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夏休みを迎えた関西某所の桐生神社では、夏祭りが開かれていた。
昼下がり、改装されたてのぴかぴかの境内で、各々屋台の準備をしている。
そんな中でも目立つのは、あどけなさも残る生徒であった。
強面のテキ屋達が準備をしている中、久遠ヶ原からやってきた生徒達はそれぞれ準備に取り掛かっている。
「おっ、久しぶりやな!」
「お前は菅野やないかぁ! 久しぶりやな」
屋台の準備をしている秋津 仁斎(
jb4940)に声を掛けたのは、斜向かいのくじ引き屋の店主――とても顔の悪いテキ屋であった。友達である。
「菅野がおるって事は藤村と但馬もおるんか?」
「おるでー。藤村はリンゴ飴、但馬は金魚すくいやるって」
話題に上がった者達も顔を見れば強面の悪人面なテキ屋であるが、大体友達である。
「じゃあこの辺りは三間さんか! 来るんか?」
「来る言うとったでー。久しぶりちゃうか秋津」
「せやなぁ。最後に会ったんはいつになるんやろうなぁ」
現在話題の中心にいる人物は腹に週刊誌を仕込んでいるヤから始る自由業のお兄さんで、まぁ人望は厚いのでテキ屋連中からは尊敬されている。問題はない。自由業なのだ。
「しっかし秋津、お前なんでまたここに?」
「屋台と聞いては黙っとれんかってん。テキ屋の血が騒ぐで!」
「そか。大学入ったて聞いた時はビックリしたけどなぁ、またお前と商売できて嬉しいわ。負けへんでー!」
「おうよ! 俺こそ負けへんわー!」
夏祭りの屋台はかきいれ時なのだ。張り切っていかなければ、どんどん他の屋台に客を取られてしまう。
「さて、と」
もう少しで屋台の準備も終わる。これの次は食材の下準備だ。夕暮れ時までにやることは、沢山ある。
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夜の帳が落ちつつある空の下、提灯と屋台の光に照らされて夏祭りは開かれる。
「どうぞ、いらっしゃいませ」
普段通りのメイド服で客を呼び寄せているのは望月 六花(
jb6514)だ。
ミハイル・エッカート(
jb0544)が『BAR不良中年部』との看板の下でスイッチを付けたのは、猫耳猫尻尾付き自走型扇風機「ひまわり君」だ。起動するや否や屋台の周りを駆け回る。その軌道上に切り出した氷を設置し、集まった客に冷風を提供する。
日本の夏は暑い。例え日が地平線の向こうに落ちた夜だって変わらない。湿度が高いのだ。それにここは人の密集する夏祭り。せっかくの祭りで楽しい筈なのに、不快指数はぐんぐん上がってゆく。
であるからして、このひまわり君は客寄せに大きな役割を果たした。心地の良い冷風を浴びようと、沢山の客が屋台前に集まってゆく。
「発明品は触っても大丈夫ですが、壊さないように気を付けてくださいね」
アナウンスを発する望月。
このひまわり君、某部員の奇妙な発明品の一つであるが、猫耳猫尻尾というどこか可愛らしいフォルムに子供――特に女児にウケていた。
「パパ、あれ欲しいー」
「申し訳ございませんが、あげることはできません」
残念そうな顔で、望月がひまわり君を指差した幼女に謝る。
「なんでー?」
「あの子は私たちの大切な友達だからです」
子供にはこう言った方が納得されやすいのだ。
「そっかー、おともだちならしゃーないなぁ……」
しゅんとしながらも、納得したような幼女に、望月は飴玉を一つ。
この屋台はバーと掲げている以上バーなのだが、今日は祭り。賑やかに飲むのもまた一興ではないだろうか。エッカートは、バーテンダーに扮している。
「おすすめのカクテルはありますか?」
品の良さそうな壮年の夫婦が、最初にエッカートに問うた。
「はい。暫しお待ちを」
一礼すると、後ろの棚に向き直る。そして瓶を一つ、二つ、三つと手に取り、シェイカーと共にジャグリング。
ただ出すだけではつまらない。待たせる間、フレアバーディングで楽しんでもらおうという算段である。
これからエッカートが作るのは創作カクテルだ。
甘みのある青いリキュールと辛口日本酒をベースにソーダを割り、シェイカーで混ぜる。透明なプラスチックのグラスに注ぎ、カットしたレモンを一切れ添える。
提灯の明かりの下でぼんやりと輝く清浄な青。飲むとピリッとしつつ、後味としてわずかに甘い香りが残る。
「『神々の戯れ』――この夏祭りをイメージして作りました」
「おお……」
夏らしく爽やかで、青空のような、深海のような、見ていて心を洗われる青に、注文した夫婦はおろか観客も嘆息する。
「わたしものみたいー!」
先ほどひまわり君を欲しがった幼女が父親にねだる。しかし当然ながら、子供はアルコールを飲めない。
「あの……すみません。何かノンアルコールのものってありますか?」
夏祭りくらい、贅沢をさせてやりたいのだろう。若い父親は、申し訳なさ気にエッカートに頼む。
「はい。少々お待ちください」
頷いたエッカートは、アセロラとオレンジのジュースの瓶を放り投げ、両手を交差してキャッチ。栓を抜く。
オレンジジュースを入れた後、慎重にアセロラジュースを入れる。二層重ねだ。そこにサクランボを乗せ、完成。
「『祭りの夕暮れ』――二層重ねで、夕暮れ時をイメージしました」
そっと幼女に手渡すと、顔がぱっと明るくなった。
「きれー……」
昼間の青ではないが、夕暮れの赤と橙をじっと見る幼女。
「お礼は?」
「ありがとう!」
父親に促され、花が咲いたような笑顔で礼を言う。
「俺も、青いやつ!」
「私はノンアルコール!」
望月が注文する客を整列させつつ、バーの隣にある小さなキッチンへと向かう。
「簡単なおつまみも作りましたから、よろしければどうぞ」
ディップやカナッペ、フライなどが並ぶ小皿。
「んんん、こっちも美味しい!」
屋台の隣に設置した小さな飲食スペースで、カップルの彼女の方が足をばたつかせながらおつまみに舌鼓を打つ。
「マスター。こっちにも一つ、おすすめを!」
そんな声が響きながら、屋台は盛況へと向かっていった。
屋台と言えば綿菓子。そんな訳で、天羽 伊都(
jb2199)の屋台は綿菓子の屋台だ。
「ひとつ!」
「あいよっ! はい」
ただし、普通にやっていたって面白くはない。だから天羽風にアレンジを加え、超高速で作ってゆく。
「すごい、はやいー!」
「これくらい、ボクにかかれば何てことないのさ!」
えっへんと胸を張る天羽。
「ありがとうー」
「また食べたくなったら来るんだよ〜」
小学生に上がったばかりであろう男の子が高速で作られた綿菓子を頬張りながら天羽に手を振る。うむ、あのような笑顔を見て幸せな気分になれるのも、屋台をやっている者の特権であろうか。
だが、屋台をやっている者だって屋台を楽しみ……いや違う。同業者の視察をせねばならない。よって向かうは敵情視察である。特にライバルの食べ物系はちゃんと確認しないといけない。驚異の味は困るからだ。
「いらっしゃい」
落ち着いた雰囲気の屋台には、台一面に敷かれた氷の上に色とりどりのフルーツの入ったカップが並べられていた。冷凍フルーツを扱う屋台だ。これを動かしているのは田村 ケイ(
ja0582)。
彼女は台の奥で凍らせた苺・ミカン・マンゴー・ベリーミックスの4種をそれぞれカップに入れては客の対応をしていた。
「ミカン一つ」
「はい」
客の顔をちらりと見る。OLだろうか。浴衣で着飾っているが、夏バテ気味なのか顔に生気があまり見られない。
「冷たくて美味しいわよ」
指先にアウルの光を宿らせ、カップの受け渡しの時にさり気なく相手の手に触れる。すると、少し顔色が良くなったように見える。
回復術だ。
「あ、……ありがとうございます」
それを知ってか知らずか、少し明るくなった顔で女性は礼を言った。
次にやって来たのは、部活帰りと思われる少年達であった。雰囲気や持ち物からして、近隣の中学校のバスケットボール部であろうか。
「この冷凍デラックスって?」
台の前にたてかけられた品書きの札を見て、少年の一人は問う。
確かに、そこには大きく冷凍デラックスの文字が。値段は他のものの倍額で、札だけでも異様な存在感を放っていた。
「大きいわよ。だって質量四倍なんだもの」
すると少年達はにわかに色めく。四倍だってよ、四倍。スゲぇな。なぁ、誰か頼んでみろよ。美味そうだって。お姉さん美人だし。なあ、誰か――
「その……あ、あの!」
好奇心が渦巻く中、真摯な声が一つ。
声の主を見てみると、少し内気そうな少年が顔を赤らめている。
「何かしら?」
「れ、冷凍デラックス、一つ」
「はい。少し待ってね」
この勇気には答えなければならない。
巨大なカップの底にベリーミックスを敷き詰め、その上にマンゴーを乗せ、その上に苺をぐるっと外枠に配置し、中にみかんを入れる。上下左右三百六十度、どこからどう見ても全点豪華主義の大盤振る舞いだ。
どんどんと解凍されてゆき、最終的には底のベリーがマンゴーの押し潰される前に完食できる強者はいるのか。無論、一人で。
そんな代物。
「どうぞ」
おおーという歓声の中、少年は田村からずっしりと重いフルーツカップを受け取る。
その時少年は感じた筈だ。少し心が軽くなるのを。
回復術に引き続き、こちらはマインドケアとなる。アウルの光で心を和らげる。
「部活はどう。楽しい?」
「え、あ、あの。えっと、その――」
「もう少し気楽に構えてもいいと思うわ」
田村は見ていた。少年達が屋台の前にやってきた時から、この少年は何も言わず、暗い顔でずっと俯いていた事を。
部活は楽しいだろうか。何か気に病むことがあるのだろうか――詳しくは田村は知らない。しかし、抱えているものを少し、例えほんの少しでも軽くする事はできる。
ここで冷凍デラックスを買ってくれた何かの縁なのだ。
癒しは大事なのだ。自分にせめてものできる事があるのであれば、それをしたい。
「祭りはまだ始ったばかりよ。今夜くらいはパーっと遊んでいきなさい」
「――はい! ありがとうございます」
先ほどより幾分か軽くなった笑顔。少年のこれからの活躍に期待しつつ、田村は次の客を迎えた。
「さぁ〜どんどん出来とるで!」
鉄板の上で油が弾ける威勢のいい音が聞こえる。ソースの焼ける香ばしい匂いが漂う。秋津の屋台はシンプルイズベスト。大阪浪速のたこ焼き、お好み、大阪風いか焼きを扱う屋台。
ザ・夏祭りの屋台と言った所で、驚異的な調理スピードと客捌きで形成されてゆく行列を片っ端から消化してゆく。
大阪生まれ、粉もん育ちの実力は伊達ではない。
背後にどっしりと構える巨大な送風機で、ソースの焼ける匂いをエリア全体に広げているのも一因であろう。無差別飯テロとでも言えばいいのか。とにかく、破壊力が凄い。
「あの屋台ヤバない?」
「めっちゃヤバい。……なんやアレ」
「ごっつ美味そうやねんけど……」
「お父ちゃん、あれ食べたいー」
列に並んでいる客はおろか、遠くからその様を見ている客にだって引火、そして誘爆が繰り返されていっている。
「あ、あの! それ、ひとつ!」
小銭を握り締め、鉄板の前で輝いた目をする唯・ケインズ(
jc0360)も、この飯テロの被害者となった。
初めての夏祭りであるケインズは、どこの屋台も薔薇色に見え、何と言ってもここが一番魅力的に見えた。無理もない。
「おおきに! 熱いから気ぃつけや」
「すごく美味しそう……! ありがとうございます!」
お好み焼きの入った皿を受け取ると、ケインズはそろそろ自分の屋台へと帰ってゆく。そんな彼女の背中を見ながら秋津は、そろそろ第二段階へと移るか、と考え始めた。
「さぁ寄ってって、見ていって〜!」
メガホン片手に法被とねじりはちまきを装着した強欲 萌音(
jb3493)は、コイン型のチョコレートの山の前で客を寄せる。
この屋台は射的。このチョコレートの山に弾を撃ち込み、崩れた分だけお持ち帰りができる斬新なものだ。
ぱん、という乾いた軽快な音と共に、チョコレートの山の一角が崩れる。
「はい、どうぞ〜」
崩れたチョコレートをざっくりと掴み、袋に詰めて手渡す。受け取った大学生のグループは、早速銀紙を外してチョコレートを食べる。
「メロンや」
「こっちはミルクやで。冷えててうまー!」
「んー! ホワイトチョコやん。めっちゃ好きー!」
「イチゴジャム入ってる! これはこれでアリやわ。いける〜」
どうやら『当たり』を引いたらしい。
そして、『当たり』があるという事は勿論、『外れ』もある。
「うごっ! 何やコレ!」
それは激辛ペース入りのチョコレートである。
「かった〜……! 噛まれへん……」
「ふっふっふー……いいものがあたるといいっすねぇ?」
黒い笑いを浮かべつつ、様々なチョコレートが混ざった山を背後に再度意気込む。
「(うおー! 儲けるっすよ!)」
それからメガホンを持ち直し、通りに向かって叫ぶ。
「さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! コインチョコ崩し射的っすよ〜!」
威勢のいい強欲の声が、夏の夜空の下で響いた。
「何作ってるの?」
天羽が立ち止まったのは、美味しそうなソースの匂い漂う秋津の屋台である。先ほどから客がひっきりなしに訪れ、遥かにいい回転率で回っている。
ただ、今は粉もんではなく別のものを作って販売している様子だ。
「学園最強パティシエの称号もらっとんねんで、甘いもん用意してないわけがあらへんやろ?」
「ふーん……」
顔に見合わず意趣を凝らした甘味を作ってゆく秋津に、天羽は不審な目をじっとりと向ける。人というものはつくづく不思議なものである。
「何や、欲しいんか。なら一つやるわ。ちょうどええから味見してみ」
「ち、違う! 別にそんなんじゃ――」
否定するが、ずい、とスイーツを押し付けられる。これはたこ焼き型シューアイスだ。
「……いただき、ます」
無駄にする訳にもいかず、しぶしぶと、一口。
「もふぉっ!」
びしゃーんと雷が落ちてきた。
暫しの硬直。それから、わなわなと震えだす。
「うっ……うっ……」
「どや?」
「うまい!!!!」
思わず目が輝いてしまう。
何だこの美味さは。
外はカリッ、中はフワッとしたシュー生地が、ソースをイメージしてかけられたチョコレートの甘さが舌を刺激したと思えば、次は濃厚なバニラアイスがやってくる――過程としてはそうなのだが、いざ感想となるとただ一言、『うまい』しか言えなくなる。
丹念に作り上げたのはたこ焼き型シューアイスだけではない。お好み焼き型パンケーキ、いか焼き型クレープ……関西人だけでなく、他の地方、いや世界の人間を魅了してしまいそうな美味さ。五つ星レストランのパティシエだって、この味は容易に作れまい。
学園最強パティシエの名は伊達ではない。
この男、料理スキルがバリ高い。
「こっ、この、ここのやつぜーんぶ! 全部一つずつちょうだい!」
ハムスターやウサギを連想させる食べ方でシューアイスを完食した天羽は、横一列に並べられたスイーツに沿うようにしてずらーっと指を差す。
ミイラ取りがミイラになる――そんな感覚は、スイーツを味わう天羽にはなかった。
食欲をそそるスパイスの香りがする。
インドの音楽と共に、店先でカレーを作る褐色の肌の美人。
「いらっしゃいませ。よろしければ食べていってください」
バンジャビードレスで客を迎えるのは、Maha Kali Ma(
jb6317)。彼女の頭上には、『本格カリー店』の看板。奥に飲食のスペースも構えた、カレーの屋台である。
屋台の案を色々と考えたが、ここは神社。神様がおわす場所なのだ。余り奇天烈な事をするのは気がひけた。
よって、真面目に本格カレーの屋台をすることにしたのだ。
店先で何よりも目につくのは、タンドールと呼ばれる粘土製の壷窯型オーブンだ。インド料理などでは必ずと言って良いほど使うもので、今回は神社側からOKが出たのでレンガを組んで作ったのだ。
それともう一つ。串に刺さった巨大な肉の塊だ。これはケバブの肉である。タンドールと並んで、インパクトが大きい。
カレーの屋台と言っても、そのメニューの種類は多岐に渡る。本格の看板に偽りなどなく、
「ケバブ一つ」
「はい」
肉を削り、サラダと共にパンに挟んで客に渡す。
その鮮やかな手付きはMaの中東美と合わさって妖艶に見える。それに惹かれてか料理に惹かれてか、それともその両方なのか、客足は絶えない。
「Ma様。あたいも何か食べたいっす」
そこに、腹を減らせた強欲が訪れる。屋台の方がひと段落したらしい。
「こちらがメニューになります」
待つ人のために創られた、ミネート加工のメニューを強欲に渡す。
「えっと……」
まずカリー。カリーはダル、マトン、ビーフ、海鮮、サグ、キチン。辛さはそれぞれ五段階。さらにドリンクがあり、こちらはティー、チャイ、マサラチャイの冷温がそれぞれ。それにラッシー、マンゴーラッシー。さらにケバブ、タンドリーチキン(プラウン)、パバド、ナン。
――屋台という範囲を超えたラインナップの豊富さである。
そして、未知の単語も多い。
「えっと……ダルって言うのは何っすか?」
「レンズ豆のカレーです」
「サグは?」
「ほうれん草のカレーです」
ついでに言うとマサラチャイは香辛料と共に煮出したインド式のミルクティーで、ラッシーとはダヒーというヨーグルトの一種をベースに作られるドリンク。タンドリープラウンはタンドリーチキンのエビ版であるし、パパドは極薄のクラッカーのような食品である。
日本では中々聞きなれない単語の連続であるが、上品で魅惑的なスパイスの香りでそれら全てが美味しそうに感じる。いや、実際、屋台の奥で食べている人たちの顔はとても幸せそうな顔をしている。
「じゃあ……これとこれとこれ!」
「わかりました。少々お待ちください」
メニューを指差して注文をした強欲に、Maは聖母のような微笑を向けた。
しかし美味しそうなインド料理の数々も、そろそろ準備していた分が無くなる。思っていたよりもずっと早い消化に満足しつつ、Maはこれが終わったら他の人の屋台も見に行こう、とふと思った。
可愛らしいメロディが鳴り響く屋台がある。『アイドル屋。』と掲げられた一風変わった屋台は、学園のアイドルである川澄文歌(
jb7507)のサインや握手が受け取れる屋台となっている。ステージには、「屋台で会えるアイドル♪」とペンキ文字。
動画を流しつつ、学園制服風アイドル衣装で接客をする。
物珍しさから屋台を覗きにきた客に、川澄はアイドルの微笑みを振り撒く。相手を友好的にする雰囲気で、列がどんどん形成されてゆく。
「皆さん、アイドル川澄文歌をよろしくです♪ 」
アイドルという存在を目の前に、男も女もメロメロである。アイドルという存在は画面から見るよりも、実物のほうが格段に可愛いのだ。
だが、物珍しさというものはすぐに消化されてしまうもの。
(お客さんが減ってきたわね……)
慣れてきたのか、列は形成されなくなり、客の出入りもまばらなものになってしまった。
ならば。
ステージに登る。
『みなさーん、こんばんはー! この夏祭り、楽しんでいますか?』
マイクを使い、通りに呼びかける。
『私、川澄文歌が皆さんの夏祭りの思い出の一ページになれるように、心を込めて歌います』
そうだ、アイドルというのは歌って踊れる存在。さらに言うと川澄は様々なスキルを身につけた撃退士でもあるのだ。ダンス・音響芸術・舞台美術のスキルをフルに搭載して活用した最高のパフォーマンスを提供できる。
『それでは聴いてください。「夕暮れをあなたと」――』
メロディが流れ始める。
それと共に、通りの人々の足が止まる。
「私のパフォーマンスを見て行ってくださいね♪」
ばっちりとウィンク。
イントロが終わり、歌が始る。
すると、徐々に人が集まってゆく。それはまるで、腕利きの路上ミュージシャンのように。手拍子や合いの手なども入り、どんどんヒートアップしてゆく。終いには、どこから取り出したのかサイリウム片手にオタ芸を打ち始める者まで出現した。
曲が終わると、豪雨のような拍手と歓声が。
「ありがとうございますー! この後、すぐに握手会をしますので、よろしければみんな着てくださいねー☆」
裏に戻って軽く汗を拭い、水分補給を素早くした後、表に出る。
けれど、思っていたものとは違う光景が広がっていた。
列形成が上手くできず、客同士でいざこざが発生したのだ。
イベントでは柵があったりスタッフがいたりと本来は無いはずなのだが、ここは川澄の身一つで躍り出た夏祭り。無理もない。
「はーい,お痛はダメですよ☆」
容赦はしない。自分の髪の毛を伸ばし自在に操る幻影を見せ、いざこざを起こした客を圧倒させる。
「私のファンの人は、ちゃんと言うこと聞いて、順番に並んでね♪ 」
可憐なアイドルの微笑みに、何かを感じ取った者はどれくらいいるであろうか。
「「は、はい……」」
いざこざを起こした客は脂汗をだらりと流しながら、形成されつつある列の最後尾へと向かった。
よし、これからが第二ラウンド。張り切っていかなければ。
もう一つ。変わった屋台が。
ケインズの屋台は、屋台と言うよりも舞台である。お金を貰い、ケインズが得意とするヴィオラで、客が希望する曲を演奏する。生身のジュークボックスとでも言えばいいだろうか。
やや世間知らずで生粋のお嬢様であるケインズは、『普通の』屋台を知らない。だから、ケインズはケインズのできる事をしたのだ。
「それではブラームスのソナタ二番を」
ケインズの前に置かれた上品な絵の入った小箱に、五百円玉が入れられる。頼んだ人物はMaであった。屋台が早く終わったMaは思っていた通り、屋台を見物していたのだ。
「……はい! ブラームスのソナタ二番ですね」
ヴァイオリンより低く、チェロより高く。それらの中間と言った楽器がヴィオラである。マイナーであるが、その音色は絶妙な低音であり、聞きやすいが味と深みのある滑らかな音が出る。
そしてMaが頼んだ曲は、静かな湖畔の夜を連想させる曲。本来はピアノの伴奏があるが、本日はケインズのみなのでピアノの伴奏部分はカットだ。
突然のリクエストにも関わらず、ケインズは流暢に引いてゆく。その様は静かな夜の湖畔の上で優雅に踊る妖精を連想させた。
誰もが息を呑む優雅な演奏。騒々しい夏祭りの場に静けさを作る、一滴の冷たい水。大声で客寄せをしていた屋台の店主ですら、黙って聞きほれる。
「……以上です」
引き終えたとき、ブラヴォーの声と共に拍手が送られる。そして、次々に小箱に金が投じられる。
「ありがとうございます。他に、ヴィオラで聞きたい曲はありませんか?」
ヴィオラは毎日練習している。聞き覚えのある曲ならば、ポピュラーソングだって弾ける。
「じゃあ――」
客のリクエストにケインズは微笑み、ヴィオラを再び構えた。
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「お疲れ様でした」
祭りも終わり、閑散とした境内で撤収作業をされてゆく屋台達。
そんな中で、片付けを手伝いながらも望月はオリジナルカクテル『神々の戯れ』をエッカートに差し出す。これは彼女が作ったものだ。
「ああ、ありがとう」
エッカートはタオルで汗を拭った後、カクテルを受け取る。
「終わりましたね」
「そうだな。終われば呆気ないものだ」
カクテルを飲む。ピリっとしつつも甘い後味。やはり仕事の後の一杯は最高だ。
ぼんやりと提灯が闇を照らす、上の上。まばらに光る星空で、流れ星がキラリと煌いた、そんな気がした。
【了】