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「……須藤さんって」
「何だよ」
蓮城 真緋呂(
jb6120)にじっと見つめられた須藤は、ごく僅かににじり退がる。
「本当、面倒見よくなったわね」
「はあ?」
「だって、昔と比べて――うん、面倒臭いのも事実だろうけど、須藤さんなら躱し様は幾らでもあるでしょ?」
「それは……そうだが」
「頼られたから頑張らなくちゃなー」
「笑うなー!」
当の瀬田はジムの隅のほうでビクビクしていた。上手く死角に隠れていたため見つけづらかったが、米田 一機(
jb7387)は瀬田のあらましを思い出しながら今の様子を見て溜息を吐いた。
「……いやー、いつの時代もなくならないねぇ。とりあえず、なんとかしますか」
強者がいれば弱者もいる。それは仕方がない事だが、扱い方を間違われた強さが弱さに向くのはどうにかできないものかと考えてしまう。
「負け犬でいる事を是としないのは良い心意気ですね」
だが一方で雫(
ja1894)は関心していた。
「弱さを自覚しているのは良い事ですよ。弱さを知るからこそ力を手に入れた時に暴走する可能性が低いですからね」
歪んだ力の恐ろしさを知っている。その事は大きなアドバンテージであった。
「こんにちは。僕は佐藤としお、宜しくね! ラーメンは好きかな?」
「ま、まぁ……人並みに」
「大丈夫、色々心配はあるだろうけど、君ならやれるさ」
背中を押され、早速トレーニングに移る。最初に米田から心構えを教わる。
「君に教えるのは心・技・体 。偉そうだけど……特に僕は心を大切にしてほしいな。要するに、自分との向き合い方さ」
マインドケアの柔らかなアウルを発しながら、米田は続ける。
「臆病な自分、誰かを傷つけたくない自分……そんな自分をダメだ。と思うだろう? でも、そうやって否定しがちになるけれど、そんな事は無いんだ。そのままでいい。今の自分を受け止めて、それでも目を背けない。向き合う事が一番大事なことなんだ」
「でもそういうのって、強いから言えるんじゃ」
「実はね」
瀬田の言葉を優しく遮る米田。飄々としてはいるが、瞳の奥にある輝きは意志の強さそのものであった。
「僕も、臆病だから。今でも震える時があるよ。なんとかへらへらしながら隠してるけどね……あ、これ内緒だよ。でね、そんな自分を受け入れながら、それでも目指す未来に進んでいく。闘うってそういう事だと思うから」
自信など一朝一夕で身につくものではない。仮についたとしてもそれは自信と言う名の驕りである。
「大丈夫。あの時よりも昨日よりも、今の方がちゃんと進んでるよ。君なら、できるさ」
瀬田の背中を押す米田。
自分自身が強くなったという確証を得て彼が自信をつけるのは、きっともっと先の話だ。だが弱いままではいけないという意識があり、それを変えようと行動しただけで、一種の強さを手に入れたと言ってもいい。
そしてトレーニングは次の段階に入る。
「トレーニングするにあたって、瀬田、君はどう強くなりたいのかな? じゃあ、今は何故それが出来ないのかな? 出来る様になるには自身としては何が必要とか考えてる? 」
「とりあえず……鍛える」
「うんうん」
目標と原因、行動を起こすに必要な動機、を話し合う佐藤。
佐藤個人としては瀬田が不良のリーダーを一発ぶん殴れるようにするのが目的だ。
「まずは基礎体力作りから」
ランとダッシュを交互に繰り返し、実践とトレーニングに必要な体力を作る。この時点で瀬田は限界に近かったが、弱音は吐かずに必死に食らいついている。
「僕達や須藤さん、ジムの練習生と数をこなして、どこが悪かったか、良かったかを沢山話し合って弱点を克服していくんだ。ほら、もっともっと! 君ならできる筈だ!」
激励を忘れずに投げる佐藤。彼が考えるこのトレーニングの真の目的は、トレーニングを通して他者とのコミュニケーション能力を強化する事にある。
初めは少しで良いから、苛められているのを誰かに相談する勇気と、やりたくない事はやらない、と断る勇気を養う。
あのライオンですら群からはぐれた獲物を狙い、群れ自体は狙わないのだ。何故なら百獣の王と言えど多勢に無勢であるからで、故に結団の取れた群れからは総じて犠牲は少ないのだ。
体と共に、心も強くする。それができれば、もう怖いものはない。
「逃げ足を鍛えましょう」
「えっ」
「と言っても逃走の為じゃなく、攻撃を躱す…そういう意味での『逃げ足』ね。陰陽師は高回避が特性でもあるし……何より瀬田さん、相手を傷つけるの苦手でしょ? だから逃げて翻弄しちゃおう。最終的に、躱す事で相手攻撃を利用する事ができたらもう心配はないわ」
くすくすといたずらっぽく笑う蓮城。
基礎体力のつけ方、そして基本的な体の動かし方がわかったら次は応用である。
地を蹴る力、フォーム鍛える為、砂地や傾斜を走り込み、力を入れる方向、加え方を体幹トレーニングと並行させながら覚える。最初は理論も混ざるが、回数を重ねれば理論は感覚化されて身体に溶け込んでゆく。
「もちろん、一朝一夕で劇的には変わらないわ。こういった事は、継続が大事」
「はい!」
「いつまた不良グループに絡まれるかわかりませんからね。今は付け焼刃となる攻撃方法よりも即戦力に防御術を覚えた方が良いかと」
「つ、つまり?」
「基本的な体の動かし方と相手の攻撃を重要器官以外の箇所で受ける事、相手の攻撃から目を離さない事の三つです。私が教えるのは三つ目です。ひとまず、手っ取り早くやりましょう」
雫が構えたのは一振りの竹刀。
「目を瞑らずに攻撃を確りとみていた時は寸止めで終わらせます。ですが目を瞑ったら、寸止めをせずに打ち込んで攻撃します。そうして目を瞑って受ける痛みによる恐怖に反射を上書きする――それだけです」
荒療治だが最短経路である。どんな小心者でも、三日すれば攻撃を直視するようになるだろう。
「あ、ちょっと、まっ」
「大丈夫です。死にはしません」
「そういう問題はぁー!」
そうしているうちに日は過ぎてゆく。瀬田はがむしゃらに訓練を続けていった。そしてある日、雫からある事を言い渡される。
「さて、かなり形になってきました。よいスピードです。陰陽師の特性を生かした戦法を考える頃合でしょう。こちらが提案する戦法として八卦陣を使用して自身の防御力を上げて、奇門遁甲か蟲毒を使い相手が自滅するまで耐え続ける事ですね」
「でもそれは、卑怯なんじゃ……」
「卑怯? 己のジョブを活かした勝算の高い戦法と言いなさい」
基礎の動きを固めてからは、佐藤と共に一番得意な攻撃を徹底的に反復練習し、その攻撃を当てる為にはどういった段取りが必要かを考え、実際に動きながらコンビネーションとして構築してゆく。その中で雫たちと陰陽師としての戦い方を学んでゆく日々。だが、そんな日々も終わる事になる。
いつものトレーニング中にジムに乱入してきたんは不良達。
「オイオイ、瀬田ちゃ〜ん。最近見かけないと思ったらよぉ〜」
「お、お前達は」
明らかな不良達。ひと目見て、瀬田をいじめる不良達とわかった。
いつもなら不良達にもみくちゃにされる所だが、瀬田はその手を払った。
「あ?」
「……僕はもうっ、お前達の好きにはさせないっ!」
「ああ?」
「勝負だ! 僕が勝ったら、二度と僕に関わるなっ!」
「上等だコラ。ハンデ付きでも勝ってやるよ。負けたら一生パシリな」
とんでもない決闘を取り付けてしまったが、ハンデ付きならば見込みはある。
「五対一とは言わないわよね? 加えた五対五の集団戦で対決よ」
「おういいじゃねぇか上等だコラ」
蓮城の提案に乗った不良と、そこで自分の言動に気付いた瀬田の顔は青くなったり赤くなったりを繰り返している。かなり緊張している事が伺えたため、蓮城が胸にぎゅっと抱きしめる。
「はい、深呼吸。そして私の心音を聞く」
人の心音は母の胎内の記憶を呼び起こし落ち着かせる。
「無駄な力みは抜けた?」
微笑みながら、ブレスレットを瀬田の腕につける。
「は、はい……」
「秘密兵器も貸してあげる。これで大丈夫!」
あくまでも自己暗示に過ぎないが、瀬田のような人間にこそこういったものが一番効く。
「なんかお母さんみたいだったね。落ち着いた? 大丈夫、なんか顔赤いけど」
「えっあっ、こ、これは」
「まぁまぁ解る、真緋呂可愛いからね」
一通りからかった後、ふっと笑いを消してアウルの衣を纏う米田。取巻きの後衛を相手にしながら常に瀬田を回復や庇いができる位置に立って、武器や腕などを破壊し戦意を喪失させてゆく。
「真緋呂、頼んだよ」
「了解したわ」
続き蓮城が収束電磁バリアで蹴りを受け、コレダーで容赦なく吹き飛ばし、瀬田への手出しはフォースで弾く。
彼らが瀬田の為に活路を作っているところを見せ、背を見せて一人じゃない事を示し鼓舞する。
「あ、あの――」
「貴方は此処で牙を剥く事を覚えた。そして、必要な時に戦う意思を向けた貴方は勝敗はどうあれもう負け犬じゃない。あとは力に酔った狂犬にならない様に」
自信が驕りとならないように、力が害とならぬように。
だが瀬田がこのまま強くなっていくのであれば、雫の言葉通りになるだろう。
「あの男と戦う事だけに集中しなさい。残りは私達が片付けます」
「はい!」
開かれた活路に飛び込んでゆく瀬田。
無論、その先に辿り着いて勝てたという訳ではない。
「やっぱりお前はヘタレのままなんだよ! デブ!」
立ち上がれないまま頭をなじられる瀬田。万事ここで休すか。そうとも思われた。
だが、彼は一人ではない。
一人でやれそうなら上等だし、駄目でもやれるだけやってフォローを頼ればいい。そのために米田達がいるのだ。
蓮城が不良を奇門遁甲で惑わせ、距離を置いて相手からの接近を誘う。
「何事も決めるのは自分だから」
躱し勢い利用する手を仄めかす……が、実行は己で考えさせている。
「チャンスは作る、その瞬間を見逃すな!」
接近した隙にワイヤーで腕を絡めて相手の動きを抑え込み、トドメの一撃のチャンスを作る米田。
このチャンスを、今の瀬田は見逃さない。
「僕はもう! 変わったんだ! うおおおおおおお!」
木刀を掲げ、一気に振り下ろす。
気味のいい、何とも乾いた音が響く。
それと同時に、リーダー格の不良少年はばったりと倒れた。
つまるところ瀬田の勝利である。ただし、それを認めない者が四名。
「……おう、何だ何だ! 今のはなしだ!」
「ここから先、武器は無し、危ないからね?」
不良全員分の構えられた魔具を打ち落とす佐藤。まだそのような活力があるものだとむしろ関心してしまう。
「それに、動かない方がいい。こっちにはまだ正当防衛と言う名の必殺怪力シールドがある!」
「俺のこと言ってるならまずお前が試してみるか? おお?」
佐藤に向かって拳を鳴らす須藤。もっとも正当防衛以外で須藤が学園生徒に攻撃を加えることはできないのだが。
一歩出た須藤を止めようとする蓮城だが、彼女の動きだけを制する須藤。
「(変な心配すんな、蓮城)」
圧はあっても、殺気ではない。今の須藤が禍々しい気を放っていない事を確認すると、蓮城は静かに下がった。
須藤ルスランは、この学園に来てから様々な人間に出会った。彼らは強いと言えど、様々な弱さを持っていた。過去であったり、守るべきものであったり、それは様々である。
「俺から言える事は一つ」
拳を下ろす。力など使わずとも良かった。
自分を怪人だと勘違いして追いかけてきた初等部の生徒よりも、行くあてのなくした元人間爆弾よりも、そして自身に泣きついて来た少女達よりも、そして臆病な心を必死に殺して自分に挑んだ瀬田よりも、この不良たちは圧倒的に弱い。
「失せろ」
どれだけ牙と骨を抜かれても失せぬ『夜明けの』幹部の誇りと矜持。思春期の全てを憎悪に捧げ、半生を血と硝煙に塗れて過ごしてきた男が、そんじょそこらのチンピラに引け目を取るほど衰えてもいない。
須藤ルスランは間抜けになった訳ではない。ただ、人並みの感情を手に入れただけなのだ。
「ひっ」
気に圧され、気絶したリーダーを抱えながら逃げてゆく不良達。
「他愛もない連中だ。……おい立て、勝った奴がそうへたり込んだままでどうする」
「あっ、はっ、はい!」
須藤の言葉で我に返った瀬田は、急いで立ち上がる。まだ足は震えている。それでも感じたのは、自分は確かに強くなったのだという実感であった。
さて。
解決した後にも続きはある。
ジムから程近い路地裏。逃げ出した不良達がようやく足を止めて呼吸を整えている。
ちょうどいいカモや遊び道具の類だと思っていた瀬田があそこまで変貌を遂げていた事にも驚きであったし、何よりも自分達のプライドが粉々に砕かれた屈辱も大きかった。
このまま尻尾を巻いて逃げれるだろうか。
否。
「案外近くに逃げてくれましたね。お陰で手間が省けました」
彼らの背後に現れたのは、ジョブを阿修羅に変えた雫。
「……理不尽な暴力に晒される気持ちは理解出来ましたか?」
大丈夫だ。殺す訳ではない。ただ、腐った性根を叩きなおすというだけの話。更生の意志が見られないから、改めて手を施すというだけの事。
ただその過程に、物理が入るというだけである。
◆
夕暮れ時。ジムの前では、瀬田が一同を前で深々と礼をしていた
「ありがとうございました!」
どこか引き締まった体で、精一杯のお辞儀をする瀬田。
「で、これからどうするんだい?」
「しばらくはこのジムに通って、もっと鍛えます」
米田の質問にもはきはきと迷いなく答える瀬田。どん底から這い上がってきたのだから、もう心配はいらないだろう。
「これから更に伸びるでしょう。精進してください」
「はい!」
雫の激励を正面から受け止める姿には、かつてのどんよりとした気もない。受け答えの声も生き生きとしており、出会った時と重ね合わせると随分な変貌振りであった。
「よし、じゃあラーメン食べに行こうラーメン! ご馳走するよ!」
「ええ、ちょ、ちょっと」
そして佐藤に引きずられながら場を後にする瀬田。場に静けさが戻ってきた時、須藤がおもむろに蓮城に話しかけた。
「腹が減った。近くに大貴がある。行くぞ」
「大貴水産の事? でもあそこ、高くないかしら」
「心配はいらん」
須藤が取り出したのは黒一色のカード。入った名前をよく見ると、十のクレジットカードであることがわかる。どうやら十は暫し留守にしているらしい。
「でも意外。須藤さんから言い出すなんて」
蓮城に言われた通り、今まで誰かを食事に誘った事はなかった。ただこの学園に来て、久しく誰かと食事をする楽しさを知った。それが面倒事の後となるとまた別格になるというだけである。
「今日は気分がいい」
ごく普通の人としての幸せを得られるのであれば、このような面倒ごとも悪くはない。
【了】