佐藤 としお(
ja2489)は、本物の田舎をナメていた事を思い知らされた。
「ネットで調べても、出てくる店が一つもないなんて……」
ラーメン屋だけではなく、食料品店すら存在していない村を調べた所で何の意味もない。
としおが調べた結果、全人口数が十人を下回り、最年少の村人が七十三歳という数年後には消えてなくなっている限界集落だと判明した。
それを裏付けるように高台から見下ろす村は、昔は家族が住んでいただろう朽ちた家々があちこちにある。
「来た」
情報通り、北から。
降る雪よりも激しく、白い山々から雪煙が上がる。
見るからに荒々しい雪煙は、十や二十ではきかない。
「接敵まであと十分弱、一直線に天使が目撃された家に向かっています!皆、きついけど頑張ろう!」
通信機に叫ぶとしおは、近くのラーメン屋まで車で三時間はかかる事を、まだ知らなかった。
●接触五分前
ラグナ・グラウシード(
ja3538)が選んだ戦場は、右手が急斜面の細い道路だ。
としおが発見した廃校からサッカーのゴールネットを回収し、二枚のネットを互いに結び、一枚の網とした。
道路を挟んだ木と木の間に、三メートルほどの高さに網を張り、イエティ型ディアボロが放物線の軌道で投げた雪玉を止めようとする策だ。
ただ、
「これは……中々に厳しそうだ……☆」
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)の言う通り、何年放置されていたかわからない網を無理矢理に結んだだけでしかなく、見るからに不安な出来だ。
「雪男……怖いな……」
浪風 威鈴(
ja8371)の呟きは、弱々しく。
「わたしも撃退士……意地をみせるのですワ!」
ミリオール=アステローザ(
jb2746)は、これからの死戦が楽しくて仕方ないとばかりに笑みを浮かべ、
「そう、私は剣、私は盾。私が君達を」
と、ラグナが後衛に向かい、決め台詞を言おうとした瞬間、
「来た……」
威鈴が、抜く手も見せず銃を撃ち放つ。
前腕を雪の積もったに道につき、四つ足で走っていたイエティ達が、撃ち抜かれた仲間を見て足を止めた。
「なんであと五秒待たない!?せっかくの私の決め台詞を!」
飛翔し、網の後ろに隠れるようにして、ラグナは光輝く。
その光は、見る物を何となくイラッとさせる光だ。
仲間をやられた怒りと、ムカつく光を放つ奴のせいで、イエティ達は雪崩をうったように再び駆け出す。
「すごい数のゴリラですね。 これは必ず止めなければいけません」
紅葉 公(
ja2931)は、まず動き出した二十体のイエティの足元にロザリオの光刃を打ち込む。
爆音と共に舞い上がる白い雪霞で覆われたのは五体。そのうち動転して足を止めたのは三体のみ。
だが、いきなり目の前の味方が立ち止まり、玉突き事故のように勢いを殺されたイエティ達からすれば、邪魔以外の何物でもない。
更にジェラルドがイエティの手足を撃ち抜いていき、
「殲滅お願いします☆」
「任されましたワッ!」
噛みきったミリオールの指から、一滴の血が落ち、虚空に消える。
なんと足を止めたイエティ達の中心で赤い触手群が突然、発生したではないか。
瞬間移動させた血を媒介に触手群を発生させる、ミリオールの見た目とは真逆のえげつない技――深淵女王だ。
触手が足を止めた一匹のイエティの腹をぶち抜き、湯気の立つ内臓を雪の上にばらまく。
だが、イエティも棒立ちで待っているわけではない。
触手を殴り付け、必死に抵抗する。
しかし、
「お待たせしました!」
としおが合流すると、遅れていた駄賃だとばかりに嵐のように銃弾をバラ撒き、その結果を見る事なく即座に身を隠した。
必死に抵抗していたイエティも、その嵐のような銃弾を次々と受ける。
だが、
「硬いのですワ!」
強靭な体毛と頑強な肉体は、手傷こそ負わせられるが致命傷までが遠い。
ミリオールの深淵女王、としおのバレットストームで倒れたのはたったの三体。
戦いは、まだまだ始まったばかりだった。
●同時刻
「情報がなさすぎる……えげつないことになりそうやな……」
「天使も見付からないわ!」
ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)と、松永 聖(
ja4988)は焦っていた。
村人達を避難させている内に、戦闘が開始されてしまったのだ。
この山奥では大体の住民が車を持っているし、車を持っていないのであれば誰かが乗せてくれる。
お陰で避難こそ上手くいったが、たったの六人で十倍の相手をさせているのに、安心出来るはずもない。
走る二人が立てる雪煙の量は、イエティ達が全力で走るのと変わらないほど。
彼らが向かうのは、依頼者の叔母であるかつ子の家だ。
朽ちた家々を足場に跳躍する聖の視界には、すでにかつ子の家が入っているが、天使の姿は見えない。
「ねえ……あんた、何か話聞けた?」
「おばちゃん、周りとあんまり交流なかったみたいやな」
「こっちもよ」
避難を呼びかけた住人達から聞けたかつ子の評判は、お世辞にもいい物ではなかった。
『付き合いが悪い』『昔はああじゃなかったのに』
言葉こそ違えど、そんな意味の事を誰もが口にしたのだ。
「出た所勝負かー、参ったのう」
「世の中、上手く行かないわよねえ」
「ところでおばちゃんと話すの、何かいい考えある?」
ゼロの容貌と、関西弁のイントネーションがどうにもアンバランスで、聖の中で妙な違和感がある。
まぁそんな事はともかく、
「さっきあんた言ったわよね」
「なんぞ?」
すでに聖はかつ子の家まで、一足の距離。
聖は思い切り踏み切ると、
「時間も無いし、出た所勝負よ!」
飛び蹴りを扉にぶちこんだ。
ただの戸板が聖の蹴りに耐えられるはずもなく、そのままの勢いで速度を殺す事なく中に飛び込んだ。
「無茶するなあ!?まぁそれしかないわな!」
半歩遅れて、ゼロも聖が開けた穴から中に飛び込む。
「なんや、本当に昔ながらの家やな」
扉の先には土間があり、そこにあるのは場に相応しくない、と思えるほど現代的なキッチンがあった。
土間を上がれば広々とした板の間と、中心には大きな囲炉裏がある。
囲炉裏には赤々と燃える炭がくべられており、そこから吊るされているのは何かをぐつぐつと煮込んでいる大鍋だ。
「味噌ね」
「味噌やな、ってそんな事を言っとる場合ちゃうやん!」
囲炉裏の側に座っていたのは、依頼者から受け取った写真と同じ顔をしている。
「あんたが板倉かつ子やな、俺らは久遠ヶ原学園のモンや」
ゼロの対応は乱暴ではあるが、早かった。
無言のまま辺りを警戒している聖にも油断はない。
●二分前
戦線は崩壊しつつあった。
誰もが全力を尽くし、誰もが必死に戦っている。
だが、二十を超える雪玉が宙を疾り、半分ほどが張ってあった網に捕らえられる。
しかし、鉄球ほどに固められた雪玉が、いよいよ耐えられなくなった網を貫通し、ラグナに唸りを上げて向かう。
「くっ!だが、まだまだ!」
盾にかかる手応えは、まるで立て続けに車に衝突されたかのようですらあり、ラグナの体力をみるみる削り、
「焼き払います!」
公の放った炎が、直線上のイエティを数体、高温で炙るが毛皮に火を付けたまま前進してくる。
「止めきれない!」
「あと何体だ……」
威鈴ととしおが足や前腕を狙い、イエティ二体を止めるが、こちらの狙いを学んだのか、後続が巻き込まれる事はなくなった。
確かに撃退士達の攻撃は効果を上げていた。
だが、イエティ七体がラグナの元に殺到し、後方のイエティ達は援護射撃をするように次弾の雪玉を握り始めていた。
人間と近いゴリラは、道具を使う事を知る。
道具を使うという事は、戦術とまではいかずとも、学び、使用するという事なのだ。
戦場は錯綜し、視界が広く取れるはずの後衛ですら何体倒し、何体残っているのかすら判断が出来ない。
二十は、確実に倒したはず。三十は恐らく超えているだろう。
だが、四十は倒し切れた自信はない。五十には間違いなく届かない。
このまま留まれば、前衛を張るラグナが落ち、後衛に攻撃が集中する。
「足を止めず……」
少し下がろうか、とジェラルドが口にしようとした瞬間、
「ゴミ共が」
「なっ!?」
白い雪が、赤く染まる。
五体のイエティが、ある者は首を跳ねられ、ある者は眉間に刃を刺しこまれ、一瞬にして落ちる。
ほんの一呼吸の間に。それを成した存在が、そこにいた。
後衛に固まっていたイエティ達の死体の中心で佇むのは、独りの天使だ。
背の一対の羽は踏み荒らされていない雪のようにひたすらに純白。その手に握られるのは、二振りの長剣。
手の甲には発達した血管が浮き上がり、普段からよほど剣を握っている事が窺えた。
「……助けて、くれたのか?」
ラグナとてわかっているだろう。
厳つい褐色の顔、そこに細く開かれた目に、撃退士達への興味が全くない事を。
だが、聞かずにはいられなかった。
イエティ達は本能に従い下がり、撃退士達も状況を見極めるべく天使の動向を警戒する。
これが子供を襲う天使を倒せ、というのであれば勇敢に戦ってみせるだろうが、ここで戦った所で意味がない。
「ちっ!」
そんな沈黙は、長くは続かなかった。
再び風を纏い、天使は姿を消したのだ。
「あっちはゼロさんと聖さんがいる方向です!」
「とにかく、この隙に立て直すよ☆」
「早く仕留めて援軍に行きますワ!」
●同時刻
二人に油断は無かった。
「知ってる事、話してくれる?なんも喋る気ないんやったら」
「待」
風が、貫いた。
土壁を貫き、風がゼロを打つ。
銀の光を宿した長剣は、走馬灯すら見れぬ時間軸の中、一筋の光にしか感じられなかった。
奇跡、とも言えるような反射でゼロが解放したV兵器は大鎌だ。
身体の正中線上に解放された大鎌は、確かに長剣の軌道上に。
「ち」
だからこそ、ゼロの上半身と下半身は生き別れずに済んだ。
特殊な素材で作られているはずの大鎌の柄はぐにゃりと曲がり、トラックに跳ね飛ばされたかのような勢いで、ゼロの身体を吹き飛ばし、
「ッリャア!」
闘気を開放した聖の正拳突きは、ぶ厚い鉄板すら砕けそうな力が籠り、
――だが、何もかも遅い。
「なさい、アベル!」
「なんだ、かつ子。俺は君を守ろうとしているだけだ」
「この子達はいいの!少し待ってちょうだい!」
「君が待て、というのなら俺はいくらでも待とう」
左の金色の刃が、聖の眉間に触れていた。
数センチ押し込まれるだけで、聖の脳に刃が届くであろう距離。
『今、そっちに天使が向かってる……』
「遅いわよ!?」
「ぐっ……訳、話してくれるんやろな、あんたら」
曲がった大鎌を杖に立ったゼロの目には、隠せぬ苛立ちが宿っていた。
●三十分後
「それがどうしてこないな事になっとんのや!?」
「美味しそうですワ!」
合流したゼロ達の前に並ぶのは、湯気をあげる豚汁、疲れた身体には堪える香りを放つ肉じゃが。そして、どんぶり一杯に盛られたご飯。
「いただきま」
「少し待とうね☆」
食べ始めようとする数人をジェラルドが止める。
「最初に一つ言っておく」
「なんや」
囲炉裏端に座る、アベルと呼ばれた天使が口を開いた。
「貴様らはかつ子の料理を食べるな。俺が食べる量が減る」
「知らんわ!?まず言う事がそれか!」
「まずはごめんなさいする事じゃないかしらねえ」
「おお、美味そう……」
土間のキッチンから戻ってきたかつ子の手にあるしょうが焼きを見て、としおが声を上げる。
「むう……しかし、君を守るためだ。謝罪する理由など何もないと思うんだが」
「アベル」
「すまなかった、許して欲しい」
「弱っ!?」
「ごめんなさいねえ、怪我は大丈夫かしら?」
「……まぁ動けないほど怪我を負った子はいないね♪」
イエティもアベルが大部分を撃破し、ゼロもまだ頭がぐわんぐわんと揺れ動いている感じが残っているが、動けないほどではない。
「あー……で、結局、何がなんなのよ!」
「俺はかつ子を守るだけだ」
苛立つように叫ぶ聖に、アベルが答える。
「アベル、少し黙っていてね?」
「わかった」
そう言うと、アベルは目の前にある筑前煮を真剣な表情で、凝視し始める。
「私とアベルは、その……一言で言うなら恋人同士で」
「リア充か!……流石の私もご老体に嫉妬するのはどうなんだ」
「リア充っていうのはわからないんだけど、私達が出会ったのは七十年前です」
頭を抱え始めたラグナを無視し、公はつい尋ねていた。
「その間、アベルさんはずっとかつ子さんを守っていたんですか?」
「当然だ。俺の存在意義は、かつ子を守る事以外にない」
素直に凄いな、と公は思う。
七十年という、想像も付かないような長い年月を、ただひたすらに一人を守り続けられるというのは、大好きだった人を目の前で失った公からすれば、理想の存在だ。
「こんなお婆ちゃんの何がいいのかしらねえ……」
「かつ子の全てだ。……まだ食べてはいけないだろうか」
「一つだけ聞かせてくれるかな☆」
「なんだ」
ジェラルドの表情にあるのは、普段の緩い笑み。だが、その目には真剣な色。
「どうして君は力を維持出来ている?天界からすれば、こんな人のいない所でふらふらしている君に、力を与えておいたままというのは不合理だよね☆」
「かつ子を守るには、力が必要だ。だから、俺は天界を裏切って堕天してはいない」
「つまり、人間と敵対するという事かな」
「それはかつ子が悲しむ。貴様らが群馬と呼ぶ地から、この埼玉に悪魔を入れない事を目的として、この地に派遣されている」
ここから以外だと知らんが、とアベルは言うと、再び筑前煮に視線を落とした。
「なら……人を傷付けた事は……?」
「無い」
「何に誓える……?」
「かつ子への愛に」
「少しは落ち着いてくれないかしらねえ……」
威鈴の問いかけに断言したアベルに、かつ子は溜め息を吐く。
「皆さん、お願いします」
気を取り直し、姿勢を正したかつ子は、深く頭を下げる。
「私達は静かに暮らせれば、それでいいんです。お願いします、見逃してやってください」
「せやかて……ディアボロ来たやん」
「今日は多かったが、たまに来ていた。まぁ貴様らに集中していて楽に削れたが」
「そうなんか……」
視線がゼロに集まっていた。
アベルの被害があったのは、ゼロだけだ。
ただ平和に暮らしているアベルを襲うには、どうにも暢気過ぎる。
だが、力を維持したままの天使を放置しておくのは問題ではないだろうか?
そんな空気が無意識の内にゼロに決断を求め、
「お腹が空きましたワ!」
「ご老体に嫉妬するという事は、つまり私は老婆でもいいと無意識の内に思っているのでは」
「やかましい、シリアスさせろや!?ええい、もうわかったわ!お前らいただきますや!」
やけくそで口に運んだしょうが焼きは、少し冷めていたが確かに美味かった。