◆
秋の空。春夏冬の顔も空のように澄んだ薄水色である。要するに顔色が悪い。
「やっほー、春夏冬ちゃん。相変わらず秋ないねん。ユリもんただいま参上ー☆」
「おお、久しぶりだけど今日もよろしく頼むよ……あれ、顔に何かついてる?」
「ううん」
「……紅葉饅頭で気合い入れてあげようか? なんてねん☆」
じっと春夏冬の顔を凝視するユリア・スズノミヤ(
ja9826)。彼女は彼の顔の気のなさを見抜いていた。
「あらあら。せっかくのやもめの色男が台無しやわあ」
「いややもめの色男ってなんだ……?」
麗奈=Z=オルフェウス(
jc1389)が春夏冬の脇腹を小突く。
「いい天気だ! 小鳥遊ちゃんはどこかな。この辺でツインテの美少女見かけませんでした?」
御子神 藍(
jb8679)は大きく伸びをした後、小鳥遊の姿を探す。春夏冬にも所在がいまいちわかっていないとのことで、集まった面子にも聞くがいい反応がない。
「ひとまず手分けして探しましょう。何か手がかりがある筈です」
浪風 悠人(
ja3452)の提案に沿い、小鳥遊捜索班と情報収集班の二手に分かれる。
そんな彼らを、猫がじっと見つめていた。
◆
一言で言えば珍奇な集団である。焦っているのか挙動は不審で、いかにも怪しい。
「あらあら? 随分慌ててるけど何かあったの? おねぇさんに教えてほしいな♪」
初心そうな男子を猫なで声でからかいながら接触を試みるオルフェウス。無論こういった妖艶な妙齢の女とは関わったことのない男子部員諸君は一瞬で骨抜きにされ、あれよあれよと事の詳細を話す。
曰く。
自分たちはトンデモ園芸部なる集団であり、超強力マタタビというものを作り出した。しかし猫を骨抜きにするだけでなく身体能力も強化してしまう代物であり、だからこそ焼却処分を試みた。しかし枝の一本が猫に盗難されたため、現在それを探している――とのこと。
「超強力マタタビですか……明らかに厄介ですね。見分けはつきますけど……」
話を聞いた浪風は唸る。樹皮や実が生薬等に使われる他、自身やその周囲が猫を飼ってたりとで見知っている。しかしどうしてこんなものを作ろうと思ったのだろうか。甚だ疑問だ。
「頼む! 見つけたら焼却処分して欲しい。俺達のせめてもの罪滅ぼしだ」
「小鳥遊さんを探すついでですけど……そうだ、こういう女の子見ませんでしたか?」
操った小動物達をそこここに散らせているが、まだこれといった情報を得られていない浪風がトンデモ園芸部に訊ねる。
「あ! その子なら見た事ある!」
トンデモ園芸部女子部員の一人曰く、ここ最近このあたりで黙々と木の枝を集めているという。何に使うかはわからないが、結構な形相で収集しているので記憶に残っていたそうだ。
ひとまずゲテモノ園芸部と別れ、皆と合流しに向かう浪風とオルフェウス。
「というか小鳥遊さん、木の枝を集めて何をするつもりだったんでしょう」
「さあ? あの子いつもこうやから、訊かへんとわからんわあ」
若すぎる故か、小鳥遊という少女は一人で結論に走りがちだ。彼女のそういった面をたくさん見てきたオルフェウスは、だからこそ断定をしなかった。
愛があれども、しょせんは他人。心のうちに秘めた真実は、本人の口から語られなければならないのだから。
◆
探せど見つからない小鳥遊捜索班は、一度情報収集班と合流する。五人が顔を見合わせたところで、御子神が気になった事をスズノミヤに話す。
「ねえユリもん、猫の声しない?」
「……? 確かに風にのってにゃんこの合唱が聞こえるような。……藍ちゃんのお腹の音?」
「えっ、お腹? ちがうよ!」
顔を真っ赤にしながら首を横に振る御子神。決して腹の音ではない。決して。
「しかしこの公園、こんなに猫いましたっけ」
「あれのせいやね、超強力マタタビ。猫にはわかるんちゃう? ニオイみたいな」
浪風の疑問に、仮説を立てるオルフェウス。ストレートど直球なネーミングの植物から頭の上のハテナマークが取れない三人の為に、あらすじを二人が解説する。トンデモ園芸部の概要はさておき、なんだか他人事ではないバイオテロ植物について。
「超強力マタタビ? 見分け方とか、な――」
「べくしっ」
首を傾げたスズノミヤは思わず振り返った。春夏冬のくしゃみである。春夏冬はそろそろ三十にもなろう男だが、白手袋に包まれた両手で鼻を押さえる動作は姫だ。
「あれ、春夏冬さん、今日は風邪気味ですか?」
「いや、風邪じゃない。これは、あー……」
盛大なくしゃみを見て御子神は春夏冬の体調を心配した。しかし首を横に振った彼が向けた視線の先にいたのは猫。一匹の白猫が毛繕いをしていた。そこでスズノミヤがピンときた。頭の上の電球が点灯した気分である。
「みゅ? もしかしてにゃんこ花粉症?」
「まあそんな所だな……猫アレルギーなもんでな」
「にゃるほどー」
「猫が近くにいるだけでこのザマだ」
「おっけおっけ、軍人さんちょっと付き合おうか☆」
「えっ、ちょっとまっ、べくしっ」
間違いのない好機に満面の笑顔なスズノミヤは春夏冬の腕を掴む。まさかこんな近くに猫専用人間ダウジングマシンがあるとは思わなかった。渡りに船。使わない手などない。
「にゃんこ探知機あきなっしーでいざ、捜索!」
「待て待て待て待て――――――い!」
しかし暴走した特急列車は止まる筈がない。どの方面にレールを切り替えようが春夏冬にはくしゃみの地獄しかない。南無。
「よっしゃ! 藍ちゃん、レッツらゴー☆」
「よっし、春夏冬さん、どっちがよりくしゃみ出そうです?」
「おうおうおう止めろ止めろ」
ぶえっくしょーいというくしゃみが晩夏の空に響く。猫探知機春夏冬、アナログ式ながらも性能は良かった。
「でもね春夏冬さん、私思うんです」
「へえ?」
ずるずる鼻をかむ春夏冬に、御子神は静かに語りかける。
「……きみが心配だから、気になるから、って直接言えばいいのにーって思いますけど。んー、そうやって好きな人に気にかけてもらうって、嬉しい事だと思うけどなぁ」
「あらあら……あんな情熱的につながったのにま〜だうだうだやってるの? 最近の軍人さんは踏み込みが甘いのかしら?」
図星である。
「……最後まで俺に足りないものは何だろうな」
言葉に、女子一同顔を見合わせる。それから、笑顔で声を揃える。
――それはもう、言葉でしょう!
◆
猫の塊である。塊すぎていて、もはや馬鹿でかい毛玉だ。
「わ、にゃんこがうねうねってる。あの猫山の中にマタタビがあるみたいだねん」
「もう……もういいか……」
「あ、春夏冬ちゃんお疲れぃ。ちょっくら猫山崩してくるから休憩してて☆」
涙と鼻水でグズグズになった春夏冬を手早く開放。
「ああこういうの、見た事……」
浪風の妻も、よく島内で動物に埋もれているので可能性を否定できない。むしろ肯定してしまう。『木の枝集め』『マタタビ紛失』というキーワードで、普段から『偶然不幸が重なる体質』からまさか、と。
――もしや、小鳥遊はこの中に?
「ねこの山だ!!」
飛びついたのは御子神である。猫に当てないように猫山の周辺にスターショットを撃って意識を逸らし、やあーっと駆け寄ってもふもふをむしっていく。実際にむしると猫山は猫玉である。温かいというより、熱いし暑い。
「いたたたー、にゃんこ力つよい!」
だが可愛いので許す。
「ベトベトになるけど、にゃんこごめんねー」
スズノミヤが召還したパサランが、猫達をごっそり飲み込んでゆく。
ゴリゴリと猫山を削ったところで地面――ではなく人が見えた。
「って、小鳥遊ちゃん!?」
発掘されたのは目を回した小鳥遊。片腕で拾い集めたのであろう木の枝をなんとか守っている。しかしそのほかの手足を投げ出し毛玉まみれになっている様は可哀想以外の言葉が出てこない。
「小鳥遊ちゃん、枝! 木の枝持ってない??」
「へ、え、枝? これ?」
「ちょっとかして!」
御子神が小鳥遊から受け取った木の枝を浪風に渡す。枝を狙おうと猫達が飛びつくが、これをオルフェウスがあしらう。
「ん〜いくら可愛くてもがっついてるのはねぇ。品がないのはダメよ♪」
飄々としながらも猫達の様子を見る。その様子はガンギマリと形容したらしっくりくる風で、なるほどあの小鳥遊も下手に対応できない訳であると納得ができた。
「ついにモテ期の到来ね♪ お目当の人がいないのは寂しいやろうけど、モテ期なんてそんなものよ」
「別にモテたくなーいー……」
けらけら笑うオルフェウスに介抱されながら、まだ目が回ったままの小鳥遊はゆっくりと起き上がる。黒い軍服には猫の毛がたくさんついていた。
「これです、これ。超強力マタタビ! って、うわ!」
襲いかかる猫、猫、猫。黒い霧を魔とって逃げながら、何とかして超強力マタタビを燃やす。
「煙かー!」
もう遅い。残る煙の匂いにつられてにゃあにゃあにゃあと猫の塊。そして毛玉に埋もれる浪風。
「第二の猫山、救出だにゃー!」
スズノミヤ主導による猫山解体作業。問題の物質は消えたので、存外楽だった。
◆
「で、どうしてこうなったんですか」
「その……十字架を、作りたくて」
観念した小鳥遊は理由を話す。今まで出会った負なるものに物質を与え、昇華し区切りをつけたいと。失った命と、傷ついた感情を悼むために。
「よし、じゃあやりますか」
「なに、手伝ってくれるの?」
「狩人として自らの手で生命を絶つ行為を行っている経験と、撃退士として数千の命が目の前で散った経験が、ありますから」
全ての命に愛を。しかし浪風の狩人という身分は、愛に別の読みをつける。
「狩人は死を見届けなければ務まりませんから……」
命に愛を。死という名の愛を。命を愛し、死を愛す。だからこそ、彼女の真意が共鳴した。心から手伝い、また自分も被害者の鎮魂を願いたいのだ。
もう卒業するが、決してこの事は忘れてはいけないと心に誓う。
「でもねえ小鳥遊ちゃん」
十字架を黙々と作る小鳥遊の肩を抱いたオルフェウスが、彼女の目の前に人差し指を突きつける。
「いい加減、その何でも一人でやって一人で結論付ける癖何とかしたほうがいいわよ? それがどんなに人を心配させるか、それも忘れちゃった?」
「そ、それは……忘れてない、けど」
「あと相手に甘えすぎ。何も言わなくてもわかってくれる、なんてこと滅多にないのは、あなたよーーーーーく知ってるわよね? 今回はこれで済んだからよかったけど、あなた達軍人なんでしょ? 命なんて簡単に消えちゃう事は身をもって感じてると思ってたんやけど、あたしの気のせい?」
オルフェウスによる助言であり、警告であり、最後通牒であった。小鳥遊は辛い事に遭いすぎた。だからこそ、もう二度とこのような事は起きて欲しくないのだ。
「迷うばかりの心を持て余してるのかにゃ? でもさ、小鳥遊ちゃんの二年間も、心も、例えカタチが変わっても、消えない想いや願いがあるでしょ? だから大丈夫。ゆっくりと話していけばいいと思うのだにゃ」
まだ途上の心に、言葉の支柱を添えるスズノミヤ。彼女は、あの二人に必要なものが何であるかを理解していた。
「ねえ小鳥遊ちゃん」
「なに?」
「今度学園に来たら、声掛けて? 私の親友、ユリもんさ、すごくセンスいいの。一緒に買い物とかしよ」
「……いいの?」
御子神の誘いは小鳥遊にとって意外なものであった。そもそも男社会な軍人の世界、同世代の少女の友人はおらず、年上に囲まれて何かと肩肘を張る日常。
「羊のぬいぐるみだけじゃない。もっといろいろプレゼントしたかった。あと、旦那さんにも会って欲しいし」
「……そっか。うん」
年相応の少女らしいものが嫌いではなかった。だからこそ髪を伸ばし、自分が可愛いと思うように結い、好みのものを集めてきた。それでも欠落していた友人という大きな欠片。それを拾い集めて差し伸べてくれる手が、小鳥遊にはとても温かく、そして親しく感じた。
「戻ってくるわ。ええ、いつか絶対。遠くないうちに」
「思い出は消えないから。痛くとも、甘くとも、切なくとも……今日の空を覚えていてね」
いつの間にか遠くなった空。薄水色の淡い天は、吹く風と共に美しく澄んでいる。
「あとは、素直になっても、良いんじゃないかな」
「へ?」
「ふふふ、素直じゃないんだから」
「え、ちょっと、へ?」
御子神がぷにぷにと小鳥遊の頬を指先でつついた後、十字架作りがひと段落したことを見て立ち上がる。
「私も少しは関わったと思うからね。これくらいおめかしさせてあげてね」
「作ったから、これも良かったら」
オルフェウスが木製の簪を、スズノミヤが自分で編んだ花の輪を、それぞれ丘に供える。
落ち着きを取り戻した小鳥遊が、じっと十字架を見ている。そんな小鳥遊を御子神は静かに見守りながら、地に並ぶ十字架を眺めてそっと手を合わせる。
(この行為が、彼女の意に沿ったものかは分からないけれど……)
悲しみに捧げる物質。その中身と密度。全ては小鳥遊の人生だ。完全な理解はできないだろうが、気持ちに寄り添うことはできる。それくらいは、してもいいはずだろう。
祈るスズノミヤは、隣の春夏冬に話しかける。涼やかな風の上を滑り抜けるように穏やかで小さな声音は、しかし彼だけにはきちんと届いた。
「ね、春夏冬ちゃん」
「どうした?」
そっと春夏冬の手を取ったスズノミヤが問う。
「言葉は発しないと伝わらないんだよ。確かめたいのは、怖いからじゃないでしょ? あなたの今と心に生きる人を大切にしてあげてねん」
そしてポケットから取り出したのはキーホルダー。クリスタルガラスに閉じ込められた紅葉の鮮やかな赤。脳を鮮やかに染め上げる赤が、最初から最後まで彼が持っていなかったものを持ち込んでいた。
「お守り。……忘れないでね」
「ああ、忘れないよ。君と出会えた事、光栄に思う」
十字架の数だけ、悲しいことがあった。
しかし十字架の数より、嬉しいことがあった。
「あのね、春夏冬……いや、ラオ」
久しぶりに、彼女から聞くことのできた自分の名。ライオネル・アントワーヌという自分の名の、愛称を。かつてそう呼んでくれていたように。僅かに驚きながら、次を待つ。
「……国に帰ったら話したいこと、たくさんある」
「奇遇だな。俺もだよ、イヴリン」
世界は続く。
区切りがつき、一呼吸入れ、僅かな隙を作っても、それでも世界は穏やかな時の運行と共に続いてゆく。
ここは十字架の丘。世界の正常な運行の、その証。
全ての出来事に肯定という名の祝福を。理解という名の愛を。
そして、彼らに多くの幸福を!
【了】