●市場・早朝
まだ夜も明けきらぬ早朝の市場で、一際異彩を放つ三人の姿があった。
「あれもーこれもーそれもーあっ、美味しそうな林檎!」
「待て」
露出度が高めななんちゃって戦国武将風味のコスプレをした花一匁(
jb7995)。
左に右に動くたび、背中に指した『旨い!早い!安い!の「たぬ吉ラーメン」』と書かれた旗が、ふらふらと揺れ、その度に新しい品物が増えていく。
「これで美味しい夕飯を作れば、お兄ちゃん喜んでくれるかしら……」
「待て」
大振りの大根を握り、幸せそうに微笑む美森 あやか(
jb1451)。大根を握る新婚である。
そんな彼女達は、たぬ吉より借り出したクーラーボックスにあれもこれもと、ぽんぽん放り込んでいく。
「だから、待てというに……!」
「えー、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもない!何故、林檎やら大根がいるんだ!?」
そして、そのクーラーボックスを担ぐのは鳳 静矢(
ja3856)だ。
背中と両脇、更に両肩。計五つのクーラーボックスはぎちぎちに野菜が詰め込まれ、蓋が閉まりきらないほどで、その総重量は優に百キロを超えているだろう。
確かに素人でもパンチングマシーンで一tを超える衝撃を出す者はいるだろうが、常にのしかかり続ける百キロの重量を不自然な態勢で支え続けるのは、如何に撃退士といえど厳しい以外に言葉はない。
「林檎は必要だよ、匁さんスペシャル(仮)とかのために!」
「そうです、大根だって!」
「必要あるか、そんなもん!」
●会場・たぬ吉の屋台・早朝
「ふう……完成しました」
額の汗を拭うゲルダ グリューニング(
jb7318)の顔には、爽やかな物が浮かんでいた。
「……なんだ、それは」
仕込みの手を止め、ゲルダの作った物に目をやった水竹 水簾(
jb3042)が見た物は、
「はい、これはたぬ吉の新マスコットキャラ、ヒリュウ君です」
年季の入った、荒々しい筆体で書かれたたぬ吉の看板には、可愛らしくデフォルメされたヒリュウの絵が描かれていて、何ともアンバランスな風情を醸し出している。
「しかし、勝手にやっていいのか……?」
「良い食べ物屋さんは助けなさい。次に食べる機会を 無くさない様に、と母も言ってましたし、問題はありません!」
「むう、しかし……」
「困難があれば、知恵と勇気で立ち向かうのが人間です!つまり、これはお客様寄せ!普通の事です!」
普通、という言葉を聞いて、水簾は少し考えた。
「(今日はヘルシーにアサリのお味噌汁にしよう)」
やっちゃったもんは仕方ないんじゃないかな、という前向きな気持ちで、再び仕込みに戻る水簾であった。
●
久遠ヶ原学園という土地は、いやらしい話であるが非常に金回りがいい。
本来ならば、ただの学生である年代が大人並みに稼ぐのだ。財布の紐もゆるゆるである。
開始五分前だというのに腹を空かせた撃退士達が、彼らの財布を狙う店主達がギラギラとした目で互いを見つめる。
そんな中、葛葉アキラ(
jb7705)は腕を組む。
裾の短いチャイナドレスだが、威風堂々とした姿は何やら妙な風格すら感じるほど。
「たぬ吉、一世一代の危機ってヤツやな……。ここは一肌脱がな、料理人の血が泣くワ!さあ、みんないこか!」
ラーメン屋たぬ吉withヒリュウ君、開店である。
●二時間後
「おにーさん、男前やねェ。ラーメン食べる男の人て様になるよねェ」
会場を歩くアキラの背後には、黒山の人だかりが出来ていた。
華やかでありながら、陰性の物を感じさせないアキラの客引きは、男性だけでなく女性にもウケがよかった。
「みなさーん、こちらがたぬ吉で……って、ありゃ、満席かいな?すんません、ちょいと待ってやってください!」
屋台の前に並べられた仮設のテーブルと椅子は、きっちりと満席になっており、アキラの連れてきた客が入る余地はない。
「あわわ、アキラさんお手伝いしてください!」
「わかったけど、何があったんや!?」
店番を担当するゲルダが涙目で飛び付いてくるのを受け止めつつ、アキラは考えた。
朝の時点ではたぬ吉の常連らしい客がちらほらと入る程度で、まだまだ客席には余裕があったはずだ。
会計時の効率化や、番号札を用意し誤配を防ぐシステムなど問題はなかったはずなのだが、現実はマスコットのはずのヒリュウ君が慌ただしくラーメンを運ぶほどの忙しさだ。
「す、すげえ……なんだ、あれは」
「まるで踊っているようだ……!」
その答えはすぐに出た。
どれだけキャベツを切ろうと、切った端から消えていく。
その犀のかわらのような状況で、調理の補助をしていた静矢は一つの答えを得た。
――速度が足りない。
自らの生命力を削り、魔装を全面開放。
更に速度を増すスキルの大盤振る舞いによる全力移動。
結果は音すら置き去りにするような仕込みの極地。
山のようなキャベツは一瞬にして切断され、短冊切りにされたニンジンが適度にちりばめられ、宙を舞うもやしは輝くようですらあった。
そんな静矢の仕込みも、十全に生かすパートナー達がいなければ意味はない。
あやかが器を用意し、出汁とスープを注ぐ。
そして、
「美女ラーメン上がる……!」
沸騰したお湯から麺を引き上げるタイミングは、塩と味噌では僅かばかり違う。
そのタイミングを見出だすのは、水簾の冷俐な視線だ。
スパァン!
完璧なタイミングで引き揚げられた麺を水切りする動きは、まるで熟練のラーメン屋そのものだろう。
「す、すげえ……」
「揺れたぜ……!」
そして、スパァン!スパァン!スパァン!と水切りするたび、ぶるんぶるんと水簾の胸が揺れ、たぬ吉に並ぶ男性陣は生理的な都合上、前屈みにならざるをえない。
「そんなにエロが好きか、お前ら!?」
「ガハハハハ、男とは幾つになってもエロが好きなものよ!」
「誰や、お前!?」
アキラの声に応えたのは、一人の男だった。
恰幅のいい腹に、仕立てのいい和服の姿は騒々しい食品展の中でも一際異彩を放っている。
「あ、あれは……!」
「知っとるんか、ゲルダ!」
「いえ、知らないおじさんです」
「誰やねん!?」
「くくく、ワシの名を知らぬとはな。ならば名乗ってやろう、ワシの名は山腹川岸よ」
「なにもんや」
「くっ、来ましたね、何かグルメっぽい人が……!」
「なんや、この展開」
ゲルダが茶番を始めた分の負担が、ヒリュウ君に一身にのしかかっているのに気付いた静矢が、無言のうちに接客を始める。
更に速度を上げ、仕込みと接客で分身でもしそうなくらいに八面六臂の大活躍である。
「どれ、この山腹川岸が貴様らのラーメンを食ってやろう」
「食堂の良し悪しを決めるのは一部のグルメじゃないわ。店主の真心よ!ラーメン一丁!」
「はーい!」
ゲルダに応えて、ラーメンを運んできたのは匁だ。
「お待たせしました、匁さんスペシャルです!」
「……なんだ、これは」
「はい、匁さんスペシャルです!」
湯気が立ち上る味噌ラーメンの上には、丼と同じくらいのサイズの野菜が山盛りになっている。
それは腹を空かせた学生をメインターゲットにしたたぬ吉自慢の一品――それだけならば。
「何故、林檎が」
「匁さんスペシャルだからです!」
胸を張って応える匁の顔に、暗い部分は一切なかった。
炒められた野菜の上に、どかんと乗るのは六ピースにカットされた林檎丸々一個だ。
きちんとうさぎにカットされた林檎は可愛らしい。
それが、味噌ラーメンの上に乗っていなければ、だが。
「くくく、食通っぽい人……臆しましたか?」
「何ィ!?だが、こんな物食えるはずがないではないか!」
ゲルダの言葉に、川岸は叫び返す。
味噌ラーメン、美味い。
林檎、美味い。
だが、その美味い物同士が混ざり合った時、完成したのは到底食欲の湧かない何かだ。
味噌ラーメンの熱が伝わっているのか、徐々に立ち上り始める林檎の甘い香りと、今すぐにでも口に運びたくなる味噌の香りが混ざり合ったその日には、吐き気すら催す何かが完成する。
「その程度で食通っぽい格好をするなど、食に対する冒涜です!」
「いや、そのオッサン誰やねん。食通っぽい格好ってだけとちゃうんか」
「匁さんスペシャル……食べてくれないんですか?」
「鬼か、あんた」
何故か執拗に食通っぽいおっさんを挑発するゲルダと、涙目の上目使いである種、挑発する匁。ひたすら突っ込み続けるアキラに、食通っぽいおっさんは唸った。
「ええい、ワシも男だ!」
さっさと林檎だけを食べればいいものを、わざわざスープに林檎を潜らせた食通っぽいおっさんは、そのまま一気に口に運ぶ。
その味は、
「林檎の爽やかな酸味と、味噌の香ばしさが絶妙に噛み合わず、口の中で広がる気持ち悪さが……!これは蛤の出汁か!」
「そんな無理せんでええんとちゃうか」
試しに林檎に味噌をかけて食べてみた所、普通に不味かったので真似するのはやめましょう。
●たぬ吉・二時
「あら、もう終わりですか?」
「あっ、斡旋所のお姉さん!」
斡旋所のお姉さんがやって来た時には、たぬ吉の屋台は撤収を始めつつあった。
内気そうな少女であるあやかが健気に、分身しそうな勢いで静矢が動き、ぶるんぶるん揺れる水簾がラーメンを作り、清楚な雰囲気を醸し出す匁が、笑顔輝くゲルダが、明るさを振り撒くアキラが、涙目になりながらヒリュウ君がラーメンを運ぶ。
そんな撃退士達のやるラーメン屋は物珍しかったのか、客足が途絶える事はなかった。
野菜や肉はともかく、スープを作り直せるはずもなく完売御礼だ。
「いやぁ、大したものですね。これは依頼成功間違いなしでしょう!」
死にそうな顔をしながら屋台をバラす静矢、ヒリュウ君の描かれた看板を前に「……まぁいいか」と呟く水簾、
「結局、誰やったんや、あのオッサン」と口と一緒に手を動かし続けるアキラ、せっせと働くあやか。
「ところでお姉さん、今回の売り上げ一位はどこなんでしょうか?」
匁の質問にお姉さんは言いにくそうに、言葉を作る。
「あー、まだちゃんとした結果が出ていませんが、前回と同じように猫カフェみたいですね」
「えー、あんなに頑張ったのに!?」
「向こうは原価率が違いますからねえ……」
メイン商品である猫にご飯を食べさせられる猫まんま二千円の原価など、ほんの僅かな物だろう。
更に人間用の飲み物代やらなんやらで、凄まじい勢いで利益率が跳ね上がる。
「食品展としてはどうなんだ、それは……」
「だから、次回からは出入り禁止みたいですよ」
さすがにこんなのに二連覇された日には、真面目に料理を作っている人達がキレる。
水簾の言葉に、お姉さんは苦笑いを浮かべながら答えた。
「でも、しっかりとした結果はまだですが、たぬ吉もトップスリーには入りそうな勢いです!潰れるどころか、明日からは沢山のお客さんで嬉しい悲鳴ですね!」
「そりゃよかったなあ、ウチら頑張った甲斐があったわ」
「そうですね、ヒリュウ君も頑張りました!」
「匁さんスペシャルも売れたよ!」
「打ち上げですね!」
ハイタッチをするアキラ、ゲルダ、匁、あやか。
やりきったという喜びが少女達から溢れていた。
「打ち上げなら、肉だな」
「肉か」
静矢の言葉に、水簾はヘルシーは明日からにしようと思った。
「よーし、じゃあ片付け終わったら打ち上げやー!」
「打ち上げです!あ、お姉さんもどうですか?」
「え、私なにもしてませんけど、参加していいんですか?」
「たぬ吉を愛する繋がりや、ええんとちゃう?」
「そういう事なら参加させてもらいますよー!」
「わーい、お姉さんの奢りだー!」
「えっ?」
「駄目なの……?」
ハイテンションで騒ぐアキラとゲルダに紛れ込むように呟かれた匁の一言に、お姉さんは動きを止めた。
上目使いで指先を口元に持って行く姿は、
「あ、あざとい……!」
「お姉さん……お腹空いたよぅ……」
「わ、わかりました!私もお腹空いたなー、アハハハハ……」
負けるとわかっている勝負でも、前に進む。
人、これを駄目人間と呼ぶ。
「ゴチになります!」
「うわあ、今まで静かだった静矢くんがいきなりマジで頭下げてきましたよ!?」
「ゴチになります」
「水簾さんはクールビューティキャラじゃなかったんですか!?はらぺこきゃらでギャップ萌えですか!?」
「よーし、じゃあ行くで!他人の金で食う飯ほど美味いもんはないわ!」
アキラの号令で意気揚々と歩き出す六人。
「せ、せめて、食べ放題で!せめて、食べ放題でお願いします!」
お姉さんの給料日は、まだ先だった。