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「なぁ、ルスラン。手前ェは何でマリオネットを復活させたい? 大鎌だけじゃダメなのは何でだ? 武器として使えるモンなンてどれだけでもあるのに」
「俺は……恐らく、俺に戻りたいんだ」
ヤナギ・エリューナク(
ja0006)の問いに対し、須藤は自信なさげに答えた。この答えは根拠もなく虚空から飛び出してきたものであり、言葉の意味に所在などなかった。
「もし腕が……命だったら? 植物人間のままだったら?」
セピアのフィルムで彩られたそれは間違いなく須藤の過去である。再生される須藤ルスラン=凜島透の人生と言う名の映画。
須藤ルスランは潔癖な青年だった。極限状態が齎した神経質は、彼に『汚物』に対して過剰な反応を引き起こさせたのだ。
敵が汚い。味方が汚い。血が汚い。死体が汚い。肉体そのものが汚い。汚物に触れようものならば指の先から黴菌に侵されて腐ってゆく錯覚が不快で仕方がなかった。
「この世のものに触れたくなかった。だが、触れなくては殺せない。ワイヤーは殺す為の道具だった」
吐露された感想は紛れもなく真実であった。
「過去と現在や未来は別物だ。過去ってのは『もう終わった出来事』『二度と来ない現実』なんだ。他人への感情の発露に虚勢を張っても何も変わりゃしねェ」
おもむろに立ち上がったエリューナクは、おもむろに立ち上がってワイヤーを須藤に投げ渡す。
「手前ェも俺も得物はワイヤーだけ。このルールでどれだけ何が出来るか……手前ェも俺も、な」
初手はエリューナクから仕掛けた。とは言え寸止めで防御姿勢を見たかっただけなのだが、須藤は体を強張らせ頭の前に手を突き出しての身一つの防御だけである。原始的な防御の姿勢。これが何を示しているのかは誰にでもわかる。
「そういう事か」
来る筈の攻撃が来ない事で須藤の気が緩んだその隙に、縛り上げて宙吊りにする。僅かでも呆然としている相手を縛り上げる事など容易であった。
「離せッ……!」
宙吊りにされて尚もがく須藤の顔が映すのは明確な恐怖である。須藤自身がワイヤーを使う事はもちろん、ワイヤーを使われる事もまだ苦であるようである。
ワイヤーを解き、須藤に反撃の機会を与える。だが弱々しく放たれたワイヤーを畳返しにするのは容易であり、ならばとワイヤーで転がして窮地に追いやり、ワイヤーを使わざるを得ない状況を作る。
「ま、他の奴等に色々聞いて考えな」
解放された須藤はそのまま地面に転がる。そんな彼の腕を引っ張り起こしたのが白蛇(
jb0889)である。
「須藤殿、じゃったか。今回はよろしく頼むのじゃ。さて、他の学園生もそうじゃが、わしも武器は複数を使分けておる。そしてその中には、糸もある」
武器を次々と入替えて見せる白蛇は、最後にエヴァーグリーンを取り出した。新緑の輝きを宿す金属製の美しい糸で、アウルの力によって夜の闇の中であっても仄かに輝きを発している。
「糸使いというほど扱いに長けているわけではないが、多少は力になれるじゃろう」
そこで結界を張る。白蛇と須藤を隔てた半径一メートルの新緑の糸の陣。凛々しく白蛇を護り輝く姿は宵闇の中では幻想的であった。
「まあ、これは主の業より数段下。狭路にて敵の接近を拒む牽制業じゃ。……が、いつかそこに辿りつくやもしれぬ、途上の業よ。この拙き技に、むしろ主からの教授あればと思うところでもあるな。……いや、教授以前に、主はこの業をどう思った?」
「どういう意味だ」
「あまりの拙さに侮蔑するか、或いは憐憫を思うか? それとも……『この程度』すら扱えぬ、今の己への憤怒かの?」
あまりにも核心を突いたその問いは、図星の沈黙こそが正答である。
「いずれでも、良い。拙きは事実、主が扱えぬも事実――さて。長々と前置きをしたが、特訓開始と行こうか。時に、主は鞭や縄ならば触れるのは問題ないのかの? 糸に慣れ直す為、この辺りから始めようかと思うが、流石にこれは無かったかの? ――ならばやるのは綾取りじゃ」
「馬鹿にしてんのか」
「いや、馬鹿にしているわけではないぞ? ただの紐から順に細くし、最後は……常緑で行う」
その危険さに、須藤は静かに唾を飲み込んだ。
「いや、冗談じゃ。流石に魔具では行わぬ。使うのは、切断性を持たぬ金属糸じゃ。これがいければ、糸を普通に使うならば十分じゃろう。……おお、主は綾取りが上手じゃの」
「育ててもらった人とよくしていたからな」
須藤ルスランになる前、凜島透を育てたのは霧雨鼎である。鼎は凜島透に礼儀作法や勉強を教えたほか、時折こうした遊びも教えてくれた。彼女は足が不自由だったため大抵は座っていてもできるものが殆どだったが、須藤ルスランとなった今でもよき思い出の一つとして胸中に飾られている。
糸を交互に取ってゆく。一つでも取るところを間違えば即座に崩れる糸の図形は、まるで須藤そのものであった。
綾取りも終わった頃、ある人物が須藤に近付く。
「よっ! 須藤。手伝いに来たわよ」
チタンワイヤーをプラプラ須藤に見せながら神埼 晶(
ja8085)は感心したように須藤を見る。
「やっとマリオネットを使う気になったか。ずいぶん時間がかかったわね」
神埼の様子は明朗快活としているが、当の須藤は真逆であった。顔色は芳しくなく、後ろめたい雰囲気を漂わせている。
「……どうしたのよ。なんか顔色よくないんじゃないの?」
「うるさい」
(もしかして、ワイヤーを怖がってる?いままでマリオネットを使わなかった理由はコレか)
神埼は直接マリオネットとは戦っていない。須藤が左腕を失ったのは、自爆と聞いている。自分のワイヤーで切断されたと。
それがトラウマになってしまったと言うならば、まずはトラウマを克服させないとならない。
とはいえ、どれが最良の方法なのか。元気づける? ショック療法? 様々な手法が神埼の頭の中を巡る。
「ワイヤーなんてさ、火や包丁と同じ。要は使い方次第よ。火や包丁は便利だけど、誤った使い方をしたら火傷したり指を切ったりするでしょ? ワイヤーも同じよ。そんな深く考えなくていいんじゃないの?」
「……そうか」
あまり効果はない様子である。
「……これじゃだめ!? ショック療法する?」
「何だいきなり! うわ、やめろ!」
チタンワイヤーをここぞとばかりに見せびらかす神埼。催眠術のように須藤の目の前で左右に振る。
「ほーら、ほーら。どうよ。怖い? 天下の須藤ルスランがこんなモノを怖がるの? 情けないわね。そんなんじゃすぐにタケルに追い抜かれるわよ!」
「うるさい! あいつが俺を越えるなんざ百年早い!」
そこで神埼は閃いた。そうだ。その手があったのだ。
「そうだ。せっかくだからさ。タケルもマリオネットの練習したら?」
「はあ?」
「須藤に教わってさ。人に教えながらだと、自然に身体が思い出したりしないかな。っていうことで須藤、考えてみてね。あ、実戦練習がしたければ相手をしてもいいけど、本気で切り刻まないでよね」
「誰がするか」
「タケル君も須藤さんと同じで、何だかんだで面倒見良いのね。……あれ、背伸びた?」
「五センチ伸びた!」
「そのうち追い抜かれちゃうかな」
のびのびとした心身の成長が見て取れるタケルに蓮城 真緋呂(
jb6120)は微笑んだ。あの時は動く屍のようであった少年が、今や一人の撃退士として邁進を続けている。それの何と朗らかなこと。なんと健やかなこと。
しかし一方で、須藤はそうではなかった。
『喪失』という感情は恐怖そのものである。それが容易に克服のできないものというのは、蓮城自身が最もよくわかっていた。形こそ違えど、本質こそ同じ。
ならば蓮城に出来る事は何であろう。
冬の夜を封じ込めた瞳が、烈火を焼き込んだ赤へと変貌を遂げる。
「死ぬ気で。――殺す気で行くから」
ぞろりと抜いた刀の、黒く冴え冴えとした凛々しさ。見るだけで視界が切れてしまう錯覚を起こしてしまう名刀は確かに、炎を纏った刃を須藤へと向けている。
「実践形式の訓練をしていて、『力が入り過ぎて』相手を殺めてしまう事は……無くは無いでしょう。その時は私が『人殺し』になるだけ」
そうして到来する無言の殺意。蓮城はただ無用となった問答と手加減を虚空に投げ捨て、須藤を殺しにかかる。
夜空に咲く花火のような極彩色の炎が須藤の周辺の空間を埋め、瞬間で踏み込んで刀を振って吹き飛ばす。吹き飛ばされた須藤は、時差でもう一度、次は爆発した炎で吹き飛ばされる。
「おい、おい! ……本気か!」
青白い電磁の防護壁で爆発から身を護った蓮城は何も言わず、須藤もそれで悟った。今この少女は梃子でもこの殺意を捨てるつもりはなく、また動きを止めるつもりもないだろうし、逃げようものならば拘束するだろう。
こちらも殺さねば、殺される。
その本能が、須藤にマリオネットの片鱗を見せる。
しかしワイヤーが蓮城を絞め切る事はなかった。瞬間的にかき集められた天地の霊力が作り出す光の障壁が、間一髪で彼女を護ったからだ。
「……やっぱり出来たわね」
青い瞳で微笑む蓮城を見て、須藤は悟る。
「全部芝居かよ」
「芝居じゃないわよ。今まで本気だったわ」
「おい、じゃあ殺すつもりだったのかよ」
「殺されるつもりでもいたわ」
須藤は腑に落ちない様子であった。蓮城のこの行動の真意を、未だ掴めずにいる様子である。
「だって私にできるのは信じる事だけだから。……須藤さん、今までも私を助けたりでワイヤー使ってくれたでしょ? だから、私が人殺しにならないよう自分を護ってマリオネット使ってくれると思ったの。このままだといつか死ぬ。あなたがそう感じたのなら、私は生きる為に協力したい。『須藤さん』と『透君』、何方か選ばないとダメなのかな? どっちも『貴方』だから」
暖かな正論であった。須藤ルスランも凜島透も自分自身である。
「だが、須藤ルスランも凜島透も遠すぎる。どちらとも取る事はできない」
「ならば、いい加減ケリを付ける時だ。そうだろう須藤」
牙撃鉄鳴(
jb5667)が須藤を連れたのは廃病院を再現した訓練所内の施設である。
「とは言え俺がやるのはやることはあの日の再現、それだけだ。俺とお前で殺し合う。無論本気でな」
言葉に嘘偽りは何一つとして存在しなかった。牙撃としては腕をもいだあの日の出来事を超えさせトラウマを払拭させる為ならば生死すら代償としては安く、この期に及んで使えないようなら殺すことも辞さなかった。見込んだ以下の男ならば、存在している価値もない。
「タケル、お前は隅にいろ」
「な、なんで」
「お前が今から起こる事を見届けろ。いいな」
えも言わせぬ牙撃の気迫に、タケルはただ黙って頷いた。
「殺意も憎悪も鈍り、贅肉だらけになったお前などもはや見るに堪えん。生かしておく理由もなくなった。殺すと言ったのは口だけか。もげた腕が泣いているぞ」
牽制しつつ鎌に侵蝕弾頭を当て、腐敗したところをブーストショットで破壊
「お前っていつもそうだよな。戦法も! 物言いも!」
使い物にならなくなった訓練用の大鎌を投げ捨てた須藤は暫し躊躇した後、ワイヤーを手に取りながら足や頭部に飛んでくる攻撃を何とか避ける。相手は腐っても狙撃の名手だ。こんな闇夜の中で遮蔽に隠れられたら居場所の特定は難しい。
「お前は俺と同類だ。屍の山を築くことでしか生きられない悪党。もはや凛島透になど戻れない。悪党なら悪党でいいだろう。善人でなければいけないなどと誰が決めた。『須藤ルスラン』であることを拒む必要などない。『名無鬼』である俺が肯定しよう」
牙撃が再現するのは当時の状況。マリオネットでなければ防ぎきれないあの一撃。
「さよならだ、『凛島透』」
マリオネット。
最盛期の頃と比べると完成度は圧倒的に低い。二年近い年月が生んだブランクはそう簡単に埋められるものではないが、それでも今一度、再現が叶った。
心臓が大きく脈打ち、膝は震え、思考は回転しない。肩で呼吸しながら、焦点の合わない目で今自分が何をしたのかを確認し、やがて我に返ってマリオネットを解いた。
「お前なあ」
そしてずんずんと牙撃に詰め寄るや否や、胸倉を掴んで頭突きを繰り出した。びくともしない牙撃は繰り出しておいて痛がる須藤を黙って傍観していた。
「いつもいつもゴチャゴチャうるせえ! お前がどんな人生送ってきたかわからんが俺の人生全部知った風に決め付けんな! 俺は俺だ、どうあるかは俺が決める! わかったなら偉そうに口出しすんな!」
双方の間に、雷光が迸る。廃墟に流れ込む風に前髪を揺らすセレス・ダリエ(
ja0189)が放ったもので、これによってこの一戦は強制終了となった。
「……これ以上は恐らく無意味でしょう……」
ダリエはずっと考えていた。
須藤の歩む道。そしてこれから歩むであろう数多の道。
その『数多』を全て歩める道は存在するのだろうか。無限にも等しい欲望を叶える為に、地図の上をどれだけ鉛筆でなぞってゆけばいいのだろうか。
だから興味がある。取捨選択の瞬間。願いが人の肉体を離れて朽ち果てた死骸になり、願いが人の脳髄に取り込まれて空気へと昇華するあの瞬間。
何もかも得る事はできない。
何もかもを捨てる事もできない。
興味がある。須藤が何を選び、何を捨てるのかを。
「そうです須藤さん。選ぶのは自分自身なのです。ただ、貴方が選ばないだけ……選んでください。自身で。タケルさんも、そうしたように……」
タケルはもう選んだ。
「でも、もしかすると、何もかもを得る瞬間があるかも知れない。……貴方は、何を選び、得ますか……?」
「知らん。わからん。だが吹っ切れた」
どこから湧いてきた根拠かは須藤にも不明であったが、言える事がひとつある。
「しばらくは須藤ルスランでいる。凜島透へは戻るべき時が来るだろう……マリオネットも取り戻せた。暫くはそれでいいと思う」
手に残るワイヤーの感覚。まだ少し手が震えてはいるが、先よりは成長したようだ。
「ルスラン…手前ェが『強くありたい』と思う理由って何だ? 『透』に戻れない理由って何だ? ひょっとして、さ、負けたく無ェのか? 自分自身に」
エリューナクのワイヤーを防いだ須藤は力なく笑う。
「さあな」
須藤ルスランも凜島透も彼自身である。だからこそ悩み通し、その末にどちらかを選ぶ。
「疲れたからご飯食べよう? お弁当作ってきたから」
「食う」
蓮城が持ってきた重箱に目を輝かせ、蓋が開けられるのを今か今かと待つ。
今は境界に立ったままでいい。錆を落として研鑽を続け、それから一歩進めばいい。
苦悩は続く。だが、一筋の光が、見えようとしていた。
【了】