●
久遠ヶ原某所の貸ダンススタジオ。
そこで、舞台「水晶の乙女・ベアトリーチェ」へ協力することとなった六名と、六名を集めて見せた二階堂院・カトリーヌ・静香が、自己紹介をし、早速稽古や準備を始めて早くも四日が経っていた。
二階堂院の的確な指示のもと、キャストは演技に磨きがかかり、裏方は舞台を着実に作り上げていっている。
「『今の国の状態は悲惨だ。無能な大臣、動かぬ兵……だからそこ、俺が変えてやるのだ』……『変えねばならぬのだ』かしら?」
低い声で台詞を確認し、細かな調節をしているのは、カルロスを演じるケイ・リヒャルト(
ja0004)だ。彼女は重体の身であるため、ダブルキャストの片方として主に室内のシーンに出演する。
「えと、田中ちゃ……、にかいど、……カトリーヌ……? ……みゅ? えとえと!静香ちゃん、ココの場面ってこの音も同時に鳴らしていいかな? ハモって綺麗な感じになりそうなんだけど」
「私は二階堂院・カトリーヌ・静香ですわ! 決して田中京子ではありません! ……それで、どのシーンなのです?」
「みゅ! ベアトリーチェが登場するシーンなんだけど……」
ノートパソコンを片手に二階堂院に提案する女性は、音響を担当するユリア・スズノミヤ(
ja9826)だ。念入りに音を確認している彼女は、踊り子をしていた時の経験が生かされ、さらに物語の雰囲気に沿った絢爛豪華な音が作られていっている。
「決闘は頼みましたわよ」
「騎士家の出だからレイピアだな。……昔、プライベートでフェンシングを齧ったことがあるからな……格好は可笑しくはならないはずだ。恐らく」
レイピアを手にしている青年は、動きのあるシーンを主に担当するもう片方のカルロスを演じる飛鷹 蓮(
jb3429)だ。決闘は劇の見せ場の一つなので、失敗しないよう練習では感覚を思い出すように念入りに感触を確かめる。
「『愛しのベアトリーチェ、今日もお会いできて、こんなに嬉しい事はありません。嗚呼、今日も一層麗しい。明日も、こうしてお会いして頂けますか?』」
髪を一つに縛り、真面目で礼儀正しい青年の姿を探る女性は、フィリップを演じるシシー・ディディエ(
jb7695)だ。誰から見てもフィリップになれるよう、二階堂の要望と台本と照らし合わせながらアドリブも交えている。
「ディディエ様。お話されていたこちらの照明でありますが、アドリブもお混ぜになられるのならばプランよりも少し青を足した方がフィリップの想いを表現できると思われます」
カラーフィルターを片手に、ディディエに意見を述べる青年は、照明を担当しているリアン(
jb8788)だ。そのシーンの雰囲気や登場人物の心情を効果的に表すため、アドリブにも合せて無数にある光の色を調合してゆく。
「ユー達の衣装や資材が届きましたよ」
そんな稽古場に、たくさんのダンボール箱を抱えて入ってきたのは、場面転換を主とした雑用なども担当する長田・E・勇太(
jb9116)だ。本人の希望からエリックと呼ばれている彼は、舞台に必要なものを調達してきてくれたのだ。
「これだけのものを……早い、な」
「裏方……って言ったら、軍隊における兵站とか、ソンナ所なんでしょう? ならミサイルから女の子のパンツまで、何でも揃えて見せますヨ」
長田が飛鷹と話しつつダンボールを開ける。中には梱包の袋に包まれた真新しい衣装。その横のダンボールには、公演概要を伝えるチラシが入っている。それを見た彼女は、よく通る声で稽古場に伝えた。
「衣装やチラシが届きましたわよ! さあ皆さん、広告に参りましょう!」
●
「劇団青薔薇座特別公演『麗しの水晶乙女・ベアトリーチェ』、よろしくお願いします」
髪を縛ったまま男子制服を着てチラシを配っているのはディディエだ。
「どうぞ、どうぞ見に来ていらしてくださいな」
豪華なドレス姿で二階堂院もチラシを配っている。ドレスは舞台衣装ではなく、前から持っている彼女の私物だと言うのだから驚きだ。
カルロスの衣装を着た飛鷹とスズノミヤもチラシを配っていた。二人は寄り添いあうようにして、通りがかる人々にチラシを渡してゆく。
楽しげにチラシを配るスズノミヤは、カルロスをイメージした騎士の正装服の胸元に一輪の青い百合を挿し、男装をしている。そんな彼女を隣で愛おしげに見ながら、飛鷹は自分の姿を見る。
「……ユリアの男装を見てみたかったという本心は変わらないが、……何故だろうな。男という俺の立場が……」
実に楽しそうなスズノミヤを見ているとこちらも楽しくなってくる。しかしその反面、男装が見事にハマった彼女の姿に、自分の立場を見失いつつあった。
人々がチラシに目を通し始めた時、リヒャルトがカルロスの衣装で、しかし、男装は一切せずに現れた。リヒャルトの突如とした出現に、どよめき注目する人々。そんな人々をざっと一望した後、リヒャルトは歌い始めた。
「水晶のように麗しい乙女 彼女の名前はベアトリーチェ
その瞳は水晶 その髪は金の絹
今日も彼女を一目見ようと 大勢の男がやってくる
そこにはいつもの フィリップとカルロスの姿
彼らは彼女を花嫁にしようと 熱く求婚していた――」
劇を紹介する歌だ。美しい歌声と旋律で、かといって難解にはならず、万人を魅せ、その歌詞が伝わるように作られた歌。伴奏は一切ないが、音程に乱れはない。
リヒャルトが歌い終わると、辺りは拍手に包まれた。これで本番はきっと、たくさんの人が来てくれる事であろう。
●
あっという間に時間は過ぎ、本番がやってきた。
「もう客席の殆どが埋まっていましたヨ。開演時には立ち見が出ているかも知れませんネ」
客席の様子見を兼ねた大道具の最終確認を終えた長田が、楽屋へ戻って報告。
「さあ皆さん、そろそろ参りましょうか」
「そだね! さてと! 私も張り切ってリンゴンしましょう!」
すっかりベアトリーチェとなった二階堂院と、小さくガッツポーズを組んだスズノミヤが立ち上がる。
「あ、その前に――舞台の成功を祈って円陣を組みませんか?」
「円陣……いいわね」
ディディエの提案に、リヒャルトが頷く。
「せっかくセットした髪が崩れてしまってはいけませんわ。しかし――」
手を差し出す二階堂院。彼女の手の上に、六人は静かに手を重ねる。
「泣いても笑っても一度きりですわ。絶対にこの舞台、成功させましょう」
「観に来てくれたお客さんが楽しい気持ちで帰れるようにファイトー! あ、勿論私達もちゃんと笑顔で幕を閉じれるようにね?」
二階堂院とスズノミヤの言葉と意気込みの後、花びらのように重ねられた手が散る。
そしてそれぞれがそれぞれの舞台へと歩みだした時、スズノミヤが飛鷹を呼び止めた。
「蓮ならきっとだいじょぶ! 私のカルロスさん、行っておいでー☆」
「……ああ」
応援の言葉を貰い、飛鷹はここで目を閉じ、数秒だけ初心に帰る。本番で油断して失敗をせぬように。
(今まで縁が無かった世界だが、行うからには足を引っ張らぬよう演じねばな。田中……、……いや、二階堂院の劇への情熱をこの目で見てしまっては成功させてやりたいか)
目を開く。
「行こう、ユリア」
「みゅ!」
最後の二人が出てゆき、楽屋の電気が消えた。
●
劇が始まった。
暗くなり静まり返る客席が見つめるのは、舞台と、そこに立つ役者たち。そして、役者が歩む壮絶な他人の人生。その人生を彩る舞台装置と技術。
「(さてと!私も張り切ってリンゴンしましょう!)」
絢爛豪華な音楽と共に、二階堂院演じるベアトリーチェが中央の階段から登場する。
ベアトリーチェの所作もさることながら、彼女をイメージした音楽を見事に用意してみせたスズノミヤのセンスの良さも伺える。
裏方も立派な仕事であるが、楽しんでやっているスズノミヤがミキサーを操る姿はとても輝いている。
「何ていいお天気なんでしょう。小鳥たちの囀り、朝露で煌めく薔薇の花。今日も素敵な日になりそうだわ!」
柔らかな日光を再現した照明が、ベアトリーチェの上に降り注ぐ。決して強くも弱くもならず、役者と舞台を効果的に生き生きと目立たせ、アドリブにも見事に対応してみせる照明を仕込んだリアンの気遣いと綿密な打ち合わせが感じられた。
舞台では、二人の青年が両側の袖から舞台へ飛び込むように登場する。
ディディエ演じるフィリップと、飛鷹演じる一人目のカルロスだ。
「ああ、何と可憐なベアトリーチェ。お会いできたこの喜びに勝るものはない」
「我が永遠の乙女、ベアトリーチェ。次に会えるこの時を心待ちにしていた」
「まあ、フィリップ。カルロス……! ごきげんよう。私もあなた方に会いたかったわ」
三人にスポットライトがかかり、舞台全体が暗転する。三人がベアトリーチェの結婚に関する会話を交わしている間、長田が召喚したヒリュウと共に場面転換を行う。庭から屋敷の中へと。
(ヒリュウ、次はそっちの大道具を押してネ。ミーはこっちをやるヨ)
召喚したヒリュウと視覚を共有しながら転換をスムーズに進める。暗い中での作業は中々難しいが、効率良く大道具を配置したお陰で混乱はしない。
そしてスポットライトがフィリップのみへと切り替わる。
「カルロスも、悪い人ではないのは分かっております。然し、私は、彼よりも、貴女を愛している。貴女を、何よりも大切に思っている。貴女を幸福にしたい」
真面目で礼儀正しい青年が、想い人への熱い想いを語る独白。観客はその一途な姿に胸詰まらせ、フィリップという存在に感情を移入する。
そしてフィリップが空に向けて手を伸ばした時、次は反対側のスポットライトに切り替わった。切り替わったライトの下にいるのは、リヒャルト演じるもう一人のカルロスだ。
ウィッグや厚底、サラシを用いたリヒャルトの男装は、飛鷹にも化粧を施した事もあって、声で違いを判別するしかなかった。実際にこの違いに気付いている観客は、どれ位いるのであろうか。
「そうだ。ベアトリーチェの家柄は俺にとって喉から手が出るほど欲しい。しかし、それ以上に俺は、彼女を愛してしまった。今まで出会ってきたどの女よりも――」
椅子に座り、様々な思いを巡らせるカルロス。
「俺はどうすればいい。どうすれば……」
野心と愛。そのジレンマに悩む姿が、観客の息を呑ませる。
舞台転換が終了した後、照明が舞台全体を照らす。実に順調に舞台は進んでいた。
シーンを重ね、一番の見せ場である決闘が始まる。
「貴女の笑顔と共に在りたい……その為ならば、死をも厭いません。ベアトリーチェ、貴女こそ、私の全て。カルロス、そろそろ決着をつけましょう。 私と貴方、どちらがベアトリーチェを幸せにできるのかを……」
「いいだろうフィリップ、望むところだ。ベアトリーチェ、我が光。その光を手にするのはどちらか、そろそろ白黒つけたかった所だ。白き光の為ならば、死の暗黒すら怖くはない。さあ、お互いに剣を抜こうではないか――」
勇ましい音楽の中で決闘が、始まった。
練習時の綿密なペース合せのお陰で、誰もが手に汗握るアクションを魅せる。
フィリップが攻勢になればカルロスが圧倒してみせ、カルロスが優勢になればフィリップが攻め始める。そんな拮抗の中で一度距離を取ったとき、カルロスにスポットライトが当たった。
「互いの服を血で汚すように、心までも穢す……か。ベアトリーチェ、我らの戦いをその瞳に映して何を想う。何を願う。父君の言葉に翻弄されてはならない。君の未来を決めるのは君自身だ」
この決闘に関する疑問。スポットライトがフィリップに切り替わる。
「確かに彼の言う通りだ。これほど不条理な事はないでしょう。しかしカルロス。貴方が力で今の地位を勝ち取ってきたのであれば、愛する女性を力で勝ち取って見せるのも、また、道理ではありませんか」
二人が再び剣を構えなおす。その時だった。リアンの鼓膜が鉄の軋みを伝えた。
直後、ガシャンという音。灯体の一つがバトンから落ちる音だ。
「(スズノミヤ様、照明を頼みます)」
「(うみゅ!)」
高温の灯体はベアトリーチェの上に落ちようとしている。大怪我では済まされないだろう。反射的に陰影の翼を展開して静謐な客席を突っ切り、間一髪の所で灯体をキャッチ。
「(リアンさん!)」
「(二階堂院様、御無事ですね? 今は劇に集中を)」
二人にのみスポットライトが当たり、舞台が暗転したシーンで助かった。おかげで目立たず、役者も無事だ。長田が寄越してくれたヒリュウに灯体を預け、自らも照明卓へ戻った。
「さあカルロス。これで終わりにしましょう」
フィリップが光纏する。緋の大太刀を天高く掲げ、カルロスを見据える。
「……そうだなフィリップ。これで最後だ」
カルロスも光纏。足元に赤黒い蓮の花が咲き、散る。
そして、二人はぶつかり合う。
「カルロス、手を抜いたのですか……?」
フィリップは刃に貫かれなかった。しかし、カルロスは。
二階堂院が描いたラストは、フィリップと結ばれる結末。
「そんな事はない……フィリップ、ベアトリーチェ、を……」
「……貴方が私と同じく、ベアトリーチェを想っているのは、確かです。約束しましょう。彼女を、貴方の分まで幸せにしてみせます……」
愛に斃れるカルロスに向かい、フィリップは誓う。そして、涙目のベアトリーチェに向き直った。
「さあ、ベアトリーチェ、手を……」
傅き左手の薬指にそっと指輪をはめる。
ここで緞帳が段々と下がってゆく。観客は次々と立ち上がって拍手をし、随所からブラヴォーの歓声が飛び込んでくる。
さあ、大急ぎでキャストとスタッフが勢揃いしたカーテンコールの準備をせねば。
●
「お疲れ様で御座いました」
七人が再び楽屋へと戻ったとき、関係者だけでゆったりと過ごせるようにと気遣ったリアンが、とっておきのアフタヌーンティーを用意してくれていた。上品なベルガモットの香り。アールグレイだ。
スズノミヤが配ってくれたタオルで汗を拭きながらティーカップを手に取り、舞台の成功を乾杯で祝う一同。
「みゅ! ずっとこれを楽しみにしてたんだぁ……!」
すごく嬉しげに紅茶を飲むスズノミヤの隣で、皆にお疲れ、と声を掛ける飛鷹は二階堂院を呼び止める。
「良かったな……二階堂院、お疲れ。貴重な体験をさせてくれたことに感謝する。君の思い描いた劇に仕上がっただろうか」
「ええ、ええ……! ありがとうございます……!」
嬉しそうな顔で涙目の二階堂院が、皆に囲まれて感謝を言われている。
最後に、隣のスズノミヤ。
「裏方、よく頑張ったな。えらかったぞ」
ご褒美だ、と、ユリアの額に口づけ。
「うみゅ。かっこよかったよ、蓮」
こうして穏やかにゆったりと、終演後の時間は過ぎてゆく。
依頼は、成功したのだから。