●迷宮の挑戦者
全てが灰色の世界。
其れが撃退士が最初に抱いた感想だ。
冬の海は色を失い、打ち寄せる波飛沫は荒々しい。
鼻腔を擽る潮風には、生々しく、何かしら不吉なものが混ざっているように感じられた。
堤防から俯瞰したどこまでも続く消波ブロックの海岸線は、まさしく灰のラビリンス。
人が作り出したコンクリートジャングルである。
その入口に立つ撃退士達の表情は、初めての任務に緊張した様子の者が多く、また状況も切迫していた。
先遣隊が挑み敗れ去った、魔が待ち受ける灰色迷宮。
その奥に浚われた子供達の救出。
そして、その子供達を助けるべく立ち上がった何の力も持たない少年の捜索。
やらなければならない事はたくさんある。
それに、満潮の時間まであまり時間は残されていなかった。
「待っててね、絶対みんな助けるからさっ」
御剣トツカ(
ja0938)がテトラポットの山を見上げ、呟いた。
今もこの迷宮のどこかで助けを求め震えているであろう子供の境遇を思い。
己が使命、撃退士としての誇りにかけて救ってみせると。
そして、その思いは他の撃退士にも共通するものでもある。
「行こうか、先ずは人質の兄の捜索からよ」
逆巻く風にシルバーアッシュの髪を弄ばせながらジネット・ブランシャール(
ja0119)が仲間を促した。
時間が惜しい、と。
撃退士達は携帯電話を手に、消波ブロックの周囲に散っていった。
程なくして、捜索願いの出されていた少年は保護された。
木刀を手に、ふて腐れて押し黙り、自分を捕まえた撃退士達を睥睨する。
そんな少年の態度を軟化させようと、逸宮 焔寿(
ja2900)が優しく微笑みかけた。
「焔寿にも大切な妹がいます。だから、お兄さんの弟を助けたい気持ち、わかります」
そう言って、ポットに入れて持ってきていた暖かいお茶を手渡す。
「兄上様の、護りたいというそのお気持ち、些かながらわたくしにも解りますわ」
大事な人を護りたい、その思いに共感を示すのはメイド服を身に纏った少女、ミルフィ・ラヴィット(
ja4878)である。
彼女には、溺愛してやまない敬愛する主がいる。
その主がもし、今回と同じ状況になったら、少年と同じ行動をせずには居られないだろう。
故に、誓うのだ。
絶対に子供達を救出してみせる、と。
「お兄さんの気持ち、絶対無駄にしないよ!」
水瀬 ひなた(
ja4063)は強い意志を持ち、行動に移すことができるこの少年に、尊敬の念を抱く。
其れは優柔不断な所もある自分には、絶対真似できない行為だからだ。
きっと行動に移せず、ただただ泣く事しかできないだろうから。
だが、少年の心は頑なだ。
「俺は……、俺は弟達を助けて、あいつらの英雄になるんだ! 武器だって、コイツがある。テトラポットの中だってガキの頃から俺の遊び場だ。土地勘だってある」
指をくわえて見ているのは嫌だ、自分にだってできる事があるんだ、そう言って聞かない。
「それに、あんた達は一回あいつに負けて逃げ帰ってきたじゃないか!」
確かに、その通りだ。
万全を期して突入した前回の部隊は奇襲を許し、壊滅してしまった。
不信感を持つのも仕方ない事なのかもしれない。
家族の命がかかっているのだから尚更に。
だが、それでも信じて待っていて貰わなければならない。
唯の人間が、天魔の眷属に敵うはずがないのだから。
何としても止めねば、と新名 明日美(
ja0222)は必死に説得する。
「英雄は、生きて帰るから、カッコイイ……んです。弟さんを、助ける代わりに、お兄さんが死んだら……意味ない、の」
大人しく、普段から引っ込み思案な少女からすれば、其れはどれほど頑張った言葉だっただろうか。
「だから、お兄さんは……生きて弟さんの、英雄になって、あげて」
つっかえながらも、自分の言葉で一生懸命伝える。
命を賭けて戦う事だけが、大事な仕事ではないのだから。
「――もし良かったら、私達に協力してもらえないかな」
その後を継いで、ジネット・ブランシャール(
ja0119)が情報協力をして欲しいと申し出た。
内部の構造に詳しくない自分達の為に、人質が集められていそうな場所までのナビゲート役をしてほしい、と。
無論、それは実際についていくのではなく、消波ブロック群全体を見渡せる場所でジネットの横につき、内部に突入し手足となる撃退士達への指示を出す指揮所としての役割としてだ。
これならば少年が無鉄砲な行動を起こさぬよう監視もでき、且つ、有益な情報を得る事ができる一石二鳥の作戦だ。
果して、その要請を少年は快諾した。
そういう戦い方もあるなら、少しでも弟達を救出する作戦に関われるなら、自分の抱く英雄としての理想像へ一歩でも近づけるならば。
だが、そうやって安全な場所とは言え、一般人が天魔との戦闘に進んで関わる事に危機感を抱く春永夢路(
ja0792)は念押しする。
「……協力感謝だ。よろしく。だけど次は無いよ、あくまでも今回だけだ。一般人が下手に首を突っ込む事じゃない。痛い目に遭う前に現実を見るんだな」
普通の人間が天魔との戦闘に関われば、痛い目で所では済まない。
有無を言わさず、一瞬で命を失ってしまう。
夢見がちな少年に送る、夢路なりの厳しい優しさだった。
こうして、八人の撃退士に少年を加えた九名で、即席の作戦会議が開かれた。
仄暗い迷宮の闇から、赤い瞳が妖しく光る。
其れは外で円になり何事かを話し合う九名の姿を認めると、ゆっくりとその場から移動を開始した。
●迷宮の主
「分断を狙うらしいからね、情報を常に共有しないと」
ジネットが携帯電話を二台持ち、指揮兼連絡役を担う。
今回、人質とされているのは子供三人。
前回の突入時、具体的な場所は不明だが、偶然発見できた子供達は一ヶ所に固められていたと言う。
その情報を元に、少年に子供達が三人集まっても余裕のある広い隙間の場所について尋ねた。
返ってきた答えは六ヶ所である。
その内の四ヶ所については、あまりにも砂浜に近い位置にある為、人質を匿うにしては不向きだと切り捨てた。
残りは、比較的海に近い奥の方にある隙間と、中央付近にある隙間だった。
満潮までの時間と巡回ルート的に、奥側の隙間から確認し、中央へと戻ってくるのが効率的かつ合理的だろう、と撃退士達は判断する。
ジネットは、子供の兄と共に消波ブロック全体を見渡せる堤防の上に座すと、そこを臨時の指揮所とした。
「占いで栄えた、即ち運命を司るとされた魔導師一族の力、見せてあげます!」
ソリテア(
ja4139)が意気込む救助班は、アストラルヴァンガードのトツカ、焔寿、そしてディバインナイトのミルフィを加えた四名。
「こういう時こそ平常心……! 自分が落ち着かなきゃ誰も守れないよね」
ひなたが大役に冷静になろうと努めるラミア陽動班は、明日美、夢路のダアト三人組。
以上、二班編制、二手に分かれて作戦にあたる。
全員が携帯電話をマナーモードに切り替え、イヤホンマイクを持ってきている者は取り付けた。
話し声で敵に居場所を悟られない為だ。
「じゃあ、準備はいい?」
話しかけた携帯電話双方から返ってきた答えは良し、である。
「ウィ。では、作戦開始だよ」
ジネットの合図と共に、二班は突入を開始した。
赤い瞳が、四人の影を見つめる。
今はまだ早い。
もっと奥に、奥に。
ゆっくりと、並進するように距離を取りながら追いかけていった。
「この辺でいいか」
普段メインウェポンとして使用しているスクロールから、ショートソードに持ち替え、夢路が見回す。
陽動班の役割はラミアを人質がいると思われる方向から引き離し、持ちこたえる事である。
ラミアは毒を持ち、攻撃力が高く素早い厄介な敵だ。
だが、弱点が無い訳ではない。
尾を切り落とす事さえできれば、再生するまで移動できなくなるのだ。
その時こそ、ラミアを討つ最大のチャンスになる。
故に、夢路に割り振られた役割は奇襲。
ひなたと明日美が引き寄せてきたラミアを背後から襲い、その尾を断つ事を目的とする。
夢路は適当な場所を見繕うと、二人に向かって頷き、息を殺し潜んだ。
陽動班の中の、更に陽動を任された二人は、夢路を残し奥へと進む。
狭く暗いテトラポットの隙間を、慎重に警戒しながら。
ひなたの薄い紫色の光纏が、綺羅綺羅と暗がりの中で輝き、異彩を放つ。
其れを目印に、遅れないように明日美が一生懸命付いていった。
ぴょっこりと、淡い桃色の入った白い兎耳が姿を現す。
ぷるぷると暗がりに震える其れを辿れば、どうやらミルフィの光纏らしい。
救助班はディバインナイトのミルフィを先頭に、目的の場所を目指して進む。
テトラポットの隙間は思ったよりも狭く、やはり人が一人から二人も入ればいっぱいいっぱいだった。
隙間を縫って進む度に、ミルフィ達の服は砂埃に塗れる。
足場が砂浜と言う事と、遮蔽物だらけの戦場は姿勢が不安定になりがちで、どうにも心許ない。
空がやや曇天と言う点もあるが、消波ブロックに遮光された内部は光量が不足し、見通しもよくない。
だから、と言うわけでは無いが、行軍は遅々として進まず、時間ばかりが過ぎていく。
内部からはどこまで進んだのかがわかり難い点や、敵襲に備え、はぐれないように全員の歩調を合わせているのも考えられる原因の一つであろう。
冷静に判断しながら、随時状況をジネットへと報告するソリテア。
彼女の周囲には虹のような光彩を放つリングが形成され、背中からは妖精の如き水色の翼状のものが生えていた。
それが、魔術師の家系に産まれた彼女の光纏形態である。
しかし、色華やかなその姿は、目立ちすぎであった。
ドスッ、と言う鈍い音と共に衝撃が走る。
釣られて下を見れば、深々とその腹に女性のような腕が突き刺さっていた。
否、正確には爪である。
テトラポットから腕が生え、それがソリテアに襲いかかっていたのだ。
そしてそれが意味する所は一つ。
「敵襲です……!」
物質透過能力を用いた、テトラポットを貫通しての攻撃。
気がつく間も無く懐に入られてしまっていた。
血を吐きながらも、仲間に襲撃を知らせると、ソリテアは閃光弾のピンを抜き、擲った。
激しい閃光と爆音が周囲を揺るがし、灰色迷宮に残響する。
●灰色迷宮の罠
ジネット達に緊張が走った。
敵襲の報の後、携帯電話からは激しい騒音が響き、不通となる。
其れが閃光弾によるものだと言う事は、消波ブロックから漏れた光で観測していたジネット達にも直ぐに解った。
即座に陽動班に連絡を入れる。
「救助班が敵襲にあったよ。人質の保護はまだだね。プランの変更が必要だから、向かって貰えるかな」
当初の計画、陽動班が敵を引きつけ、救助班が子供達を保護、は既に無理だ。
計画を修正し、全員でラミアを包囲、殲滅後救助という物に切り替える必要がでてきたのだ。
応答したひなたの了解の返答を聞くと、救助班の現在の大まかな位置についてナビゲートを開始した。
「明日美さん、行こう。私だってふわふわしてばっかりじゃないんだから……!」
「は……、はい。私達が、頑張らない、と」
陽動班の二人は武器を手に救助班への救援に向かう。
だが、夢路はそのまま隠れていると言う。
「まだ人質は救助できてないんだな? なら俺はこのまま待ち伏せだ」
あくまでも、ラミアに奇襲をかけ、其の尾を切り落とすと言うのだ。
逃げる時は自分の潜んでいる方向まで来て欲しい旨を告げ、二人を送り出した。
救助班は悲惨な有様だった。
擲った閃光弾は敵よりも自分達に効いた。
閃光と轟音の対策を怠っていた為、瞳を焼かれ、聴覚が狂う。
尚且つ、敵は物質透過能力をフルに使い、遮蔽物などお構いなしに、全方位から攻撃を仕掛けてきた。
撃退士達の攻撃は透過能力が無い為、テトラポットに阻まれ、届かない。
射線を確保できず、攻撃が通る隙間から敵が現れる事を願うが、そう簡単にはいかない。
阻霊陣を装備し、その効果を活用していれば、まだ状況は五分か、人数差でそれ以上に持ち込めていただろう。
だが、無いものは使えない。
じわじわと、ラミアの毒が撃退士達の体力を奪い、動きを鈍らせていく。
救援が来るまでは持ちこたえなくては。
せめてここに居る仲間達だけでも固まり、背中を庇い合えれば。
しかし、それも叶わない。
狭い隙間の中で、各個分断された状況だ。
もっと広い隙間に誘い込めていれば、或いは庇い合えただろう。
今の状況となってしまえば、ひとたび迂闊に動く度に、容赦無く死角から、爪が、牙が襲いかかってくる。
動くに動けないのだ。
そうして、体力だけが無為に消耗されていく。
拙い状況だった。
回復した通信から状況を察したジネットは、苦渋の決断をせねばならなかった。
このままではラミアを倒せない。
それどころか、撃退士達の命さえ危うい。
其れはきっと、現場で戦っている誰もが抱いている危機感だろう。
だが、誰もが言えずにいる一言なのだ。
故に、ジネットは告げる。
観測者として。
撤退、の二文字を。
合流した陽動班の活躍もあり、命からがら撃退士達は逃げ出してきた。
その背後で、時間切れとなった迷宮が、ゆっくりと海中に沈んでゆく。
その様を苦い表情で見送りながら、トツカと焔寿が仲間達を治療していった。
誰もが言葉少なく、敗戦に打ち拉がれる。
「……苦しいね」
ひなたが、ぽつりと呟いた。
己の力の無さを悔やみ、座り込む。
其れは、誰にとっても同じだった。
少年の叫びが心に痛い。
「これが戦闘だよ。どうだった?」
そんな少年に、夢路が話しかけた。
戦いである以上、どんなに万全を尽くしてもちょっとの事で足元を掬われ、其れが命取りとなってしまう事がある。
これが、少年の憧れる世界の日常なのだ。
だが、そんな理屈は、感情の前では無意味だ。
「嘘つき!」
其れが、少年の答えだった。
後日、消波ブロックから子供三名の遺体が発見された。
死因は溺死だった。
灰色迷宮で猛威を振るったラミアは、その姿を何処かへと消し、何の痕跡も残されていなかった。
遺体発見の報を聞いた子供の兄は、撃退士への夢を諦めたと言う。
それもまた、良かったのかも知れない。
撃退士とは生と死の狭間に立ち、過酷な運命と戦い続ける者なのだ。
故に、彼らに立ち止まる事は許されない。
抗うこと諦めた者に、神様が微笑む事など無いのだから。