●決行十分前・黄昏ひりょ
かつん、かつんとあえてリノウムの床を叩きながら、黄昏ひりょ(
jb3452)は歩く。
第八視聴覚室から感じる薄暗いアウルが静まったのは、扉までの距離が残り十歩まで差し掛かった時だった。
(前情報通り、索敵は大した事ないみたいだね)
敵が来る、という想定自体が成されていないのだろう。
撃退士がもっと外側に注意を払っているのであれば、とっくに捕捉されていなければおかしい。
ひりょは作戦の成功を確信しながら、遠慮なく扉を開いた。
「失礼します」
「風紀委員!?……では無さそうだな。何者だ」
カーテンが締め切られた真っ暗な部屋よりもなお暗い、車座に座る男達を確認しながら、ひりょは言葉を選ぶ。
「え、ええと……ここで非リア充の集会をやってると聞いて来たんですけど……今から参加って出来ますか……?」
気弱な、それでいて少しのドジをしても疑われない撃退士らしく、言葉は自信なさげに。
視線をわざとふらつかせ、如何にもこういう集まりは初めてです、と言った風にひりょはこの場にいる最も強大なアウルの持ち主に語りかけた。
その男は巨体だ。
腕は太く、破れた制服の袖からはたわしがくっついてるのではないか、と言わんばかりの濃い剛毛が生えており、まるでゴリラのように髭だか揉み上げだかわからない毛が顔中を覆っている。
「ほう、我がリア充爆破会に参加したいとは、なかなか見る目のある漢だ!俺が会長の竹光是清だ。貴様の参加を歓迎してやろう!」
ガハハ、と大口を開けて笑う竹光は、こうして見れば頼りになりそうな男だ。
ただ見た目の清潔感の無さが、取っ付きにくさに繋がっているが、持っていき方次第では普通にモテそうだ、とひりょは思う。
あとネーミングセンス。
「あ、ありがとうございます。え、えっと……うわぁ!?」
廊下側の戸を開けっ放しにしたまま、ひりょは如何にも暗くて転んでしまいました、とばかりに無様に転倒し、わざと眼鏡を窓側に滑らせた。
「ぬう、暗いから気を付けろよ」
「す、すみません。め、眼鏡が外れちゃったんでカーテン開けていいでしょうか?」
「うむ。皆、動くなよ。下手に動いて同士の眼鏡を割る訳にはいかないからな!」
(順調過ぎて、逆に申し訳なくなってきた!?)
仲間は疑わない、と全身全霊で表現する竹光に、心が罪悪感で屈服しつつあるひりょは、それでものそのそと窓際に寄り始める。
襲撃開始のサインを意味する、カーテンを開けるを開くという行動をする訳にはいかない。
あまりに順調過ぎて、次の作戦時間まで時間が余っているのだ。
「う、うわぁ!?」
「ぬう、また転んだのか。……しかし、我々は動くわけにはいかん」
「俺、中等部の頃に教室で転んで、その先にいた女の子のスカートずり下ろした事が……」
「俺も女の子が落とした消ゴム踏んで、思いっきりぶつけちゃった事が……」
「女の子のコンタクト踏み潰して泣かせちゃって、それからクラスの女子に総スカン食らってます……」
非リア充あるあるが始まり、場の流れは依頼を受けた撃退士としては悪くない物になった。
しかし、
(本当に……彼らを倒すだけでいいんだろうか)
彼らはモテたいだけなのだ。
それが些細な切欠で、こんな集会を始めて憂さを張らさなければやっていけなくなってしまった。
それを単純に退治する風紀委員達は正義なのだろうか?
そんな事を考えていたひりょもまた、外部へのアンテナをしまっていたのだろう。
「あのー、すみません」
野太い非リア充あるあるを打ち消すような、華やかな女性の声に寸前まで気付けなかった。
たおやかな大和撫子といった風情を持つ緋流 美咲(
jb8394)。
「あ、あのぅ……是清……さん……?いらっしゃい、ます……か……?」
そんな彼女の後ろに隠れるように(二十センチは違い、まったく隠れられていないが)エイリアス・寛・ルー(
jb8476)が廊下の扉から顔を出していた。
ぴたりと止まる非リア充達の会話、交わされる戸惑った視線。
「お、俺が竹光だ」
そんな視線に追い立てられるように、竹光が女性二人に向かい合う。
蛇に睨まれた蛙のように脂汗を流す竹光は、攻撃したらあっさり仕留められそうだなあ、などとひりょは考えた。
「ほら、エイリアスさん頑張って!」
「う……うん……」
美咲に背を押されるようにして前に出たルーは、竹光に向かって一歩前に出る。
「あ……あの……」
「な、なんじゃあ!?」
「ひっ……!?」
「す、すまん。驚かせるつもりはなかったんじゃあ!?」
テンパり過ぎた竹光を尻目に、ひりょは美咲と視線を交わす。
お互いに襲撃に有利な場へと、眼鏡を拾いつつ、じりじりと移動していく。
「あう……そ、その!」
無言であればクールな顔立ちのルーが恥ずかしげに頬を染める様は、これが演技だとわかっているはずのひりょでも少しばかりどきりとした。
そんな彼女が後ろ手に隠したチョコを勢いよく突き出す。
「初めてチョコ作りました……受け取ってください!」
「なん……だと……!?」
「会長がチョコを貰えるだと……!」
「俺にはないのに……!?」
怨念が、場を染めた。
それはルーには一切向かわず、ただひたすらに裏切り者を呪う怨念だ。
男達から漏れ出したおどろおどろしい色をしたアウルが一つになり、どういうわけか意思を持ったかのように竹光の首に触れ、一人の男が口を開く。
「会長?」
「……なんだ」
「会規一番、裏切り者には」
「……死を」
「会長は裏切り者か、否か……?チョコか死か」
「……答えろ」
「答えろ」
「答えろ……!」
「やめろォ!?俺だってチョコが欲しいんだ!」
おどろおどろしい色をしたアウルは、やがて竹光の全身に絡み付き、その巨体を中空に持ち上げる。
その下に集まり、血走った目で竹光を見つめる男達から放たれたアウルは首だけではなく、服の下にまで入り込み、見るからにおぞましい……男の触手プレイが始まろうとしていた。
(あかん)
ひりょは即座にこれ以上の説得を諦めると、カーテンと窓を全開に開いた。
「悪い子にはオシオキで……いやぁ!?」
「ぐはぁ!?」
そんな声と共に斉凛(
ja6571)の弾丸が、竹光の脳天を撃ち抜く。
動揺しつつも的を外さぬその腕は大したもんだと、ひりょは現実逃避気味に考えた。
「出陣ネ!……これは薄い本が現実になったアルか!?割とイケるね!?」
二階の窓より飛翔して迅速に侵入を果たした途端、触手プレイをされる竹光を見て叫ぶ双狐(
jb5381)の表情は、財宝を見つけた探検家のように輝く。
「皆さんご無事で……すか……」
美咲とルーの開けた扉から突入し、即座に証明を付けたユウ(
jb5639)が徐々に服を脱がされていく竹光を見て絶句。
普段は穏やかな笑みを絶やす事のない口元が、大きくあんぐりと開かれる。
その後ろから黒髪の三つ編みの少女が侵入するが、無言のままだ。
「守り、ます」
そんな中、レイス・テクニカ(
jb7742)が、ルーを守るように侵入。
ひどい光景の衝撃を、ルーを守ると誓った意思で打ち消す。
「ふ、風紀委員の襲撃か!?」
「なんてこった!」
「まだ死にたくねえ!?」
口々に勝手な事を喚くせいで集中が乱れたのか、竹光を捕らえていたアウルが霧散し、彼の身体が地面に落ちる。
弾劾裁判という名の触手プレイをするため、一ヶ所に集まっている男達の周りを囲むように緋流美咲、ユウ、よだれを垂らしそうな顔をしている双狐、少し遅れて死ぬほど嫌そうな顔をした斎凛。
ルーを守るようにして立つレイス・テクニカ。
まだ同士扱いされているひりょも加われば、更に奇襲の効果は高く、完全包囲と言ってもいい状態だ。
だが、
「……悪い夢を、見ていたようだ」
「か、会長……?」
「いや、いい夢を見せてもらったのか……ありがとう、名も知らぬお嬢さん」
「は、はい……?」
心折れ、腰を抜かす男達の中で、独り竹光は立った。
ルーを守るレイス、女の子を守るイケメン。
その姿に、竹光は真実を悟ったのだ。
しかし、竹光は自分の死期を知った老いた象が自ら墓場に向かうような透き通った表情をしていた。
「だが……」
一転して憤怒。
血の涙を流し、仁王のような形相。
その先にはルーを守るレイスだ。
「イケメン死すべし!イケメン爆殺拳!」
「アイヤー!?あれは伝説のイケメン爆殺拳!?まさかまだ遣い手が存在していたとはびっくりアル!」
「知っているのですか、双狐さん!?」
「古代天界で嫉妬に狂った天使が、千のイケメンを爆発させた伝説の技アル!具体的に換算すると対イケメン特攻×千倍ネ!」
「避けてください、レイスさん!」
「……この戦いの間は、私は、エイリアスさんのナイト、ですから」
この間、0.2秒。
双狐とユウの叫びを背に、竹光のイケメン爆殺拳が、ルーを抱き抱えるように背を向けたレイスに放たれた。
ひりょは、美咲は、突然の変転に誰も動ける者がいない。
このままレイスが爆散してしまうのか、と思われたその時、
「やめてください!そんな事する人……嫌いです!」
「ぐはぁ!?」
ルーの叫びが、竹光の心の最も弱い部分を貫いた。
倒れ伏す竹光。
こうしてバレンタインに始まった狂宴は、無血の内に終わ
「りませんわよねえ……!」
純白のメイド服を纏った凛が、真っ黒な笑みを浮かべながら言った。
触手プレイはよほど駄目だったらしい。
●暗黒会議
再び車座に、今度は正座をさせられる男達の周りを、かつんかつんと優雅な音を立てて声が回る。
「誰かを僻んで嫌がらせをするのではなく、みんなで仲良く致しましょうですわ」
一人、また一人と凛が配っていく紅茶が行き渡る。
明かりが付き、どう考えてもさっきまでの光景よりはマシなはずなのに、この身に感じる寒気はなんだ。
ひりょはこっそりと味方に怯えた。
「はい、すみませんでした……」
「責めているわけじゃありませんの。暴れたって貴方がたがモテるわけじゃないですわ、と言っているだけですの」
「はい、仰る通りです……」
「どうして貴方はモテないのかしら?」
「生まれた事自体が悪かったんだと思います……」
「私、最近結婚しましたの。貴方はいつ結婚なさるの?」
「来世とかだと思います……」
左手の薬指にシルバーリングがきらりと輝く凛の言葉に、非リア充達の心を抉られていく。
「そうですよ、人を傷付ける人が誰かに好きになってもらえるはずありません!」
「生まれ変わってきます……」
そして、善意百%の美咲がトドメを刺す。
「あ、あの……もうそれくらいにしてあげませんか?」
困ったように言葉をかけるユウに、ひりょはひどく安心した。
ほんの少しだけ引き込まれかかった身としては、彼らが屠殺場の豚のようにしばかれて行く光景を見るのは辛い。
「ふむ……心折れた男達……なかなかイケるアルな」
ぶつぶつと呟きながら、スケッチを始める双狐は誰も視界に入れない。
「もうっ、皆くっらーい!」
そんな中、一人の少女が動いた。
黒髪のウィッグと地味な服装をばさりと投げ捨てると、その中から現れるのは豊かな金髪とふりふりのアイドル衣装。
「そんなにチョコが欲しいなら、とびきり甘い魔法のかかったチョコレイトをあげちゃいますよっ☆」
きらりと器用に光纏を使い、可愛らしいポーズを決める少女の名は、
「みんなー!猫にゃーん♪」
ドロレス・ヘイズ(
jb7450)十一歳、アイドルである。
「あれれぇ、声が小さいなー。もう一回行くよー!猫にゃーん♪」
「ね、猫にゃーん……」
「もうっ、そんなんじゃ甘い甘いチョコレイトは無しなんだからねっ!もう一回ー!猫にゃーん!」
「ねっこ!にゃーん!」
最初は何が起きていたのかわからず、少しばかり引いていた男達だが、ドロレスのアイドルオーラに惹き付けられたのか、やがて拳を突き上げ叫びを上げる。
なんだこれ、とひりょは素直に思った。
サバトが終わったと思えば、次は真っ黒な笑みを浮かべた真っ白なメイドの裁判、そして今度はアイドルライブだ。
「じゃあ一曲目いっくよー!『恋するラブラブクッキー☆』」
「わー!」
美咲が何故かうきうきとスマホを操作すると、かなり音質は悪いが、それでもアイドルらしい曲が流れ出し、きらりと輝くドロレスがどこからかマイクを取り出し歌い出す。
歌とダンスはまだまだかもしれないが、その愛らしい容貌と弾ける笑顔は悪魔の誘惑、とまではいかないが、僅かにある夢魔の特質と持ち前の愛嬌を生かしたオリジンチャームは『あいつ、俺に百円チョコ一個くれたけど、実は照れてるだけで俺の事、好きなんじゃねーの……?』という非モテ理論に乗り、普段の数倍の効果を発揮する。
「ふむ……アイドルの女王と下僕達……まぁまぁイケるアルね……」
新しいネタに飛び付く双狐。
「これで悪は滅びましたわ」
歌声に忍法「魔笑」が混ざっている事を知りつつ、満足げに微笑む凛。
そんな彼女達と、ドロレスが投げ付けるチョコを奪い合う男達を前にして、ひりょはユウと目を合わせた。
『帰ろうか』
『帰りましょうか』
二人に言葉はいらなかった。
いつの間にやら消えた二人も、きっと帰ったのだろう。
●どこか
午前〇時、二月十四日。
バレンタインは誰の元にも等しく訪れる。
「あの!……手作り、は、失敗、した、ので……市販、の、 です、けど………… 助けて、くれて、ありがとう、ございます。その、これから、も、よろしく、お願い、します……」
「私こそ、助けてくれて、ありがとう……その、これからも、よろしく」
二月の風の冷たさも何のその。
バレンタインに交わされた二人の手は、とても暖かかった。