下級龍と護り狗リプレイ
茨城県つくば市。学園都市として名高い街に、巨大な龍と狗が沸いた。
天魔による世界への干渉が始まって久しい今、眷属の出現は地域ニュースで取り上げられる程度の事件でしかない。
だが巻き込まれた人々には、己の存在や生活を脅かす脅威以外の何物でもなく。
故に、撃退士は魔具を奮う。小さな幸せを守るために。
『転送完了! ……皆、頑張って』
久遠が原学園、依頼斡旋所前。つくば市に25人を『飛ばした』スフィアリンカーは、空を見上げて祈った。
●
しんと静まり返った、眷属の沸いた公園。
中央の丘を横断する形で敷地は2分されており、南半分は芝生に遊具が設置された平地に、北半分は広葉樹が茂る林となっていた。
北半分──林の搜索と逃げ遅れた人々の救助を担うのは、武田 美月(
ja4394)、中津 謳華(
ja4212)、巫 聖羅(
ja3916)、雫(
ja1894)、緋伝 瀬兎(
ja0009)、鬼燈 しきみ(
ja3040)、楠木 くるみ子(
ja3222)。
北側駐車場から公園に入った7人の足元で、枯れ葉が小さな音を立てる。
「……武人たる者は弱きを護る責務がある。故に……かならず護り抜く」
謳華は、言葉にすることで己の意思を確かめた。
撃退士とて人間、眷属を畏れないわけではない。特に初陣から2度目の聖羅の足は、細かく震えているのが傍目にもわかるほどだ。
「――サーバントは強力だけれど、誰一人として犠牲になんかしないわ」
それでも少女は気丈に振舞う。怖いのは自分だけじゃない、逃げ遅れた人は、きっともっと──。
「良大くん、返事して……!」
美月は祈りをこめて、森のどこかにいる筈の木村良大(jz0019)に向けてメールを打つ。
件名は『撃退士到着です』。絵文字を入れる余裕はなく、親指がボタンを押した。──送信!
「さて、頑張りますか!
瀬兎が意識的に明るい声を出し、一同の顔をぐるりと見回す。
「作戦通り3班に分かれて行こう!」
今回初めて顔を合わせたもの同士も、心を一つに頷きあった。
さあ、任務開始!
●
枝葉を広げ茂った広葉樹の根元、大人の腰位まで伸びた藪の陰から、子どものすすり泣きがふたつ聞こえる。
「パパ……ママぁ……」
「怖いよぅ……」
2人の間に座り、両腕でそれぞれの肩を抱いた良大は、半ば反射的に笑顔をつくり涙のたまった目を覗き込んだ。
「だーいじょうぶだって! もうすぐ兄ちゃんの仲間が助けにきてくれるから!」
口をつくのは、既に何度目かわからない言葉。
「……いつ?」
それは兄ちゃんが聞きたい。一瞬真顔で答えかけた撃退士年のポケットで、スマートフォンが小さく震える。
「メール?」
新着メール、1件。タイトルは『撃退士到着です』。本文は『どこにいますか?』。
「ってやった! 来たよ! 兄ちゃんの友達来たよ!!」
良大、思わずガッツポーズ。すぐさま返信画面を開き
『武田さん、メールありがとう。今はここにいるよ、親とはぐれた小学生2人も一緒。近くに狗がうろうろしてて、動けない。子どもたちは怖がって泣いてるけど、怪我はしてない。早く来て!』
取得した位置情報を添付し本文を打ち込み、タイトルもつけずに送信した。
そしてそのメールは──。
「来た! 良大くんからだ!」
雫とともに森を捜索していた美月のポケットの中に、届いた。
「無事だったのですね」
「うん、位置はっと……割に近くだね、急ごう!」
2人は画面を覗き込み、ヒヒイロカネから魔具を展開する。「うろうろしている」らしい狗に、抗うためだ。
前を警戒するのは雫。
「木村さん、聞こえますかー! そこから動かないで、隠れていてくださーい!」
狗をおびき寄せるため、大声で叫びながら歩く。背中を守るのは、美月だ。
「……いつでも、来いっ」
ぐ、とレイピアを握り締めたまさにその時、目の端に青白い光球が引っかかった。
否、狗だ。オーラを纏った、眷属だ。
「!!」
幸い、ひとつ。それは獣の唸り声をあげながら、2人に襲いかかってきた……!
美月と雫から直線距離で100m程離れた辺り。
「逃げ遅れている者、もし居るならば聞け! お前達は必ず助ける! 木々の隙間などに隠れて待機するように!」
謳華が野太い声を朗々と響かせ大股で歩いていた。すぐ後ろには
「ほれ、狗、出てこい出てこい」
ロッドで藪を薙ぎながら歩を進めるくるみ子と、緊張した面持ちの聖羅が続く。
「今、光った!?」
聖羅がはじかれたように顔を上げ、一行の前方をまっすぐ指さした。斡旋所の画像で見たのと同じ、青白い光。……狗だ!
「来おったか」
くるみ子の髪が、水を思わせる青から炎の橙に色を変える。
「邪悪な匂い、消してくれる!」
黒焔を帯びた謳華も、凜とトンファーを構えた。待ちかまえた、そこに──
「グオァァァアアア!!」
銀色の毛を持つ狗が、飛びかかってきた!
鋭い牙が狙うのは、謳華の首筋だ。
「遅いわ!」
無論、おめおめとやられるわけもない。トンファーが唸り、狗を力任せに振り払う。
「ギャンッ」
接地の瞬間、狗の身体が薄桃色に輝いた。狗は難なく身を起こし、一旦後ろに跳びずさって距離を取った。
二撃目も同様。魔具で芯を捉えた手応えはあるものの、眷属の骨は砕けず、牙も折れないままだ。
「なんだ……ッ!?」
そして三撃目。鈍い音が響き、ぱあっと鮮血が散った。
「ぐ…!」
狗の牙を食らった謳華が呻く。よろめく彼に向かって勢いづいた眷属が跳躍。
「危ないっ」
前足の爪が皮膚を抉る一瞬前に、ロッドを手にしたくるみ子が割って入った。
「狗は神社にでも座っておれっ」
「どうやら物理攻撃が通り難いみたいね、なら」
後方に控えていた聖羅が、スクロールを取り出し、広げる。形のいい唇が呪文を詠唱するに合わせて、記された古代文字が金色の光を放ち始めた。そしてそれは集まり光の球に姿を変え──
「これならどう!?」
輝く光線となり、狗の後ろ足めがけて、飛んだ!
「ギャアアッ」
悶絶する眷属。訪れた好機謳華とくるみ子が畳みかける。
抗うようにスパークを繰り返す薄桃色の障壁。だんだん弱々しくなり……消え、た。
「今じゃ!」
「駄犬の爪牙ごときが、荒ぶる武神の『爪』に勝ると思うな!」
裸同然となった狗の鼻先に、黒の焔を纏った謳華の肘が炸裂する。
ごきゃり響く鈍い音。首の骨をあらぬ方向に曲げられた獣は、そのまま動かなくなった。
「……まずは、一体」
「大人しく土へ還れ…」
聖羅とくるみ子は一旦光纏を解き、息をつく。
「まだ終わっていない。2頭目を倒さねばならん、行こう」
●
数十人が避難した図書館は、パニックに陥っていた。
何しろ窓ガラスを壊そうと、巨大龍が舌を伸ばしたり鼻先を突っ込もうとしているのが見えるのだ。恐怖を感じない方がどうかしている。
「こ、ここにいたって奴に食われるだけだろう! 俺は逃げるぞ!!」
「私もよ! やってられないわ!!」
衝動的に出口へ向かおうと駆ける数人の前に、箕星景真(jz0003)は必死に立ちふさがった。天魔の眷属相手に、普通の人間が逃げきれるわけがないと知っているからだ。
「待って下さい! もうすぐ学園から撃退士が!」
「撃退士ってもお前みたいなガキだろうが! アテになるもんか! どけ!!」
焦りと不安が極限に達しているのだろう、先頭の男は11歳の景真に向かって喚く。場の雰囲気が一気に「逃走」に押し流されそうになる。
と、そこに。
「おっまたせ〜♪」
「みんな、安心して僕達が助けにきたよ、でも外が片付くまでもう少しここで待ってね」
明るく朗らかな声がふたつ、響いた。麦子とさんぽ、到着!
「はいは〜い、心配しなくてもぜ〜んぜん大丈夫だから♪」
いきり立つ男にノンアルコール飲料をひょいと手渡し、微笑む麦子。一方さんぽは怯える子どもたちに、とびきりの笑顔を向けた。
「泣いてる子がいれば勇気をあげるよ! 正義のヨーヨーチャンピオン、参上っ」
セーラー服姿のさんぽが取り出したのは、鋼鉄製のヨーヨー。指先で生き物のように踊りはじめたそれに、子供たちの目はたちまち釘付けになる。
「すごーい!」
久々に上がった笑い声と歓声に、大人たちも我に返った。
「あ、ありがとうございます……僕だけじゃ全然ダメで……」
麦子に何度も頭を下げる景真。その視線に憧れが混ざっていることに気づいた麦子は、そっとかがんで額に唇を寄せた。
「よし、頑張った景真ちゃんにはご褒美にちゅーをあげよう♪」
「え!?」
短い沈黙のあと。
「お、おんなのひとのくちびるって……」
頭から湯気を立ち上らせ、景真はぺたんと尻餅をついた。
●
瀬兎としきみは、逃げ遅れた一般人の確保に全力を注いでいた。狗の対応は他の面子に任せたとはいえ、突然遭遇する可能性もゼロではない。
「みんな〜 助けに来たよ〜」
「今助けに行くので、それまでじっとしててくださーい」
奇しくも作戦は謳華達と同じ「呼びかけながら歩く」であったが、彼女たちの目的は、あくまで捜索。申し訳程度に整備された遊歩道を中心に、痕跡がないか念入りに調べてゆく。
「ここんとこいいお天気だったからなぁ〜。土が乾いてて足跡も残ってないよ……」
瀬兎が鼻先にきゅっと皺を寄せながら呟いた。忍びの血を引く彼女であったが、仕草や表情は可愛らしい現代の女子高生のそれだ。
「ふわぁ〜……ん?」
眠たそうに目をこすりつつ遊歩道の周囲を調べていたしきみの目が、地面の一点で止まる。
「セトちゃーん。これ、これ」
指先が示すのは、帆布のトートバッグ。汚れもついておらず、中からは中身の入ったステンレスの水筒とランチボックスが転がり出ていた。周囲の草は踏み分けられており、さらに数m先には帽子も。この状況が示すものは──。
「いぬがきたー、いそいでにげろー、うぇーい?」
「ですね、行きましょう」
二人は顔を見合わせ荷物を回収し、踏み分けられた草を追って走る。ほんの数十m離れただけの大きな植え込みの影で、持ち主はあっさりと見つかった。夫婦と思しき中年の男女である。
撃退士や天魔相手には、これでは隠れたことにならない。早く発見できたのは僥倖といえた。
「だいじょうぶ〜」
「え、撃退士さん? 助かった!!」
瀬兎が示した生徒手帳を見て、女性は顔をほころばせる。一方男性の顔は曇ったままだ。
「空が急に明るくなって、大きな龍と青く光る狼?が降ってきたんです。……逃げる途中で子供たちとはぐれてしまって……」
その言葉に女性の顔からも笑みが引っ込んだ。
「探しに行きたいのですが、主人が足をくじいてしまって……この子達です」
差し出された携帯電話の待受画面には、小学生と思しき子どもが2人。
「みんなにメールで聞いてみよ? その画像、うに〜っと送信して」
夫妻の携帯電話を受け取り、ぽちぽちと送信アドレスを入力するしきみ。宛先は依頼概略に示された良大の携帯電話である。
「大丈夫です、お子さんは必ず探し出しますよ! 待っててください」
瀬兎は夫妻の目を覗き込み、にっこり笑った。屈託のない笑顔に、不安を抱える二人も、釣られて微笑んだ。
狗と槍先を交える雫と美月は、劣勢を強いられていた。
「くっ……」
雫のショートスピアが弾かれる。
「この光……!」
美月のレイピアも通らない。
天使から付与された能力なのか、狗には物理攻撃のダメージが通りにくかったのだ。防戦一方となる2人に、狗は容赦なく牙を剥く。
「グオォォッッ」
体重を乗せた前足での猛攻が、雫の小さな体を引き裂こうと振るわれる。
「雫ちゃんっ」
とっさに間に入った美月の背を爪が抉る一瞬前──
「させないわ!」
後方から射出された光線が、狗の頭を吹き飛ばした! 聖羅だ。
「ふむ、待たせたな」
「駄犬が! かかってこい!!」
さらにはくるみ子と謳華も参戦する。
「ありがとうっ! よし、負けないぞ!」
立ち上がった美月と雫は、怯む狗をきっと睨みつけた。もはや眷属に、勝ち目などなかった。
そしてそれから、数分後──。
瀬兎としきみに保護された夫妻の携帯電話が、軽やかな電子音を鳴らす。
「あ、来たわ!」
メールの送信者は、木村良大。タイトルは「お子さんは無事です」
「見てあなた!! 子供たちよ!!」
添付された画像には、我が子が笑顔で映っていた。本文は短く、たった一行。
「近辺の狗は退治されました。もう大丈夫です」
●
林と山を挟んだ形で向かい合う芝生の平地。普段なら沢山の笑顔や歓声が弾ける場所だったが、今は人影すら見えない。
龍と狗の出現を目の当たりに、皆避難してしまった故だ。
否、誰もが逃げたわけではない。
見えるだろうか? 現世のものではない2頭の獣に立ち向かう、撃退士たちの姿が。
駐車場を背にした芝生の上、周囲には障害物も遮蔽物もない平地。
エリス・K・マクミラン(
ja0016)とフューリ=ツヴァイル=ヴァラハ(
ja0380)、ふたりから4、5歩下がって水無月 蒼依(
ja3389)。3人は牙を剥く狗と対峙していた。
エリスとフューリーは学園での部活仲間。気心知れた二人のチームワークは、1 1=2にとどまらないパワーを秘めている。
そう、例えば唸り声と共にジャンプして飛びかかってきた狗に対して
「あたしの鉄拳にかかれば、どんな障壁でもぶち壊すっ!」
まずはフューリーが右拳のナックルダスターでカウンター。薄桃色の障壁がダメージを吸収するが、怯まず左拳を鼻先に叩き込む。
狗は空中でくるりと反転し、器用に後ろ足から地面に降りた。だがほんの一瞬生じた隙を、エリスは見逃さない。
「その光、破ります……」
ワンピースの裾を翻し、すらりとした脚が獣の横腹を蹴った。そのまま間合いを詰めて、至近距離からクロウで喉元を抉るように挑む。
エリスの攻撃は、狗にとって障壁がなければ致命傷になっていただろう。
しかし障壁といえど無限に保つものではない。護りの光は最初よりも明らかに弱々しい。
「……水無月は『水の月』の意……私の力の源は水なの……」
背丈より大きなロッドを構えた蒼依が、ゆっくりと魔法を詠唱する。黒髪の少女の周りに蒼が立ち上り、白い飛沫とともに水槍の像を結んだ。緑の瞳が見据えるのは天界の眷属。
「水よ……おねがい、私に、ちからを!」
蒼依の意思は、鋭い穂先となって狗めがけ、まっすぐに飛ぶ。
「ギャアアアアアア」
後ろ足を槍で射抜かれた獣は、絶叫した。衝撃で体が吹っ飛び、地面にどうと叩きつけられる。
「ようやく無防備になりましたか……ならば一気に決めましょう」
身体を包む障壁の光がなくなったことに、いち早く気づいたのはエリス。フューリーも感づいたのか視線を合わせ頷き合う。
「こんのぉーっ ぶっとべっ!」
まず動いたのは、フューリーだった。正面から狗に飛びかかり、ナックルをつけたままの掌で顔をがっしりと掴む。俗にいうアイアンクローだ。鋭い牙がナックルに何度も触れたが、勿論怯みなどしない。
「とりゃあああああああ」
そのまま腕に渾身の力を込め、狗を力任せに放り投げる。
「────!!」
虚空に浮いた獣の身体を、蒼依の魔法が貫いた。
エリス、フューリー、蒼依からやや離れたポジション。
小田切ルビィ(
ja0841)、桐生 直哉(
ja3043)、桜宮 有栖(
ja4490)の3人と対峙していた狗は、仲間の窮地に気がついていた。
薄桃色の障壁は既になく、あちこち傷だらけの同族。
サーバントの行動プログラムはヴァニタスが設定する。ヴァニタスは狗に仲間意識を植え付けたのだろう。
「グオォォォォッ」
仲間のもとに駆けようとした狗の足元に、ひゅっと矢が打ち込まれる。射手は有栖、魔具はショートボウ。
「お前の相手は、俺たちだ」
無口な有栖に代わり、宣言したのは直哉だった。芝生を蹴り、一気に狗に近づき、メタルレガースを装着した脚を繰り出す。
顎、鼻先、そして胸元。爪先に感触はあるものの、攻撃が通った感じは得られない。
「……バリア、か」
「……ちッ! 仕方無ェ……!」
断続的に輝く薄桃色の障壁に歯噛みしつつも、ルビィも参戦した。ヒヒイロカネから展開した得物はレイピアとブロンズシールド。
大仰な身振りで狗の気を引き、盾で牙と爪を受け止め、叫んだ。
「狗っころの攻撃はこっちで引き受ける! 手数勝負で光纏をぶち破らないと始まらねぇッ!」
「了解した」
盾役を任せられるのなら、手数は倍にも増やせる。短く頷いた直哉が狗の後ろに回る。
背中、腹、ジャンプして体重を乗せてのキック。後ろから休みなく繰り出される蹴りに、狗が苛立った唸り声をあげた。
「ヨソ見すんな、狗っころ!」
すかさずルビィがレイピアを振るい、挑発。
「グアァッ!!」
いきり立った獣の爪がざくりと左肩を裂く。散る鮮血、傾ぐ身体。だが、退かない!
「……」
仲間の窮地にも、有栖は顔色ひとつ変えなかった。ただ淡々と粛々と、ショートボウを射る。
狙いは、あくまで正確。まずルビィを襲った前肢を止め、次に後ろ脚の腿をつつく。一矢の威力こそ高くはないが、数を重ねることで障壁を破る力となりつつあった。
「狗の光が……?」
薄桃色の光が頼りなく明滅しはじめたことに、直哉が気がついた。同時に己の蹴りが「通り」始めていることにも。
「狗の光纏が弱くなった…? よし、一気に畳み掛けるぜ!」
左腕をぶら下げたまま、ルビィが右手だけでレイピアを振り上げた。
「――最期だ。『Vom Dach! Zornhau!!』」
痛みを堪え力任せに振り下ろし、狗の前肢の付け根を刺し貫く。
「グギャアアアア」
刃先が急所に達したのか、獣は断末魔と呼ぶに相応しい咆哮をあげた。長く高く──。
「……終わりにしよう」
止めたのは、直哉。脳天めがけて垂直に下ろされた爪が、文字通り息の根を止めたのだ。
「……」
有栖はやはり口を開かない。彼女の目に死にゆく眷属は、どのように映っていたのだろうか?
2頭の狗を討伐した7人の撃退士。だが、まだ終わりではない。
ルビィは龍と対峙する仲間のもとに走り、他の面子は一般人の搜索を行うこととなった。
●
撃退士ふたりの到着で、落ち着きを取り戻した図書館。
大人たちは麦子の指示に従い奥の方で待機、子どもたちはさんぽの披露するヨーヨーショーに釘付けになっていた。
「ほら見て、犬の散歩…そして、東京タワー!」
「おねーちゃーん、かっこいい!!」
キラキラした瞳と無邪気な歓声が館内にこだまする。だが、当のさんぽは頬を赤らめてもじもししている……?
「その……ボク、男だから」
「え?」
小さな呟きを、ちゃっかり最前列でショーを鑑賞していた景真の耳は逃さなかった。
「何、その驚いた顔はっ」
「や、驚きますよっだって……」
だって何? 言いかけたさんぽの口を塞いだのは、小さな観客たちからの熱烈なアンコール。
「おねーちゃーん! もっかいさっきの技やってー!」
「おねえちゃんのリボンとお洋服かわいい〜」
子どもの目と心は、素直なのだ。
(おかしいな……セーラー服は由緒正しき戦闘服のはずなのに……?)
果たしてさんぽが、真実を知る日は来るのか?
疲れて麦子の膝枕で眠ってしまった子どもの頭を、白い手が優しく撫でる。甘い香りに癒されるのか、寝顔は穏やかで安らかだ。
「おつかれさま、ですっ」
到着早々の「ご褒美」以来、麦子の顔を見られなくなった景真が、不自然に視線をそらしたまま口を開いた。
「さっき、外のリョータさんから連絡がありました。狗は退治されて逃げ遅れた人たちも無事だって。龍も皆が、一生懸命戦ってくれてるって」
「それはよかった〜」
ノンアルコールビール片手の麦子は、あくまでご機嫌で陽気だ。
「皆、がんばってるから、大丈夫だね〜、もちろん景真くんもだし……」
彼女の膝の上で、子どもが小さく寝返りをうつ。
「この子たちも、よく、がんばってると思うよ」
えらいえらい。ささやきながら麦子は再び、柔らかい髪を梳いた。
●
龍は、苛立っていた。建物の内側で恐怖に顔を歪める人間を喰いたいのに爪も舌も届かず、憤っていた。
龍は所詮ヴァニタスが拵えた、図体の大きな獣でしかなかった。それでもコンクリート造の図書館ごと壊してしまっては、中の獲物も潰れてしまうことは理解していた。
故に割れたガラスの隙間からほじり出そうと試みているのだが、獲物もおいそれと近くには来ない。
苛立ちの原因は、空腹ではなかった。殲滅衝動だ。
巨大な眷属は本能で望んでいた。人間を、屠りたいと。
そんな龍の目の端に。
「ふはぁ〜でっかいしー!」
何か動くものが引っかかった。建物の内側でなく外側で蠢いているのは、待ち望んだ人間だ。桃色の髪がひとり、金髪がひとり。
金髪……ミシェル・ギルバート(
ja0205)は大声をあげた。桃色……大谷 知夏(
ja0041)も龍を指差し驚きを隠さない。
「ミシェルちゃん先輩、こっち見てるっすよ! このまま引っ張って行けるっすよ!」
龍には二人の声は聞こえていたが、言葉の意味はわからない。すなわち二人が、己をおびき寄せるための「囮」だとは理解できなかった。ただ目の前に現れた、待望の獲物でしかなかった。
だから。
「よぉっし、走るしー!」
「皆のところまで競争っす!」
くるりと背を向け、山を駆け下りた二人を、追わずにはいられなかった。小山のような巨躯がむくりと盛り上がり、ずんと地面を蹴る。
すわ地震か、それとも地鳴りか。公園を揺るがす咆哮と足音を響かせながら。
「上手く釣れたし!」
「ってか、足遅い……ミシェルちゃん先輩、ちょっと手加減して走るっす!」
龍の鼻先からおよそ10m。傍から見ると追われているようなポジションで、ミシェルと知夏は言葉と視線を交わす。
そう、二人の使命は龍を図書館から安全に引き離すこと、そして
「皆が見えてきたし!」
小山の頂きで迎撃準備を整える仲間の足元に連れて行くことだった。
「グォアアアアア!!」
撃退士の思惑など知らず「獲物」を仕留めんと、龍はブレスを吐く。皮膚を焦がし灼く光を知夏はひらりと躱し、ぶんぶんと右手を振った。
「お待たせっすよー!」
澄んだ青い眼に映るのは、仲間たちの姿。
前線に凛と立つのは七海 マナ(
ja3521)、アトリアーナ(
ja1403)、神月 熾弦(
ja0358)だ。その少し後ろには、石田 神楽(
ja4485)と谷屋 逸治(
ja0330)。ともに得物はリボルバー。
「下級とはいえ、龍は龍。厳しい戦いになるな… 」
「折角図書館に来たのですから、あの龍にも勉強して貰いましょう。自分たちが【絶対の存在】ではない事を」
二人の男は言葉少なに思いを交わすと、それぞれのリボルバーを構えた。神楽は龍の目を、逸治は眉間を狙いトリガーを引く。ほぼ同時に、乾いた発砲音が交錯した。
二発の弾丸は龍の頭部を確かに捉えたが、硬い鱗に阻まれ貫通には至らず。
とはいえそれは開戦の合図となり、
「食べたいのなら、私達が相手になります!」
ショートスピアを手に、熾弦が龍の前に躍り出た。もっとも彼女の狙いは、後ろに控える射撃隊……斐川幽夜(
ja1965)、黒葛 琉(
ja3453)、そして
「わっちの魔法を、喰らいんす〜!」
龍対応班で唯一、魔法を操る権現堂 幸桜(
ja3264)を護り、龍を牽制することにあった。
ブレスを吐かんと息を吸い込めば喉を狙い、腕を振り上げれば付け根に穂先を繰り出す。それらは直接ダメージを与えるものではなかったが、確かに功を奏していた。
「来たね、ドラゴン! 海賊魂に賭けてお前は倒させてもらうよ!」
「…目の前の敵に、集中する」
最前線のマナとアトリアーナが担う任務は、龍の脚を潰すことだった。動きさえ封じれば巨大な的、だが封じられなければ厄介な重兵器。責任は、大きい。
ぐるる、と龍が喉で唸りマナとアトリアーナを一瞥する。
眷属の苛立ちは頂点。潰したい屠りたい人間が大勢いるのに、叶わない現実に。
何かと邪魔をする小賢しい槍や弾のもたらす痛みも、重なりもはや馬鹿にはできない域に達していたのだ。
「ガアアアアアッ」
龍は身体を大きく捻り、尻尾を振った。丸太ほどの太さのそれがしなやかに動き、前衛の4人の足を払う。
「……っ!」
一瞬体勢を崩す撃退士たち。してやったりと龍は爪を叩き込もうと振り上げる。標的は最も手近な、マナとアトリアーナ。
「リア!」
海賊の血を引く少年は咄嗟に友人を呼び、その身を抱えて飛びずさった。刃物のように鋭い爪はマナの宝物であるパイレーツコートを掠め、芝生に刺さる。
引っこ抜き、二撃目! だが同じ手は食らわない。
爪が己めがけて振り下ろされた瞬間、マナとアトリアーナは龍の後ろ肢めがけて走った。爪の着地を地響きで確かめ、それぞれカットラスとブロードアックスを振るう。爪が抜けるまでに、足を潰す算段だ。
「ドラゴン退治は海賊にとってもステータスなんだよね!」
まずは海賊の曲刀が、龍の皮膚を切り裂き
「……これで、止まれ」
そこを狙ってアトリアーナが跳躍した。全体重を巨斧ブロードアックスに乗せ、腕を振り抜いて刃を叩き込む!
「グギャアアアアアア!!!」
肉を斬られ骨を絶たれ、龍は悶絶した。もはや動くことは叶わず、尻尾と前肢を振り回し、ブレスを吐くことしか叶わない。
「口を開く気も無くなるまで執拗に、です」
残されたブレスをも封じんと、幽夜が狙うのは龍の舌だった。
「喰らいなさい」
自らが信じた「正義」を貫くためなら、手段は選ばぬ。幽夜の苛烈な手段は、深い悩みのなかから見出したものだ。故に引き金に駆けた指に力を込めるのに、躊躇いはなかった。
発砲、着弾!
柔らかい粘膜で構成された龍の口腔を、ネフィリム鋼の弾丸が蹂躙する。
「グゴッ グゴアアッ」
苦悶の呻きと体液を噴出しながら、のたうちまわる龍。口が開いたタイミングを逃さず、琉もリボルバーの照準を合わせる。
彼は幽夜の発砲とタイミングをずらし、着弾が途切れないように気を配っていた。断続的な攻撃は、少なからぬ威力となる。まして的は、防御しようのない粘膜だ。
助からぬと悟ったのか。
「グギャアアアアアアア!!!」
龍はひときわ大きく吼え、渾身の力で身を起こした。山の頂からその様を見下ろす幸桜は、最後になるであろう詠唱を開始する。
スクロールの魔法文字から溢れた光は術者である幸桜に寄り添った。
唇が、発動を指示した瞬間。
「───!!」
まっすぐ伸びた光の線が、ぐずぐずに崩れた龍の口腔めがけてすっ飛んだ。弾丸と違い、音なく着弾。
「……終わった……か?」
リボルバーを構えたまま、逸治が呟いたのと同じタイミングで。
「崩れるし───!!」
ミシェルが叫んだ。事切れた龍は既に眷属ではなく、ただの肉の塊。
地を揺るがす轟音をあげ、山の麓に沈み、二度と動くことはなかった。
そして。
「――スマン。待たせた……って、もう終わっちまった?」
駆けつけたはいいものの目の前の状況に肩をすくめるルビィに、琉は振り返りにやりとして見せるのだった。
●
公園に「平穏」が戻ったのは、陽が西に傾いた頃合だった。
撃退庁から派遣され、到着した天魔残骸処理班の面々が、手際良く龍の死骸を解体してゆく。その様子を興味深げに見つめていた幽夜が、ぽそりと口を開いた。
「この龍はこのあと、どうなるのでしょうか……」
「撃退庁が管理する天魔研究所に持ち帰り、細胞や組織の研究などを行なったあと、処分するそうです」
同じく「処理」を見つめていた景真が幽夜の問いに答えた。もっとも処理班のメンバーに教えてもらったことの受け売りだったのだが。
「研究ですか、興味深いですね……」
黒髪の少女は、可愛らしく首を傾げてしばし考え込む。その脇を「肉塊」となった龍が次々と運ばれて行った。
大きな銀色の輸送艇。尾翼と胴体に描かれている撃退庁のマークは、西陽を浴びて輝いている。
「箕星君、よく頑張りましたね」
「え、あ、はいっ」
不意に頭を撫でられ、景真は慌てて顔を上げた。ずっと高い位置で神楽が優しい笑みを浮かべているのが見えた。
(僕も……大きくなったらこんな風になれるのかな)
儀礼服を着こなした大学部の撃退士は、小学部5年生にとってはあまりにも眩しかった。
一方図書館では、しきみや美月、麦子にさんぽ、そして良大が一息ついていた。遭難者や避難者ら一般人には既に帰宅許可が出されており、館内は静まり返っている。
「良大くん、お疲れ様」
「武田さんもね! ほんと来てくれてありがとう、一時はどうなることかと思ったよ」
美月と談笑する良大のポケットから、軽やかな電子音が流れた。メールの着信、らしい。
「あ、学園からだ」
少年は顔を輝かせ、画面を一同に示す。小さな液晶に、綴られた文字を。
───
皆さん、作戦の成功おめでとうございます。
迎えの艇は既に学園を出発していますので、到着まで現地で待機するように。付近への外出は許可します。
学園に戻ったら、負傷者はまず保健室に、それ以外の者は速やかに依頼斡旋所に出頭してください。
依頼履歴の記録と、報酬の支払いが行われます。
なお、帰還時に携帯するおやつは300久遠まで認めます。バナナはおやつに含まれません。
帰校するまでが任務だと心得え、気を抜かず行動してください。
───
それは、冒頭の「おめでとう」以外、撃退士をねぎらうわけでもないそっけないメールだった。
何故なら学園にとって、撃退士が任務をこなすのは当然のことであり、天魔との戦いは、撃退士の使命なのだから。
そしてそんな「日常」は、これからもきっと、ずっと続く──。