水鏡 響耶(
jb1151)は、闇の中で火の付いていない煙草をくわえながら独り、笑っていた。
正規の教育を受けたお堅い騎士様からすれば、元は流れ者のチンピラだった響耶なんぞ屁のような物だ。
「何を笑っているんですか?」
「いやなに、もう少し早く黒子嬢と話してみりゃよかったと思いましてね」
響耶は上官である只野黒子(
ja0049)にそんな口を聞いた。
騎士らしくない外道極まりない戦術を提案してみれば、誇りがどーたらとうすっとろい事を言われる事もなく、響耶の案が更にえげつなくアレンジされるほどだ。
酒で口を滑らかにしてみれば、友になれたかもしれないと響耶は思った。
「それは悪くない。しかし、時間だ」
小高い丘の上から眺めてみれば、眼下に広がるのは寝静まった夜営地。
強行軍で疲れ切った大軍は、見張りこそ歩いているが、どこか惰気を漂わせている。
「総員、抜剣。目標は物資、馬、指揮官」
黒子の声は小さく、応える刃鳴り音も小さく、脈絡もなく先頭で駆け出す黒子も威勢のいい言葉を吐かない。
狙いは外縁部に配置された徴兵部隊だ。
二日の間、野に伏せ、土に汚れて調べたのは最も弱小の部隊。
そこを叩き、敵の士気を下げるというのは騎士ではなく、山賊のような戦い方だ。
だが、風上から駆ける黒子の足取りに迷いはない。
あっさりと死角を突き、見張りの首をかき切った黒子達は迷う事なく、敵陣に侵入。すでに物資の集積場は判明している。
あまりに堂々とした侵入は、むしろ誰何の声一つかからず、腰にくくりつけておいた小壺から兵糧に油をぶちまけるまで何一つ問題なく進んだ。
「何をしている!?」
「いやね、煙草の火が欲しいんですよ」
篝火を倒せば、燃え上がる兵糧からいっそ腹の減るような匂いが辺りに漂う。
そんな中で、響耶はくわえていた煙草に火を付けた。
敵中で吸う煙草は、たまらなく美味かった。
●
「聞けテメェらァ!俺達の死は約束された!それでも俺たちは戦う!国や軍務など知った事か!この糞ったれた剣に誓って、奴らの出鼻を挫くぞォォォ!!」
「応!」
一川 夏海(
jb6806)の声に応え、騎馬隊が動き出す。
夜闇を照らす炎が敵陣から立ち上ぼり、明らかに混乱している様が見て取れる。
百程度の騎馬隊とはいえ、闇の中から響く馬蹄の音は数の把握を難しくし、まるで大軍の奇襲のようにすら思えるだろう。
炎と騎馬隊の蛮声に混乱する敵陣に、夏海は迷う事なく突っ込んだ。
「はーっはっはっはっはァ!血が沸騰してるのが分かるぜェ!」
籠城戦に騎兵の役割はない。
門を開いて叩こうとも、たった百では正面からでは押し返すのも難しいだろう。
堀を作り、準備はした。
誇り高き刃を糞尿で汚した。
だが、騎兵は騎兵だ。
死ぬのならば、原野で死ぬのが騎馬隊の誇りだった。
逃げ惑う敵兵の背を切り付け、馬蹄にかけ、敵陣を縦横無尽に駆け回る。
「最ッ高じゃねえか!」
騎兵ならば誰しもが望むような、そんなシチュエーション。
刃を振るえば血飛沫が舞い、悲鳴がまた一つ消える。
突き出された槍ごと糞尿にまみれた大剣で敵兵の頭をかち割り、背後で駆ける部下達が大波のように敵兵を飲み込んでいく。
斬った数は十か二十か、部下達も含めればどれだけの数になっているものか。
蹂躙の限りを尽くす夏海の姿は、敵からすれば餓狼のようにさぞかし凶悪に見えているだろう。
「ちっ、対応がはええな」
しかし、敵もただやられ続けるわけではない。
大声を張り上げ、部下を掌握し始める指揮官が現れたのだ。
統制が取れ、死に物狂いで抵抗する部隊にぶつかるのは如何に死兵である夏海の隊でも面倒だ。
そんな中、銃声が響いた。
声を張り上げていた指揮官の頭が弾ければ、周囲に集まっていた兵達が腰を抜かし、更に卵が投げ込まれたかと思えば、怪しげな煙が立ち昇り集まっていた兵達がばたばたと倒れていく。
紛れ込んだ黒子と響耶達の援護で、道が開いた。
(どうする)
適度な所で引くはずだった。
全滅するかもしれない作戦は取れても、必ず全滅する作戦など軍人が取っていいものではない。
だが、堅い敵陣にほんの僅かな、細い道が開いたのだ。
その先にあるのは、贅を尽くした天幕だ。
周りを囲む敵兵は如何にも屈強で、必死な顔をしている。
守るべき誰かが、そこにいるのだ。
(どうする)
そいつを討ち取れば、戦争が終わるかもしれない。
その賭けに、夏海は乗った。
股で締め上げた愛馬は夏海の思う通りに進路を変え、真っ直ぐに細い道を抉じ開ける。
必死に塞ごうとする部隊は再び銃声が響き、指揮官が崩れ落ちた。
視界の端では撃った銃を捨てながら、剣を抜いた黒子の姿が映る。
ここで決める。そう決めたのだ。
もう夏海隊と黒子隊を合わせても百も残っていないだろう。
「死ねやァァァ!」
捻りある言葉を考える余地もなく、矢のように突き進む死兵を止める事など出来やしない。
全てを切り裂く刃は、汚れ光を失えど確かに輝いていた。
「放て!」
その瞬間までは。
道の先、兵の壁で隠すように配置されていた弓兵部隊が味方を巻き込むようにして矢を放った。
まさか、という想いがあった。
戦友を自らの手にかけるなど、想像も出来ない所業だ。
首に矢を受けた馬から放り出された夏海は、一瞬何もかもを忘れた。
「外道共がァァァァ!」
敵兵の間に潜むようにしていた黒子が叫びを上げ、弓兵部隊に飛び込む。
長剣と短剣を振り回し、暴れる回る黒子はまさに鬼人のような有り様だ。
「そりゃあ粋じゃないでしょうよ!?」
後に続く響耶も普段の飄々とした態度をかなぐり捨て、ありったけの毒を撒き散らしている。
だが、ここで終わりだ。
彼らと背中合わせになるようにして飛び込んだ夏海も、完全に足が止まっていた。
十を斬り、二十を斬り、だが増えていく敵の壁は徐々に厚みを増していく。
「ぐっ……」
一人倒れ二人倒れ、三人だけが残った。
「ここまで、か……!」
腹に深々と突き刺さった槍の柄を切りつつ、黒子は言った。
「我ながら、らしくない事をしたもんで。ちょいと最後に一服くらいさせとくれ」
暴れ回る三人から距離を取っていた敵兵が、剣を手放し煙草を吸い始めた響耶に殺到する。
「まったく、末期の一服する暇もありゃしない」
「まぁこういう死に方も、悪くはないだろう」
響耶の身体に次々と槍が突き刺さり、火の付いた煙草と、懐から瓶が落ちる。
割れる瓶から漏れ出したのは火に反応し、爆発的に広がる毒薬だ。
とっくに限界を超えていた夏海は、その中に光を見た。
●
「なんだ、この様は!?」
完璧な作戦のはずだった。
完全な奇襲のはずだった。
しかし、将軍の前に広がる光景は悲惨としか言い様のないものだ。
二百にも満たない敵に兵糧を焼かれ、毒を撒き散らされ、どれだけの被害を与えられたのか想像もしたくない。
それどころか味方ごと撃たなければ、自分まで危なかったのだ。
「まったく忌々しい!」
特に最後まで残った三人だ。
大暴れした挙げ句、集まった兵の中で猛毒を撒き散らして死んでしまった。
将軍は腹立ちのまま、敵兵の顔を踏みにじる。
数日もすれば、こうして敵の王都を踏みにじる事が出来る。そう自分を慰めながら。
「閣下、ご報告があります!」
「なんだ!」
そこに駆け込んできたのは、二人の兵士だった。
血にまみれ、これまで戦っていたのだろう。
だが、自分の命を危険に晒した無能に過ぎない。
これが下らない報告なら、いっそ切り捨ててやろう。
そんな事を思いながら、将軍は死体を踏み付けながら言葉を待つ。
「はっ、実は……」
「敵が目の前まで来ております」
●
「何?」
という言葉を口にしたまま、将軍の首がくるくると宙を舞った。
赤城 羽純(
jb6383)の刃は将軍の血に染まり、神司 飯綱(
jb9034)は即座に駆け出した。
飯綱は何が起きたかわからず、呆ける兵達を斬り倒す。
「逃げるぞ、赤城!」
「うん!」
獅子奮迅の働きをした部隊が撤退した後、敵兵の装備を奪って潜んでいた赤城と飯綱が油断した将軍を暗殺をする策は確かに上手くいった。
だが、誤算があったとすれば夏海達が想像以上に暴れたせいで、より大勢の敵兵が集まってしまった事か。
「これは、逃げられないね!」
大剣で敵兵の頭を兜ごと砕きながら、赤城は叫ぶ。
「先に行け、赤城!と言った所で無理そうだ!」
飯綱は槍を切り落とし、柄を滑らすようにして敵兵の喉を切り裂く。
くるりと回り、赤城の背を取ろうとした敵兵を飯綱が切り裂けば、飯綱の背を狙う敵兵を赤城が叩き斬る。
華麗な円舞曲のような二人の殺陣、だが終わりは見えていた。
「ガァアアアアア!!」
「飯綱!?」
飯綱の腹に深々と槍が埋まっている。
その瞬間、ほんの少し集中の切れた赤城の背を刃が抉った。
赤城は飯綱の、飯綱は赤城の。
互いの敵を切り、同時に膝をついた。
「わふ……これは……ごめんね、付き合わせて……」
「……赤城となら、いいさ」
●
夜を赤々と切り裂いた炎は、榊 十朗太(
ja0984)の目に未だ焼き付いていた。
兵を全滅させるような夜襲、死兵を用いた戦術。
そのどれもが最低だ。
「敵を破傷風にしてやれ!」
城壁の上を駆け回る田村 ケイ(
ja0582)にも想う所はあるだろう。
だが、城壁の上で鼓舞して回るケイからは、そんな様子は窺えなかった。
敵の矢は思ったよりも少ない。
確かに夜襲の効果はあったのだと、はっきりとわかる。
ケイが敵の矢が一瞬収まった隙に、無造作に三本の矢を放てば、それは過つ事なく敵兵を貫く。
まるで神技だが、敵の数は蓄えられた矢よりも多い。
雪之丞(
jb9178)が煮えたぎった油を、梯子をかけ登ろうとする敵の群れにぶちまけ、それでも上がってきた兵を斬り捨て、蹴落とす。
二日の猶予の中、必死に蓄えた物資はたった一日の間に瞬く間に消えていく。
十朗太は砦内に落ちてきた敵兵の腹を裂き、目を抉り、鼻を削ぎ、城壁から投げ落とした。
あまりに凄惨な死体は、恐らく敵の士気を削ぐだろう。
しかし、籠城は始まったばかりだった。
●
ケイが、死んだ。
三日三晩、一睡もせずに戦い続けた末、どこからともなく飛んで来た矢が喉に当たったらしい。
だが、それでも戦い続けたケイは手に持っていた矢を城壁に登ってきた敵に突き刺し、一緒に落ちた。
万が一、生き残っていても悪魔のように敵兵を殺し尽くしたケイを生かして返すはずがない。
ケイが死んだ後、あっという間に状況は悪化した。
前線を指揮するケイと雪之丞、後方から破れかかった部分を取り繕う十朗太という分担が崩れ、もはやまともに状況を把握している者は誰もいない。
衝車が突き刺さったままの、あと少しの攻撃が加えられれば門は開くだろう。
敵が再編を始めて引いた、ほんの僅かな空白の中、音羽 千速(
ja9066)はふと呟いた。
「あの子、逃げられたかな」
「きっと大丈夫だよ」
双子である黒崎 啓音(
jb5974)も同じ事を考えていたらしい。
籠城が始まる前、二人は砦で働いていた小間使いの孤児に遺書を託し、王都に送り出していた。
「……仇は、兄貴達が取ってくれるよね」
「……お前、婚約者がいただろうが」
逃げる気だったのなら、家の力を使って逃げられたはずだ。
「うん、でもここで頑張らないと皆酷い目に逢うからね……結構人生楽しかったし」
「まあな」
だが、逃げなかった。
逃げたく、無かった。
その事に理由を付けようとも思わない。
ただ、そうしたかったのだ。
「そろそろかな」
「そうだな」
命令はない。
だが、数日の間にくぐり抜けた激戦は、雑用係りと大差のない下士官だった双子を戦士に変えていた。
そして戦士の勘は双子だけの物ではなく、砦にいる全員が破れかかった城門の前に集まってくる。
傷を負っていない者など一人もいない。
しかし、矢折れ、刀尽きようと戦意は尽きず。
馬蹄にかけられ悲惨な屍を晒す事になろうと、きっとその死は無意味ではないのだと誰もが信じた。
最後の突撃が、始まろうとしていた。
●
万骨枯れ果て、功名成れり。
かくして王都は守られる。
その悲愴なまでの戦いぶりは、まさに古今比類無き物だ。
しかし、昨今語られる彼らの真実は、どこにあるのか。
ただ一人、あの砦から送り出された者として、生きた彼らの様を書いてみたい。
『エリュシオン戦記・前書きより』