●
暦の上では秋とは言え、まだまだ暑い栃木県。今回の事件の現場となったK市郊外も例外ではない。
丘陵地帯を切り開いた果樹園は、南北を山に挟まれ東西に細長い。樹が植わった緩い丘陵の真ん中を、細い農道がくねくねと伸びている。
立ち上る陽炎。まとわりつくような湿気。収穫が近い果実の甘い香り。そして……。
果樹園のはずれの農機具小屋。作業台には旧型のノートPC。
「何という趣味の悪い怪物…! どうせ精神のねじくれた、醜い悪魔が造ったに違いない!」
農薬散布用のラジコン飛行機が持ち帰った僅か数秒の動画に、ラグナ・グラウシード(
ja3538)は憤慨していた。
緑の髪にルビーの瞳が印象的な青年だが、非モテ非モテしい(※1)オーラが残念だ。(※1禍々しい的な)
「まためんどくさいのが相手みたいだな……」
非モテ騎士の横から画像を覗き込んだ御伽 炯々(
ja1693)もうんざりした色を隠さない。斡旋所でも「標的」の静止画は見たが、動いているそれは全く印象が違う。
「現物見たくねえ……」
炯々の嘆きも無理なしからぬことで。そこに映っていたの植物型のディアボロは、あまりにも奇怪だった。
人間界の生物に例えるならば、水栽培で発根させた球根が近いだろうか。
ただし色は毒々しい緑色で、球根部分には涎を垂らす大きな口があり、根にあたる部分は蔓とも触手ともつかない蠢く何かである。
動画には蔓だか職種だかを伸ばして果実を貪る様が記録されており、非常に憎たらしい。
「あー……農家の皆さんが汗水流して育んだ一年の成果を……」
ぐっちょぐっちょ。音まで聞こえてきそうな食いっぷりに小さな悲鳴をあげるのは逸宮 焔寿(
ja2900)。
依頼主の悲しそうな顔が思い出されたのか、拳に力が入る。戦闘に赴くのは久々だが、恐怖も竦みも最早ない。
(……焔寿、頑張る。)
あるのは決意。──敵は殲滅あるのみ、なのです!
「天魔の場所は……このあたりのようですね」
3人と反対側の作業台。ディアボロ動画の撮影座標と地図を照らし合わせていた神月 熾弦(
ja0358)が、ついと顔をあげた。
可愛らしい声での報告に、撃退士たちは銀髪の少女に向き直る。
「ここと……ここ。少し離れていますが、交戦中に気づかれると厄介です」
繊細な指先がとん、とんと地図の2箇所を叩いた。
なるほど彼女の言うとおり、2点は農道を挟んだ直線上にある。距離はせいぜい100m、乱戦となる危険性は高い。
と、自信満々の笑みをうかべたのはラグナ。
「心配には及ばん。この私が『小天使の羽根』でこいつを引きつけてその場を離れる。醜い天魔ゆえ知能もしれている筈、山影か木の陰まで連れていけば、すぐに見失うだろう」
ぶゎさぁっ!
白い羽が騎士の背中に出現した。一見神々しく麗しいのだが非モテオーラが……いや、なんでもない。
「よし、グラウシードさんに1体を引き付けてもらってるうちにもう1体を斃そう。加減はしない、全力だよ」
得物は刀、本質は剣鬼。腰の忍び苦無を確かめつつ、神喰 茜(
ja0200)は迫る「戦い」に昂ぶりを感じていた。
敵はお世辞にも美しいとは言えないが、斬るのに不足はない。
「ん、ラグナおにーさんの負担を短くする為にも、一気に倒してしまうのだ♪」
今回最年少、元気いっぱいの焔・楓(
ja7214)も一同の顔を見上げ、えいえいおーと拳をあげる。
「では、行きましょうか。……あ、皆さん『装備』を忘れずに」
熾弦が指す先に鎮座するのは、依頼主が用意した小さな段ボール箱。中身は鼻から下をすっぽり覆う……ふた昔前の不良が嵌めていたようなマスクである。
「なかなかにシュールな光景になりそうだ……」
逡巡の後、観念しそれを手に取る炯々。撃退士は大変なオシゴトです。
●
晴れ渡る空の下、モイモイは「デルたん」が果実を貪る様を満足げに見つめていた。
「デルたん、美味しいもいね♪」
道を挟んだ向こうの丘では、貯水槽の水で喉(?)を潤す「スーたん」の姿も見え隠れしている。
「いっぱいあるから、どんどん食べるもい」
2体の怪奇植物は、幼いヴァニタスが初めて作ったディアボロだった。ゼノの「このみのたいぷ」ではなかったのは残念だが、モイモイにとっては可愛い「しもべ」である。
そんな冥魔たちの上空を。
「もい?」
白い翼を持つ何かが、横切った。
「こっちだ、醜い天魔よ! 私の輝きに言葉を失えッ!」
それは冥魔たちの頭上3m程で、凛とした声を響かせる。同時に眩い金のオーラを発し、周囲を照らすオマケつき。
「あいつ、何者もい?」
挑戦的な物言いと輝きに、モイモイはぷーっと頬を膨らませた。
「はははそうだ!! こっちだ! 私を見ろッ!」
ヴァニタスの不愉快の数%は、翼もつもの……ラグナの纏う「シャイニング非モテオーラ」で出来ていたかもしれない。
「デルたん! あいつをやっつけるもい!!」
上空で高笑いするラグナを指差し、モイモイはディアボロに命令した。
グギョォォ!
怪奇植物は涎を撒き散らしながら咆哮し(嗅覚でなのか聴覚によるものか、視認したのかは謎であるが)
「さあ来い! 私をつかまえてみろ!!」
光を撒き散らすラグナを標的として捉え、後を追い始めたのだった。
●
地を揺らしながら、一体の怪奇植物と金の光が遠ざかってゆく。
その様を確かめた熾弦は携帯電話で、炯々に告げた。
「御伽さん、グラウシード先輩が無事に一体を引きつけてそっちに向かいました。こちらも急ぎますので、対応をお願いします」
「了解。万が一『息』にあたって混乱しちまった時は、小石をぶつけてやれば回復すると思う。お互い全力を尽くそう!」」
マイクの向こうの炯々は、あらかじめ打ち合わせた農道上のポイントで、ラグナ(と怪奇植物)の到着を待ち構えている筈だ。
はい、と頷き通話を終える熾弦。残る一体……「スーたん」に挑む撃退士は、彼女を含め4人。
立ち位置は敵の背後から約5m。気取られた様子は未だない。
「うわぁ……なにアレ……ちょっと近づくの躊躇うレベルなんだけど……」
端正な顔の大半をマスクで覆った茜が、心底嫌そうに顔をひきつらせた。
敵を切り伏せることに悦びを感じる剣鬼とはいえ、生理的にダメなものはダメなようだ。
「甘美なスイーツに生まれ変わってもらうのですよー」
一方、焔寿は手元に清らかな紋章が浮かび上がらせていた。白く輝くそれは茜と楓の背中にひたりと貼り付き、ぽうっと光って、失せる。
「ありがと! 多少ならこのマスクでなんとかなるはず。スマッシュで行くのだ〜♪」
聖なる刻印の加護に、楓が破顔した。小さな手に握られるのはトンファー。気合、十分。
「作戦通り、近接で一気に、ですね。……合図、します」
熾弦の言葉に、茜と楓が頷いた。
敵は依然、果実を貪っている。その背中、スキだらけ。
「3」張り詰める、緊張。
「2」高鳴る、鼓動
「1」痛いほどの、沈黙。
「いっくよー!!」
地を蹴る音が3つと楓の宣言が重なる。茜の苦無が、斬意で白く濡れそぼった。
「えーい!」
初撃は、アウルの力を特盛にした楓のトンファーだった。
まずは左、ついで右の棍。
「ワン、ツーなのだ♪」
鈍い音と共に、強烈かつリズミカルなコンボが怪奇植物の後頭部に叩き込まれる。
グギャアアッ!
前側2本の蔓で果実を掴み貪っていたディアボロは、突然の連打にうめき声を撒き散らし、食べかけを放り出してつんのめった。
後方からの奇襲に振り返ったところに繰り出されたのは、剣鬼と化した茜の斬撃。
「──斬る!!」
一気に距離を詰めた阿修羅の苦無が、毒々しい蔓に食い込んだ。
腐臭とどす黒い体液が噴出し、返り血の如く少女を汚す。
「……ぶった斬る!」
だが剣鬼は怯まない。金色の髪を乱し、顔を歪めながらも苦無に渾身の力を込め、狙うはうねる蔓の切断。
勿論怪奇植物とて、やられるままではない。
グオォォッ……!
あいた蔓で茜の身体を掴み、引き剥がさんと暴れ狂う。そして大きな口で、音を立てて空気を吸い込み始めた──!
「させませんよっ」
厄介な息を吐く気配に、いち早く気づいたのは祖霊符を展開させていた焔寿。
茜と楓には聖なる刻印を施したとはいえ、くさい臭いはもとから断つに越したことはない。
「『だがしかし臭い、おまえはダメだ』なのです〜」
テンプレ的言い回しも、美少女がつぶやくとまた違った味わいがある……じゃなくて!
焔寿はアウルで作り出したナイフを音もなく射出する。やや側面よりの体幹部を、戦乙女が鋭く抉った。
グギョッ!?
痛覚と衝撃に耐え切れなかったのか、ディアボロは蔓をでたらめに振り回しのたうった。茜を振り落としたのは魔物にとって不幸中の幸いだったが、刺客は彼女だけではない。
「えーい!」
初撃を成功させた楓が、今度は正面から攻撃を仕掛けたのだ。
蔓に捕まらないギリギリで跳躍し、アウルと全体重を乗せたトンファーを撃ち下ろす──!
はずが。
「ふにゃあ!?」
涎で体操着が溶けるのも気にせず頑張った10歳を、最悪のタイミングで禍々しい息が襲った。
「かっ、体に力が入らないよぉ……」
楓、あえなく墜落。どうやら食らったのは体力を削る呪いのようだ。
「危ないっ」
動けなくなった楓とディアボロの間に、すかさず割って入ったのは熾弦。
「楓ちゃんっ」
焔寿が楓をフォローして後退したのを確かめてから、得物であるハルバードを奮う。
「行きます」
長いリーチを生かし、距離をとって横に薙いだ。
ギョワアア!!
穂先が前側の蔓を、数本まとめて抉り、切り裂く。
切断には至らなかったものの、バランスを崩し横転する怪奇植物。今までの攻撃でディアボロの体組織はあちこち裂け、動きも鈍い。
終焉は、近い。一同は確信し──。
「これで、とどめ!!」
剣鬼、茜が再び駆けた。狙いはただ一つ、頭。
彼女が手にした苦無は、紫の焔に包まれていた。アウルの加護を破壊力と速度に換えた阿修羅の得物が、一閃する!
グォアアア!!!
斬撃の音は、断末魔にかき消され。
「まずは一体、ですね」
周囲に唐突に、平穏と静寂が戻った。
「グラウシード先輩と御伽さんのもとに急ぎましょう」
茜と楓の傷を塞ぎながらも、熾弦の心は逸る。無論皆も、同じ思いだった。
●
女子4人組が「スーたん」を撃破する少し前、離れること数百mの農道で。
「触手に絡まれるだけならまだしも……! アッーだけはッ! アッーだけはッ!」
ラグナは「デルたん」が繰り出す蔦から逃れようと、地べたを駆けていた。
出だしこそ空を駆け、華麗に敵を挑発したものの「小天使の羽根」は思いのほかアウルを消耗する。
何度か地に降り、騙し騙し飛び続けたものの、今となってはその背に翼が発現することも叶わなくなっていた。
……そのくせ所謂「ヘイト」だけは、がっちり稼いでしまったものだからタチが悪い。
「ラグナさんっ!?」
必死の形相のラグナと、蔓を繰りながら器用に追ってくる怪奇植物。
待ち構えていた炯々は一瞬絶句した。彼にとっては幸いなことに、敵は「目の前の獲物(ルビ:ラグナ)」しか見えていない様子、絶好のチャンスだ。
「さて、と」
マスクを鼻までずり上げ、炯々はハルパーの柄を握る。農道の脇に回り込み、具現化させるはオートマチックP37。
射程を慎重に測り、狙うは足(っぽい部分)。動きを封じればラグナも、防戦一方ではなくなる筈だ。
「当たれ!!」
引き金にかかったインフィルトレイターの指に、ぐっと力がこもった。
響く。乾いた発砲音。
「よし!」
鈍い音と苦悶であろうディアボロの咆哮に炯々は手応えを確信し、小さくガッツポーズをする。
「御伽殿、感謝する!」
忌まわしき追っ手の足を封じてくれた仲間に心底感謝するラグナであった。
何しろ非モテ騎士の姿といったら、飛び散った涎で戦闘用男子制服は穴だらけ。
特に腰から下の被害がひどく、最後の砦であるふんどしが露出している有様だ。あと数分炯々の援護射撃が遅ければ、花弁が散っていたかも知れない。何のとは言わないが。
「ラグナさん、俺が援護します! 近接は危険だから、これを使って下さい!」
立ち上がろうと蠢くディアボロの蔓を銃撃で牽制しながら、炯々がポケットから何かを取り出し放る。
「こ、これは……心得た!!」
ぱしんと受け取るラグナ。小さなカプセルにはいったそれは……一対の鼻栓(未使用)。
「返してくれなくていいっすから!」
ぐ、と親指を立てる炯々に力強く頷き、非モテ騎士は仲間の心遣いを装備した。かっこよさが4ぐらい下がったが気にしない。
キラキラ輝くツヴァイハンダーで、怪奇植物に向き直る。鼻栓にマスク、熾弦に施された聖なる刻印のトリプルガードで防御は万全。
大上段に構え、発動、リア充獄殺剣!
「逃さんぞッ、リア充!」
横っつらを張り倒され地に転がったディアボロ。
「リア充って……誰」
思わず呟く炯々だが、すかさず牽制弾を撃ち込むことは忘れない。
と、その黒い瞳に4つの影が映った。
「お待たせしたのです!」
「来たよーー!」
駆けてきたのは茜、楓、熾弦、焔寿。
「バラバラにしてやるっ……!」
もはや6対1。手負いの怪奇植物に、勝機など残されていなかったことは言うまでもない。
●
果樹園の平和を乱したディアボロ二体は、撃退士によって討伐された。
「ふ……それにしても、厄介な敵だったな」
「討伐完了なのだ♪ なんとかなったー♪」
ため息をつくラグナに、ジャンプして喜びを表現する楓。いや楓ちゃん、体操服が破れててポロリしそうですよ!
「嫌な臭いって、結構鼻に残りますし、よかったら皆様もどうぞ」
爽やかな柑橘系の香水で口直しならぬ鼻直しを勧めるのは焔寿。
一方で、少しばかり考え込む表情を見せる者もいた。熾弦だ。
「子供の姿があったという話が気になります。もし迷い込んでいるのであれば、早く探し出して保護しないと」
「子供? どの道もう安全でしょーほっとこうよー…。今までで一番最悪なディアボロだったよー、お風呂入りたいよー…」
近接攻撃で「デルたん」を屠った茜は、剣鬼から14歳の女の子に戻っていた。怪奇植物の粘液と返り血(?)、埃まみれとあっては、半泣きになるのも無理はない。
「それもそうですね、子供の捜索は農園の方々に任せましょう」
熾弦も茜の主張に頷く。一同はその場を後にするのであった──。
『モイのでぃあぼろ、よくも壊したもい! 今日はゼノさまに止められてるから帰るけど、首をごしごしして待ってるもい!』
「!」
声が聞こえた気がして、炯々は足を止めた。背中をぞくりと、冷たいものが落ちる。
──まさか。
おそるおそる振り返ったそこに、彼の畏れるものはなかった。
あるのは鳥にしては大きな、空を行く何かの影だけ──。