユリア(
jb2624)だった。
彼女は起き上がらない撃退士の一人を腕に抱え、背中から骨のような形状の翼を生やした。
「そっちはどう?」
ユリアが何もない虚空へと声をかける。そこにはユリアと同じく潜行している歌乃がいるはずだ。
「――こちらも。見たところ大怪我を負っていないところが救いでしょうか」
獣達は松明に気を取られていて、今正に自分達の獲物を横取りされようとしていることを悟っていなかった。歌乃とユリアは負傷している撃退士を抱え、戦場から遠く離れた草むらまで移動した。
夕日の沈みかけた空は夜の色が混じり、朱と紫の混色になっている。だというのに、いまだ地上は真っ赤に燃え上がっている。――爆発音と獣の唸り声。戦いはいまだ終わる気配はない。
「……う、ううん。あ、あんたらは?」
と、ユリアの抱えていた方の男が目を覚ました。ユリアは彼にダークフィリアで治療していたのだ。
「よかった。気が付いたんだね」
まだ足元がふらつくようで、ユリアが男を地面に下ろすと同時、地面に座り込んだ。
「救援か? 助かった。……あっ、気を付けろ。あのサーバント共、炎が効かねえぞ!?」
「……いや、それは知ってるよ」
というよりも、見ればわかる。
「……もう少しの辛抱、ですからね?」
もう一人の怪我人を草むらにそっと下ろし、夕日と同じ赤い髪を持つ少女は火柱の上がる方向を見据える。
「正しく猛る炎の獣の……ですが、この程度で臆すつもりはありません」
「あなた達はここで隠れていて。すぐに倒してくるから」
ユリアと歌乃は二人の安全を確認した上で戦場へと戻っていった。
●
獣は火を怖れる、という定説はあるが、この獣達はそれには当てはまらない。
獣達は松明の炎に引き寄せられ、牙を向いて撃退士に襲いかかっている。
それをアイリスと猛流が前衛で押しとどめていた。二人は僅かづつ後退し、川の方へと獣達を引き寄せている。
「……くっ」
猛流が地面に片膝をついた。既にダメージが蓄積し、至るところに傷痕がついている。その隙を突き、獣が一匹空中へと跳ね、猛流を飛び越えようと試みた。
「――今だ!」
焦れた獣が飛び上がったところで、猛流が叫ぶ。――そこに、無数の釘が現れた。
「怪我人がいるので長々とお相手していられないんですよ」
にっこりと笑顔を見せ、月子が掲げていた腕を振り下ろす。同時、空中の獣を囲むように出現していた咎釘が、一斉に獣へと射出された。
『――グガアアア!』
しかし、それは全て躱される。獣の炎が噴出され、空中で突如軌道を変えた。向かう先は――松明を持った鉄鳴。
「……」
鉄鳴は無言のまま銃口を獣に向け、放つ。
獣は首を傾けることで炎の推進を変え、これをさらに回避。鉄鳴に肉薄した――。
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――一匹の獣がもう一方の松明を持つ撃退士、晶に迫る。
「357アウル弾をこの距離で撃ち込めば! これでどう!!」
晶の持つリボルバーが火を噴く。コルト・コンバットパイソンを模した晶の銃は、命中精度を上げるためにグリップに反動を抑える処理をしている。
しかし、そのリボルバーすらもいともたやすく空中で炎を繰り身を捻って回避した炎獣は、勢いをそのままに、それこそ弾丸のように体を回転させながら晶へと突進攻撃をしかける。
「……ッ。なめるんじゃないわよ!」
即座に晶は対応しシルバーレガースを活性化。横に飛んで獣の牙から逃れ、すれ違う直前、銀色に輝く踵を獣の横腹に叩き込んだ。
『――グオオォ!』
体勢を崩しながらの攻撃は、しかしさほど効いた様子はない。怒りの炎を高めた獣は、松明ごと晶を喰らわんと大口を開き、
――石縛の粒子を孕みかの者を石と為せ。
そこで、砂塵に包まれた。
砂塵――『八卦石縛風』の周囲を歯車状の扇が旋回している。その扇を、黒い手が掴んだ。
明鏡止水で潜行し、機を窺っていたギアだった。
石化した炎獣はそのまま動きを止め、やがて力尽き、最後の瞬間の蝋燭のように、炎の鬣がふっと掻き消えた。
「助けてくれたの? ありがとう」
「べ、別に助けた訳じゃないからなっ」
……最後まで、ギアはツンデレだった。
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接近する獣を冷たい目で流し見て――滅多に表情を歪めぬ鉄鳴がわずかに唇を釣り上げた。
「……ほら、とってこい」
鉄鳴が背後に向かって松明を放り投げる。
鉄鳴の後ろは、既に川だった。いつの間にか獣はここまで誘い込まれていたのだった。
炎獣は前足を跳ねさせて炎を噴出、松明を追って川へと着水した。
『グオオッ!?』
獣の炎が川によって消えるということはなかったが、単純に水が苦手なようだった。すぐさま炎を噴射させて陸へ上がろうとする。――そこへ翼を広げ駆けつける、ユリア。
「凍てつかせてあげるよ」
水面の際をユリアは飛ぶ。
ユリアの翼が風を切り、彼女の通った道を示すかのように川の水がその軌跡を描き、水飛沫を上げる。
炎を噴射させて空を飛ぶ獣は水飛沫を浴びるのを嫌い、動きが限定されていた。
――紅に染まる水面に、一足早く月光が浮かぶ。ユリアのMoon's Embraceだった。
月色に染まる少女は両の手に新月の闇夜を髣髴とさせる弾丸を収束、動きの鈍った獣に解き放った。
――沈黙。
最後の咆哮すら上げる間すら与えられず、獣は動きを停止し、水の中へと落下していった。
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二体の仲間が倒されるのを見て、最後に残った二頭炎獣は委縮しているようだった。二つの頭は顔を見合わせるようにした後、僅かに交戦中の撃退士から距離を置いた。――その背に、炎よりも紅き花びらの舞が襲いかかる。
炎獣はその気配を察し、空中へ跳躍して回避。着地に合わせて本隊に合流した歌乃が炎獣へ斬り付ける。先ほどの攻撃も、歌乃の緋獅子・椿姫風によるものだった。
着地の前に殺気を感じた炎獣は首から首から炎を射出、二段ジャンプにより剣筋から逃れた。――と、その頭上。歌乃の攻撃に気を取られていた炎獣は、黒色の羽が迫っていることを気付くことができなかった。
「――迂闊の代償は血で購って貰おうか」
アイリスの黒の兇手が、断頭台の如く炎獣の首を両断した。
苦痛に、炎獣が大口を開けて咆哮する。
しかし、獣は一つだけの頭でまだ生きていた。獣は片方だけの頭となりバランスを崩しながらも、炎を噴出し逃げようと試みている。
アイリスはそれまで前衛として戦っていた分、追撃を出すほどの余力はなかった。
「さっきは躱されましたが」
――その前足が月子の放った咎釘に縫い付けられた。
釘は獣の足と地面に縫い刺さり、完全に拘束していた。
「こちらは逃しませんよ」
月子の背後、既に夜の色が濃くなり始めた空に、無数の針が現出する。地獄針は月の光を反射し、怪しげな艶で煌めく。
月子が手を掲げると、氷で出来たその針は一斉に獣へと撃ち放たれた。動けない獣はそこに縫い付けられたまま――その命の火を消した。
●
「……終わったのか?」
それまで草むらに身を隠していた二人の撃退士がひょっこりと顔を出した。獣達は皆沈黙し、動かない。
ふう、と溜息をついて、アイリスが前に進み出た。
「さて、怪我人は前に出ろ。淑女的に治療してやる」
自身も負っているダメージを無表情の後ろに押し隠し、アイリスは怪我を負った者へ治療を始めた。
(さすがに、アメフトみたいにはいかなかったかな)
アイリスの治療を受けながら、猛流は戦闘を思い起こす。
――これからも「走る盾」目指して精進しないとな。
「あ、もしもし。無事、お二人を救助しました」
その頃、月子は斡旋所へ連絡をしていた。
「で、ものは相談ですが……」
にやにやと、何やら不穏な笑みを月子は浮かべていた。救出された撃退士二人に向き直り、黒く笑って一言。
「責任は斡旋所にあるわけですから、組織としてしっかり対応して頂きませんとね」
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後日談。
志賀内アキラはるんるん気分で歩いておりました。
撃退士二人は助けていただき、それから先の仕事では細心の注意を払ったおかげで、一度もミスをすることがありませんでした。
そして……今日は初めてのお給料日です。
人を救う仕事がしたいとアキラは久遠々原の事務員になったのですが、それでもやっぱり、お給料は心躍るものがあるようです。
アキラはわくわくとした顔で給与明細の紙を覗き込みました。――と、アキラの顔がみるみる青くなっていきます。
「く……久遠が……ない……すっからかん……です」
『彼女の給料を減俸は当然として、その減俸分をお二人のお見舞い金にできませんか? いえなに、誤伝達で死にかけたのですから謝罪プラス誠意でもって示した方が双方丸く収まると思うのですよ』
……とまあ、こんなやりとりが斡旋所と月子の間にあったのでした。
ドSなにっこり笑顔が、アキラの脳裏に浮かぶのでした。