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久遠ヶ原にある高級マンションの地下。そこは風変わりな金持ちが運営する広大なホールがある。今宵はそこが、一夜限りの幻想の舞台となる。
「こちらホール。客が入ってきた。俺はそろそろ出る」
無線機のイヤホンからミハイル・エッカート(
jb0544)の声が流れてくる。それにスタッフの腕章がついたタキシードを着たクレメント(
jb9842)は、了解と短く返して仮面を着けた。
「私もそろそろ出ます」
ウェルカムドリンクの入ったグラスが並べられたトレーを片手に、薄暗いホールへ出る。そこでは、正装の胸元に一から十の数字が振られた星座のカードをつける仮面の客達が。
星座のカードは十二星座かける番号が十の百二十枚。企画の趣旨からキイ・ローランド(
jb5908)が考案したものだ。コミュニケーションツールとして、また、運営をスムーズにするためのツールとしても利用されるのだ。
「お飲み物はいかがですか」
相手の手元を見つつ、笑顔を絶やさずにドリンクを渡してゆく。
客の手元には薔薇の花。これは成人かどうかの識別票であり、受付での身分証提示の際に星座カードと共に渡すものだ。葉付きなら成人、葉なしなら未成年と割り振られる。
葉があるなら、軸の部分に花の彫り物のあるグラスを。逆にないなら、蔦とアラベスクの彫られているものを。他のスタッフにも伝えた通り、これはアルコールかノンアルコールの二種類のドリンクをトレーに乗せるため、混同しないための目印だ。
全てが幻となるこの場所では、露骨な分け方は好ましくない。
「皆さん元気かな〜? 今回DJ を務めさせていただきます、YA☆TA☆GA☆SHUで〜す♪よろしく!」
薄暗いホールがミラーボールでまだらに照らされる中、キュッキュッキュキュというレコードのスクラッチ音と共に陽気な声が響く。
ステージ横にある機材に囲まれて、ずっと見ていると元気になりそうな明るい配色のカラスのマスクを着けた五月七日 雨夏(
jc0183)が、機器のスイッチを入れた。するとテンポのいいギターが特徴のロックが流れ出す。
「懐かしいな」
ダンスパーティーが盛んな米国出身であるエッカートは、シンプルな仮面を着け直して呟く。
しかし、今時の若者の流行はわからん――「これが今の若いコにはウケるんだってぇ」との春夏冬の口車に乗せられ衣装のコーディネイトを任せたのが間違いだったか。
――兎にも角にも、店オープン時は客のノリが悪い。最初にホールで踊るのは勇気がいるからだ。それに、どうしても盛り上がりに欠ける序盤では、用心棒の仕事はあまりない。
そこでエッカートが米国仕込みのステップ、ムードを牽引する。
ステージで、誰もが一度はやってみたいムーンウォークを披露。前進の歩みなのに後進するという技をなめらかに、かつ自然にやってのける。
さらに難しいステップ。こちらはスキルに頼っていると思われずに、光纏を押さえてスキルを発動。
「わーい、すごいよー★ミ ふゆみ、こんなの着たことないよっ……カンゲキ!」
ダンサーを務める新崎 ふゆみ(
ja8965)は、スタッフルームの影から盛り上がってきたホールを横目に見、きらびやかなドレスを着て喜ぶ。彼女は貧乏な家庭の出なので、こういったものに一切縁がなかったのだ。
「あ、あたしにはこんな可愛いのはちょっと……似合わねぇと思うんですけど」
一方で木賊山 京夏(
jb9957)は、用意された衣装の裾をちょこんとつまんで、姿見と交互に見る。
『まぁ最近色々あるみたいだけど、今は気にしないで行きましょー! さあ、今日のダンサーは一味も二味も違うわよ〜! 出っておーいでー!』
木賊山の心の準備はまだできていないのだが、もう出番らしい。陽気な五月七日の声がそれを告げているし、飛び出して行った新崎の冗談交じりの紹介も聞こえてくる。
「やるしかない、か」
落ち着いた配色のマスクを着け、ホールへと踊り出る。
「うふふ、とっても楽しそうね」
きらびやかな装飾のヴェネツィアンマスクで目元を隠した紅 貴子(
jb9730)は、紅のドレスを着てヒールを鳴らす。
そして辺りを見回し、舞踏会だし社交ダンス系統だろうと思っていたらDJがいる上まさかのクラブ系なのかと気付き驚愕した。 一応踊れるだろうが、少し個人的に練習していたというのは内緒の話。
「さぁ、次の曲は皆の大好きな此方ぜよ〜! ガー君ディスクセット!」
召還したヒリュウのガー君にレコードを渡し、新たな曲をかける。この曲は事前のアンケートや設置したリクエストボックスを基にして選んだ曲だ。自然に客の動きものってくる。
そこで木賊山が曲に合わせてブレイクダンス。『大したレベルではない』とは本人の談であるが、実に巧みに踊る。
仮面越しの笑顔と歓声が、場から溢れ出してゆく。
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盛り上がってきたら、一度休息を取りたくなるのもまた心理。
バーテンダーの服を着てオペラ座の怪人のマスクで顔の上半分を隠す砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)が切り盛りするバーも、盛況となりつつあった。
並べられている様々な酒の銘柄や材料を暗記しているお陰で、スムーズに客にカクテルを出せる。
「仮面の下の貴女をイメージしました」
たくさんのアメシストを詰め込んだようなカクテルを、静かに差し出す。
「『バイオレットフィズ』――二月の宝石と同じカクテルを、二月生まれの貴女に」
「あら……綺麗」
ホールの淡い光に透かすと、ぼんやりと上品な紫の反射が映る。思わず溜息を吐く。
「ねぇマスター、俺らにも何か作ってくれよ」
「はい。少々お待ちを」
次は団体での注文が来た。数は七。ならば。
七つのカップに色のついたリキュールを一色ずつ入れ、何の迷いもなく重ねた。
「それでは虹をご覧に入れましょう」
横一列に並べたグラスの上に、重ねたカップを掲げる。すると重ねたカップは僅かに湾曲するためカップ同士の隙間が生じ、そこからリキュールが流れ出てグラスへと零れ落ちる。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――虹のリキュールが出来上がった。
思わず歓声。
「虹のような、お客様方に」
これはフレアバーディングの技術の一つだ。
「……俺にも、何か、カクテルを」
ぶっきらぼうに申してくる少年。腕を見る。葉どころか、薔薇の花も見当たらない。あれは外そうとすると千切れるようになっているので、薔薇の意味を悟って取り替えようとすれば一目瞭然なのだ。
「お客様には、飲食物の購入に必要な薔薇の花がありません。申し訳ございませんが、再入場をお願い致します」
「何だって……うわっ!」
少年が砂原に掴みかかろうとした瞬間、逆に首根っこを掴まれた。その背後には、木賊山の姿。
「羽目外すのは結構。でも、外し方も知らないようじゃ、こうやって楽しめない一晩を過ごす事になる。第一、酒なんてそんなに美味しいものじゃないって。そんな事よりダンスの方がを楽しもうとは思わない?」
曲は社交ダンスのものへと変わっている。少年を下ろすと、木賊山は軽く笑う。
「酒はいつでも飲めるけど、今この舞踏会はきっと此処だけだ。良ければ私の相手をしてよ」
つまり、相手が必要となる。それを彼女は、客の一人から引っ張り出そうとした訳だ。実に仮面舞踏会らしい、穏便な解決の方法である。
木賊山は少年の手を引くと、ダンスフロアへと誘った。
姉貴分たちについてきたのはいいものの何をしていいのかわからず、手持ち無沙汰に壁の花となっている少女が一人。背丈からして、初等部の低学年か。
「ねぇ、そこの君」
スーツに狐の面を着用しているローランドは、すっと差し出した手を指差し、静かに握る。
「?」
少女が首を傾げた次、ゆっくりと手を開くとその手のひらの上にはキャンディが一つ。
「すごい!」
「あげる」
彼が微笑むたび、解いた艶やかな黒のストレートヘアが揺れる。
「おんなのこ?」
性別を偽るつもりはないのだが、勘違いされるのは仕方が無い。特にこの年だと、髪が長い人物は自然と少女にカウントするのだろう。さらに仮面舞踏会という趣旨なのだから尚更だ。
「ううん、自分は男だよ。――そうだ、一緒に踊らない?」
ローランドの役目は、こうして退屈そうにしている子供の参加者の相手となる事。ダンサーも兼ねたサクラであり、ローランド自身、社交ダンスなら男でも女でも踊れる。
少女の手を取り、彼女の技量に合わせてゆっくりと踊る。
「これで自分らも大人の仲間入りかな。どう? このパーティーを楽しんでるかな?」
「うん!」
先程とは打って変わって楽しそうな声。これを聞く為に、ローランドは踊るのだ。
「そこのお兄さん、あっちで一曲踊りませんこと……?」
艶やかな声で、紅は男をダンスに誘う。どうやら奥手なタイプらしく、「え」とか「あの」とかを繰り返しながら、「踊れないんですけど……」と申し訳なさ気に言った。
「せっかくの舞踏会よ? 踊らなきゃ損だわ。……大丈夫、分からない事は私が教えてあげるから今夜は存分に楽しむと良いわ」
せっかくの舞踏会だし、どうせなら皆に踊って楽しんでいってもらいたいのだ。教えてあげたりリードしてあげたりするのも楽しいかもしれない。
「じゃ、じゃあ……」
差し出された手を引き、ホールの中へと入ってゆく。
「あの、踊ってくれませんか?」
新崎は男から社交ダンスの相手を頼まれた。きゃっきゃと色めきつつ、同い年の恋人である『だーりん』の顔を思い出して後ろめたくなるが、
(だ、だって、これはお仕事なんだよっ……アルバイトなんだよっ、ゆるしてねだーりん★ミ)
と言い聞かせて踊ることにする。
そんな時、エッカートは遠くの壁で場の雰囲気を楽しんでいる春夏冬へ無線を入れる。
「……お前もそろそろ踊れ。俺も頃合を見て入る」
『おっ、出番か』
イヤホンから聞こえるのは、意気揚々とした春夏冬の声。
「好みの女の子だけでもいい。誰もがすぐに踊れるわけじゃない。誘われて来て、場に慣れない子のエスコートを頼む。好みの女の子だけでも構わんぞ」
『お、言ったね? 好みの子としか踊らないよ?』
それを聞いてニヤリと笑った春夏冬は、早速手近で場に慣れていないだろう少女の手を取って踊りに誘う。どうやら女子なら大体が好みらしい。
呆れつつ、エッカートは人目がつきにくい非常階段やトイレ周辺に威厳なく目を配る。
『あ、ちょっと端っこの方でいざこざっぽいのが起こってるみたいだよ。ちょっと誰か言って来てくれないかな?』
五月七日から通信。彼女がいるDJ席は壁際で、なおかつ段で高くなっているため見晴らしがいい。そのため、全体の見張りなどもしてくれていた。
「――うん?」
伝える方向に、エッカートは目を向けてみる。
この場にしては似つかわしくない険悪な雰囲気が漂っていた。男と女。蟹座の三と四。カップルであろうか。
「いかがなさいましたか?」
天使の微笑みでクレメントが対応。
女曰く、仮面を着けてハメを外しすぎた彼氏が、あろうことか自分の目の前で浮気まがいのことをしたのだと。
「あちらにお席をご用意いたしました。後程、フルーツとデザートをお持ちいたしますので、ごゆるりとおくつろぎ下さいませ」
密かに心を癒す暖かなアウルを拡散させつつ、女を宥めてソファー席へ誘う。
「優しいね。あいつよりもずっと優しい」
「いえ。そんな」
メニューを手渡しつつ、苦笑。
「ご希望のものはございますか?」
「そうだな……あなたとか」
仮面を着ければ誰だって大胆になる。これは浮気まがいの復讐なのか、それとも本心なのか、こういう性質なのか。
「申し訳ございません。DJ、ダンサーを含めて、スタッフのお持ち帰りはご遠慮いただいております」
事実であるから仕方がない。少々お待ちくださいと言って立ち上がり、厨房へと向かった。何はともあれ、一件落着だ。
ダンスホールの盛り上がりは最高潮に達していた。
「最後の仕上げにあたしの7つ芸の1つ見せちゃうよ〜!」
機材を飛び越え、五月七日はホールの真ん中へ降り立つ。そして立ち上がると同時に掲げたのは――ソプラノリコーダーである。
「ガー君後よろしくね♪」
演奏をガー君に任せ、リコーダーを吹く。ぴーぴょろろとリコーダー特有の気の抜けた音が響くが、指運びや吹き方が巧みなお陰か不思議と曲にマッチしている。ちなみにヒップホップだ。
「楽しいイベントにしましょう!」
凄いのはここからだ。あろうことか、軽快に踊り始めたではないか。
おおー、と観客が歓声を上げる中、隣に新崎がやってきてロボットダンスを踊り始める。「ちゅっちゅちゅ、くぅいーん……がしょーんがしょーん」という効果音付きで、これもまた上手い。本人からすれば普通のダンスに飽きただけなのだが、場の空気を変える事に成功している。
少し踊り疲れた紅がソファで客と話しているその横のバーに、一人の少女が訪れる。
「……おすすめのカクテル、一つ」
腕を見る。薔薇には葉がない。
「そうですね……」
やんわり断るのも手だが、ここは一つ。
メインの材料とグレナデン・シロップを加え、シェイカーとグラスを音楽に合わせて数回ジャグリングした後、グラスに注ぐ。
「禁酒法が終わった時に作られたと言うシャーリー・テンプルです。今回はコーラを混ぜてシャーリー・テンプル・ブラックとしました。どうぞ」
実はこれ、ノンアルコールなのだ。メインの材料と言うのもレモンとライムとコーラ。
禁酒法が終わった後に作られたのは事実であるが、これは家族連れで酒が飲めるようになった時、親が酒を楽しんでいる横で子供達が飲めるようにと発明された、カクテルという名のソフトドリンクだ。
「ありがとう」
そんな事も露知らず、少女は気取ったようにカクテルを飲んでゆく。大丈夫だ、そういう気にさせても、別に何も咎められない。
――そう、ここは仮面舞踏会。全てが嘘で、すべてが幻。
一夜限りの夢だとしても、現実から乖離した空間は、痺れるように甘く、甘く。
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初めての試みは、大盛況の下、無事成功へと終わった。
春夏冬が集めたスタッフと共に会場の後片付けをし終えたエッカートは、砂原がグラスを磨くバーを訪れる。
「冷えたビールをくれ」
「了解」
間もなくビールは来た。短く礼を言い、冷えたグラスに口を付ける。
「仕事のあとの一杯は格別だ」
取り外されてゆくミラーボールを見ながら呟く。ミラーボールはその性質により、未だに室内の明かりを反射して薄く輝いている。
その時、幻の残滓が微かに光った。
【了】