●
「消えた犯罪組織の植物人間と出現したピンピンのそいつ……か。臭うな……嫌〜な臭いがプンプンと」
「この霧も……何だか妙な感じですね。……ただの霧じゃない……」
霧の立ち込める中、辺りを見回すセレス・ダリエ(
ja0189)の隣、ヤナギ・エリューナク(
ja0006)は両の二の腕をさすって呟いた。
先ほどまで移動に使った4WDの中は暖かかったが、この季節だ。外に出ると肺の中が凍えてしまいそうなほど寒い。
「いずれにせよ、ロクな事はないだろう。全く面倒なことに……やはりあの時トドメを刺しておくべきだったか……」
「すまない。僕達はよほどの事でない限り殺害はできない事になっている。利用価値があるかも知れないからな」
十は手袋を填め直して牙撃鉄鳴(
jb5667)に答える。
「それでも、だ。不殺などという甘っちょろい方針のせいで俺たちがどれだけ苦労したか……いずれニコラウスには追加料金を請求してやる」
以前の事を思い出し、苦虫を噛み潰した顔をする牙撃。
かつて戦った国際指名手配犯ルイジ・イワノビッチが言い切った『死こそ最高のエンターテインメント』を肯定はしないが全否定もしない。
殺すことに利があるなら躊躇わず殺すが、イワノビッチのように楽しんで殺すような真似はしない。牙撃とイワノビッチは同類ではないのだ。……性根が腐っているのは認めるが。
「十さんは撃退士としては初陣ですか。頼りにしてます」
「よしてくれ。人間相手は慣れているのだが……天魔相手は要領を得ん」
間下 慈(
jb2391)が、十の様子を見る。表情は顔合わせの時から仏頂面のまま、足取りもしっかりとしている。流石は軍人と言った所だが、纏う雰囲気にはどこか不安の色があった。
「十さん、無理はせず慎重にいきましょう」
「そうだな。実際に交戦しない限り、相手の実力も測りきれない。慎重に行こう」
防寒具を装備した鈴代 征治(
ja1305)が、寒いな、とひとり呟く。立ち込める霧もそうだが、吹く風も妙に不気味だ。
「十さん、私達が一緒だから大丈夫よ! 任せといて」
神埼 晶(
ja8085)が喝入れと言わんばかりに十の背中を軽く叩く。
「神埼さんもありがとう。――して、今回の一件、前の件に関わった君はどう思う」
「須藤ルスランが復讐心に駆られて久遠ヶ原を攻撃!? ――ははっ、ないわね」
「僕もそう思う。いくら何でも筋が違う」
「私たち学園生は依頼のままに動いただけの、いわば道具に過ぎないわ。『夜明けの八咫烏』を壊滅させた張本人はニコラウス達だもの」
「その通りだ。我々はルイジ・イワノビッチを仕留めるためにそう依頼したに過ぎない」
「須藤ルスランはキレる奴だから、そのへんはわかっているハズなんだけど……」
神埼は思考する。
だいたい、あれほど天魔を憎む須藤が、その天魔と共闘だなんてあり得ないのだ。
世持武政を失った心の隙をつかれたかでマインドコントロールでもされてるのではないのか。もしくは、操られているフリをして、須藤の本当の目的は別にあるとか……
――須藤も天魔を利用してる?
一つの確証は持たぬ結論に辿り着いた時、鼓膜の表面をくすぐる音が聞こえる。
カシャンカシャンと軽い音。キチキチキチと歯車の音。
「――来たぞ」
霧の中、不恰好に歩く機械仕掛けの骸骨達が姿を現す。骸骨達は十達を発見するなり剣を抜いたが、霧の奥から現れる人物によって一度剣を収めた。
その人物とは。
「どこかで見た事のある面構えだと思った」
須藤ルスラン。犯罪組織『夜明けの八咫烏』元幹部――今は『機械仕掛けの骸骨兵団』の指揮官となった、美しき外道。
空白となっていた筈の左腕には、甲冑のような黒い鉄の義手が填め込まれている。
「さてと、いい加減祭りも終わりだって事を知って欲しいんだがね」
アサニエル(
jb5431)は肩を竦めた。
「祭りはまだ始まっていない……お前らの臓物を引き摺りだして、久遠ヶ原への手向けにしてやろう」
「……」
蓮城 真緋呂(
jb6120)は、須藤の顔を見る。義手には何か仕込まれているのであろうか、左の目が人間のそれではなくなっていた。金色の瞳はそのまま、白い部分がどす黒く変色していた。
ただ、無表情なだけでも美しいと思えた筈の顔が、今はいっとう異常に見える。
「……」
そんな須藤に何を思ったのか。十は足元の小石を軽く蹴り上げて手に取り、須藤めがけて一直線に投げた。
軽い風切り音と共に須藤の顔に当たるはずの小石は――けたたましいチェーンソーの音によって掻き消える。
「小賢しいマネしてんじゃねぇよダボ! そんなんで須藤様に傷入れようとかとんだ痴れ者だな! 回線切って首吊って死ね!」
中指を立てて現れたのは、一人の少女。
フリルとパニエをこれでもかという程詰め込んだパステルカラーのワンピースの裾が揺れる。見ているだけで砂糖を吐きそうな服装には見合わず、手に持っているのは大の男でも扱わなさそうな巨大チェーンソー。ハンドルにはウサギのヌイグルミの生首がぶら下げられている。
「須藤様ぁ。ここはこの『血まみれアンネローゼ』と剣部隊にお任せください!」
驕慢な声で金髪の少女は須藤に提案する。少女の関節は球体。明らかに人間ではない。
「……いいだろう。機械仕掛けの骸骨兵団の力、見せて貰うぞ」
「やったー!」
平喜びするアンネローゼ。
「ずるいのですぅ。ズタボロのバラバラにされて死ねばいいのですぅ」
「……流石のぶりっこ」
「うるせー! 黙れクズ共!」
ぬいぐるみを愛でていそうな外見に反し、異常に口と性格が悪い。須藤の後ろに控える少女達に甲高い声で悪態を吐いた後、須藤とマクスウェルに対しては媚びまくった笑顔でスカートの端をつまんで礼をした。
「こいつらの為だけに時間を割くのは癪だ。おい黒、お前は適当に弓も連れて先行しておけ。銀色はこのまま残れ。俺はこいつらの実用性がどうなのかを知りたい」
「承知しました」
「了解したのですぅ」
背後に控えるもう二人の少女。彼女らの関節も球体であり、同型であることが伺える。
「『機会仕掛けの骸骨兵団』、剣のマキナ・ドール『血まみれアンネローゼ』……お前らゴミ共の首を須藤様とマクスウェル様に献上してやるぅ! 無様に惨めにおっ死んじまえ!」
チェーンソーの刃が高速で回転し始める。エンジンルームで燃料が爆発する音と相まって、背筋が粟立つ不協和音を奏で出す。
「行くぞ野郎共ぉ! ゴミ掃除だ!」
チェーンソーの刃を地面に突き刺しながら突進するアンネローゼの号令に合わせて骸骨の兵士達がカタカタと雄叫び、突撃を始める。
「お嬢さん、悪趣味だねェ。気をつけてくれよ、セレス」
「骸骨たちの数が多いですね……ヤナギさんも、気をつけて……勿論、私も気をつけます……」
構え。
「開幕から派手に行きますよ」
「ええ。ド派手にやっちゃいましょう!」
チェーンソーの音のする方へ、間下と神埼が狙いを定める。
間下が愛用する一対の双銃にアウルが流し込まれ、真の姿を現す。普段は穏やかな間下の闘志が顕現するかの如く、銀のファイアパターンが浮かび上がる。
二人の銃口に、アウルが収束されてゆく。
ちょうどその時、潜行していたエリューナクが付かず離れずの距離を取った側面側に現れた所であった。さて、対アンネローゼ班の為にも、道は開かねばならない。
「面白うそな事するねェ。そうだ、十字砲火ってェのも面白いかもな」
エリューナクは雷を圧縮し、強さと鋭さを磨き上げてゆく。
一瞬の空白。
三者、タイミングを合わせて撃つ。
結果、直線上の総ての敵を射抜く射撃に、エリューナクの雷の一撃が加わり、十字砲火と化す。
雷光の十字が、戦場を駆け抜ける。
風穴が、開いた。
「――今です!」
対アンネローゼ班の道が拓き、彼らは甘い甘い暴言の下へ。チェーンソーの音のする方へ。
当然ながら、これで終わりの筈はない。これが始まりなのだ。
「ハハッ、背中がお留守だよってな。この俺を忘れて貰っちゃ困るね」
注目を集め、エリューナクは周囲の骸骨を一手に引き寄せる。
まるで動くものを追いかける猫のように、エリューナクへと方向を転換する骸骨達。
「単純で助かるねェ」
アウルで作り出した土が周囲に撒き散らされる。広範囲に、かつ無差別に撒き散らされるそれは骸骨達に猛然と襲い掛かり、瞬く間に数を減らしてゆく。
それだけには留まらない。
土が消え去った後、エリューナクの鎖鎌が大きく唸る。上下左右前後360度、ありとあらゆる敵を攻撃する。
「後ろも前も関係無ェ」
尚も敵の注目を集め続ける彼は、鎖鎌も猛吹雪を発生させてゆく。
「霧が出てようが、こっちに向かって来るヤツぁ、切り刻んでやらぁ」
だがしかし、骸骨達は陣形を立て直しつつあることを悟った間下。数は確実に減っているのだが、こうも多いと手こずる。
「出し惜しみする間もないか。……神埼さん! 蓮城さん達は三時の方向ですから――こちらを!」
蓮城に打ち込んでおいたマーキングのおかげで、対アンネローゼ班の居場所がわかる。よって彼らに当たらないように、位置を神埼に伝えつつもう一度。
「了解よ!」
再びタイミングを合わせ、神埼と風穴を開く。
そして一呼吸も置かずに間下はサーベルを構えた十の背後につく。
「十さん、鈴代さんと共に前衛をお願いします! 大丈夫です。頼ってください!」
「わかった。……ありがとう。だが、なるべく君達に迷惑はかけないようにしよう!」
二人が前衛で突っ込み、骸骨達を相手取る。
「こっちだ、骸骨共!」
鈴代が骸骨を挑発し、注目を一手に集める。さあ、ここからが本番だ。
槍を振るい、剣を振るう。突けば、斬れば骸骨はいとも容易く消え去る。手ごたえはあるが、こうして一撃で葬り去れるのは妙な感覚だった。
「僕はお人形さん遊びはあんまりしませんでしたねえ。ガイコツさんなら尚更……ね!」
鈴代はアンネローゼと骸骨達との距離を離すため、注目を一手に引きながら槍を振り回す。「槍の当てられずに当てる」リーチの長さを生かし、一度の薙ぎ払いで数体の骸骨を一気に倒す。
仲間の範囲攻撃に巻き込まれないよう、逆に敵を多く巻き込めるよう、自身の立ち位置で敵の動きを調整する。
「鈴代、どうする。囲まれたぞ」
背中に十の気配を感じながら、状況を確認し合う。
霧での視界不良に対して声掛けによる仲間間での情報伝達は、ミスによる仲間討ちを防止する役割を担う。
「敵は多数……いや、だが、有象無象だ」
「ええ。一体一体はごく弱い……ですから!」
怯む事はない。
「はあッ!」
目にも留まらぬ一撃で活路を見出し、また攻めてゆく。
神埼が少し離れた射程を維持しつつ、愛銃の引き金を引く。リボルバーCL3、装填するのは357アウル弾。35.7口径、約9mmの強力なマグナムアウル弾だ。一発撃ちこめば骸骨の頭を粉砕し、消滅させる。
「さぁ、どんどん行っちゃうわよ!」
死角を狙って来た骸骨を回し蹴りで飛ばし、見切りやすい斬劇には回避の後に撃ち抜く。
「そろそろ本気でやるさね!」
アサニエルは聖なる業火で辺りを焼き尽くし、一気に骸骨を片付けにかかる。
視覚に頼るだけでなく、物音や気配にも気を使い、霧で見えない範囲も焼き尽くす。
だが、霧は未だに晴れない。何とか間下達と絶妙な位置取りをしているが、これでは上手くいくものも調子が狂ってしまう。
「……ついでに、霧が流れるなりしてくれれば御の字なんだけどねぇ」
アサニエルはちらりと、霧の先を見る。
何も見えはしないが、情報伝達のお陰で何とか憶測はできた。その先では、今、何が起きているのだろうか。
●
「オラオラオラオラ! クソ汚ぇ合い挽き肉にしてやる!」
アウルの十字砲火の直前、対アンネローゼ班は早速アンネローゼと衝突していた。
「本当に口が悪いのね……!」
蓮城は太陽の光を収束させ対象に向けて赤光の一撃を放ち、これを奇襲攻撃とする。強烈な光が辺りを覆いつくす中、現れたのは猛然と駆けるアンネローゼであった。
ここでアンネローゼの立ち位置が露呈するので、つかさず手のひらに作り出した風の玉で吹き飛ばす。軽いらしいアンネローゼの体は、それだけで木の葉のように吹っ飛んだ。
「お前らァ……!」
空中でアンネローゼが悪態を吐いた瞬間、現れたの十字砲火。多くの骸骨が消え去ってゆく。
「絶ッッッッッッッ対に許さねえええええええええええええええええええ!!!!!!」
アンネローゼの顔が憎悪と憤怒に染まり、チェーンソーの回転はさらに増して行く。
「手下がいなければ戦えない?」
骸骨とアンネローゼは言葉を介さなくても命令を送れるのであろうか。アンネローゼの周囲に何とか残った骸骨達が集まってくる。
「うるせー! 黙れこのクソアマ!」
口の悪さと単細胞さは比例しているらしい。蓮城の挑発にまんまと乗ったアンネローゼは、そのまま蓮城の斬り結びを食らう。
さらに大剣に持ち替え、再び太陽の光を収束させ、一撃。
後退させつつ骸骨達から距離を取らせる。
再びアウルの直線射撃があった所で、ゴーグルを装着したダニエは巨大炎の玉を作り出し、爆発させてアンネローゼに取り巻く骸骨達を焼き払う。
「行きます」
異界の呼び手が、アンネローゼの足を絡める。
「くそ! くそ!」
球体関節の細い足はいとも容易く動きを止め、アンネローゼがもう片方の足で地団駄を踏む度に深みにはまってゆく。
視界を奪うように、顔や目を狙ってつかさず雷を打ち込み、追撃。
「――今か」
牙撃は、空からアンネローゼの位置を確認していた。暗視鏡の熱感知機能で視界を確保し、ついでに須藤のあの『マリオネット』にも警戒をしてみる。しかし、須藤自体は何もしてくる気はないらしい。ただ淡々と、アンネローゼ達の様子を見守っている。霧はあるのだが、視界を共有する事などができるのであろうか。
見えた。アンネローゼにマーキングを打ち込む。そろそろ、蓮城に施されたマーキングも切れたであろうから。
「……十二時の方向。気をつけておけ」
仲間にアンネローゼの位置を伝えながら、侵食弾頭を装填。
『左腕に向けて』撃つ。
一発だけではない。二発、三発と打ち込む。
アンネローゼの口の悪さと頭の出来も比例しているらしく、動きは至極簡単であった。狙い通りアンネローゼの腕に当たると、瞬く間に腕が溶けてゆく。
「……ッ、てめええええええええ!!!!!!」
「存外、頑丈にできているんだな」
腐食の進行度合が通常よりも幾分か遅い。やはり普通の骸骨とは違う特別製だからか、何なのかは牙撃には知る由もない。だがひとつわかるのは、この声がひどく耳障りという事であった。
「女の子の声……いや、わかりやすいですね」
聴覚を鋭敏化させなくても耳に届く金切り声を頼りに、討ち漏らしを倒しつつ対アンネローゼ班と合流した対骸骨班は、どす黒いオーラを放つアンネローゼを見て武器を構え直す。
「嫌な予感がすると思ったら……!」
アンネローゼは消耗していた。左腕は大半が溶けて今に腐り落ちそうで、自慢であった筈の服もぼろぼろになっている。
それでもなお衰える気配のしない負の感情だけが、彼女を支配する。
「こうなったらやるしかないさね」
アサニエルは聖なる鎖でアンネローゼを捕縛しようと試みていた。
「ねえ、アンタの創造主や指揮官はどんなのかね」
じりじりと距離を詰める中、アサニエルは問う。
「答えるわけねーだろ!」
当然の如く切り捨てる。これは想定の範囲内だ。
「……でもあんたのこの体たらくじゃ、訊かなくても創造主や指揮官の程度が知れるね」
「なん、だと……」
アンネローゼの肩が小刻みに震えているのも数瞬、
「須藤様とマクスウェル様を馬鹿にすんじゃね――――――――――!!!!!!!!」
華奢な体からは想像もできない程に耳を劈く声。
鼓膜の奥底を貫く声に誰もが耳を塞いだ時、アンネローゼは手近にいた骸骨を解体し始めた。
誰もが手を止める異常な光景。仲間が仲間を笑いながら屠り、その屍を築き上げてゆく。
がしゃ、べき、ごり、ごり、ぎちぎち、がちゃがちゃ、ぐちゃ、べきばき、ぐりぐり。
凄惨なチェーンソーの音と少女の金切り声の笑い声が、乾いた音と混ざり合う。そうして出来上がる、一匹の巨大な獅子。
「行けよ! サーカス団の愉快な仲間達(畜生共)ォォォォォオオオオオオオオ!!!!」
巨大な獅子が、唸りを上げる。
「させるかァっ!」
鈴代が獅子に突撃する。無論、自暴自棄の類ではない。
獅子の足を狙への銃撃。牙撃によるものだ。
「デカいお陰で狙うまでもないな」
所詮はあの骸骨から作られただけあり、動きも単純な上に脆い。一つの歩みも許すことなく、一本の足を砕く。
「はぁあああああッ!」
そこにすかさず、鈴代が攻撃。
「クソうぜぇんだよお前らァ!」
アンネローゼがさらに骸骨を解体して獅子に与えると、獅子はみるみるうちに再生し、再び唸る。
「キリがないねぇ、全く!」
「……させません」
アンネローゼが骸骨を解体している隙に背後を取ったエリューナクが、鎖鎌をアンネローゼの首に巻き付けて其の儘へし折る勢いで締めつける。そして流れるように相手の視界を阻害する靄を発生させる。
続いてエリューナクとは距離を取っているダリエが魔導書の雷剣で攻撃を行う。
二人がアンネローゼの対応をしてもなお、再生を果たした獅子は唸りを上げる。
駆け出す。
「……突進、来ます!」
間下が凡守を展開し、守りに入る。
全長は二メートルを優に超えるあの巨体に突っ込まれたら、いくらその巨体が脆かろうがひとたまりもない事は目に見えている。
再び牙撃が引き金を引く。次の狙いは口だ。
あの手のディアボロは恐らく口から何か吐いてくるだろうと見抜いた牙撃。獅子が口を開けた瞬間に、狙いを逸らすため喉や口内に銃弾を打ち込む。
渾身の吼えをも阻害された獅子は、もんどりうつ用に突進する。
「させるかぁ!」
「行かせない!」
鈴代と蓮城が、互いの間を生めながら隙なく攻撃を繰り出す。
骸骨でできた肉体が、剥げ落ちてゆく。それでもなお前進を続ける。
しかしその先に待ち構えていたのは、凡守を構えた間下。
「はぁっ!」
間下よりも一回り大きい程になった獅子の突進を防ぐのに苦労はなかった。
衝突の衝撃で、互いが弾き返る。
間下は受身を。獅子は――何もできず。
体をそぎ落とした二人が、息を合わせて一撃。
獅子が、最期の叫びを上げて崩れ去る。がしゃがしゃと崩れる骸骨は、地面に落ちて軽く跳ね返ればそれだけで消滅した。
「そんな……」
「さあ、そろそろ終わりにしようか!」
アンネローゼの絶望も一瞬、エリューナクが再度鎖鎌で縛って動きを奪い、そのまま分銅で背中を叩きつける。
「ぐえェっ」
蛙の潰れたような音と共に、アンネローゼの動きが止まる。
一瞬の間。
それだけで十分である。
「外さない!」
鈴代が、体の全ての重さを槍に乗せ、渾身の力で穿つ。
「……スクラップにしてあげる!」
神埼は軽く息を吸い、引き金に指をかける。アウルの弾丸が、一直線にアンネローゼに向かう。
「……作り変えられる元の命に……還りなさい」
骸骨達も。そしてこの血まみれのアンネローゼも。元はディアボロで……そのディアボロも被害者の一端で……哀しい存在なのだ。
彼らを還す為にも、蓮城は刃を揮い続ける。
光。そして永劫の――闇。
「あ……あぁ……」
アンネローゼの体が、機能が停止してゆく。
「すどうさま……」
彼女はぼろぼろになった手指を須藤に差し向け、縋る。
名も無き骸骨だった自分は、こうして思考と姿を得ることができた。
ここで消えたくはない。こんな所で――
しかし須藤は。
「もういい、消えろ」
須藤はただ、細い首を傾げてそう言い放っただけであった。
いつの間にか消えた霧が残した嫌になりそうな程晴れ渡った空の下。マキナ・ドール『血まみれアンネローゼ』は涙を流す暇もなく、ただ、消えていった。
●
光が炸裂する。鈴代の十字架が放った無数の光の爪は、迷わず須藤に襲い掛かる。
しかし須藤は全て黒い鉄の義手で払いのけた。
「……ふん、こんなものか」
銀髪の少女と少数の骸骨だけを残した須藤と合間見える。
「貴方は何に復讐したいんですか? ……何に対してでも、止めますよ」
「お前たちならば知っている筈だろう。その無い頭で考えてみるんだな」
間下の言葉にそっぽを向いた須藤。その時に見える変色した眼球が、やはり異常であることを警告しているように見えた。
「全く、とんだゴミ掃除だった。……久しぶりだな、左腕の調子はどうだ?」
「ッ、お前は……!」
首を鳴らす牙撃の顔と声を認識した瞬間、須藤の顔が歪む。
その瞳に映るものは、恐怖であった。
須藤は忘れもしない。己が没落した瞬間を。
牙撃の放つ弾丸を防ごうとした結果、自らの左腕を斬り落としてしまった瞬間を。
左腕の断面から、噴水のように噴出す血を。
数瞬遅れて、何かが落ちる鈍い音を。
『腕が、腕が、腕が、腕が腕が、腕が腕が、腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕があぁあああああアアアあアっ!』
――そして、自らの絶叫を。
「それで、次の腕はもう少しマシになっているのか? 正直、あの組織の中では貴様が一番大したことなかったのでな」
挑発程ではないが、激昂して手の内を晒してくれるのなら丁度いいだろう、程度に言い放つ。
「ど、どういう事だ!」
「事実を言ったまでだ。世持も筒井も、少なからず俺たちに被害を出せた。だというのに貴様ときたら……」
「世持……?」
眉を顰め、世持という単語に反応する須藤。
「もうこんな事やめなさい! いつかあの世に行ったとき、世持武政にどの面さげて会うつもりよ」
神埼が叫ぶ。これで動揺がみえれば洗脳の類、みえなければ須藤は正気で、目的のためにあえて天魔に利用されたフリをしてると予想ができる。だが――
「あの世に……あの人が? 待て。世持さんは……組織は……?」
かつて須藤を救い、生きる意味を与えてくれた人、場所。それらは今、どこに?
「まさか何も知らないのですか? あなたがいた『夜明けの八咫烏』は、首領である世持武政の死亡によって既に壊滅していますよ」
間下の口から出された、とうに知っている筈の記録。
「死んだ? 世持、さんが?」
黒い鉄の義手で、頭を抱える。
自分の意識が闇の底をたゆたっている間に、居場所は、意味は、失われていた?
「そんな……嘘だ……世持さんが、あの人が、負けるなんて、死ぬなんて事は……」
「世持もイワノビッチも、既に死んでいる。俺はその今際を見た」
牙撃の言い放つ事実を面と向かって受け止めもしない。今、須藤の額にはいくつもの脂汗が噴き出し、呼吸は荒く、目の焦点は合っていなかった。
「……噂ではあなたも死亡確認されたとかどうとか。一体どういうことなのか気になりますね」
「嘘だ、嘘だ、嘘だ……そんな筈はない……筒井は殺したけどあの人も俺も組織も居候もみんなみんな無事の筈なんだ……そんな事なんてない、絶対にないんだこれは悪い夢なんだそうだ醒めろ醒めろ醒めろ醒めろ……」
弱々しく蹲り、髪の毛を掻き毟る須藤の左腕から、ぶすぶすと黒い霧が立ち込める。
「この人……!」
「セレス、下がってな。絶対に嫌な予感しかしねぇ」
エリューナクがダリエを自分の後ろに隠し、身構える。
そうしている間にも煤煙のようなそれは、須藤を取り囲むように何かを形作り――
「おだまりなさい」
一矢。誰も射貫かず、空間を射貫く。
猛烈な風切音と風圧で、場を諌める。
放ったのは、須藤の隣に傅く球体関節の少女。アンネローゼとは違い、クラシカルな装いをした銀髪の彼女が持つのは、巨大な弓であった。
「……須藤様、参りましょう。先行させた隊が待っております」
「銀色、お前……」
「私の名前は皆殺しマルグリットです。是非覚えてくださいませ」
静かな水面を穿つ水滴のような声で囁き、少女は数発の矢を放つ。
「!」
相当の早さ、そして空を斬る威力。鈴代はそれらを、逸らす、弾く、受け止める、絡める――無力化する。
最後の一矢を弾くと、煙が噴出す。
「これは――!」
煙幕。そう認識し、それが晴れた時には須藤も、骸骨兵団も、居はしなかった。
●
「逃げられたか……」
鈴代が辺りを見回すも、霧の晴れきった国道には何もない。
「あの様子……まさか、組織については何も知らないと言うの?」
神埼は須藤の尋常ではない反応を見て、呆然と呟く。
「……まぁ、黒幕は須藤以外にいるって公算が高いよね」
骸骨兵団を作り、須藤に渡した悪魔が居るのだ。何の企みがあってそうしたのかはわからないが、ロクな事でもないのは確かだ。
「須藤さん……」
憎いという気持ちは、理解出来ない訳ではない。
蓮城だって故郷を滅ぼした冥魔は憎く、……口には出さないが、はぐれ悪魔を受け入れる事も未だに出来ないでいるのだ。
そんな体たらくだから、全てとの共存を願う友人とは、同じ道を進めなくなった……
それでも、 憎しみの対象から力を得るという一線だけは、決して越えない。
越えてしまえば、自分自身も憎しみの対象になってしまう。
須藤ルスラン……もしかして彼は自分も憎みつつ、それ以上の憎しみに身を窶しているのかも知れない。
「哀しいわね、須藤さん……私は、貴方を絶対止める」
霧の晴れた国道で、蓮城はそう決意した。
――憎しみは、まだ始まったばかり。
【続く】