だが、一瞬の躊躇もなく、全員が動いた。
「トラックは頼む、こっちは任せろ!」
ライアー・ハングマン(
jb2704)を先頭にインレ(
jb3056)、ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)が物質透過を生かし、情報の連続性が失われた銀行の中へ躊躇わずに侵入する。
「やれやれだわぁ……」
強烈なスマッシュをぶちかまされたかのように吹き飛んでくる大きめのスライムと、まるで自分達を跳ね飛ばそうと真っ直ぐに暴走するトラックに立ちはだかるのは卜部 紫亞(
ja0256)、九条 静真(
jb7992)、九鬼 龍磨(
jb8028)だ。
反射的に突入と防衛に分かれた手際だけでも、一秒を細切れに分割した時間の中では上出来と言っていいだろう。
だが、
「叩き壊すわ!」
九鬼 紫乃(
jb6923)の手に握られるのは数珠だが、ただの数珠とは一線を画す巨大さだ。
光闇珠と呼ばれるV兵器の一種であり、撃退士特有のパワーを持って振るわれた数珠は一本の線にしか見えない速度で叩きつけられ、降りたばかりのシャッターに大穴を空ける。
「視界通りました!ヒリュウさん、おねがいします!なのです」
華愛(
jb6708)が開けた視界の中、ヒリュウの幼体を銀行内に召喚する。
手の長い陰陽師とバハムートテイマーを、銀行と暴走するトラックの中間点に。
更にへルマンとインレの発案で、スライムが更に分裂し、散開する場合に備えて用意したハンドフリーの無線により情報の共有に成功したのは出来すぎと言ってもいい状況だ。
運は確かに誰もが無かったが、誰もが成すべき事を成そうとした結果は、確かに出た。
●
少女はただ見ていた。
まだ子供とはいえ、銃くらいはテレビの中で見た事がある。
だからこそ自分に銃を向けられている、という状況は大好きなアイドルが目の前にいる状況と大して変わらない。
人間、想像もしていない状況に陥った時、反射的に動けるのは訓練を積んだ者だけだ。
いくら好きだからと言って、アイドルにいきなり抱き付けないように、泣き叫ぶ事もなく、ぽかんと銃口を眺めていた。
「阻霊符」
だから万が一、銃が暴発した場合に備え、スライムの物質透過を防ぎ、防壁にしようとするインレの行動なんて、これっぽっちもわからない。
「眠ってろよなァァ!」
「ぁぁぁぁぁあぁあ゛!?」
だから、ライアーの放った冷気が自分に銃を向けていた男を包み、妙な声を上げながら倒れるのを見ていても理解が出来ない。
「――止める」
だから、トップスピードから即座に速度を殺し、少女の前に立ってみせたインレの機動にどれだけの鍛練があったのかなんて少女にはわからない。
秒速11.2mを即座に切り返す負担による痛みも、銃口の前に身を晒し、天魔に立ち向かう恐怖もわからない。
ライアーがまとめて蹴散らしたスライムの破片と、暴発した銃弾をまとめて絡めとられる。
高速で円を描いた右の袖一つで、全てを止めた絶技の凄まじさなんて、わかるはずもない。
だけど、自分を守ってくれた腕のないお兄さんの背中はとても広くて。
「よう、無事か」
だけど、顔に傷があるけど優しそうに笑うお兄さんが自分を助けてくれた事が、やっと今頃になって理解出来て。
「う、うええええん!」
やっと今頃になって、自分が怖い状況にあった事を理解出来た。
「お、おい、泣くなよ……」
そして、びいびいと泣き喚く自分に、あれだけ格好よかったお兄さん達がおろおろと慌てるのを見て、少女は泣きながら心の中で少し笑ってしまっていた。
●
(どうしようどうしようどうしよう)
シャッターが閉まる寸前に見えたのは、久遠ヶ原学園の制服だったように思える。
思い思いの服装をした人達がいきなり降ってきて、一人だけだけど制服を着ていたような気がする。
そして、彼らの救いの手をシャッターで閉ざしたのも、受付嬢である春子――つまり、自分だ。
(どうしようどうしようどうしよう)
こんな時、どうしたらいいかだなんて
教わった覚えはないし、頼りになる先輩達はもうとっくに春子を置いて避難している。
ほぎゃあ!?と、あまりの事態にキレた春子は、天井を仰いで奇声を上げた。
(あれ)
黒くて丸い物が春子の視界に入る。
天井から滲み出るようにして現れたそれは、どうやら凄い速度で落ちてきているようで。
すでに限界を迎えていた春子の処理能力でも、一秒にも満たない時間の先にある確実な死が理解出来た。
(やだ)
そう思った所でどうしたらいいかわからない。
パンクした処理能力は涙という形で溢れ、視界が黒に染まった。
(思ったより、死ぬのって怖くないんだなあ)
死は暖かく、少しだけ汗臭い。
だけど、その汗臭さが人の温度を感じられて、ひどく落ち着く。
「お怪我はありませんかな……?」
「ふ、ふえっ!?」
降ってきた声に目を開けてみれば、そこにあったのは落ち着いた笑みを浮かべる褐色の肌をした紳士の姿だった。
その巨体の腕にすっぽりと包まれている、と理解するよりも早く、
「撃ち抜きなさい、プリズミック・ブラスター!」
紳士の上を鮮やかな七色の光が通り過ぎ、
「ヒリュウさん、最後の一体ふぁいと、なのです!」
小さな竜が口から光を放つと、落ちてこようとしたもう一つの黒い物が吹き飛んだ。
何があったのか、春子にはまだ理解出来ていない。
「お嬢様、お手をどうぞ」
「は、はい……」
だけど、この紳士か自分を助けてくれたのは、どうやら確かみたいだった。
「要保護者確保。内部の警戒に当たります」
春子に背を向け、入り口に視線を向ける紳士はまだ春子を守ってくれるみたいで。
「ご安心を、お嬢様。皆様は必ずお守りします」
「はい……」
その優しげな声に、春子は安らいだ声を返した。
彼を疑う必要なんて、これっぽっちも感じられない。
(だって、そうでしょう)
春子を守るため、その身体で黒い何かを受けたのだろう。
エレガントで瀟洒な燕尾服姿だが、今のその姿は不完全だ。
燕尾服の尻が破れ、その下に隠されていたエレファントパンツが露になっている。
切れ込みの強いエレファントパンツが食い込んだ尻は柔らかな脂肪ではなく、鍛え抜かれた躍動する筋肉だ。
(や、やだ……素敵……!)
春子は守られる安らぎに浸りながら、そのまま紳士の尻を眺め続けていた。
●
無言で瞬間移動を成した紫亞の心のどこかで、ちらりと炎が揺らめいた。
銀行に突入した三人は、天魔だ。
叔父も伯母も父も母も、誰も彼もが天魔との戦いの中で散っていった。
死んでしまえばいい、と紫亞のどこかが叫ぶ。
「でも、そうもいかないわよね」
「あ、あんた一体どこから!?」
「そんな事より」
暴走するトラックの助手席に瞬間移動した、などとわざわざ説明してやる必要も、運転手に視線を向ける必要も紫亞は認めない。
パニックを起こし、喚き散らそうとする運転手の言葉を叩き切るように言葉を作る。
「ブレーキだッ!踏めいッ!」
ちり、と焦げ付く心の内を、ネタという分厚い仮面で紫亞は隠した。
たおやかな見た目を裏切る紫亞の強い言葉は、パニックを起こした運転手の心の隙を広げ、反射的にブレーキを踏ませる事に成功する。
「いいかしら。か弱い女性を車外に放り出したくなかったら、落ち着いて車を立て直すのだわ」
メーターを見れば一気にスピードは落ちていた。
だが、銀行に突っ込むまでの距離では、いくらブレーキを踏もうと止まり切れるものではない。
百メートル走の金メダリストの平均時速は約三十六キロ。
その速度にトラックの重量の乗せれば、下手な天魔の攻撃など話にならないほどの衝撃が発生する。
そうなった時、銀行内にどんな被害が出るかわかったものではない。
「やれやれだわ、本当に……」
天魔を滅ぼすチャンスでありながら、即座に全てを守るために動いた自分が歯痒くて、紫亞はネタではない言葉を吐いた。
●
龍磨は笑った。
それは楽を含んだ笑いではない。
暴走するトラックの正面に立つ、という状況で喜楽しく笑えるほど、龍磨は人間をやめてはいないのだから、引きつり過ぎて笑みに見えるような顔をしてしまっても仕方がないに決まっている。
だけど、
(凄いな)
トラックの助手席に座る紫亞が、笑っていた。
苦い物を飲み込んだような、「仕方ないかしら」なんて今にも言いそうな苦笑いだ。
こんな状況で笑えるのは、潜ってきた修羅場の数が違うのか、それとももっと別の何かが違うのか。
そして、静真が音もなく動く。
静真は喉に傷があり、声が出せないでいる。
彼の生活がどれだけ困難なのかなんて、龍磨には想像する事しか出来ない。
だけど、後遺症の恐ろしさを一番知っているはずの静真は、暴走するトラックの前に、まるで自殺でもするかのようにふらりと出た。
一歩間違えば即死するような状況で、冷静に合金パイプを振りかぶると、
「シッ……!」
呼気と共に一閃、スライムをトラックに打ち返す。
ぐちゃり、と飛んできた泥のように広がったスライムの身体はまだ残っており、多少なりとも緩衝材になるだろう。
静真はそのままヒットを打ったバッターのように、パイプを振った遠心力を速度に変換しながら、トラックの正面からするりと抜けていく。
その見事な手並みは、称賛されるべき物でこれ以上は望めやしない。
だというのに、龍磨に送られてきた静真の視線には、申し訳なさとでも言うべき色が籠められていた。
もっと自分は何か出来たのではないか、もっと龍磨の負担を減らせたのではないか。
そんな色だ。
「にはは」
龍磨は、笑った。
それは笑みに見える引きつりではない。
暴走するトラックの助手席で笑ってみせる女の子の前で、いつまでもビクビクとビビっていられるほど、龍磨の男は安くないのだ。
友人に心配をかけ続け、大丈夫か?なんて手を引かれるのは趣味でもない。
ならば、少しでも格好よく見えるように、龍磨は笑ってみせた。
「……ッッッッ!」
陸上競技の金メダリストの速度と、撃退士の速度に大差はない。
そして、トラックの重量は人体を遥かに上回る。
つまり、時速四十キロ前後のトラックを正面から止めるという事は、助走を付けた撃退士が数十人の全力攻撃をまとめて防ぐに等しかった。
「ぎぃ……!」
腰を落とし重心を下げようと――下半身にアウルを集めるディバインナイトが学ぶ不動と呼ばれる技術を駆使しようと耐えられる物ではなくて、防壁陣を張り巡らした所で、薄紙を破るように引き千切られていく。
それでも龍磨は倒れない。
脳みそから龍磨の意識は跳ね飛ばされているというのに、根っこに刻み込まれた技術が、瞬間を刻んだ僅かの時間の中で盾に僅かの傾斜を付け始めた。
「……!」
その事を見て取った静真はライフルに持ち変えると、トラックの右後輪を即座に撃ち抜く。
「――La main de haine」
紫亞の呼び出した無数の白い腕が右前輪に巻き付くが、ぶちぶちと音を立てて引き千切られ。
引き千切られた無数の腕は大量の血を撒き散らながら、トラックのタイヤからグリップを奪う。
龍磨という砕けぬ柱にぶつかり、右タイヤを一度に失ったトラックは物理法則に従いベクトルが変化、スピンを開始。
だが、トラックに残る速度全てが失われたわけではなく、遠心力に導かれるように、ぐらりと横転しようと、
「またまたヒリュウさん、お願いします!なのです」
「盾身、顕現なさい!」
「……!」
式である盾身を纏ったヒリュウの幼体が、縮地で回り込んでいた静真が、トラックの荷台を打撃し、その巨体に宿っていた速度全てにカウンターが入った。
つまりは停止。
「状況終了しました!なのです」
華愛の明るい声が無線を通して届くと同時に、龍磨は声もなく膝から崩れ落ちた。
トラックに集中し過ぎて気付いていなかったが、いつの間にか破壊されていたシャッターから銀行の中が見える。
「ほーら、いないいないばー!」
「…………!」
わんわんと泣く少女にライアーが変顔をしかけ、それを見たインレがツボにハマったのか無言で咳き込む。
その足元では強盗が自分の流した血の海に沈みながら、白目を剥いた形容し難い、何故か嬉しげなひどい顔をしている。
アウルの攻撃に抵抗の術を持たない一般人が、色欲の名を冠する一撃を食らうとアヘ顔Wピースで大怪我をするらしい。
あれだけは食らいたくないな、と心から思うし、おっさんのそんなツラを見ても嬉しくない。
「どなたか怪我をされた方はいらっしゃいませんかな?」
落ち着いたバリトンで銀行の職員に声をかけるヘルマンの後ろ姿を、受付嬢がきらきらと輝く恋する乙女の目で見ていた。
(ああ、こういうのって、いいなあ)
誰もが傷付かず、最低限の被害で全てが終わる。
ハッピーエンドだ。
「やれやれだわ……」
障壁を張っていたのか事故並みの衝撃を受けたはずなのに、平然と助手席から降りてきた紫亞と、
「一件落着!なのです」
満面の笑みを浮かべる華愛。
どうしようもなく運が悪い中、それでも確かに全員が成すべき事を成した結果だ。
運転手もよろよろしてはいるが、自分で降りて来れるのだから問題はないだろう。
ただ、あと少し望むのであれば、
『大丈夫?』
駆け寄って来た静真がメモを差し出す。
その後ろには、
「怪我してない?お姉さんには言わないから、やせ我慢しないでちゃんと言うのよ?」
と、静真にべたべたと身体を押し付けるようにして尋ねる紫乃の姿がある。
龍磨もどうせなら、可愛い女の子に心配されたかった。
これではまるでヒロインが静真のようではないか。
(まさかのホモエンド……!)
それだけを考えて、龍磨の意識は闇に沈んでいった。