春は爛漫。桜まつりの会場には大勢の客が詰めかけていた。
天魔との戦いにあけくれる撃退士たちも、今日はそれぞれの休日を満喫しているようだ。
●撃退士の出店はこちらです
毎年恒例の桜まつり。今年の目玉は撃退士有志による出店スタンプラリーだ。
ほら、あなたも入り口で。
「出店では特色のあるスタンプを用意しております。全て集めると記念カードが手に入るキャンペーンを行っております、是非ご参加ください」
麻生 遊夜(
ja1838)からチラシを受け取らなかっただろうか?
さあ、出店達を覗きに行くとしよう。
「うふふぅ…春にはやっぱり花見よねぇ…風流、風流ぅ♪」
黒髪を風になびかせ、黒百合(
ja0422)は上機嫌で屋台通りを歩く。
両手には開店早々の店から仕入れた「戦利品」たち。
と、またひとつ気になるお店があったようだ。
「らっしゃーい! 一度食べたら夢が見れ、三度食べれば幻想に浸れる夢見幻想音楽焼! 是非とも買ってってー!」
君田 夢野(
ja0561)の「夢見幻想音楽焼」に、ふらりと足を向ける。
「あらぁ‥‥美味しそうねえ」
「美味しいよっ! 甘さは控えめだけどしっかり、後味さわやか!」
売り物は音符や楽器の形をした「人形焼」。定番の小倉あんの他、カスタード、チーズ、チョコなども作ってくれるようだ。
「そぉねえ‥‥じゃあこのホルンの形のと‥‥ト音記号を頂こうかしらぁ」
「まいどありっ」
夢野は焼きたてを小さな袋に詰め、笑顔と一緒に黒百合に手渡した。もちろん「スタンプラリー」のカードに、音符のマークを押すのも忘れない。
「うふふぅ‥‥ありがとねぇ‥‥」
にこやかに立ち去る黒百合に夢野は手を振り
「はいっおまたせ!」
次の客に笑顔で向き直った。
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)のお店は、サンドイッチスタンドだった。
お客に店頭でパンの種類と具材を選んでもらうバイキング・スタイルだ。
新鮮な野菜にシーフード、調理した卵にカツやハム。ソースもお好み次第である。
「好きなようにトッピングできるよ。好みの味に仕上げてね」
「ソフィアさん、こんな感じ?」
紅葉 公(
ja2931)は友人である店主に、美味しいはさみ方を聞きながらの挑戦。
「ええ、せっかくのお祭り。参加することに意義がある、です」
その隣で氷雨 静(
ja4221)は、サンドイッチのスタンプが押されたカードを貰ってご機嫌だ。具材の全種類制覇を試みたのか、手の中のサンドイッチは分厚い。
「こんにちは〜。友達の差し入れ用に詰めて欲しいんだけど」
飛び込んできた笹鳴 十一(
ja0101)のリクエストにも、ソフィアは笑顔で応じる。
「お友だちはどんなのが好きそう? 具材は大量に取り揃えてるから、遠慮はいらないよ」
「スタッフやってるから、腹減ってると思うんだ」
「じゃあ、お肉をメインにして、ボリューム重視の組み合わせにしようか」
店主はカウンターの中で手際よくサンドイッチをパックし、十一に手渡す。
「お待たせ。スタッフやってくれてる皆さんによろしく」
中津 謳華(
ja4212)は使命感に燃えていた。
「お師の顔に泥を塗るわけにはいかん。全力をもって遂行する」
春風にはためく饅頭屋「満充亭」の暖簾。御齢90になる饅頭の師匠の屋台を、一日限り預かることとなったのだ。
「見事売りさばき、臥せるお師を安心させねば」
ちなみに師匠の病はぎっくり腰らしい。お大事にどうぞ。
「あら、こんなところにお饅頭が。狩らねばなりませんね!」
サンドイッチ屋から流れてきた静が、にこりと謳華に微笑みかける。一日店主は無言で頷き
「直伝だ。お師には未だ遠く及ばんが味は保障する」
湯気のあがるせいろから、蒸したての中華饅頭を袋に入れ黒髪の少女に手渡した。
「‥‥もぐもぐ」
熱々をその場で頬張る静に目尻を下げるも、ミシェル・ギルバート(
ja0205)の声が飛んできた!
「すみませ〜ん、この6個入りってやつ、1パックくださ〜い!」
「承知。すぐ用意する故」
すぐさま身を翻し、品物の準備にかかる謳華。
この分だと完売御礼も近そうです、お師匠様。
「見習い占い師の屋台」
手書きの看板に、風よけの板を立てただけのテーブル。それが久遠 栄(
ja2400)の出店だった。
構えない感じが良かったのか、サービスの焙煎珈琲の香りに惹かれてか、客足は上々だ。
「……未来は逆位置の塔か、どん詰まりになるけど新しく道を切り開いていく未来が見えてるね。苦しい状況になっても諦めずに頑張るといいよ」
「ありがとう!」
晴れやかな顔になった客を送り出したのと入れ替わりに入って来たのは、獅子堂虎鉄(
ja1375)とソリテア(
ja4139)。
「いらっしゃい。何を占おう?」
見るからに初々しいカップルに、栄は微笑ましさを覚える。
「私達の……未来を‥‥」
少女が口にしたのは、定番の相性占い。
「じゃあ君も彼氏さんも、そこに座って」
「は、はいっ」
彼氏さん、の言葉に、銀髪の少年もわかりやすく頬を赤らめた。
純情な反応を目の端に捉えつつ、栄はタロットをざっくり切ってからソリテアに手渡す。
「よく混ぜて、3枚選んでこの場に裏返して」
二人は慎重にカードを選美、場に伏せた。
「このカードは端から順番に、過去、現在、未来を表しているんだ。順番に見ていこうか」
告げてからまず開くは「過去」のカード。そして「現在」。さらに──。
「未来を、見よう」
初々しいカップルと入れ替わりに、新たな来客が、またひとり。
「サカエやっほー! 盛況だねぇっ。お饅頭いっしょに食べよっ」
顔を出したのは「満充亭」の袋をぶら下げたミシェルだった。
「ああ、ありがとう。珈琲でも淹れよう」
少女から差し入れを受け取り、店主は席を立つ。テーブルに「休憩中」の札を乗せて。
「おいしくなぁれおいしくなぁれ♪ おいしぃ〜?」
「これは……まったりとして、それでいてもったりとした独特の食感!」
和風黒ゴス猫耳メイド姿の永月 朔良(
ja6945)が切り盛りする屋台の店先で、着物を着込んだパンダの着ぐるみ──下妻笹緒(
ja0544) が大仰な声を上げる。
朔良の屋台は「ビーフシチュー」と「うどん」。一見珍妙な組み合わせを提供する店前に、猫とパンダのこれまた珍妙な組み合わせときたものだ。
だが当の二人は、頓着する様子もなく。
「わぁ〜嬉しい〜♪ 頑張った甲斐があったのです〜。シチューはじっくりコトコト煮込んで、最高の味を目指してみたの〜♪」
「素晴らしい心意気だ、。ただ呑気に店を構えているだけでは何の進歩もない。店主、お代わりを頼む」
「はい♪」
薀蓄を垂れつつビーフシチューを咀嚼する笹緒の目の前に釜揚げうどんがどん、と供された。
笹尾曰く「桜まつりに参加した者たちが切磋琢磨し、より良い屋台を出せるように審査している」らしい。
「まさに至高と呼ぶにふさわしい舌触り! 口の中で溶けつつ、後味はしっかり残る!」
‥‥が、『どう見ても雑食系パンダです、本当にありがとうございました』のテンプレが似合うのは気のせいか。
「馳走になった。さらに励むことだな店主」
口の周りをソースで汚したパンダが、屋台の柱に「オススメ!」と記されたシールをぺたんと貼り付ける。
「また来てね♪」
食後は朔良の笑顔でのお見送り付。パンダもさぞ、ご満悦であろう。
「ほー、おでんか。坊主の店はこりゃまた渋いな」
おそらくは撃退士の平均年齢を上げているであろう綿貫 由太郎(
ja3564)は、土方 勇(
ja3751)のおでん屋台に目を細めていた。
「どれもいい具合に味がしみてるよ〜」
坊主呼ばわりされても勇は怒ることもせず、おっとりと応じる。
「撃退士が出してる屋台があるとは聞いてたが、まさかこんな落ちついた店があるとはな。大根とこんにゃくと卵頼む」
木箱をひっくり返した即席椅子に腰掛けて、電子タバコのスイッチを入れる由太郎。
「まつりかあ、こういうのんびりした行事は久しぶりだ‥‥」
ふーっと息を付いていると、湯気のあがったおでんの皿と、スタンプカードが目の前に届けられた。
「お待たせです! あ、カードに【スタンプラリー】加盟屋台のスタンプ全部集めると「第1回久遠ヶ原【桜】まつり『出店制覇』の記念カードがもらえるんで、ぜひチャレンジしてみてください!」
なるほど真新しいカードには、おでんの絵のスタンプが一つ。
「最近のガキは面白いこと考えつくもんだ。うちん所の部長の土産を探すついでに、覗いてみるかね」
由太郎はコートのポケットにカードを収め、あつあつの大根にかぶりついた。
「あっ女将だ!」
「こんにちは女将さん♪ 今日も癒し系ですね〜」
そこに訪れた新たな客。
「やあ、二人とも。さっき日陽ちゃんも来てくれたよ」
レイン・レワール(
ja5355)と月居 愁也(
ja6837)の冷やかしにも、勇は柔らかな笑みで応じるのだった。
「はい笑って」
桜の樹の下、ポラロイド・カメラを携えた小田切ルビィ(
ja0841)の声に合わせて笑む珠真 緑(
ja2428)とファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)。ともに輝かんばかりの銀髪で、その姿は春の妖精のようだ。
ぱしゃり、と響くシャッター音。ほ、と空気が目に見えて緩んだ。
カメラが音を立てて駆動し、撮ったばかりの一瞬が刷り出されてくる。
「綺麗に撮れてる、二人共美人さんだ」
「わ〜、ファティナお姉ちゃんとの写真!」
「どうもありがとうございました」
「こちらこそ、撮らせてくれて感謝する」
大喜びの「妹」と、物腰柔らかな「姉」を見送るルビィ。
と、そこに新たな客が訪れる。
「俺とティアもお願いできますか」
「勿論。イイ想い出、撮らせてもらうぜ」
軽めのトークに、虎鉄とソリテアは顔を見合わせ、手を繋いだまま桜の樹の下に立った。
「もうちょっと寄り添って視線あわせて‥‥そうそう‥‥」
ぎこちなさの残るカップルに向けられるカメラ。ルビィは最高の一瞬を探し、シャッターを切る。
「撮れたよお二人サン。桜祭り、しっかり楽しんで来てくれ」
桜まつり入り口横の詰所。
そこは迷子センターであり落し物受付所であり救護所であり、そして運営スタッフたちの基地でもあった。
「すみませーん」
ほら、また誰か来た。ついさっき出かけた影野 恭弥(
ja0018)と入れ替わりで詰めていた遊夜は、パイプ椅子から立ち上がる。
(今度は何だ?)
が、彼のもとを訪れたのは「オシゴト」ではなく。
「こんにちはー! 差し入れ持って来ましたー!」
サンドイッチ等、屋台の戦利品を両手に抱えた十一だった。
「スタッフの仕事、おつかれさまです! 忙しくて屋台に行けてないんじゃないかなって思って。皆で食べて下さい!」
状況を把握した遊夜の頬に、自然に笑みが浮かぶ。
差し入れの品物も嬉しいが、何よりも感謝と労いの気持ちが嬉しい。
「有難う。皆で頂くよ」
そう、会場で奮闘している他のスタッフも喜ぶだろう。
●昔ながらの屋台はこちらです
話題と目新しさでは撃退士の出店に一歩譲るものの、定番の露店が集まる一角も大賑わいだ。
たこやき、いか焼き、とうもろこし、かき氷、クレープ。
懐かしくも外せないメニューに、心惹かれない者など早々いないだろう?
ローラースケートの滑走音が、桜並木に響く。
「わぁ、人が沢山居るなぁ」
金色のポニーテールを揺らしながら、愉しげな声をあげるのは美少女(♂)犬乃 さんぽ(
ja1272)。今日は白いシャツと黒のスリムパンツ、お揃いのベストといった辛口の出で立ちだ。
フランクフルトを頬張り歩くさなか、青い目が看板に釘付けになった。
「ヨーヨー釣り…‥!? ヨーヨーチャンピオンとしては、負けるわけには行かないもん!」
。海外育ちの彼が初めて見る、ジャパニーズ・ヨーヨー。果たして上手く取れるのか?
「はぅっ!? …‥おじさん、もう一回! 今度こそっ」
「こよりを水で濡らさないようにやるといいんだよ」
同じくヨーヨーをすくっていた並木坂・マオ(
ja0317)は、悪戦苦闘するさんぽに声をかけずに居られなかった。
「‥‥ん、こうかな? わぁ、取れた!!」
「やったね!」
見事さんぽがヨーヨーをゲットしたのを見届けてからその場を後にする。
くるくる、ひらひら落ちる花びら。彼女にはそれが、とても面白く見えた。
「お花見かぁ。不思議だよね。花ならいつでもどこでも見かけるのに、この時期、桜に限ってこんな大騒ぎになるなんて」
日本人が桜を特別視する風潮が、彼女には異質に感じられるようだ。
とはいえそれは不快ではなく。
「でもアタシも嫌いじゃないな‥‥って、屋台のフリーパス、全制覇頑張らなきゃ!」
入場時に手渡されたチラシとパスを改めたマオは、拳を握る。
使命感を背負った少女の後ろで、炎が揺らめいた。
箕星景真(jz0003)は、どぎまぎしていた。
「景真ちゃん、桜、きれいですねえ」
「あ‥‥うん」
事の起こりは1時間ほど前。同級生の逸宮 焔寿(
ja2900)と出くわしたことに遡る。
ふわふわの春服に白うさぎのぬいぐるみを抱えた少女は、とても可愛らしく見えた。その焔寿が開口一番
「景真ちゃん、よかったら一緒にまわりませんか?」
微笑んで両手を掴んでブンブンしてくれて、果てはこうやって、一緒に歩いているのだ。
景真だって男の子、照れずにいられるわけもない。
もっとも焔寿は、天真爛漫なだけで。
「景真ちゃん、顔赤いよ、暑い?」
「‥‥あ、うん」
さざ波立つ心中など、知る由もない。
「…これだけの規模のお祭り、本当は誰かと回りたかったのだけどね」
ベンチに一人腰掛け、行き交う人々を眺める東雲 桃華(
ja0319)。その顔立ちは愛らしいけれど、どこか寂しそうだ。
「‥‥ひょっとしたら来ているかも、なんて思ったのだけど‥‥」
屋台で買った飲み物を含み、ため息ひとつ。
隣に居て欲しい人は傍にない。あと少し、勇気が出なくて誘えなかったのは桃華自身。
「また来年も来れたらいいわね、今度は誰かと一緒に……」
だけど桃華の青い目は、既に未来(さき)を見ていた。
大丈夫、恋の神様は前向きな女の子の味方だ。
ぬいぐるみ、お菓子、模型。
キッチュな景品がずらりと並び、軽い炸裂音が耳をくすぐる。そう、ここは射的の屋台だ。
「つっくんが得意そうだなー、おもり入ってても落としちゃいそうだー」
手にぶら下げたのはピンクのヨーヨー。屋台を満喫中の鬼燈 しきみ(
ja3040)が、的である猫のぬいぐるみと十八 九十七(
ja4233)の顔を交互に見比べる。
取って欲しいなあ、の期待がこめられた(気もする)視線。だが九十七の返事は
「ぶわっくしょん!!」
盛大なくしゃみだった。心なしか目も涙ぐんでいるようだが……?
「桜じゃァ…、全部桜が悪いのんじゃァ…」
恨めしそうに薄紅色の花を見上げる友人の姿に、しきみはかばんからポケットティッシュを取り出した。
「つっくん花粉症だったねー。はいー」
「しきみぢゃん……あびばど」
射的はまた、別の季節のお楽しみにね。ふたりの間になんとなく合意ができたところに
「しきみちゃん、九十七ちゃん〜!」
弾んだ声が、割って入る、弾んだ声。
振り返るとそこには、桐生 直哉(
ja3043)。焼きそば、たこ焼き、とうもろこし、焼き鳥。ポップコーン、わたあめまでを両手に携えて小走りでやってきた!
「うぇーいナオヤー」
「す、既に全店制覇……ですの……ッ!?」
「これは出陣前の腹ごしらえ。軽く食べてから一緒に行きましょ」
かる……く?
はいそこ、突っ込まない。
直哉はたこ焼きをはふはふしてから、少し離れたベンチを指さした。
川に面した「特等席」に、3人は仲良く並ぶ。
「うぇーいおいしいねー! ナオヤあいかわらずお腹ぺこぺこぺこりんだったんだねー」
「ん、しきみちゃんも九十七ちゃんもよかったらもっと食べてねっ、とうもろこしもおいしいよ!」
「花粉の恨みは、食の方向に全振りじゃあ……!」
花より団子、大いに結構。互いの絆は桜の下で、より強くなっているのだから。
「風流だ……」
ひとり腰掛けたラグナ・グラウシード(
ja3538)は穏やかな「春」に目を細める。
春風、笑い声、舞い散る花。何もかもが己を癒すために居てくれている。そんな風に感じながら。
「ラーグナ♪」
はい、幻想消えた! 君の幻想今消えたよ!!
「!」
訪れたのはエルレーン・バルハザード(
ja0889)。ラグナが仇敵と忌み嫌う少女である。
えー、見た感じ可愛い女の子じゃないですか? と、思いきや!
「お団子作ってきたの。うふふ」
微笑みと一緒に彼女が差し出したのは「血のような赤」「漂白剤的白」「緑じゃなくて青」という凄まじい花見団子だったのだ。
「近寄るな」
いやそれ有害っぽいですから! 冷淡なラグナの対応もうなずける気がしてきたよ!。
「ラグナ……?」
「貴様の顔と、その団子を見るだけで不愉快だ。失せろ、口すら聞きたくはない」
おっと、ちょーっと言葉が強すぎたか? ほらエルレーンちゃん、目に涙うかb
ゴキャアアアッ!!
「わ、私は…私は、ラグナのために、がんばってるのに…!」
突如響いた絶叫と鈍い打刻音に、周囲の花見客が振り返る。
「ばか!ラグナのばかぁぁ!」
ギャラリーの眼前で華麗に決まる後頭部への踵落し&往復ビンタ、そして有毒団子強制喫食のコンボ。
「おにいさんおねえさんたち……すごい、なぁ」
隣のベンチでベビーカステラを食べながら風景をスケッチしていた三神 美佳(
ja1395)は、思わずペンを止めて呟くのだった。
「はいすいませーん。ちょっと通りますよー」
路上に倒れたラグナの横を、ゴミ袋片手の千葉 真一(
ja0070)が通りすがる。
彼は「桜まつり」の運営スタッフで、この時間は会場美化を担当していた。
「‥‥これはゴミでいいのかな」
真一は手作りっぽい不恰好な団子を拾い上げて首をかしげた。見るからに有毒そうな色をしているが、屋台の品でないとも言い切れない。
「‥‥か、構わぬ‥‥」
「あ、そう。じゃあこっちで処理するんで。てかこんなところで寝てちゃダメだぞ、風邪をひく」
団子を片付け、ラグナを引っ張って助け起こし、軽やかにその場を後にする真一。視線は数m先の、溢れそうなゴミ箱だ。
「さすがにこれだけ人が多いと出るもんだなぁ」
開場前に恭弥が「各自ゴミは持ち帰るように」の看板を設置してくれたのだが、なかなか徹底は難しいようだ。
いや、看板があったからこそこの量で済んでいるのかも知れないが。
「ファティナおねーちゃん、緑、綿菓子が食べたいなぁ…?」
ざらめが焦げる甘い香りの中。緑はファティナに上目遣いで甘える。
「たまちゃんは花より団子ですものね」
「姉」は「妹」が可愛くて仕方がないのだろう、二つ返事でその望みを叶えた。
「わぁい! 緑ね、たこ焼き、チョコバナナ、お団子、林檎飴エトセトラ……いーっぱい食べるの!」
「ふふ、沢山屋台が出ていますからね」
実の所ふたりに血の繋がりはなく、年齢も「姉」であるファティナの方が下なのだが、彼女らにとっては些細なことですらない。
「おねーちゃん、早くぅ!」
「はーい」
手にした大きな綿菓子を手に、緑が駆け出す。その後を追うファティナ。
「ほら、人ごみで走ると危ないですよ」
少し先で「妹」を捕まえた「姉」は、手をそっと握った。
「たまちゃんは私の大事な妹ですからね。年上でも、怒られても、世界が滅んでも妹です」
それは真摯な祈りで。散る桜の花片同様、儚いとわかっていても。
(これから始まる戦いのなか……大切な人達が無事でありますように)
ファティナは願わずに、いられなかった。
「わかった、もう走らないわ。だからおねーちゃん、一緒に屋台巡りしよ?」
「……」
──たまちゃーん! わかってるか!? わかってるかああ?
「相変わらずよく食うな……時々お前の家のエンゲル係数が心配になるんだが」
持ち帰り用にパックされたお好み焼き、いか焼き、フランクフルト、串かつに焼き鳥、たいやきにかき氷まで。
両手いっぱいに食べ物を抱えた佐倉 哲平(
ja0650)は、少し前行く緋伝 瀬兎(
ja0009)の背中を見ながら呟いた。手にしているのはすべて瀬兎の「食料」である。
「エンゲルケースウ? なにそれ美味しいの? どこの屋台にあるの? 制覇しなきゃ!」
嗚呼、左手でチョコバナナを頬張りながら振り向いた瀬兎の目は、未知なる食べ物への期待に彩られていた。
哲平は眉間を抑えて俯く。この目眩は、気のせいじゃないぞ絶対。
「……いや、大して美味いもんじゃない。それよりほら、溶けかけてるぞ」
「やーん」
あわてて右手に目をやる瀬兎。そこには柔らかくなってしまったクレープアイス。
「先にこっち、食べちゃお!」
同時進行だったのかよ! そんなツッコミは最初から野暮。
たちまちクレープを片づけ、続いてバナナをも腹におさめた後輩に哲平が差し出したのは
「甘いもん、続いてたみたいだしな」
ゆず塩胡椒をまぶした焼き鳥だった。
並んでベンチに腰かけ、二人はまだ温かい焼き鳥をシェアする。
「春だなあ」
「今日の記念に、この花びら押し花にしちゃお」
膝に落ちてきた花片を『瀬兎の秘密メモ☆』に挟み込んだ瀬兎は満足気だ。
「お前もそういう事、するんだな。花より団子かと思ってたが」
「花も鶏もどっちも好きじゃダメ?」
「いや全然」
顔を見合わせ、二人は笑いあう。他愛無い休日の午後が、そこにあった。
ソリテアを隣にベンチに座った虎鉄は、眼下に川を見ていた。
「『現在は正位置の女帝。実りの良い時期だよ。積極的に物事を進めるといいね』ですって」
青髪の少女が「見習い占い師の屋台」で教えられたカードの説明を噛み締めている様子が、愛おしくてたまらなかった。
「積極的、にか」
占いの言葉が、虎鉄の背を押す。
強い風がざあっと、吹いた。舞い散る桜と風の音が世界を切り取る。喧騒から離れた、ふたりだけの世界に。
「ティア」
だけどそれはほんの一瞬。
「虎徹さん」
だから互いの唇が触れたのも、ほんの一瞬。
それでも。
「──来年もまた一緒に桜を見よう」
アイシテルヨ。
言葉と気持ちを互いに確かめ合うのには、十分な一瞬だった。
交換したキモチと、銀の指輪と雷を閉じ込めた首飾り。それはお互いの、宝物となった。
●静かに穏やかに、桜を愛でる
賑わいから少し外れた一角。
そこに植えられた桜の木は、ヤマザクラだった。小さくて可憐な花をつける種だがソメイヨシノとは見劣りするせいか、周囲に人影は見当たらない。
否、居た。
「いいねえ‥‥うららかな春の陽気……皆の声が穏やかなBGMって感じ」
木陰でまどろむ桐原 雅(
ja1822)が。
「依頼を手当たり次第に引き受けちゃって‥‥凄く疲れちゃった。だから今日はず〜っとお昼寝、なんだよ〜」
通りすがりの野良猫に話しかけながらも、雅のまぶたは今にもくっつきそうだ。
『お昼寝中だよ。起こさないでね☆』
ダンボール製の札を立てて、ごろんと寝返りを打つ雅。
黒い髪と白い頬に花びらが舞い降りた様は、とても綺麗だった。
川の上にかかった橋の下は、穴場的な休息スポットだった。
桜の木からは離れるが、川面に散った花びらを愛でることはできるし、屋台や床の喧騒もずいぶん遠い。
「今日はお弁当、作ってきたんだ。一緒に食べよう?」
土の上に敷物を広げてしつらえた、ふたりだけの空間。
アレクシア・エンフィールド(
ja3291)は恥ずかしそうに、大きめのランチボックスを取り出した。
戦闘時に見せる怜悧で冷徹な騎士の面影はなく
「お婆ちゃんは料理とかダメだけど、私は好きだから。姉さんに食べて欲しくて、頑張ったんだよ」
ただ穏やかに微笑む、歳相応の少女の眼差しが代わりにあった。
「ふむ……酒が飲めないのが納得いかんが、それはそれだ。……姉としてその頑張りを食して評価してやらねばな」
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)はもったいぶった表情で、ランチボックスに手を伸ばす。
最初に選んだのはミートパイ。英国のピクニック・メニューの定番だ。
「ほう…美味い」
さくっとしたパイとフィリングの旨味を口の中で確かめ、フィオナは満足げに「妹」の頭を撫でる。
「さすがシア、我の好みを良くわかっているな」
「ほら、これもどうかな。上手く出来たと思うんだけど…」
心なしか饒舌になるアレクシア。その姿もフィオナにとっては、可愛らしく見えた。
食後のお楽しみは、アフタヌーン・ティー。
「……昔も、確かこんな風に眺めた事、あったよね」
「そうさな……花や木はこことは違うが、この時期は3人でよくこうしたものだ」
せせらぎの音を耳に、舞い散る桜吹雪を眺めながら。
ふたりは天魔が襲い来る前の思い出に微笑む。
「姉妹」で共に戦う現在(いま)とは別の、穏やかな幸せの記憶に──。
ソメイヨシノの樹は、太い幹に見事な枝ぶりが特徴である。
そう、実に登り心地のよさそうな枝ぶり。
と、すれば。
実際に登って、見晴らしと間近な桜を堪能してみたいと思う気持ちも、わからないではない。
例えば、屋台の集中するエリアから外れた樹のあたり。
「余り褒められた真似ではないが、一度やってみたくてな。…済まぬな」
鬼無里 鴉鳥(
ja7179)は目星をつけた桜に一礼すると、意識を膝から下に集中させた。練られたアウルが下りて溜まっていくのを感じながら地を蹴る。
「とっ」
彼女は見事、枝上の人となった。
「桜花に包まれての高所からの展望と言うのを、一度見てみたかったのだ」
枝先に腰を下ろした鴉鳥の眼に映ったのは、文字通りの桜花繚乱。
風に揺れる枝葉が耳をくすぐり、桜の花びらが鼻先で香る。
「──狼藉の、甲斐があった」
鴉鳥が微睡む樹とはまた別の桜で。
「ニンジャは休む時は忍ぶのだ‥‥」
レナ(
ja5022)も、眠そうに眼をこすっていた。屋台巡りを堪能したのか頭にはお面、手にはべっこうあめ。
「焼き鳥もとうもろこしもフランクフルトも美味しかったのだ‥‥ニンジャはいっぱい食べるのが基本なのだ‥‥」
独自のニンジャ感をつぶやく彼女の瞼は、今にも上下がくっつきそうだ。
「うまうまだったのだ‥‥んみゃー…桜が綺麗なのだー…」
にへら、と笑いながら眠りに落ちていくレナ。
どうぞ、いい夢を。
桜の木に登るのは、ルール違反な気もするが。
「まぁいっか‥‥人も少ない場所だし‥‥」
ゴミ拾いの行軍中、鐘田将太郎(
ja0114)は太い枝の上で気持ちよく寝ているレナに気がついたものの、見ないフリをすることにしたようだ。
「それよりゴミだゴミ! 綺麗な桜並木が台無しになっちまうからな!」
●皆で愉しむ、花見。
川にせり出す形の「床」。遠くは京都、鴨川で夏の風物詩として親しまれている者を、春の久遠が原で再現したものである。
家族や仲間で気兼ねなく花見を楽しめるとあって、人気は上々。
ほらあそこに、学園仲間同士で借りた「床」もあるようだ‥‥?
「ママー、お馬さんだよ! 桜のお馬さん!」
「指さしちゃだめ!」
全身茶色のウェットスーツに馬の足、馬のマスクを被り、頭にはピンク色のアフロ。
「桜」になり切り(?)「床」の前に佇む金鞍 馬頭鬼(
ja2735)に興味シンシンの幼児を、母親が足早に引っ張ってゆく。
「完璧に桜になりきった自分の擬態を見破ったッ!? ‥‥撃退士の素質がありそうですね‥‥」
いやむしろ、天魔と間違われなかったことが幸運なレベルである。
と、そこに
「いたいた! 天気もいいし桜は満開だし、絶好の花見日和だな!」
「目立つわそれ、すぐわかった。やっぱり春は桜、お花見だよな〜」
「今日はお誘いありがとう〜」
若杉 英斗(
ja4230)、月居 愁也(
ja6837)、そして星杜 焔(
ja5378)が、馬桜‥‥馬頭鬼を見つけて満面の笑顔で駆けてきた。
手にはそれぞれ、ペットボトルや瓶入りの炭酸水、お菓子やおつまみで膨らんだ袋。肩からはクーラーボックスやトートバッグまで下げている。
「お弁当も沢山ありますよ〜」
3人は手際よくシートを広げ、真ん中に荷物をどん、と運びこんだ。
気になるクーラーボックスの中身はお弁当。レイン・レワール(
ja5355)謹製の出汁巻き玉子に人参と香菜のサラダ、石田 神楽(
ja4485)が丹精こめた鶏の唐揚げとおにぎり。デザートには紅葉 公(
ja2931)&霧咲 日陽(
ja6723)お手製の和菓子たちまで入って満員御礼だ。
さらに焔が、持参のランチバッグを横に添える。
「俺も頑張って作ったんだよ〜」
彼にとって今日の花見は、新しい友人たちと親睦を深める第一歩でもあった。
「さて、こんな感じでいいかな?」
トートバッグから紙皿や割り箸を取り出し、宴席をセッティングしていくのは英斗。料亭か仕出しかと見紛うレベルのご馳走が続々と広げられてゆく。
昨日、買い出しにも付き合った愁也は、ビフォー(食材)&アフター(料理)の変貌具合に、軽く舌を巻いた。
「しかし‥‥あれだけ買い込んだのが『これ』になったのか……料理できる人ってすっげーな」
ついでにから揚げを、ひとつつまみ食い。
「うめえ」
「マジで?」
桜に擬態したままの馬頭鬼も、片足ジャンプで弁当に近づく。見事菜箸で器用に目当ての品をゲット!
「人参サラダうめえ!」
そのチョイスは馬だからなのか、本来も草食男子故か。それは馬頭鬼にしかわからない。
おでん屋を冷やかしに出かけたレインと愁也、会場を散策していた神楽と日陽と公、そして酒類担当である日谷 月彦(
ja5877)の到着を待って、宴は和やかに始まった。
「今年の桜も綺麗ですね」
神楽は頭上で咲き誇る紅色を見て、穏やかな笑顔を浮かべる。月彦と缶ビールの縁を軽く合わせ、きゅっと一口。
そんな神楽が丹精込めてにぎったおにぎりを目前に、唸る撃退士がひとり。
「このおにぎり…むう、この英斗を試すつもりか」
こんぶ、たらこ、鮭、梅‥‥定番の具材のどれを選ぶか、迷う迷う。
焔の作ったお弁当も大力作で大好評。たこ・かに・もふら様型に加工したウインナーや彩り豊かな筑前煮に、日陽はぱあっと顔を輝かせる。
「どれもおいしそう〜! あ、たこさんウインナー貰っていいです?」
「勿論! あ、こっちは新鮮なマグロで作った煮付け、よかったら食べてね」
「お、酒にも合う辛さだ」
横からスパイシー系に手を伸ばし、月彦が満足げにビールを呷った。
「舞い落ちる桜…春のほんの一種の風景だね…」
桜餅と苺大福を肴に花見酒を楽しむのはレイン。
だが彼が愛でているのは、ピンクアフロの「馬桜」だ。「愛でられるもの」としての役目を全うしようと擬態(?)を頑張る様が涙ぐましい。
レインは馬頭鬼に労いの意味を込めて、そっと近づき
「お勤めお疲れ様」
甘く煮含めた桜型の人参グラッセを差し出した。ええ、またしても人参です。
「レインさんサンキュ!」
アフロと尻尾を春風に揺らしながら、馬頭鬼は上品に菜橋を口に運ぶ。
片足立ちにも関わらず、凜と伸びた背筋に一部の隙もない菜箸使いは、とてつもない笑撃を周囲に振りまいた。
「ぶほっ」
間近で見たレインの腹筋がまず崩壊。
「やだ、上手〜」
「風流ですねえ」
公と神楽も破顔した。
「馬! 反則だろそれは! 腹痛いわ〜!! 笑ったせいで暑くなってきたじゃねーかっ」
酒瓶を抱えて笑い転げる愁也はすっかり上機嫌だ。
何故か脱ごうと上着の裾を引っ張りあげるのを見て、日陽の頬が桜色に染まる。
「つ、月居さん服着てて下さい…っ!」
純情可憐な反応が、周囲を微笑ましさで満たしていった。
陽射しは僅かに西に傾き。穏やかな時間がゆるやかに流れてゆく。
「笑顔で満たされる。良い事です」
そっと呟く神楽に、頷くほろ酔いのレイン。
「今度は是非夜桜を見たいな〜」
愉しげに歌う月彦と愁也の姿を目の端に捉えつつ、欠伸をひとつした。
●春風が孕む陰り
桜が日本人に愛されるのは、美しさの中に儚さを孕んでいるからだろう。
陰り、とも言えるかもしれない。
そしてその陰りは、見る者の心にも纏わりつくことがある。
静の心の奥からは、しまいこんだ気持ちが顔を覗かせていた。
(…綺麗なものね…紛い物の私とは大違いだわ)
人格をふたつに分けることで保ってきた心の平穏。寂しがり屋で温もりを求めるこころが、表に出てきていたのだ。
静の憧れと羨望の眼差しにも、桜は何も語らない。
(みんな楽しそうね…私は…まだ…独り…)
俯く彼女を、慰めたりもしない。只黙って、花片を降らせるだけだ。
ミシェルもまた、桜の陰りに一時心を奪われていた。
満開の花がもたらしたのは、幸せだった頃の記憶。
「お父さんとお母さん、こういうの好きだったな…‥」
今は亡き父母と、花を愉しんだ春の想い出。
「ねえ‥‥『上』からでも見えてる?」
空を見上げて語りかけた途端、涙が一筋落ちる。
天魔の襲来から一人だけ生き残って、力を手に入れたのは仇討ちのため。
割り切れたつもりでも、感情は時折だだをこねる。
だから彼女は、袖でぐ、と涙を拭い
(祭りに戻ろう。騒いでれば……忘れられる)
意識して口の端を上げ、喧騒へと足を向けた。
河川敷、川沿いの細い遊歩道。
「久遠先輩、綺麗ですね」
舞い散る花びらに、獅堂 遥(
ja0190)はつとめて明るい声をあげた。一緒に歩く、久遠 仁刀(
ja2464)を気遣って。
「‥‥」
「先、輩」
「あ、うん? ごめんごめん、きれいだよな」
上の空の理由は、何日か前に張り出された依頼の報告書だった。詳細に記された、仁刀が赴いた依頼の顛末。遥も目を通していた。
ディアボロ化していたとはいえ、母子の目の前で肉親を斬った事。助けた少女に泣き叫ばれ、罵られた事。
──それらが彼の心を責め続けていることは知っていた。でも、だからこそ。
「先輩、元気にしてあげられなくて‥‥」
ごめんなさい。
少女は俯き、唇を噛んだ。
「‥‥」
ぼんやりと歩く仁刀の紅い眼の端には想いを寄せてくれる後輩、遥がとどまっていた。
(何やってんだ俺‥‥せっかく誘ってもらったのに、失礼じゃないか)
仁刀自身もわかっていた。「悪魔のゲーム」は遥には関係がないことを。
あの場で選択肢などなかったことを。そもそも「択ぶ」事は、他方を斬り捨てると同義だと。──でも。
「おとうさん、まってー」
仁刀の横を、歓声を上げながら女の子がすり抜けてゆく。女の子の笑顔に「あの場」の少女の泣き顔が重なった。
「先輩、腕組みくらいは、いいですよね」
不意に腕に触れる、遥の温もり。──彼女は生きている。俺も生きている。あの父親は、死んだというのに。
何を見ても聞いても沸き起こる昏い感覚が仁刀を苛む。
「……来年も花見、しましょうね? 約束ですっ」
(来年、か。その時までに、強くなれるだろうか……)
強く、なりたい。
●宵闇
陽が落ち宵闇に包まれたまつり会場。
桜たちは根本からライトアップされ、妖しくも美しい。
だが、会場から離れた樹には照明も喧騒も届かず。
月明かりを受け、青白く佇む満開の桜があった。
「実は俺達の方がお前達に観賞されてたりしてな?……永遠の傍観者か」
団体客の大半が去った「床」に降り立ったルビィは、カメラのレンズを桜の木に向けていた。出店で使っていたポラロイドではない一眼レフだ。
「ここの眺めは‥‥どうだい?」
「夜桜と一緒に、春の星座を楽しむなんて、この時期にしかできないのです!」
厚めのジャケットを着込んで樹の根本に立つのは清清 清(
ja3434)。
手には温かい飲み物とブランケット、そして星座盤を携えている。
見目麗しい少女‥‥失敬、少年は夜空に顔を向けた。まず探すのは北の空。おおぐま座の北斗七星だ。おなじみの柄杓からほど近い座標に、寄り添って輝くふたつの星は、アークトゥルスとスピカ。
「春の大三角形もしし座も、夜桜と一緒に見れば何倍も綺麗ですね〜♪」
●祭りの終焉
春の一日、大勢で賑わった桜まつりも、閉会を迎えようとしていた。
帰宅を促すように少しずつ照明が落とされ、屋台もひとつ、またひとつ看板をおろし始める。
「力仕事は任せてくれ」
屋台の解体や発電機の撤収など、裏方に汗を流すのはスタッフの将太郎。
撃退士とはいえ、決して楽な仕事では無い。その証拠に
「もう夜も遅いってのに、暑いなあ」
冷たい夜風が吹く中、彼は汗だくで腕をまくっていたのだから。
「夜桜をこんな近くで、独り占めできるなんて役得だ」
人気のなくなった並木通り。将太郎は満足気に桜を見上げる。
贅沢だなんて誰も言わない。それは彼が得るべき、報酬だ。
同じ頃、宴客のいなくなった床を片付ける恭弥も、桜を見上げていた。
ポケットから携帯電話を取り出し、カメラモードにして画面を覗く。
液晶越しでも夜桜は、妖しいほどに美しい。
ツクリモノのシャッター音が、川のせせらぎに一瞬だけ被さった。
切り取った風景を保存した端末を、恭弥はポケットに戻す。
そして意識をも桜から、目の前の片付けに戻すのであった。
京都で繰り広げられる天使との抗争。あちこちで見聞きする悪魔の跋扈。
戦いはこれからも、苛烈を極めるだろう。
それとは裏腹に、守るべき平和も、撃退士たちのすぐ側にある。
願わくば今日の一日が、撃退士たちの癒しとなりますように。
そして天魔を阻む力を、糧となるひとときを得ていますように。
夜が明ければまた、撃退士として戦う「日常」が帰ってくる──。