●狂った童話作家
曇天、其れは訪れた撃退士達の心を現しているかのようだった。
冬の、それも陽も射さないその場所は寒く、閑散としている。
事件の現場となった校舎裏は、授業中という事もあり人気が無い。
多感な年頃である中学生達は、それでなくとも殺人事件が起こった場所になど行きたくはないだろう。
今なお残る、事件の爪痕。
地面に描かれた白線はヒトを型どり、その周辺に血痕が残されている。
少し離れた場所には誰が置いたか、花束とお菓子、ジュース類が供えられていた。
そんな現状を、九曜 昴(
ja0586)と亀山 淳紅(
ja2261)が何かを探し、歩き回っている。
いつもの昴の眠そうな瞳には、今日はどことなく芯の強いものが秘められているように見えた。
エレオノーレが語った惨劇の童話作家、クローディア。
其れがもしこの事件に関与しているとしたら、どれ程の悲劇が引き起こされるのだろうか。
事前に得た情報を元に、『狼少年』と言うキーワードに関連するような物証、事象は無いか探索する。
しかし、何も見当たらない。
それは淳紅も同じだ。
「……何か、ええ証拠。見つかればええけど」
呟けど、確かな物は見つからなず、まるで雲か霞を掴むような手探りの作業。
それでも、少年の無実を証明するにはやるしか無いのだ。
確信の無い作業であっても、己を鼓舞し続け、やり遂げる。
それだけの強さが淳紅にはあった。
寒空の下、作業を続ける二人に、容赦無く風が吹きつける。
其の風はどことなく嫌なものを含んでいるように思えるのだった。
「はたして一般人がカッターなどで人を殺せるものか? それも首への一撃で、だ。甚だ疑問だな」
鷺谷 明(
ja0776)は一人、屋上への階段を登っていた。
調査前に閲覧した被害者の検死記録は見事なものだった。
唯の一撃、其れだけで的確に急所をついていた。
偶然、と言う可能性も確かに零では無い。
が、どうしても中学生に容易く出来る芸当ではないのは明らかだろう。
悪魔の関与を聞くまでも無く、明の胸中には疑念が渦巻いていた。
「もしその悪魔が関与しているならば、結末は独りになった、と予想する」
それはつまり、『狼少年』の言葉を信じなかった者、全ての消失である。
確かめなければならない、自分の目で。
そうして、明は屋上の扉を開けた。
「……おや? 君、『村人』だね。やだなぁ、ここ、最高の観劇席なのに邪魔者がきちゃったよ」
果たして其処には少女の姿があった。
否、撃退士の明には解る。
その少女は悪魔である、と。
おそらくこのタイミングでこの場所に居るであろう悪魔は唯一体。
「貴様は……、『狂った童話作家』クローディアか?」
チリチリとした重圧が明を苛む。
しかし、顔に張り付いた笑みだけは絶えない。
「ふぅん、ボクの名前、知ってるなんて光栄だね。誰の差し金? 困るなぁ、これから面白い所なのにさ」
これで確定した。
やはり今回の事件は悪魔の犯行だったのだ。
「……ふむ、童話の現実再現か。実に私好みだ」
だが、あえて続ける。
その言質を取る為に、情報を得る為に。
「へぇ、アリス以外にもボクのお話の素晴らしさが解る人間がいたんだね。どうだい? なんだったら、ボクと一緒に観劇するかい?」
悪魔は愉快そうに微笑う。
その笑顔は純真そのもので、それでいて残酷だ。
「……ああ、愉快で、綺麗で、反吐が出る」
故に、明には許容し難い存在だった。
その台詞と共に銃を抜き、照準を合わせる。
しかし、合わせた瞬間には、その場からクローディアが消え失せていた。
「ふぅん、君もそうなんだ。じゃあ、要らないや。『村人』だから配役じゃないボクは殺さないよ。運がよかったね。でも、此処までさ」
気がつけば背後、物質透過能力を使った地面からの奇襲。
そこまで考えが及んだ瞬間には、明の腹から血に塗れた腕が生えていた。
「ごふっ!?」
纏まった血液が逆流し、口の端から零れ落ちる。
そんな様子もお構いなしに、クローディアは腕が刺さったままの明を抱え、屋上の柵を越えた。
「それじゃあ、さよなら」
腕を引き抜き、突き落とす。
血を撒き散らしながら明が地面へと墜ち、そのままぴくりとも動かなくなった。
「やれやれ。観劇の邪魔をされるのは嫌だし、別の場所に移動しよう。ここ、良い席だったのになぁ」
手についた血をぺろりと舐めながら、悪魔は屋上を後にした。
●魔狼の群れ
明が血の海に沈んで数分後、校庭の方を調査していた東雲 桃華(
ja0319)、鏡極 芽衣(
ja1524)、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)の三人は魔狼の集団と対峙していた。
屋上を調査し、其処から周囲を警戒すると言っていた明と連絡が取れなくなり、不審に感じていた所への襲撃だった。
遠目からでも判別できる程の大きさを誇る狼を中心に、中型犬程度の大きさの狼が取り巻いている。
それらがゆっくりと足並みを揃えて校舎へと向かい、歩み寄ってきていた。
「『狼少年』と『狂った童話作家』……か、エレオノーレの懸念通りになってしまったのね……。嫌な予感が当たってしまったわ……」
桃華が悔しげに唇を噛む。
他の仲間には連絡を入れたが、どう数えてもたったの三人で相手できる数ではなかった。
今、此処を突破されれば多数の一般人に被害が出るだろう。
其れだけはなんとしても避けなくてはならない。
「可能性は考慮していましたが、流石にこれは……。でも、出来る限りの事はやりますよ。自分の力の範囲内でね」
緊迫した状況に困惑を隠せないものの、エイルズレトラは覚悟を決める。
被害を零に抑えられるとは思ってはいない。
だが、自分達の頑張り次第で被害を抑える事は出来るだろう。
先ずは避難の時間を稼ぐ事、自分にやれる事をやるだけだ、と。
「絶対に防いでみせます。繰り返させはしません」
芽衣の胸中で疼くのは過ぎ去った傷の痛み。
ささやかな幸せを、両親を悪魔によって奪われた。
そして今、その眷属が新たな惨劇を紡ぐべく襲いかかろうとしている。
そんな苦しく悲しい犠牲は、芽衣にとって看過できるモノではないのだ。
自分と同じような人間を増やしたくはない。
故に武器を取るのだ。
その手に救える全てを護る為に。
そうして、激突の時が来た。
「エレオノーレの言う天魔が関わってんなら、何か仕掛けて来る筈だが……と思っていたら案の定か」
舌打ちしながら小田切ルビィ(
ja0841)が校庭へと向かう。
敵勢力の総数を聞くに、どう考えても数名で持ち堪えられるようなものではない。
その隣を昴が走りながら自分の所感を述べた。
「狼の襲来……狼少年という言葉と符号するの……材料の一つになるかな」
だとすれば間違いなく、目的は生徒達を食い殺す事だろう。
もし自分達がいなければ、と思うと背筋が凍る。
校内に残されている生徒達の避難誘導が気がかりだが、今はその時間を稼ぐために防衛線を築かねばならない。
他の仲間にその責務を託し、二人は全力で駆けていった。
第一報を受けたヴィンセント・マイヤー(
ja0055)は職員室に駆け込んだ。
居合わせた教師達に、現在この学校が置かれている危機的状況について端的に告げる。
そして生徒達の避難を開始するように促した。
だが頭の固い教師達は混乱し、学外への避難を提唱する。
一分一秒が惜しいこの時間に、それらの意見を逐一論理的に説き伏せていく作業は流石のヴィンセントも骨が折れた。
漸く納得させ、放送施設の使用許可を取った時にはかなりの時間が経過していた。
急がなければならない。
「教師方は階の生徒の避難を確認した後、防火扉を下ろしてくれたまえ」
職員室の外で待機していた淳紅と合流すると、避難誘導すべく行動を開始した。
淡い黒色の燐光を散らしながら、桃の花弁が舞う。
駆け抜ける狼をすれ違い様に斧で一閃。
極限まで研ぎ澄まされた斧の一撃と、獣の疾駆の軍配は、桃華に上がった。
唯の『羊』と見誤っていた。
其れは武器を手に『羊』を守護する『村人』の力。
唯一『狼』に対抗しうる祈りの力なのだ。
桃華の攻撃と同時に、芽衣とエイルズレトラもそれぞれの武器を手に、防戦を開始する。
「ここから先は通行止めです」
芽衣の手に魔弾が形成され、解き放たれる。
校舎に向かって突き進む狼を捕らえ、その頭を吹き飛ばした。
エイルズレトラは自分の得物を鑑みて、足止めに徹する事を決める。
苦無を数本構えると、獣の脚を狙い擲った。
狙い通り突き刺さった苦無が敵の足を止め、勢い余って転倒させる事に成功する。
だが、それまでだ。
数が違いすぎた。
易々と防衛線を突破した数体が校舎へ突入しようとし――、
「やらせるかよ」
駆けつけたルビィの拳に頭を潰され、頽れた。
「――来な。遊んでやる……」
扉の前に立ち、進路を塞ぐ。
「援護するの……」
ルビィの背後から飛び出た昴が、狼の足元を狙い撃ち抜いていく。
しかし、止められない。
足止めし損ねた狼が数体、窓を破って校舎へと突入してしまった。
だが、まだ校庭に残っている狼の数は多く、突入の機会を窺っている為、背を向け追う訳にはいかない。
校舎内で奮戦している二人に委ねるしかなかった。
●物語の行方
「押すな! 喋るな!! 走れ!!!」
淳紅の怒号が響く。
スピーカーからは、ヴィンセントの避難を促す言葉が響いていた。
だが、集団とはパニックになりやすいものだ。
命がかかっている場合は特に。
階段はすし詰め状態になり、我先にと上階目指し、駆け上っていく。
足を踏み外した者が転び、倒れ、其れを後から来た者が踏みつけ、先を求める。
こういう時こそ慌てず冷静に行動すべきなのだが、撃退士に緊迫した声で走れと言われれば、迫り来る危険に平静では居られない。
更には言う事を聞かず、校舎外へと飛び出し、裏門から学外へ避難しようとする者まで出る始末だった。
そんな状況に、狼が飛び込んできたのだ。
逃げ遅れたり、怪我をした者が次々と噛み殺され、階段が赤く染まっていった。
侵入に気がついたヴィンセントは非情な決断を下した。
今、襲われている生徒を見捨て餌とし、より多くを救済する事。
即ち、防火扉の遮断である。
「『狼少年』の願いは、こんな事ちゃうやろ……!」
淳紅が悔しさに声を荒げる。
だが、より多くを救うためには仕方ない事だと言うのは頭では解っている。
扉の向こう側から聞こえる悲痛な叫びを、怒声を、全てを聞かなかった事にして閉ざした。
「……あのデカイ狼。あれが『頭』か」
息も荒くルビィが呟く。
数の不利、平地戦と言う不利、妙に取れた統率。
それらもあって、校庭で戦う撃退士達は満身創痍だった。
だが、それでも何体かの雑魚を討ち取り、頭数だけはイーブンに持ち込んでいた。
校舎の中に入ってしまった敵が気になるが、ヴィンセント達からは手が離せないのか、何の連絡もこない。
互いに手負い、我慢比べのような状況が続く。
が、先に魔狼が動いた。
巨大な体躯を震わせ、強行突破を試みる。
腹の底に響くような咆哮を上げ、ルビィへと飛びついた。
ルヴィは覚悟した。
できる事なら命令を下しているらしきこの狼は校舎内で仕留めたかった。
だが、このまま中に通す訳にはいかない。
相打ち覚悟で心臓を狙いレイピアによる高速の刺突を繰り出す。
しかし、レイピアでは細すぎた。
硬い皮膚を貫き、心臓まで達する事は叶わず、胸板を浅く傷つけるだけで終わってしまった。
そうして、獣の息がルビィの首筋へとかかり――、
「全ては、力無き者達を護る為にっ……!」
ずっと隙を窺っていた桃華が横合いから飛び出し、その強力無比な斧の一撃で魔狼の首を叩き落とした。
方向性を失った巨躯が無様に転がり、地を赤く染め上げる。
そして、リーダーを失った狼達は反転すると、各々別々の方向へと駆け出していった。
「学外へ出る気なの!?」
桃華の狼狽した叫びが響く。
それと同じ現象は校舎内でも起きていた。
淳紅、ヴィンセントと戦闘をしていた狼は全て突破を諦め、それぞれが別々の方向へと駆け出していく。
より食べやすい『羊』を探して。
事件後、撃退士達はエレオノーレの部屋に集まっていた。
一人を除いて。
明は命に別状はなかったものの、血を大量に失い、療養生活を余儀なくされた。
だが、彼のもたらした証言により、『狼少年』の無実を証明する事が出来た。
悪魔の襲撃に関しても、生徒三十七名、通行人十名の犠牲は出したものの、緊急事態であった事を鑑みれば充分な成果であった。
例え其の手段に何か問題があり、誰かに非難されようとも、やれる限りの事をやりきったのだ。
「よく耐えて頑張ったのじゃよ。誰が何と言おうとエルは君達の事を褒めるのじゃ。誇るとよい」
しかし、これで厄介な悪魔の関与が明るみに出た。
これからより一層、撃退士達の戦いは激しさを増すだろう。
春は未だ遠く、寒い冬が続く。
●Side:B
「こうして『村人』は『羊』を護ったのさ。おしまい」
少女がつまらなそうに語り終える。
「ねぇ、クロ。どうして『村人』は『狼少年』の言う事を聞いたのかしら?」
少女が不思議そうに問いかける。
「彼らは残酷なのさ。それでもし嘘だったら罰を与える事ができる。飢えているのさ、余興に」
少女が可笑しそうに答える。
「きっと純粋なのね」
少女が面白そうに答える。
「純粋? 違うね。愚かなだけさ。そして、其れは欺瞞でもあるのさ。結局『狼少年』の本質は変わりやしない。ゆくゆくは同じ道なのさ」
少女、クローディアが続ける。
「果たして『狼少年』にとってどちらが幸せだったのか、其れは『村人』には理解できやしない。彼の蒔いた『原罪』は枯れる事がないのだからさ」
クローディアの嘲笑が響く。
少女、アリスはその様子を静かに、静かに聞いていた。
「誰もが『本当』の自分で在り続ける事が出来る世界。そんな世界があるならば、私も――」
アリスの呟きは夕闇に溶け消えていった。
「お嬢様、そろそろお食事のお時間です」
ノックの音が響き、給仕が催促する。
気がつけばもうそんな時間だったらしい。
「ありがとう、アリスのクロ。今日も楽しかったわ。またお話聞かせてね」
そう言ってアリスは食堂へと降りていった。
残されたクローディアの耳に、給仕達のひそひそとした私語が聞こえる。
「ねぇ、またあの娘ったら、ペットの黒兎に独りで話しかけてるの。気持ち悪いわ」
「親が親なら、子も子よね。お給料いいから、こんな所で働いてるけど、不気味で嫌だわ」
「よねぇ。こんな辺鄙な場所で障害者の世話だなんて。次の休暇が待ち遠しい!」
給仕達の声が徐々に遠のいてゆく。
誰もいなくなった部屋でクローディアは愉悦の笑みを浮かべた。
「ねぇ、ボクのアリス。この世は欺瞞で満ちているでしょ?」