放課後の家庭科室に、乙女二人の密やかな響きが広がっていく。
甘やかな恋の疼きを孕んだ男子禁制の花園で、一人が口を開いた。
「やはり、肉じゃろう」
「やはり、肉か」
得意気に語る鍔崎 美薙(
ja0028)に、鬼瓦愛子は深く頷く。
美味い物、それすなわち肉だ。
煮てよし、焼いてよし。肉の一切れがあれば、いくらでも米が食える。
「そして、相手への健康を気遣う……つまり、弁当だけではなく、青汁も付けるべきじゃな」
「なんと……その発想、我には無かった……!」
これが気遣い。そして、これが女子力!
愛子は深く得心し、美薙の遥か高みにある女子力に恐れおののく。
「最後に服……これは言うまでもあるまい。世のおなごはでぇとには勝負服を着ていくものじゃ」
魔装、天魔達の攻撃から己が身を守る最後の盾であり、撃退士達の正装とでも言うべき存在だ。
勝負服という概念に、これほど相応しい物があるだろうか?
愛子の身を包むのは何の変哲もない制服、だがそれ則ち恋する乙女の勝負服だと言う。
優しさと慈愛に満ちた表情を浮かべた美薙に、愛子は尊敬の念を抱いた。
「恋は戦争だという。しかし相手への気遣いを忘れてはならん。矛盾じゃのう……だが矛盾と強欲を知り、なお望もう。届く事を」
美薙は愛子に突き付けるようにして、拳を握った。
「ああ……!この鬼瓦愛子、百の援軍を得た心地よ!」
拳を握る。
それは掴むという事だ。それは望むという事だ。
美薙の言葉、そこに籠められた深い女子力はまさに百戦錬磨の古兵の風格があった。
「往くか」
「往くとも」
これ以上、言葉はいらぬ。
目と目だけで通じあった二人の乙女は、ただ一つ頷く。
燃え盛る恋の炎に包まれた戦場ではあるが、我が背を見送る友があれば怯懦など一片たりとも存在せず。
これより鬼瓦愛子、修羅に入る――
「「待って(ください)!?」」
「ぬう」
むせる乙女達の花園に乱入したのは、緋流 美咲(
jb8394)と七種 戒(
ja1267)の二人だった。
「姉上ではないか。どうしたのじゃ、そんなに慌てて」
「いや、美薙があれな事をしてるんじゃないなかって……」
「ははは、おかしな事を言う姉上じゃ。しっかりと女子力について教えこんでおったわ」
あかん、と内心で何故か関西弁でツッコんだ戒は、どうやってこの場をどうやって方向転換するか考える。
美薙は確かに可愛い妹分だが、その方向性は色々とあれだ。
女子力アピールなどと言いながら、山盛りになった肉の山を弁当にし、青汁を付けるなど、ろくな事をしないだろう……と聞いてもいないのに、戒は美薙の行動を完璧に読んでいた。
多分、勝負服=魔装くらいに思ってるはず。
美薙を傷付けずにフォローし、依頼も上手くやる。
覚悟は出来て……あかん。
どうしようか、と途方に暮れていた戒の耳に、美咲の声が飛び込んだ。
「待ってください、まだ告白は早いのではないでしょうか」
「まだ我に足りぬ所があると」
「なんじゃと!?あたし達の完璧な女子力にケチを付けるのか!?」
「ええ、決定的に足りない部分があります」
戒から見る美咲は、ひどく安心出来る存在だった。
腰まで伸びる黒髪はよく手入れがされており、大きめな胸はとてもスキンシップしてみたい戒好みのとても女の子らしい女の子だ。
そんな彼女の言う事なら、そう遠くは的を外さないはず。
二対二ならそう悪くならないんじゃないかな、なんて戒がほっと一息ついた瞬間だった。
「それは仕草です!」
「仕草……だと!」
「そうです、私もあまり得意分野ではありませんが……」
そう言いながら、美咲は横に立っていた戒の袖を指先だけで摘む。
触れたい、でも触れられない。そんな乙女心のような、そんな触れ方だった。
潤んだ紫がかった瞳が真っ直ぐに戒を見つめ、恥じらいが彼女の頬を赤く染める。
淡い桃色の唇から零れ落ちる言葉は、
「……好きです」
「ガハァ!?」
「姉上が鼻血を噴き出して倒れた!?……まぁいつもの事じゃな」
「……いいのか?」
いいんじゃないでしょうか、と戒は心の底から思った。
美少女+恥じらい、つまり正義!
「わかっていただけましたか?」
「うむ、今のを見せられては納得するしかあるまい。我らに足りなかったのは」
「恥じらい、じゃな……!」
鬼瓦愛子、身長百九十三センチ。
女性にしては大柄な愛子は、自然と美咲の前に正座をした。
それは敬意であった。
完璧だと驕っていた女子力など、美咲の前では児戯に等しい。
そう悟った愛子は、美咲にこうべを垂れたのだ。
「師よ、我を導いてくれ!」
「……いいでしょう。しかし、私の修行は厳しいですよ!」
あ、駄目だ。この子もボケ倒す側だ。
床に広がっていく鼻血に沈みながら、戒はそんな事を悟った。
●一方その頃
「ふふ、こうして倶楽部活動以外で探偵調査するのも久しぶりですね、こより」
「そうだな、なっつん。おっ、目標が動くみたいだ」
真田菜摘(
ja0431)は親友である九神こより(
ja0478)の背を見ながら、不思議と穏やかな気持ちになっていた。
場所は放課後の繁華街。授業の終わった生徒達で溢れている。
辺りはそんな彼らでとても騒がしくて、ゲームセンターの店頭で友人と遊ぶターゲットに気付かれないように隠れている場所だって、中身が溢れて少し臭ってくるゴミ箱の横だ。
普通なら落ち着けるはずもない場所だけれど、楽しげなこよりの背中を見ているだけで菜摘も嬉しくなってしまう。
血を流すのは、もう慣れた。
だけれど、こうしてこよりと倶楽部活動をしていると、まるで自分が普通の学生のようになったようで、心の一番深い所がじくじくと痛み始める。
誰もが菜摘の前から消えていったし、菜摘が誰かを消してしまった事だって何度もあるというのに、どうしてそんな『当たり前』を手に入れられるというのだろう。
どこにでもいるような学生をするには、菜摘の手は汚れ過ぎている。
こよりの手を取るには、菜摘の手は汚れ過ぎている。
なのに、
「行こう、なっつん」
「あっ……」
振り返って、嬉しそうな笑みを浮かべるこよりの手を振り払えるはずもなくて。
「気を抜くな、なっつん。彼女の幸せは私達にかかっているのだから」
「うん、頑張りましょうね」
そんな事を言いながら、他人の幸せを見るのが大好きな親友の手を握り返してしまうのだった。
●合流して
「調査結果を報告する」
家庭科室に持ち込まれたホワイトボードの前で話を始めたこよりを見ながら、陽波 透次(
ja0280)は考える。
(どう考えても男女比率的に、僕の意見は通らないですよねえ)
女性が強いというのは、世界で最も大切な姉という存在で理解していた。
それが依頼者を含めて六人だ。勝てるはずがない。
「まずターゲットの視線から、どういう傾向の女性に目が行くかの統計を取った」
こよりの報告は随分とえげつない。
女の子特有のきゃいきゃいとした雰囲気の中で、自分の性癖をああだこうだと話されているのを知ったら、透次だったらしばらくは立ち直れない気がする。
(何故か七種さんだけ男目線で語ってる気がしますけど)
そこから相手の好みの服装を割り出し、告白の時にどんなシチュエーションにするべきか、という方向性はどうするべきか。
そんな相談をする彼女達は凄く楽しそうで、透次としては口を挟むタイミングを逃し続けていた。
作戦会議が終わる頃には、もうすでに陽が暮れていた。
透次が口を出さないままに、ああでもないこうでもないと話し合う彼女達は一応の結論を出し、解散という流れになる。
明日の放課後に伝説の木の下に呼び出し、着飾った愛子が手作りの弁当(猫のキャラ弁という事になった。肉多目だが)を渡し、告白する流れだ。
「遅くまで付き合わせて申し訳ない」
「いえ、ここからが僕の出番ですから」
学園の校庭の外れは電灯もなく、寮から漏れ出る明かりでうっすらと向かい合う愛子の姿が見えるだけ。
それでも鍛え抜かれた二の腕や、筋肉が付きすぎて閉じ切らない足ははっきりと見える。
透次は手早く印を結ぶと、変化の術を用いて木島松太郎の姿となった。
どこにでもいそうな青年の姿は、むしろ特徴がなくてやりにくいくらいだと、透次は思う。
二人が並んだ姿は、ひどくチグハグかもしれない。
だけど、透次は上手く行って欲しいな、と思った。
「では、明日の本番の前に、予行練習をしましょうか」
「う、うむ」
はっきりと見えすぎては緊張のし過ぎで、上手くいかないかもしれず、なら暗くなってから練習しようという段取りだ。
薄暗い校庭の片隅でも愛子の顔はひどく赤らみ、名前の通り鬼瓦のような色になっていて、松太郎に変化した透次の前に立っているだけで見るからに一杯一杯。
(でも)
「そのままの、素直な気持ちを伝えてもいいんじゃないでしょうか?」
「……何?」
怪訝な表情を浮かべる愛子に、透次は頭をかいた。
透次が愛子を知って、まだ一週間も立っていない。
「馬鹿な事を言うな。我を見てわからぬか。この女らしくない傷だらけの身体を、誰が好きになってくれるというのだ!」
初めて会った彼女に依頼された時、透次は正直な所、暗殺計画か何かだと思ったのは確かだ。
だけど、一週間にも満たない間の中でも、わかる事はある。
「わかりません」
透次はきっぱりと言い切った。
「鬼瓦さんはいつも誰かのために、頑張ってるじゃないですか」
女子高生らしからぬ鍛え抜かれた身体も、天魔にやられた傷痕も、好きな人には臆病な所も。
全部全部、誰かを守ろうと一生懸命なだけだ。
それはとても素晴らしい事だと、透次は思う。
「不器用でも飾らない素直な貴女自身が素敵なんだと、僕は思います」
沈黙が、落ちた。
伝わるだろうか、と思う。
伝わればいいな、と思う。
飾らない、ありのままの君でいい、だなんて手垢がべたべたに付いたフレーズだけれど、透次は心からそう思う。
「……もし、出会った順番が違えば、ぬしに惚れていたかもしれないな」
どれだけの時間が流れたのだろう。
再び口を開いた愛子は、そんな事を言った。
緊張で溺れてしまいそうな余裕のない表情ではなく、どこか不敵なにやりとした笑みを浮かべて。
だけど、それはとても愛子らしい笑みで、
「いやあ、すみません!僕には姉さんがいるので、そのお気持ちには応えられないんですよ!」
「噴ッッッッ!」
そんな事をほざく透次の顔面に、愛子の拳が深々とめり込んだ。
●次の日
愛子は、ひどく落ち着いていた。
松太郎の前に出るだけであれほど慌てていたのが嘘のような落ち着きで、ぐっすりと睡眠を取り、朝から炊飯器三つを空けてくるほど絶好調だ。
決戦の舞台は伝説の木の下、ではない。
朝、それも松太郎が寮から学園に向かう通学路だ。
常在戦場、どこに天魔が現れるかわからない撃退士にすれば当たり前の覚悟を忘れ、だから伝説の木の下などという怪しげな物に惑う事になる。
「これに気付かせてくれたのも、うぬらのお陰よ」
通学路のど真ん中で腕を組み、屹立する愛子の心に揺るぎはない。
乙女、仁王立ちである。
近くの塀から覗き込むようにして、愛子を見守る視線は六つ。
美薙には女子力を教わった。女子力とは肉だ。
美咲には女子力を更に高める仕草を教わった。内股を維持すれば沖縄古流武術で言う所の三戦の構えとなり、打撃への耐性が上がる。
こよりと菜摘には大量の情報を与えてもらった。敵を知り、己を知れば、だ。
透次にはありのままの自分でいいのだ、と教わった。シスコンでさえなければ、と思う。
戒には……鼻血を出していた印象しかないが、きっと何かを教わった気がする。
そんな六人が手持ちのホワイトボードで、愛子を応援してくれているのだ。
何一つ恐れる事があるというのか。
「うぬが安木松太郎だな」
「は、はい!?」
そんな全開臨戦体勢の愛子の横を、ビクビクしながら通り過ぎようとした松太郎は上擦った声を上げた。
岩のような巨漢に声をかけられたら、誰だってそうなるに違いないという見本のような怯え方だ。
『畳みかけるのじゃ!』
『押せ押せです!』
『行くんだ!』
松太郎の後ろの塀から美薙、美咲、こよりの三人がホワイトボードを掲げている事を知らない松太郎は、炎を見た。
それは絶殺の空間、百の命を持とうと松太郎では乗り越えられるはずがない地獄の業火――その名は恋の炎。
こよりが楽しそうで満足している菜摘は別として、いいのかなあと微妙な表情をしている戒と透次では止められぬ恋の炎は、一瞬にして松太郎の心をへし折った。
「安木松太郎よ」
「は、はィィィィィ!」
「我の物になれい!」
「ひっ……は、はい!?」
その瞬間、愛子の松太郎の頭くらいなら軽く握り潰せてしまいそうな拳が開いた。
(あ、死んだ)
母の顔、父の顔、兄弟の顔が一瞬にして目をつむった松太郎の脳裏をよぎる。
考えてみれば親不孝をしてきたなあ、また会えたら親孝行しよう。
などと思っていると、どういうわけか松太郎を浮遊感が包んだ。
おそるおそる目を開けた松太郎の視界一杯に広がったのは、岩に目鼻が付いたような顔だった。
「……大事にするぞ」
「は、はい……?」
松太郎の尻を左の手の平に乗せ、背もたれ代わりに自らの腕を貸した愛子は、くるりと背を向ける。
「感謝する、我が友達よ!」
掲げられた右の拳は、まさに勝利の証だった。
ずしん、ずしんと足音高らかに去って行く愛子の後ろ姿。
それはまさに、
「乙女の本懐ここにあり、じゃな!」
いいのかなあ……と一瞬、考えた戒だったが、
「そうだね!」
はしゃぐ妹分に乗る事にした。
女の子の笑顔は、男の将来なんぞよりよほど大事だからね!