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優雅に聳え立つハイグレードマンション。到底寮には見えないが、ここが十の住む寮である。
十が久遠ヶ原に来てすぐからの友人付き合いがあった神埼 晶(
ja8085)も、彼の部屋に立ち入るのは勿論初めての事となる。
「それじゃ、お邪魔しまーす。へぇ、これがつなつな……じゃなかった、十さんの部屋か」
まず飛び込んできた高い天井。吊り下がるシャンデリア。黒と白を基調とした高級デザイナーズ家具の数々。
部屋というよりは屋敷である。
「……なによコレ。学生が住む部屋じゃないじゃない! どんだけ金持ちなのよ!」
「……何この豪華過ぎる部屋」
これには思わず蓮城 真緋呂(
jb6120)も無表情である。
十の性格を反映しているのか家具調度はシンプルにまとまっているものの、見るからに高級感が半端ない。あそこのフロアランプ一つで何か月分優雅に生活できるのだろうか。
「本国の家から持ち込んだ物もあるのはあるが……そこまで華美だろうか?」
王侯貴族にして御曹司。生まれは城、育ちも城。そして今も増殖を続ける莫大な個人資産。この程度はむしろ『地味な部類』に入るのだろうか。
「あ、このソファー気持ちいいわね」
はしたないが寝転んでみた。
「あ〜……ダメになるぅ〜」
――いかんいかん。目的を忘れるところだった。
「須藤、私が一般常識を叩き込んであげるから、ありがたく覚悟しなさい!」
「う、ありがたくないぞ……」
先ほどから顔色がずんずん悪くなってゆく須藤。
「というかどうしてお前がいるんだ! 呼んでないぞ!」
「ケースに入りきらないほどの諭吉をくれると聞いてな。あとお前の醜態を見に来た」
威嚇をする子犬のような須藤と、何とも思っていない牙撃鉄鳴(
jb5667)。贅沢嫌いの牙撃は、十の部屋の豪奢ぶりを眺めて顔を顰めた。
「しかし、こんな豪華な部屋、学生が住むところではないだろう。そこのソファーとか、座るなら座布団で十分だろうに」
「ザブトン? それは何だ?」
「……せめて生活レベルを普通の学生の水準まで落とすことを勧める」
十も十であった。
「それにしても『夜明けの八咫烏』幹部だった須藤ルスランも随分腑抜けたものだ。まるで親の脛を齧り続ける子供みたいだぞ。貴様が学園に来たのは怠惰な生活に身を落とすためだったのか?」
「ぐう」
「あぁそうか。腑抜けたのではなく組織にいたころからこんな感じだったのか。身の回りのことは全部部下に任せっきりにしてきたのだろう」
次はぐうの音も出なかった。
「十が金払って泣きついてきたから仕方なく貴様を真人間に更生してやろうと思ったが、その体たらくは果たして直せるものだろうか……」
「いや、泣きついてはいないが」
少々苦い顔をする十を、蓮城は「ちょっとちょっと」と言いつつ、キッチンに連れ込む。
「十さん、耐えがたい事態になっても我慢してね。貴方が我慢出来るかが鍵だと思うの」
「つまり……?」
蓮城の言葉に首を傾げていると、狩野 峰雪(
ja0345)が口を開いた。
「生活能力というより、意識改革が必要なんじゃないかな。まずは共同生活を送るってことについて、教えないといけないような気がするよ。彼は一人暮らしが長いのかもしれないね。自分以外の他人に気を遣うってことを覚えないといけないな」
「狩野の言う通りだが、しかし、どうやって」
書斎の本に囲まれながら、十は頭を抱える。
「十も十で、共同生活で監視役とはいえ面倒を見過ぎだ」
「どういう事だ?」
牙撃の言葉に首を傾げる十。
「十さんが至れり尽せりなのが原因で、それを止めさせようって案があるの。余りに何もかも整っているのが、須藤さんが自立出来ない原因の一つでもありそうよ? だから、須藤さんの事にはタッチせず、十さんは自分の事だけやって。掃除や片付けや何かも自分の領域のみでね」
「すると、僕の部屋が……」
「そうなの。この部屋の半分以上はぐっちゃぐちゃの状態が続くと思うのね……須藤さん、簡単に動くとは思えないから。だから十さんが根気よく放置出来るかが問題になってくるかな、と」
まずは必要性に気付かせる事から始めるのだ。
「で、放置されて須藤さんが『不快』を感じ始めたら、次のステップかしら」
理に適っているが、かなりの持久戦である。
「十さん、随分、ルスランさんと楽しく暮らしているようですね」
ところどころに須藤の存在を確認できる部屋を見て、セレス・ダリエ(
ja0189)は十に声を掛けた。
「そう思うか?」
「……え、楽しくない……? そうですか。そんなものですか」
須藤を押し付けられて以降、十には心休まる時がないらしい。心なしかやつれている。
「でも一人よりは楽しい筈。そうです。そうに違いありません。まあ、でもどうせなら楽しく過ごせる様……ルスランさんには、何とかして頂かないと、ですかね。……今のままでも楽しそうですが」
「やめてくれ……」
力なく頭を抱える十。重篤らしい。
「生活能力に、マナーですか…これは自ずと身につくものだと思いますが、十さんは、ルスランさんに何か教えたり、叱ったりはしないのですか?」
「言い訳になってしまうが……来た当初、僕が天使とのハーフという事で一度、相当に揉めてな……落ち着いてきたと思えば――これだ」
「今でも遅くない筈です……叱ると怒るは別物ですから。褒めて伸ばす。……ルスランさん……伸びなさそうですが」
「そうなんだよなぁ……」
かくして数日、いい塩梅になるまで放置する運びとなった。十は須藤が来る前のように、十自身の事だけをやって。
さすれば今の綺麗な状態のままなのか? そんな訳はない。だって須藤だし。
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数日後。
十はよく頑張ったと思う。
「もう耐えられん」
「十さん頑張った。本当に頑張ったわね……」
一周回って虚ろな目をしている十を蓮城が慰めていると、凄惨な部屋の状況を見て須藤が唸った。
「――どうしてこうなった」
「さあ、須藤さん。これ読んで」
蓮城が差し出したのは、『せいかつのまなー』という――思いっきり幼児向けの絵本。
この上ない怪訝な顔で受け取る。
「ナメているのか?」
「でも、その子供にさえ出来る事を、須藤さんは出来てないのよね?」
先読みし、畳み掛ける。須藤の背中に槍のようなものがざくざく刺さっているのが伺える。
「ここに書いてある事って、気分悪くならない為の手段だと思うの。須藤さん、今この部屋で不快でしょ? 十さんにもその気分味あわせてたのよね」
どこまでも無秩序な部屋。須藤がちゃんと自分の事を自分でしていれば防げる事態であった筈だ。
「一つ屋根の下で一緒に暮らすってことは、お互いに協力しあっていかないとダメなんだよ。自分だけ好き勝手にやってはいけないんだ。自分は気にならないことでも、他人は気になったりするんだ」
「やる気になったのであればいい機会だ。須藤のどこを直してほしいかを十が直接言えばいいだろうな」
牙撃がつと十に視線を移す。それを感じた十は、咳払いを一つして、「そうだな」と話し始めた。
十の愚痴のようにも聞こえる改善すべき点を、須藤は粛々と聴いた。
「むう……これ以上下手をやったら色々マズいな……」
生活態度がきっかけでこの生活が奪われるのはあってはならない。
「最低限のマナーとしては、一緒に暮らしている事を意識すべきですね。……ルスランさんは記憶が有りませんが、過去誰かと暮らしていたという、断片もないでしょうか?」
「あるにはあるが……暮らした、というよりは、何だろうな……俺にもよくわからん」
訝しげな顔で思考する須藤に、とりあえず、と狩野は提案する。
「ルールを決めておくといい。掃除当番とか料理当番とか。気づいた方がやる、だと不公平になってしまうから。お互いが納得するのであれば、どんなルールでもいいと思うよ」
「とりあえず、やり方を知らないといけないわね。基本はやりっぱなしにしない事よ。なにかやったら後片付けする!」
神埼は凄惨な部屋を見回す。やはり、やりっぱなしが原因の九割方であった。
「家主である十さんが迷惑を被らない程度まで、ひとまず改善する必要があります」
とは言え、須藤がキレる可能性は重々あり得る。しつこく指摘するのは避け、適切なタイミングと理由を必ず付けるように、只野黒子(
ja0049)は「例えば」とあちこちに物の散乱したリビングを指差した。
「整理しておけば、万一潜入された場合に看破しやすくなります。特に動線上を清掃しておけば、足跡を検出しやすくなります。とは言え、動線上だけだと意図がひと目でバレるので、その周辺も清掃を推奨します。清掃中に変化がないか観察できるので日常的な警戒も兼ねられます」
「――理に適っているな」
快適か、不快か。片付けや掃除にはそれ以外の意味もある。
と、上手く言いくるめられている事も知らずに、見よう見まねで床に掃除機をかける須藤。
「これで問題はないのか……っ?」
慣れない動きにぜーはーと肩で息をする須藤は只野に聴く。
「ここは問題なくとも習慣というのは抜けないため、依頼等で外泊した際に支障が出ます。物の位置が固定されれば、探す手間が省けてより、寝るとか、酒飲むとか、だらだらするとか、そういった時間を有意義に使えます。更に言えば、非常事態でとんずらする際にパッと必要な物が分かった方が速攻とんずらしやすいのです」
「非常事態に持っていくのは武器だけでいいだろうが」
「身の回りの事を一人でやるとなると、案外そうもいかないものですよ?」
「……そうか」
今の須藤は、やるべき事は全て須藤自身がやらなければならない身分なのだ。
「お風呂に入るとき、脱いだ服はちゃんとたたまなきゃ。あとで洗濯機にもいれとくのよ」
「神埼さんのおっしゃる通りです……脱いだものは脱衣籠に入れる。風呂は、次に入る人の事を考えて入る。ルスランさんも、床が濡れて居たりした後で入るのは、嫌……ですよね?」
「絶対嫌だ」
「……ですから、身体はちゃんと拭いて、服を着て、出て来る事。洗濯籠に入れた洗い物は、その都度、洗濯機に入れて下さい……勿論、身体を拭いたバスタオルもですよ?」
洗面台の隣にある洗濯機のスイッチを指差すセレス。
「この洗濯機は全自動? 洗濯物を入れて、このボタンを押せばいいのよ」
「そうすれば、あとは勝手に洗って貰えますから……文明の利器に感謝ですね。そうは思わなくとも、感謝して下さい。ほら、感謝の意を表して……そうですね。拝んでおきましょう」
「そういうものなのか?」
神妙な雰囲気で手を合わせて洗濯機を拝むダリエと神埼、そして何だか釈然としない須藤。
(一体何をしているんだ)
通りかかった十が首を傾げたのはまた別の話。
「自宅でも、共同生活するなら最低限のテーブルマナーは守らなきゃ。食器をカチャカチャ音を立てない!」
「う……俺としては早く食べ終わりたいんだ」
「どうして? 十さんの料理、口に合わないの?」
邪気なく聞いてきた神埼の顔を数秒苦そうに見た後、ばつが悪そうに呟いた。
「その……金属製の食器の、アルミホイルを噛んでいる感覚が慣れん」
「……ちょっと意外」
「笑わないのか?」
「え、何で?」
きょとんと返す神埼に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる須藤。
「箸よりナイフとフォークの方がとっさの武器になります。が、それが使い方がなってないと別なものに変更され、とっさの武器として利用できなくなる可能性があります」
只野が予め皆で買っておいた物が入っている袋の中から、付いてきたプラスチックのカトラリーセットを取り出す。
「後、しっかり味わい咀嚼することで異物や薬品の混入に気づく可能性が高くなるのでしっかり噛むこと。振りだけでも身に付けておきましょう。ナイフやフォークはプラスチック製でも代用できますから」
「……むう、わかった」
カトラリーを受け取り、指示の通りに食事に手をつけはじめた。
「ゴミは分別するのよ。これは燃えるもの こっちは燃えない……」
「燃えるも何も、ゴミなら薬で溶かせばいいだろうが。髪とか骨とか跡形もなく消えるぞ」
聞きたくない事を聞いてしまった。
「でも、ちゃんとできてるじゃない。大丈夫。須藤さん出来る子」
「……嬉しいのか屈辱的なのかよくわからん……」
笑顔の蓮城に頭を撫でられ、訝しい顔をする須藤。
コレダーで殴られないだけマシなのだろうか。
「で、ゴミ出しなんだけど……この時、学園やマンションの知り合いに会ったら挨拶! 挨拶ができないと立派な大人になれないわよ。さぁ、リピートアフタミー。……おはようございます!」
「おはよう、ございます……っ?」
「ほら、声が小さい! こんにちは!」
「こここ、こんにち……は? ぐぬう……」
「腹から声を出せ。腹からだ」
「料理については……そうだね。日常業務の一貫として義務として行う方がスムーズなタイプ、どんどん手の込んだ料理にハマるタイプ……色々いると思うけど、彼はどのタイプなんだろう。性格に合った方法で、覚えさせてあげるといいかなーと思うよ」
「やってみたらわかるわね。市販のルーを使えばカレーぐらいはできるんじゃない?」
十の了解を得て、冷蔵庫から様々な食材を取り出して須藤に包丁を握らせる。
「肉と野菜炒めて、鍋にいれて煮るのよ。それでルーいれればいいの。簡単でしょ」
どうにも野菜の切り方が不恰好であるが、問題はないだろう。
「あと、お米研ぐ時、洗剤は使わないわよ?」
「それ位はわかるぞ」
不服そうな顔で
「サラダは楽だ。野菜を洗って切って並べるだけの上に、片付けも簡単だ。味はお前の好きにしろ、食うのはお前だ」
本の受け売りそのままを須藤に教える牙撃。
態度こそ反抗的だが、手を動かしていればそのうち出来上がるのも確かである。
「では、食べてみましょうか」
「きっとおいしい筈……です」
只野とダリエは食器棚から食器を出し、須藤がそれを受け取った。
カレーを試食していると、神埼が声をかけてきた。
「須藤さ、義手の調子はどうなのよ」
「調子か? 別に何とも無いが――」
大きいじゃがいもをスプーンで割った所で、神埼は身を乗り出すように提案した。
「じゃあさじゃあさ、義手で『マリオネット』を使えるように練習すれば?」
「いきなり何を……」
超硬質ワイヤーを扱い、空間そのものすら刃としてみせた技・マリオネット。
須藤の命を幾度となく助けた技であり、左腕を斬り落とした技でもある。
「難しい話だから、答えはすぐに出さなくていいと思うわ。でも、その時になったらいつでも声掛けてよ、練習とか付き合うし」
二人ともカレーを食べ終えると神埼は立ち上がる。
「さ、次は片付けよ。大丈夫、これで終わりよ」
生活態度に戦い方。須藤が抱える問題はまだ多い。
しかし今日のように、着実に一件ずつ解決していっているのも、また事実。
須藤ルスランの長い一日は、まだ続く。
【了】