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「あまり一度に持つと落とすだろう。書籍というものはね、こう見えて意外と重いんだよ。階段を登る時は何回かに分けて、絶対に無理に持ちすぎないようにすること」
書庫の入り口付近に形成された本の山を前に、井筒 智秋(
ja6267)は注意を促す。それに頷いた一同は本をおおまかな分野ごとに分け、ブックトラックに積み上げてゆく。
まずは本を修繕が必要なものか・そうでないのか、また各自が担当する分野に沿って分ける。作業を効率良く進める為だ。
書庫の入り口付近にあたるため冷房があるが、それでも井筒の言葉通り書籍というものは重い。えいさほいさと何冊か積み上げて数回運ぶだけで汗が出てくる。流石は書庫入りする本であろうか。とにかく大判でページ数があるものも多い。
修繕が必要な本は書庫の受付に渡し、これから各自希望の分野に沿って整理作業に入る事にする。
「あの、地図を見せてもらってもいいでしょうか?」
「あっ、俺も見せて見せて〜」
「はい……どうぞ……」
ダリアに地図を見せてもらっているのは城前 陸(
jb8739)と某 灼荼(
jb8885)だ。
「何かご希望が、あるのですか……?」
「俺はどこでも良いけどな〜……実用書とかが良いかも。科学とかでも良いかな〜。いやさ、分類ってほら、シールとか色とかで大体分けられてるイメージなんだけどねぇ……?」
分けておいたら、どこが多いとか分かるから後で援軍に行きやすいよね〜ってことで。と続けた某は、早速本を運ぶ望月 紫苑(
ja0652)が抱えている本の三分の二を持つ。女の子には積極的に手伝っていきたいのだ。
「あらァ、でも一々人に聞くのは面倒でしょう? コピーしたものがあるから持って行きなさい」
そう言って黒百合(
ja0422)が皆に配ったのは、地図のコピーにわかりやすい書き込みがされたものだ。この辺りに大判本が多く仕舞われている・この本棚は文庫から新書のみを置いているなどと言った細かいコメントなどもあり、分類作業がはかどりそうであった。
「私はどこをすればよろしいでしょうか?」
「えっと、じゃあ……ここを……」
担当する分野が特に決まっていない望月 紫苑(
ja0652)は、空いている分野をダリアに聞く。
各自、準備と知的好奇心を十分にし、そして書庫の整理へと向かった。
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各地の大規模な戦場は小休止な感じであり、これから夏休みでもある。それに、勉強する為の本借りようかなって思っていた龍崎海(
ja0565)にとって、この依頼は渡りに船のような存在であった。
だが、しかし。
「暑いな……」
人の出入りが少ない書庫に空調設備はない。よって夏は暑く冬は寒い。湿度も高ければ温度も高い。しかも本棚が密集する閉塞空間では、なおさら体感温度が上がる。扇風機が置かれているが、空気の攪拌が主である扇風機では些か役不足だ。ぬるい風しか送ってこない。
開架とは真逆の環境に、龍崎はタオルで額の汗を拭う。首筋に冷却ジェルシートを貼っているものの、こう蒸し暑いと効果が薄れていってしまう。
龍崎が担当するのは化学と医学の分野だ。
「まぁでも、この辺は普段から手に取ったりしたりするから整理し易いかも」
ブックトラックに入れた本を一冊手に取り、タイトルと分類シールを見る。
「この本は……後で借りようかな」
これに参加した理由はもう一つ。勉強したい部分の本があったらそのまま借りたりするとかありかもしれないからだ。
メモをして、またブックトラックから本を取り出した。
ようやく自分の担当箇所である、民俗学および古書系統の本を全て運び終えた井筒は、溜息を吐いた。
「全く、この学園には一体いくつの図書館があるんだか……」
久遠ヶ原には、ここ本館、そして大小様々な分館が島の各所に散らばっている。分館と言っても書庫を抱えるものだって少なくはない。その総数たるや誰も知らないと専らの話で、分館を本館と間違える者もいるという。
これでは、目当ての本を探すのにも一苦労である。
「はぁ……」
井筒は呆れながらも、滑らかな手付きで本を仕舞ってゆく。
小分類ラベルに沿って更に小分けし、書架には大凡指二本分程度と少しの余裕をもたせて収納。これで本は取り易い筈だ。
「これは――」
気になった本はメモに走り書き程度で記し、これが終わり次第借りに行くつもりだ。
図書館の数は多い。しかしそれは、純粋に蔵書量が多い事も示している。そしてここは最大の規模を誇る本館。飲み込んだ本の量は、どこよりも多い。
この知的好奇心をここぞとばかりに刺激する本の山に、井筒はメモを走らせつつ整理の作業に徹した。
「これは……ここか」
上下巻やシリーズなどの抜けがないか。破損や酷い汚れなどがないか。図書カードなどが揃っているか。管理タグ等がなく、投棄と思われるものがないか――など、細かく鍔崎 美薙(
ja0028)は確認しながら、本を選り分けてゆく。
修繕が必要な書籍は始めの時に分けておいたが、あくまでもそれは人目でわかる限り。細かく見て欠品や問題書物があれば、蔵書名と管理タグをメモして司書に伝えられるようにせねば。
鍔崎は神道に従事する身なので、それらに類するもの古今東西の神秘学はそれなりに馴染みが深い。よって彼女が担当したのは神道霊学の分野。
流石は天魔を相手にする撃退士の学園。
その量たるや、豊富という域を超えていた。しかし鍔崎はそれに怯まず、着実に仕分けし棚に収めてゆく。
彼女のスピードを確たるものにしたのは彼女の知識である。
この手の書物は似たり寄ったりに見えて、まるで逆の解説をする本も多い。それらを仕分けるのであれば、多少の知識が在る方がはかどりやすい。この蔵書の量を相手にどの程度役に立つかは判らなかったが、結構役に立っている。
そして彼女はまた別の分野も担当している。興味のある刀剣類と料理である。幸いにも神道霊学の分野の棚から近く、片付けはしやすい。
特に刀は。
鍔崎の生家は刀を持つ戦神を奉じた神社で、刀剣を大事にする習慣がある。よって彼女は刀への造詣が深い。
「おお、この刀身はまた見事なものじゃな。カラー解説とは良いものじゃ」
知的好奇心に駆られたのと内容の確認のために開いた図鑑に写された刀身にうっとりとする鍔崎。しかし――と首を横に振る。
「惜しむらくは、この写真の大きさでは刃紋の美しさが千分の一も伝わりきらぬことか 」
恐らくこの刀は、穏やかに波打つ海のような波紋が殊更に美しい刀であろう。実物は――比べ物にならない程の出来の筈だ。せめて実物大であれば良かったのだが、様々な物を集めるという図鑑の性質上、それは難しい。
ならばと気を直し、料理の本へと向き直る。
「うむ、今後の参考に出来そうな書物が多そうじゃな」
特に――
「この3分で出来るお手軽スイーツと、最高級料亭の技なる料理本は良さそうじゃの 」
薄めのカラー図版本と、分厚い大判本。
「今度『混ぜて』試してみるとしよう」
芸術とは、爆発である。
「おっといかん、読みふけっては時間がすぎてしまうのう。きびきびとまとめねばな 」
本棚との接触に注意しつつ、黒百合は縮地や翼を駆使して、本棚から溢れ出ている本を回収。持参した買い物カゴに入れてゆき、召還したヒリュウに持たせる。
彼女の担当する小説・文庫・童話はとにかく量が多い。求められているのはスピードであり、目下は回収からの集積が目的となっているのだ。
一通りそれにも目処がついた後、自分達が築き上げた本の山を目の前にする。
「きゃはァ、これは整理整頓のし甲斐があるわねェ……綺麗に片付けてあげるわァ♪」
意気込むと、本棚に五十音の順番に入れつつ整理整頓。場所の入れ間違いを無くす為に五十音の順番を紙に書いて、マスキングテープで貼り付けておく。
作業の効率化を図ったお陰か、それとも彼女の処理能力が高いのか。ヒリュウの手伝いもあって、あっと言う間に片付いてゆく。
取りこぼしがないか再度確認し、掃除用具を持ち出して本棚の埃やゴミを払い、窓を開けて空気の換気を行う。
「本当は除湿設備があればいいんでしょうけどォ……今は室内の空気を入れ替えてあげる程度しか出来ないわねェ……」
溜息一つ。
開架を人の寄せ付けないものにさせないため、こういった書庫は必要であろう。しかし、こうも逼塞した空間であると、人間どころか本にも毒な気がしてならなかった。
そういえば、休憩のためにお茶とお団子を人数分持ってきたのであった。本館のロビーならば飲食は可能であるし、クーラーの利いた書庫入り口に置いてきているので、それを皆に配っておこう。そう思い立った彼女は、片付いた書庫を後にした。
書庫でも、頻繁に使われている場所がある。
その分野とは、天魔関係資料と報告書のコピーが保管されたエリア。ここを担当するのは鴉乃宮 歌音(
ja0427)。
天使か冥魔か ・ファイルの大きさ ・ファイル名、そして元から整理されている棚を参考に、仕分けて入れる。
勿論、 ラベルの剥がれ等を見つけたら作って貼り直す。ここは頻繁に使われているためか閲覧用のテーブルがあり、修繕作業はしやすかった。
それに、内容確認がてら資料を読むことで相手を知れる。
こんな天使がいて、こんな悪魔がいて。知識として詰め込んでおくだけでいい 。おぼろげでもいつか役にたつものだ。
住んでいる世界が違うだけ 。あちらが攻め込まなければこちらだって何もしない。
ふと思う。
「異文化交流を、してみたいものだ……」
そうしたら、ここのロビーで紅茶を淹れながら、天魔人間なんて関係なく、和気藹々と語り合えるのであろう。
――いつか、叶うだろうか。
歴史書を担当するのは城前だ。
ブックトラックに入れておいた本を日本図書コードにそって整理してゆく彼女は、途中、タイトルや表紙などで気になる本と出会う。
タイトルは『歴史の観点から見た歌舞伎』。どうやら、歌舞伎を歴史書の観点から扱った本らしい。表紙も凝っており、歌舞伎役者の隈取の横には『正義の役で』との記述。
――気になる。いやしかし、今は仕事の真っ最中なのだ。
「でも、ちょっとだけなら……」
試しに見てみる。チラッとだ。
「ほうほう……」
一ページ目……そして、二ページ目。
そこではっと我に返り、タイトルをメモ。
後で借りに行こう。危ない危ない。
しかし担当を歴史書にしてよかったとつくづく思う。何故なら、歴史書は少し気になるが読み込むほどではない分野だからだ。もし担当が科学書、医学書ならば、仕事が手につかないところであった。
「仕事、仕事!」
軽く意気込んだ後、再度作業に取り掛かった。
望月は本の内容に興味を示す事は無いので、誰も担当が居ない分野――今回は、産業系の書籍を整理していっていた。
とは言え終始眠たげで時々欠伸をし、本を持って書庫の中を移動する時も常にふらふらとしているが、特に危なげなく本の整理をしてゆく。
本を読む事も、興味を示す素振りも一切見せず、ただ黙々と。
「……本をベッドにして寝るのってどんな感じなのかしら?」
ぼんやりとそんな事を考えながら、小難しい産業書を分類シールごとに分ける。
するとどういう事だろう。体が勝手に仕分けの際に本の触り心地、硬さや厚さ等を全て確認し、ベッドに最適な程よい感触の本がどの本棚に多いのかを把握してゆくではないか。
「……ここは、後回しね」
特に布張りのハードカバーは程よい感触だ。こちらの専門書系は後回しでいいだろう。そして、それ以外の本棚を終わらせて残りの時間を確認し、残りの本をどの位で収納できるかを計算。
「時間がありますね……」
時計を見ると、まだ時間が有り余っている事を示してくれていた。これなら、三十分以上寝ても問題はないだろう。
そこで、残した本を並べて即席のベッドを組み立てて扇風機を寄せて首を固定して、タオルケットを広げる。一眠り。違う、これは休憩なのだ。
「書庫で寝るのも中々良いものですね……」
ぬるい風と言っても、間近で当たればそれなりに涼しくなる。この涼しさに心地よさを覚え、望月はあっさりと意識を手放した。
「〜♪〜♪」
携帯音楽プレイヤーで音楽を聴きながら、鼻歌交じりに実用書を頭文字に仕分けてゆくのは某である。書庫の天井は低いので長身の彼は頭上に注意しつつ、作業を続ける。
だが、扇風機はあれど元々の暑さのせいで集中は長く続かない。
こまめにロビーに出てはスポーツドリンクを飲んで水分を補給する。何度目かの休憩の時、鴉乃宮が紅茶を淹れていたので頂きつつ、黒百合がくれたお団子を食べたりもしていた。
それでも暑いことには変わりがないので、冷却シートを貼って書庫に入っていた。それなりに快適である。
仕分け作業を一通り終えると、本棚に収める作業に移る。天井は低いが、手の届かない所というのは存在する。そこは高さに注意しつつ翼で飛んで収めた。
仕分けをしていたお陰か本棚への収納作業は思いのほか早く済んだ。つまりは、片付け完了という事だ。
「さぁてと――」
見繕っていた本を、後の片付けの事も考えて三冊出す。
「お楽しみの時間だね〜っと♪」
見繕った実用書と言っても内容は様々であった。要するに全部が知識になるんだから、どれだって良いのだ。
そう、書庫は知識の庭園。されど手入れをしなければ、荒れ果ててしまう。
だから、手入れをした。
今はどうだろう。
暑い中の努力は、目に見えた成果となった。
庭園は、整えられたのだ。美しく、端整に。
【了】