●神域に潜みしモノ
「あなたがサトルくん?」
突然訪問してきた4人組のうちの一人、金糸の髪に白い和服姿の少女が柔らかな笑顔で語りかける。
最近はこういう事がたまにある。
それもこれも、タカシの事件の所為だ。
誰もサトルの言う事を聞いてはくれない、唯一の肉親でさえも。
その癖、同情顔でやってきては、根掘り葉掘り事件について聞き、有る事無い事を面白可笑しく記事にするような奴すらいる。
誰もが信用できなくなっていった。
全てがどうでもよくなっていった。
これが、天罰と言うならば、あまりにも過酷だ。
だが、それでもタカシへの贖罪になるのなら、耐えて孤独に生きる事でいつか許される日が来ると言うのなら。
それが、聖域の事件で一人帰ってきたサトルの想いであった。
その孤独に凍える意思を、暖かく包み溶かすような笑顔で、星野 瑠華(
ja0019)は名乗りを上げる。
「安心して下さい。お姉さん達は正義の味方です」
曰く、撃退士である、と。
其れは、TVや新聞でしかお目にかかれないような、サトルにとっては雲の上のような人種であった。
人の身でありながら、恐ろしい天魔と渡り合い、人類を守護する現代の英雄。
理解が現実に追いつかない。
何故、彼らが?
そんなサトルの疑問を氷解するように、瑠華が今回の訪問の主旨について告げた。
誰もが信じてくれなかった、実の親でさえも。
優しかったタカシの両親も、学校の先生、友人達も、警察だって。
だけど、瑠華達は違う。
信じてくれる、探し出してくれると言う。
泣くまい、と決めた瞳から、熱いものが零れた。
「嘘ついてねぇんだろ? 友宜に、魂に誓っていえんだろ? だったら胸張っとけ、証明は、俺たちがしといてやっから」
志堂 暁(
ja2871)が、サトルの目を見て、言葉を掛ける。
訴えかけるその視線、それは、魂で交わし合う男同士の約束である。
暁に促されるように、今まで溜めていたモノを吐き出す。
一言一言、思い出せる限りの全てを伝えていく、自分の想いと共に。
「当然よ! あたいがさくっと探してきてあげるわ!」
雪室 チルル(
ja0220)が持ち前の明るさで、サトルに請け負う。
根拠がなくてもいい、今はその笑顔が、最大の希望を少年に与える。
チルルがウシャンカを被り直し、元気よく手を振る。
「自分達は君のその言葉を信用するのさぁね」
開いているのか定かでない程の糸目をふにゃんとさせて、九十九(
ja1149)が更に強く頷く。
その飄々とした風貌の奥に、人であろうと天魔であろう魚であろうと必ず見つけだし殺すという必滅の意思を抱いて。
凄惨、とすら評せそうなその戦意が、今のサトルにとっては頼もしくすらある。
「辛い事だったでしょうが、よく話してくれました。後はお姉さん達に任せてください」
気遣う様に優しく微笑みかけると、戦場へと向かうべく、瑠華達は席を立つ。
想いは受け取ったのだから、後はやれるだけやるだけだ。
少年の切なる願いを背に、仲間の待つ『聖域』へと歩き出すのだった。
「……興味深いわね」
瑠華達がサトル少年を訪ねていたちょうどその頃、蒼波セツナ(
ja1159)はノートとペンを手に、調べ物に勤しんでいた。
今回の依頼、特に『聖域』に関する伝承の調査だ。
遡ればその歴史は古く、人々が刀を手に闘争の日々を過ごしていた時代まで戻る。
その昔、この地域には魔物が現れ、人々を襲い困らせていた。
見るに見かねた神の使いが其れを討伐し、再びの安寧を迎える事となる。
しかし、神の使いは、この平穏に対して対価を求めた。
それが子供、つまり人身御供である。
毎年一度、『聖域』の泉に子供を捧げよ。
さすれば永久の平和を約束しよう、と。
最も、今ではその儀式は形骸化し、子供に見立てた人形を、年に一度の祭りの時期に捧げる習わしになっている。
だが、それでも違和感を感じる。
「考え方によっては、その昔現れた冥府の眷属を、天使が討伐した、とも取れるわ。だとしたら今回の事件、臭うわね」
天界に縁のある地であるならば、この事件、もしかしたら当たりなのかもしれない。
胸に宿る秘やかな確信と共に、セツナは『聖域』へと赴くのだった。
●静かなる水面
がさがさと茂みをかき分け、ひょっこりと、猫耳が姿を現す。
否、猫耳ではない。
正確には、猫耳の様に跳ねた赤髪である。
風に揺れて本物の如くぴょこぴょこ揺れる猫耳髪の持ち主である花菱 彪臥(
ja4610)は、依頼内容にある『聖域』の現地調査にきていた。
「小等部は俺だけかぁ。……必然的に、俺、餌じゃね?」
一人、呟く。
それは今回の依頼に対する意気込みでもあり、悲哀でもあり、不安でもあり。
様々な感情が綯い交ぜになった呟きであった。
昼間とは言え、人気の無い森は暗く、どこかしら不気味ですらある。
先頃も子供が忽然と姿を消した、という事件があったばかりだ。
得体の知れない、正体のわからないもの程、恐ろしいものはないだろう。
未知との遭遇を予感しながらも、茂みをかき分け進むと――。
「わぁ〜!」
「うわぁ!?」
殺伐とした『聖域』に大上 ことり(
ja0871)が現れた。
「えへへ、ごめんね〜。驚かせちゃったかなぁ? 彪臥くんも来てたんだね〜」
純和風の着物をベースに、その裾をふわふわとした繊細な意匠のケミカルレースが彩っている。
腰を絞る帯も通常の其れとは違い、後ろで大きくリボン結びされた往年のアリスを彷彿とさせるようなスタイル。
着物とは違い、スカート状に仕立てられた足回りは色違いの生地を使用して緩急ついたティアードに。
俗に和ゴス、という種類に分類される服飾を身に纏ったことりは、総じて森林を舞う儚げな蝶といった印象である。
「なんだ、ことりのねーちゃんも来てたんだ。作戦まで時間まだあるけど、ことりのねーちゃんも調査に?」
どうやら考える事は同じらしい。
ことりは池周辺の森を探索していたようだが、何も見つからなかったという。
後は本命の池の調査だけなのだが――。
「うわぁ……、すっげー不気味じゃん」
陰鬱な森の奥に秘匿された『聖域』の池は、昼間だと言うのに木々によって陽射しを遮られ、暗く、ひんやりとした冷気に包まれていた。
緑色に濁った水面からは、その底を見通す事は叶わず、水深は計り知れない。
池の中央には、不自然に突出した岩が存在し、何者かを祀っている事を示す注連縄が巻かれていた。
しかし、それだけである。
特に不審な点は見当たらない、と思われたその時、不意に木々がざわめいた。
まるで『聖域』に侵入した咎人を糾弾するかのように。
ざわめきが重なり、響き合う。
ゆっくりと、二人に近づくように、徐々に音が大きく、近く。
まさか、天魔が……?
ことり達に緊張が走る。
二人が武器を構え、緊張の面持ちで視線を注ぐその先から、突然何者かが躍り出た。
「だぁー! めんどくせぇ!」
殺伐とした『聖域』に御暁 零斗(
ja0548)が現れた。
気が合う、と言うのだろうか。
零斗は零斗で作戦時に『餌』を配置するのに適する位置と、他のメンバーが隠れるのにちょうどいい場所を探していたらしい。
「めんどくせぇけど、こんな事で単位とか取れるなら留年しなくて済みそうだし……がんばるとしかねぇだろ」
髪や服についた木の葉を乱暴に払いながら零斗が答えるが、その言動とは裏腹に、きっちりと仕事を仕事として事に当たる分、案外に真面目らしい。
ことり達とお互いに見て回ってきた場所について情報を交換し合うと、囮作戦に向けて最適地の候補を絞り込むのだった。
時刻は昼を少し回り、日が西に角度を傾け始める頃。
間も無く、地元の警察や消防団がタカシ少年を捜索した時刻になろうかという頃合いである。
その後、合流した撃退士達は互いの得た情報を交換し合い、作戦を煮詰める。
共通して認識された事項は一つ、『確実にこの池には何かが潜んでいる』である。
しかし、残念ながら昼の内に行われた囮作戦は失敗に終わった。
獲物は餌にかからず、無為に時間だけが過ぎた。
全ての審判は夜へと持ち越されるのだった。
●聖域の主
月が昇り、寒々しい蒼光が地を照らす。
ここはそんな光すら通さぬ神域の森。
何者かが住まう池のほとり。
地上に赤々と闇を切り裂く人工光が輝き、どこかしら幻想的な雰囲気すらある。
突き刺されたカンテラの正面に瑠華は立ち、すっと腰を落とし愛刀の柄に手をかけた。
居合斬りの構えである。
通常の其れと違い、瑠華のは俗に言う大太刀と呼ばれるリーチと一撃の重さに優れる代物だ。
反面、刀身の重さと、刃の長さ故に、女性が居合斬りを行使するには相当の修練を要する。
如何にアウルがあるとは言え、そう易々と技を繰り出せるものでは無いが、それを為し得る瑠華の力はどれ程の努力の上に積み重ねられてきたのだろうか。
それを窺い知る要素は何処にも無いが、ただ纏った空気だけが並々ならぬ剣気を醸し出していた。
今回の作戦は囮役とその補佐をするA班、もし敵が現れた時、他に出てこないか警戒するB班、C班の編制で行われる。
それぞれが自分の持ち場につき、決行の時を待つ。
救命胴着を着け、懐中電灯と虫取り網を持った彪臥がほとりに立ち、作戦の開始を告げた。
ぱしゃぱしゃと水音が跳ねる。
聞き取りによって得られたタカシ少年の行動そのままに、彪臥は模倣する。
懐中電灯で照らされた水面には、何の影も映し出されない。
底知れぬ闇。
何かを探るように、その奥へ、奥へと網を突き刺していく。
そうして、水面が揺れた。
ざわざわと、穏やかだった池が震える。
何かが来る。
そう思った次の瞬間、深い水の底より来たる捕食者がその姿を現した。
巨大な鮫――、撃退士達には其れがなんであるか、直ぐにわかった。
サーバント、天使の起こす奇跡の片鱗。
伝承を模した出来損ないの化け物。
人類の討つべき敵。
其れが、彪臥を喰らうべく、空へと跳ね、そのまま落ちてくる。
真っ赤な口蓋と、鋭い牙が鈍く光る死の恐怖。
だが、相手が悪すぎた。
「釣れたか、ようするに、ガキと一人とか、そういうやつしか狙わねぇと。神様だかにしては、偉くチキンだなぁ?」
いち早く反応した暁が側面から飛び出し、サーバントの横っ腹を蹴り飛ばす。
勢いを殺されたサーバントがそのまま陸へと転がり落ち、びちびちと跳ねた。
「まさに一本釣りってか?」
得意げに決める暁の背後で、再び水飛沫が跳ねた。
二体目のサーバントの到来である。
「……見るからにサメだぁねぇ、そう簡単にはやらせないよっ……とねぇ」
しかし、警戒に当たっていたB班の九十九がいち早く反応する。
手にしたロングボウから放たれた速射の矢が、敵の目を射貫き、その攻撃を防いだ。
その横で、陸に釣り上げたサーバントを逃がさない為に、チルルが阻霊陣を張る。
これでまな板の上の鯉ならぬ鮫である。
しかし、攻勢はまだ終わらない。
三体目が現れ、仲間の報復を、と襲い来る。
だが、警戒されている中での奇襲ほど滑稽なものはない。
瑠華が駆け、刀の鯉口を切る。
高速の抜刀術が閃き、硬い皮膚に覆われた表面を浅く切り裂いた。
やはり身が厚く、斬撃で致命打を与えるのは至難の技のようだ。
●魔女の鍋
陸に上がった水棲生物の末路は悲惨だ。
「あたいが三枚おろしにしてやるんだから!」
と、チルルに切り刻まれ
「ものは試しなのです。よーく狙って……」
と、ことりに目と鼻を撃ち抜かれ
「これでくたばれやぁぁぁ!!」
と、零斗にトンファーで殴り殺される。
釣り上げられた魚類とは、得てしてそういうものである。
そうしてまた一匹、哀れな魚類が暁によって釣り上げられた。
「ちょいとばかり本気で殺りますかねぃ」
と、九十九のロングボウで矢塗れにされ
「魔術師の力、見せてあげる」
と、セツナの魔法で黒焦げにされ
「おっちんどけよ、眉間にたんこぶ作ってなぁ!」
と、暁に殴り殺される。
これぞ撃退士流の夜釣りである。
阻霊陣が無ければ、まだ逃げようもあったであろう。
しかし、撃退士側の事前準備が万全すぎた。
最後の一匹と思われるサーバントが跳ねる池に、九十九は阻霊陣を使用してみた。
しかし阻霊陣とはあくまでも『物質透過』を阻むのみである。
水中を泳ぐ事ができるサーバントの動きを留め置く事はできなかった。
陸に向かい、猛然と突進し、跳ねるサーバント。
せめて彪臥だけでも喰らいたい、と幾度目かの跳躍をかける。
ここまで来るといっそ哀れだ。
「はっ!! 仲間はやらさせないぜ」
零斗に盛大に横っ腹を蹴り上げられ、最後の魚類が釣り上げられた。
その末路は最早語るまでもない。
聖域が再びの静けさを取り戻し、陸に市場よろしく三体の魚類の死骸が並べられている。
撃退士が手にした刃物で、一体目の腹を割いていく。
何もでない。
ところで、『赤ずきん』という童話をご存知だろうか?
可憐な少女、赤ずきんが悪い狼に食べられてしまう、というお話だ。
二体目の腹を割く。
何もでない。
赤ずきんは最後、猟師によって狼の腹から助け出されハッピーエンドを迎える事となる。
だが、それはお伽の世界の話である。
三体目の腹を割く。
何かが転がり出てきた。
ばらばらに寸断された其れらは、辛うじて未消化の服飾類から子供のモノと憶測できる。
長い時間水の中で過ごした皮はずる剥け、肉は白く発酵し異臭を放つ。
どろどろとした黄ばんだ粘液が垂れ、まるで伝承に聞く魔女の鍋のような様相を呈していた。
誰もが言葉を失い、その場に佇む。
それでも、そんな未消化の内容物から一つ一つ遺品を取りだしていく。
九十九が濡れた撃退士達にカイロとタオルを配った。
それでも心は寒かった。
その後、撃退士達によって真実が露呈し騒動となった。
任務完了後、サトル少年の元を訪れ包み隠さず事実を告げ、言葉を掛ける。
「おら、これで証明だ。お前の言ってることは、正しかったなぁ、ガキ」
暁の言うように、確かに嘘つき扱いはなくなるだろう。
「ほら、もっとしゃきっとしなさいよ!」
チルルはそう言うが、これで事実として確定してしまった。
真実を知らない方が、或いは僅かな奇跡に賭けて幻想を抱けたかもしれない。
一生の十字架を背負う事になる。
自分の所為で死なせた、という後悔と共に。
「いいか、少年。友人の事を思うのなら、そいつの分まで強く生きろ。それがお前がそいつにできる最高の償いだ」
零斗の言う通りだ。
だが、世の中にはそうやって強く生きていける人間といけない人間がいるのだ。
これから先、少年がどう生きていくかは当人にしかわからない。
彪臥が友達になろう、とアドレスを渡す。
少年のこれからに僅かな不安を覚えながらも、撃退士達は学園への帰路へとついた。