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昼休みは学生の戦場也。
昔誰かがそう言った。非常に的を得た言葉であると思う。
昼休みのチャイムが鳴る。すると各教室から殺気を纏った生徒達が弾丸のように飛び出してくる。
その中の何割かは、定食屋「よしたか」の数量限定プリンを得る為に駆ける生徒だ。
「(プリンですか。こういうものは、自分で勝ち取ってこそ、だと思いますがねえ。まあ、どうしてもというのであれば、一肌脱ぎましょうか)」
自分がプリンを食べたいという生徒ばかりではない。エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)もその一人。榊小次郎という、今は哀れにもパシリの身分に甘んじている少年から依頼を受け、プリンを得る為に走る事に至ったのだ。
ちなみに彼が飛び出したのは扉からではない。窓からだ。
「(窓際を上手くキープする事ができましたね。まぁ今は暑いですし、開けておいて正解でした)」
チャイムが鳴る直前に壁を走る準備は終えておいた。颯爽と壁を一直線に降りてゆく。
「……美味しいプリン、食べてみたいですね……まずは一つ持ち帰れるように、全力で頑張りますね……」
榊少年の協力者は一人ではない。糸魚 小舟(
ja4477)も榊少年の協力者として黄金プリンを狙う。
糸魚はスイーツの中でもプリンは特に好きだった。ケーキよりも特別なご馳走だと感じるからだ。平凡な家庭に保護された時に食べさせてもらった過去がある。かけがえのない、あたたかな記憶だ。
だからこそ、プリンを得る。もし可能ならば、是非とも口にしたい。
教室の窓から飛び降り、事前の下見で構成した最短ルートを全力移動で駆け抜ける。
前述の二人と同じように、豪快に窓から飛び降りる者がもう一人。
火傷防止とブレーキをかけるために手に包帯を巻き、雨樋を伝って地面へ降りるのはRehni Nam(
ja5283)だ。
できるだけ身軽なように装備を変更し、ヒップバッグに財布などの貴重品だけを詰め込んで、動きやすいパンツスタイルでポニーテールにした彼女も、足が地面に着くや否や走り出す。これでかなりショートカットできる筈だ。それに装備を変更して、大逃走を使っての全力爆走。トップをリードだ。
「おお……神よ……」
思わず前方に光を見て呟いた言葉も、風の音に擦れて消えていった。
一方で階段や柵をパルクールでいとも容易く乗り越える影があった。彼女の名前は木賊山京夏(
jb9957)。文字通りの最短ルート――直線距離を駆け抜ける。
そこに何の奇も衒いもなかった。
路地裏も、横断歩道も、階段も、坂も。ただひたすら、愚直なまでに駆け抜けてゆく。
最中、依頼を受けたときの事を思い出す。
「榊小次郎、私があんたの性根、叩きなおす」
パシられて、それを見返すためにプリンが欲しくて、その癖、自分じゃできないから人に頼むだァ……? いい度胸、してんじゃねぇか――これが彼女の考えである。
根性の矯正の為にも、プリンは必ず手に入れる。
そんな信念を抱き、彼女は自動販売機の上部に手をかけた。
罠や妨害があることを見越し、わざと人通りの少ない場所をルートとした者がいる。海の上を走っている死屍類チヒロ(
jb9462)――が、そうだ。
「断崖絶壁だろうと海の上だろうとボクの前では道です!」
猛然と水上を歩き、時には断崖絶壁を駆け抜ける死屍累。周りには、罠を仕掛け妨害を行うライバルなどいない。回り道のように見え、実は最も効率のいいルートだと言えよう。
各々が行動を起こしている最中、エイルズレトラはよしたか班の定めたルールに抵触するかしないかのラインで、別の校舎や自転車置き場の屋根を伝って爆走してゆく。体力が続く限りの全力疾走だ。
「お、あれは……」
公道に差し掛かった時、定食屋よしたかの方面に向かう軽トラックを見つける。
「いいタイミングですね」
タイミングを合わせ、荷台に飛び込む。丁度良い。目的地のルートからそれるまでは休憩がてら乗せてもらおう。
正攻法で街を駆け抜ける者もいた。コードマン(
jb8592)が、協力者の中の最たる者であった。
地図と下見によって完成した最短ルート――周辺には同じく全速力で駆け抜けるライバル達がいるが、今のところ自分が牽引している形だ。気にする事はない。
筈であった。
「?! これは……」
目の前には、プリンが欲しいが余りに違法行為に手を染めてしまった生徒達とよしたか班による、切った張ったの揉め事が起こっていた。揉め事の範囲はじわりじわりと拡大してきており、道路を普通に渡ることさえ困難とさせている。
足を止めざるを得なかった。
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「あ、あれ……」
「やっかいなの起こしてくれるねぇ」
遠くで揉め事を確認した木賊山。
どうしたものか。
だがここで立ち止まる訳にもいかない。なぜなら、この道路は定食屋よしたかへと通じる最短ルートであるから。通り抜けるしかない。
厄介、非常に厄介だ。だが通り抜けねばならないなら、そうするまでの話なのだが。
自分はただの人間ではない。撃退士なのだから。
「よい……しょっと……」
術で気配を消しながら、糸魚は騒ぎの、できるだけ端を通り抜ける。
木賊山もそれは同じで、サイレントウォークで渡り歩く。最中、流れ弾というとばっちりを受けたが、止まるわけにはいかない。走り続ける。
エイルズレトラはトラックから騒ぎを見ていると、声をかけられた。
「君、よしたかに向かう生徒だな。乗り物の使用は禁じられているぞ」
定食屋よしたかに向かうなどとはこの道中、声高らかに言った覚えはないのだが――何て鼻の良さであろうか。むしろそちらに関心する。
乗り物の使用も禁止とあったが、なるほど、こういった搦め手も駄目なのか。
トラックが赤信号で止まる。いい引き際だろう。
『そこの君、何でそんな所にいるんだ!』
けたたましいサイレンに耳を劈く放送。パトランプの赤い光も感じたところで、警察だと理解して立ち上がる。
そうか、確か軽トラックの荷台に乗るのは少々いけない事であったか。
「……パトカー? ハハ、お巡りさんと追いかけっことか、洋ゲーみたいですねえ」
こうしてはプリンどころの話ではない。
よし、逃げよう。
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定食屋よしたかののれんを押しのけ、扉を勢いよく開ける。
「いらっしゃい。プリン、残ってるよ」
待っていた言葉に、木賊山はガッツポーズ。
「よっしゃあ! おっちゃん、昼定食一つ!」
昼定食――本日はアジのフライ定食なのだそうだ――がプリンと共にやってくるのを待つ間、席に着いた木賊山はおもむろに携帯を取り出してある人物へと電話をかけた。
そうしている内に、糸魚とRehniと死屍累が到着する。
「……っ! プリンはありますか?!」
「いらっしゃい。最後の一個だよ」
小躍りするRehni。
木賊山は彼らに自分が榊少年の分のプリンを確保したと告げると、最後の一つは皆で山分け、という話になった。
プリンは正直どうでもいいので、定食にありついたのが死屍累である。
「美味い! 美味いよ〜♪」
頼んだのはトンカツ定食だ。値段以上の味、量。非常に満足だ。
そして――プリン。
「「おお……」」
糸魚とRehniは正しく黄金と形容すべきプリンを目の前に感嘆。
「ほ……本日はプリンを確保してくださり、まことに――」
「いえ。とんでもない。今はこれを……存分に味わいましょう」
Rehniがプリンをつんつんつついて揺れる様子を楽しんでいる。ふるふると絶妙なバランスを保ちながら揺れるプリンは、尊い何かを感じさせもする。
ゆっくりと、微かに震える手を操り、スプーンでプリンの欠片を掬い――口に入れる。
直後、雷撃を受けたかのように硬直する二人。だがそれも一瞬で、次の瞬間にはとろけるような至福の表情に変わる。
「……甘くて、なめらかで……カラメルソースと一緒に食べると、一味も、ふた味も違う……」
予想していた、いやそれ以上のプリンだ。
口の中でほろほろと溶け、舌の上でじんわりと濃厚なカスタードの甘さ、そしてカラメルソースのほろ苦さが渾然一体と広がる。
「至福……」
まさしくこの一言。
このプリンの為に風紀委員会が特別班を結成するのも、今なら理解ができる。
「こんな……こんなプリンが存在していいのかしら……」
最早禁忌すらも感じてしまう。
ああ、喉を通すのが勿体無い。けれども体が次の一口を欲しがっている。どうすれば。
糸魚とRehniがプリンを食している間に、定食屋の扉が開く。
「あ、あの」
木賊山に呼ばれてやってきたのは榊少年である。外の騒ぎもあったせいかぼろぼろになりつつも、おどおどとしながら木賊山の正面に座る。
「食いな」
何の迷いもなく、木賊山は榊少年にからあげ定食を差し出した。その反応に当然、榊少年は戸惑う。
「で、でも……」
「プリンなんて、定食なんてどうでもいいんだよ。ただ私は、あんたのことが気に入らない。 男ならパシリなんかに甘んじてないで、バシッと気合入れてきな 」
じっと榊少年を睨む木賊山。これ以上の口答えは許されなかった。
割り箸を持ち、「いただきます」と神妙に言った榊少年は、木賊山が見守る中、涙目になりながらからアジのフライ定食にがっついた。いじめられっこのそれとは思えない、男らしい食いっぷりだった。
「よし、食ったな」
榊少年がからあげ定食をきっちり完食したのを見届けると、木賊山は立ち上がる。
「行くぞ」
短い木賊山の言葉の意味を理解したのか、榊少年は意を決したように頷いた。
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「こ、これ……」
震える手で糸魚に借りた保冷トートバッグからプリンを取り出し、いじめっ子であるガキ大将に手渡す。間違いない、正真正銘の黄金プリン。いじめっ子サイドから思わず声がこぼれた。
「よし、受け取ったな」
うんと木賊山は頷くと、「おい、お前ら」といじめっ子の方に向く。榊少年には何も言わず、ただプリンに夢中になっている所を見ると、こいつら、再犯の可能性が十二分にあることが伺えた。
「お前らこいつがこのプリン持ってくるのに、どれだけ体張ったかわかってんのか……?」
怒りに震えた手を拳を握る事で抑え、静かに説教。
道理に合わない事は見逃せないのだ。
思わず踏んでしまった、たった一歩の地団駄。それで、屋上の地面のタイルに小さなクレーターを作り上げた。
ガキ大将は震え上がり、みっともない声で頷く。
「……でもま、三ヶ月も一人で頑張ったのは偉いよ。これだけ頑張れるんだから、あんたは絶対強いんだ。胸を張りな」
優しく榊少年の背中を叩く。
「はい!」
そう頷いた榊少年の顔は、いつにも増して自信に満ち溢れ、逞しく見えた。