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不本意だ。
非常に不本意だ。
びいびい泣く少女の前、お手上げの須藤。
そこに颯爽と現れたのは――
「よぉ、須藤じゃない。こんな所でナンパ? 女の子泣かせちゃ駄目じゃない」
何故ここに神埼 晶(
ja8085)が、と考えるのは止そう。こうなれば渡りに船。心強い援軍だ。
「泣かせてない」
「でもこの子、すごく泣いてるじゃない……ほら、使いなさいよ」
神埼はハンカチを累に手渡す。
「私は神埼晶。久遠ヶ原学園の生徒よ。で、コッチは須藤。コイツも一応学園生ね」
今の事態に少し置いてけぼりを食らう須藤に、セレス・ダリエ(
ja0189)は話しかける。
「ルスランさん、相当困ってらっしゃいますね。とりあえずは落ち着いて下さい」
神妙な様子で頷いたダリエはそのまま手を差し出し――
「――お手」
「誰がするかぁ!」
――拒否られた。
しかし、ダリエは泣いた事が無い。
泣くという事はどういう意味なのか。
涙は、涙でなく、『何か』を流す為に在る気がする。人以外は、泣かない。泣いた事も、泣く事も無いダリエは。
(――私は、本当に私で……何時か泣く事があるだろうか……)
そんな空ろがダリエを襲う。
「まさか泣く子も黙る筈の須藤ルスランが、女に泣き付かれて助けを求めるとはな……そんなにぬるくなってはいつまでも俺を殺せんぞ」
「黙れ! お前はいつか殺すから安心しろ!」
牙撃鉄鳴(
jb5667)が言葉で須藤を小突いている隣、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)が藤堂に語りかける。
「泣いたままでいいから俺の話を聞いてほしいな」
いつものなら突き放すように振舞うのだが、今は優しい気持ちになっていた。相棒兼恋人の川内日菜子(
jb7813)がいるからだが、藤堂に感じた親近感に、寄り添ってみようと思ったのだ。
「仲がいいってのは、価値感が同じとか色々ある。でも友達ってのはそれにとどまらない。敵同士でも友達にはなれる。お互いの事を尊重できる間柄。相手の主義主張が違っても友達にはなれる。主義主張は友達を構成する要素の一つに過ぎないのだから」
ユーティライネンと川内のように、互いを尊重できる間柄こそ、友人と呼べるものなのだ。
「だからリアンと友達なのは間違いじゃない。でも相手の意思に関係なく行動していいわけじゃない。相手はそこを間違ったから阻止された。それだけなんだよ」
強引な事はせず、藤堂の気持ちに寄り添うユーティライネン。その隣――戻って、ぶうたれた須藤。
(ヘルプコールから察するに、須藤さん……慰めようとした?)
ふーん、と須藤を見る蓮城 真緋呂(
jb6120)。
「いい子いい子♪」
微笑んだままわしゃわしゃと須藤の頭を撫でた。
須藤はと言うと、一瞬だけ固まったものの、顔を真っ赤にして蓮城の手を振り払う。
「ばっ、なっ、何をする!」
「一人じゃ出来ない難しい事はたくさんあるから、困ったら頼っていいの。だから何かあったら何時でも呼んでね?」
「ぐむう……そんなものなのか」
「ええ。須藤さんは友達だもの」
友達。その言葉に反応したのは、誰よりも藤堂であった。
「友達……」
「貴女、だったのね。泣いてる理由は……想像がつく。私もその涙の原因の一つね……友達を、傷つけた」
蓮城は静かに藤堂の隣に座る。
「宥めるのに何かを使おうかとも思ったけど……それじゃ貴女には無意味ね」
苦笑しつつも、そっと藤堂の手に自身の手を重ねる。
「貴女の友達を傷つけてごめんなさい。別の方法取れる力が私にあったら……良かったのだけど――でも力が足りないからこそ、誰かを信じて助け合いたいな」
手を振りほどくのも彼女の自由。だが人の体温……もしくは『存在』を感じる事は意外に落着くものなのだ。
先の須藤のやり取りのように、助け合えたらいい。
「そうだ。落ち着け、少女。泣いているだけでは何も変わらん」
天野 天魔(
jb5560)が召還したストレイシオンが、天野に頬を寄せてくる。
「理由を話すといい。話せば楽になる」
ゆっくりと頷いた累は、全てを話し始める。
迫害の過去、『恒久の聖女』に縋って求めた救い、出会えた親友、信仰への恐怖、逃亡、親友による拉致、トランクに詰められる自分……
「ふうん。それでトランクの中にねぇ。私だったら、親友にはもうちょっと丁寧に扱ってもらいたいもんだわ。まぁ、世の中にはいろんな友情の形があるって事か」
傾げた首を難解そうに縦に振る神埼。
「そもそも友達と言うのであれば、なぜ一人だけで恒久の聖女を抜けた?」
「また誰かが傷付くのが、怖かったから……でも、傷付いた……全て私のせい……」
「そうだな、確かにあんたが悪い。こんな力があるのが悪い。あんたさえいなければ彼女は傷付かなかった」
川内は言い放つ。
「いや――まだ足らん。彼女を甚振った私が悪い。根源にいる恒久の聖女が悪い。誑かせた冥魔が悪い。何もかも、全部、全部、全部が悪い」
「いたぶる……」
そうだ。元はと言えば。
「私はこの力が怖い……人を傷つけてしまう、この力が……」
小刻みに震える藤堂。
「うん、怖いね。私も怖い。簡単に人を傷つけられるもの」
「どうして……どうしてあなたはそんなに簡単にこの力を使えるの?」
「違うと言っても貴女は否定するでしょ? だから言わない」
「怖くてもいいと思うわ。その分慎重になれるし相手の事も考えられる……違うかな?」
微笑む蓮城。決して否定はしない。受け容れて、共感して……同じ気持ちなのだから。
「私は怖いと感じた事が無いです……あらゆる事に、怖いと感じた事が無い……この力が如何してあるのか、如何して使っているのか、私にも解らない……」
「あなたは……凄いね……」
「それは、貴女の驕り、なのかも知れない……世界は、恐らく、誰にでも平等に周っているのだから……」
「私の……?」
首を傾げる藤堂。
「そもそも鹿島リアンが大怪我を負ったのは俺たちと戦闘をしたからだ。少なくともその点に関しては、お前が負い目を感じるだけ時間の無駄だ」
牙撃の言う通り、鹿嶋の怪我は戦闘によるものだ。藤堂には何の関係もない。
「でも、そう信じられない……また信じるのが怖い……」
恐怖。信じたことによる悲劇の再来。
「では、信じなければ良い。信じようとして、信じる事は、きっと、嘘」
「そうだ。怖いのなら無理に信じる必要などない。また裏切られるくらいなら初めから何も信じなければいい。その生き方をどう思うかはお前次第だ」
ダリエや牙撃は言う。『信じない』というのも立派な一つと。
「信用なんて無理やりするものでもない。信じたくなければ、信じなければいい。疑心暗鬼で生きるのも茨の道だろうが、それだけで死にはしないだろう」
川内も続ける。信じる事は、生きる為に必要なものではない。
されど。
「それでどうしたいのだ、少女。怖い力を捨てたいのか、怖くなくしたいのか。悪い自分を罰したいのか、罪を償いたいのか? 怖いから信じないのか、それでも信じたいのか」
克服、贖罪、前進。やるべき事は多大にある。
「泣くのはよい。泣きたい時に泣くのが自然だ。満足するまで泣いたら何をしたいか考えるといい」
求められるのは思考と覚悟。
「助言だ。どんなに否定しようと力は君の一部だ。まずそれを認める事だ。怖いなら信じなければ問題はないが、それが嫌だから泣くのだろう? なら少しずつ信じてみるのだな」
しかし、一度に全ては求めていない。ゆっくりと、決めて、受け容れて、背負えばいい。
直後、看護師が慌てた様子で集中治療室から出てきた。藤堂を見つけると何かを伝えて、走り去ってゆく。藤堂は暫し硬直していたが、やがて我に返る。
「リアンが……目覚めた……!」
藤堂は嬉しそうに呟くも、直後には曇った顔に戻る。――合わせる顔がない。
「謝りに行ってはどうだ? 全てはそれからだろう」
天野の言葉に、藤堂は静かに頷く。
前に進む為に、一歩踏み出さなければならない。
●
目覚めた鹿嶋リアンは、ただ墜ちてゆく夕日をぼんやりと見ていた。
「リアン……!」
累は思わず駆け寄ろうとするが、それを親友は静かな自嘲で止めた。
「滑稽よね」
「あなた、何を……」
「周りの奴らにたぶらかされてめくらになっていたのは誰でもない、私だったのよ」
痛覚を持たない鹿嶋リアン。すぐにでも暴れられる彼女は、動かない。
ただ静かに。空虚に。
「私の信じたものって、何だったの」
『恒久の聖女』。蔑みの目しか与えられなかった彼女に、光を与えた筈の場所。
「人の不幸を食い物にする快楽殺人集団さ」
川内の言葉に鹿嶋は一瞬だけ目を大きく見開いた後――またすぐに元に戻った。
「……そう」
「信じた事は、信じる事は、悪くはないと思う。でも、信じたモノは、ただの幻想かも知れない……」
ダリエの言葉は、鹿嶋の今をよく表していた。砂の城。呆気なく潰える幻想の塔。
「都合のいい言葉というのは大抵相手を騙すために使われるものだ。お前はそれにまんまと引っかかったわけだな」
牙撃の言葉を聞いた後に、天井を見る鹿嶋は何を思ったのだろうか。
「あんた達の信じるものって何?」
「俺は金しか信じない。他人を信じるだけ無駄と骨身に沁みている」
守銭奴の牙撃らしい答えであった。
「あんたと同じさ。自分の理想と、友達の……みんなの笑顔」
そうやって川内は拳を振るい続けていた。
「分からない。でも、信じたい気持ちは、あるかも知れない……」
ダリエは迷う。願望はある。しかし対象が定まっていない。
「私はそもそも貴女が何を信じていたのかを知らないんだけど……ただ、そのおかげで親友が一人できたんなら、無駄ではなかったんじゃないの?」
得たものが一つでもあるのであれば、まだ救いはあるのだ。神埼は続ける。
「そういえば『恒久の聖女』ね。アレは悪魔の道具に過ぎないからダメよ。冷静にもう一度考えてみるのね。それでも戻るというなら、私は別に止めないわ……ただ、累さんの意思を尊重するべきよ」
何を信じるかは個人の自由だ。ただし、それを誰かに強制してはならない。
「じゃあ信じる事は――無駄なの?」
ごめんなさい、と蓮城は傷を負わせた事を詫びた後、続ける。
「無駄かどうかは貴女が決めること。何事も心一つだって……今回の件で分かったんじゃない? 私は私が向きあった人達を信じる」
都合のいい言葉ではなく、目を合わせてくれる人を。
「無駄かも知れない。でも、そうでない気もする。それで均衡が保てるのならば、それは無駄ではないとも思う……」
ダリエはますますわからなくなっていた。自分の信じているものとは一体……
「残念ながら、君が信じていた天の秩序は大いなる過ちだったがね。だが無駄とは思っていない。信じていたからこそ過ちだと否定できる。過ちを繰り返さないと思える」
天野は続ける。
「君が信じた事を、信じる事を無駄かどうか決めるのは君だけだ。過ちでも過ちを糧に成長できるなら無駄ではなく、信じる何かの為に行動をするなら意味がある。逆に信じないのなら信じる事に意味はない」
取捨選択。何に意味を見出すのか。
「信じた結果が今のお前だ。信じるだけ裏切られるということだ――少なくとも俺はそう考えている。口から出た時点で言葉は本心から離れる。嘘偽りのない言葉など存在しない。俺の言葉も信じる必要もない」
牙撃は須藤に視線を移す。
「いい機会だ。俺たちの言葉を聞いて、牙の抜けたお前は何を言う?」
「……さあな。どうするのもお前達の勝手だ。俺には関係ない」
須藤は牙撃と目も合わさず、ただ答えた。
「まぁ、藤堂が何を思ってお前と友達になったのか一度聞いてみるといい。それを信じるかはお前次第だ」
「……鹿嶋さんも、もっと藤堂さんと話して心を伝え合ったらどうかな?」
顎をしゃくって鹿嶋の方を示す牙撃。体を逸らし、道を開ける蓮城。藤堂は震える体で鹿嶋に近づいた。
「ごめんなさいリアン……あなたのこと、全然わかってなかった……ごめんなさい……」
「いいの、累……私はあなたの痛みを知らなかった……謝るのはこちらよ……」
寄り添い、涙を流す二人。全てを濯ぐ清めの涙。
「――学園には私と違って優しい人がいっぱいいるからさ。とりあえずは学園に残って、しばらくそういう人達と接してみたら?」
二人が前に進むため、神埼は提案する。
「力を恐れるのは制御できないからだ。力を制御学べば自信につながる。自信が持てれば相手への信頼の幅も広がる。信頼は相手を信じる事からしか生まれない。相手の全てを信じきる事は困難かもしれないが、誰にだって最初はある」
微笑んで両手を広げるユーティライネン。
「お前はまだ友達という服の裾にたどり着いたばかりなんだから、これから学んでいけばいいんだよ。ほら、怖い事なんかないだろう?」
「……あんたの罪悪感を否定はしないが、独り占めなんてずるいぞ。私にも半分背負わせろ。無償の愛や美味しい話ほどありえない話はないぞ。信じる相手次第だ。本質をよく見極めろ」
甘言を無闇に信じて振り回される事ほど、滑稽なものはない。
「下心のない人間など……ましてや悪魔や天使さえもいやしない。気をつける事だな」
一同は踵を返して病室を出ようとするも、そこを藤堂は呼び止める。
「どうして、私たちにはこんなに優しくしてくれるの?」
その際、幾分か明るくなった顔の累が問いかける。
「笑顔が見たいのも、ある意味下心だな。ま、信じるか信じないかはあんたの勝手だが」
「少しは心が軽くなってくれるといいな」
振り向いた川内とユーティライネンは答え、再び歩き出す。
――痛みと絶望の先には、再生と希望がある。
明けない夜はない。例え太陽が沈んでも、また昇る時が必ずある。
地獄を抜けた先には――明日という未来がある。
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「リアンってコ。須藤に似ている気がするわ。今度さ、貴方の事を話してあげたら?」
「何故だ」
「だって、経歴が似ているわ」
言われてみれば確かにそうであるが――止めておこう。自分は、あの二人とは間逆だ。
「というか何で! お前たちが! いたんだ!」
「あんな場所、偶然通りかかるわけないでしょ。つなつなから連絡があったのよ」
「余計な事を……」
ギリギリと歯を鳴らす須藤。
「でも、自分でも何か思うところがあったからつなつなに電話したんでしょ。優しい須藤さん!」
「ばっ、馬鹿か! 非常に面倒だったからだ!」
騒ぐ須藤に、川内は軽く笑う。
「口ではそう言っても、優しいのだな」
「はあ?」
「あんたの過去など知らんな……あんたは撃退士だ。私にとってはそれ以上でも以下でもない」
川内は須藤の経歴を報告書から知っているが、言う必要はないだろう。
「また共闘できると嬉しいな。戦場でも日常でも」
言われた須藤はまんざらでもなかった。小さく頷く。
「……おう」
病院を出た先には、紺碧の空。
瞬く星の下、明日が待っている。
【了】