●覚悟
植物園に到着した撃退士たち。彼らを出迎えたのは、学園にディアボロ討伐を依頼したあの職員だった。
「気休めかもしれませんが」
と、前置きして彼が説明するには、学園に仕事を依頼した日以来、巨大温室の空調を滅茶苦茶に設定しているという。また、人を惑わすあの匂いが恐ろしく、窓は閉め切ったままらしい。中の環境がどうなっているのか、彼にもわからないようだった。
「できれば、全ての窓を開け放っていただきたいのですが」
と、雫(
ja1894)。「私たちにとっても脅威なんです」
彼女の頼みに、職員は静かに頷いた。
ドーム状の巨大温室はガラス張りで、中の様子がよく窺える。だが、多く生える樹木のおかげで、問題のディアボロの姿は確認できない。御堂・玲獅(
ja0388)が、室内に侵入する前に、生命探知で探りを入れてみる。独立して活動できるというトラバサミ、その小型の敵を警戒してのことだ。
「出入り口付近に怪しい反応はないようです」
心なしか、ガラス越しに見える熱帯植物は、色艶を失くし萎びているよう。レムナ(
jc1377)は緊張で渇いた喉をごくりとやった。と、ここで、
「最後に確認じゃが」
そう言って、白蛇(
jb0889)が、水無瀬 雫(
jb9544)に問う。
「本当に良いのか、水無瀬殿? 囮役になるということは、死ぬかもしれぬということじゃぞ」
囮という言葉を耳にして、職員はぎょっとした。
「ど、どういうことですか?」
その青ざめた顔……。しかし、水無瀬は真っ直ぐな瞳で、
「危険は承知の上です」
「こ、困ります、万が一のことがあっては……!」
「安心してください」
と、橘 優希(
jb0497)が言った。
「こう見えて僕たちは強いんです。必ず倒して見せます」
彼は、柔らかに微笑んでみせる。
言葉の出ない職員をその場に残し、撃退士たちはディアボロの待つ温室内へと姿を消していった。
●準備
「思ったより空気が冷たいですねぇ」
黒百合(
ja0422)が肌を摩る。そして、白蛇の様子を見て、
「あらぁ、息が白いですよぉ、白蛇様?」
そう言って悪戯っぽく笑った。そんな彼女に、
「これは天然じゃ。清浄の靄じゃぞ、人の子よ」
白蛇が、わざと深く息を吐いてみせる。2人の戯れに、御堂がくすっと笑い、
「敵と対峙する前に、耐性を強化しておきましょう」
と、アウルの鎧を全員にかける。そこに、雫が、おもむろにペットボトルを取り出した。
「苛性ソーダです。扱いには要注意ですが、これで強酸の煙が中和できると思います」
水無瀬はそれを受け取り礼を述べると、自らも水神の加護を使用し、喰われる準備を整える。
その後、御堂が2度目の生命探知で、ディアボロの位置と数を調査する。
「いました。地上に50匹程。ほとんど動いていません。これがトラバサミかもしれませんね。それと、地中に3匹。地上のディアボロがこの3匹を囲う様に位置しているのを見ると、これが本体かと……」
「それのどれかが、ではなく、3匹とも?」
橘が不安そうに言った。
「恐らく。でも、捕らわれた人がどこにいるのか掴めません」
「やれやれ胃袋が3つとは。しかも、随分大所帯じゃな」
職員から、肉食植物型の敵に喰われたのは、小学校の女子生徒と男性教師、その2人だけであることは確認済みだ。人質は、3つの本体のどれかにいるはず。もしも、まだ生存しているのなら、であるが……。
嫌な予感が脳裏を過り、誰もが押し黙った。増幅する緊迫感の中で、アステリア・ヴェルトール(
jb3216)が落ち着いた声で言った。
「では、行きましょうか。すべては私たち次第です」
肉食植物型のディアボロを目視した一行は、先発の橘と水無瀬を見送り、その他は本体が確認できるまで援護に回ることになった。槍のアステリア、大剣の雫が先発の2人に続き、火炎放射器の御堂、拳銃のレムナがその後に控える。そして、黒百合が陰陽の翼で、白蛇が千里翔翼を召喚し、上空から目を光らせる。
「ググッ……」
物陰に潜んでディアボロの様子を窺う、橘と水無瀬。ディアボロに近づくにつれ、どこからともなく篭もった音が聞こえてくる。
「ググッ……」
まるで人の呻き声のような、そんな音……。聞こえるのは、足元からであろうか……。
「補食されている人が、まだ頑張ってくれていたら良いけど……」
と、水無瀬の隣で橘がそう小さく呟く。すると、水無瀬が明るい声で言った。
「私も3匹の蛙に捕食されればいいんです。そうすれば、すぐ見つかります」
その言葉に、ふっと笑った橘が、双剣を構え立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ」
●戦闘:前
「グギャギャギャギャギャギャ!!」
橘が、ディアボロに向かって挑発を使用すると、途端に、咲き誇る小さな花群の傍から、小蛙がたくさん飛び出してきた。鋭利な牙を剥き出して、ぴょんぴょんと四方八方に広がっていく。そして、地中から盛り上がる何本もの太い蔓が、細くなった先端を盛んにくねらせ、一行を迎え撃つ。
橘が小蛙を薙ぎ払う間に、水無瀬が花群に向かって駆け出した。首尾よく、彼女の胴体に蔓が巻き付いて、地中に飲み込まれていく。後は彼女の健闘を祈るしかない。
水無瀬が捕食されるまで見届けた後、橘は神速を使用し、危険な前線を離れると、後続の撃退士たちと合流して、小蛙殲滅に加わる。
緑色の体が周囲と同化して見える小さなディアボロ。素早い跳躍で噛み付いてくるのを、雫の刹那の一撃が真っ二つにする。そこへ、太い蔓が上下左右から鞭打つように襲い掛かってきた。
「危ない!」
アステリアが雫を庇い、同時に、地面すれすれに降り立った白蛇の召喚獣がボルケーノで爆撃する。直後に、
「ああ!」
と、声を上げてアステリアが倒れた。その足首には巻き付いた蔓がきつく縛り上げる。勢いよく引き摺られていく彼女、上から黒百合が狙撃するも、硬い蔓を引きちぎること敵わず、救おうと駆け寄る撃退士たちを邪魔するように、小蛙たちが容赦なく襲いくる。そこへ、御堂の叫びが木霊した。
「みなさん、伏して!」
敵を焼き尽くさんとばかりに放たれた劫火が真っ赤に舞い上がる。しかし――。
「大変だ、どうしよう」
アステリアの姿はどこにもない。茫然と立ち尽くす橘。その隙を、1匹の小蛙が草陰から飛び出し、背後から狙う。レムナの鋭い一撃がなければ、肉を噛み千切られていたことだろう。
「狼狽えるでない! おぬしがやられてしまうぞ!」
日本刀を巧みに振るいながら、白蛇が激を飛ばす。
「やつも撃退士じゃ、信ずるほかあるまい!」
厳しい表情を浮かべながら、激戦を続ける面々。そして……。
「ヴヴヴヴヴヴヴヴッ……!!」
突如、盛り上がった土の中から巨大な蛙が姿を現した。それは、異様に膨らんだ腹を揺さぶりながら、暴れ回る。
「何だか、様子が変です」
味方のはずの小蛙まで踏みつけるその暴れ様に、誰もがそう思った。
●戦闘:後
ディアボロに飲み込まれた水無瀬が見たものは、脈打つ肉の壁と、強酸の泉だった。腹の内部はかなり暑く、気化した酸で充満している。水無瀬はむせながら、雫から受け取った中和剤を撒いた。
人質を見つけて、早くここから出なければ。肌がちりちりと痛むのに耐えながら、辺りを見渡す水無瀬。
一方、水無瀬とは別のディアボロに捕食されたアステリアは、怒り心頭に発して、三十二の魔法陣を腹の中で展開していた。
「ググッ……」
と、内部が小刻みに震え、音を鳴らした気がしたが、敵味方問わず攻撃するこの技を、アステリアは自分の他に何もないここで思う存分解放する。黒焔の結晶である魔弾が、敵を内部から散り散りにし、温室内に爆音が響き渡った。
大量の土が巻き上がり、その中からアステリアが姿を現す。びちゃびちゃと辺りに落ちる、巨大蛙の肉片。アステリアが顔を上げると、仲間たちが驚いた表情でこちらを凝視している。そこに喜びが一切混じっていないことにアステリアは異変を感じた。彼女は、仲間の注ぐもう一つの視線の先に、恐る恐る目を向ける。
そこには、水無瀬がいた。悲痛な面持ちで、内側から腹の裂かれた巨大蛙の中で膝をついて座り込んでいる。アステリアと目が合うと、彼女は掠れた声で「駄目でした」と、首を横に振った。その両手には、海苔のようにどろどろになった頭髪と、そして、肉が溶け落ちて黄みがかかったしゃれこうべ。それも、とても小さな――。
「ああああああああああ!!」
アステリアはすぐ耳元で断末魔の悲鳴を聞いた。
「アステリアさん!」
と、雫が慌てて駆け寄る。
喉が潰れるほどの叫びを発しているのが自分であることに、アステリアはまるで気づいていない。
「いかん、完全に我を失っておる」
あっという間に、天魔化するアステリア。逆立つ銀雪の髪、かっと見開かれた血色の瞳が苦痛に歪む。
その時、突如として、地響きが鳴った。地面が割れ、その下から最後の巨大蛙が顕現する。
「ヴヴヴヴヴヴヴヴッ……!!」
危険を察知した白蛇が素早く距離を取り、御堂が白銀の盾を手にして言った。
「雫さん、すぐにそこから離れてください! みなさんも、早く!」
そして、アステリアは内に秘めていた力を暴発させた。黒き焔が轟音とともに全てを飲み込んでいく。連続して繰り返すその爆発の炎は天井を突き破り、青い空を黒煙が覆う。爆風が木々を薙ぎ倒し、地に伏す撃退士たちを圧した。
崩れた天井の硝子片が雨のように降り注ぐ中、止まない耳鳴りと眩暈の中で一同は立ち上がる。
「やれやれ、全員無事かの?」
召喚した堅鱗壁の下から、むっくりと起き上がる白蛇。
「はい、何とか」
服の汚れを払いながら御堂が言った。「今、ヒールを」
全員が回復を図る中、一番最初にアステリアの姿を認めたのは、物質透過で地中深くに避難していた黒百合だった。あの爆発の中を生き残った小蛙が、歯をガチガチ鳴らせながら、彼女に狙いを定めている。まだ青々とした蔓から生命力を貪り吸った黒百合は、翼を力一杯はばたかせ、低空飛行で駆け抜けると、ぐったりと意識のないアステリアの体を突き飛ばす。その瞬間、ディアボロの鋼鉄の歯が、黒百合の首を捉えた。
「――空蝉――」
間一髪のところでそれを回避。黒百合はまだ繋がっている首に手をやって、興奮気味に何やら下品な言葉を口走った。しかし、アステリはまだ敵陣の真っ只中だ。
その一部始終を目撃しながら、出るに出れないでいた橘。そこへ、レムナが助け舟を出す。
「援護します。その間に接近してください」
レムナの助けを借りつつ、橘が全力跳躍を駆使してアステリアに近寄る。
「しっかり!」
彼女を抱きかかえ、必死に呼びかけると、アステリアは薄らと目を開けた。
地表は黒焦げである。まともにアステリアの攻撃を受けた巨大蛙はすっかり沈黙し、まだ熱を帯びた腹部の火傷が、ぷすぷすと音をさせながら、泡を吹いている。
「あとの1人は、あの胃袋の中でしょうか?」
回収した頭蓋骨は、その大きさからして、恐らく捕らわれていた女子生徒のものであろう。水無瀬がそう疑問を口にすると、下唇を噛み締めて、白蛇が言った。
「捕食されたのは2人ほぼ同時、もう手遅れじゃろう……」
その時、
「ヴヴヴヴヴヴヴヴッ……!!」
突然、沈黙していた巨大蛙が雄叫びを上げた。衝撃で空気が振動する。
「ヴヴヴヴヴヴヴヴッ……!!」
叫びながら、ディアボロは大きく腹を揺らし、思い切り口を開いた。
「まだ、あんなに動けるなんて……」
回復魔法を施していた御堂と雫の2人は、中断を余儀なくされ、悔しさに顔を歪ませる。そして、魔具を構えた途端、一気にディアボロが強酸の煙を撒き散らした。まるで雪崩のように勢いよく広がるその煙を前に、咄嗟に白蛇が雪禍を召喚、水無瀬は氷壁を作る。
「まだ、煙の中に2人が……」
氷壁の後ろに身を隠したレムナの声が響く中、召喚獣によるインパクトブロウが放たれた。
その僅かな隙に、星の鎖を放つ御堂。薙ぎ払われる煙の中から、捕縛された橘とアステリアの2人が飛び出す。宙を高々と舞う2人。地面に引き摺り下ろされるところを白蛇の召喚獣が背で受け止めた。
御堂の手当を受けながら、最後の力を振り絞って、氷の夜想曲を奏でるアステリア、黒百合がそれに加勢する。眠りに誘われ動きが鈍ったそこへ、闘気解放した雫が「あまり得意じゃないんですが」と大剣を投擲した。
あとには、雫によって喉元を貫かれ、虫の息となった巨大蛙があった。すっかり黒煙の晴れた青空の下、壊れた天井から強い陽射しが燦々と降り注ぎ、雫の大剣が灼熱の炎を帯びて、やたらぎらぎらと光っていた。
●残痕
温室を出ると、別れたときのように、植物園の職員がずっとそこで待っていた。
「ご無事でなりよりです。ありがとうございました」
と、頭を下げる職員。しかし、撃退士たちは大手を振って喜ぶことができない。
「すみません。植物だけでなく、建物まで駄目にしてしまって。それに……」
御堂が、捕らわれた人質がすでに亡くなっていたことを報告すると、彼は言った。
「やっぱり。まあ、仕方がありませんよ」
それは、やけに淡々とした口調だった。そして、
「勇敢ですね、あなたがたは。羨ましいなぁ」
と、まるで独り言のように呟いた。しかし、「羨ましい」と言う彼の眼に、羨望の色は微塵も感じられない。
「私たちには、授かったこのアウルの力があるからですよ」
雫が、そう答えるものの、職員は首を横に振る。
「例え、私にも同じ力があったとしても、あなたがたのように、あんな化け物に立ち向かってはいけないでしょう。私には勇気がないんですよ、勇気が……」
そう言って彼は物憂げに笑った。
帰路に着いた撃退士たちは、目に焼き付いた戦いの残痕を思い出していた。最後に倒した巨大蛙の腹からは、予想通り、もう1人分の遺骨が発見された。最初に見つけたものと同じく、既に白骨化した状態で。しかも、どろどろに溶けた血肉はまだ吸収されずにそのまま残り、その異臭は、周囲に微量漂っていたあの可憐な小花の匂いと混じって、撃退士たちの鼻腔を刺激した。
「ググッ……」
と、足元で鳴ったあの音も同時に思い出す。人の呻き声だと思いもしたが、あれは、食後の消化時に自分の体の中で聞こえる音と似てはいないだろうか。
しかし、そのことを誰一人言葉にする者はいない。陰鬱な気分を晴らすために無理に笑むと、その表情は、職員のあの笑みによく似ていた。